【怒髪天の超速報】えっ!何だって!最低だな、財団も新潟市も!(絶句)

2026年5月13日(水)の宵、金森さんの「X」からそれを知ることになりました。

そして井関さんも「X」で。

そして伝えられた内容がこれです。おまけに「Noism Company Niigata事業」も終了とは!

「芸術監督の公募について」

令和元年の「劇場専属舞踊団検証会議(第2回)」にあった、次の文言はどうなったのか?

 >やめるとしても喧嘩別れにならないようシナリオプランニングが必要。

テキトー過ぎるぞ、新潟市! 金森さんも井関さんもメンバー・スタッフも同じ新潟市民じゃないか! リスペクトはないのか! 誠実さなど微塵も感じられない極めて強権的なやり口! もう「文化創造都市」なんて名乗らせないぞ!

怒髪天を衝く怒りに震えています。こんな呆れかえるくらい恥ずべきやり口!最低だな、財団も新潟市も(怒)。…絶句…

皆さまのお声、お寄せいただけたらと思います。

(shin)

「金森穣 芸術監督退任について 市民向け説明会」(5/9)、そこにいたのは紛れもなく余人をもって代え難い芸術監督その人…

朝早くから物凄い強風が吹き荒れた新潟市の5月9日(土)、昨年末の「退任意向」に始まる疾風怒濤のような日々について、金森さんが「市民向け説明会」を開き、「質問されれば何でも答えるつもり」と伝えられていた通り、長時間にわたり、私たちからの質問その一つひとつに、この上なく丁寧、かつ極めて明快に答えてくださいました。

私自身、憤りや腹立たしさ、虚しさなどが入り混じった気持ちで、りゅーとぴあ〈スタジオB〉に向かっていたとき、金森さんもそうしたモードで相対するものとばかり思っておりましたが、さにあらず、金森さんの表情はいたって穏やかだったことに先ず驚きを禁じられませんでした。(当然、強い憤りはありながらも。)

更に、金森さんの口からは何度も何度も、「まだ諦めていない」「未来は誰にもわからない」「新潟からこの国を変える」の言葉が発せられることになるのですが、この日、それをあの落ち着いた声音で聞く私たちの目の前にいたのは、紛れもなく余人をもって代え難い稀代の芸術監督その人だったと言い切りましょう。金森さんがNoism 22年間の歩みのその先に目にしていたもの、或いは金森さんを内面から突き動かすもの、それは新潟市とこの国の文化政策のビジョンに他ならなかったからです。「こんなに立派で尊敬出来る人っている?」自分の生き方を問われているようにも感じられたほどです。

第一部「一問一答」(13:00~16:00)、第二部「座談会」(17:00~20:25、途中に10分休憩一度)、その長丁場を詳細にわたってお伝えするのは私の手に余りますので、金森さんからのご回答を中心に、ごくごくかいつまんでご紹介したいと思います。
(あれがない、これも抜けている、そんなことになるでしょうが、何卒ご容赦願います。)
(また、第一部に関しましては、後日、編集したものが配信される予定とのことでしたので、そちら、お待ちください。)

*第一部「一問一答」(13:00~16:00)

〇昨年末に退任の申し出が受理された。Noismの今後については、未だ結論は出ていないが、金森さんとの「協議は終了」(財団)とのことで、このような場を設けた。
●新潟市に22年間、人生で一番長く住んできた場所。コンテンポラリーダンスの拠点になった。他から声がかかっていたり、他に行く場所がある訳ではなく、正直、来年の夏以降、どうしようという不安は強いが、新潟市から、(それが無理なら、新潟県から)この国の劇場文化を変えていきたいとの思いは変わらない。
〇「Noism」という名称は、2004年に芸術監督となることが決まり、新潟に向う新幹線に乗る前の東京駅で、「やばい、名称決めてない」となり、「No – ism」だからと勝手につけた名前。それが今はどういう扱いになっているのか、AIに訊いてみたら、「りゅーとぴあが登記している」とのことだったが、調べてみるとそんなことはなく、AIが嘘をついたとわかり、AIは怖いなぁ、と。
次の芸術監督がどう考えるか次第だが、名称は変えるのではないか。
●未だ道半ばで、やり遂げてはいない。変革を要求し、自らのクビを賭けて、未来のために訴えるべきと思った。諦めたのではない。ここから未来を変えていくために。
芸術監督は他の人で構わない。今の体制(例えば、フリーランスで退職金もない契約スタッフ4人でまわしている現状)ではもう限界なので、変革を要求。諦めてこのまま飲んでいたら、この国の文化は終わってしまう。「日本初」の事例を失ってはならないし、新潟市は発信していって欲しい。
〇「芸術監督として井関さんを担ぐNoism」という提案に対する返答は未だにない。「飼い殺し」的な状況にあり、早く結論を出して欲しいところ。
●今回の件があり、色々な人が心配してくれている。また、ひとつの自治体で起きたことに対して、他の自治体が関わるのはタブーなのかなと学習した。
〇「専属」が表すところに関するなら、欧米に見られるような劇場専属舞踊団であったことは、この22年間、1日たりともなかった。価値あるものとして、広く喧伝出来るように中身を整えていきませんかと訴え続けてきたが。自分事として意識をもって関わって欲しいと思う。


●「新レジデンシャル制度」が始まるとき、Noismがなくなってしまう選択はなかったから、芸術監督を一期受けた。その後、繰り返し色々訴えてきたが、決まって「でも、あなた、それ飲みましたよね」と言われてきた。
わかってらっしゃらない方の判断で決まっていってしまうのもこの国の行政。
〇厳しい状況のなか、やりくりして頑張ってきて、成果を上げ、評価を得ると、要求したことは放っておかれることになる。
行政は「変える」ことが本当に苦手。それが出来るのは政治家、理解のある政治家しかいない。
●これを機にりゅーとぴあをどうしていくのか考えるべき。課せられる事業数は膨らむ一方で、現場は限界。みんなが注ぐ労力が如何に救われていくか、自分の判断に懸かっている。このまま続けちゃダメだ。何度も訴えてきて、変えられないんだったら、「もう少し頑張って」とは言えない。我慢にも限界がある。少しでも希望を持ちたい。「りゅーとぴあの中からじゃないかも?」と思っちゃう。これだけの覚悟を持っているんだからという訴えをする。
〇「一期5年で辞める」とは言っていたが、市の対応は予期していなかった。「ここまでやってきたのに、こんなふうに言われるんだ」とショックを受けた。未だ諦めてないので、ここ(新潟市)でのNoismなのかどうかはわからないが、一緒に活動していきたいという者と献身していく。しかし、目の前の人たちのためだけに闘っているのではない。まだ見たことのない者のために、志を共有して、未来を信じで闘うしかない。
●将来的には、新潟市に舞台芸術の拠点となる「舞台芸術センター」を作りたい。
〇この3月に一般社団法人「NEMUSPORTA(ネムスポルタ)」を設立。2~3年前から考えていたのだが、メンバー、スタッフの社会保障の問題を考えたときに、業務委託のかたちがとれないかと。劇場のなかで雇用されるかたちにはならなくなるので、ためらいもあったが、あらゆることに対応できるように、提案の可能性のひとつとして。
●「これでは続けられないから辞めます」と伝えたとき、財団から「秒で」感謝されたのはショックだった。「レガシー」とは何か?今の建付けで何が残せるのか?Noism 22年間の芸術創造の蓄積がなされているようには思えない。
〇「自分自身が生きている間に成し遂げられる夢なんて語っていない」(金森さん)

*第二部「座談会」(17:00~20:25、途中に10分休憩一度)

〇後に続く「専属舞踊団」が現れなかったことについて。
風の噂に聞こえてきたものがあったが、芸術家側でも生活保障を求めて闘う者少なかったのかなぁと。この環境の価値を理解して貰いたくて、初めのころはゲストを呼んだりもしていたのだけれど。「行政のおじさんと話すのは嫌」と言われたこともある。
●他館、他都市との連携について。
日本の行政の成り立ちからして、「縦割り」で、他の行政との関係はよくない。
〇芸術監督任期に上限を設定することについて。
5年や10年ではなく、もっと長い期間が必要。上限で切るのではなく、成果によるべき。ビジョンも明確でないなか、上限のみが設定されていることのあり得なさ。上限の根拠がない。
色々なことに腹が立っている。ちゃんと表に立って説明してください、と。
●「新レジデンシャル制度」について。
日本の新しい劇場文化政策になり得る筈。Noism云々を超えた、劇場の在り方の問題である。ビジョンが第一。それを明確にして欲しい。「金森穣」への依存度が高過ぎるとして、制度を作ったのに、「金森穣」が辞めるとNoismがなくなるのでは、それは依存の極みではないのか。
〇一般社団法人「NEMUSPORTA(ネムスポルタ)」について。
支援・理解・協賛してくれる企業に対しての受け皿ともなる法人と想定。文化庁からの助成金も引っ張ってくることも視野に。また、メンバーやスタッフを数人でも雇用できる。少しでも雇用形態を改善出来ればと思う。但し、法人と財団との関係性はまだまだ不透明。
●現状について。
「辞める」って言ったら、心配してくれる人が出てきたり、応援してくれる人がいたり。今日もこれだけ長い時間いてくれる。ひとりじゃないし、思いは届いている。こういう人たちがいてくれる限り、信じられる。価値と信じるものをどうやったらもっと多くの人たちと共有出来るかが、芸術創造における永遠の課題。
〇昨年末の「退任意向」表明について。
以前から「年内には判断を下します」とは伝えていた。ここまでのスピード感から、絶対に何も決まらず、進んでいかないのは分かっていたから。
現状、当事者の訴えを聞き入れて方針を変えるのは出来ないだろうことは分かっている。
4つの要求について。
それを一度に全部飲んで欲しい訳でもない。どれかひとつからでも、という思いだったが、(その伝え方も含めて)全部ダメとの答えだった。
〇5年や10年毎の交代について。
そんな短期間に変えていたら、世代間を超えた会話成り立たない。文化の価値とはそういうものではない。10年であげられる成果は、自分(金森さん)が考える成果ではない。

で、そろそろ最終盤というときになり、翌日、19歳になるという青年が挙手して、両親が22年前からずっとNoismを見続けていて、自分も未就学児童のときから連れて来られて、託児ルームで過ごすことから始まり、その後、Noismを見始め、最初はわからなかったし、何ならゲームをしている方が楽しかったりもしたが、2015年『箱入り娘』や『BOLERO』から惹かれたと話すと、会場から拍手が起こりました。それに対して、金森さんが、「わからないものに触れることは本当に大事なこと。自分も最初は劇場で寝ていた。でも、寝ていてもその空気感や何かを享受している。頭でわかることと体験することには大きな隔たりがある」と話した後に、「22年間が報われましたよ」と付け加えると、会場からは一層大きな拍手が湧くという心温まる場面があったことをお伝えし、拙いレポートの締め括りとします。

「座談会」の最後に至り、「財団から判断が下された際には、『第二弾』を持ちたい」との金森さんの言葉でこの日の長丁場もお開きとなりました。良き判断を喜び合う会になることを強く願ってその日を待ちたいと思います。

(shin)

BSN「ゆうなび」が「Noism金森芸術監督 退任表明の理由~芸術と行政の埋まらない溝」を放送、…そして「市民への説明会(5/9)」のご案内(2026/04/23)

「芸術家と行政の間には『制度』という埋まらない溝がありました」、冒頭、大塩綾子アナウンサーの言葉です。この日の特集を一言に凝縮したものです。BSN「ゆうなび」での標記特集について、登場する「関係者」が語った言葉を中心に、かいつまんでご紹介させて頂きます。

「新レジデンシャル制度」という「市がルール化した枠組みのなかで継続されることになった」Noism。
「『7年で終わり』と見えているときに何に向かって活動すればいいんですかっていう話。単純にNoismは続いていきます。で、俺の任期がもう7年で無理なんです、は全然構わない。でも今の制度はそうじゃない。それを変えようとしている」
「勿論辞めたくないさ。辞めたくない。ここまで続けてきたからね」「(退任意向として表明された)この決断を俎上に挙げてでも訴えていかなければならない感じかな」と金森さん。

「この制度に期限を設けるというのは当然のこと」「金森監督が公の立場で退任の意向をお持ちだと表明されたので、Noismや監督に対してこれ以上どうこう言う話ではない」というのが中原八一新潟市長。

市民団体が新潟市に対して要望書を提出した際に、野島晶子新潟市副市長(当時)は、「(新潟市には)Noismに関する制度はない。レジデンシャル制度はありますし、金森監督とも契約していますけど」「(市は方向性を示すべき)立場にない。Noismに関して」と。

事業主体のりゅーとぴあ(新潟市芸術文化振興財団)榎本広樹事業企画部長はどうかというと、「原則論から申し上げると、私ども財団は制度に基づいて事業を行っている立場なので、制度自体の是非を論ずる立場にない」「(次の芸術監督を)どのように選定していくかということに関して、今、財団で協議を続けている状況」と話す。

Noismの活動に関心を寄せる新潟国際情報大学の越智敏夫学長は、「税金の使い方をどう検証するか。その検証の方法が社会の中で確立されていないところに問題がある。新潟を良くするという意味では、政治家も芸術家も目的は同じはず」と指摘。

「新潟からこの国の劇場文化を変えたいという芸術家の野望と制度の正統性を主張する行政。両者の間には埋まらない溝がありました」(黒崎貴之アナウンサーのナレーション)

「そもそもりゅーとぴあで専属舞踊団を抱えていることが、この国のなかで、日本初だとか、日本唯一だとか言うけど、そのことの価値とか、判断を下す人たちはそう(充分には)捉えていない」
「ただこの新潟市という自治体にもう俺の居場所はないのは分かったから、他に何ができるか模索するしかない」と金森さん。

…涙、涙です。金森さんにそんなことを言わせてしまうなんて…。でも、まだ諦めていませんけど。横たわるのは深そうに見えたとしても、単に、人が作った「溝」(「制度」)に過ぎません。即刻、埋めることを目指すべきです。新潟市の文化の将来を見据えながら。

と、そんなことを記していたところ、金森さんが「X」にて発信を行い、それと前後して、Noismスタッフの上杉晴香さんからそれ(市民への説明会)に関するメールを頂きました。ここからはそれをご紹介させて頂きます。

以下、頂いたメールの内容となります。(上の画像4枚と同内容です。)

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市民への説明会―金森穣芸術監督退任について昨年末から、新聞等のメディア、新潟市議会でも話題にあがった新潟市の「りゅーとぴあのレジデンシャル制度」芸術監督である金森穣の退任に関して、その経緯や現状についての説明会を開催いたします。
二部制の質問形式を予定しておりますので、Noism Company Niigataの今後をご心配いただいている方はもちろん、Noismに限らず、りゅーとぴあのレジデンシャル制度に関心をお持ちの方など、どなたでも広くご参加ください。
なお、この会でお話し、お答えするのは、金森芸術監督の意見となりますので、新潟市および、新潟市が定めたレジデンシャル制度に基づくレジデンシャル事業の実施主体である公益財団法人新潟市芸術文化振興財団の意見ではありません。また、いただいた質問についても市や財団へ確認してお答えするものでもありません。予めご了承ください。
皆様のご参加をお待ちしております。

日時:2026年5月9日(土)
第1部      一問一答 13:00-16:00
第2部      座談会 17:00-終了時間未定
*22:00閉館
*質問がなくなり次第終了します。

会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈スタジオB〉
定員:100名
参加申込:事前の申込は必要ありません。
*座席の状況によってはご入場いただけない可能性もある旨ご了承ください。

*撮影について
第一部「一問一答」メディア関係者のみ可能です。
第二部「座談会」どなたもご遠慮ください。

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以上です。

「当日は、どなたでも事前の申込なしで無料でご参加いただける形で場を開きますので、ご都合が許すようでしたらぜひおこしいただけたら幸いです」と書き添えてくださった上杉さん。

惜しみのない時間設定。
新潟日報紙に掲載された「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」インタビュー編〈下〉(2026/3/5)で、一般社団法人「芸術と創造」(東京)代表理事の綿江彰禅さんが語った「ただ、これだけの専属舞踊団を立ち上げたからには、やめるにしても続けるにしても、市として説明が必要だ。行政は思いつきで事業を立ち上げ、なし崩し的に終わるといったパターンを繰り返すことが多いと感じている」に呼応する、とても大きくて誠実な動きと言えます。

皆さん、金森さんに質問しながら、金森さんの思いを聞きに行きませんか。否、是非聞きに行きましょう。

(shin)





新潟日報紙、金森さん×東京バレエ団『かぐや姫』のパリ・オペラ座での来春上演の記事掲載(2026/04/22)♪

2026年4月22日(水)、新潟日報が朝刊の文化欄に、写真入りで、「東京バレエ団の『かぐや姫』パリ・オペラ座で来年5月上演」「金森穣さんが演出・振り付け」「『日本の舞台芸術として発信へ』」の見出しが躍る、晴れがましさたっぷりに「慶事」を伝える記事を掲載しました。

*同記事は新潟日報のデジタル版でも読むことが出来ます。こちらからもどうぞ。

日本人振付家(金森さん)の快挙を伝える、とても誇らしい記事です。

そして、この記事、冒頭が「新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)の専属舞踊団『Noism Company Niigata(ノイズム」)』の芸術総監督で振付家の金森穣さんが、演出・振り付けを手がけた東京バレエ団の『かぐや姫』が、来年5月26~29日、フランスで上演される。」と始まるのです。新潟市としても、これほど誇らしいPRなどまたとないのではないでしょうか。

記事のなかでも、金森さんの「バレエ界にとって貴重な機会に恵まれた。日本発のバレエを欧州の人たちに見てもらえるのは本当にうれしい」の言葉や東京バレエ団の斎藤友佳理団長の「海外に行くと、日本人振付家の作品はないのかと聞かれていたので、いつか実現させたいと思っていた。日本のバレエ界にとっても大きな進歩になる」という言葉も紹介されています。どれほどの快挙なのかわかろうというものです。

然るに、新潟市は…。
現状、そう言わざるを得ないのは残念の一語です。

ここからは主に、その新潟市についてです。

繰り返しになりますが、金森さんはNoism Company Niigataの芸術総監督なのですから、新潟市にとっての誇らしさも只事ではない筈です。
こんなに新潟市民にとってシビックプライドを感じられる出来事などそうそうないことを、市と財団はきとんと評価すべきです。

世界に「新潟」の名前を轟かしてくれている、まさにこのタイミングで更新の特別オファーを出さないなど愚の骨頂かと。
逆に言えば、市と財団にとっては、次期芸術監督について再考する好機が訪れた訳です。
これほど世界的な規模で、文化的な「新潟」をPR出来る人を手放す理由があるとは思えません。あらゆる工夫を凝らして、金森さんを繋ぎとめておく努力をするべきです。文化政策に携わる担当部署がその努力を怠るようではもう職務懈怠或いは職務怠慢との指弾も免れないのではないでしょうか。

「新レジデンシャル制度」の規定に、芸術監督在任中の顕著な業績が認められる場合、「特別オファー」をすることがあり得るとの一文を加えれば済む、ただそれだけのことです。ほんのひと汗かくだけでしょう。
それをしないのは、自分たちが立ち上げた「制度」に縛られ過ぎるあまり、「最適解」があってもそれをただ指をくわえて見過ごさざるを得なくなることを意味するもので、つまるところ、新潟市民をそっちのけにしてしまうだけの極めて官僚的で、最悪な姿勢であると繰り返しておきます。

何のための「制度」なのか。「文化政策」として何を目指そうとしているのか。文化を長期的に展望する視座に立とうとしない以上、「文化創造都市」を名乗るなどおこがましい限りです。「目を覚ませ、新潟市と財団!」今、声を大にして、そう言いたいと思います。

(以上、fullmoonさんからのご提案を受けて、以前、コメント欄に掲載したものに修正を施して再掲させて頂いた部分があります。)

(shin)

新潟日報紙の連載「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈下〉(2026/04/10)

2026年4月10日(金)の新潟日報朝刊は、告知通り、連載企画の「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈下〉を掲載しました。

この日、同紙が取り上げたのは、静岡県舞台芸術センター(SPAC)。金森さんが師と仰ぐ現SCOT主宰の鈴木忠志さんが初代芸術監督を務め、現在の宮城聰さんは2代目の芸術監督になります。

Noismはこれまでに、SPACの俳優をキャスティングして、劇的舞踊vol.3『ラ・バヤデールー幻の国』(2016)、Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO & JULIETS』(2018)を上演してきたほか、SPACの奥野晃士さんに関しては、劇的舞踊『カルメン』(2014、再演2016)とNoism0『愛と精霊の家』(2015)にも出演しており、盛んな交流があった一時期のことが思い出されます。

*劇的舞踊vol.3『ラ・バヤデール-幻の国』

*Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO & JULIETS』

上にあげた画像は、SPACの本拠「静岡芸術劇場(グランシップ)」(←新潟日報社が入る「メディアシップ」とも似た発想からの命名ですね。)を訪れたときのものです。市街地の喧騒を離れたところ、広がる緑地の奥に突如現れるその威容がひときわ目を惹きます。

この日の記事に戻ります。見出しは、「SPAC」、「まちづくりの核に活用」、「人材流出を防ぐ手だてに」。
SPAC制作部・丹治陽さんの「演劇と出会ってしまう仕掛け」という言葉や、「関心のない人にもこちらから会いに行く」ことを公共劇場の役割と捉える意識、更には、積極的に社会課題に向き合おうとする方向性を紹介しながら、公共劇団が地方にある意義について、「ここにしかないもの」を作り続けることが地域の将来を明るくするとの確信に基づき、「公金をかけてもやる価値がある」とする宮城聰さんの言葉で結ばれています。

読み終えてみると、宮城聰さんの言葉が、まさに金森さんの言葉と重なって響く感覚に襲われました。文化政策としてやっている以上、目指されるべきは何か、が眼目であることは言を俟ちません。そして、その取り組みの成果を最大化しようとする姿勢が行政全般に共有されていること、全体が協働することは必須の筈です。なのに、新潟市は…。

金森さんがあげた「更新」を固辞する理由(4つ)のうち、3つ目(財団職員の人数の問題)と4つ目(外部スタッフに依存している問題)は、まさにそうした事柄に関わるもので、新潟市には、宮城さん言うところの「クリエイティブな人材」に関する長期的な視座も姿勢も、ともに不在であることが明らかになってしまわざるを得ない訳です。新潟市が「新レジデンシャル制度」でやろうとしていることは、なんら協働することはなしに、一時期(5年、或いは10年)のみの「施し」をするに近いお粗末なこと、そう言っても過言ではありません。

文化的な理想を掲げることはおろか、長期的な展望など何一つ持たないことも明らかな「新レジデンシャル制度」、そしてそれが自ら立ち上げた「制度」である故に、無駄に拘るだけでしかない新潟市と中原市長に対して呆れかえるとともに、心底からの失望を禁じ得ません。「残念!」(←「ギター侍」風ですね。古っ!…あっ!でも、人道的な見地から、「ギター侍」が発する締めの一語まで言うつもりはありませんけど…。)

【追記】
fullmoon さんが、この日の日報紙の記事中に触れられていた静岡市の「まちは劇場」プロジェクトの空気感を伝える画像(下)を寄せてくれました。
静岡駅から降りていった地下広場の柱を撮ったものだそうですが、爽やかなスカイブルーにきりっとしたゴシック体。大きなインパクトがあり、目を惹きますよね。
街なかに、こうした告知や写真などといった「仕掛け」を施すことで空気感が醸成され、共有されていくのですよね。まさに協働。こうでなくっちゃ。(今年1月17日撮影の画像だそうです。)

【追記2】この記事も新潟日報デジタル版にアップされました。こちらからもどうぞ。→「ノイズムの存続危機は『人ごとでない』…静岡県立劇団『SPAC』の取り組みや『演劇に出合ってしまう仕掛け』とは」(2026年4月12日17:30)

(photos by fullmoon & shin)

(shin)

新潟日報紙の連載「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈中〉(2026/04/08)

前日に引き続き、2026年4月8日(水)の新潟日報朝刊は連載の「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈中〉を掲載しました。

これがまだ「連載」企画になるとは知らずにいた2月半ば、一年のなかでもチョコレートのやりとりが活況を呈する日の前日に、fullmoonさんと一緒にメディアシップに伺って1時間強も諸々話してきたなかから、私の「ぼやき」発言も掲載して貰っております。かつての故・野村克也さん一流の「ぼやき」には到底かないませんけれど。でも、さすがは地元紙・新潟日報さんです。朝から記事を読んだ旨の連絡が幾つも届きました。願わくば、そんな「ぼやき」を受け止めたなかから、新庄剛志さんのような人が出てくれたりすると有難いのですけれど…(笑)。

冒頭から話が逸れ過ぎました。すみません。この日の記事は、長らく課題とされてきた「市民への浸透」を扱うもので、「芸術的評価と比例せず」と「裾野広げる仕組み課題」の見出しも掲げられています。

有識者が語る、コンテンポラリーダンスは「多くの市民にとってなじみがない」という状況下、金森さんとNoism Company Niigataは、記事にも触れらている小学校への「アウトリーチ」や視覚障がいを持つ方々を対象とするものを含む多様なオープンクラスを展開してきました。どれも間違いなく、世界的に見て他に類のないものばかりです。しかし、同時に、どれも自ら取りにいかなければ、そうした情報に接することは出来ない環境にあったことを看過してはならないと思うものです。

何が足りなかったのか。もう一目瞭然ですよね。新潟市の積極的な関与や発信に尽きます。それが「ぼやき」の本質です。

プロスポーツなどと縁遠かった新潟に、あのサッカーチームが出来た頃、回覧板で観戦無料チケットの必要枚数を書き込む用紙が何度回ってきたことか。そうした時期を経て、老若男女問わずの盛り上がりを形成されていき、現在の「アイシテルニイガタ」に繋がっていったのです。そのチームは市役所や区役所にチームユニフォームを寄贈して広報に努めています。かたや、新潟市がNoismについてどうだったかというと…。はい。紹介できる事例など見当たりません。たとえば、「市報」すら、紙幅の都合から掲載スペースの割り当てに順番があるのだとか、ないのだとか。はい。残念過ぎる事例なら枚挙にいとまがないほどです。

ですから、新装なったJR新潟駅舎内、多くの往来がある通路脇に出来た観光案内センターの中に、一枚Noismのポスターを貼って、チラシを常備するラックのひとつも用意して欲しいと何度も訴えてきましたし、空の玄関口の新潟空港にNoismをあしらった「ウェルカムボード」のようなものを作ることなども提案してきました。後者は一時期設置されましたが、今はりゅーとぴあ内にあり、極めて限られた期間のものでしかなかったこともまた残念な事柄に属します。(前者は、今日に至るまで何一つ対応されたことなど見つかりません。)

「市民への浸透」、率先して行うべき主体は果たしてどこなのでしょうか。

この日の記事中、地域活動部門芸術監督・山田勇気さんの「すぐに効果を求めるのではなく、中長期的な視点が必要」との見解こそ重く受け止められなければならないものです。小学生への「アウトリーチ」という種蒔きは巡り巡って、将来の観客という実を生み出すのです。
また、地元・新潟りゅーとぴあでの公演において精力的に実施されてきたアフタートークなども、金森さんが長期的な視座で、地元に「見巧者(みごうしゃ)」(=目の肥えた観客)を育てていこうとする意志なしには行い得ないものであり、劇場が身近にある豊かさを実感できる贅沢なひとときになっています。

「市民への浸透」、ただただ何もなさず、無為の日々を過ごすのみで、真に責めを負うべきはどこなのでしょうか。

2月の市議会の一般質問において、シビックプライド醸成の観点から、「経済・観光との接続」「教育・福祉との接続」について問われた際に、文化スポーツ部長はいつになく前向きな答弁を行いましたが、今年度、そうした側面において新潟市がどう関わってくるのか注視したいと思います。そして、増してやそれがそのまま「丸投げ」されて、Noismの事業負担増加のみに繋がるなどということのないよう、目を光らせておくことも必要かと。

限られた税収のなか、諸々課題がある状況下で、将来を見据えた文化政策の成否にはそれなりの覚悟が伴うものと思います。批判逃れに、安易に「平等性・公平性」を持ち出す無責任体質を脱却して、金森さんが「劇場文化100年構想」で唱える意を汲んで、その将来の豊かさの実現に向けて邁進して欲しいと思うものです。

どれだけ紙幅があったとしても、収まり切らない私の「ぼやき」、とりあえず、今はここまでにしておきます。

新潟日報紙のこの連載、次回は4月10日掲載予定とのことです。

【追記】この記事も新潟日報デジタル版にアップされました。こちらからもどうぞ。→「ノイズムの『価値』新潟市民にどれだけ浸透?芸術的評価と比例せず…裾野広げるには『中長期的な視点必要』」(2026年4月12日14:30)

(shin)

2026年4月7日、ウェブ「dancedition」にアップされた「金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方」は必読!

皆さま
新潟日報紙が新連載を掲載したちょうど同日(2026/04/07)、ウェブ「dancedition」上に、「金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方」というインタビュー記事もアップされました。

こちらでは同記事へのリンクを貼って、ご紹介することのみにとどめ、皆さまからのコメントをお寄せ頂くプラットフォームとさせて頂きたいと存じます。

どうぞ、こちらからお読みください。↓

読まれた皆様からのコメントをお待ちしております。よろしくお願いします。

(shin)

新潟日報朝刊、新連載の「舞踊の十字路」〈上〉掲載(2026/04/07)

2026年4月7日(火)、新潟日報紙が予告していた新連載「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」を文化面にてスタートさせました。(早晩、デジタル版にもアップされるものと思われます。)

その連載第1回目である〈上〉は、「公共劇場」の性格を切り口にした内容構成で、「前例ない専属舞踊団運営」「支援で地域ブランド向上」の見出しも並べながら、連載開始前のインタビュー編〈中〉に登場していた東京芸術大客員教授・太下義之さんの言葉が再度引かれてもいるほか、「先進地の事例」として、石川県と金沢市が1988年に設立した「オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)」についても紹介されています。

先ず、太下義之さんはりゅーとぴあとNoismを「施設に『魂』を入れて、成功した希少な事例」としながら、「公共劇場の運営の難しさ」にも触れています。

「オーケストラ・アンサンブル金沢」の事例は、施設の「魂」として、石川県と金沢市が自治体のブランド力向上に繋がるものとして支援している様子が紹介されています。

私が今回の連載〈上〉を読んで、最も衝撃を受けたのは、Noismの活動を評価する有識者会議の委員の一人が、金森さんが「制度」に反対していたことを知らずに議論したとその後悔を明かす件(くだり)でした。
えっ!まさか、そんな杜撰な会議運営がなされていたとは!開催されてきた「有識者会議」は、やはり予め恣意的に「結論」が設定されていたのではないかとの疑いを禁じ得ません。「覚書」「合意書」のみを盾に、当事者(金森さん)を入れないかたちでの会議を行ってきた理由も今ははっきりわかります。当事者が訴える「制度」の「課題」を蚊帳の外に置くことで、「制度」の修正可能性を初めから排除してしまっていたやり口は卑劣としか言いようがありません。
上の委員は制度のブラッシュアップの必要性にも触れています。「前例ない専属舞踊団運営」なのですから、至って当然のことに過ぎません。生き残るべきは「文化」の方であって、「制度」ではないことは自明です。

連載1回目は、再び、東京芸術大学客員教授・太下義之さんの、新潟市はNoismを含む踊り文化をきちんと文化資源として認識し、ブランド力の向上に繋げていくべきとする見解で締め括られますが、こんな至極当然なことが敢えて叫ばれなければならないこと自体の、新潟市の文化政策に対する意識の薄さが露呈しており、言いようのない悲しさが込み上げてきます。そうした本来、積極活用すべき面において、新潟市が示してきた「無為無策」の徹底振りは呆れかえるレベルのものでした。それは、まず第一に、いつでも取り換えが容易に出来るように、積極的にコミットすることを避ける姿勢そのものだったのだと考えます。記事中、石川県文化振興課長・素都(そつ)明子さんが語る「質の高い文化に磨きをかける」姿勢など露も認められません。むしろ、「好対照」と言うことさえ出来るくらいです。

皆さんはどう読まれましたでしょうか。コメント欄にてご感想などお聞かせ頂けましたら幸いです。

【追記】この記事、新潟日報デジタル版にアップされました。こちらからもどうぞ。→「りゅーとぴあの“魂”となった専属舞踊団のいずむ、ただ前例なき運営に壁多く…近県に学ぶ『文化の未来』」(2026年4月12日11:30(最終更新:2026年4月12日13:11))

(shin)


新潟日報紙、金森さんのインタビュー掲載、連載「問いかけるNoism」本格始動へ(2026/03/26)

※このブログ記事ですが、金森さんのインタビューが新潟日報朝刊に掲載された時点で、告知されていた「連載」の初回と受け取り、当初、そう表記しておりましたが、後刻、「連載」前の記事とわかり、タイトル及び以下の内容に訂正と修正を施しました。ご了承ください。

金森さんの口から出た「退任意向」に発して、金森さんとNoism Company Niigataを巡る状況は、先ずは勿論、私たちサポーターズを含むNoismファンを直撃し、それはそのまま、Noismの舞踊の素晴らしさを知る人々の不安を生み、更には、行政の文化政策の在り方という側面においては、この国全体の劇場文化への「問いかけ」となり、広範な関心の的となるに至っています。

その「問いかけ」の発信地である新潟、地元紙の新潟日報は先の「舞踊の十字路」(上中下)で識者のインタビュー3本を掲載したのち、「連載本編」のスタートを告知していたのでしたが、その「本編」の前に、2026年3月26日(木)の同紙朝刊が金森さんのインタビューを掲載した訳です。

Noismを巡る状況に不安な気持ちも否めず、「連載」はまだかまだかと待ちわびる日が続いていたのでしたが、この日の「文化面」に、総天然色の金森さんバストショット画像が目に飛び込んできます。記事最上部に「ノイズム芸術総監督 金森さん 退任表明の思い」、その下の大きな見出しには「任期、人員…制度改善へ検証を」とあり、縦見出しに「新潟独自の文化、今後も」の文字。連載タイトル「問いかけるNoism」も確認出来ます。金森さんのインタビュー記事の掲載です。待っていました、待っていましたとも。新潟日報さん、どうも有難うございます。

この金森さんのインタビュー記事、同日11:00にデジタル配信もなされました。こちらからどうぞ。

前日(3月25日)には、同紙デジタル版にて、井関さんの思いを伝える記事が掲載されたのに続いてのこの日の朝刊記事です。私たち関心をもって見守ってきた者にとっては、新しい動きが届くことなく過ぎていた日々の後、ドドドドドッっとばかりに、今後の展開への期待値があがるような昨日今日を迎えた訳です。

この記事のなか、金森さんは、「財団としてノイズムを続けるのか続けないのか方針が示されていないため、今は動けない状態」としながらも、「よほどの改善がなければ退任の意向を撤回するのは難しい。ただないとは言わない。対話の扉を閉ざした訳ではない」と語っています。そして、「長く活動してきたので、新潟にこだわっている」として、「進退をかけて」行った「問題提起」の裏に、この土地での文化創造の一翼を担おうとする意欲をはっきりと表明してくれています。これを読んで、涙が浮かんできました。

金森さんが唱える「劇場文化100年構想」、そして、2012年施行の「劇場法」、どちらも私たちのそばにあるこの国の劇場が本来の意味での文化創造と発信の核となり、それがそのまま、私たちの人生を豊かにすることに繋がることを志向しています。

未だ閉ざされていない「扉」を通って、一日も早く、真に持続可能な文化政策としての「レジデンシャル制度」への修正協議が再開されることを心から望むものです。

そして最後に、新潟日報さん、「連載」開始を心待ちにしております。

(shin)

新潟日報「窓」掲載に至らなかった投稿ですが、それでもお読み頂きたく…(サポーター 投稿)

個人的なことにはなりますが、前年末に金森さんの「退任意向」が報じられて以来、もう心落ち着く日もなく、その穏やかならぬ気持ちを多くの人たちに届けて、共有したいと思い、地元紙・新潟日報の「窓」欄への投稿を続けて参りました。

同投稿欄には、以前、どれもNoismに関して、6回続けて掲載して貰っていましたが、その後、ぱったりとボツ続きに(涙)。しかし、「この一大事にあっては」、そう思って投稿したのですが、掲載に至らず、それがために次々と連続投稿になったような塩梅です…。

掲載されることはなくても、読んで頂きたい思いは変わらずで、そんな折に、fullmoonさんから「サポーターズ・ブログに載せてはどうでしょう?」とのお考えをお聞きしましたので、極めて変則的なかたちにはなりますが、この場をお借りし、「***from SUPPORTERS & READERS」のカテゴリーで、お読み頂くこととしました。暫くお付き合いをお願いし、お読み頂ければと思います。(統一性がとれていないところもありますが、その点はご容赦ください。)

☆☆☆☆☆

*2026年1月3日投稿: 「改めてノイズム金森監督の慰留協議を」
昨年末12/29に報じられた「金森さん退任意向」の記事を読んで以来、切ない思いに苛まれている。新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)専属舞踊団「Noism Company Niigata」(ノイズム)の金森監督が1期で退任する意向だというのだ。
刷新された「新レジデンシャル制度」のもと、金森監督とノイズムは国内外から熱い視線を集める圧倒的な舞台を見せ続けているし、当初、課題とされた「市民貢献」の面でも、小学校へのアウトリーチの実施や、ダンス愛好者のみならず、視覚・聴覚障がい者を対象とするワークショップの展開など、他に類を見ない精力的な取り組みを重ねており、もやは新潟市のひとつの「顔」となった感もあるのにだ。
金森監督は退任意向について、4つの点で妥協できないとしているが、どれも、芸術家としての創作活動の根幹に関わるものと、増え続ける事業に応じる必要からくるものであり、至極当然な要求に思える。
新潟市は協議を継続して、金森監督の慰留に全力を挙げて欲しい。

*2026年2月5日投稿: 「ノイズム金森監督の「任期」は新潟市の文化行政の観点で」
年末にノイズム金森監督の「退任意向」が報じられてから色々と考えている。個人的には、国際的な名声を博する一方、多様な市民還元にも努めてきた金森さんの芸術監督継続を望むものだが、ことはそれにとどまらず、芸術監督の任期を1期5年(最長2期10年)とした「レジデンシャル制度」をどう捉えるかは、新潟市の文化行政の在り方を問う側面も大きいように思う。
令和3年の有識者会議において、任期を設けることを妥当とした判断も理解できるが、芸術監督を猫の目のようにくるくる変えてしまう文化行政では機会の公平性は担保されても、市の未来の姿を遠望する視点に欠けており、会議そのものが交替を最適解として前提していたきらいも否めない。
奇しくも金森監督は同年、ノイズムを率いての活動が評価され、紫綬褒章を受章している。そうした名誉に浴する活動の場を用意したのが新潟市なら、その誇らしさを金森監督と共有し、今一度、長期的な観点で市の文化行政に資する新たな解を求めて欲しい。

*2026年2月13日投稿:
昨年末に明らかになったノイズム・金森監督の「退任」意向の流れから、ノイズムのメンバー・スタッフが中原新潟市長に提出していた「要望書」に対して、芸術監督任期の上限は撤廃しない、及び、新潟での活動継続については「ノイズム内で話し合うべき」との回答が届いたと報じられたことに疑問を禁じ得ない。
この間、市長は一貫して「任期」の上限設定については有識者から妥当との見解が示されたことを理由に、「撤廃しない」姿勢を示しているが、果たしてそれのみに過度に固執することが、未来を志向した文化政策として充分なのかという疑問である。
任期に上限を設定することの意味も理解できるが、顕著な活動実績を積み重ねている場合、交代させることのみが「最適解」とは思えない。一期5年(最長二期10年)で交代を繰り返していては、新潟市の未来に「持続可能」で発展的なビジョンなど描きようがないし、描こうとする姿勢そのものの不在が明らかになるだけだ。
制度一期目の今だからこそ、協議を重ね、未来志向の新たな「解」を創り出していって欲しい。

*2026年3月11日投稿(投稿後、2週間が経ち、不掲載と判断):
3/4付け朝刊掲載の「舞踊の十字路(中)」太下義之さんへのインタビューを読んだ。ノイズム芸術監督である金森穣さんの「退任意向」を巡って、新潟市の持続可能な文化政策の在り方を考えるうえで、重要な声と感じた。芸術監督任期に上限を設けることに関して、ノイズムの活動評価に関する有識者会議の座長も務めた太下さんが「任期更新の制限疑問」との見解を示したのは、「有識者会議で妥当とされた」と繰り返す中原市長や新潟市と相容れない内容だったからだ。そもそも有識者会議とは多角的な視点から多様な意見が出る場であり、恣意的に総括することは許されない。「妥当」とされた判断も諸外国や国内の例に照らしてのものに過ぎない。
21年前に前例のない劇場専属舞踊団を抱え、その後の顕著な活動を支えてきた新潟市にあっては、今ここで横並びでしかない「妥当」判断に固執して市の文化の独自性を損なう道を選ぶのではなく、金森さんとノイズムを活かしながら持続可能な文化政策の意義の最大化を目指すのが「文化創造都市」の名に恥じない姿勢ではないか。

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以上となります。お読み頂き、有難うございます。

AIによれば、不掲載となる主な要因には、「紙幅の都合」「内容の重複」「投稿規定違反」「内容の適切性」「情報の鮮度」等があるとのことですが(笑)、ひとえに私の不徳の致すところなのでしょう。

ここに(お恥ずかしながら)「ボツ投稿」をまとめてお読み頂いたもうひとつの理由に、これらがきっかけとなって、この先、生産的なやりとりが生じたり、或いは、お読みになられた方々のなかから、ご自分で投稿することをお考え頂ける方が出てきてくれたりしたら大層嬉しいという思いがありました。

(因みに、新潟日報「窓」欄への投稿はこちらから行えます。)

今はあらゆる手段を排除することなく、声をあげるべき時かと思います。一つひとつは大きな声でなくても、発せられたその声が広がりを、そして力を得ていくことを信じています。後悔したくはありませんし。

最後に、新潟日報さん、この先も益々、新潟の豊かな文化創造に寄与する紙面をお届けください。そしてそのなかに私のNoism投稿も取り上げて頂けたら嬉しく思います。益々精進致しますので、引き続き、よろしくお願い致します、ということで。

(shin)