5月というのに、季節外れの「夏」を思わせるような陽光降り注ぐ2026年5月30日(土)、その宵の「黒部シアター2026」前沢ガーデン屋外ステージで上演される『Zodiac 1~5』+改訂版『春の祭典』を観るために、朝、高速に乗って新潟市から富山県を目指しました。それは本当にカーエアコンが有難いドライヴでした。
この前沢ガーデン屋外ステージでのNoism Company Niigataは、これまで『セレネ、あるいはマレビトの歌』(2023)、『セレネ、あるいは黄昏の歌』(2024)、そして『めまい-死者の中から』(2025)と観続けてきていましたから、ここが他と違う特別な舞台であることは予め充分に知っており、そのワクワク感には半端ないものがありました。
また、今回は、悪天候や日没後の低気温に嬲られる心配もなさそうと思える予報が出ていたことで、初めて軽装備での現地入りが出来ました。


先ずはチケット片手に前沢ガーデンの総合受付に行き、16:30からの「整理番号」配布に臨みました。この日の配布は予定を少し早めて、16:20頃から始まったでしょうか。手にした「整理番号」は8番・9番。車を宮野運動公園駐車場に置いてから17:15発の(無料)シャトルバスで再び前沢ガーデンに向かいました。






そしてガーデンハウス内でサポーターズ仲間と合流して話をして過ごしていると、金森さんが通りかかったので、みんなで手を振ると、笑顔で手を振り返してくださいました。その後、金森さんは、今回の公演で登場する椅子をデザインした須永檀さんと話しておられました。(下の画像の1枚に写り込む金森さんと須永さん、わかりますか。)



整列時間(18:40)が近付き、見事な芝の斜面へ。空には移ろい表情を変える雲、そしてこれから向かう屋外ステージの方向にはうっすら茜色。このランドスケープに趣を添えてくれていて、この日の特別感は弥(いや)増す一方です。
是非とも座りたかった最前列に腰をかけて、開演を待ちます。円形舞台上に12客の椅子、12人の出演者、「Zodiac(黄道十二宮)」、…。これに先立つ公開リハーサルを見ていない者に降り注ぐ様々な「12」たち。そのときです。「あっ!」「えっ?」、その目に飛び込んできた「13?」。それは円形の舞台奥、等間隔に立てられた細い金属のトーチとそこに揺れる炎でした。確かに13本です、何度数えても、それだけ13。「えっ?」そんな疑問を抱えつつ…。
客席の誰もが、屋外にて、「自然」の掌(たなごころ)の中にあり、「人為」を離れた感覚にあったのでしょう。18:59が19:00になっていたことに気付くことのないまま、未だざわつきやガサゴソが残るなか、「自然」の連続性に、不連続な時間という「人為」が重ね書きされ、定刻19:00、井関さんが下手(しもて)側からゆっくりゆっくり舞台上に歩を進めてきます。開演のベルはありません。やや遅れてその姿に気付いた客席は静まり返っていきます。しかし、そこは「自然」の屋外、夕暮れに烏でしょうか、微かに鳴く声などは時を選びませんし、舞台を照らす足許すぐ脇の照明に集まってきては自ら身を焦がしてしまう虫たちのにおいもあります。そんななか、やはり刻々暗さを増していく「自然」の「照明」には有無を言わせないものがあります。やはり特別な舞台なのです。
この日、私にとって、初めてにして、最後(?)の『Zodiac 1~5』。5月30日ですから「双子座」にあたるこの日に観た「山羊座」「水瓶座」「魚座」「牡羊座」、そして「牡牛座」。(天文についても、ギリシャ神話についても、)浅学ですので、ただ見詰めるのみでしたが、様々な要素が盛り込まれた導入部は、私にとって「この日限り」でしたので、見逃してはならぬとやや落ち着きなく観ていたように思います。金森さんの懐の深さに圧倒されながら、もっと深い見方が出来るように、もっと色々知りたいという気持ちになりました。そしてそれは金森さんが生み出す作品の大きな魅力のひとつであることは間違いないことです。極めて良質な刺激に満ちている訳です。
そして舞台はそのまま、改訂版の『春の祭典』に移行していきます。公開リハーサルをご覧になったfullmoonさんが書いておられたように、今回の『春の祭典』は、テーマは変わらずとも、これまでのものとかなり異なっており、更に表現が磨かれ、彫琢が施された感が強くするものに仕上がっています。しかしながら、私たちには、どこからどこまでが「黒部シアター仕様」なのかはわかりませんし、6月~7月の公演時には、また違ったものが観られることでしょう。実に贅沢なことと言えます。
しかし、何を措いても、この日、私が感じたことは、「自然」と「人為」に尽きます。「黒部シアター」で上演される金森さんの作品にあっては、「獣性」が迸る瞬間が強く印象に残り、裏返せば、その点で、「聖性」も立ち上がってくる構造があると言えるかと思いますが、この日、前沢ガーデンの屋外円形ステージという、まさに「自然」と「人為」がせめぎ合う、或いは拮抗する舞台において、私には「獣性」と「聖性」とが1ミリも相反せず、同居するのが「自然」、それを二分せずにはいられないのが「人為」という感覚に強烈に襲われたのでした。
金森さんの演出振付のもと、12人の舞踊家が示した舞踊への発火せんばかりの献身。その周囲に圧倒的な趣で目に飛び込んでくるランドスケープ。目撃したのは「人為」と「自然」が高い次元で両立し得た小一時間。どちらも本物ゆえ、見詰める私たちの身体も熱を帯びてくるばかりです。更にストラヴィンスキーの楽曲にも煽られている訳ですし、熱くならない訳がありません。そう、この体感、これも本物としか言えません。
この『春の祭典』、「黒部シアター仕様」のラストシーンについては、恐らく誰もが想像する通りのものであるでしょうが、その味わい深さには想像を絶するものがあります。これこそ観る他にないもの、観る価値があるものと断言致します。見詰める誰にとっても、至福以外の何物でもない「とき」が訪れることでしょう。



「自然」の照明は既になく、「人為」の照明が残るなか、大いに満たされた気持ちで振り返り振り返りつつ、バスに乗ろうと歩を進めていたとき、煌めく綺麗な星は見ましたが、「セレネ」の舞台であったというのに、その場で月を確認しなかったのは不覚でした。
この日はほぼ満月の「小望月(こもちづき)」という月らしく、後刻、新潟へ帰る高速道路のサービスエリアで遅まきながら見上げました。で、正真正銘の「満月」は5月31日とのこと。更に、更に、それ、調べてみると、「ブルームーン」といって、2~3年に一度しかない、一ヶ月のなかで2度目に見られる「満月」とのこと!で、その「ブルー」というのは、色のことではなく、英語の慣用句「Once in a blue moon(極めて稀なこと、ごく稀に)」に由来するもので、「滅多に見られない特別な満月」らしいです。「金森さん、やはり凄い!」としか。
あっ、ここに至って、蛇足をひとつだけ。上に書いたまま放置していた等間隔に立てられた炎揺らめく「13本」のトーチですが、なるほど、見方を変えると、「13」はそのままで「12」でもあったのだと気付くことになり、「さすが、金森さん!」と膝を打ったような次第です。
何を言っているのかって?はい、上演後、促されて舞台に立った金森さんの「(5/31は)まだ当日券はあるそうです。わかりにくいと言われる金森作品ですが、2回観るとわかるらしいです」との挨拶に繋げて、この日のレポートの締め括りとさせて貰います。
今宵、「ブルームーン」の満月のもと、前沢ガーデン屋外ステージにて、こちらも極めて稀なものと言えるNoism Company Niigataの舞台を是非ご堪能ください♪
(shin)
shinさま
早速のブログアップありがとうございました!
深夜のご帰宅と存じますが、内容たっぷりの素晴らしさで驚きです。
金森さん・須長さんの写真他、に久志田さんと私もなぜか写り込んでいて恐縮です(汗)
いつの間に〜
さて、黒部公演初日、お天気に恵まれて幸いでした♪
諸々凄かったですね!
公開リハーサルでは『春の祭典』終了後の終幕の部分はありませんでした。
さすが金森さん、前沢ガーデンならではのあの終幕!
魅せられました。感じ入りました。
全く畏れ入ります。
それにしても、緻密で濃くて、火花散り熱気溢れる舞台を約1時間で魅せきり、自然と人為を見事に両立、調和させる金森さんの天才に今更ながら驚嘆しております。
全くもって凄いことです。
さて、後方の13本のトーチにつきまして。
さすがshinさん!
私は数まで数えなかったので、そういうこととはつゆ知らず・・・
ブルームーンは2回目の稀なる月、黒部公演も2回、黄道12宮、そしてメンバーは12名+金森さん。
重なり合う事象を象徴する13本なのですね♪
本日5/31、ブルームーンが優しく輝くであろう宵。
黒部公演2日目にして最終日。
美しい前沢ガーデンに今宵も臨場できる幸せをかみしめています。
(fullmoon)
fullmoon さま
コメント有難うございました。そしてお褒めに預かり、誠に恐縮です。
あの場で月を見上げることもせず、「何やってるんだか!?」と自分を責めたい気持ちに苛まれた昨日の私なのに、です。
今宵の「ブルームーン」のもと、稀なる実演に向き合えることを羨ましく思います。
心ゆくまでご堪能ください。
そして後方、「13本」のトーチについてですが、fullmoonさんの「12+1」理解にも詩的で相応しいメッセージが含まれていて、とても惹かれます。
一言、「いいなぁ」と。
ラストシーンへのネタバレに繋がらないよう、私がもったいつけた表現をしたところから、豊かな余韻がある理解をして頂き、嬉しく思うものです。
有難うございます。
私が提出した「『13本』=『12』」の見方についてですが、実はもっと即物的なものだっただけにです。
その「即物性」に関して、(勿論、ネタバレにならない範囲で)このあともう少し記述しますが、
それが煩わしく感じられる方はこの下(☆☆☆以下の部分)は読まれずにいてください。
大したことではありませんから。
☆☆☆
繰り返しになりますけれど、ラストシーンへの過度な言及とならないよう、今、その「こころ」は伏せたままにさせて頂きますが、
「見方をかえると」というのは、トーチそのものではなく、「13本」が並ぶことで、同時に生起する「12」に着目したら、ということです。
そして、それはラストシーン(の見方、というほど大袈裟なものではありませんが、)にも関係するものがあると知ったのでした。
どこかに、そんな目線ももってラストシーンを見詰めて頂いても面白いかな、と思うものです。
書き過ぎた嫌いもありますが、しかし、金森さんの演出と繋がりが認められるものとして、私には「刺さった」ものだっただけに書かずにはいられなかった…と、そうご理解ください。
でも、今はここまでにしておきます。
(shin)
shinさま
コメント返信ありがとうございました!
ラストシーン、注視ですね♪
(fullmoon)
fullmoon さま
是非是非♪
金森さんが今日、演出を変えてこなければ、ですけれど。
(shin)
shinさま
ラストシーンの13本のトーチ、見ました!
トーチの間を12人が、それぞれ重なることなく通って行きました。
トーチは13だけれども、その間は12ということですね!
(fullmoon)
fullmoon さま
良かったです。金森さんが2日目に演出を変更しなかったようで(笑)。
どうしても「13本」のトーチを見てしまいますよね。でも、ラストシーンとの繋がりで言えば、「誰も数えてはならぬ」だったのでしょう。
そんな「禁忌」を犯してしまったせいで、「13」に由来するモヤモヤをどこかに残したままに見続けていたのですが、遂にラストシーンに至り、ひとりふたりと舞踊家たちが奥へと歩を進めていくときになって、地と図が一瞬にして反転し、トーチ間の「12」の「間隙」が図として浮上してきたときの「やられたっ!」感には半端ないものがありました。まさに鳥肌ものでした。すると、その様子も、今ならさしずめ、12人の舞踊家たちが異なる12の「間隙」、或いは「聖」なる「ポルタ(門)」から歩み去っていくようでもあり…。
でも、それ、fullmoonさんも私も初日に最前列で観ていたために気付き難かったのかもしれません。少し後方の席から俯瞰するように見下ろしていたら、12人が異なる12の「ポルタ」を通って出て行く様子は割と自然に見えていたのでしょうね。
で、トーチ繋がりでもうひとつ書き残させて頂きます。
それは、並べて建てられた「13本」のトーチが、どう見ても、上手(かみて)端にスペースを残しながら、下手(しもて)側に寄って立てられていたことです。ある意味、配置の均整を損ねていたというか、そんな感じで。つまり、中央に7本目を配して、その両サイドに6本ずつ立てれば「整った」感じがするのに、そうなってはいなかったのです。金森さんがそんな不調法をする訳がないのです。
で、これもラストシーンで、12人の舞踊家がそれぞれ別の「ポルタ(門)」を通って歩み去る様子を観るに至って、謎が解けたのでした。
つまり、井関さんはどうあっても「どセンター」の「ポルタ」を通らねばならないからだと。「どセンター」に「ポルタ」をひとつ用意しようとすれば、畢竟、その両脇の「ポルタ」の数は、6つと5つにならねばならず、ラストシーンからの逆算により、トーチの配置における見た目の均整を捨てて、この作品における「メインロール」井関さん、その立ち位置の方をとったのだということになる筈です。
そのあたり、金森さんとしてもどうしようもなかったのでしょう。そんな風に思っているところです。
長くなりましたが、「13本」のトーチについて、初日の舞台を観て感じたことを全て書かせて頂きました。長々お読み頂き、どうも有難うございました。
(shin)