2026年6月28日(日)、気温もあがり、蒸し暑かった新潟。しかし、それに負けず劣らず熱かったのは、りゅーとぴあ〈劇場〉のNoism界隈ではなかったでしょうか。








前日、公演初日のブログを書いてくださった久志田渉さんが、「詳細」を伏せつつも、なるべく早い入場を勧めていたこと、(その「詳細」も既に各種SNSにて広く知られた感がありますが、ここではまだ頑なに伏せつつ進めさせて頂きます(笑)。ご了承ください。)それに関連して、開演前のホワイエは普段の光景とは様相を異にし、その熱気は弥増すばかりでした。さすがの金森さんとはいえ、『ヴェクサシオン』の旋律を840回繰り返し、一曲通しで流すことこそしませんが、そのピアノのリフレインのなか、ルネ・マグリットっぽいシュールさを演出してくれています、とだけ。で、敢えて、私も繰り返します。「詳細」は伏せますが(笑)、今公演はなるべく早く入場された方がよろしいかと。
そんなシュールさから横滑りするかのように、公演2日目の幕が上がりました。官能の『私は海をだきしめていたい』、戦慄の改訂版『春の祭典』、どちらにも渾身の実演を見せつけられ、由って来たるところこそ違えど、心拍数が増加して、耳たぶは熱くなり、ドクンドクンという音が聞こえてくるといった同種の身体反応が生じたのでした。この日のカーテンコールも拍手は鳴りやまず、「ブラボー!」の掛け声が飛び交うなか、幾度も繰り返されることになりました。
ここからは、この日の終演後に開催されたアフタートークについての掻い摘んでのご報告とさせて頂きます。登壇者は、Noism芸術総監督の金森さんと国際活動部門芸術監督の井関さんです。(16:40~17:23)
(なお、このあと、月が変わると、新潟・埼玉併せて4公演が控えている事情から、作品の内容や構成に深く関わり、ネタバレに繋がるものは、今この場ではご紹介いたしませんので、その点、ご了承ください。そうしたやりとりにつきましては、全6公演終了後に「補遺」というかたちでご紹介させて頂くつもりでおります。暫くお待ちください。)



Q: どうしてそんなに踊れる身体でいられるのか?
-井関さん: 日々のことをただただやっていたらここまで来た。やればやるほど面白味が出てきた。踊れる幸せを感じる。この先の次元が楽しみ。長くやっていればこそ、見出せる領域がある。ふたりとも負けず嫌いなので、一生懸命ストレッチはしている。


Q: 身体で表現するときに大切にしていることは?
-井関さん: 色々あるので難しいけれど…(暫し熟考したのち、)呼吸ですかね。身体の隅々まで呼吸が行き渡るようにすると、身体を感じることが出来る。
-金森さん: 呼吸のコントロールが一番難しい。
-井関さん: 呼吸が乱れていると、「酔っているな」と反省する。
Q: パイプオルガンと共演するのはいつか?
-Noismスタッフ・上杉さん: 来年3月13日になる。


Q: 『私は海をだきしめていたい』をピアノの構成にしたのは何故か?
ー金森さん: 小説を読んだ際、ある種のシンプリシティ(単純さ・素朴さ)を感じた。そしてサティの精神を最も反映するのはピアノだろうと。ここまでピアノだけで作品を創ったことはなかった。
Q: 『春の祭典』創作におけるインスピレーションについて。
-金森さん: これまで学んだこと、気付いたことが出てくるのであって、ことさら、何かを入れようというようなことではない。


Q: 昨日と今日、前方席と後方席で観て、見え方が異なった。お勧めの席はあるか?
-金森さん: 前で1回、後ろで1回、右で1回、左で1回(笑)。プロセニアム・アーチのなか、見え方は異なる。一期一会でもあるし、見え方が異なるのは劇場文化の豊かさ。
Q: 印象的だった椅子や装置、衣裳など、どのくらいの段階で決めるのか?
-金森さん: 1年くらい前、遅くとも半年前には決める。プロダクションが大きくなると2年前とかも。自分の場合、丸投げはしない。椅子についても、(須長檀さんと)「割れたら血が出ている」「五線譜はどうか」などイメージのやりとりを重ねていった。
Q: 最前列から見ても「バミリ」は見えないが、どうやっているのか?
-井関さん: 星の数ほどある。彼(金森さん)の場合、曖昧さは存在しないから。『春の祭典』初演時はリノリウムにペイントをしていたので、バミリは大変で、大きいものだった。今回の改訂版では黒いリノリウムなので、割とバミリは見えやすいのだが、脚光がつくと見えなくなって本当に大変になる。


Q: この度の改訂版『春の祭典』には戦争への恐怖を感じる。意図してのものか?
-金森さん: その都度、手を入れているが、今回は凄惨なイメージにした。それには、この時代の危機感が反映している。しかし、虚構のなかで凄惨さを伝えることのなかには、そこに現実は異なることへの祈りや願いがある。
Q: 黒部の前沢ガーデン屋外ステージとここりゅーとぴあ〈劇場〉は大きく異なる舞台だがどう考えているか?(黒部・前沢ガーデンのガーデンマスターからの質問)
-金森さん: 空間によって身体は規定される。その空間をどう活かすか。屋外ステージに比べて、自由があるように見えるかもしれないが、制約はある。照明効果で色々なことを表現している。(黒部では、勿論、天井からの照明は釣れないが。)
Q: 今回の作品では、男性と女性、はっきり分かれる演出が見られた。演者それぞれを分けて振付を行っているのか。
-金森さん: あくまでも目の前の舞踊家に振り付けている。その舞踊家からインスピレーションを受けて振り付けている。



Q: 井関さんは男性の身体がいいなと思ったことはあるか?筋肉量は多い方がよいのか?
-井関さん: 20代前半には男性みたいに踊りたいと言っていた。表面的な筋肉量は関係ないが、力はあった方がよい。金森さんは筋肉を使う前に、骨が動く。お腹のセンターの力が凄くて、安心感がある。振り回されても大丈夫だなと。しかし、(若い人となら、自分のコントロール内で踊れるが、)これだけ力のある人(金森さん)と踊ると疲れる。それは、自分の「範疇」の外に出されてしまうからで、結構シンドイ。見た目で言えば、筋肉がある方が良いですよね(笑)。
-金森さん: 性差を超えたところに、表現し得る何かがある。なんとも言えない感じで、究極の贅沢かと思う。若い頃にいたベジャールさんのところには魅力的な男性が多くいて、そのあたりの感受性が強くなった。
Q: 『私は海をだきしめていたい』には鏡面的なものを感じる。どのようにインスピレーションが湧くのか?
-金森さん: 小説が持っているものよりも、作家に興味がある。何故こういうものを書いたのか。一人の人間が自他を描く。安吾も自分の内なる女性を描いたということ。鏡面性がある。サティの「繰り返し」に見られる偏執的な精神性に安吾が惹かれた。安吾が書いた同名の短編小説は7部立て、そこからのインスピレーションで、サティの7曲で構成することにした。


…と、(ネタバレに繋がりそうなものは一旦除外して、)大体そんなところでしたでしょうか。頑張ってはみましたけれど、寄る年波もあって、聴きながらのメモもきちんととれなかったりしましたし、これくらいでご容赦願います。m(_ _)m
ご紹介することになる最後の言葉はこのところ金森さんからよく聞くようになったものです。
金森さん: 「ちょっとわからないところがあったなぁ。」そう思ったら、繰り返し観て欲しい。2度観るとわかると言われます。
私もまだまだわかりたいので、来週末もまた観に来ます。是非、皆さまも。
では、これを以ってこの日のブログの締め括りと致します。また今週末に。

(shin)







































