白鳥は何を夢見る

Noism1 『NINA』 『The Dream of the Swan』

山野博大(舞踊評論家)

初出:サポーターズ会報第33号(2018年4月)

 Noism1の埼玉公演で『NINA』を見た。この作品は、2005年の初演から金森穣の代表作と云われ、国内外で数多く上演されてきた。私は、これを見るのが初めてだったので、期待して客席についた。

 ところが幕があいて最初の作品は、井関佐和子の踊る金森の最新作『The Dream of the Swan』だった。舞台にはベッドが置かれ、そこに井関がひとり寝ているという意外なシチュエーションに、心が揺れた。病院でよく見るようなベッドの上には、室内灯がさがり、やや狭い空間の印象。どう見てもバレリーナが寝ている優雅な部屋とは思えない。そこでの井関の動きは、寝ていることの苦しさから、なんとか脱出しようといった「もがき」から始まった。細かな動きを積み重ね、ついにベッドの外へ。彼女の動きはますます加速され、ついには狂おしいまでに高調し、ベッドの周辺にまで広がったが、それはすべて 夢の中のことなのだ。すべては、バレリーナを夢見る少女の生態の精密な描写だった(もしかすると怪我で動けないダンサーの・・・)。井関の迫真の演技が、見る者の心を鋭くえぐった。しかしそこに描かれていたのは、どこかにはなやかささえ感じさせる、よくある普通の情景だった。

 バレリーナが踊るソロ作品は、意外なことにほとんど無い。アンナ・パヴロワが踊ったフォーキンの名作『瀕死の白鳥』ぐらいしか思い出せない。バレエの世界で女性がソロを踊る時には、グラン・パ・ド・ドゥのバリエーションが選ばれることが多い。そんなバレエ界に出現した『The Dream of the Swan』は今後たびたび見たい作品のひとつになる可能性を秘めている。

 『NINA-物質化する生け贄』は今から10年以上前に発表された人工の知能を備えたロボットの反乱を描いたようにも見える問題作だ。冒頭の大音響で観客を別の世界へ隔離して、以後の衝撃的な展開を語りつぐ。その前に『The Dream of the Swan』を置いて、異界への転異の衝撃を和らげた金森の配慮には意味があった。今後、このふたつの作品は同時に上演されるようになるのかもしれない。

 初めて見た『NINA』は、期待通りのインパクトのある作品だった。Noism1のダンサーたちの、感情を交えない動きの不気味な展開は、我々の生きる未来の風景だった。彼らの好演を恐々見終わった後、『The Dream of the Swan』の人間感情の横溢するどこか危うい世界をもう一度懐かしく思い出すことになった。

サポーターズ会報第33号より

(2018年2月18日/彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)

会員特典 劇的舞踊vol.4 『ROMEO & JULIETS』公開リハーサル

NINA・Swan上海公演、大好評で無事終了!
おめでとうございます!!

そして、新作「ロミジュリ」発進!
病院を舞台として繰り広げられるらしい、金森穣の全く新しい劇的舞踊『ROMEO & JULIETS』!

昨日のラジオでの井関佐和子さんトークによると、具象と抽象が混在しているらしく、これまでの劇的舞踊とは異なる作品のようです。
期待が膨らみます!

そんな「ロミオとジュリエットたち」、
会員特典、公開リハーサルのご案内です。

日時:2018年6月16日(土)15:00~16:00
会場:りゅーとぴあ〈スタジオB〉
対象:本公演チケットを購入済のNoismサポーターズ会員、およびNoism活動支援会員

*受付開始は14:50~です。すみませんが、お時間まで2階共通ロビーにてお待ちください。
*サポーターズ会員の方は受付でお名前と、チケットのご提示をお願いいたします。
*スペースの関係上リハーサル開始後はご入場いただくことができません。たいへん恐れ入りますが予めご了承くださいますようお願い申し上げます。

お申し込み:当ホームページ「お問い合わせ」欄からご連絡ください。

申込締切:6月13日(水)

お申し込みお待ちしています♪

先行ご案内
7月7日(土)ロミジュリ新潟公演2日目 終演後、19:30頃~
りゅーとぴあ内 レストラン リバージュでサポーターズ交流会を開催します(出演者は参加しません)。
会費5,000円(要予約)
*どなたでもご参加いただけます。
こちらもどうぞご予定・お申し込みくださいね!
(fullmoon)

NINA・Swan 中国・上海公演

上野の森公演、感動の『Mirroring Memories』、新潟でもぜひ上演してほしいですね。

さて、今週末、5月19,20日、Noism1中国・上海公演です!
http://noism.jp/npe/n1_nina2018_shanghai/

5月12日の金森さんツイート:

「SwanとNINAの通し稽古。良い仕上がり。昨年のアジア・ツアーは勿論、暮れの新潟、年明けの埼玉公演よりもメンバー各自の身体に於いて振付が実体化し、実演の質が格段と上がっている。上海公演が楽しみ。そして心に誓う。艱難辛苦を経て漸く辿り着くこの質を、来期新体制でも変わらず求めて行くことを。」

上海に行きたい!

でも残念ですが行かれません。。。
ご覧になる方は堪能してきてくださいね。

ご都合のつく方は今からでも間に合いますよ~
公演の様子やご感想を知らせていただけるとうれしいです。
(fullmoon)

舞踊家の矜持を示した新生NINA、埼玉公演楽日

銀盤で羽生結弦選手が今五輪初の金メダルをこの国にもたらしたのは
埼玉公演の初日、緞帳があがるまえのこと。
小平奈緒選手がそれに続いて金メダルを獲得したのは、翌2018年2月18日(日)、
今度は埼玉公演の楽日の舞台がはねてからのこと。
私は新潟に戻り、「俄かスピードスケート・ファン」と化して、
興奮しながらテレビの画面が映し出す小平選手に釘付けになっていました。
「確実視された朗報」も蓋を開けるまでは何が起こるかわからないのが常で、
ハラハラしながら見守っていたものです。
しかし、彼と彼女はやってくれました。
王者の風格を感じさせる日本人を心底誇らしく感じたものです。

で、そのふたつのエポック・メイキングな金メダルに挟まれるようにして、
「約束された感動」の舞台に立ち会ったのですから、
この2日間、どこをとっても、まさに血沸き肉躍るような大興奮の2日間だった訳です。

「風格」、そうです。まさに「風格」。
しかし、こちらは日本という軛(くびき)をいとも軽やかに超越して、
舞踊家というコスモポリタンが示した「矜持」とも呼べる舞台、新生NINA。

とりあえず国内ラストとなるこの日、公演前のホワイエには、私が知り得る限りでも、
バレエ評論家の山野博大さん、今回の衣裳を担当されたSOMARTAの廣川玉枝さん、
そして盟友・ISSEY MIYAKEの宮前義之さんと建築家の田根剛さんら、
錚々たる金森人脈とも言える人々が集結。
華やかで祝祭的な雰囲気のなか、
「約束された感動」に至る時間は刻々刻まれていきました。

その感動の舞台はまず、幽けき切れ切れの音から。
井関さんが、15分間、その一身でひたひたと迫りくる死を踊って、
無常を可視化し、観客の心を静かに揺さぶり、場内の空気を鎮めます。
カーテンコールの最後に、笑顔で右手を上げて、
自身が踊った時空とは別の次に控える時空への繋ぎの仕草を見せるのは、
「前座」と言えば「前座」、確かにそれに基づく振る舞いではあるのでしょうが、
まさにそれはそれだけでお金が取れる「豪華すぎる前座」であり、
次の演目へのハードルをグッと押し上げました。

高められるだけ高められた期待値を一様に視線に込める客席。
一転して、今度は神経を逆撫でするかのような異様な音が鳴り響き、
「生け贄」たちがスタイリッシュに、
支配と被支配、抑圧、暴走、焦燥や反乱を踊ります。
そのさまは、前日のコメント欄でfullmoonさんが触れてくれたように、
そして各種SNSで多くの人たちが書き込むように、
AI(人口知能)を巡る極めて現代的な混乱として目に映ずることでしょう。

しかしまた、この作品は2005年に世に送り出されたものであり、
過去に再演も行われています。
優れた古典が、時代を超えて生き続け、様々な見方・読み方を可能にするように、
この『NINA -物質化する生け贄』も、その時代その時代で、
異なる思考の「容れ物」として機能してきたのでしょうし、
これからもそれは変わらない筈です。

過去、現在、そして未来を繋いで、メンバーを入れ替えながら踊られ続け、
今回の照明や衣裳の変更等を含め、実演を通して練り上げられることで、
『NINA』としての一貫性は保ちながらも、更に進化を続けていく作品。

この度味わった感動や抱いた印象の記憶は記憶として、
この作品の魅力の淵源であるところの、
常に「刹那」が刷新され、突出し続けるダイナミクスは、
私たちを途方もない確信へと誘わずにはおきません。
金森さんは今度はいつ、この同じ『NINA』で、また別のものを見せてくれるのだろうか、
そしてそれは「約束された感動」でない筈がない、というものです。
---5月の上海、それもそうですが、
またの日、必ずや『NINA』に心揺さぶられる日が来る筈だと。
否、既に揺さぶられる準備はできている、とも。
その日が今から楽しみでなりません。


(shin)

217(「NINAの日」)、彩の国さいたま芸術劇場初日

今回、「生け贄」のセンターを務める池ヶ谷奏さんがそう言うのだから
「NINAの日」…
などと始めると、何やら俵万智っぽくもある2018年2月17日(土)。
またしても大雪の予報が現実のものになり始めた新潟を離れて、
埼玉に来てみれば、
彩の国さいたま芸術劇場界隈は大変な強風。
で、16:30の入場時には、風にチケットを飛ばされてしまって
追いかけては足で抑える姿もちらほら。




大ホールの入り口を入ると、
いつものようにホワイエに立つ金森さんが目に入り、まずは会釈。
写真家の篠山紀信さん、「ヤサぐれ舞踊評論家」乗越たかおさんの姿も
お見かけしましたし、
元Noism1メンバーだった計見葵さんにはご挨拶できました。

ほぼほぼ埋まった客席。
予定の開演時間を5分ほど回った頃、客電が落ち、
『The Dream of the Swan』の関東初お目見え。
ベッド、ペンダントライト照明、井関さん。
怯えて身悶えする、崩壊寸前の自我。
時折、思い出すように蘇る正気。
移りゆくホリゾントの照明も暗示する今際の際に
フラッシュバックする往時の凛とした姿、
それはまさにたゆたう渾身の「瀕死の白鳥」。
「Under the marron tree」ならぬ「On her deathbed」。

異様に張り詰めた空気が会場を飲み込み、
終演後、客席から起こる拍手もクレッシェンド気味。
井関さんの笑顔にホッとして
漸く拍手できたという感じが漂っていました。

あちこちに、配布されたプログラムに目を通すお客さんの姿。
照明の撤去など準備が整うと、休憩は挟まずに、
『NINA ー物質化する生け贄』です。
漲る運動性を以って「不動」に徹する白い身体、5つ。
言い換えるなら、運動性に溢れた「不動」。
暗転。
動くことで、逆に運動性からは遠く映る黒い身体5つが加わり、
併せて10の身体が白黒5つのペアとなった際、
冒頭の「不動」の白い身体(人形、フィギュア)ポジションの意味が判ります。
崇高な玩具、或いはフェティシズムと倒錯。

白と黒、眩いばかりの黄金の光や赤を経て、
やがて再びの白と黒(または黒と白)に至るまで、
削ぎ落とされ、限定された動きが生み出すリズムの豊饒さ。
戦慄にして、厳かなユーモアと皮肉、その奥にあるのは鋭利な批評性。
そしてそれらを可視化する磨き上げられた身体性。
酔います、酔っちゃいます、酔いしれるしかありません。

「ブラボー!」の声も飛び、埼玉の客席を圧倒した感のある
Noism1『NINA ー物質化する生け贄』、
カーテンコールが繰り返されました。

「明日(2/18)が最後」かと思っていたら、
5月には上海公演もあるとのこと。
恐らく行く人はいるな、うん、いる。いるはず、あのあたり。(笑)
でも、わたし的には「明日(←正確には今日)が最後」なので、
瞬き機能OFFでガン見しようと思ってます。(笑)

【追記】
関東で観るNoism、いつものりゅーとぴあでの鑑賞との違いは
公演後のアフタートークの有無。
「ホーム」新潟を未体験の方は是非一度いらしてみて下さい。
病みつきになっちゃうかもです。
(shin)

Noism1『Swan & NINA』埼玉公演、今週末!

久しぶりに青空が見えた今日の新潟市。
Noism1メンバーが埼玉に向けて出発しましたね♪
こんどの土、日、いよいよです!

Noism1『NINAー物質化する生け贄』埼玉公演

2/17(土)17:00
2/18(日)15:00

会場:彩の国さいたま芸術劇場・大ホール

★同時上演 金森穣演出振付、井関佐和子ソロ新作
『The Dream of the Swan』

詳細:http://noism.jp/npe/n1_nina2017_saitama/

トレイラ―映像:https://www.youtube.com/watch?v=MVaZS-mNIOE&feature=youtu.be

井関佐和子さんも踊ります!!
どうぞお見逃しなく。

金森さんのツイッターによると、5月に予定している中国公演の演目も『NINA』だそうですね!
メンバーの皆さん、ますますがんばってください!!

埼玉公演では、上野の森バレエホリディで4月末に上演する『Mirroring Memories−それは尊き光のごとく』のチケットを販売するそうですよ♪

閑話休題:

昨年6月、Noism2が上演した平原慎太郎 演出振付『よるのち』。
明日から平原さんのカンパニー、Organ Worksが上演します。

『よるのち』
振付・構成・演出:平原慎太郎
出演:Organ Works

2月15日(木) 19:00
2月16日(金) 14:00/18:00
2月17日(土) 14:00

会場: BankART Studio NYK (横浜市中区海岸通3-9)
チケット:前売り 3,000円 当日 3,500円 学生 1,500円
お問合せ: 070-1409-0478 (10:00~18:00)/info@theorganworks.com
詳細:http://theorganworks.com/2018/01/12/%e3%80%8e%e3%82%88%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%a1%e3%80%8f-bankart-studio-nyk/

埼玉公演と微妙に重なっていますが、ご都合のつく方はぜひどうぞ!
満席の回もあるそうなのでお問い合わせください。

さて、前の、茂木さん×金森さん柳都会についてのブログ記事、shinさんが追加でいろいろ書いて下さっています。
コメントも増えたのでどうぞもう一度お読みくださいね♪

埼玉公演、楽しみです!
(fullmoon)

掉尾を飾る名作『NINA』&国際シンポジウムを以てNIDF2017堂々の終幕

2017年12月17日(日)、師走のりゅーとぴあ界隈は、この日午後、
「新潟第九コンサート2017」等も重なり、駐車場が混雑し、
アクセスも容易ではなかったと思います。
そうした道路状況、それ自体が師走の風物詩でもあるのでしょうが、
15時の開演時間までに、りゅーとぴあ・劇場まで辿り着くだけで
疲れてしまったという方もおいでだったかもしれませんね。
でも、「マジック」を見せてくれた舞踊家の熱演が
それを吹き飛ばしてくれたことだろうと思います。

3日連続で、『The Dream of The Swan』と『NINA』を観てきました。
この日は5列目の中央席で、
3日間異なる距離から舞台に視線を送ったことになります。
新潟公演の楽日ということから、
幕が上がる前から、早くも軽い「Noismロス」的気分も込み上げてきて、
感傷的な心持ちだったかもしれません。
「瀕死の白鳥」も、『NINA』も、両目は前2日とは違った細部に反応していました。
井関さんのソロの後には、感動と緊張が綯い交ぜになった拍手が、
『NINA』の後は、安堵の笑みを浮かべ、息を吹き返した「生け贄」たちに
報いるべく大喝采が送られていました。
私は連れ合いと共に、埼玉公演にも足を運ぶつもりでおりますので、
埼玉でも、また井関さんの超豪華な「前座」付きの『NINA』が観られたら、
と願ってやみません。

公演終了後、同じ劇場で、NIDF2017を締め括る国際シンポジウムが開催されました。
公演の余韻を引きずり、席から動けぬままに、シンポジウムの開始を待ったことが
後程、つらい事態を招こうとはこの時、予想もしていませんでしたが、
それはまた後の話。
ここからは、シンポジウムでの発言要旨をご紹介しようと思います。

☆国際シンポジウム「アジアにおける劇場文化の未来」(16:30~)

パネリスト:
ホン・スンヨプ氏(韓国・大邱市立舞踊団 前芸術監督)
クイック・スィ・ブン氏(シンガポール・T.H.Eダンスカンパニー 芸術監督)
ウィリー・ツァオ氏(中国・香港・城市当代舞踊団 芸術監督)
金森穣氏(日本・新潟・Noism 芸術監督)

進行:
杉浦幹男氏(アーツカウンシル新潟 プログラム・ディレクター)

(1)『NINA -物質化する生け贄』の感想
ホン氏: 独創的で素晴らしい。現代舞踊とは何かを考えさせる作品。
スィ・ブン氏: ダンサーの真心、真摯な姿勢、強い意志を示すものと言える。
      極限を追い求める、金森監督の性格を反映。
      また、現代社会の様々な現象を表現していた。
ツァオ氏: 1ヶ月ほど前に香港で観た際、スタンディングオベーションが捧げられた。
      それと比較して、日本の観客は控え目だと感じた。
      内容的には、特に西洋から来た観客の目にはジェンダーの区別を持ち込むことは
      この時代、不適切ではないかという指摘もあり、議論になったが、
      自身は、今、アジアで起こっていることだと発言。
      加えて、闘う女性の力強さに感銘を受けた。
金森さん: ジェンダーに関して、女性陣が「被害者」に見えるとしたなら、
      それは観る側の意識によるものと言わざるを得ない。
      全く別に、女性の抗いようのない魅力に男性が囚われているとも見えるはず。
      この作品に芸術としての有用性があるというなら、
      まだまだ社会がそこまで来ていないことの証。

(2)芸術の在り方、行政との関係
ツァオ氏: 1979年、香港コンテンポラリーダンスカンパニー設立。
      香港が経済的に潤っていた時期、友人に声をかけ、
      プロの集団として集まって貰った。
      1985年、政府の目に留まり、支援を受けられることになり、
      現在は50%の支援得ている。
      ほかに、ワークショップ、トレーニングクラス、学校の入会金等の収入があり、
      すべてコントロールされることがなく済んでいる。
スィ・ブン氏: 9年前にスペイン国立ダンスカンパニーを離れて帰国し、
      ヒューマン・エクスプレッション・ダンスカンパニーを設立する。
      スペインでの5年間、トップクラスのダンサーたちと過ごすなかで、
      自身の芸術生命をどう活かすか考えてのこと。
      シンガポールのダンスシーンはアジアでも立ち遅れていて、
      設立当初は大変だった。
      経済的にも、毎月の給料は日本円にして50,000円程という厳しさだった。
      数年して、国家芸術局からの支援が始まり、現在、8名のフルタイムのダンサー
      がいて、40~50%の資金を得ている。
      支援は多いほど望ましいが、無条件にダンサーを信頼してほしい。
      それによって、社会へのより良い貢献が可能になると考える。
ホン氏: 現在の大邱市立舞踊団は自身が関わった4つ目の舞踊団。
      創立から36年間、ほとんど変化らしき変化は認められない。
      芸術監督がよく変わる。最善を尽くしても、サポートされていない状態。
      現代舞踊は新しい作品を作るだけでなく、
      組織の構造も新しくしなければならない。
      芸術的にいかなる干渉もなされないことが大切。
金森さん: 欧州から帰国した際、この国の劇場文化の在り方に大きな疑問を抱いた。
      2004年、Noismを立ち上げたが、後世、そこが転換点として見なされるように
      なることが野望。
      以来、13年間、戦い続けてきているし、それはこの先も変わらない。
      社会的な効果という話になると、経済的な効果が重視されがち。
      市民の理解を得るためには、舞踊芸術に携わる者の専門性が大切。
      ご覧いただいた『NINA』など、全身全霊を傾けた作品は、
      今の新潟の環境なしには考えられない。
      Noismでこの国の扉を開けたが、まだまだ立証を続けていく必要がある。

(3)芸術、現代芸術、コンテンポラリーダンス
ホン氏: 人は伝統芸術の価値は知っている。現代芸術の価値を考えてみる必要がある。
      現代舞踊、その場に居合わせなかったら、「風」のようになくなってしまう存在。
      人によって見せられて初めて伝達される性質のものであって、
      記録して残せるジャンルではない。
      しかし、社会を反映する鏡のようなものであり、
      同時代で最も大事なものであると考えている。
      韓国では、芸術と娯楽の区別が曖昧なものになりつつある。
      娯楽とは商業的なもので、支援などなくとも成功すると決まっている。
      対して、芸術には市場が形成されていないため、社会がその真価を認めないと、
      作品は生み出され得ない。現在は、「割れた鏡」とでも言うべき状況である。
スィ・ブン氏: 芸術の本質・機能を信じることから良い作品は生み出され得る。
      そのためには、無条件の支援が必要。 
      シンガポールが直面する問題に、支援に関して、決定権を持つ人は
      概して決定力がないことがある。
      政府には長期的なプランがないため、決定することを恐れていると言える。
ツァオ氏: 理念と戦略が欠如しているため、常に政府相手に説得に努めてきた。
      例えば、国際交流。商業的なコンテンツではなく、如何に革新的であるかが大切。
      また、国際交流に関しては、社会における問題をその場その場で提起し得るダンス
      こそ最もよい素材と言える。
      支援に関しては、担当者に知己も増えたことで、「私たちには観客が少ない。
      だからこそ私たちに支援すべきだ」という訴え方をしたりもした。
      関わる人数の大小をピラミッド構造で捉えてみると、
      商業的なものが最も大人数で一番土台を成していて、その上に伝統芸術が来て、
      で、コンテンポラリーダンスは一番上に来る状態にある。
      土台は既にある訳だから、政府がやるべきことは一番上の部分を支援し、
      そこを作っていくことである。
      ピラミッドの頂点がその社会を象徴している。
      行政は承知すれば支援してくれる。 → 説得の必要性。
ホン氏: 社会における芸術の役割を思うとき、芸術や芸術家は存在するだけで
      社会的な役割を果たしていると考える。芸術を社会で活用する方策は無限にある。
      国家・政府からの支援を受ける以上、そうした役割を果たす必要がある。
      しかし、芸術家の関心の的はクオリティのみになりがち。
      小学校での公演→娯楽とは異なる芸術の門を叩く瞬間を用意する意義は大きい。
      同じ公演でも、芸術家の立場を排除して作られたものなら、
      商業的なものに堕してしまいかねない。

(4)芸術、闘い
金森さん: 既存のものに闘いを挑まなければ芸術ではない。
      それぞれの国で、如何に彼らが闘っているかについて聞きたい。 
スィ・ブン氏: 一番の闘いは自分自身との闘い。
      自分がどれほど意志が強く、芸術に向き合い、挑戦していくか。
      どれくらい人に影響を与え、考えを変えることができるか。
      今、シンガポールで嬉しいのは、若い人(概ね35才以下の人)が
      熱い心を持ってコンテンポラリーダンスに向き合っているのを目にすること。
      とても心強く感じている。あとはこれからどう勉強していってくれるか。
ホン氏: 現代舞踊が良いものになるためには、良い芸術家がいなくてはならない。
      そして、それを支援する観客の存在があって初めて、公的な支援という話になる。
      金森Noismを観て、良い劇場があり、観客が多く、羨ましい。
      ずっとうまくいくのだろう。
      (金森さんは、すかさず、観客多くはない。(席が)空いている、と応答。)
ツァオ氏: 現在、24都市が連携して活動しており、小都市を公演しながら旅している。
      地方毎に抱えている問題は異なる。→資金を獲得する方法もひとつではないが、
      色々な小都市を旅して公演し、「ホーム」へ戻ると誇らしく思って貰える。
      それもまた芸術教育が持つ一側面。
金森さん: 各国の価値観、闘い方、活動の仕方、夢などを聞けた。
      「Ryuto(りゅうと)」という(ペットボトルの)水を飲みながら、
      こういうことがここ新潟で起こっていることが個人的には凄く嬉しい。

*篠田昭・新潟市長の挨拶
篠田市長: 「文化芸術振興基本法」(2001)が今年「文化芸術基本法」に改正。
      生活の文化の重視等、これまで新潟が辿ってきた道筋は間違っていない。
      『NINA』も、自らの身体を鍛え抜く環境に置かれたダンサーにのみ可能な作品。
      それらが相俟って、2015年に新潟市は東アジア文化都市に選んで頂けた。
      これからも、金森さんに怒られながら、持続可能な活動を作り上げていきたい。

---以上、シンポジウム終了の18:20までの約2時間、私も闘いました。(汗)
(1)途中から襲ってきた尿意を懸命に意識の外へ追い払いながら、
(2)ボールペンを握ってメモをとり続けた右手もだるくなり、更には痺れてくるし、
   指先は痛み始めるしで、…
それらが、件の「つらい事態」の中身で、その闘いはそれはそれで大変だったのですが、
複数の方から「内容を知りたい」とレポを頼まれてしまっては仕方ありませんね。
逐次通訳が行われたことで時間的なゆとりが生じたことと、
『NINA』で身体を酷使する舞踊家の姿を観た後だったことがあり、
それで乗り越えられたのかな、と思っております。(笑)
書き漏らしもあるでしょうが、そこはご勘弁を願います。
今は、「重責」を果たし、肩の荷を下ろしているところです。(汗)
参考にしていただけましたら、頑張った甲斐があるというものです。

さて、NIDF2017が滞りなく終了し、
9年振りの『NINA』は、このあと、
明けて2月17日(土)、18日(日)の両日、
会場を彩の国さいたま芸術劇場(大ホール)に移して、
全2公演が行われます。
関東圏に降臨する「生け贄」たちを
ひとりでも多くの方から目撃して欲しいものです。
ご期待ください。
(shin)

Noism1『NINA』新潟公演中日&サポーターズ交流会のことなど

この時期、新潟人は雪より雨を嫌います。
なぜなら、単純に濡れるからです。
で、冬の雨の日には、新潟人は口々に言います。
「雨は嫌だよねぇ。雪の方がまだましなんだけど」と。
(まあ、雪が酷かったりすると、それはそれで苦笑いを浮かべながら、
ぼやくんですけどね、新潟人。(笑))
そんな雨の2017年12月16日(土)にあって、救いだったのは、
Noism1『NINA -物質化する生け贄』新潟公演の中日だったこと。
天候以前に楽しみが待っていた訳です。

私は前日、1階席の最後列から観たのですが、
この日は最前列中央から舞台に視線を注ぎましたので、
2日間、まったく違った雰囲気を存分に堪能させて貰いました。

至近距離で観る井関さんの『The Dream of the Swan』は、
表情の細かなところまで確かめられたので、
本当に繊細な作品だということがわかり、前日とはまったく違って見えたくらいです。
悲しみというか、切なさというか、胸が詰まる感じがしました。
前日、ある既視感のようなものを感じていたのですが、その正体もわかりました。
会場中の視線を一身に受けて踊る井関さんの姿が
かつての『Under The Marron Tree』のそれと呼び交わすもののように映ったのです。
(個人の印象です。)
今の井関さんの姿に見とれたことは言うまでもありません。

『NINA -物質化する生け贄』に関しては、最前列であることで、
全体の構図や、全員の動きを一望できない嫌いもありましたが、
その一方、女性舞踊家の目が照明を受けて煌くのが見える点では、
得体のしれないマネキン、或いは人形、或いは傀儡を見る思いがしました。
全体を通して、舞踊家一人ひとりから過度の緊張感がとれ、
前日よりもスムーズな動きになっていた感がありました。

一人の舞踊家が劇場内の空気を支配し尽くした後、
荒涼とした光景を余韻としてとどめる『The Dream of The Swan』と、
舞台上、舞踊家全員、動いていようが止まっていようが、
エネルギーを発散させ続けることを求められ、
各々のパフォーマンスが、
その極限値を示すことで越境していく『NINA -物質化する生け贄』。
どちらも感性と、体力や精神力を総動員して、力いっぱい鑑賞しました。
で、思うのは、何度でも繰り返し浸りたいということに尽きます。

この日のアフタートークで語られたことについても、幾つか拾って、簡潔にご紹介します。
・舞踊家にとって、続けて観られることほど怖いことはない。(有難いことだが、その反面)
その際、一期一会を生き切れるかどうかが問われる。
・良い舞踊家の定義: 舞台を重ねる毎に良くなること。
(↑下の「あおやぎ」さんのコメントに詳細な補足あり。併せてお読み願います。)
・過去を常に刷新していくことが必要なのは個人も集団も同じ。
今まで培ってきたものの切り売りではいずれ枯渇してしまう。
何らかの苦痛を伴う脱皮も必要。
・井関さん: 『NINA』のリハーサルディレクターとしては、
舞踊家として一緒に踊る相手には通常秘密にしていることまで教えた。
この作品は宝物だから、いい形で世の中に発表したいと思ってのこと。
・金森さん: 自ら養ってきたことを他人に与えるのは覚悟のいること。
自分も全部あげた。Noismに賭けていればこそ。
あとは彼らがそれをどう受け取るかだ。 …

その後、場所を3Fのレストラン「リバージュ」に移して、
サポーターズ交流会(当初の「公演感想を語り合う会」)が開催され、
遠くは京都や横浜からの方をも含む24名の参加者を得て、
美味しいお料理とお酒を頂きながら、
Noismへの熱い思いを披瀝しあって、楽しいひと時を過ごしました。

 

会の最後には、「(公然の秘密)サプライズ」として、
金森さんと井関さんがお越しになり、
参加者のボルテージは一気に最高潮に達しました。
ご挨拶を頂いたのち、花束を贈呈させて頂き、
みんな揃っての記念撮影。
全員、はち切れんばかりの笑顔を浮かべていましたね。
会員同士の交流に、敬愛するおふたりとの交流も加わり、
ますますNoismを支援していこうという気持ちが強くなったことと思います。
金森さん、井関さん、お疲れのところ、本当に有難うございました。
そしてこの日参加できなかった方も次の機会には是非お越しください。
一緒に楽しい時間を過ごしましょう。

いよいよ大詰めを迎えたNIDF2017、
金森さんの言葉によれば、『NINA』新潟楽日のチケットは残り少ないとのこと。
演出振付家と舞踊家が渾身の力を傾けて届ける
『The Dream of The Swan』と『NINA -物質化する生け贄』、
是非とも満場の観客でその新潟公演を締め括りたいと思います。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、
人生をすら変える力をもった素晴らしい舞台を是非堪能しに来てください。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。

【追記】
新潟公演楽日の12月17日(日)は、同じりゅーとぴあのコンサートホールにて、
「第18回新潟第九コンサート2017」(14時~16時予定)という市民参加型のイベントがあり、
りゅーとぴあ界隈や駐車場が混雑することも予想されます。
特に、車でお越しの方はその点を頭に入れてお出ましください。
(shin)

観客に挑む、Noism1『NINA ー物質化する生け贄』新潟公演初日

19時からのりゅーとぴあ・劇場の座席に身を沈めるために、
新幹線に乗った人も多かった筈の2017年12月15日(金)。
この日から続く3日間、国内各所から目的地として目指される価値を有する
一地方都市、新潟市。

関東以南からのお客様にとってさえ、
この日の気温はさして堪えるほどのものではなかったのではないでしょうか。
しかし、それにも拘わらず、
これを書いている私は身震いを覚えていたのですが、
それは紛れもなく、NIDF2017最後の演目、Noism1『NINA』に臨む
気持ちの昂ぶりのなせる業だったと言えます。

開演時刻を5分ほど過ぎて、客電が落ち、緞帳が上がります。
飾り気がなく白い、病室のそれを思わせるベッドがひとつ。
そこに腰かける井関さんを、上から存在感あるペンダントライトが照らします。
急遽決まった約15分の新作『The Dream of The Swan』。
これまた白く、柔らかい衣裳の裾を揺らしながら井関さんが舞います。
恐れ、逃げ惑いながら、身を閉ざし、隠れながら、
苦悩するように、抗うように、呻吟するように、そして求めるように、…。
「まさに瀕死の白鳥です」と金森さん。
ラスト、見事な幕切れには呆気にとられ、快哉を叫びたい気分でした。
その場面、中日、楽日に、どうかご自分の目でご覧になってください。

休憩はなく、何度かのカーテンコールの後、
遂に、国内では9年振りとなる『NINA -物質化する生け贄』の幕が上がりました。

今回一新された衣裳は、文字通り「第二の皮膚」。
見事に舞踊家の身体の強度に呼応して存在感を放ちます。
更に、照明の息をのむ美しさには目を射抜かれました。
このふたつは2017年版『NINA』の大きな特徴と言えるものでしょう。

…で、『NINA』。
私事で恐縮ですが、
Noism歴の浅い身にとって、諸兄姉が口を揃えて「Noismの代表作」と語る『NINA』、
それを生で観ていなかったことは永らく大きな「欠損」として
常に身中で疼いておりました。
今回、初めてそれに向き合い、大きな衝撃を受けました。
「凄いものを観てしまった」と。

ここに至るまで、初演時のDVDを買い、時々観てはいたのですが、
正直、緊張感を途切れさせることなく観続けることは決して容易なことではありません。
舞踊家の身体が発するエネルギー、
その強度に拮抗し得る眼差しを送り続けることは
映像相手ではなかなか難しかったのです。

でも、やはり生の舞台は違っていました。
初めて踊る8人を含む、今回の『NINA』、
舞踊家全員がギリギリの力演を示し、「観客との闘い」(金森さん)に臨んでいたと思います。
女性5名、男性5名。見知った筈の身体がその相貌を異にし、
寸時も途切れることなくエネルギーを発し続けるさまを目撃する劇場。
周囲の空気がぴんと張り詰めるなか、
舞台の上の舞踊家、更には金森さんに切って捨てられてしまわぬように、
自分も知らず知らずのうちに前のめりになって目を凝らしていました。
体は強張りを覚えていましたし、瞬きすることも忘れていたのでしょう。
観終わったときには、総身からの疲労感が一気に押し寄せたばかりか、
両目もドライアイ症状を呈していましたから。

この日いらっしゃっていた元Noismの真下恵さんが、少し前に、
「『NINA』は観る方も体力を要する作品」と仰っていたのを思い出しましたし、
金森さんが、「『NINA』にはリラックスはないんだよ」と言っていたのは、
観客も含めてのことだったのですね、納得です。
心血を注いで創りあげた舞台であることは一目瞭然。
観る者の魂を揺さぶる『NINA』、まさに圧巻です。

終演後、緊張感を解き放たれたのは客席も同じ。
緞帳がおりた瞬間、劇場に深い静寂が訪れました。
そして再び緞帳が上がり、舞踊家の姿が視認されると、
今度は割れんばかりの拍手と飛び交う「ブラボー!」の声が場内に谺しました。
60分間の驚異を見せてくれた舞踊家たちに対して、
敬意や感謝、或いは労いを示さないではいられないとばかりに、
熱く、激しく、そして心から、いつまでも、いつまでも…。

ここからは初日のアフタートークに関して書き記しておきます。
まず、金森さんの口から、
「これだけ、半年間も、同じ舞踊家にエネルギーを注いだことは
後にも先にもなかった。
少なからず、客席には届いていたのかなと思う。
ここから彼らの『NINA』が始まるのだなと」、
或いは「2作品とも、今のNoismのすべてが出ている」の言葉。

韓国のホン・スンヨプ氏がさきに上演した演目『Mosaic』について、
「一般向けに」構成したと語っていたが、
金森さんも同様なことはあるか、との問いに、
「ございません」と一言のもとにあっさり否定した金森さん。
続けて、「観客一人ひとり、全く異なる人生を送っている人たちで、
それを『一般』という語では括れない」と説明。
すると、井関さんも「逆に、『一般』って、何かわからない。
だいいち、Noismを観に来る時点で既に『一般』ではない」(笑)
で、金森さんも「おかしな人たちだよね」(笑)
更に「伝わると思ったものが伝わらなかったり、
反対に、これはどうかなというのが伝わっていたり、わからないもの」と。

また、人と物に関しては、次のような興味深い発言。
「違いは生きているか、死んでいるか。
しかし、舞台上では、その境界はどこにあるのか。
たとえ、物であったとしても、得も言われぬものを想起させることがあるのだし、
要は、観る者がそれを人と思うか、物と思うかに過ぎない」

海外(欧米)のカンパニーが『NINA』をやったりはしないのかという質問に対しては、
「ないですね。興味を持っても、これをやろうという話にはならない。
動きをマスターするだけでも相当時間がかかる。
体の在り様が違うし、それ以前に精神的なものが違う。
観てみたい気もあるけど、
例えば、フランス人なんかだとすぐ『しんどい』とか文句を言い始めるだろうし、
そこが大変かなと」(笑)
「『で、じゃあ、どうして(やるんだ)?』と聞かれれば、
『(観客に)届くからさ』ということになる」

振付と音楽を一体化させる過程についての質問には、
「『NINA』では、振りを8割がた先に作っておいた。
作曲家(トン・タッ・アン氏)から音楽が届くのが遅くて、
『これはヤバイぞ』と。
ところが、実際、音楽が届き、『当てたら、合うじゃん』となった。
アンとは考えていること、間の取り方とか合うんだよね、不思議に」との答え。

井関さんの『The Dream of The Swan』を上演するきっかけについては、
「当初、(井関さんが)出ないかたちで進んでいたんだけど、
舞踊家が舞台に立たないっていうのは、
謂ってみれば、存在意義がないってくらいのことだし、
隣で(井関さんを)見ていたら、
『このままじゃ死んじゃうな』と思って、ああいう作品になった。
だから『瀕死の白鳥』なんですよ」と。

一緒にアフタートークに登場した井関さんからは、
「『NINA』は舞踊家にとっては、本当に嫌な作品で、
できれば逃げ出したいと毎回思ってきた。
特に女性は体力的にもしんどいし、
ちょっとのグラツキも許されないなど
精神的にも追い詰められている。
だから、上演の前には『この一時間を乗り切れますように』といつも祈った。
で、終わった時には倒れているのだが、次の日にはまた踊りたいと思うなんて、
おかしい人」(笑)と打ち明けるなか、
金森さんからは「あなたは100回くらい踊っているよね」(笑)のツッコミ。
井関さん「パートナーを恨みましたね」(笑)
金森さん「やめなさい」(笑)という『NINA』の鬼気迫る側面を
まるっとオブラートで包んだやりとりに至っては場内の爆笑を誘っていました。

また、今回の『NINA』で苦労したことを訊ねられて、
「教えられないってことがあるんだというのが、一番苦労した点。
与えられるものは与えようと思ってきたし、身体がよくなることは可能。
しかし、精神は教えられない。この瞬間を生きられるかどうか、
舞踊家としての意識が問われる」との答え。
すると、金森さんも、「教えられたものとしてやるのと、
自分たちで見つけたものとしてやるのとの違いは大きい」と補足。

…まだまだ興味深いお話がたくさん飛び出し、書き漏らしていることも多いのですが、
ここまででも相当な分量になってしまっているので、そろそろ終わりにいたします。

さあ、2017年版『NINA -物質化する生け贄』新潟公演が始まりました。
まだこれからご覧になる方も多くいらっしゃる訳ですし、
公演内容にはあまり踏み込まずに、
主にアフタートークでのやりとりを取り込むことで書いてきましたが、
勿論、「公設の舞踊団としての覚悟のほどを示す」(金森さん)に足る舞台であり、
今年を締め括る必見の舞台だと言い切りましょう。
見逃したら、この先、痛手となること必至でしょう。
新潟中日、楽日とも、まだお席にゆとりがあるようですし、
お誘い合わせの上、多くの方から是非その覚悟と切り結んで欲しいものです。
それでは、りゅーとぴあ・劇場でお会いしましょう。

【追記】
今回、ホワイエでは新しいNoismTシャツが
ブラックとグレーの2色展開で販売されています。
価格は1枚2,500円。(因みに、私は2色とも購入しました。(汗))
それを纏って、「NINA歩き」を真似してみるのも良いかもです。(笑)
ご検討ください。
(shin)

『NINA -物質化する生け贄』メディア向け公開リハーサル&囲み取材に行ってきました♪

今週火曜日の雪は殆ど融けてなくなったものの、
新潟公演前日まで並ぶ「雪だるまマーク」に備える風情の新潟市は
2017年12月8日、金曜日。
「実はまだ続いてるんですけど」(金森さん)というNIDF2017への参加作品
『NINA -物質化する生け贄』のメディア向け公開リハーサルへ行って参りました。

 

シンボルのクリスマスツリーのほか、幾つものリースがこの季節に花を添える
午後3時のりゅーとぴあ・劇場。
「じゃあいきましょうか」という金森さんの声がかかると、
それまで舞台上でアップをしていた舞踊家たちが両袖に消え、
客電が落ち、改めて緞帳が上がると、
温かみのある照明のもと、
5人の女性舞踊家それぞれの背後に5人の男性舞踊家がつき、
5組のペアを組みながら、「あの足運び」で前に出てくるところから、
作品の後半部分が踊られました。

女性舞踊家が纏う、廣川玉枝さんによって一新された今回の衣裳。
「第二の皮膚」たる衣裳の意匠も、
目を凝らして逐一じっくりご覧になることをお勧めします。

♪トンタ、トンタ、トタトタトタトタ
トンタ、トンタ、トタトタトタトタ…♪
トン・タッ・アンさんによる音楽も様々な場面を提出しながら、
それに隙なくシンクロする舞踊家の身体を一層際立たせていきます。

照明が変わり、衣裳や曲調も変わるなか、
終始、舞台に漲る張り詰める緊迫感だけは変わりません…。
30分間のリハーサルを身を乗り出して食い入るように眺めていたことは
言うまでもありません。

金森さんの「はいはい、OK。じゃあ公開はここまでになります」で客電が入り、
この日の公開リハーサルは終わりました。
…一言、酔いしれました。

   ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

続いて、ホワイエにて金森さんの囲み取材(15分間)です。
そこでのやりとりから少しご紹介いたします。
まず、今の出来栄えについて問われると、
「本音と建前とどちらがいい?」と最初はおどけて始めた金森さん。
しかし、答えの本質は常に大マジ。
「舞台芸術は一期一会。よくできましたと点がつくものじゃない。キリがないもの。」
「彼らが努力してきたのを見ているので、ある程度のところまできたと言いたい」と言ったのち、
自ら「や~さしい~」とツッコミを入れて、笑いをとったりもしましたけれど、
更に続けて、「頑張っているのは事実。しかし、客席から頑張っているように見えるのではなく、
エネルギーが空間に解き放たれ、客席を魅了する域までいく必要がある。
震えるほどのエネルギーを感じることができる、強度のある作品。
それが『NINA』なのだから」と。

また、廣川さんの衣裳についての質問には、
廣川さんが東アジアツアーはほぼ皆勤で同行され、
その都度、色味の変化を続けてくれたこと、
skinシリーズにはインスピレーションを感じていたので、いつか使いたいと思っていて、
今回、『NINA』をやることになったとき、
以前のレオタードから変えてみたいということで採用した、との答えが返ってきました。

『NINA』という作品そのものについては、
「30才のときの作品で、客観的に見て、演出の面では拙いな、と。
しかし、強度のある大切な作品だということも再認識した。
今回、彼らにアジャストする意味で、照明を少しいじっているし、
変えようと思えばいくらでも変えられるのだが、
『NINA』という作品を汚そうとは思っていない」
そして、「『NINA』はこれまで何度も踊り継がれてきた作品であるため、
舞踊家にとっては自由を感じにくい側面もあると思うが、
そもそも舞踊には広大な自由が拡がっているもの。
舞踊家は内側にエネルギーを宿しているが、
彼ら自身が自らを拘束してしまうのではなく、
踊ることの自由を感じることができるようであって欲しい。
そのためには頑張るしかないんだけど」という言葉のなかに、
舞踊家を率い、否、舞踊家をして現状に満足することなく、
絶えず更なる高みを追求せしめる揺るぎない姿勢の一端を垣間見る思いがしました。
また同時に、舞踊家にとって「『NINA』の場合、客席が埋まって、
そちら側から発せられるエネルギーも大切。
まだ観たことがないなら、一回くらいはこんな変なもの、観に来たらどうですかと
言いたい」という思いも口にされました。

最後に、井関さんのソロ『The Dream of the Swan』についての質問が出され、
「39才、今の井関佐和子を観に来て欲しい。
少し悲しい作品ではあるが、彼女の今の生き様を観て欲しい」
という金森さんの言葉をもって囲み取材は締め括られました。

その後、Noismスタッフの方に伺ったところによると、
『NINA -物質化する生け贄』は時間にして60分で、
新潟公演では、その前に、
井関さんのソロ『The Dream of the Swan』(15分)が置かれるのですが、
そのふたつは休憩なしで続けて踊られるのだそうです。
だとすると、現段階では井関さんのソロがあるとされていない埼玉公演とは、
かなり趣が異なるものになるかもしれず、
是非ともNoismのホーム・りゅーとぴあでの鑑賞をお勧めしたい所以です。

7,6,5,4,3,2,1…
「照明など、色々大変だった」(金森さん)という東アジアツアーを経て、
いよいよ『NINA -物質化される生け贄』新潟公演にむけての
ファイナル・カウントダウンが始まったという実感があります。
今のNoism1が名作『NINA』とどう対峙し、客席に何を放つのか、
しかと見届けたいと思います。
う~む、早く観たいぞ。
(shin)