「黒部シアター2025春」でのNoism Company Niigata『めまい − 死者の中から』を、5月17日(土)、18日(日)の両日鑑賞した。
昨年8月「SCOT SUMMER SEASON 2024」での初演時、アルフレッド・ヒッチコックの大傑作映画や、ボアロー&ナルスジャックによる原作『死者の中から』に基づく金森穣演出と舞踊家達の気迫が、新利賀山房の漆黒の空間に炸裂し圧倒されたことは記憶に新しい。先日、りゅーとぴあ・スタジオBで開催された活動支援会員向けリハーサルでの通し稽古では、会場となる前沢ガーデン野外ステージを想定しての空間を広々と使った構成の変化や、バーナード・ハーマンの楽曲と舞踊とのシンクロの深化、更に「探偵」役・糸川祐希さんの表情・身振りの躍進に唸り、リハーサル後にバッタリ遭遇した金森さんに感想を伝えたところ、嬉しげに「金森作品は何度も観てもらうことで理解が深まりますから」と返してくれたものだ。
今回の黒部シアター公演は、当初雨天が予想され、刻々と変化する天気予報を直前まで追い続けたが、両日共に雨は降ることなく、安堵する思いだった。18日(日)も、16時発の会場行きシャトルバスに乗り込み、開演までの約2時間半を胸高鳴らせつつ過ごした。前沢ガーデンゲストハウスでは、金森さんが旧知と思しき方々と歓談しており、私もご挨拶。更に鈴木忠志氏始めSCOTメンバー、浅海侑加さんや準メンバー、金森さんのご両親もお見かけした。ゲストハウス二階のSCOTに関する展示コーナーでは、23・24年のNoism公演全編が上映されており、改めて前沢ガーデン野外ステージを活かしきった舞踊作品の凄みに気付かされる。
19時の開演直前、利賀新山房では板付きだった井関佐和子さんの「女優」が舞台下手から登場し、虚無とも蠱惑的とも見える表情で中空を見つめる。その視線を見つめ返すことに恐ろしささえ覚えつつ、定刻に舞台は始まった。
「女優」と「亡霊」、横暴な「男Ⅰ」・「男Ⅱ」、「双子」、更に分裂する机や椅子。いくつもの「相似」するイメージに加え、野外ステージ背後の小高い丘を照らす紫の照明と、幻のようにその頂から現れる「亡霊」には、彼岸の光景が現前に現出するようで、感涙を禁じ得なかった。舞踊家の身体とバーナード・ハーマンの楽曲、小道具、照明がピシリと噛み合う舞台には、ヒッチコック作品冒頭のソール・バスによるタイトルバックにも通じる洗練を感じ、ため息さえ漏れた。
関東から来られたNoismファンの方々とも感想が一致したのが、舞台終盤「金髪」に妄執する「探偵」を襲うブロンドの鬘をまとった男女の場面の凄まじさだ。眼前の女性ではなく、「概念」に囚われた男の脆さを突き付けるエログロを視覚化する金森演出に、初期Noism作品の性と暴力のニュアンスを懐かしく想起させられた。
照明も相まってその透き通るような白い肌から醸されるエロスと、妖艶と冷徹を自在に往来する表情で、「男から求められるものを演じる女優」を体現しきる井関佐和子さんに魅了されたのは勿論だが、やはり糸川祐希さんの「探偵」の迫真は今回の公演の収穫だろう。堂々と井関さんに対峙しつつ、終盤「事の真相」が明かされた後の後悔・憤り・慟哭を全身で表現する糸川さんの演技には思わず落涙した。
18日(日)公演では、これまで「亡霊」(映画版のカルロッタ)を演じてきた三好綾音さんに代わって、兼述育見さんがダブルキャストで登場したが、三好さんとはまた違う伸びやかさと儚さで、冥界の存在を見せていた。
改めて思うのは人間の心の闇や脆さを直視し、芸術作品に昇華仕切るNoismと金森穣作品の得難さだ。社会に厳然としてある「不条理」を無きことにし、「明快さ」だけを求める現代社会に疲弊している者は、筆者だけではないだろう。人間の底知れない暗部を苛烈なまでに見つめ、其処に美と光明を見出す芸術の力に、生きる糧を与えられるようであった。
終演後、舞台に立った金森さんは「今日も空席が目立ったのは、私の未熟さ。見巧者とされる人から評価を得ても、それがより広く届かないことは課題」としつつも、師匠・鈴木忠志氏のSCOTや黒部シアターへの敬意、今年10月のスロベニア公演など「世界へ向けた闘い」を力強く語り、大きな拍手が巻き起こった。
これからの利賀や黒部での公演は勿論、Noismの「闘い」を応援し続ける為に、観客である私もまた新たな闘志を授けられたように思う。

久志田 渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、「安吾の会」事務局長、舞踊家・井関佐和子を応援する会「さわさわ会」役員)