2025年2月23日(日祝)はNoism関連のトークイベント日和でした。ここからは、「その2」です。16:30より、りゅーとぴあ〈スタジオB〉を会場に開かれた「柳都会vol.30 二代目 永島鼓山×山田勇気 -受け継がれていく、大切なこと」のご報告となります。
(「その1」井関さんの講演会についてはこちらからもどうぞ。)
江戸時代から約300年続く新潟の郷土芸能「新潟樽砧」。二代目 永島鼓山氏は、樽砧の保存継承を目的とした「永島流新潟樽砧伝承会」の創設者である永島鼓山氏の名跡を継ぎ、2022年に二代目を襲名。型を守りながらも自由に探求することを大切にし、新潟の地で、樽砧を伝え広めている。鼓山氏と山田の出会いは、2015年に山田が演出振付をしたNoism2×永島流新潟樽砧伝承会のコラボレーション『赤降る校庭 さらにもう一度 火の花 散れ』。伝統と現代の融合は、当時互いに大きな挑戦となった。“新潟に住む人にこそ新潟の文化を誇りに思ってもらいたい。” 文化を根付かせるために何をどのように伝えていくのか。ともに新潟で活動する両者が見据える新潟の芸能・文化の未来とは。



*山田さん、当時20歳の現・二代目鼓山さんと出会う: 2015年「水と土の芸術祭」において、金森さんから「一緒にやってみないか」と言われたのがきっかけでのコラボレーション(『赤降る校庭 さらにもう一度 火の花 散れ』)。「ただ者じゃない雰囲気」を感じた。先代の鼓山さんから、「この子をメインに据えたい」との意向を聞く。「のめり込んでいる感じが違うなぁ」(山田さん)
*「樽砧」とは: 300年くらいの歴史をもつ。昔、「湊町」新潟は北前船の一大拠点で、無事の航海を願って、龍神に祈りを捧げる意味合いから海岸沿いで船べりが叩かれていた。それが陸にあがって、樽を叩くかたちとなり、盆踊りに繋がっていった。叩かれるようになった樽は、当時、家庭でよく見かけられたもの。今は楽器用の強化樽である。
*二代目鼓山さんの樽砧との出会い: 新潟市西区の通っていた小学校に樽砧のオリジナル楽曲があり、小5になると、授業で樽か笛を選ぶことを求められて、「どうせやるなら」と樽を選んだ。そこに先代が教えに来てくれて、最初は言われるままにやるだけでさぐりさぐりやっていたが、時折、先代が「これは出来ている」という顔をするのを見て、「面白いかも」と思った。それでも、最初からちゃんと教えて貰えた訳ではなかったが、小6になってから、「これ、こうした方がいいんじゃないか」などと言われるように変わっていった。
→しかし、先代が弟子(中学生、6人くらい)を連れて来た際、その技術に圧倒されて、「ここには入れないな」と一度止めた時期もあった。それが、中2になったとき、「やっぱり樽砧やりたいかも」と思い、インターネットで検索してヒットした練習会に参加することで、今に至る。
*永島流樽砧: 先代が11歳のときに、既にあった盆踊りの樽を叩く演奏を兄から習うかたちで継承してきた、と聞く。その後、パフォーマンス性をあげたり、「樽だけで演奏出来るようになったらいいんじゃないか」との声が聞こえてきたりもして、盆踊りから独立するかたちで、ひとりで元々あったものを編纂し、楽曲として整えていった。(当時は、「新潟甚句」のほかにも沢山盆踊りの曲はあったが、消えてしまっている。)
*文化を伝承していくこと: 「そこに自然にあった時の人たちがやっていたことが、その環境が消えている現在、かつて、無意識に捉えられていたものを、意識的に残していこうとする気持ちが感じられる」(山田さん)
また、2015年のコラボでは、「新しいものが生まれる感覚があって、彼女と一緒にやってみたい気持ちになった」(山田さん)
二代目 永島鼓山さんによる基本となる7つの叩き方(「型」)の実演(解説付き:①合わせ打ち、②流し打ち、③正調打ち、④蛙(かわず)打ち、⑤八方崩し、⑥時雨打ち、⑦勇み打ち)があり、それに続けて、その場の雰囲気を取り込んで叩く、アドリブ性の高い「乱れ打ち」(2025年2月23日の今日ヴァージョン)も披露して頂き、そのダイナミックな動きと音に圧倒されたスタジオBの場内からは大きな拍手が沸いた。
*伝承にとっての定型化・パターン化・抽象化:
-山田さん: 基本をもとに乱れることが出来る。基本がなければ、乱れることは出来ない。バレエも同じ。抽象化された「かたち」の組み合わせは無限。
-鼓山さん: 樽砧が自然だった環境が今はない。パターン化・抽象化されたものを手段として用いて、繰り返していくことで、「自由」に至ることが出来る。作曲もしているが、常にこれが正解かと自問している。自由度がないと面白くない。何も考えないで、そこまで行けるようになりたい。
Q1:若い世代の育成に関して思うこと:
-鼓山さん: 今の世界には、樽をやるよりも面白いことが溢れていて、ひとつのことを長く続けられる人は少なくなっている。そんな現代の世界に合わせると、「ある程度の、早く、短期に」と思うこともあるが、長く続けて貰うためにはどうしたらいいか、課題である。
-山田さん: 例えば、金森さん振付のレパートリー『火の鳥』、振付家(=金森さん)がいることで、まだまだその瞬間に生まれるものがあり、作品はまだ生きている、そう感じる。先代のどういうところを「守り」、継承していくのか。
-鼓山さん: 一人ひとり体つきは異なる。基本を踏まえたうえで、「あなたの身体なら、こっちの方がいいよね」など、魅力的に見えるようにするのが理想。
*「二代目」ってそもそも何で?(そうしたシステムがないなかで、先代の七回忌目前での「襲名」に込められた思いとは?):
-鼓山さん: ①先代を忘れて欲しくなかった。思い起こしながら続けていって欲しいと思って。 ②「この名前」に耐えられるようにならなければならなかった。③「先代孝行」が出来ていなかった。「先代のために何が出来るんだろう」と考えて、名前を継ぐことで喜んで欲しい思いがあった。 背負うことのプレッシャーもあったが、それで言えば、先代が倒れた翌月の舞台で、当然、先代がいるだろうと思われていた場所(センター)に立ったときの緊張感の方が凄かった。怖くて、足がすくんで、幕があがるのが嫌だった。
-山田さん: どうしてそこまで先代にのめり込んだのか?
-鼓山さん: 孤独だった小学生のとき、打ち返せば、打ち返すほど認めてくれた。好きなものに打ち込むことが救いになった。
-山田さん: これだと思ったら放さないこと。好きな言葉に「映画に救われた人が映画を救う」というのがある。自分も「重くて黒い観念」を抱えていた。踊りに救われた。踊りに恩返しがしたい。2015年のコラボの際、廃校のグラウンドに、20歳にして「崖っぷちにいる感」漂う姿があり、緊張感があった。
*鼓山さん、未来への展望:
-鼓山さん: 二代目としては次(三代目)を探したい。根を張って、葉を広げていきたい。なくすのは簡単。繋いでいき、出来れば大きくしていきたい。
-山田さん: 時代は変わっていく。人の力だけでは負けちゃう。システムが残ることが、伝承会が残っていくこととパラレル。
-鼓山さん: 楽曲はフル尺では7分に及び、昨今は「もっと短く」とも言われる。ちょっとずつでも変えながら、今いる人たちが面白いと思ってくれるものを作っていきたい。そのうえで、自分ひとりで背負わないようにしていきたい、次の三代目のためにも。伝承会は拠点を持たないために、通える人は入って来られる一面がある。
-山田さん: 「場所」を持って欲しい、と言っている。記憶として残り、空間自体も伝承されていく。そこに物質(建物)の強さがある。
-鼓山さん: また、上に行きたい人にどうチャレンジさせていくかということも私の役目である。
Q2: 「バチ」についても教えて欲しい
-鼓山さん: 「新潟甚句」のバチとは違う作りで、少し太い。上部は樫、持ち手は竹(軽くて頑丈、持ち易い)。先代の頃は、先代自身か大工さんが作っていたが、今は、鼓山さんのお父様が「日曜大工で」作ってくれたものを使っている。(材料はホームセンターで買えるから、と先代。)
Q3: 衣裳は?
-鼓山さん: 着物の帯を使って、手作りで、袖のない羽織のようなものを作っている。履くのは普通、地下足袋、或いは同じメーカー製のクッション性のある黒いスニーカー。(夏の灼けたアスファルトは本当に熱い。)
-山田さん: 舞踊家たちは靴下にはこだわりがある。(素材、フィット感等々)
Q4: 樽砧を叩く身体性やトレーニングについて:
-鼓山さん: 上半身・下半身ともある程度の柔軟性があるとよい。樽の高さは一定なため、揃って見えるために。(足を広げ過ぎることも出来ない。)上半身・下半身とも使い方のルーティンはある。初心者には、先ずは身体を確認してから始めている。
Q5: 活動の間口を広げることやアプローチについて:
-鼓山さん: 練習会(公民館を会場とすることが多い。)の日程を開示しているほか、小学校へ教えに行ってもいる。但し、コロナ禍以降、大人向けの機会は減少してしまっている。
*山田さん: 二代目はどこかで何かするんじゃないかと、ドキドキしながら見ている。今段階、共演の予定はないが、常に一緒に何かやりたいと思っている。(場内から拍手が起こる。)内側にある熱い思いが活動に繋がっている。若手・次世代をどう育て、繋いでいくか。これからも新潟で活動する者として、頑張っていきましょう。
…山田さんからのそうした言葉で90分超のこの度の「柳都会」は締め括られました。歩んできた足跡を、更に前へと力強く運んでいこうとするおふたりの気概に触れて、心熱くなる時間でした。
以上で、2月23日「その2」、二代目 永島鼓山さんと山田勇気さんによる「柳都会vol.30」のご報告とさせて頂きます。




(shin)