狂える集団に対峙する「正気」という狂気(「黒部シアター春2026」2日目)(サポーター 公演感想)

富山県黒部市前沢ガーデン「黒部シアター」でのNoism野外公演も、4年目となった。5月30・31日の『春の祭典』は、両日とも魚津市に宿泊のうえ鑑賞した。31日は歌舞伎観劇時にもお会いする方始め関東からのNoism応援勢の方々に同行し、扇状地の高低差を活用した「釈泉寺円筒分水槽」「東山円筒分水槽」や、滑川港からの富山湾クルーズなど富山の自然と地形を浴びてから、二日目の鑑賞に臨んだ。夕刻となって雲ひとつ無い快晴となった前沢ガーデン。16時頃入場整理券待ちをしていると、ガーデンハウス玄関に現れた金森穣さんに手を振っていただき、「これから御大が来られるんだよ」と教えられる。金森さんが師と仰ぐSCOT鈴木忠志氏と団員の皆さん、前沢ガーデンハウスを所有するYKKの方々、『鬼』や『still / speed / silence』などの金森作品の音楽を手がけた原田敬子さんをお見かけしつつ、盛夏を思わせる暑さの中で開演を待った。


19時定刻、円形劇場に能を思わせる摺足で井関佐和子さんが音も無く現れてからの、序曲『Zodiac 1~5』のNoism的なる支配と被支配の黒い喜劇と人形振り、間髪入れずに始まる『春の祭典』の圧倒的な狂える美に至る50分間。新潟での6月末からの改訂版『春の祭典』公演を控えるため核心には触れないが、コロナ禍中に創作された金森版『春の祭典』初演・再演時にあった人間たちの狂騒さえ呑み込む人智を超えた存在への「畏れ」は、本作では全く異なる「人の集団」そのものや、今の世界を覆う全体主義・ファシズム・国家という暴力装置への「恐れ」と「抵抗」の物語として、力強い変容を遂げたように思える。狂える集団の同調圧力の中で、「正気を保つ」ことこそ「狂気」ととられることを体現するような井関佐和子さんの裂帛の気合こもる舞踊は勿論、初演時に井関さんが演じたパート含め表情豊かに舞台を駆ける現Noismメンバーの躍進に幾度も涙が溢れた。太田菜月さん演じる「生贄」が取る行動の残酷さ・脆さ・狂気こそ、私たちが生きる人間社会の酷薄なる象徴であり、それでも尚孤立を恐れずに「個の自由」の為に舞うかのような井関さんの凄烈なる表情に打ちのめされた。
前沢ガーデン野外劇場でしか実現できない終幕の、神がかり的な自然と照明が織りなす背筋が凍るほどの美含め、ここまでの彼岸に観る者を運ぶNoismという「集団」が持つ、肯定的な意味での「狂気」と「献身」にも思いを馳せずにはいられなかった。
6月末からの改訂版『春の祭典』で、また私たち観客の想像を遥かに超えたものを金森さんとメンバーが届けてくれるだろう予感に震えつつ、美しい満月に照らされた前沢ガーデンを後にした。

久志田渉(「月刊ウインド」編集部)

「日本」を飛び越える普遍性(『かぐや姫』5/5ソワレ)(サポーター 公演感想)

5月5日(火・祝)、東京バレエ団『かぐや姫』再演の為、東京へ駆けつけた。東京行きを決めたのは直近だったが、夜の部(18時半から)の「パリ・オペラ座公演記念応援シート」席を確保出来た。5月6日をもって長期休館に入る東京文化会館でNoism『Mirroring Memories―それは尊き光のごとく』(18年)を繰り返し観、合間に本郷台地の坂道を歩き倒したことを思い返しつつ、当時のNoism「活動継続」問題と今目の前にある金森穣さんの去就を巡る現実、また「国立劇場」問題にも通ずるこの国の文化軽視・利益至上の風潮を嘆かずにはいられなかった(公演前の東京文化会館前で反戦サイレントスタンディングを開催された方々をお見かけし、「何かプラカードを持ってくれば良かった」と思いつつ)。

夜の部公演前の17時50分からは、金森さんによるプレトークが開催された。『かぐや姫』に当て書きされたかのようなドビュッシーの楽曲に至るまでに多くの日本人作曲家の作品を聴いたこと、「最初はお見合いのようだったけれど、今は専属振付家になった気持ちでいます」と語る東京バレエ団(東バ)との創作、専用スタジオを複数要する東バの環境、舞台美術・衣装など要素を削ぎ落とし、手を加え続けてきた金森版『かぐや姫』の創作過程(この日の昼の部を観て、「あぁ、ここも変えたいけど夜の部には間に合わない」)についてなど。そして、今年末のイタリアでの『かぐや姫』一幕、来年のパリでの全幕公演については、「本当に楽しみ。いつかオーケストラ付き公演も実現したい。その為にも皆さん、今、応援してください」と強調しつつ、「5階席の方も見えますね。最前列の方も5階席の方もこの場で舞台を体験したことは心に刻まれるはず。それこそが舞台芸術の一回性」と語る金森さんの伸びやかな芸術観が印象深かった。

夜の部でかぐや姫を演じたのは足立真里亜さん。21年の第一幕初演時にその溌剌たる姿に心惹かれたが、やっと足立さんによる三幕通しての舞台を観ることが出来た。全身でこの世界を跳躍するような姫に振りかかる男性社会の歪み、奪われる愛(道児と重ね合う手の振りや、抱きしめることの意味の変容)、無常の連鎖の末の「声なき絶叫」、その先にある「無」の非情な救済。幾度となく落涙しつつ、確信に至ったのは、「日本最古の物語」に基づく「国産バレエ」を謳いつつ、金森さんが本作で到達したものは「日本」など軽々と飛び越えて、この世界何処にもある孤独な魂や、権力に尊厳を奪われた人々を包み込む、圧倒的な「普遍性」ではないかと思い至る。日本的情緒を削ぎ落とすように、磨き抜かれていった衣装・装置・振付の無機質でさえある美にこそ、この世に生を受けたあらゆる人々がその思いを仮託できる「余白」が生まれたと思えるのだ。「救いがないことこそ救い」という坂口安吾言うところの「人間の絶対的孤独」と金森さんとの共振を感じたのは、Noismによる安吾作品『私は海をだきしめていたい』舞踊化を控えていることからの牽強付会かもしれないが。

パリ公演に向けて金森さんがこの豊かな余白を、更に拡げていくであろう期待を覚えつつ、幾度も繰り返されたカーテンコールでは汗だくになりながら声援を送った。

(久志田渉 「月刊ウインド」編集部)
(photo by fullmoon)

SCOTサマー・シーズン2025『マレビトの歌』活動支援会員/メディア向け公開リハーサル、身じろぎすら憚られた57分間♪

2025年8月9日(土)の新潟市は、折しも新潟まつりの2日目ということもあり、街にも人にも華やぎが感じられ、祭りばかりが理由ではないのでしょうが、白山公園駐車場も満車状態。近くの駐車場にまわって、車を駐車して、りゅーとぴあを目指し、12時からの『マレビトの歌』の公開リハーサルを観て来ました。

この日の公開リハーサルでは、鈴木忠志さん率いるSCOTの50周年目という記念すべきタイミングで開催される「SCOTサマー・シーズン2025」において、8/29(金)~31(日)の3日間上演される『マレビトの歌』を通しで見せて貰いました。会場はりゅーとぴあ〈スタジオB〉。その正面奥の壁に掛けられた時計での実測57分間は、ぴんと張り詰めた空気感でのしかかってきて、身じろぎひとつさえ憚られるほどの強烈な圧に満ちた時間でした。

月末の利賀村での3公演の舞台は、富山県利賀村芸術公演の新利賀山房。そこは闇と幾本もの太い柱が統べる合掌造りの劇場空間であり、その印象的な柱を模した「装置」が目に飛び込んでくるなかでのリハーサル(通し稽古)でした。

今回の衣裳は全て黒。『Fratres』シリーズで見てきたものです。その点では、2023年5月の『セレネ、あるいはマレビトの歌』とは異なります。

正午ちょうど、金森さんが「いきましょうか」と発して始まった実測57分間は、私に関して言えば、2年少し前に『セレネ、あるいはマレビトの歌』として観た記憶などちっとも召喚されることもなしに、「これ、前に観たのと同じ?違うんじゃない?」とばかり、ただただ新しい視覚体験として、息をのみながら見詰めるのみでした。自らの情けないくらい頼りなく覚束ない記憶力に呆れつつ、新作を目の前にするかのように目を凝らして…。

12:57、金森さんの「OK!」の声が耳に届くと、壁に沿った椅子に腰掛けて見詰めていた者たちから、汗を迸らせて踊り切り、上手(かみて)側の壁際へとはけた舞踊家たちに対して大きな拍手が送られました。

すると、私たちに向き合うかたちに椅子を移動させた金森さんから、「お盆には相応しいかも。亡き祖先への思いだったり」という思いがけない言葉が発せられると、息をつめて見詰めた者もみな緊張感から解放されて、漸く和むことになりました。

「何か訊きたいことがあれば、どうぞ」金森さんがそう言うので、途中、東洋風の響きに聞こえるものさえ含まれていた使用曲について尋ねると、全てアルヴォ・ペルトの曲で統一されているとのお答えでした。

恐らく、Noismレパートリーのオープンクラス受講者だったのだろう若い女性が、『ボレロ』の振りと似ていると思ったとの感想を口にすると、金森さんは、「若い頃は色々な振りを入れようとしたりするものだが、齢を重ねてくると、目指す身体性や美的身体が定まってくる」と説明してくれましたし、フード付きの衣裳は視界が狭くて踊り難いのではないかとの質問に対しては、「能の面に開いた穴などもほとんど見えないくらいのものだが、日々の鍛錬によって空間認識が出来てくる」と教えてくれた金森さんに、すかさず、井関さんが「最初の頃は結構、柱が倒れていた」とユーモラスに付け加えてくれたりもして、笑い声とともに公開リハーサルは締め括られていきました。

ここからは、以前に当ブログにアップした記事の紹介をさせていただきます。必要に応じて、お読み頂けたらと思います。

まずは、自家用車を運転しての利賀村芸術公園入りを考えておられる向きに対するアクセスのアドバイスになれば、ということで、(昨年8月に『めまい』を観に行ったときのものですが、)こちらをどうぞ。
 → 「SCOT SUMMER SEASON 2024」、新利賀山房にて『めまい ~死者の中から』初日を愉しむ♪(2024/8/25)

そして、2023年5月の『セレネ、あるいはマレビトの歌』に関するリンク(4つ)となります。
 → 驚嘆!『セレネ、あるいはマレビトの歌』公開リハーサル!!(2023/5/11)
 → 控え目に言って「天人合一」を体感する舞台!「黒部シアター2023 春」の『セレネ、あるいはマレビトの歌』初日(サポーター 公演感想)(2023/5/21)
 → Noismの現到達点たる『セレネ、あるいはマレビトの歌』、その夢幻(サポーター 公演感想)(2023/5/22)
 → 「黒部シアター2023 春」前沢ガーデン野外ステージでの「稀有な体験」が語らしめたインスタライヴ♪(2023/5/24)

お盆を前にして、貴重な晴天だったこの日の夕方、金森さんの言葉とは逆になりますが、私は『マレビトの歌』のリハを思い出しながら、父と祖母が眠るお墓の掃除をしていました。汗だくになり、もう目に入って痛いのなんの。数時間前に心を鷲掴みにされた舞踊家たちの身体を流れた多量の汗には遠く及びませんでしたけれど、それでも同じ57分間はやろうと決めて…。(個人的過ぎる蛇足、失礼しました。)

あの実測57分間は本当に衝撃でした。利賀でご覧になられる方が羨ましいです。それくらい、『マレビトの歌』公開リハーサル、圧倒的でした。

(shin)
(photos by aqua & shin)

速報!2/7のNoism「円環」埼玉公演初日について(サポーター 公演感想)

彩の国さいたま芸術劇場でのNoism「円環」初日公演に行ってきました。

劇場に向かう埼京線が少し遅れていて、駅から劇場までは周りの方たちと同様に早足で向かいました。

心配していたお客さんの入りも上々で(Noismの皆さんは満席を目指しているのでしょうが)、トリプルビルそれぞれの実演も素晴らしく、お客さんの反応もとても良かったです。

私もそれぞれの演目に新しい発見や感動があり、全く飽きることがありません。特に『宙吊りの庭』については、これまでクール系と感じていたのですが、激アツな作品であることに(今さらですが)気づきました。金森さんもこのメンバーとのクリエーションが嬉しかったのでしょうね!

明日、あさっての公演も楽しみです!

『Singing Daxophone』のCD、購入しました!

(かずぼ)

「膳所から世界へ!」「新潟から世界へ!」Noism「円環」びわ湖ホール公演(サポーター 公演感想)

2月1日、滋賀県のびわ湖ホールで開催されたNoism「円環」びわ湖公演へ行ってきました。

びわ湖ホールはもとより、滋賀県自体訪れるのは初めてでしたが、事前に大津が舞台の 『成瀬は天下を取りに行く』『成瀬は信じた道を行く』(宮島未奈 著)を読んでいたのもあり、聖地巡礼の気分で街中を散策しました。

「膳所から世界へ!」と「新潟から世界へ!」、志は一緒です!

ホールまでは琵琶湖沿いを散策しながら向かいました。あいにくの曇天でしたが、人もゆったり鳥もゆったりで、心地よい時間が流れていました。

びわ湖ホールでのNoism「円環」公演でも同様で、これまで訪れた関西の劇場とはやや印象が異なり、客席はみんな落ち着いた雰囲気ながらも温かく、思い思いに公演を楽しんでいる印象がありました。

Noism「円環」のトリプル・ビルのそれぞれの印象を簡単に述べますと、
『過ぎゆく時の中で』はNoism1メンバーの疾走感が気持ち良いのと、金森さんの歩き方が非常に印象に残ります。
『にんげんしかく』は決められた振付以外の部分を各メンバーがより工夫したのか、更に魅力的になっていました。
『宙吊りの庭』はダンスでもあり無言劇のようでもあり、個性を獲得したベテランダンサーの表現力に圧倒されました。

各演目とも終演後の拍手のタイミングが絶妙で(実はツアーで各地を訪れる際に少し緊張するシーンでもあります)、びわ湖ホールの観客は素晴らしいな、と改めて思いました。

蛇足ですが、『にんげんしかく』で恒例の、樋浦さんがポケットから取り出すシーンですが、びわ湖ホールでは意外なものが出てきました。さて、埼玉公演では何が出てくるのでしょうか?こちらも楽しみに待ちたいと思います。

『過ぎゆく時の中で』ではダンサーが「飛び出し坊や」の如く飛び出してきます!

(かずぼ)