「金森さん、マジすか!?」衝撃の『春の祭典』活動支援会員対象公開リハーサル!

2021年6月26日(土)の新潟市は日差しが強く、気温も上昇し、梅雨などどこへやら、もう「夏」の到来を思わせるような一日でした。

蒼天の下のりゅーとぴあ屋上庭園

行ってきました、活動支援会員対象の公開リハーサル。入場時間14:30を念頭にりゅーとぴあの劇場入口付近へ。やがて、「暑いですね」「ホントに」そんなふうに言いながら、いつもの面々が、気温以上の期待の高まりをその身体から発散させつつ集まってきます。

この日の公開リハーサル、予定された時間は15時から16時までの1時間。そうなると、「尺」からいっても『春の祭典』を見せて貰うことになりそうなのは確実。先日のメディア向け公開リハーサル後の囲み取材で、金森さんは「作品の終わらせ方が変わりました」と言っていたことを受けて、「でも、さすがにラストは見せないですよね。『ハイ、今日はここまで』って」「ですよね。こちらも本番で観るのを楽しみにしていたいし」そんな会話を交わしながら、ドキドキしながら入場の案内を待ちました。

この日も2階席から見せて貰ったのですが、遠目から、まず、一目見て感じた「ん、違う?」横一直線に並べられた21脚の椅子の見え方が今までと違っています。少しして違っている点に気付きました。そういえば、2日前の取材時に「ここから美術的にも変わったりする」って言ってましたっけ、金森さん。

そして15時。なんの前触れもなく、舞台下手袖から井関さんが姿を現しました。この日は2日前と違って、マスクなし。もう本番モードの21人。そこに血潮をたぎらすようなストラヴィンスキーによる圧倒的な楽音が降ってくると、上からも扇情的な照明が落ちてきて、そこからはもう、瞬きするのも惜しいくらいの舞台が展開されていきました。その圧巻の密度たるや、リハーサルとは思えないほどでした。

そうして目を吸い付けられるようにして見詰めているあいだに、どんどんストラヴィンスキーの音楽は進行していきます。やがて、金森さんの「ストップ!」がかかるまでと…。

しかし、しかし、しか~し、いつもの席に座る金森さんからは止めようという気配は微塵も感じられません。やがて、「これは最後までいくな」そう思うようになり、その通り、コロナ禍の状況が「必然」と感じさせた新しい「ラスト」まで観てしまうことになるのです。ホント、予期せぬ「マジすか!?」的展開には驚くほかありませんでした。

ですが、すぐ、こうも思いました。「ラストを観ていようが、いまいが、大した差はない。ただ実演の精度を上げるのみ。そう金森さんは考えているのだ」と。太っ腹というか、肝が据わっているというか、恐るべし金森さん。

もともと昨年、プレビュー公演を経ているのであってみれば、本来、今年の本公演は「再演」にも似た位置付け(*註)だった訳ですし、「ラスト」に至るまでの一瞬一瞬、21人の舞踊家の身体が切り出す「刹那」の美を見詰めてきた目にとって、「ラスト」がどうかなど、占める比重もさしたるものではあるまいと。それどころか、この日、「ラスト」を観て、知ってしまってさえ、更に期待が募るのは、Noismがこれまで舞台上から見せてきてくれた「刹那」が真実なればこそ。もっと言えば、「ラスト」を観てしまったことで、金森さんの揺るぎない信念に触れ、身震いのようなものを感じた事実をこそ書き記しておかねばと思った次第です。常に「超えてくる」のが、金森さんとNoismですから。

*註:金森さんは自身のtwitterで、明確に「再演ではなく初演」と言い切っております。そうだとすれば、なおのこと、この日、惜しげもなく「ラスト」まで通して見せてくれたことの背景に作品全体を通しての強い自信を感じようというものです。

音楽が止んだとき、呆気にとられて、控えめな拍手しかできなかった私たちは口々に「凄い」と漏らすのみ。そのあちこちから聞こえる「凄い」という言葉を拾って、「凄いね」と当然のように笑む金森さん。「詰めるとこ、もうちょっと詰めて、言いたいところはこういうところなので…。ひとりでも多くの方に観て頂いて」と自信のほどを窺わせました。そして続けて、「今日(の公開リハ)は1時間でしたっけ。このあと、ダメ出しも観ていってください」とも。

そうして舞台上、様々な調整の様子を見詰めるうち、予定の16時を少し回った頃になり、スタッフから丁重に退席を促されると、舞台上の舞踊家たちが全員動きを止めて、こちらに向き直り、笑顔で私たちに視線を送ってくれているではありませんか。いやはや、何とも贅沢この上ない公開リハーサルでした。

そんな「完成形」のNoism版『春の祭典』を含む、全4作品を堪能できる贅沢すぎる公演は来週金曜日(7/2)から。圧倒的な舞台に完膚なきまでに蹂躙される準備を整えつつ待つのがよろしいかと。もう、「これ見逃したら後悔しますよ」レベルのもの凄さです。よいお席はお早めにお求め下さい。

(shin)

『春の祭典』メディア向け公開リハーサルに行ってきました♪

2021年6月24日(木)の新潟市は日差しも強く、天気予報が予期させた以上に夏っぽい趣の一日。13時からの『春の祭典』メディア向け公開リハーサルに臨むべく、正午前に職場から、充分エアコンを効かせた車でりゅーとぴあへと向かいました。

県内のテレビ局各社のカメラセッティングが済んだ後、劇場の中へと進みます。舞台上に「あの」白い衣裳を纏った舞踊家たちがそれぞれに動きの確認をしている様子が見えてきます。その足許、リノリウムの雰囲気が昨年のプレビュー公演時と違います。また、アクティングエリアを区切る正面奥と両側の幕も異なります。「これが完成形」、そう金森さんは説明してくれましたが、特に彩色が施されたリノリウムは多義的な美しさを放っていました。

予定通りの13時。一旦、緞帳が下り、その手前に一列に並んだ椅子に腰掛けようと、まず井関さんが下手側から登場し、リハーサルが始まりました。やがて、21人の舞踊家にストラヴィンスキーの楽音が重なり、冒頭からの約20分間を見せて貰いました。

その20分間だけに限っても、リノリウムや三方の幕の存在感によってプレビュー公演のときとは随分と違ったものになって見えた印象です。

「OK! OK! Thank you! ちょっと舞台前に集まって貰っていい?」

ちょうど場面転換のところに差し掛かったとき、「OK! OK! Thank you!」と金森さん。続けて、「ちょっと舞台前に集まって貰っていい?」と舞台上の舞踊家を集めて英語で話し始めました。時間にして約10分。距離がありましたので、聞き耳を立ててもほとんど聞こえませんでしたが、「emotional complexity(感情の複雑さ)」なる表現を始め、端々に、「emotion」「emotional」なる単語が使われていたことだけは耳に届きました。その後の囲み取材の際に質問も出ましたが、内容は「トップシークレット!(笑)」(金森さん)とのことでした。

そして13:30からはホワイエで、その金森さんの囲み取材でした。以下に金森さんの答えを中心にいくつか拾い上げてみます。

  • Noismオリジナルの『春の祭典』について:「『生け贄』のテーマ性がどう表現されるのか、現代社会に何を訴えかけるのか、どなたにも感じて頂ける作品になっている」
  • 定員100%での上演について:「ちょっと複雑。舞台人としては客席が埋まった熱気のある舞台で実演したいが、来場頂くお客様には心理的な負担をお掛けするので申し訳ない思いもある」
  • プレビュー公演時との違い:「そんなに変わってないですよ。リノリウムが変わっただけ。印象がだいぶ違う。一年間期間をおくことによってより必然性をもってしまった。昨年よりも作品が重みを表現しなければならない、その重みを感じている。…『最後』が変わりました。作品の終わらせ方が変わりました。あまりにも現実の世の中が大変だし、あまりにも困難なので、舞台芸術を通して、何を最後に届けるか。混沌とした精神の痙攣のような作品の最後、お客様に届けるメッセージは変わりましたね。それは必然だった。稽古していてこれは違うねって。…『希望』というのとはちょっと違う。ある種の『願い』とか、『祈り』みたいなものがどうしても加わらざるを得ないっていうか。『絶望』を『絶望』のまま提示するのはちょっと…、劇場の外が『絶望的』過ぎるっていうか…」
  • コロナ禍における芸術家:「世の中と劇場の中の問題をこれだけ考えたことはなかった。戦後世代ですから、ここまで世界的な事象を日常生活で経験したことがない。そのなかで芸術に問われる意義とか価値は違ってきている」
  • コロナ禍、Noismの『春の祭典』が観客に届けるもの:「難しいですね。…難しいな」(しばし考えた末に)「何を感じて欲しいか、…『力』かな。『生きる力』かもしれないね。価値観とか、思考の産物じゃなくって、『生きる』っていう強さ。『生きる』って何だろうとか。人は誰しも一人では生きていない。『他者と生きる』ってどういうことかっていうことかな。上手く言えないけど」

囲み取材を終えて…。劇場の外にあった当たり前の「日常」が歴史的にも数えるほどの暗澹たる「非日常」へと反転してしまっている現在、金森さんとNoismは如何なる劇場的な《真正》「非日常」を見せてくれるのか、金森さんの言葉を聞いて期待は否応なく募ることになりました。言い換えるなら、それは、来月(7月)、傷を負った私たちの心に届き、私たちを鼓舞する「ハレ」なる舞台が観られることを確信するに充分な時間でもありました。

新潟から始まる今観るべき舞台、ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』。チケットは絶賛発売中です。よいお席はお早めにお求め下さい。来るべき夏、Noismが示す「春」から目が離せません。

(shin)

Noism0 / Noism1 『Duplex』

稲田奈緒美(舞踊研究・評論)

 コロナ禍により多くの劇場公演が制約を受ける中、感染対策に万全を期して、Noism0 / Noism1公演『Duplex』が開催された。客席は一人置きのため観客数は減ったが、観客が舞台を欲する思いは変らない。会場となった彩の国さいたま芸術劇場の小ホールは客席がすり鉢状に並んでおり、通常は舞台と客席の間を仕切らないオープンな使い方をする。ところが今回は、舞台と客席の間に幕を吊るし、その両側に袖を作って、額縁舞台(プロセニアム舞台)に仕様を変えた。小空間に敢えて作られた額縁舞台を、まるで西洋近代劇の第四の壁から部屋を覗き込むように観客が見つめる中、客席が暗くなり、Noism 1による『Das Zimmer』(振付:森優貴)が始まった。

 うっすらと照らし出される空間に、スーツ姿の男たち。鍵盤楽器のくぐもった音が、朧げな記憶のかなたから聞こえて来るかのように流れている。立ちすくむ男たちの身体から、声にならない感情がにじみ出る。物語が始まることを期待しながら観客が凝視すると、暗転により中断される。薄暗い照明がついて再び男たちが現れるが、再び暗転。途切れ途切れの薄暗がりから徐々に明るくなると、数脚の椅子と男女が姿を現す。男女はまるでチェーホフやイプセンの芝居の登場人物のような、かっちりとした上流階級風のグレーのスーツやスカートを纏っている。やがて舞台奥に横一列に並べられた椅子に、凍るような男と女10人が座り、一人あぶれていた黒いスーツ姿の男が去ると、残された10名によるドラマが動き出す。

 とはいえ、ダンスは演劇のように一貫した物語や登場人物に従う必要はない。むしろセリフ劇とは異なり、誰のものともわからない、言葉にならない感情の切れ端が動きとなり、踊りとなり、次々と変化していく。シーンが変わるたびに椅子の配置が変わり、異なる空間が現れる。その中で、女たちは複数で、あるいは一人でスカートを翻しながら突き進み、佇み、躊躇い、男たちはスーツ姿で走り、怒り、のたうち、踊り続ける。そこにいる男女は親子なのか、兄弟なのか、夫婦なのか、役割が固定しているわけではなく、シーンごとに親密さ、思慕、反目、疑心など様々な関係性が、視線や身振りによって象徴的に、あるいはダイナミックなダンスによって現わされていく。観客はそこに起きては中断される、様々な思い、感情、関係性、ドラマを見つめ、いかようにも解釈しながら、それが積み重なっていく重みを感じていく。

 やがて、くぐもった鍵盤音が徐々に輪郭を現わしてピアノの音に変わると、ショパンのピアノ曲であることが分かってくる。ピアノが次第に音を増してオーケストラが加わると、黒服の男が再び現れる。男女10人が暗転で繋いだドラマの断片に、黒服の男が介入し、歪められた身体で狂言回しのように紛れ込んでいくのだ。

 ラフマニノフの前奏曲「鐘」が重々しく鳴り響き、舞台の空気が一変する。荘厳なる悲劇性が波となって男女を押し集め、密集し、かたまりとなって個別性を失い、舞台から消えていく。残ったのは、黒服の男と女が一人。だが男の身体は、時間の中へ溶けていくかのようにねじ曲がり、薄れていく。それは彼の肉体的な死を意味するのか、記憶の中で彼が消えていくことを意味するのか、解釈は自由だろう。男の姿を見届けて、女は屹然として舞台奥の眩い光の中へと歩んでいく。女は現実の世界に戻るのか、未来へ進むのか、彼女の行く先を決めるのは観客である。

 振り付けた森優貴によれば、作品名の『Das Zimmer』はドイツ語で「部屋」という意味だそうだ。覗き込んだ部屋で、次々と起こっては中断され、完結することなく形を変えていく物語に、観客は感情を揺さぶられ、自らの思いを投影し、あるいは忘れていた記憶が呼び起こされ、吸い寄せられていった。誰かの一つの物語ではなく、誰でもあり誰でもない、無数の物語。多国籍で多様なダンサーたちなればこそ、次々とこの部屋で起こる無数の物語に、色とりどりの意味を加え、さまざまな角度から光を当てることができる。森優貴とNoism1のメンバーが共に作りあげたその部屋は、小空間に閉ざされながら、観客に対して無限大に開かれていた。

『Das Zimmer』
photo by 篠山紀信

 休憩をはさんで第二部は、金森穣の演出・振付、Noism0の出演による『残影の庭~Traces Garden』。これは2021年1月にロームシアター京都開館5周年記念として、上演されたばかりの新作だ。雅楽の演奏団体として伝統を守り、かつ現代の革新に挑んできた伶楽舎と共に創作された。演奏されるのは、武満徹の《秋庭歌一具》。金森にとって雅楽でダンスを振り付けることは初めてであり、持ち前の探求心でその背景に流れる歴史、文化、社会までを掘り下げ、武満徹をそのコンテクストに置き、考えを深めながら創作に挑んだようだ。観客としても、この刺激的な組み合わせに期待しないはずがない。

 舞台の幕が上がると、三方の壁には九つの燈明のような灯がともされ、チラチラと風に揺らいでいる。舞台中央には、雅楽の敷舞台のような正方形が敷かれ、日常の喧騒から離れた静謐な空間が設えられている。そこに三人のダンサー、金森穣、井関佐和子、山田勇気が現れる。三人が身につけているのは、合わせ衿の直垂のような衣装。しかし袖がないため腕は剥き出しになっている。身体のラインを消す衣装から突き出た腕が、肉体の温もりと塊としての密度を保ちながら、滑らかに動くかと思えば、抽象的な舞楽の舞の型も取り入れ、厳かに、優美に動いていく。三人がそれぞれの場を踏み固めるようにユニゾンで踊り、また、前後に重なって千手観音のような形象も見せる。まるで人から、何ものかへ変わるために場と身体を清める儀式のようだ。

 天井から赤い衣装が降りてきて、吊るされた形のまま、井関が頭からスルリと衣装に入り込む。狩衣のような形をしたそれは、しかし柔らかな素材のため、井関の動きに合わせて軽やかに揺れ、裾が翻り、袖が腕に巻き付く。金森、山田とのコンビネーションでは、井関はまるで重力に支配されていないがごとく、軽やかに宙に舞い、空を泳ぐ。雅楽の音に同化するかのような軽やかさを、柔らかな衣装の動きがさらに増幅して見せている。このような無重力のイリュージョンは、ロマンティックバレエのバレリーナたちがトゥシューズを履き、チュチュを着て、青白いガスライトに照らされて暗い森の中に浮かび上がることで現出させたものである。しかし、井関たちは西洋の妖精たちのように天上を目指すのではない。空気や風となって、音と共に空間に溶け込んでいくのだ。これまでのNoism作品では、生きる身体の熱量を空間に刻み、痕跡を残していくような作品が印象に残っている。一方、この作品では雅楽の音が空間に溶け込みながら響きわたるように、身体の物質性は希薄になり、現れては消え、見る人の中に残像のみを残していく。空気の流れ、風を身体によって視覚化し、空間に溶け込むことで身体の存在を止揚しているかのようだ。

 すると、山田が大きな枯れ木を背中に担いで舞台に現れる。先ほどまでとは正反対の、重力にまみれた巨木とそれを運ぶ人。唐突な具体性に驚きながら、物語の始まりを予感する。山田がその木を床に据えると、舞台は昔話や説話の世界に見えてくる。山田は茶色、金森は黒の狩衣を身につけ、3人のダンサーは再び人に戻り、女や男という意味や関係性を纏って物語のワンシーンのように身振り、手ぶりを挟み込みながら踊っていく。しかしそれは、特定の物語ではなく、物語が形作られる前の原型のような、言葉になる前の音と風が渦巻く状態だ。

 そして三人は狩衣を脱ぎ、鎮めの儀式をするかのように意味をそいだ身体で踊る。彼らの呼吸が音に溶け、風に溶け、身体が風そのものになって秋の庭に残っていくように。

『残影の庭~Traces Garden』
photo by 篠山紀信

 振付、構成も音楽も対照的な二作品を見終えて、何か通底するものを感じた。ひとつの形として統合され、塊として完成されていくことへの躊躇い、疑い。私たちが確かさとして感じていたものが、分断され、中断され、希薄になり、記憶という時間へ、呼吸という風へと変わっていく。それは破壊や分断、消滅ではなく、むしろダンスによって描き出す身体が時間と風になることで、連続性を取り戻すかのようだ。この二つの作品には、今という時代が投影されている。

(2021.2.26(金)19:30~/彩の国さいたま劇術劇場・小ホール)

PROFILE  |  いなた なおみ
幼少よりバレエを習い始め、様々なジャンルのダンスを経験する。早稲田大学第一文学部卒業後、社会人を経て、早稲田大学大学院文学研究科修士課程、後期博士課程に進み舞踊史、舞踊理論を研究する。博士(文学)。現在、桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修准教授。バレエ、コンテンポラリーダンス、舞踏、コミュニティダンス、アートマネジメントなど理論と実践、芸術文化と社会を結ぶ研究、評論、教育に携わっている。

3/21 ホテルオークラ新潟「絶やさない、新潟のおもてなし Noism Company Niigata 応援しよう、ノイズム。その創造力と身体表現に浸る」会員レポート

※月刊ウインド編集部、さわさわ会役員、Noismサポーターズ会員の、久志田渉さんがご寄稿くださいました。

 ホテルオークラ新潟主催による、新潟の文化・芸術を応援しつつ、ホテルならではの食事を楽しもうという企画。新潟古町芸妓、合奏団「新潟ARS NOVA」に続く第3弾が、Noism Company Niigataを迎えて開催された。チケット販売開始から時間を経ずに満席となったが、幸運にもイベントの告知開始日に予約出来た為、最前列中央で鑑賞する機会を得た。

 開場前のホテルオークラ新潟4階コンチネンタルルーム前は、着飾った人々でにぎわう(りゅーとぴあ周辺でお会いするNoismファンよりも、ホテルオークラ新潟のご贔屓筋が圧倒的に多い印象。失礼を承知で書けば、話題の映画「あのこは貴族」ではないが、日頃過ごしているのとは別の世界に迷い込んだよう)。

 12時からは総料理長・小島淳氏によるフランス料理の午餐。フランス料理を食べつけないが、前菜の皿に彩られたビーツ・ターメリック・ハーブの三色ソースの美しさと旨さ、熱いパンに浸して食す「海老のビスク」、肉嫌いでもそのしっとりした歯応えに唸る牛肉ソテーなど、見た目と味まで心配りされたメニューを堪能(ついつい酒が進んでしまう)。

 13時半からは、いよいよNoismの公演。公演前にはNoism芸術監督・金森穣さんが登壇。世界レベルの舞踊に“和”の身体性を融合させて挑むNoismの精神と、ホテルオークラの創業者・大倉喜八郎の子息・喜七郎が提唱した「大和楽」を対比させ、この場で公演することの意義を強調。最前列の為、金森さんの足元が、語っている時まで左右に開いており、Noismメソッドが徹底していることに驚く(「市民のためのワークショップ」に参加したからこそ気付けたことかもしれない)。

 幕開けはNoism 2『新潟幻影』より「銀の吹雪」。各々一脚の箱椅子を持って登壇するNoism 2メンバー。センターの4人、バックの5人それぞれの献身と、邦楽の音色、照明の工夫とが噛み合い、宴席に新潟の雪景色が確かに現出する。池田穂乃香さんの伸びやかさ、カナール・ミラン・ハジメさんの落ち着きを特筆したい。

 続いてはNoism 1「Fratres I」。告知チラシにNoism 0の名が無く気になっていたが、やはりNoism 1メンバー(井本星那さんは欠場)のみによるアレンジがなされていた。後半のトークショーでもNoism 0メンバーが語っていたように、舞台袖から登壇するNoism 1メンバーの普段とは少し異なる緊張感が、客席にもビシビシと伝わるよう。センターを務めたのはジョフォア・ポブラヴスキーさん(昨年12月のオルガンコンサート以来の登板)。日頃の軽み・可笑しみのあるイメージとは異なるストイックさと、堂々たる身体を活かして舞台の要となっていたのが感動的だった。鳥羽絢美さん・西澤真耶さんの舞台を支える力強い美しさ、三好綾音さんの躍進、女性メンバーより人数の多い男性メンバーの存在感。「FratresⅡ」「FratresⅢ」を経ているからこそ、その祈りのような振付の共振、このシリーズを観てきた間のNoismや世界の困難が想起され、涙が零れる。

 三幕目は映像舞踊「BOLERO 2020」。昨年の配信開始以来初となる、大画面での上映だった。小さな画面で細部を見つめる喜びのある作品とはいえ、Zoomを思わせる分割された画面で複雑に交錯する舞踊と、孤立していた筈の舞踊家たちの動きが連鎖していくダイナミズムを大きなスクリーンで多くの人と共に観ることの味わいたるや。6月初めには、筆者がボランティアスタッフを務める新潟・市民映画館シネ・ウインドで、また7月のNoism本公演でも上映が予定されている為、ぜひ大画面で楽しむ「BOLERO」に期待していただきたい。

 そして締めくくりはNoism 0の金森穣さん、井関佐和子さん、山田勇気さんによるトークショー。冒頭、日頃とは全く違う環境での公演に臨んだNoismメンバーが発した緊張感について、「力量が問われる場」(金森さん)「スタジオBとは全く違う距離感。この緊張感を、舞台に活かしてほしい」(井関さん)と、エールを送った。

 芸術選奨文部科学大臣賞受賞について、「毎日『嘘じゃないの』と穣さんに聞き続けた」「自分のことよりも、Noism・りゅーとぴあや新潟の人々への感謝の気持ちが湧いた。そのことを再認識する受賞だった」と語る井関さんと、「この国のエラい人たちが、ようやくこの人(井関さん)の価値に気付いた」「舞踊家・井関佐和子を生み出したことは、自分が来てから新潟が成しえたことの三本の指に入る」という金森さんに、胸が熱くなった。

 当日配布されたパンフレットにはNoism全メンバーがそれぞれの「新潟の好きなもの・こと」が記されていたが(山田勇気さんが壇上でも強調された「北海道出身だが、新潟の魚の味は繊細。全然違う」という指摘も嬉しい)、司会者はあえて「新潟の厄介なこと」を質問。金森さんの「風や雪の中で、歴史的に身体に刻まれた忍耐強さが新潟の人にはある。それは凄く美しいことだが、新しいことを始めたり、世界に発信する時の瞬発力に繋がりにくいことが弱みとなる」という指摘には、新潟人として「正に」と唸らされた。

 今後への抱負として井関さんは「前へ進むだけではなく、(芸術選奨受賞を経て)自信を持ち、安心して掘り下げていこう」、山田さんは「今までは一歩一歩を大切に歩んできたが、より遠くを見ていこう」と語った。そして金森さんは、新潟の未来像として「素晴らしく、クリエイティブな街として世界に知られ、人が訪れ、また世界に人が出ていく街になるビジョンがある。新潟が金森穣を手放さなければ」とし、「いつまでも新潟で、より広く高く発信を続けたい。市民に広く知られる活動を展開しつつ、世界の頂に挑戦してゆく」と、その信念を強調した。

 サプライズとして井関佐和子さんの芸術選奨文部科学大臣賞受賞を祝し、「舞踊家・井関佐和子を応援する会 さわさわ会」代表・齋藤正行(新潟・市民映画館シネ・ウインド代表)が、さわさわ会&サポーターズからの花束を井関さんに贈呈。

 最後はNoism 0、1、2メンバー、浅海侑加Noism 2リハーサル監督も登壇しての記念撮影タイムを経て、プログラムは無事終了した。

 齋藤代表は「ホテルオークラファンの人がNoismを知って、公演を観に来てくれたら、嬉しいね」と語っていたが、広くNoismが新潟に暮らす多様な人々に親しまれる為の、新たな一歩となる時間だったように思う。

(久志田 渉)

【インスタライヴ-13】佐和子さんの受賞と埼玉公演終演とが相俟ってのテンションMAXトーク

『Duplex』の埼玉公演を終え、佐和子さんの芸術選奨文部科学大臣賞受賞が発表された翌日、2021年3月4日(木)の20時から、穣さんと佐和子さんによるテンションMAXのインスタライヴが届けられました。その模様を少しだけ採録致します。

*佐和子さん、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞 

  • 穣さん「やっと言えた。我慢するのがしんどい。人目につかないところで小躍りしていた。はしゃぎ過ぎ、オレ」
  • 佐和子さん「新潟公演の休演日にニュースが入ってきた。穣さんが数十倍喜んでくれた」
  • 穣さん「努力って報われるんだな」「これだけやったら届くんだな」「見ててくれる人いるんだな」
  • 佐和子さん「恩返しが出来るという意味で、賞は嬉しい」「私のことを自分以上に早くから認めてくれていた(共にお亡くなりになった)浦野さん、山野さんの凄いエネルギーが降ってきたんじゃないか」
  • 佐和子さん「受賞理由のなかの『新潟発の日本を代表する舞踊家』は本当に嬉しかった。ここ(りゅーとぴあ・スタジオB)がなければ、日本で踊っている可能性は凄く少なかった。17年間」
  • 穣さん「金森穣の作品を体現するだけでなく、振付家・金森穣を触発するミューズ」
  • 佐和子さん「ド根性で穣さんの背中を追いかけているだけじゃなく、ここ最近は、穣さんの背中を見つつも、自分の道を行かなければならないという思いになってきた」「踊ること、創作することが違うベクトルを走り始めた感じ」「受賞で、ここから突き詰めて良いんだなという自信が得られた。何も守らなくていいんだと思えた」

*『残影の庭』埼玉公演(4日間で5公演)

  • 天井の高さ・客席形状の違いから、照明を作り直さざるを得なくなり、ゲネプロがやれなくなってしまった。
  • 穣さん「照明によって、世界観が全く違っちゃう」「小さいホールほど、照明は緻密な計算が必要」
  • 「テクラン」という名の通し稽古を入れて6回踊った埼玉。
  • 2回公演の日は精神的に大変だっただけでなく、関節が柔らかくなり過ぎて止まれない、身体に小さなブレを体験。

*今回の作品『残影の庭』本番直前のタイミングの話

  • 佐和子さん: 本番3分前、最後に水を飲む。本番1分前、穣さんと勇気さんの全身をチェックする。←気になって、自分の集中力が削がれないように。
  • 穣さん「せめて、3分前にして。1分前に何かあったら、めっちゃ動揺するから」
  • 佐和子さん「3分前は『水』だから」(笑)

*『残影の庭』の羽衣衣裳について

  • 堂本教子さんによる衣裳、発案は穣さん。
  • その軽さに3人とも一度はパニックになったことがあるとのこと。
  • いつか展示できたら、触れて頂きたいとのこと。
  • 3人とも2着ずつあるのだが、2着とも、その繊細さのため、完全に一緒にはなり得ない。練習用と本番用とで感覚に違いがある。
  • 衣裳を着けなければスルスル楽な動きも、衣裳を着るとそうはいかなくなる。衣裳のお陰で、3人のなかで無言の会話をしていた。3人で踊っていたのではなく、6人で踊っていた感じ。リッチな体験だった。

*そのほか、『残影の庭』について

  • 佐和子さん「作品を通して一番難しかった動きは、その場で立ち止まって、ただ回る、ただ方向を変えることだった」
  • 穣さん「能の凄さを実感した」
  • また、能を模した6m四方のリノリウムに関しても、素材がゴムのため、若干広くなってしまうのだが、その僅か増した広さに身体が順応したことのほか、まじまじと見ずとも、そのリノリウムの黄色を視野角に収めて動いていたことなど繊細な体感の話も。
  • 再演したい。息の長いレパートリーになる。海外にも持って行きたい。(佐和子さんは屋外でもやりたいのだそう。)伶楽舎さんとまた「生」でやりたい。

*これから

  • 穣さん「埼玉の芸術監督に近藤良平さんが就任し、新国立は吉田都さん。舞踊の力をこの国で、社会に浸透させていけるよう精進したい」

ライヴのラストは、再び佐和子さんの受賞の話に戻り、穣さんから「最後にもう一度大きな拍手」が贈られて、ふたり大笑いのうちにジ・エンドとなりました。

いつもにも増して、終始ハイテンションで展開されていったこの日のインスタライヴ。細部にはこちらでは取り上げなかった楽しい話も盛り沢山。まだご覧になっていない方はアーカイヴでどうぞ。こちらからもご覧頂けます。

それではまた。

(shin)

『Duplex』埼玉公演3日目ソワレ(2/27)感想(サポーター 公演感想)

☆Noism0 / Noism1 『Duplex』(2021/2/27@彩の国さいたま芸術劇場〈小ホール〉)

一昨日に続き、「Noism0 /Noism1『Duplex』」埼玉公演3日目を観ました。 いつもですと、土曜日は合唱団の練習があるのですが、非常事態宣言で中止となり、幸いにも埼玉公演2回目を観ることができました。

最初は、森優貴さん「Das Zimmer」です。「群像劇」ですが、断章ごとに異なるダンサーにスポットがあたり、それぞれ見せ場があるのは観客として嬉しいですね。

先日はこの密室空間を「洋館」と書きましたが、今回は学校生活のように感じました。衣装も制服のようにも見えますし。

男女ペアの「ハグ」が印象的でした。密着せず持ち上げていないのに女性が浮いています。不思議な美しさがありました。

ラストの渡部さんのソロは、これまで周囲に合わせていた彼女が、自立し、もがきつつも前に歩もうとしています。井本さんの代演で相当なプレッシャーを感じていたかもしれませんが、見事でした。

「残影の庭」については、初演の京都公演と新潟・埼玉公演を観て気づいたことについて書きます。

まず、京都の初演を観た時は「あまり踊らないなあ!」というのが第一印象でした。それが新潟・埼玉公演では、静寂な世界観はそのままに踊りに満ちていて、その感じ方の違いに驚きました!

どうしてでしょうか。

第一に京都では「秋庭歌一具」のうち「秋庭歌」が雅楽のみだった、のがあると思います。舞踊家のいない舞台(庭)が「不在感」「残影感」を醸し出しますが、舞踊のみの公演でどうするのだろう?という疑問もありました。まさかの曲ごとカットには驚きました。

また、京都では共演した伶楽舎の影響も大きいです。雅楽は演奏家の立ち居振る舞いが「静」そのもの。武満徹の曲でさえも空間が動かない印象がありました。観客にも少なからず影響を与えていると思います。

舞台装置についても書きます。

新潟・埼玉公演では壁に備え付けだった灯篭は、京都公演では天井からぶら下がり、上下に可動式でした。 雅楽と舞踊の結界のようでもあり、また逆に極彩色の雅楽と淡色のNoismを結びつける効果もあったと思います。

新潟・埼玉公演でひらひらと落ちてきた落葉は、京都公演ではバサッと落ちてきたのも印象的でした。ベジャール「M」の桜吹雪と落ち方が一緒のようにみえました。

この落葉については、第一部の最後の曲目で声明を唱う僧侶たちが「散華(さんげ)」を巻いたのもあり、Noismの落葉が「散華」のようだったのも奇跡的でした(果たして金森さんは狙っていたのでしょうか?)

以上、思いついたままにつらつらと書いてしまい、非常に読みにくい文章になってしまいました。 何かしら公演や作品を感じる手助けになれば幸いです。

(かずぼ)

『Duplex』埼玉公演 大千穐楽(2/28)に行ってきました!

2021年2月28日。新潟も埼玉も春らしくていいお天気! 久しぶりの埼玉公演。関東にお住まいの友人知人、会員さんたちにたくさん会えました♪

さて、新潟公演の開場は15分前ですが、埼玉は30分前。 3番のチケットをゲットしていたので、早めに会場に行って順番を待ちます。 今回の埼玉公演は、いつも数回観る私には珍しく、今日1日だけの鑑賞。しかも楽日ですし、やはり最前列ですよね。 まん中上手寄りの希望の席に座れました♪

森優貴さん『Das Zimmer』が始まります。Noism1井本さんの代わりにNoism2の渡部梨乃さんが出演するそうなので期待が高まります。 とは言え、実はちょっと心配していたのですが杞憂でした。とてもよかったです! しっとりと落ち着いていて、でも初々しくて。 森さんが求めていた「ノーブル」という雰囲気にぴったりだったと思います。 渡部さんプロフィール:https://noism.jp/about/member/?person=8742

『Das Zimmer』は演劇的でミステリアスです。メンバーは皆、難しい役柄を自分のものにして踊っていたと思います。

休憩後は、金森穣さん『残影の庭―Traces Garden』。Noism0の3名が舞います。 これはもう「神」!! 美しい!!  見る者は法悦に身を委ね、ただただ呆然とするのみです。

素晴らしい大千穐楽でした。 皆々様、ロングラン公演おつかれさまでした! ブラボー!!!!!

※埼玉公演には速報チラシが折り込まれていました♪

  • Noism2定期公演vol.12: 4月22,23,24日 りゅーとぴあ劇場
  • Noism0,1,2『春の祭典』: 7月2,3,4日 りゅーとぴあ劇場             
  • 同: 7月23,24,25日 さいたま芸術劇場

3月もイベントや公演が次々と続きますよ♪ インスタライヴもあるかも。 目が離せませんね!

(fullmoon)

『Duplex』埼玉公演初日(2/25)を観ました♪(サポーター 公演感想)

☆Noism0 / Noism1 『Duplex』(2021/2/25@彩の国さいたま芸術劇場〈小ホール〉)

彩の国さいたま芸術劇場小ホールで開催された「Noism0 / Noism1『Duplex』」初日公演を観ました。与野本町の劇場に来るのは昨年1月の「森優貴/金森穣Double Bill」公演以来となります。

全5公演すべてが前売りの段階でチケット完売!新型ウイルスの影響により客席数が制限されているとはいえ、2月はダンス公演が非常に多い時期ですからチケット完売は喜ばしいことです。

最初に森優貴さんの作品「Das Zimmer」がNoism1メンバーにより上演されます。ちなみに出演者変更によりNoism1の井本さんとジョフォアさんは今回オンステせず、Noism1準メンバーの2人(杉野さん、樋浦さん)とNoism2メンバーの渡部さんが踊りました。

「Das Zimmer(=部屋)」と題されたこの作品、メンバーはレトロ風ながら洗練されたかっこいい洋装に身を包んでいます。制作段階で「密室群像劇」との言葉を目にしたこともあり、何らかの事情で外に出られない密室(嵐で閉じ込められた洋館や難破中の豪華客船内など)の中で起こる濃厚な人間模様を見ているようです。江戸川乱歩のミステリー小説の世界を想像しました。

ショパン・ラフマニノフの小曲とともに恋愛や軋轢のドラマを展開します。恋愛もどうやら一筋縄ではいかなさそうで「人物相関図」が欲しくなります。ただしドラマは暗転により突然終わり、普段見慣れているダンスとは違い(ノってきたと思ったら突然切られる)というはぐらかされた感覚もあります。森さんの解説には「外してみる」ことを試みた、とあるので意図されたものだと思います。

休憩をはさみ、金森穣さんの作品「残影の庭―Traces Garden」がNoism0の3人により上演されました。森さんが「部屋」ならば金森さんは「庭」。空間をテーマとする2作品が重なったのも楽しいです。

「残影の庭―Traces Garden」では武満徹の雅楽「秋庭歌一具」が使われていますが、タイトル曲「秋庭歌」は使用されていません。どうしてだろうか、と思い「秋庭歌」の曲についてウィキペディアで検索してみると、「『秋庭歌』は初演の際に舞がつけられていた」とあります。もしかしたら金森さんが初演の舞を尊重して新たに振付しなかったのかもしれませんし、この曲を外すことが「残影」そのもの、という意図なのかもしれません。

舞台はまるで日本の古典芸能のようです。人間が羽衣のような衣装を身に纏うことで精霊としての本性を現す、というのは古典芸能そのもの。3人の精霊が秋の庭で舞い遊ぶさまは、まるで既に伝承されている故事を見ているようです。

途中、古木やその魂(曲中で雅楽が「木魂」という小グループに分かれることに掛けているのかもしれません)も現れ、井関さんの精霊と踊るのも楽しいです。 落葉し精霊が去ったのち、再び羽衣を着た金森さんが現れますが、この金森さんは精霊ではなく「木魂」だったのかもしれません。

ちなみに、私が最近大好きなテレビ番組「ヒロシのぼっちキャンプ」では、ぼっちキャンプを楽しんだヒロシさんが場所を元に戻してからパッと画面から消えエンディングとなります。画面が風景だけになることで「(キャンプを楽しんでいた)ヒロシさんの残影」が強く印象に残ります。「残影」について考えていたら、この映像がふいに思い出されました。

上演は日曜日まで続きます。土曜日には新潟公演にもなかった1日2公演もありますし、怪我や感染がなく最後まで無事公演が成功して終えられるよう見守りたいと思います。

(かずぼ)

『Duplex』新潟楽日、スタジオBは感動のスタンディングオベーション締め♪

2021年2月11日(木)、「建国記念の日」の新潟市・りゅーとぴあは、音楽では高嶋ちさ子さん(12人のヴァイオリニスト)あり、演劇なら吉田鋼太郎さん×柿澤勇人さん(『スルース ~探偵~』)あり、そして新潟お笑い集団NAMARAまでありと、駐車場も(吉田鋼太郎さんに因むなら)「所さん!大変ですよ」状態で、動かない車列にハラハラした方も多かった模様。かく言う私もUターンして、付近の駐車場を利用することに切り替えて、事なきを得たクチでした。

そんな『Duplex』新潟ロングラン公演楽日のホワイエは、(新潟では)見納めとなる舞台に高まる期待感が、顔という顔から間違いなく窺えました。この日が初めての人も、そうでない人も、あと数分で「約束された感動」に浸れるという高揚感を漂わせていなかった人など皆無でしたね。

4回目の鑑賞となるこの日は、頭を動かすことなしに、そのまま舞台全てを視野に収められる、これまでで一番引いた席(中央ブロックの後ろから2列目)を選んで腰掛けて、開演を待ちました。

いつも通りに開演時間を3分ほどまわった頃、森さんの『Das Zimmer』の幕が上がります。仄暗さのなか、青年期の5×5(+1)の男女によって描かれる群像劇は、(個人的には)やはり「束の間」とか「かりそめ」とか「儚さ」、或いは「喪失」とか「不在」とか「違和」などの類いの語彙が自然と浮かんでくるスタイリッシュな舞踊作品で、欧州の雰囲気が濃厚に立ちこめる35分間は、この日に至って、滑らかさとダイナミックさを増し、切なさという情緒を堪能しました。

休憩を挟んでの『残影の庭~Traces Garden』、情趣は一変しますが、こちらもこの上なくスタイリッシュです。それを「日本古来の」と言ってしまいたくなるものの、事はそう簡単ではなく、現代音楽と現代舞踊によって象徴的な手法で可視化された「日本らしさ」です。その古くて新しいさまが色鮮やかに観る者の目を射ることでしょう。初秋から晩秋まで、兆しては移ろっていく毎年の奇跡にうっとりとするのみ。武満徹×Noism0の自然頌。この「日本らしさ」、海外にも持って行って欲しいなぁと思うものです。

この日、「楽日」のスタジオB。どちらの演目も終演後にはスタンディングオベーションで応えた客席。このご時世でなければ「ブラボー!」も乱れ飛んだのでしょうが、その代わりに、僅か50人のものとは思えないほどの大きな拍手がいつまでも谺したカーテンコールは、演者にとっても、観客にとっても、至福の時間だったと言い切りたいと思います。

客席を大きな感動で包んだ新潟でのロングラン、全12公演。この勢いは埼玉に引き継がれます。埼玉でご覧になられる皆さま、お待たせしました。濃密な35分と35分に、普段とは全く異なる時間感覚をお楽しみ頂ける筈。圧倒されて、言葉を失う体験が待っています。乞うご期待ですよ!そして、まだまだ観たいですし、まだまだ観たい人は多くいらっしゃいますし、「凱旋公演」激しくキボンヌです♪

(shin)

心を鷲掴みにされ、身体は熱を帯びた新潟公演9日目の『Duplex』

例年より一日早い節分と立春を経た週末、2021年2月6日(土)の新潟市は、前日早朝の物凄い路面凍結が嘘のように、穏やかな日差しに恵まれ、暦の上のみの春から、日々、その「兆し」が大きくなっていることを実感できる一日でした。

そんな午後、りゅーとぴあ・スタジオBへ、『Duplex』の新潟公演9日目を観に行ってきました。都合3回目の鑑賞でした。有難いことです。

過去2回は、全体を視野に収めることが出来るほぼ中央部の席から観ていたのですが、この日は連れ合いが「最前列で観よう」と言うので、その言葉に従って、首振り覚悟で、一番前の席を選んで腰掛けました。複数回観るのなら、やはり、一度はその選択はアリですね。森さんの『Das Zimmer』では、あたかも「部屋」の一員ででもあるかのように、願えども得られない繋がりに身悶えし、「不在」に身を焦がす、その切なさを共有しましたし、更に、金森さんの『残影の庭』にあっては、3人の腕の産毛さえ視認でき、空気の震えまで伝播してくる近さはもう「圧巻」の一言で、一瞬にしてあたりを浸してしまう武満徹の「一にして全」の楽音とフォルテッシモで迫ってくる無音を全身で浴びることと相俟って、心を鷲掴みにされる時間を堪能しました。両作品とも、これまでの少し引いた席から視線を送っていたときとはまったく別物の見え方でした。

『Das Zimmer』の情緒たっぷりのピアノは誰だろう。ショパンなど、勝手に、無責任極まりなくも、「ホロヴィッツ」などという名前を思い浮かべたりするのですが、まったく根拠もないことでして、どなたか詳しい方からのご教示を賜りたいところです。宜しくお願い致します。m(_ _)m

『残影の庭』は、「耳を澄ますこと」と「目を凝らすこと」により、繰り返される季節の移ろいに、そしてその変化の「兆し」に、「奇跡」を感得する深みに打たれずにはいられません。また、この日は山田勇気さんの浮かべる表情が、金森さんとのデュオのときと、井関さんとのデュエットのときとでは全く異なることに目が反応しました。

どちらの作品に対しても、腕がだるくなるくらいに、少しでも大きな拍手を送りたいと思わずにはいられませんでした。その後、出口付近で手指消毒をして帰ろうと、検温機能付きの機器に両手をかざすと、いきなりピー音が鳴り、「37.7℃」と表示されて、ちょっと焦ることに。しかし、「そんな筈はない」と、慌てて隣のサーモグラフィーカメラに移動し、今度は額で測定させると「36.4℃」という数値を出してくれたので、ホッと胸を撫で下ろしました。なるほど、この公演の「熱さ」は、間接的に、検温機器にも伝わっていた訳でして(←ホントか?)、「ブラボー!」と叫べない今、先刻の精一杯の拍手が演者にその熱量を伝えてくれていたら嬉しいと思いながら、帰路につきました。

『Duplex』新潟ロングラン公演も残すところ、あと3公演となりましたが、楽日前日の2月10日(水)(19:00~)の公演は、11:00より若干の当日券販売があるとのこと。(りゅーとぴあ2Fインフォメーションでの販売。)「争奪戦」が繰り広げられるかもですけれど、諦めていた方には「吉報」と言えるのではないでしょうか。チャレンジあるのみです。もしでしたら、ご検討ください。

(shin)