この数日間、各地に大雪を降らせ、人々の生活に難儀をもたらしている「JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)」。耳慣れのなかったそんな略称が盛んにひとの口の端にのぼるようになり、新潟にも、気象庁から「顕著な大雪に関する情報」なるものが出されるなど、「凄絶」で危険なまでのドカ雪が襲った如月の週末2月7日(金)、りゅーとぴあ〈スタジオB〉で、「JCDN(ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク)」のコンテンポラリーダンス新進振付家育成事業2024「Choreographers 2024」新潟公演を観てきました。


こちらにその特設サイトへのリンクを貼ります。
振付家に光をあて、社会に対して発信すること。振付家、そしてダンス作品の価値や社会的意義を積極的に打ち出し、新しいダンスの観客を開拓すること。同時に各地の劇場とのネットワーク作り、各地域のダンスの刺激剤となる場を目指す、公演&トークのプログラムです。 (特設サイトより)
お恥ずかしながら、寡聞にして、これまでよく知らずにきたシリーズでしたが、元Noism1の池ヶ谷奏さんが新潟の「しもまち」をテーマにした作品が観られるというSNSに触れて興味を覚え、是非とも!と足を運んだ次第です。
過日の池ヶ谷奏さんのインスタへのリンクも貼っておきます。






公演前には、「メディアとしてみる、コンテンポラリーダンス!?」のタイトルのもと、吉田純子さん(朝日新聞社 編集委員)と呉宮百合香さん(アートコーディネーター・舞踊評論)のおふたりによるプレトークがあり、とても興味深く刺激的なお話をお聞きすることが出来ました。(聞き手はJCDN理事長の左東範一さん。)
吉田さん(今回が「初新潟」): 記憶にある初コンテンポラリーダンスは、上野水香さん・草刈民代さんが踊ったローラン・プティ『デューク・エリントン・バレエ』。自分が観ているものが何かわからない楽しさがあるのがコンテンポラリーダンス。自分のなかの常識で理解するのではなく、自分の現在地における頭の中を見たり、そのときどきの自分の感情・感覚を確かめることが出来るとし、事実の底流にあって、未だ言語化されていずに、うごめいているものを見る体験がコンテンポラリーダンスを観ること。例えば、コンクールの結果などには、観る「基準」の外注化という側面もあり、思考がからっぽになってしまうようなことも起こりかねない。しかし、からっぽにさせないのがコンテンポラリーダンス。
呉宮さん(今回が「初新潟市」): 初コンテンポラリーダンスはNoism『NINA』!コンテンポラリーダンスを踊る身体は超ハイコンテクストで、物凄い情報量の世界。そのときの自分に受け止め切れないものに出会い、自分が揺るがされて、世界が書き換えられていく体験。言語的に考えている(縛られている)ものではたどり着けないものを観ること。それだけに居心地がよいものばかりではない。作品になった時点で、違う時間軸に入るものであり、それは属人的に観ることを意味する。日本では、作者の意図を重視し過ぎ。
しかし、例えば、コンクールにおける審査時など、自分の価値観を捨てることは意外と難しいため、「本当に新しいもの」は見出し難かったりもする。審査員同士の対話のなかで見方が変わっていき、自分のなかで、作品が更新されていったりするため、作品との関係性は上演だけでは終わらず、その後の時間も含めてのものとなる。
また、所謂「再演」というものはない。毎回、新しくて、全く違った作品に見えてくるもの。
左東さん(「高校だけ新潟」): 22年前にここで『男時女時』を観ている。KYOTO AWARDの審査は「闘い」。各自こだわりがあり、「ここまで評価が違うか」と思うことも多い。真に新しいものを見出すため、「自分はこれがいい」ということを常に疑っている。
ダンスにとって時間は関係ない。踊る人によって違ったものに見えてくるもの。
このシリーズでは、振付家に焦点を当てているが、振付家とは、動きのムーブメントを振り付けるだけではなく、照明、演出をはじめ、作品全てをつくる存在。思想家・哲学者とも呼べる所以。
以下、この日の3作品について簡単に記します。
○「KYOTO CHOREOGRAPHY AWARD (KCA) 2022」受賞振付家作品
☆大森瑶子さんの『Tuonelan』: 大内涼歌さん、大森瑶子さん、尾上実梨さん、水谷マヤさん、八木橋華月さん
クラシック曲、ノイズ音、YUIの懐かしのJポップ、ラヴェルのあの超有名曲等々、どんな音楽にもしなやかにビートを刻み、フレキシブルに踊り切ってしまう、そんなダンスへのパッションが横溢する小気味よい作品。衣裳の白、ピンク、緑も若々しい生命力を感じさせ、現代風のカチューシャも印象的。
○2000年代のコンテンポラリーダンスの名作をリバイバル
☆砂連尾理さん+寺田みさこさん(じゃれみさ)の『男時女時』リバイバルver.: 長野里音さん、関口晴さん(2/7)、(カナール ミラン 波志海さん(元Noism2)(2/8))
冒頭、聞こえる声「惚れる、好き、愛、恋、恋人」に寄りかかっていては、肩透かしをくらってしまう。格好良さやエロスを徹底的に排除して、いかにもゆるく、オフビートを装いながらも、いつの間にか、そうした溢れる「だるい動き」が反転して居心地の良さに変わってくる演目。「高揚感」など簡単に生み出すことが出来ることを示す中間部も含めて。
○地域の若手ダンサーと作る新作
☆池ヶ谷奏さんの『湊に眠る者たち』: 天野絵美さん、髙橋陽香理さん、波多野早希さん、樋山桃子さん、堀川美樹さん(元Noism2)、横山ひかりさん(元Noism準メンバー)、池ヶ谷奏さん(元Noism1)
新潟市の「しもまち」歩きをベースに、そこで拾った土地に眠る、或いは、土地に連綿と生き続けるものたち、そして土地に流れる時間を、7人の感性・身体というメディアを通して、私たちに豊かに伝えてくれる一作。土地の「糸」で紡がれてリズミカルに進んでいく心地よさは、観る者を、未だ見たことのない「しもまち」へと誘っていく。
奇しくも、この日(2/7)はNoism「円環」埼玉公演の初日にもあたっています。コンテンポラリーダンスの多様性を意識する機会となりました。
終演後、21時をまわったりゅーとぴあ周辺には、やって来た17時頃から少なくとも30cmはかさ増しされた積雪があり、人は未踏の雪原を歩かねばならないといった光景が広がっていて、さすがに呆然としてしまい、画像を撮ったりする余裕もなく、帰路を急ぎました。
その後、新潟市の大動脈である新新バイパスも通行止めになってしまったとの報に接し、何とか帰宅できたことを心から喜んだような次第です。しかし、家に着いてからも、自宅の駐車スペースは膝までの高さの雪に覆われているのを目にし、まずは30分くらい雪かきをしなければ、車を入れることすら出来なかったことも併せて記しておきます(大汗)。
以上、雪の「Choreographers 2024」新潟公演の報告とさせて頂きます。
(shin)
shinさま
詳細ありがとうございました!
プレトーク、お話が弾んで面白かったですね。
呉宮さんが『NINA』に衝撃を受けたと話されて嬉しかったです♪
各演目のご感想もありがとうございました♪
「男時女時」のカナールミランハジメさんは8日出演だったので、会場では会えましたが、踊る姿が見られず残念でした。
池ヶ谷奏さんの「湊に眠る者たち」よかったですね!
この作品は奏蔵舎のオープン公演でも観たのですが、出演者も内容も大幅に変わっていてますます見応えがありました。
人垣の緻密さ、水の流れ、お稲荷さん、花街の妖艶さ、一転して土俵の力強さ等々、見ていて次は何かな?と、どんどん興味が湧きました。
もっと長く見たかったです。
出演者、お久しぶりの堀川美樹さん。彼女がNoism2のときに踊った『火の鳥』印象的でした。懐かしいです。
横山ひかりさんの踊りも数々思い浮かびます。
そして、帰途。
私は徒歩なのですが、りゅーとぴあの出入口を出ると、積雪で道が無い!
道が無いのは白山神社やその周りも同じで、かろうじて人の足跡があるような無いような・・・
膝近くまで雪に埋まりながら、こざいて(またぐように、かきわけるようにして歩くことを「こざく」といいます。ラッセルです)帰りました。こんな凄いのは子どもの時以来かな。
この公演は2日間とも満席のようです。今日も無事に開催されますように。
(fullmoon)
fullmoon さま
コメント有難うございました。
プレトークからずっと刺激を受け続けた時間でした。
この日、埼玉ではNoismが「円環」トリプルビルで観客を魅了している時間帯に、新潟でも豊かな「非日常」の時間が過ごせていた訳です。有難いことでした。
しかしながら、りゅーとぴあの外ではちっとも有難くない「非日常」が進行していて、お客さんは休憩時間中に窓の外に向けて、心配そうに視線を送らざるを得なかった、そんな1日。それも含めて、一人ひとりの記憶に深く刻み込まれたことでしょう。
行き帰りは死ぬほど(←決して大袈裟な表現ではありません!)大変でしたが、行って良かった、そう思える公演(+トーク)でした。
(しかしながら、帰宅後に散々雪かきをしてヘロヘロになったため、この日のブログ書きは、翌日の早朝に行ったのですが、同日は埼玉行きも控えていたため、ホント大変だったことも書き添えておきます。スミマセン。泣き言の蛇足でしたが、もうここまでお読み頂けていたとしたら、その甲斐もあったというものです。有難うございます。)
(shin)
shinさま
ホント、おつかれさまでした!!
(fullmoon)