「Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日を観て」再掲載(2026/07/05 新潟公演千穐楽)

2026年7月5日(日)、Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』の新潟公演千穐楽。
艶めかしさが横溢するところに、シュールな要素が交錯する前者は瞬きするのさえ惜しく、見詰め過ぎたせいか、ドライアイ状態になり、後者には徹頭徹尾、音の洪水と群舞の迫力に圧し潰され、全存在を揺さ振られ、その2演目、もうこれ以上は望めないほどに分厚い時間を目いっぱい堪能し尽くしました。

新潟公演楽日のこの日、見詰める最中に私を捉えて離さなかった思いをここに書き記しておくなら、こうです。
舞台上、舞踊に献身する舞踊家という、この世のものとは思えないほどに美しい生き物を観た、と。

この日はそれが全てですし、未だネタバレは出来ない状況から書かない方がよいことだらけなのですが、前日、話に出した『私は海をだきしめたい』冒頭の「変更」の有無についてだけはお伝えしておきます。結論から言えば、前日(3日目)とまるっきり同じではありませんでしたが、かと言って、全くの別物でもなく、「新潟version2b」くらいの表記が相応しいものだったように思います。果たして、埼玉公演ではどうなるのでしょうか。とても興味をそそられるものがあります。

この日、新潟公演千穐楽の舞台を目撃し、このブログを書くにあたって、現時点で、書き得ることはほぼ全て、初日に、新潟・市民映画館 シネ・ウインドさんから依頼を受けてものした拙稿のなかに書き尽くしています。(全公演が終わったときには、書きたいことはありますが。)
そこで、シネ・ウインドさんの許可を得て、ここにその文章を、一切の改稿を行わず、体裁もそのままにこのブログにも再掲載させて頂きます。
私個人の思いに過ぎない文章ではありますが、読まれた皆さまが、3週間後、埼玉公演を観る選択をして頂くために、少しでも背中を押すことに繋がれば、そう願う気持ちがあります。
実にイレギュラーなことで、既に読まれた方もいらっしゃるかとは思いますが、是非、このタイミングでもお読み頂きたく、ここに再掲載致します。

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Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日を観て

 2026年6月27日、Noism夏公演の初日の舞台を観てきた。渾身の2演目には徹頭徹尾、圧倒され通しだった。同時に、新潟市民としてシビックプライドをかき立てられずにはいられない「公共劇場専属舞踊団」という在り方でのNoismを観る機会がこれを含めて3回になってしまったことを残念に思う気持ちもある。今回も物凄い舞台を目撃したからである。


 印象的な赤と黒、静謐なタブローを思わせる『私は海をだきしめていたい』。官能的でいて、パリのエスプリ要素やアラン・レネ『去年マリエンバードで』のような不条理も香しい。休憩を挟んだ後は、情動を煽りたてて止まない激烈な改訂版『春の祭典』。神経症的不安が募る季節、「木の芽どき」としての「春」に身の毛もよだつ思いはどんどん加速していった。そんな静と動、真逆とも言える2演目を併せて観る公演はまさに豊穣そのものであり、贅沢なことこの上ない。
 しかし、この舞台、観終えたとき、人は、(今回もまた、)せいぜいが「良かった」「凄かった」或いは「美しかった」くらいの陳腐な言葉しか出てこないことに絶望するほかない筈である。観る者を感動にうち震わせておきながら、いざ語ろうとすると、その言葉の限界にまざまざ直面させては、絶望に苛まれることを余儀なくさせてしまう舞台、それがNoism。幾百、幾千もの言葉を費やして語ろうとも、その絶望はおおよそ変わらない。舞踊への献身のみが可能にするその境地、まさに語り得ないのである。
「自由に観てくれればよい」、金森さんは常にそう言ってくれるのだが、ことによると、その「自由」ほど厄介なものもないのかもしれない。その「自由」。「わかる/わからない」の次元とは一線を画すものなのだが、容易に言語化されたり、要約されたりしない舞台を「自由に」見詰めることが、市民への浸透という積年の課題にとってある種の障壁となっていたのかもしれないとすれば、実に皮肉なことと言えようが、それも今は別の話か。ともかく、舞踊家の身体が、言語を介することなしに、音楽と照明、限られた装置と渾然一体となって、客席にいるこちらの身体に届き、そこに共振が始まるや、そこからはもう感情は揺さぶられっ放しになり、最後には陶然となって、大きな感動に包まれている自分を見出すことになるのである。その一期一会の生々しさの体験はまさに「事件」と呼ぶに如くはなく、足を運ばぬことを選んでしまうのは実に勿体ない。


 これまで、Noismの公演時間にあって、観ることが出来るにも拘わらず、それを選ばずに、その一時間強を、それに勝る豊穣な時間にする術などついぞ思いつきもしなかったので、可能な限り、公演会場を訪れることにしてきた。足を運びさえすれば、(たとえ何度目の鑑賞であったとしても、)その都度、(その一度限りの)途方もない渾身の舞台を総身で受け止める至福にあずかることが出来るからである。そして今回、幸い、埼玉もさして遠くはないのだし、全公演を観ることが出来る僥倖を有難く噛み締めている。他の選択肢などあり得ないし、別に難儀なことなど何もない。この「語り得ぬもの」を目撃する時間が私の人生にとってかけがえのないものであると確信するからである。
今、私はNoismをだきしめていたい。  (2026/06/27)

              NoismサポーターズUnofficial 下村 伸


    (初出:新潟・市民映画館 シネ・ウインド公式サイト『新着情報』(2026/06/28)

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(shin)

「「Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日を観て」再掲載(2026/07/05 新潟公演千穐楽)」への3件のフィードバック

  1. shinさま
    ブログアップ、ありがとうございました。
    シネウィンドさんへの原稿を新潟公演の余韻と共に再度読ませていただき、溢れてくる思いを重ねさせていただいております。
    本当に素晴らしい作品と舞踊家達…
    そう心で呟いただけで、涙が溢れてくるほどに様々な感情が溢れ出てきます。
    私も…
    Noism をだきしめていたいです。

    1. aco さま
      コメント有難うございました。
      シネ・ウインドさんからの依頼がまわってきたとき、サポーターズという立場で、いい加減なものは書けないなと思いながら、
      また、特定の「いつ」とか時間を限らずに、Noismへの関心を持って貰うことが出来たら、とそんなことを思いながら書いたものでした。
      書き上げた時点で、「初日」を対象にしていながら、新潟のあと、埼玉へ繋げる空気感作りにも役立ちそうと考えて、
      再掲載の許可を得ていたものになります。
      誠にイレギュラーなかたちにはなりましたが、埼玉公演に向けて、今の私が書ける最大限の販促記事と考えております。
      この間の事情としてはそんなところです。
      (shin)

  2. shinさま
    acoさま
    ありがとうございました。
    新潟最終日、益々素晴らしかったですね✨
    埼玉公演は諸々どうなることでしょう?
    待ち遠しいです。
    (fullmoon)

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