「漆黒の中の蠱惑」SCOTサマーシーズン2024 Noism『めまい 〜死者の中から』二日目レポート(サポーターレポート)

*冒頭、8/28夕時点で九州南部に接近し、猛威を振るう「過去最強クラス」の台風10号の被害に遭われた方々に対し、心よりお見舞いを申し上げますと同時に、今後、西日本・東日本を縦断する可能性も報じられるその進路において被害が少ないことをお祈りいたします。(NoismサポーターズUnofficial事務局)

 私にとって、2019年9月の「第9回シアター・オリンピックス」Noism0『still / speed / silence』以来、5年ぶりとなる富山県南砺市利賀村行き。8月23日(金)には富山市に入り、24日(土)・25日(日)の2日間、連絡バスで利賀村迄2往復して、Noism『めまい』2公演に加え、鈴木忠志演出『シラノ・ド・ベルジュラック』『世界の果てからこんにちはⅠ』、瀬戸山美咲演出『野火』の計5公演を鑑賞した。

 映画ファンの端くれとして、10代の頃にヒッチコックの諸作を観、特に圧倒されたのは『めまい』だった。年を重ねた後、シネ・ウインドのスクリーンで『めまい』を再見した時には、若い頃には気付けなかったキム・ノヴァクの肉体が放つ凄まじい色香に、それこそ目眩を覚えたことを思い出す。

 そのヒッチコック作品の原作であるP.ボアロー&T.ナルスジャック『死者の中から』を基に金森穣さんが舞台化すると知った時の驚きたるや。19年に鈴木忠志氏のトークを聴いた利賀芸術公園「新利賀山房」の漆黒の空間を思い起こしつつ、どのような舞台が展開されるか期待に胸膨らませた。

 24日の公演後、野外劇場での『世界の果てからこんにちはⅠ』で隣合わせた金森さんと井関佐和子さんに、「『still / speed / silence』といい、利賀でやる作品は男が女を束縛しようとする話が続きますね」と伝えたところ、金森さんも苦笑されていたが、冗談抜きに、男が欲情し、幻想を託す「女性性」を「演じる」こと自体を、素顔から蠱惑的な表情への変化始め、全身で見せきる井関さんと、バーナード・ハーマンの馴染み深い音楽やシンプルな小道具を駆使しての高低差表現、照明の鮮やかさまで唸るばかりの金森さんの構成力には、惚れ惚れするほどに酔った。

 翌25日、利賀へ向かう連絡バスは、狭隘な山道で豪雨に遭遇した。幸い利賀に着く頃に雨は収まり晴れ間も覗いたが、この道程を越えれば今日もまた『めまい』の濃密な時間に立ち会えるなぁと、その凄絶な甘美を思い出して、山道の恐怖に耐えたものだ。


 二日目の『めまい』、新潟は勿論、関東方面から足を運んだNoismファンの方々始め、世界各国からのお客さんも含めて前日同様の大入満員。巨大な茅葺き住宅を改装した「新利賀山房」の客席に坐ると、眼前には金髪のウィッグを付けた井関さんが、瞬きすることなく虚空を見つめている。その恐ろしくもあり、妖艶でもある眼差しには、直視することを躊躇ってしまう(地元の方と思しき観客の方が、「ずっと瞬きしないぞ」と驚きの声を上げていた)。

 漆黒の「新利賀山房」で展開する、死者の幻影と生身の肉体との相克。特筆したいのは、探偵(映画版ではジェームズ・スチュアート扮する元刑事)役の糸川祐希さん、ヒロインである女優(井関佐和子さん)が追い求める亡霊に扮した三好綾音さん始め、難役に挑んだ若きNoismメンバーの表情豊かな演技だ。失ったと思った女性への執着とその果ての狂気を、鬼気迫るように見せた糸川さんは、初日以上の迫真を感じさせた。井関佐和子さん・山田勇気さんの感情・身体表現の巧みさはNoismの中核だが、若き舞踊家たちもまた、金森作品の凄絶な美を表現する為に喰らいつき、その成果が実りつつあることを確信している。


 この公演に続いて鑑賞した瀬戸山美咲演出『野火』(利賀山房にて)もそうだが、鈴木忠志が築き上げた「利賀芸術公園」という、演劇の桃源郷とも呼びたい異空間に於いて、金森さんも瀬戸山氏も、そして出演者・スタッフが、劇場の漆黒を如何に照らしだし、活かしきり、観る者たちを安全圏に置くことなく没入させる為に尽くしている渾身に思い至る。舞台で展開される凄絶な物語を越えて、人が生み出すものの「美」に強く勇気付けられたのだ。鈴木忠志氏の作品と営為は正しく「過剰」なパワーを発しているが、その「過剰故の余白」が利賀にはあるからこそ、演出家たちの本質が浮き彫りになることに気付いたように思う。

 利賀の地、そして鈴木忠志を更に深く知りたいと渇望するような滞在となった。

(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、舞踊家・井関佐和子を応援する会役員 久志田渉)

SCOTサマー・シーズン2024 Noism0+Noism1『めまい』公開リハーサル♪ ~ヒッチコックとトリュフォー、キム・ノヴァクのことなども~

 2024年8月11日(土)、夜には新潟まつりの花火が打ち上げられるこの日、白山公園駐車場は一部終日閉鎖されていたりしたこともあり、車で駆け付けるのもなかなか容易ではなかったような事情もありましたが、そんななか、りゅーとぴあ〈スタジオB〉にて、12:30から正味1時間、たっぷり『めまい』の公開リハーサルを見せて貰いました。

 今夏「SCOT SUMMER SEASON 2024」の公式チラシに読める今作の紹介には「ヒッチコックのサスペンス映画『めまい』の原作となっているボアロー=ナルスジャックの小説『死者の中から』にインスピレーションを得て制作される作品。自他の境を見失っていく人間の様態を踊る」とあり、映画『めまい』に魅了された者としては興味を惹かれない筈がありません。

 そのピエール・ボワロー&トマ・ナルスジャックによる原作小説『死者の中から』についてですが、フランソワ・トリュフォーが敬愛するアルフレッド・ヒッチコックに行った50時間に及ぶインタビューを収録した名著『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(1981)(*註)のなかに、同小説がヒッチコックに映画化されることを念頭において書かれた数篇の小説のひとつであり、その映画化権をパラマウント社がヒッチコックのために買い取ったという事実がトリュフォーの口から語られるのですが、ヒッチコックは自身を巡るそうした経緯をまるで知らなかったことが読めます。(同書pp.249-250)

 続けて、トリュフォーがその小説のどこに惹かれたのか訊ねると、ヒッチコックは、「主人公が、死んだ女を生き返らせようとするところ、生きている女を死んだ女のイメージに重ね合わせて愛してしまうところ」(同p.250)と答えています。

 しかし、ヒッチコックのその『めまい』(1958)は、本来、ヴェラ・マイルズ主演で構想されたものの、彼女の妊娠がわかり、それを断念。キム・ノヴァクを主演に据えて撮影されることになるのですが、撮影前のそんな事情もあって、「映画のリズムがうまくつかめなくなってしまった」(ヒッチコック)として、ヒッチコック自身からの同作及びキム・ノヴァクに対する評価が低いことにも触れられています。(同pp.254-255)

 また、それに関係して、もうひとつここで触れたいと思うのは、映画『めまい』を観ていると、ヒッチコックのキム・ノヴァクに対する「距離」或いは「隔たり」が否応なく感じられるということです。同作に起用されたキム・ノヴァクの素晴らしさはトリュフォーも言及している通りで、間違いないことなのですが、他のヒッチコック作品における監督から主演女優に捧げられる「愛」とも呼ぶべき親密さが目に映ずることはありません。(個人的な印象ですが、的外れではないと確信しています。)映画って怖いなぁと…。

 そんな色々な経緯がありながらも、ヒッチコック自身のために書かれた小説を本人自らが映画化した訳ですが、ブロンドのマデリンとブルネットのジュディ(キム・ノヴァクの二役)がそれぞれ登場する前半と後半の「間」に、ヒッチコックは(周囲には猛反対されたと明かす)作品構成上の大きな改変を差し挟んでいます。彼の慧眼はそのことによって心理的なサスペンスを導入することに成功したのでした。
 「はてさて、金森さんはそのあたりどう処理して表現していくのだろう?」興味は尽きませんでした。否、正確には、そこが気になって仕方なかったと言うべきだったでしょうか。で、基本的にはストーリーを踏まえつつ、「なるほど、そうなのか!」という舞踊作品に仕上がっています。

 さて、その金森さんと井関さん、そしてNoism0+Noism1(浅海侑加さん、樋浦瞳さんは出演されないようですが、)による舞踊作品『めまい』です。監督と主演女優の間の葛藤は、当然、ここには存在しません。
 金門橋をはじめ、サンフランシスコのランドスケープを背景に、自動車で経巡る迷宮めいた街路や霧など効果的に用いて展開されるヒッチコック作品に対して、金森さんの舞踊作品版は、自他の間に横たわる「2」という数を随所に象徴的に用いながら紡がれていきます。で、キム・ノヴァクが演じた役どころは井関さんと三好さんが担い、痩身ジェームズ・スチュアートについてはやはり似た体つきの糸川さんがそのイメージを引き受けつつ、情感豊かな熱演を見せてくれます。

 舞踊作品ですから、展開されていく舞踊を観るのが本筋な訳で、原作(や映画)のストーリーに過度に頓着・執着するべきではありませんが、やはり文化史的な「教養」の一部としてヒッチコックの映画は観ておいた方がよいかなとは思います。未見の方はこの機会に是非ご鑑賞ください。

 たっぷり全編を見せて貰って、13:30、この日の公開リハーサルは終了しました。1時間ものの大作です。観終えて圧倒されている私たちに、「いつにもまして皆さんシーンとしていますね」と笑って切り出した金森さん。「このあいだの20周年記念公演のあと、こんな作品を作っていたんです。16日には利賀に行きます。(Noism0とNoism1)みんなで行くのは初めてですが、その経験も必ず今後に活きると思いますし、活かしていきます」と今後の展開も視野に収めつつ力強く語りました。

 「Noismの公演(『めまい』)は完売ということなので、またどこかで」そうも語った金森さん。この意欲作、ほぼ2週間ののち、利賀村の新利賀山房でご覧になられる、その意味で「幸運な」方はどうぞ期待してお待ちください。

 私はエサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルによるバーナード・ハーマン映画音楽集CDに収められた『めまい』の音楽をかけて、今日の余韻を楽しみながら、花火までの時間を過ごすことと致します。

(shin)

【*註】この『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(山田宏一・蓮實重彦訳:1981・晶文社)という本には、ヒッチコックがイギリスから移り住んだアメリカにおいて、偉大な「映画作家」と看做されることなく、単なるサスペンス映画の「職人」として不当に低く評価されてきたことを看過できなかったフランスのトリュフォーが、「映画作家」としてのヒッチコックの真価、その凄さをアメリカに逆輸入・再評価させるための「教育」或いは「啓蒙」の書として企画されたものという側面もあります。
 また、ヒッチコックの『めまい』(1958)に関しても、現在では映画史に残る名作の呼び声を欲しいままにしていますが、公開当時は興行的な成功を収めることがなかっただけでなく、同作に対する評価が真に高まりを見せるのも後年になってのことです。 (shin)