2019年11月9日(土)の鳥取県は鹿野町・旧小鷲河小学校体育館。鳥取市から鳥取自動車道道を使っておよそ30分。例年ならこの時期、鮮やかな紅葉に囲まれているのだろう山あいの水辺。はるばる新潟から訪れて、観てきました『Mirroring Memories ––それは尊き光のごとく』(2019 ver.)、第26回BeSeTo演劇祭/第12回鳥の演劇祭での初日公演。
個人的には、さして旅好きという訳でもないので、Noismを観ていなかったら、恐らく生涯、足を運ぶこともなかっただろう地、鳥取。更に今年9月に富山県の利賀村に一念発起してシアター・オリンピックスを観に行く選択をしていなかったら、縁遠いままであっただろう地、鳥取。それが、「行ってみるのも面白いじゃない」と考えてしまえるようになり、公演前日の早朝、車で新潟を発ち、約10時間のドライヴで鳥取入りをするなど、以前の私からは考えられないことでした。鳥取に着いてみると晴天で、まだ日も高かったので、小学校の教科書で見た知識の持ち合わせしかなかった鳥取砂丘を訪れ、雲ひとつない青空の下、一足毎、靴が砂に埋まるさえ厭わず、敢えて急峻な斜面を選び、無駄にダッシュで上り下りして、足は上がらないは、息は切れるは、思う存分に「砂丘」を体感する機会を得たのでした。長々と余談でした。スミマセン。
そして迎えた鳥取公演初日、天気予報では下り坂の雨予報。それも公演時間帯あたりが「雨」とのこと。天気を心配しながら、お昼時分に鹿野町に移動してみると、やはり、少しして天気雨に。やがてやや大粒の降りに変わりましたが、さして長く、さしてたくさん降ることもなく上がり、気温が一気に下がることもないまま夕刻を迎えられたのはラッキーでした。
開場直前の様子
午後4時過ぎ、今回の会場となる、かつての小学校体育館脇で料金2500円を払って受付。同じく新潟から駆け付けた顔や、Noismを介して知り合った遠方の友人の顔。そして旧メンバーの浅海さんとご家族。途端にアウェイ感が薄らぐとともに、「いよいよだな」という気分になってきます。
午後5時を告げるサイレンと音楽が山々に谺し、程なくスタッフの指示で入場。正面奥にミラー。その手前、床に敷かれたリノリウムが一番低く、それを階段状に設えられた仮設の客席から見る按配です。満員の客席。私たち知人グループは運良く揃って最前列に腰掛けることが出来ました。そちら、背もたれがないのはいつものこと。演者を間近から見上げることになる席です。そして体育館の床ですから、ただの板張りとは異なります。床下はスプリング構造になっているため、演者が起こした振動が足裏から直に伝わり、こちらの体も共振するような感覚を覚えました。
私をして鳥取まで足を運ばせたもの、それは、2日間限りのキャストを観たいがため。浅海さん、中川さん、シャンユーさん、西岡さんがいなくなり、メンバーが変わって、どんなキャストで、どんな肌合いに仕上がっているのか見逃せないという気持ちからでした。
〈キャストその1〉
〈キャストその2〉
まず、「彼と彼女」、人形(彼女)は西澤真耶さん。白塗りの顔は可愛らしい西洋のお人形さんそのもの、ぴったりの配役に映りました。黒衣のひとりには初登場のスティーヴン・クィルダンさん。彼は続けて、「病んだ医者と貞操な娼婦」と、更に「生贄」「群れ」でも黒衣で踊り、「拭えぬ原罪」からの『Schmerzen(痛み)』において仮面を外して初めて顔認識に至ったのですが、異国の地でのカンパニーに充分溶け込み、違和感はありませんでした。
浅海さん役を引き継ぐのはやはり鳥羽絢美さんです。「アントニアの病」「シーン9–家族」、そしてラストの少女役、どれも彼女らしい弾むようなリズム感を堪能しました。
西岡さんが演じた「Contrapunctus–対位法」を踊ったのは井本星那さん。かつて少年らしく映っていた役どころでしたが、井本さんの持ち味から、女性らしさが拡がっていたように思いました。
中川さんの後を継ぐのは誰か、それが今回の一番の関心事だったと言えます。まずは、「シーン9–家族」の「P」役はNoism2の坪田光さん。当初キャスティングされていたメンバー(タイロンさん)が怪我のため、急遽、抜擢されてのデビュー、頑張っていたと思います。
そして、「ミランの幻影」におけるバートル。中川さんからシャンユーさんへ渡されたバトンを今回託されたのは、チャーリー・リャンさん。共通するのはどこかフェミニンな雰囲気を滲ませる存在感でしょうか。井関さんとの切なく華麗なデュエットですから緊張感も半端なかったでしょうが、若々しいバートルを見せてくれました。
その他、キャストに異同のない部分はどっしり安定のパフォーマンスを楽しみましたし、何度も繰り返し観てきた演目でしたが、このキャストを見詰めるなかで、部分部分に様々な感じ方が生じてくることに面白さを感じる1時間強でした。
終演。緞帳はありません。顕わしになったままのミラーを背に全員が並ぶと、会場から大きな拍手が送られ、2度の「カーテンコール」。山陰のNoismにお客さんはみんな大満足だったようです。
その後、BeSeTo演劇祭日本委員会代表/鳥の劇場芸術監督の中島諒人さんと、簡単に汗仕舞いをしたばかりの金森さんによる短めのアフタートークがあり、中島さんの質問に金森さんが答えるかたちで進められました。
質問はまず、上演作の経緯から始まり、恩師ベジャールとの関係などが紹介されていきました。そのなかで、中島さんがタイトルの日本語訳はどうなるか訊ねると、金森さんは構成のプロセスとも重なるとしながら、「乱反射する記憶」と訳出してくれました。
「劇場専属舞踊団」を糸口にしたやりとりの過程で、金森さんはNoismを「プライベートなカンパニーではない」とし、金森さんに依存せず、次代に引き継ぐ長期的なヴィジョンを口にされ、「新しいかたち、どういったかたちで持続可能なのか、我々に課せられた課題である」と語りました。
場内が笑いとともに沸き立ったのは、話がNoism存続問題に及び、市民への還元が課題とされる状況に関して、中島さんが敢えて「不本意?」と本音に切り込んだ時でした。一切動ぜぬ金森さんはすかさず「それは日本のなかで専属舞踊団を抱えることの現実であり、後世に残るモデルケースを築いていくべく3年間頑張る」と、ここでも新生Noismを感じさせる前向きな姿勢で後ろ向きな心配をシャットアウトした際の清々しさと言ったらありませんでした。その返答を聞いた中島さんも「コミュニティと関わる面白くてクリエイティヴな還元方法を発明すること。アーティストとして見つけることもある」と即座に同じ方向に目をやって応じ、トークは閉じられていきました。

会場から外に出ても、闇が迫る旧校庭にはたちずさむ人たちの多いこと。山陰のNoismが多くの人を魅了したことは言うまでもありません。その場に居合わせることが出来て嬉しく思いました。
(shin)