「日本」を飛び越える普遍性(『かぐや姫』5/5ソワレ)(サポーター 公演感想)

5月5日(火・祝)、東京バレエ団『かぐや姫』再演の為、東京へ駆けつけた。東京行きを決めたのは直近だったが、夜の部(18時半から)の「パリ・オペラ座公演記念応援シート」席を確保出来た。5月6日をもって長期休館に入る東京文化会館でNoism『Mirroring Memories―それは尊き光のごとく』(18年)を繰り返し観、合間に本郷台地の坂道を歩き倒したことを思い返しつつ、当時のNoism「活動継続」問題と今目の前にある金森穣さんの去就を巡る現実、また「国立劇場」問題にも通ずるこの国の文化軽視・利益至上の風潮を嘆かずにはいられなかった(公演前の東京文化会館前で反戦サイレントスタンディングを開催された方々をお見かけし、「何かプラカードを持ってくれば良かった」と思いつつ)。

夜の部公演前の17時50分からは、金森さんによるプレトークが開催された。『かぐや姫』に当て書きされたかのようなドビュッシーの楽曲に至るまでに多くの日本人作曲家の作品を聴いたこと、「最初はお見合いのようだったけれど、今は専属振付家になった気持ちでいます」と語る東京バレエ団(東バ)との創作、専用スタジオを複数要する東バの環境、舞台美術・衣装など要素を削ぎ落とし、手を加え続けてきた金森版『かぐや姫』の創作過程(この日の昼の部を観て、「あぁ、ここも変えたいけど夜の部には間に合わない」)についてなど。そして、今年末のイタリアでの『かぐや姫』一幕、来年のパリでの全幕公演については、「本当に楽しみ。いつかオーケストラ付き公演も実現したい。その為にも皆さん、今、応援してください」と強調しつつ、「5階席の方も見えますね。最前列の方も5階席の方もこの場で舞台を体験したことは心に刻まれるはず。それこそが舞台芸術の一回性」と語る金森さんの伸びやかな芸術観が印象深かった。

夜の部でかぐや姫を演じたのは足立真里亜さん。21年の第一幕初演時にその溌剌たる姿に心惹かれたが、やっと足立さんによる三幕通しての舞台を観ることが出来た。全身でこの世界を跳躍するような姫に振りかかる男性社会の歪み、奪われる愛(道児と重ね合う手の振りや、抱きしめることの意味の変容)、無常の連鎖の末の「声なき絶叫」、その先にある「無」の非情な救済。幾度となく落涙しつつ、確信に至ったのは、「日本最古の物語」に基づく「国産バレエ」を謳いつつ、金森さんが本作で到達したものは「日本」など軽々と飛び越えて、この世界何処にもある孤独な魂や、権力に尊厳を奪われた人々を包み込む、圧倒的な「普遍性」ではないかと思い至る。日本的情緒を削ぎ落とすように、磨き抜かれていった衣装・装置・振付の無機質でさえある美にこそ、この世に生を受けたあらゆる人々がその思いを仮託できる「余白」が生まれたと思えるのだ。「救いがないことこそ救い」という坂口安吾言うところの「人間の絶対的孤独」と金森さんとの共振を感じたのは、Noismによる安吾作品『私は海をだきしめていたい』舞踊化を控えていることからの牽強付会かもしれないが。

パリ公演に向けて金森さんがこの豊かな余白を、更に拡げていくであろう期待を覚えつつ、幾度も繰り返されたカーテンコールでは汗だくになりながら声援を送った。

(久志田渉 「月刊ウインド」編集部)
(photo by fullmoon)

「「日本」を飛び越える普遍性(『かぐや姫』5/5ソワレ)(サポーター 公演感想)」への2件のフィードバック

  1. 久志田 さま
    この度も素晴らしいご寄稿、どうも有難うございました。

    豊かな「余白」、まさにその通りですね。
    久志田さん言うところのその「余白」に関することになりますが、私自身も(曖昧な)記憶をもとにするのもどうかと思い、一昨年の10月にNHK BSで放送された2023年10月20日上演の『かぐや姫』を急ぎ見直してみたのですが、今回(2026年5月)の『かぐや姫』は、更に抽象度を増し、より普遍的な表現に至っていることがはっきり確かめられました。まさに様々な思いを仮託できる「余白」です。

    金森さんが「バレエチャンネル」でのインタビューで語った、「いろんなプリンシパル、いろんなソリストが踊れる作品を作ろう」と思い、「置き換え可能であるという古典性や様式」に則り、改訂を加えることで到達したこの度の『かぐや姫』における「達成」ですが、ご報告頂いたプレトークにおいて、やはりと言うべきか、まだまだ「変えたい」とも語っておられるそうで、その飽くなき姿勢に金森作品の魅力の一端を強く強く感じる思いがいたします。

    また、『竹取物語』という原ストーリーがもつ「容れ物」としての作品の強度についてですが、金森さんによる創作を加えてもなお破綻するどころか、その一貫性を保ったまま、新たに豊かな輝きを獲得するに至っていると誰しもが断言する筈です。
    そして、金森さんが『かぐや姫』で目指されたものも、「入れ替え可能」な「容れ物」としての強度であったことに着目するならば、原ストーリーとの間に強い相似が見て取れるというものでしょう。それこそ、時空を超える「古典」の「古典」たる所以です。

    更にです。上に引いたインタビューで、金森さんは、「舞踊界として何かを残していかなきゃいけない」とも語り、『かぐや姫』という素晴らしい「公共財」を私たち(、そして後世の人たち)に届けてくれているという側面にも看過出来ないものがあります。それこそ、本来なら文化政策が担うべきものなのであり、やはり金森さんは類稀なるアーチストなのだなぁとの感を強くした次第です。
    (shin)

  2. 久志田さま
    ご寄稿ありがとうございました!
    プレトークは、司会の山本康介さん(バレエダンサー・演出振付家)の質問に応える形で進行し、金森さんのお話がたくさん聞けてよかったです♪
    マチネとソワレではキャストが変わり、それぞれの個性が光る素晴らしい公演でした!
    普遍的な「人間の孤独」に着目したご感想も素晴らしいです。
    Noismによる安吾作品『私は海をだきしめていたい』に想いが及んでいくのは自然な流れに感じました。

    そして「余白」に感応したshinさんのコメント、流石ですね!
    2023年の録画を見直されたのにもビックリです。
    金森さんは過去、現在、後世のことまで考えていて、本当に素晴らしいと思いました✨
    (fullmoon)

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