2021年11月20日(土)の新潟市はこの時期らしからぬ穏やかな晴天。2週間前の上野がそうだったように、この日も竹藪に分け入るのにはうってつけの日だったかと。そんなふうに天をも味方につけて、東京バレエ団による『ドリーム・タイム』と『かぐや姫』のダブルビル公演がマチソワで新潟市・りゅーとぴあの観客に届けられました。
運良くどちらのチケットも買うことが出来たために、マチネ・ソワレ両方とも楽しむことが出来ました。そのどちらのホワイエの光景も普段のNoism公演のときとは趣が若干異なり、華やぎが何割か増しのうえ、お子さん連れ、家族連れの観客も多めで、「やはりバレエだなぁ」と感じたような塩梅でした。開演間近を報せる「1ベル」もなにやらチャイム仕立てでいつもと違ってるなと思いました。
ここではマチネとソワレとを合わせたかたちで書かせていただきます。
最初の演目はイリ・キリアン振付の『ドリーム・タイム』、東京は上野での初日の舞台を観たときから本当に魅了された作品です。同時に、内容充実の公演プログラムに、オーストラリアやらアボリジニやらのワードを目にして、「ん?何で?」と思うところがあり、ちょっと調べてみました。すると、大修館のジーニアス英和辞典第5版(「G5」)によれば、「Dreamtime」とは、《オーストラリアのアボリジニにとっての天地創造の時;alcheringaともいう》とあるではありませんか。他もあたってみると、祖先が創造された至福の時代を指すのだとも。ただ単に夢見ている時間ではなかったのだと知った驚き。浅学に過ぎました。それでこその武満徹の響き、合点がいきました。ホリゾントに浮かぶイメージも見事にマッチして見えてきます。
冒頭は女性3人(沖香菜子さん・三雲友里加さん・金子仁美さん)が無音のなかシンクロして踊るところから始まり、やがて、武満の音楽が被さってくるでしょう。それは個と言うより、民族としての堆積した記憶、その古層から浮かび上がってくるかのような夢。編まれつつも解かれていき、浮遊するかのように捉えどころのない、連続にして不連続。そうした非現実的な「時」が宮川新大さんと岡崎隼也さんによる超絶技巧的なリフトなどを駆使して現前化されていきます。そうしたリフトのなかには、金森さんに引き継がれているものも少なくないように感じられました。そして、レム睡眠がノンレム睡眠に取って代わられることで、夢に一区切りが入るように、ラスト、女性3人のたおやかな身体が描く美しい曲線、その3つのシルエットの余韻を残したまま緞帳が下りました。
20分間の休憩。ホワイエに出ると、見知った顔の集まりができました。「いいですねぇ」「好きです、これ」想定内でしかないような、そんな言葉が交わされました、マチネのときも、ソワレのときも。
そして金森さんの『かぐや姫』です。上野の東京文化会館のときとは若干の変更が認められました。映像が違っている印象でしたし、下手(しもて)の装置も最後までずっと顕わしになっている点も異なっていました。なにより、舞台のスケールがしっくりぴったり収まっているように思えたのは、やはり金森さんにとって、りゅーとぴあがホームだからでしょう。
「かぐや姫」と「道児」を踊るのは、マチネが秋山瑛さんと柄本弾さん、ソワレが足立真里亜さんと秋元康臣さん。東京の初日で秋山さん+柄本さんを観ていますが、ソワレのおふたりは初めて観ることになります。ほかには「童たち」もそれぞれ別キャストです。興味は募りました。
和の響きのようなドビュッシーの楽音から、桜舞い散る映像に「KAGUYAHIME」の英文字。やがて、夜明け前の青色は海。もう陶酔感しかないコールドに目は吸い寄せられます。そして、緑の竹の形象へ。この間に連発されるパドブレによるフォーメーションの変化はもう美の極み。そこに加わる、衣が繊細に翻るかのような、細波が時間差で拡がっていくかのような振付も金森さんの独壇場。そしてそれらを極上のスキルで可視化する東京バレエ団、まだ始まったばかりだというのに、もう既に眼福でしかない時間が私たちを一瞬のうちに虜にしてしまうでしょう。
そこに黒衣であり、影絵的仕掛けやら、「降ってくるモノ」すらあり、と金森さん的な話法が随所に顔を覗かせる訳ですから、観ていて楽しいことこのうえありません。
体重など全く感じさせず、ゴム鞠のように跳ねる秋山さんの「かぐや姫」に対し、憂いのテイストを感じさせる、やや年長感漂う足立さんの「かぐや姫」。一日のうちにどちらも観ることができて、その個性の違いを存分に楽しみました。
マチネもソワレも、どちらも40分などあっという間で、するすると過ぎ去り、一旦これで見納めということならば、早くも次の第2幕が、そして第3幕の結末が待ち遠しくなってもうどうしようもありません。きっと客席はそんな人たちばかりだったと見え、「かぐや姫」を失い、悄然とした「道児」をひとり残して緞帳が下りると、割れんばかりの拍手が場内に谺しました。その後、繰り返されたカーテンコール、何度も何度も。それは客電が点ってからも続きました。この日、ソワレの方には金森さんも登場し、すると更に一層大きな拍手が送られ、スタンディングオベーションもドッとその数を増しました。東京での2公演に加えて、新潟でも2公演。練度はあがり、表現が深まっていることは一目瞭然でしたし、当たり前の反応にしか過ぎなかった訳です。
その後、呼びかけられた規制退場のアナウンスに従い、ホワイエに出ると、東京からの、京都からの、出会う顔という顔がもう一様に笑顔でしかなく、満足感に浸る者たちばかりだとわかりました。この作品、言葉を超え、年齢を超え、誰にも届くものに仕上がっていると言い切りたいと思います。
あの人ともこの人ともひとしきり話し終え、漸くりゅーとぴあを後にしようとしたとき、さっきまでのあの物語を引きずるかのように、ほぼ満月が輝いているのを見上げました。2023年の4月も10月もきっと同じように月が輝いていることだろう、そんな根拠のない確信とともに、心躍らせながら駐車場を目指しました。
(shin)