「Noism2 定期公演vol.16」活動支援会員/メディア向け公開リハーサル&囲み取材に行ってきました♪

2025年2月28日(金)、りゅーとぴあに向かうのに、考えなしにセーターを着てダウンコートを羽織ろうしたところ、連れ合いからダメ出し一発。この日は新潟県も「4月中旬の気温」となるということで、少し薄めのものに変えて、「Noism2 定期公演vol.16」活動支援会員/メディア向け公開リハーサル&囲み取材に行ってきました。

予定時刻の12:30、〈スタジオB〉にて、中尾洸太さん演出振付の『It walks by night』のクリエイション風景から公開リハーサルは始まりました。ホワイエで待っている間から耳に入ってきていたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のあの最も知られた旋律が流れる場面を中心に、クリエイションの様子を見せて貰いました。中央奥にとても象徴的な木製の扉。Noism2メンバー9人のうち、ひとりだけ黒い帽子にベージュのステンカラーコートを纏っています。

「タータァタタタータターター、パッ」旋律を歌い、「1234、56」カウントを数え、自ら汗をしたたらせながら踊って、振りとそのイメージを伝えていく中尾さん。この日、私たちの目の前でじっくり時間をかけていた回転の振り。「足、そして手首、身体の順」(中尾さん)に動きが伝わっていき、2本の腕が纏わり付くかたちで身体を捩らすような複雑な回転にはブラッシュアップが続きました。チャイコフスキーの旋律にのせて、中尾さんのロマンがどのように可視化されていくのか、楽しみでなりません。

13:00、次いで今度は樋浦瞳さん『とぎれとぎれに』からの一場面を見せて貰う番です。こちらの作品、まず最初に大きな白い紙が運び込まれて敷かれていったところから、既に何やら独特な世界観が漂ってきました。音楽も、先刻までの中尾さんがメロディアスだったのに対して、ざらつくノイズ然としていたり、機械的だったり、ビート音だったり、全く別の趣のもの(原摩利彦)です。で、それに合わせた振りはやはりソリッドなもので、ところどころ、『R.O.O.M.』や『NINA』を想起させる動きも見出せるように思いました。

「一回、紙から逃げてみて、でも戻っていく感じ」とか「倒れた直希(=与儀直希さん)に、自分の吐く呼吸を入れていくみたいな」「もっと持ち上げるような感じで」とかと丁寧にイメージを伝えていく樋浦さん。Noism2メンバーの9つの身体と一緒になって、私たちをどこへ連れて行き、どんな世界を見せてくれるのでしょうか。興味が掻き立てられました。

上演3作品の使用楽曲です。

13:30、ホワイエにて囲み取材が始まり、地域活動部門芸術監督・山田勇気さんと今回、演出振付作品を発表するNoism1・中尾洸太さん、樋浦瞳さんがそれぞれ質問に答えるかたちでたっぷり話してくださいました。以下に、かいつまんでご紹介します。

Q・今回の作品のテーマ、伝えたいもの。
 -A・中尾洸太さん(『It walks by night』): 一番のテーマは「選択」「チョイス」。同年代(20代前半)の振付家と舞踊家のクリエイションは珍しい機会。同年代の観客層に届けたい思いもある。人生のなかで、何かを選択することを恐れないこと。そのときには誰かがまわりにいて、ひとりじゃないということ。まわりの人がいるからこそ、様々な感情が生まれること。それらを再認識するなかで、この先の自分の選択を噛み締めていけるような、未来に繋がる作品になればいい。
 -A・樋浦瞳さん(『とぎれとぎれに』): 自分が、人が、生命体が生まれてくる前にはどのような光景が広がっているのだろうという疑問から創作を始めた。「舞踊」という芸術は舞踊家が踊るその時間のなかにしか持続はない。その時間とその身体でしか起こることが出来ないもの。生命にも舞踊にも終わりは来るが、途切れたあとも繋がっていくものがきっとある筈だという思いを主軸に創作した。一人ひとりがその身体を持っていることを喜べるきっかけになったら嬉しい。「紙」については、舞踊作品の一回性を作品のなかでより顕著に表したかった。その「紙」に舞踊家たちが集まってきての始まりは、生命の源、「泉」のようなイメージによるもの。今の舞踊界で、このような時間と場所と舞踊家を得て創作出来るのは奇跡的なこと。この環境だからこそ出来ることを追求していきたい。
 -A・山田勇気さん: 【①金森さんの『火の鳥』について】: 金森さんが初めてNoism2のために作った作品で、2011年に初演、これまで5回ほど再演している。 メッセージ性がシンプルで強く、踊る者にとっても「登竜門」のようでもあり、これを越えることで成長できる、或いは、成長しなければ成立しない「強い」作品。これは生き残る作品であり、後世に伝えていくべき作品。これを通過する色々な舞踊家を見て欲しい。ある種、伝統になればいい、という思いもあって選んだ。
【②中尾さん・樋浦さん作品について】: レパートリーを踊るとなると、自分の選択をために振り付けられたものではないため、「踊ってみた」みたいに踊ってしまうことも起こり得るもの。そうした点から、相互に影響を与え合い、主体的に考えないければならないクリエイティヴな場所を設けることでカンパニーとして成長することを期している。若い振付家にがっぷり四つで組んで格闘して貰って、そのなかで何か新しいものが生まれることを期待して、ふたりにお願いした。作品自体がゼロから始まる、「教える-教わる」関係を一旦離れた場所と考えた。

Q・一公演で同時にふたりが演出振付することについて。
 -A(山田さん):
 ふたりも刺激し合っているが、一番は、プロの振付家の現実問題として、時間の割合が大変なこと、そうした制約があるということがある。与えられたもの、限られたもののなかでベストを尽くすこと。メンバーは3つの作品を踊る、『アルルの女』のリハーサルも行っている、そうした同時進行状況のなかで、如何にフォーカスしてやっていくかは難しいことだが、やらなければならないこと。
現役メンバーに振付家としての依頼をすることには、Noismというカンパニーに属し、ひとつの「言語」のようなものを共有する者が、その中から如何にして「自由」を獲得していくかは大切なことと考える。自分たちが今ここで作っている身体性にどれだけの普遍性があるかは、そのなかで何かを作ることでしか分からないものがある。
また、次世代の振付家を輩出することはレジデンシャルカンパニーにとって大切なことでもある。

Q・【中尾さんに】タイトルは(ジョン・ディクスン・カーの)推理小説と同名。具体的なストーリーをイメージしているのか。
 -A(中尾さん):
 ストーリー・テリングはしない。(使う)曲毎に詩を書いていて、その自分が想像したこと(詩)と音楽、それを社会(観客)とどう繋げていくかを意識している。振付家と舞踊家と観客のトライアングルが綺麗に揃っていないと良い瞬間は生まれない。この時代に簡単に溶け出してしまわない作品を残したい、その時間を提供したい。
観客が観に来ることも選択なら、自分たちが本番中に振りを踊るのもひとつの選択であり、既存のものをただ舞台にのせているのではない。研修生カンパニーであることから、自分たちの葛藤と闘っていて、身近に重い選択を控えている。それは舞台に出て来る。自分たちのベストを尽くした作品で観客に真っ向から立ち向かう時間を作りたい。それら全てが「選択」。タイトルは語り過ぎず、抽象的な感じで、意味を込め過ぎない、ふわっとしたものである。

Q・選曲理由は。
 -A(中尾さん):
 チャイコフスキーがどう亡くなったか知っていたので、「選択」「チョイス」は常に頭にあった。「悲愴」はチャイコフスキー最後の交響曲であり、哲学的思想が詰め込まれている。自分が振付家として彼の音楽と闘うのと同時に、舞踊家と一緒に、彼の音楽を通して、社会になにか普遍的なものを提供出来るのではないかと思った。
 -A(樋浦さん): 自分がそれらを聴いているときに、彼女たちが世界を繰り広げている様子を想像出来たこと。音がなくなる瞬間があったり、メロディー自体が存在しなかったりするが、その空間のなかに舞踊家がいることで、音楽と身体とが相互補完的だったり、相乗効果が生まれたらよいと。それが音楽と舞踊家との関係性として目指していること。

Q・この3作品での公演に関して。
 -A(山田さん):
 ヴァラエティ豊かで、楽しんで貰える。3つの全然違う作品にNoism2の舞踊家がどう取り組んで、そこで生きるのか。若い身体、若い思い、若い精神からしか出て来ないエネルギーを是非感じて欲しい。3作品が合わさったときに、彼女たちの表情とか輪郭とかが見えてくるのかもしれないと期待している。(13:55囲み取材終了)

…というところをもちまして、公開リハーサル&囲み取材の報告とさせて頂きます。

色々な意味合いで、とても興味深い「Noism2 定期公演vol.16」は3月8日(土)と9日(日)の2 days。只今、チケットは好評発売中です。若き舞踊家9人が格闘する3作品、そこに漲るエネルギーを全身で受け止めてください。

更に、8日の終演後には、この日の囲み取材時と同じ、山田さん、中尾さん、樋浦さんが登壇してのアフタートークも予定されています。(9日のチケットをお持ちの方も参加出来ます。)作品が生まれる現場により一層コミットしてみる機会です。楽しくない筈がありません。ご検討ください。

【追記】現在、発行されている「Culture Niigata」最新号(2025.03-05、vol.122)に、今回、振付家として創作している樋浦瞳さんが取り上げられています(表紙およびインタビュー記事)。加えて、昨年11月「新潟県文化祭2024『こども文化芸術体験ステージ』」(@十日町市・段十ろう)に登場し、『火の鳥』と『砕波』を披露したNoism2についても掲載されています。同誌は無料。りゅーとぴあにも置かれていますので、是非、お手にとってご覧ください。

(photos by fullmoon & shin)

(shin)

2025年2月23日はトークイべント日和(その1):井関佐和子さん講演会(新潟県女子体育連盟主催)

2025年2月23日(日祝)はNoism関連のトークイベント日和でした。先ずは、「その1」として、11時より、新潟市西区にある新潟清心女子中学・高等学校のノートルダムホール2Fを会場に開催された井関さんの講演会、「新潟から世界へ! Noism Company Niigataの挑戦」(新潟県女子体育連盟主催)のご報告です。

この日は悪天候の予報が出ていたために、対面での参加とZoomによる参加のハイブリッド開催となりました。私は諸々の事情からZoomでのリモート参加をさせて頂きました。

Noism発足当時と現在の様子、この20年間の歩み(数々の受賞と受章の足跡、そして『夏の名残のバラ』、鼓童とのコラボ『鬼』、『Amomentof』の動画が紹介されました。)等が駆け足で触れられた後、司会の方とやりとりするかたちで、この日の講演会は進んでいきました。ここではかいつまんで、井関さんのお話しのご紹介を試みます。

*「新潟から世界へ」、井関さんの思い: 具体的な「新潟」と抽象的な「世界」。そのふたつを舞踊で橋渡しする意味合いも込められているように思っている。

*ポテンシャルのある劇場は全国各地に存在するものの、Noismに続くものがなく、この20年間ずっと新潟だけ唯一という状況に、設立当時の「大きな夢」は、今はちょっと淋しいものになってしまっている。 

*新潟で続いている20年間: 「新潟の方々が変わっているから」。作品づくりと自分たちの身体を磨くことだけに向き合っている姿を面白いと思ってくれる「新潟の方々は特別なんじゃないですか」。真っ直ぐ向き合っていくことでしかない。大衆受けはしないだろうだけに、有難い。

*よく「文化・芸術」というふうに一括りにされがちだが、「文化」は民族(地域・集団)のものであるのに対して、「芸術」はそれを超えたものであって、そこを目指さなければならない、自分たちがやっているのはそれだと信じてやっている。

*海外公演: 15年前、ブラジルでの3日間の公演には驚いた。2000人収容の大きな劇場が、初日はガラガラだったが、口コミで、3日目には満席になった。信じられなかった。思いは、「行きたい」というよりは、「来て欲しい」と言われるようになりたい。基本的に「呼んで貰える」ことで行っている。但し、最近は、どの国も「自国ファースト」になっていて、招聘を巡る状況は大きく変貌している。

*地方公演: 文化の違いが客席に出てきている。空気が違う。地方で色々な文化に触れたい思いがある。

*3歳で踊り始め、雑誌で海外のダンサーを見て、15歳頃に海外へ行くと決めていた。16歳で海外へ行き、19歳でプロとして活動し始める。その後、日本に帰ってきたタイミングで、Noismという舞踊団の設立に立ち会える滅多にない機会ということに惹かれて入った。
*20代の頃、周りにライバルがいなくなったと感じて、Noismを辞めようと思ったこともあったが、「ものの見方を変えること」を学んだことで、辞めずに済んだ。「ものの見方を変えること」で関係性は変わることに気付いた。
*悩みで言えば、30代には子どもをもつことを巡っての葛藤もあり、揺れ動いたが、仕事はどんどん入ってきて、時間がどんどん過ぎていった。結局は、自分が今どうであるかということ。今は楽しい。
*40代になり、舞踊家として一番面白い時期に入ってきたように思う。(欧州のダンサーには年金が出る年齢。)ある意味、節目。一旦、ゼロに戻そう、自分の考え方を疑い、自分の身体と向き合おうと思った。パーソナルトレーナーに外から見て貰っている身体は今が一番調子がいい。→50歳が全盛期、と常々言っている。
*食事: グルテンフリーを始めて10年くらいになる。明らかに身体が変わった。野菜と肉はよく食べる。舞踊家としては適正体重(と適正エネルギー)を把握することは重要。

*現代の子どもたちに必要だと思うこと: 価値観が違うことを痛感する。主体的になって欲しいが、「主体性」と「好き勝手」は違う。自分が考える「主体性」は物事を客観視できること。相手や自分をちゃんと掴んだうえで、どう考えるかが「主体性」。自分の考えを明らかにするのだが、それは一方通行ではない。他者との関わりのなかでしか人は生きていないのだから。その関係性をどう考えるかが「主体性」。
*欧州にいたとき、何故、彼らは主体的にいられたりしたのか。劇場に行ったり、抽象的なものを見てきているから。小さい頃から「どういうふうに感じた?」っていうのをやっている。自分が見たものをどういうふうに言語化していくかというトレーニングを子どもの頃からやることの重要性。

*今後の夢・目標: 舞踊家としてはまだまだ上へ行きたい。自分の知らない自分と出会いたい。もっともっと知りたい。もっと勉強したい。もっと吸収したい。それは若手を育てることと繋がっているように感じられている。自分の背中を見せたい思い。

Q1・新潟の人たちに感じること
 -A1: 内側は熱くてもあまり表に出さない人が多い。外に出してくれると、Noismがもう少し浸透するんじゃないかと。街で出会っても、声をかけてくれない人が多い印象。自分たちは普段は一人の人間として、普通の生活をしている。それがスタジオに籠もって創作をしている。声をかけて貰えるのは嬉しい。


Q2・(1)『アルルの女』の創作はどんなふうに始まっているか。(2)『BOLERO』はまたすっかり変わったものになるのか。
 -A2(2): 『BOLERO』は新潟と東京でやったものと同じものだが、最新ヴァージョン。 劇場でやるので、少し作り変えるところがある。構成的には同じものだが、全然違うものになる・
 -A2(1): 『アルルの女』は今、絶賛創作中。バレエでは昔、ひとり欧州の振付家が作ったことがあるだけで、後は作られていない。原作は『アルルの女』のタイトルながらも、「アルルの女」は登場せず、「アルルの女」に取り憑かれた男性のお話し。それを「家族」という視点で表現していく。創作の過程で、シーンを沢山作っているが、即なくなったりする。それは観客に届けるために最善のものにするため。

Q3・設立からの20年間、物凄く苦しかった筈。試行錯誤も経て、真の金森さん・井関さんの舞台が展開されるようになり、「新潟のNoism」になったように思う。長く在籍する方は何年くらいか。「安定」ということと絡めて訊きたい。
 -A3: 辞めていくメンバーに金森さんが陰で涙を流すようなこともあった。最長のメンバーは10年がふたりくらい。金森さん、以前は芸術監督であり、振付家でありということで、メンバーとしても金森さんとしても難しいことが多く、意思疎通に難しい側面もあった。現在は、井関さん(国際活動部門芸術監督)と山田さん(地域活動部門芸術監督)が間に入ることで辞めるメンバーが少なくなった。1年に1回の契約トーク(2月)では、先ず、井関さんが彼らの意向を書面で聞き、次いで、複数(山田さんとか、金森さんとかと)で面接し、自分たちがどう考えているかの話をする。「変わらない子は変わらない」ので、そのへんは結構シビアに言う。人数が限られているために、ただただ増やすという訳にはいかないので気を遣う。


予定時間を延長し、80分にも及ぶ時間、とても中身の濃い、貴重なお話しをお聴きすることが出来ました。

2月23日「その1」、井関さんの講演会報告は以上とさせて頂きます。

「その2」柳都会vol.30 二代目 永島鼓山×山田勇気 へつづく)

(shin)