『火の鳥』からの『フラトレス』&『ボレロ』を満喫した「サラダ音楽祭2025」♪

2025年9月15日(月・祝)、前日開幕した「サラダ音楽祭」2日間の2日目、池袋の東京芸術劇場に出掛けて来ました。この日はまず、13時にプレイハウスにて、Noism2による「親子で楽しむダンス バレエ音楽《火の鳥》 Noism2メンバーによるダンス公演&ワークショップ」、そして15時からはコンサートホールでの「音楽祭メインコンサート《Boléro》」において、Noism1の『Fratres』、そしてNoism0+Noism1『ボレロ』が観られるとあっては駆けつけない理由を見つけるのが困難なスケジュールが組まれていたのでした。

まだまだ蒸し暑さが去らないなかでしたが、JR池袋駅から地下通路を使って劇場に向かいますと、不快感はありません。胸が高鳴るのみで、ややもすると足早にさえなりそうでした。

エスカレーターで2階のプレイハウスへ進みます。入場時に渡された二つ折りカラー・リーフレット(デザイン:ツムジグラフィカ・高橋トオルさん)の素晴らしい出来栄えにワクワクしなかった人はいない筈です。名作『火の鳥』、満を持しての東京上演です。

この『火の鳥』の上演&ワークショップは前日の音楽祭初日から既に好評を博していた様子(当然!)ですが、私は各種SNSをほぼ全てシャットアウトしてこの日に臨みました。東京の(家族連れの)観客、一人ひとりの心に刺さる様子を臨場感をもって感じたかったからです。そしてNoism2メンバーの熱演もあり、その通りの「帰結」を迎えたことに心のなかで快哉を叫びました。

金森さんから若者に向けた「贈り物」という性格を有する名作『火の鳥』は、「0歳から入場OK!」と謳われたこの音楽祭での上演にあたり、衣裳、照明など様々な刷新が図られ、より広範な観客を惹き付けるものとなった感があります。特に作品のラストの改変!それはあの二つ折りカラー刷りリーフレットの表紙、容易に切り取れる「白いマスク」によって、誰もが「火の鳥」になった気分を味わえる工夫と相通ずるものと言えるでしょう。この度刷新された『火の鳥』、今後ご覧になる機会もあるだろうことに鑑みて、ここではラストの改変の詳細は伏せておくことと致します。そのときまでお楽しみに。

その後は、「スチール撮影可」のレクチャーとワークショップが続きました。時間にして約30分間、進行は山田勇気さんと浅海侑加さんです。客席から選ばれたお子さんが舞台にあがって、作中の「少年」が持ち上げられる場面を体験する機会なども用意されているなど、満足度の高い好企画だったと思います。自分もひとりの親たる身として、我が子が小さかった頃のことなど思い出したりしながら、微笑ましいひとときを過ごしました。

次いで、15時からの「メインコンサート」です。コンサートホールは3階席まで満員。

当然のことながら、都響(東京都交響楽団)の演奏は素晴らしく、20分間の休憩を挟んだ約2時間、それだけでもホントに贅沢な気持ちになりました。休憩前にはモーツァルトを2曲(『魔笛』序曲と《戴冠式ミサ》)、典雅だったり、厳かだったり、その流麗な心地よさときたら、もうハンパないレベルだったかと。

そして、休憩が終わると、いよいよNoismの登場となります。ペルトの音楽に合わせて踊られる『Fratres』、(彩り豊かで活気溢れるファリャ『三角帽子』を挟んで、)更にラストにはラヴェルの『ボレロ』が待っています。

『Fratres』は、先日の公開リハーサルで、金森さんが繰り返し口にされていた「手の舞」という視点から見詰めました。「う~む、なるほど」と。しかし、これまで幾度も観てきていて、「あ?ん?え?」となった見慣れない振付にも出くわします。終演後に偶然お会いして少しお話しをする機会を得た糸川さんから、それは「利賀村ヴァージョン」(『マレビトの歌』中の『Fratres』)と教えて頂き、既にして「古典」の趣すらあるこの作品も刷新が続いていることを知る機会となりました。

ラストの『ボレロ』。もう圧巻の一言でしかありません。赤い衣裳の井関さん、黒からベージュのNoism1の8人、全員が客席を圧倒し尽くしました。舞踊家にあって、「メディア」としての自らの身体を両の掌で確かめながら、ラヴェルによるリフレインの高揚をそこを通過させ、可視化して周囲に放っていくひとりと8人。

この日、都響が奏でたのは、ともすれば走りがちになりそうなところ、終始、それを抑制しつつ進んでいく泰然たる『ボレロ』であり、過度の興奮を煽ることをしない、ある種禁欲的な姿勢で向き合われたその音楽は、零れるようにニュアンス豊かなものとして耳に届き、その豊かさな響きに同調する舞踊家の9つの身体により、一瞬一瞬、味わい深い厚みが加えられ、見詰める目に映じることとなりました。かようにためてためて「走らない」『ボレロ』、これも糸川さんに伺ったところ、都響とのリハーサルを通してこの間変わらないことだったのだそうです。都度書き換えられていく『ボレロ』の記憶!都響とNoismによる一期一会のもの凄い実演を目の当たりにし、『ボレロ』のまた違った一面に触れた気がして、もう興奮はMAX。繰り返されたカーテンコールに、スタンディングオベーションをしながら、「ブラボー!」と叫ばずにはいられませんでした。

感動を胸に東京芸術劇場を後にしましたが、酩酊は今も…。

(shin)

『アルルの女』/『ボレロ』埼玉公演中日、圧巻の舞台に客席は…♪

2025年7月12日(土)朝、新潟から新幹線で埼玉入り。彩の国さいたま芸術劇場を目指したのでしたが、我慢できないほどの暑さではなく、ホント助かりました。はい、実に幸いでした。

新潟からの、そして各地から駆けつけたサポーターズ仲間や友人・知人、その顔を見つけたならば、お互いに笑顔で引き寄せ合い、色々話したりしながら開演時間迄を過ごした、Noism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』埼玉公演の中日(なかび)です。

この日も期待通りに、期待の遥か上をいく圧巻の舞台を見せてくれた舞踊家たち。雄弁な身体が切なくも皮肉な物語を語り尽くし、見詰める目をさらっていってしまう『アルルの女』、徐々に熱を帯びていき、遂には完全な燃焼に至る身体というメディアが座して見詰める者のミラーニューロンを刺激しまくる『ボレロ — 天が落ちるその前に』。

この日(埼玉公演中日)、そんな趣きを異にするふたつの演目に対して、彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉の客席も見事なまでに顕著な「二様」の反応を示したことを書き記しておきたいと思うものです。

まずは『アルルの女』。ビゼーの音楽も消え、緞帳が完全に降りてしまってもなお、ラストシーンの余韻の強烈さに圧倒された客席は水を打ったように静まり返り、居合わせた誰もがその沈黙を破ることを躊躇い、物音ひとつ聞こえない「静けさ」が訪れたのでした。(それも、体感的には、随分と長い時間に感じられました。)で、ややあって、一斉に沸騰したかのような熱い拍手が湧き起こったような按配なのですが、その拍手の熱さよりも、それに先立つ重くのしかかってくるかのような「静けさ」の方に、Noism版『アルルの女』の凄さを見せつけられた思いがし、この日、そんな稀な時間に立ち会えたことは決して忘れないだろう、そう思っています。

次いで『ボレロ — 天が落ちるその前に』。「魔曲」とも呼ぶべきラヴェルの『ボレロ』に乗って、発火していく身体がまさに生を燃焼し尽くすかのようなその一瞬が訪れるが早いか、座ったまま、煽られに煽られた客席の興奮も頂点に達して、間髪を入れずの熱狂的な拍手と方々から響く「ブラボー!」の声、また声。すぐには笑顔を浮かべることも出来ない、滴る汗と荒い息遣いの舞踊家たちに対し、全身で受け止めた大きな感動に加えて、その昂った感情を解き放つ時を得て、欣喜雀躍するかのようにもスタンディングオベーションを拡げていった観客たち。観る側にとっても、それは同様になかなかに得難い「生」の発露の一瞬だったのであり、「伝播」の主題は間違いなく客席も呑み込んでいってしまったのでした。

この埼玉公演中日は、踊られたふたつの演目がそれぞれに客席を圧倒し、客席は劇場で圧倒される「非日常」の幸福に酔いしれることとなった、それはそれは豊穣な1日でした。

残すは大千穐楽の舞台のみ。凄い「二様」を是非一度、是非もう一度♪

(shin)

「Noism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』活動支援会員/視覚・聴覚障がい者 メディア向け公開リハーサル」+囲み取材に行ってきました♪

まだ「水無月」というのに、耐え難いほどの高温に閉口する日々が続くなかの2025年6月20日(金)、りゅーとぴあ〈劇場〉を会場に行われた「『アルルの女』/『ボレロ』活動支援会員/視覚・聴覚障がい者 メディア向け公開リハーサル」(12:15~13:15)とその後の囲み取材(13:15~13:30)に出掛けてきました。

スタッフからの入場案内が出て、〈劇場〉内に足を踏み入れると、先ず目に飛び込んできたのは、「プロセニアム・アーチ」然とした赤く細いフレームです。圧倒的な存在感を示すその四角いフレームに囲まれながら、動きの確認を行っている舞踊家たち。「これはフィクションだよ」、そう念押しされでもするかのような、なんとも非日常な光景です。

やがて、金森さんの合図があると、客席は暗くなり、一旦、緞帳が下りると、ビゼー作曲のあの聞き覚えのある音楽とともに、『アルルの女』の公開リハーサルが始まりました。「そう来るか」、冒頭すぐにも、かつての劇的舞踊『カルメン』との繋がりなども濃厚に見てとれるアイテムが、舞台を見詰める私たちの目に映ずることになります。

この日の公開リハーサルでは、『アルルの女』冒頭からの約30分を見せて貰いました。以下、画像をご覧頂き、その雰囲気を少しだけでもお楽しみ頂けたらと思います。

フレデリ(糸川さん)が母ローズ(井関さん)を振りほどき、穏やかならざる展開に差しかかろうとするところで、「OK!いいよ」と金森さん。「OK!よかったよ。もっと見てられたのに」と続けて、出来栄えに自信のほどを窺わせました。

そこから約30分は、金森さんの厳しいチェックが入り、様々な動きが順々にブラッシュアップされていきました。
「レディース、最初立っているとき、足6番で」
「背中で『アルル』しなさいよ!クソ真面目に立っているだけではダメなんだよ」
「君が主(しゅ)なんだから、佐和子や勇気に遠慮していたらムリ!」
「左足前の5番からパッセで4番」
「足が低い!すみれ姉さんの蹴り上げを見てみなよ」
「はける時の歩き方、踵から!後ろの膝を曲げない。後ろに体重が落ちているから、前へ行く動機がない。恥骨を立てて、膝じゃなくて、後ろの踵で押す!」等々、一点一画も疎かにしないダメ出しが続きました。

一通り、動きに細かなメスを入れ終えたところで、そろそろ囲み取材の時間が来ます。「こんなもんでいいんじゃない。『公開』終わり。じゃあ、次、2時半から」金森さんの言葉で公開リハーサルは終わりました。

続いてホワイエでの囲み取材に移っていきました。
先ず最初に、スタッフの方からキャストの変更について、三好さんが体調不良のため、降板し、兼述さんが代わりにフレデリの許嫁「ヴィヴェット」役を踊ることになった旨が告げられました。

そして芸術総監督・金森さんと国際活動部門芸術監督・井関さんが並んでの取材です。以下に、やりとりの内容をかいつまんでご紹介させて頂きます。

Q:今回の作品の意図は?
 -A: 「シンプルに『アルルの女』の原作を読んで面白かったこと。その物語が抱える問題が極めて現代的な問題にも通ずるものがあると感じた」(金森さん)

Q:物語があることについて
 -A: 「以前の『劇的舞踊』のように台本を書き、キッチリ物語を先に作って、それを舞台化する手順ではなくて、もっと抽象的な、もっと音楽と身体の関係性、緊張感みたいなものを。抽象度を保ったまま、物語の本質を届けることに興味がある。『アルルの女』の組曲版と劇付随版をミックスすることで唯一無二の、どこでも見たことのない『アルルの女』を届けることが出来るだろうと思った。新たな試み」(金森さん)

Q:訴えかけたい問題意識みたいなものは?
 -A: 「『家族』は逃れることが出来ない関係性のメタファー。人間は常に関係性のなかにあって、様々な思いの狭間で生きている。『関係性』を持たなければ生きていけない人間というものに今、興味がある」(金森さん)

Q:(井関さんに)芸術監督として、『アルルの女』が来たことをどう受け止めたか?
 -A: 「これが決まる前、1年ちょっと前に、穣さんは原作を読んで興味があると話していた。当時、組曲版しか知らなかったので、わかり易い音楽でもあり、正直、『これをやるのか?』『穣さんが目指しているところにこの音楽が合うのか?』と心配をした。とはいえ、信じているので、どう向き合って、どういう作品にしていくのか興味はあった」(井関さん)

Q:(井関さんに)ある意味、人間関係の「起点」とも言える「母親」をどう表現しようと思ったか?
 -A: 「リハーサルを重ねてくると、全ては『妄想』だなと思うようになった。フレデリは『アルルの女』の妄想に捕らわれているだけでなく、母親も息子(フレデリ)本人に向き合っているというよりは、『妄想』に向き合っている。人と人との関係性は本当に危ういものだなと感じている。本当に相手のことを考えているのか、ただの自己満足か、その曖昧な関係性のラインを変に見せようという気持ちはない。ある種の抽象度が含まれている故に、感じ取るものは個々に異なるものだろう。人間というものをどう感じたか、観終えた後に訊いてみたい」(井関さん)

Q:(井関さんに)今回の2作品の上演を決めたことについて
 -A: 「『アルルの女』は、新作として、穣さんが芸術家としてこの瞬間にやりたいものをと。50~55分という作品なので、少し短い。(音楽も色々トライアウトしていて、まだ完成版が決まっていないため、時間も伸び縮みしている。)で、昨年の『サラダ音楽祭』でやって好評だった『ボレロ』と併せるかたちで。こちらは15分と短いものだが、濃密な作品。まだ新潟の皆さんに見せていなかったので。物語モノと踊りに身を捧げるものと、ふたつ対称的なので、ちょうどいいかなと」(井関さん)

Q:「生と死」の対称性は結果的なもの?
 -A: 「全ての作品に生も死もあるが、この2つの作品を表すとしたら、その言葉がしっくりくるなと。過去の作品にも含まれていたエッセンスがより濃く、よりシンプルにドカンとくると思う」(金森さん)

Q:今回の『ボレロ』は、これまでの『ボレロ』と大きく異なるものなのか?
 -A: 「大きく異なる。先ずは空間が広く、それを活用している。そして演出的にも、オーケストラ版では出来なかったことをひとつやっている。印象はかなり違うと思う」(金森さん)

Q:今回の公演を観に来るお客さんにそれぞれひとことずつ
 -A: 「このようなキャッチーな音楽を用いても、自分の芸術性で勝負出来るっていうくらいなところに来た実感がある。若い頃には、引っ張られてしまったり、逆に、背を向けようとしたりもしたが、今は齢50にして、素晴らしい音楽と向き合いたいという気持ち。それを皆さんが知っていようが知っていまいが関係なく、自分の芸術性を表現出来ると思って選んでいる」(金森さん)
 -A: 「穣さんが色々経てきて、芸術家としての「核」の部分が凄く強くなってきていて、それが『アルルの女』とか『ボレロ』とか作品名に捕らわれない、Noismだからこそというものが出来るところに来ている。振付家と舞踊家がよいバランスで成熟してきている。全く違う2作品ではあるが、共通する部分も多い。是非、劇場に来て観て貰わないと勿体ない」(井関さん)
 -A: 「既成概念とか、出来上がっているイメージを壊す方が楽しい。『皆さん、知ってますよね、コレ。でも違いますよ』っていう、或いは、皆さんの価値観が変わるぐらいのことに興味がある。ぶっ壊しますよ(笑)、イメージを」(金森さん)

…以上で、この日の囲み取材の報告とさせて頂きます。早く観たい気持ちが募ってきちゃいました、私。公演まであと1週間!チケットは新潟公演(6/27~29)、埼玉公演(7/11~13)とも好評発売中とのこと。よいお席はお早めに。

そして、スタッフの方からは新潟での金森さんによるアフタートーク付き公演(6/28)とプレトーク付き公演(6/29)についても重ねての紹介がありました。この日、囲み取材でも期待値を「爆上げ」してくれた明晰な語り口の金森さんが、公演期間中に、何を話してくれるのか、そちらも興味が尽きません。皆さま、よろしければ、その両日、ご検討ください。

なお、この「公開リハーサル」の模様は、同日夕、BSNのローカルニュース番組「ゆうなび」内で、ほんの少し(1分強)取り上げられて、それ、ドキドキしながら見ましたけれど、う~む、本番がホント楽しみ過ぎます。皆さま、是非お見逃しなく♪
サポーターズも「Noism Supporters Information #12」を皆さまにお届けしようと準備中です。そちらもどうぞお楽しみに♪

(shin)
(photos by aqua & shin)

凄いものを聴いた!観た!-「サラダ音楽祭」メインコンサートの『ボレロ』、圧倒的な熱を伝播♪

2024年9月15日(日)、長月も半ばというのに、この日も気温は上昇し、下手をすれば、生命すら脅かされかねない暑熱に晒された私たちは、陽射しから逃げるようにして、這々の体(ほうほうのてい)でエアコンの効いた場所に逃げ込んだような有様だったのですが、まさにそのエアコンが効いた快適な場で、全く別種の「熱」にやられることになろうとは予期できよう筈もないことでした。

「サラダ音楽祭2024」のメインコンサートは早々に完売となり、当日券の販売もなく、期待の高さが窺えます。池袋・東京芸術劇場のコンサートホール場内では文芸評論家で舞踊研究者の三浦雅士さんの姿もお見かけしました。この日ただ一度きりの実演な訳ですから、期待も募ろうというものです。

私自身、先日の公開リハーサルを観ていましたから、この日の『ボレロ』が見ものだくらいのことは容易に確信できていましたけれど、大野和士さん指揮の東京都交響楽団とNoism Company Niigataによるこの日の実演は、そんな期待やら確信やらを遥か凌駕して余りあるもので、凄いものを聴いた、凄いものを観た、と時間が経ってさえ、なお興奮を抑えることが難しいほどの圧倒的名演だったと言わねばなりません。

そのメインコンサートですが、まず15時を少しまわったところで、ラターの《マニフィカト》で幕が開きました。私にとっては初めて聴く曲で、「マリア讃歌」と呼ばれる一種の宗教曲なのですが、そうした曲のイメージからかけ離れて、親しみ易いメロディーが耳に残る、実に色彩豊かで現代的な印象の楽曲でした。更に、前川依子さん(ソプラノ)と男女総勢50人を超える新国立劇場合唱団による名唱も相俟って、場内は一気に祝祭感に包まれていきます。「ラター」という人名と聖歌《マニフィカト》とは私の中にもしかと刻まれました。

20分の休憩を挟んで、後半のプログラムは、ドビュッシーの交響詩『海』で再開しました。こちら、どうしても、金森さん演出振付による東京バレエ団のグランドバレエ『かぐや姫』、その冒頭ほかを想起しない訳にはいきませんよね。粒立ちの鮮明な音たちによって、次第にうねるように響きだす音楽によって、そこここであの3幕もののバレエ作品を思い出さずにはいられませんでした。その意味では、都響によるダイナミックレンジが広く、階調も情緒も豊かな熱演が、同時に、次の『ボレロ』へのプレリュードとしても聞こえてくるというこの上なく贅沢な選曲の妙、憎い仕掛けにも唸らされたような次第です。

そしていよいよラヴェルの『ボレロ』です。金森さんと井関さん共通の友人でもあるコンサートマスターの矢部達哉さんが楽団員たちとのチューニングを始めると、客電が落ち、井関さんをはじめNoismメンバーが上手(かみて)袖からオーケストラ前方に設えられた横長のアクティングエリア中央まで駆け足で進み出て、特権的な赤い衣裳の井関さんを中心に、フードまで被った黒い8人が円を描くように囲んで待機します。金森さんの師モーリス・ベジャールの名作と重なる配置と言えるでしょう。やがてスネアドラムがあの魔的な3拍子のリズムを静かに刻み始め、フルートがそこに重なって聞こえてきます…。昨年末のジルベスターコンサートでの原田慶太楼さん指揮・東京交響楽団の時とは異なり、今回は中庸なテンポです。

金森さんによるこの度の『ボレロ』ですが、先ずは赤い井関さんと周囲の黒ずくめ8人の関係性の違いが、ベジャールの名作と最も大きく異なる点と言えるかと思います。音楽のリズムやビートを最初に刻むのが井関さん。そしてその中心からそのリズムやビートに乗った動きがじわじわ周囲に伝播していくことになります。

両腕を交差させて上方に掲げたかと思えば、両手で上半身を撫でつけたり、或いは、両手を喉元までもって来ることで顔が虚空を見上げるかたちになったり、苦悶と言えようほど表情は固く、如何にも苦しげな様子を経過して、決然たる克己の直立へ戻るということを繰り返すうち、次第に、井関さんから発したその身振りが断片的に、先ず周囲の幾人かに伝播していくのです。この「抑圧」が可視化されている感のあるパートで用いられる舞踊の語彙にはベジャール的なものはまだ含まれておらず、これまでのNoismの過去作で目にしてきたものが多く目に留まります。

やがて井関さんとその周囲、赤と黒、合わせて9人のポジションは、(徐々に黒い衣裳を脱がせながら、脱ぎながら、)3人×3という構成にシフトしていきます。それは即ち、最初の円形が横方向へ伸びるフォーメーションへの移行を意味します。そうなるともう多彩な群舞の登場までは時間を要しません。Noism的な身体によるNoism的な舞踊の語彙が頻出する限りなく美しい群舞が待っていることでしょう。見詰める目の至福。そしてそこに重ねられていくのは師へのオマージュと解されるベジャールの動きの引用。ここに至って、感動しない人などいよう筈がありません。飛び散る汗と同時に、9人の表情もやらわぎを見せ始め、笑みさえ認められるようになってきます。それは演出でもあるのでしょうが、自然な成り行きに過ぎないとの受け止めも可能でしょう。可視化されるのは「解放」です。その「解放」があの3拍子のリズムに乗って圧倒的な熱と化して、見詰める目を通して、私たちの身体に飛び込んでくるのですから、一緒に踊りたくなってうずうずしてしまう(或いは、少なくとも一緒にリズムを刻みたくなってしまう)のも仕様のないことでしかありません。(私など全く踊れないのにも拘わらず、です。)そして同時に、心は強く揺さぶられ、狙い撃ちにされた涙腺は崩壊をみるよりほかありません。

金森さん演出振付のダンス付きの、この都響の『ボレロ』は、最初のスネアドラムが刻んだかそけき音に耳を澄まし、それと同時に生じた井関さんの動きに目を凝らしたその瞬間から、最後の唐突に迎える終焉に至るまで、刻まれる時間と場内の空気は全てオーケストラによる楽音とNoismメンバーの身体の動き、ただそのふたつのみで充填し尽くされてしまい、夾雑物などは一切見つかりようもありません。両者、入魂の実演はまさに一期一会です。そんな途方もない時間と空間の体験は、それが既に過去のものとなっているというのに、未だに心を鷲掴みにされ続けていて、落ち着きを取り戻すことが難しく感じられるのですから、厄介なことこの上ありません。

繰り返されたカーテンコールで、満面の笑みを浮かべて拍手と歓声に応えた金森さんの姿も(腕まくりと駆け足も含めて)忘れられません。そんなふうに凄いものを聴き、凄いものを観た9月折り返しの日曜日、Noism20周年のラストを飾るに相応しかったステージのことを記させて貰いました。

(shin)

「ムジチーレンの悦び」に浸った祝祭感たっぷりの大晦日:りゅーとぴあジルベスターコンサート2023

2023年最後の一日は、雨降る新潟。雪ではなく。その天気だけでも所謂「普通」ではありませんでしたが、その午後のりゅーとぴあコンサートホールに流れた2時間半の時間は、そこに居合わせた誰もが「普通」ではいられないほどの濃密な時間でした。エモーショナルな熱演に次ぐ熱演。舞台上の渾身が、「ムジチーレン(音楽する)の悦び」が、客席に伝わり、客席と共鳴して、ホール全体が尋常ではないほどの祝祭空間へと変容していった、そうとした言い表せないような圧倒的な時間で、この日の観客は決してこの日の舞台を忘れることはないだろう、容易にそう確信できました。そんなところを以下に少しご紹介していこうと思います。

この日が最後の営業となる6F旬彩・柳葉亭にて2023ジルベスターコンサート限定甘味セットなどを頂いてから、14:30、入場時間。客席に進むと、暫くして、煌めく緋色ドレスに身を包んだ石丸由佳さんによるパイプオルガンのウェルカム演奏が始まりました。最初の2音で、20世紀を代表する「巨大不明生物」ゴジラの音楽だとわかります。『シン・ゴジラ』好きの身としては一気に気分がアゲアゲ状態になっただけでなく、更にニヤリとしました。どういうことかと言えば、伊福部昭作曲によるこの音楽の動機部分は彼が敬愛して止まなかったラヴェルのピアノ協奏曲、その第3楽章にほぼ似たメロディを聴くことができるのですから。というのも、この日の私の一番のお目当ては勿論、プログラムの最後、Noism Company Niigataが踊るラヴェルの『ボレロ』でしたから、「見事に円環が閉じられることになるなぁ。この選曲、やってくれるなぁ」という訳です。

そして始まったこの日のコンサート。「ラフマニノフ生誕150年&20世紀最高の作曲家たち」というテーマに基づく音楽を原田慶太楼さん指揮・東京交響楽団が聴かせてくれました。(司会はフリー・アナウンサーの佐藤智佳子さん。)

最初の曲はバーンスタインの『ウエストサイド物語セレクション』。指揮者の原田さんが当初はダンスと歌に打たれて、音楽を志すきっかけとなったのが、バーンスタインの音楽が流れる同映画を観たことだったそうです。指揮台の上でステップを踏み、踊るかのようにタクトを振る身体の躍動とそれに呼応して奏でられる東響のダイナミックかつ色合い豊かな音。両者の持ち味をたっぷり示して余りある一曲目と言えました。

そしてこの日最大の驚きがやってきます。ソリストに亀井聖矢さん(弱冠22歳!)を迎えて演奏されたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。最前列で聴いていましたから、冒頭の途切れ途切れのピアノの音の間には、その都度、深く呼吸する音まで聞こえてきました。それだけでもう既に相当エモい導入に感じたのですが、それなどまだまだほんの序の口。目をカッと見開いて鍵盤を見詰めたかと思えば、顔を上方に向けて目を瞑ってたっぷり思いを込めたり。身体を揺らしながらの演奏は、幾度も椅子から腰を浮かせ、時折、左足の靴で床をバンッと蹴っては勢いを加速させたり。ラフマニノフの音楽に全身全霊で没入し、その果てにラフマニノフが憑依したかのようなピアニストの身体がそこにありました。完璧なテクニックから放たれるリリカルさ具合は言うに及びません。そこに火が出るような熱さが加わります。その変幻自在な音の奔流に、聴く者の魂はこれでもかと揺さぶられ続け、遂にはラフマニノフの音楽の真髄との邂逅を果たすに至らしめられた、そんな風に思えます。まさに驚異の演奏でした。指揮者の原田さんによれば、前日の練習を終えた亀井さんはもう少し落ち着いて弾こうと言っていたのだそうですが、この日の演奏はその対極。亀井さんによれば、原田さんが「煽って仕掛けてきた」のだとか。いずれにせよ、一期一会の熱演を堪能しました。スタンディングオベーションも頷けようというものです。
*この日の演奏、最後の部分は亀井さんご本人のX(旧twitter)アカウントでご覧頂けますので、こちらから渾身の熱演の一端に触れてみてください。

休憩中にも石丸由佳さんによるパイプオルガン演奏があり、とてもスペシャルな感じがしました。演奏されたのはラインベルガーにのオルガン・ソナタ第11番の第2楽章「カンティナーレ」とのこと。初めて聴く曲でしたが、会場に優雅な雰囲気を添えていました。

休憩後の第2部はりゅーとぴあ委嘱作品という吉松隆の『ファンファーレ2001』から。原田さんによれば、第九のように毎年聴けるものではなく、今回が「4年に1度」の機会だったとか。また、「プログレッシよるロック好き」の吉松さんらしい曲とも。(その方面、私は明るくないため、よくわかりませんが、)冒頭から打楽器の存在感が耳に届く曲で、盛り上がっていく際の色彩感と高揚感は堪りません。
そしてハチャトリアンの『剣の舞』へ。個人的には、これまでこの曲を面白いと感じたことはなかったのですが、この日は原田さんが突っ込んでは引き出したテクスチュアの多彩さが耳に新鮮に響き、初めて惹き込まれて聞き入りました。

次いで、ヴァイオリンの服部百音さんが加わった2曲も聞きものでした。まずは「これまで弾くのを避けてきて、初めて弾いた」(服部さん)というエルガー『愛の挨拶』。繊細かつ迫力ある弦の響きで奏でていていきながら、最後、「別れの挨拶」(服部さん)として、弾きながら舞台袖に消えていってしまうお茶目な服部さん。呆気にとられて見送る原田さん。打ち合わせになかったドッキリをかます服部さんに、ふたりの関係性が窺い知れるようで、微笑ましかったです。
続く、ラヴェルの演奏会用狂詩曲『ツィガーヌ』。病気を克服して筋肉もついてきて再び演奏活動に戻ってこられたとのこと。まさに入魂の演奏で、全身に漲る気魄が弓を介して弦に伝わり、鬼気迫る熱演を聴かせてくれました。そんなふうに、切れそうなほどに張り詰めた空気感を作り出して流れた音楽。その最後の一音を、顎をぶつけて奏でているかに見えるほど、全身の勢いを込めて弾いた服部さんの姿にアッと声が出そうでした。

そしていよいよクライマックスは金森さんの新振付でNoismが踊るラヴェルの『ボレロ』です。この新振付版は金森さんによれば、修道僧たちのなかに、ひとりの女性の踊り手が交じり、性的かつ生的なものが伝播していく筋立てとのこと。女性は井関さん(ベージュの衣裳)。冒頭、井関さんを円状に囲む修道僧8人は、両脇に中尾洸太さんと糸川祐希さん。最奥に三好綾音さんと杉野可林さん。最前に坪田光さんと樋浦瞳さん。その後ろに庄島さくらさんと庄島すみれさん(いずれも黒の衣裳)、といった布陣だったでしょうか。衣裳は恐らく『セレネ、あるいはマレビトの歌』のときのものと思われ、ということは、故・堂本教子さんの手になるものです。
上に触れた筋立てからもわかることですが、今回披露された新振付による『Bolero』は以前の映像舞踊『BOLERO 2020』とは全くの別物・別作品です。中心に女性がいて、その周囲を円状に囲まれて始まる様子は金森さんの師・ベジャール振付版に似ていますし、途中、ベジャールからの引用と思しき振付も登場するなど、オマージュと継承とを見て取ることができます。その意味では映像舞踊のときとは比べ物にならないくらい、ベジャールを想起させられる要素は大きいと言えます。しかし、この作品での影響力の伝播の方向は、中心の井関さんから8人に向かうのであって、その点では真逆と言ってもいいくらいでしょう。これまでの金森さん作品の持ち味に溢れた新『Bolero』(「シン・ボレロ」?)な訳です。
この夕の『ボレロ』、Noismが踊っているため、もう目は演奏するオーケストラにはいきませんでした。オーケストラの様子だって見たいことは見たいのですが、仕方ありません。但し、踊るNoismメンバー一人ひとりの生き生きした表情にも原田さん+東響と同質の「ムジチーレンの悦び」が溢れていたことは間違いありません。(敢えて言う必要もないかと思われますが、それはこの日のソリスト亀井さんと服部さんにも共通して見出せた要素です。)
おっと、金森さんの新『Bolero』に関しては、今ここではこれ以上は書かずにおきます。終演後に偶然お会いした山田勇気さんによれば、今のところ具体的な再演の予定はないとのことでしたが、必ずその日が訪れると信じていますから。私もその時を楽しみに待ちますし、この日はご覧になられなかった方々もそこは変わらない筈でしょうし。

ラストは東響によるアンコール、エルガー『威風堂々』でしたが、これがまた華やかで、その後、会場内の数ヶ所から一斉に放たれた赤とオレンジのテープの吹雪がこの日の祝祭感を大いに増幅してコンサートの最後を締め括ってくれました。

こちらの画像、クラウドファンディングのお知らせメールからの転載です。

この大晦日のジルベスターコンサートについてはそんなところをもって報告とさせて頂きますが、折から同日、クラウドファンディングも目標額に達したとのことで、その点でも嬉しい大晦日となりました。
そして、これを書いているのは、紅白歌合戦を見終えて、年も改まった2024年の元日です。皆さま、明けましておめでとうございます。是非、一緒にNoism Company Niigataの20周年をお祝いしつつ、応援して参りましょう。 今年も宜しくお願い致します。

(shin)