10/17『A JOURNEY』横浜千穐楽直後、感動の余韻のままに金森さん×長塚圭史さんのインスタライヴ

10/17(日)、「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」のフィナーレを飾るNoism Company Niigata × 小林十市『A JOURNEY ~ 記憶の中の記憶へ』が多くの人たちの脳裏に、胸に、記憶として刻まれてまもなく、17:45からKAATのインスタ・アカウントにて、金森さんとKAAT 神奈川芸術劇場芸術監督・長塚圭史さんのインスタライヴが配信されました。劇場界隈で、或いは劇場からの帰路で、その様子をご覧になった方も多かったと思われます。かく言う私は、「旅」先でもあり、まずは本ブログに公演レポをあげなければならぬという事情から、当初から、後刻、アーカイヴを観ることに決めていました。そして、日付が変わって、翌朝、(NHKの朝ドラ『おかえりモネ』に続けて)楽しませて貰った口です。ですから、皆さん、もうお楽しみ済みと考えますが、こちらでも内容をかいつまんでご紹介させていただきます。

*その実際のアーカイヴはこちらからもどうぞ。

金森さんと長塚さんはほぼ初対面。その長塚さん、劇的舞踊『カルメン』が印象に残っていて、特に「老婆」のインパクトが凄かったと語るところからやりとりは始まりました。

今回、思いがけない作品でびっくりした。どのようにして作られたのか。(長塚さん)
 -金森さん: 第一部冒頭「追憶のギリシャ」、十市さんと一緒に踊る場面の音楽はマノス・ハジダキス(1925-1994)。ベジャールがよく使っていたギリシャ音楽の作曲家で、ルードラ時代から思い出深い人。その人の楽曲を使って作れないかなと考えた。今回の楽曲は『I’m an eagle without wings.(私は翼のない鷲)』、今回のメインテーマである十市さんにもう一度、羽を獲得して欲しいとの思いを込めて選曲した。
『BOLERO 2020』の舞台版は、コロナ禍で創作した映像版で不在だった中心に十市さんを迎えて、他者と熱量を共有したいという鬱積した思いや願いなどを十市さんにぶつけるかたちをとり、そこから第二部へ行けたらと、この構成にした。
 -長塚さん: まず最初、十市さんの記憶から始まった。ダンス遍歴として受け取った。
 -金森さん: コロナ禍の苦悩が発端だったが、人間は人生の折々に、色々な境遇でそうした感情を抱く。時代を超えて、普遍性を持ったものであって欲しい。自由に受け止めて貰えれば良い。
 -長塚さん: 同時多発的で、凄い情報量。ドラマティックな「ボレロ」として刺激的だった。
あと、始まり方に驚いた。十市さんの劇のように始まった。こんなにひとりのダンサーに向けて作品を製作したことはあったか。
 -金森さん: 初めて。最初から最後まで「兄ちゃん」のために考えた作品。

第二部(The 80’s Ghosts)について
 -金森さん: 音楽はユーグ・ル・バール(1950-2014)、80年代にベジャールさんと一緒に作品を作っていたフランスの映画音楽の作曲家。十市さんがベジャールバレエ団に所属した1989年に、ベジャールさんが初演していたのが『1789…そして私たち』。フランス革命から200年後、革命にまつわる作品で、ユーグ・ル・バールがたくさん使われていた。十市さんとベジャールさんの出会いの頃。
その『1789…そして私たち』、200年前の革命で民主化された筈の世の中も、貧富の差は拡大し、争い事は尽きず、何も変わっていないという問題意識をベジャールさんは持っていた。80年代を振り返り、ベジャールさんを思い起こすとき、それは過ぎたことではなくて、今もなおアクチュアル。今現在、我々が生きている世の中の問題とも繋がっている。そのなかにあって、小林十市という舞踊家が52歳になって再び舞台に立とうとしている。その時間スパンをユーグ・ル・バールの曲を用いて表現できないかと思った。
ベジャールもユーグ・ル・バールも度々来日していた。80年代の日本は「バブル」。今から振り返ったら、じゃあ何だったんだろう、と。今もまだ続いている問題は何で、その上で、我々はここからどう「旅」していくかということを、逆に、舞踊家・小林十市に託した。

十市さんの「道化師」、52歳の十市さん
 -金森さん: 孤独で塞ぎ込んでいた17歳の頃、十市さんはいつも笑顔で優しかった。ベジャールさんの作品のなかでも、十市さんが担っていたポジションは「猫」の役など、人間を傍から、社会を斜めから見る目。あらゆる困難、苦悩、悲しみを見たうえで、それを笑いに転化しようというエネルギーを小林十市という舞踊家に感じていた。「道化師」は必然。その明るさ、道化的な要素をNoismメンバーに共有して欲しかった。通常のNoismではなかなかないようなことを十市さんと交わることで生みたかった。十市さんは落語家の孫。落語は人間の業を肯定する話芸、その遺伝子を継いでいる。
 -長塚さん: 道化師、俯瞰して、傍から見ている。今回の舞台でも、座って見ている時間が長かった。そこから踊り始めるのは結構負荷がかかるのではないか。52歳の十市さんの肉体と向き合ってどういう発見があったか。
 -金森さん: 2日目、カーテンコールが終わって、十市さんがちょっと悔しそうにしてたのが何よりかな。稽古して、求めれば求めるほど満足はいかないものだし、舞台に立ち続けるとはそういうこと。苦痛や不安を乗り越えていく、それが舞台芸術の美しさだと思う。十市さんの年齢を考えて振付したけれど、十市さん的には結構 too much だったかも。
でも、やっぱり十市さんは大きな舞台の人だと思う。世界中ツアーして、3,000人とかに向けて大空間で踊ってきた舞踊家。それは絶対、身体のなかにある筈だし、実際ある。
 -長塚さん・金森さん: 『BOLERO 2020』の最後、円のなかに入っていく、あれ、出来ないですよ。あのエネルギーのなかに行って、立つっていう。
 -長塚さん: 一緒に踊ったことはなくても、知り尽くしてるんですね。
 -金森さん: いやあ、だって、たった2年ですからね。妄想、妄想。知り尽くしてないです。(ふたり爆笑)
 -長塚さん: カンパニーとしての「出会い」はあったか。
 -金森さん: いい刺激になったと思う。凄い経歴、数々の舞台に立ってきた52歳でも、本番前に緊張したり、本番後、あそこがもっとなぁとか思ったり。若いメンバーが踊り続けていくなら、その姿が、彼らが共有したことがハッと気付くときが来る。今、もう既に目の輝きに表われてきたりしている。「舞踊道」、長く続く豊かなものである。たとえ、若い頃のように踊れなくなったにしても、そこにまた何か表現の可能性があることを感じて欲しかったし、感じてくれていると思う。
 -長塚さん: この作品がフェスティバルのフィナーレになったこと、凄い良かったなと改めて思う。
 -金森さん: 「クロージングで」ってことで話を貰ったので、なかなかの責任だったが、十市さんへの思いと持てるもの全てを十市さんのために注いだら、多分相応しい何かが生まれるとは思っていた。最終的に「兄ちゃん」が踊り切ってくれて良かった。
 -長塚さん: この構想を聞いてから、事前にプロットを考えて、そこに十市さんに入って貰ったのか、それとも十市さんと一緒に作っていったのか。
 -金森さん: line で、十市さんが踊った楽曲、思い出、写真など送って貰い、情報は共有したが、作品に関しては、自分のなかでどんどん先に作っておいた。あと、十市さんが入ってから、十市さんとの振付は、実際に十市さんに振付ながら生んできた。


作品に関して
 -長塚さん: 深い愛情が詰まった舞台であり、なおかつ、そこにとどまらず、今現在、これから先に向かっていくという作品は本当に素晴らしかった。
 -金森さん: 十市さんを思っている沢山の方々(お母さんやファン)の気持ちを裏切らないように作ったものが、昨日、無事に届いた感覚があって、それが何よりだった。
 -長塚さん: 十市さんのストーリーとして始まっていくのに、その間口がとにかく開かれていることが素晴らしいと思った。個人史みたいなところに行かず、歴史と記憶と現在とことを詰めたことが、閉じないことに繋がっている。作品としては、異質なのかもしれないが、十市さんというダンサーを通してできるひとつのレパートリーになっていくような、「幅」をとても強く感じた。
 -金森さん: 十市さんのために作ったが、十市さんにフォーカスしたいうよりも、「金森穣」の作品を作るうえでの妄想空間があり、そこに十市さんを入れ、そこで十市さんに自由に暴れて貰って、それで作った。十市さんが入ったことで、新たなインスピレーションのチャンネルも多数開いたので、十市さんには感謝している。
 -長塚さん: 全然閉じていなかった。特に開けていて、凄く面白くて素敵な公演だった。

…と、まあこんな感じでしたかね。ここでは拾い上げなかった部分も面白さで溢れていますから、是非、全編通してご覧になることをお薦めします。

そして、更に「もっともっと」という方には『エリア50代』初日(9/23)の公演後に配信された小林十市さん×長塚圭史さんのインスタライヴ(アーカイヴ)もお薦めします。こちらからどうぞ。

それではこのへんで。

(shin)

奇跡の現場に身を浸した10月17日、『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』千穐楽

個人的な事柄から書き出します。前日(10/16)のチケットも購入していましたが、職場の周年行事と重なっていたことに遅れて気付き、あえなく見送りにせざるを得ず、この日(10/17)の千穐楽が最初で最後の鑑賞機会となりました。はやる気持ちを抑えつつ、朝イチの新幹線で本当に久し振りの横浜入り。ホテルの部屋からはみなとみらいの大観覧車などを望むことができたのですが、雨煙る窓外のそれらは何とも平板で、そこここで営まれている筈の数多の人生たちも一切華やぎを立ち上げるべくもなく、灰色のなかに没していました。奇跡など存しないかのように…。

しかし、奇跡。そう、奇跡。「Dance Dance Dance @YOKOHAMA 2021」の掉尾を飾るNoism Company Niigata ✕ 小林十市『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』(KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉)はその名に値するものだったと言えるでしょう。肌寒い10月の平板な日常のなかに、刮目すべき類稀な70分(休憩含む)の「旅」を用意してくれたのですが、それはベジャールさんとローザンヌを巡る記憶に基づいた十市さんの旅であり、用意した金森さんの旅であるのみならず、Noismメンバーにとっても、観客にとっても、まさにそれは奇跡的な旅だったと言えるかと思います。

プログラムによれば、第一部(25分)は、「Opening I」「追憶のギリシャ」「BOLERO 2020」とあります。

その第一部。16時を少しまわった頃、風の音が聞こえてきて、緞帳があがると、舞台中央に旅支度を整え、椅子に腰掛けた十市さん。諦念を滲ませながら、古びたトランクから数枚の写真を取り出しては視線を落とします。舞台奥に映される画像によってそれらがベジャール・ダンサーとして一世を風靡していた頃のものとわかります。そこに上手(かみて)から金森さん、そして、遅れて井関さん、舞踊とは別種の「旅」など祝する様子も皆無で、自ら踊りを繰り出しては舞踊の醍醐味に連れ戻そうと誘いをかけます。その場面、ある種のストーリーを完全に逸脱した、喜色満面の金森さんの笑顔に打たれます。「兄ちゃん」十市さんと踊る奇跡を表情から、体中から発散しているのです。そしてそれは、とりもなおさず、観客にとっても奇跡に立ち会うこと以外の何物でもありませんでした。その愉悦。多幸感。

そこからの『BOLERO 2020』、十市さんは下手(しもて)ギリギリの位置に移した件の椅子に腰掛けて、12人の舞踊家により、新たな『BOLERO』が踊られるさまを、微動だにせず、見詰めるでしょう。コロナ禍の舞踊家を扱ったクリエイションは、途中まで、あくまで舞踊家12人の孤独な舞踊であり、そこには本来、観客は不在の筈で、想定されていない観客として、それを見詰めるいると、音楽の盛り上がりとともに、次第にシンクロしていく構成に、心臓は高鳴り、我を忘れて興奮する他ありません。

そのさなか、今回、「映像舞踊」版に追加されたものがあり、ドキッとすることに。それは大クライマックスへと移る瞬間、濁点付きの「あああっ!」という大音声の叫び声。山田勇気さんが発したものでした。そこからはもう一気呵成、舞台奥にベジャールさんの作風を彷彿とさせる真上からの映像が映ると、舞踊家たちが形作る円の中心に進み出る十市さん。力強く上方に腕を伸ばし、何かを掴んだかのような確かさや一瞬の煌めきも束の間、その場に倒れ込んでしまいます。そこに緞帳が降りてきて、第一部の終わり。大きな拍手が沸き起こりました。

15分の休憩を挟んで、第二部(30分)。「The 80’s Ghosts」と「Opening II」(!)とあります。「ん?」って感じでしたけど。

再び緞帳が上がると、ほぼ第一部ラストの倒れたままの十市さん。違いは下手(しもて)ギリギリにあるのが椅子ではなく、先のトランクであることです。

すると、舞台奥にほぼ正方形の開口が生じて、スモークのなかから、グレーの衣裳に見を包んだ12名が現れます。『中国の不思議な役人』を彷彿とさせる不気味さで、十市さんを脅しに来ます。まるでそれは、十市さん内部の、踊ることへの妄執ででもあるかのように。現実味は希薄ですが、迫力満点です。

やがて、そこにプラスされるのは諧謔味。そして言葉。「彼らは舞踊家です」であるとしながら、翻って、「そして私は俳優です」でよいのか。「そして私は…」と言葉は途切れがちになり、後が続きません。「俳優」であることに安住出来ない気持ちが噴出してきます。

と、トランクに仕舞い込んでいた道化師の衣裳が、井関さん、ジョフォアさん、中尾さん、三好さんによって取り出され、あろうことか、彼ら4人によってバラバラに着られてしまいます。自らも赤い鼻を付ける十市さんですが、4人に翻弄され続けます。『ASU』のコミカルな1場面の趣きです。

次いで、三好さんがトランクから新聞と思しき紙片を取り出すと、唐突に「3億円のサマージャンボ宝くじ」発売を告げる女性の声が聞こえてきたり、そうかと思えば、ミラーボールが降りてきてからは、タンゴ調の音楽が耳となり、弾かれた光が客席全体に散らばるうちに、気付くと「革命とは…」というベジャールさんの声に転じています。やがて、観客は、舞台奥に投影される古いフランスの写真や映像に、混乱、或いは動乱の様子を見ることでしょう。

流れてやまず、とどまることを知らない時間、付随する避け難い加齢という現実…、十市さんにとっての踊る意味とは。そして、同様に、襲い来る様々な困難や苦境…、そこにあって舞踊家が踊る意味とは。そうした踊る意味への問いは否応なく芸術の意味への問いとして普遍化されていきます。そのとき、私たち観客も漏れなくその問いのなかに包含されていることにならざるを得ません。

「Opening II」とは、この奇跡的な共演を機に、舞踊の旅に立ち返ることになる他ないのだろう「兄ちゃん」十市さんの新章へのエールであり、十市さんと踊ったNoismメンバーの今後への期待でもあり、それを観た観客にとってさえ、一人ひとり前を見て歩むことを力強く後押しするものだったと言い切りたいと思います。

「Opening II」と表記されたクロージングにあって、金森さんは十市さんに上着を渡し、写真を渡し、トランクを渡します。どこまでも優しい仕草です。それを受けて、客席の方へ歩み出す十市さんの表情も諦念とは無縁のものになっています。滋味を加えた舞踊家として。

ラストで手渡された1枚の写真。それが何を写したものだったかは示されません。しかし、繰り返されたカーテンコールの際、舞台奥には、まず、十市さんと金森さんの写真を皮切りに、Noismメンバーとのクリエイション時の十市さんの写真が映されていきました。私は、最後の写真は、時空と構成を超えて、そのときの1枚だったと受け取ります。ベジャールさんのもと、ローザンヌで交差したふたりの(或いはベジャールさんを含めた3人の)人生に発したものが、まったく無縁に思えた新潟でのクリエイションを経て、第3の場所、横浜のフェスティバルで多くの人の目を虜にし、心を鷲掴みにする、そんな奇跡的な70分だった訳です。なんとロマンティックなことではありませんか。鳴り止まぬ拍手と時間を追うにつれ、数を増していったスタンディングィング・オベーションとがその証左です。

…平板なようでいて、こんな奇跡も内包するのが日常なら、愛おしさも込み上げてこようというものです。帰ったホテルの窓外に広がる光景が、今度は魅力的に見えたのは灯りが点っていたことだけがその理由ではなかったでしょう。そして、この日観たものがひとつの奇跡であるとするなら、またいつか目にし得る日が来るかも、そんな奇跡さえ期待したい気になろうというものです。ただ、今の私たちにはわからないだけで…。

(shin)

金森さんの愛を感じた「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」活動支援会員対象公開リハーサル(土曜日の部)

正確に一週間後に控えたNoism Company Niigata × 小林十市さんの公演(「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」)を前に、10月9日(土)に開催された活動支援会員対象の公開リハーサルを観てきました。(@りゅーとぴあ・スタジオB)以下、ネタバレなしでいきます。

この日と翌10日(日)、二日間に設定された公開リハーサルですが、両日各12人と限られた人数しか目にすることができないとあって、申込開始日には朝から緊張して、ドキドキしながらメールを送信し、その後、「受け付けました」旨の受信を見た際には安堵の気持ちが湧いてきたことが思い出されます。

先日の「柳都会」を聴いて、金森さんが「奇跡」と表現する「兄ちゃん」十市さんとの共演への期待は募る一方でしたので、待ち遠しかったこの機会。

そして3日前(10/6)になって届いたメールには「終了時刻変更」とあります。当初、30分の予定だったものが、1時間に延長されると知らされたのです。「もしかして全部観られるの?」そんな思いを胸に足を運んだ土曜日のお昼過ぎでした。

「1時間もの」に延長されて
実施された公開リハーサル

で、その公開リハーサル、もう随所に金森さん(とスタッフの皆さん)の愛が溢れた至福の約70分だったと言わねばなりません。まず、折から「劇場に空きがない」とりゅーとぴあでの公演が叶わず、目にする機会に恵まれない新潟市民に向けられた愛。フラットな床面、アクティングエリア「きわきわ」に据えられた椅子に腰掛けて、まさに目と鼻の先で見せて頂いたのですが、もちろん、そこに緞帳はありません。全てが顕わしの空間で、金森さんの「カーテンが上がってます」と「カーテンが下りてます」の言葉に挟まれた、当日の舞台の一部始終(それは言葉の正確な意味での「一部始終」で、ホントに最初から最後まで)を見せて頂いたのでした。

第一部は「映像舞踊」として観てきた演目の実演版。出演者も入れ替わり、「あっ、この人がこれをやるんだ」という楽しみ方もあります。そして何より、十市さんを配して追加された場面はまさに眼福で見とれます、マジで。ネタバレを避ける配慮から書けないのが残念ですが、横浜で、或いは明日の公開リハでご覧になられる方はどうぞお楽しみに。ベジャールさんと、そして十市さんへの愛に溢れていることは言うまでもなく、金森さんが、2020年、「コロナ禍」の舞踊家を念頭において、「中心」不在に映る映像を撮ったことで、周囲にある種の磁場が形成され、十市さんが召喚されたのに違いないと思うほどです。このはまり方、金森さんには最初からこのイメージが見えていて、ただ謙遜して「奇跡」と呼んでいるだけじゃないのか、などとも。

そして踊り終わった後には、本番、横浜の舞台での演出についても説明してくれた金森さん、もう愛の人でしかありません。後光が差して見えました。大袈裟でもなんでもなく。

10分(本番では15分だそうです)の休憩を挟んで、新作を見せて貰いましたが、これはもうこれまでのNoismのイメージとは一線を画すもので、「兄ちゃん」十市さんのキャラクターや資質が色濃く投影されたクリエイションだっただろうことが明瞭です。「兄ちゃん」への愛。十市さんに触発された結果、「お初にお目にかかります」的Noismに仕上がっていると言っても過言ではないでしょう。音楽を含めて全てが斬新。しかし、それがどんなものかは今は伏せておきます。なにしろ、ネタバレ厳禁が大命題ですから。ただ、新しいNoismとの出会いが待っていますとだけ。

また、この日の公開リハーサルの楽しみは他にもてんこ盛り状態でした。第一部で再び踊る姿を観た浅海侑加さん、相変わらず素敵でした。またどんどん踊って欲しいものです。そして、先日、「私がダンスを始めた頃」で続けてご紹介した新加入の庄島さくらさん、すみれさんの踊りもガン見しましたし、この度、昇格してNoism1で踊る中村友美さん、坪田光さんにも目が行きました。多くの面で、とても興味深く、中身の濃い時間を過ごせたと思います。

そんなこんなで、終了したのは、13時40分頃だったでしょうか。始まったのが予定の12時半を少し回っていたとはいえ、約70分間、何の出し惜しみもなく、もう「最後の最後まで」全て見せて貰っちゃった訳です。これほどまでに愛ある「リターン」があるなんて、もう活動支援会員でいて良かった♪今日スタジオBにいた誰もが一人残らずそう思っていたことは間違いありません。あそこまで見せられたら、もうスタンディングオベーションで応える他ないじゃありませんか。みんな笑顔笑顔で立ち上がって拍手を送った、そんな公開リハーサルでした。

(shin)

「柳都会」vol.24:小林十市さんを迎えて、回想されるローザンヌの日々、それから…

コロナ禍の影響で、9月11日(土)に開催予定だった「柳都会」が、10月4日(月)18:00からという平日の異例な時間帯に振り替えてまで実施された裏には、金森さんの強くて深い思いがあったからと解してまず間違いはないでしょう。この日のゲストは、金森さんが「兄ちゃん」と親しみを隠さない「エリア50代」小林十市さん(ダンサー・振付家)。接点はモーリス・ベジャール(1927-2007)、そしてふたりが彼の許で過ごしたローザンヌの日々。その2年間を回想しながら、金森さんが繰り出す質問と答える十市さんを基軸に、観客の前に浮かびあがってくる巨匠ベジャールの「横顔」。気負ったところのまるでないおふたりのお話にはとても興味深いものがありました。そのあたりが少しでも伝えられたらと思います。

1992年の出会い。舞踊団「ベジャール・バレエ・ローザンヌ」所属の十市さん23歳、バレエ学校「ルードラ・ベジャール・ローザンヌ」一期生の金森さん17歳。
 金森さん「人生で一番孤独な時期だった」
 十市さん「そんなに大変だった?一期生だし、自立して、自分の世界を持っている人たちのひとりに見えていた」
 金森さん「閉ざしていただけ」
前年(1991年)の暮れ、カンパニーに大リストラが断行され、60数名いたダンサーが25名に絞られ、同時に、(表向きは)「創作活動を濃密に」と学校が創られることに。(その学費はゼロで、後にベジャールの私費でまかなわれていたことを知ったと金森さん。)

一方、十市さんはジョージ・バランシン(1904-1983)に憧れて、NYに短期留学(バランシンが設立したバレエ学校SAB)。その後、日本に帰る気はなかったものの、アメリカでのワーキングビザ取得は困難を極めたため、母親が好きで、自分も観たことがあったベジャールに履歴書を送ったところ、すぐに返事が来て、3泊4日のプライベートオーディションの機会が設けられた。眼光鋭く、レッスンの様子を見ていたベジャールに「君のこと気に入ったから、一緒に仕事をしたい」と言われ、採用されたのが1989年。そのとき、十市さん20歳。ベジャール62歳。その後、腰の怪我で辞めるまで14年間、ベジャールの許で踊った。バランシンやってみたい気持ちがなくなっただけでなく、他の振付家の作品を踊りたいと思ったこともなく、ベジャールの作品のなかで違う作品をやりたかっただけだったと十市さん。
 金森さん「怪我に対してベジャールさんは寛容だったの?」
 十市さん「全然、寛容じゃない。昔の人だったし、舞台命の人だった。『痛い』と言っても、『僕も痛いよ』と言われちゃうと、もう何も言えなかった」
 金森さん「ジョルジュ・ドンさんって、どんな感じでしたか?」
 十市さん「カンパニーのなかでひとり別格。ひとりだけ、スターって感じ。ホテルの浴衣を羽織って、パイプの先に煙草をくゆらせて…、ちょっと近寄り難い存在だった」

ベジャールの創作風景について、
 金森さん「ベジャールさんは作品について説明したりしたんですか?」
 十市さん「モノによっては。振付は順番通りには行われなかった」
 金森さん「怒鳴ったりしたんですか?」
 十市さん「そういうイメージはない。自分が動きながら作品を創っていく。でも、恐い存在で、私語する人などいなかった」

 十市さん「振り返ってみるとローザンヌはどうしても行かざるを得なかった場所。分岐点に思える。果たして自分で選択しているのかどうか」
 金森さん「こうして新潟で並んで話していることが奇跡」
 十市さん「あっちの方で決まっているだろうシナリオを知らないだけで生きている。決まっているんだろうけどわかっていない」

今回のふたりのクリエーションについて、
 十市さん「まずは9月頭に2週間。1週目に振りを覚えて、次の週、身体が痛くなったので、『ハンディを付けて』と言ったら、『それは失礼なことだし、そんな十市さんは見たくない』と言われた。で、今日も勇気さんに教えて貰った治療院へ行ってきた」
 金森さん「今回の振付でベジャールっぽいところはありましたか?」
 十市さん「Noismメソッドに感じた」

事前に寄せられた質問
①新潟の印象は?
 十市さん「自転車に優しいところが『いいな』と感じた。自転車で近付いていくのを感じるとよけてくれたり」
②新潟で美味しいと思ったものは?
 十市さん
「ホテルで食べている朝食のお米。日本は何でも美味しい。海外ツアーをやってたとき、耐えられたのはイタリアだけ。ドイツは大味だし、スペインは油っぽいし…、日本は世界で一番美味しい」
③40代から50代、身体の維持方法は?
 十市さん
「よい鍼(はり)の先生に出会うこと。(笑)今回のように、これだけの運動量があると代謝もあがり、食生活は気にしないで済むが、母は常にお腹のチェックが厳しくて、よく矢沢永吉を引き合いに出しながら、『永ちゃんは腹出てないから』と言ってくる。まるで呪縛のように、『ちゃんとしなさい』って言われてきたが、それって何?」
④初めて観たNoism作品は何?
 十市さん
「多分、映像で観た『NINA』。メソッドにもある立っているやつ。それと、2010年に池袋で観た『Nameless Poison』。そのとき、ふたりでツーショットの写真を撮っているから」
⑤17年間、金森さんがNoismを続けてきたことに関してどう思うか?
 十市さん
「凄いよね、大変だよね。細かいことも聞いたけど、活動できる場を与えられているのは、やはり人かなと思う。穣君と新潟市との関係。ベジャールさんとローザンヌのように」

「常に自分のことで精一杯」という十市さん、「これからどうするんですか」と金森さんに問われると、まわりの3人の女性(母、妻、娘)と折り合いを付けながら、自分の幸せ=舞台に立つことを追い求めていきたいと語り、「舞台の上から、暗闇(客席)の中を凝視し、内観しながら、何かを探る感じが好き」とし、演劇や映像も経験してみて、「やはりダンサーの中身、ダンサーとしての記憶が残っている。自分を捨て切れなかったから、役者にはなり切れなかった」と感じているのだそうです。しかし、演劇に行ったことについては、その要素も濃かったベジャールさんを理解するうえでは大きかったとも。

もう一度、ベジャールの存在について、
 十市さん「ベジャールさんがやめるまでやるつもりだった。ベジャールさんに『指導で残ってくれ』と言われたけど、踊りたかったから、踊っている人たちを教えられないと思ったから」
 金森さん「でも、1年くらいで腰の痛みはなくなったんでしょ?」
 十市さん「1年半。日本で、福島の外科医さんに椎間板に注射一本打って貰ったら痛みがひいた」
 金森さん「でも、戻るとは考えなかった?」
 十市さん「世代交代だと思った。で、演劇へ。でも、今は舞踊で舞台に立ちたい」


 十市さん「踊っていた14年、その後も含めると15年、ベジャール・ファミリーに入って生活していて、そこで創られた自分が今に至っているのかなと」
 金森さん「逆に、2年しかいなくて、空きがなくて入れなかったから、憧れがある。その呪縛から、もっと新しいもの、もっと美しいものを求めてきたけれど、離れることは出来ない。そして今、東京バレエや十市さんが寄ってくる感覚が不思議」
 十市さん「ベジャールに思いを馳せて作品つくりをしているが、『怪我をしないように』と穣くんに言われても、穣くんの作品を踊っているのだし…」
 金森さん「作品つくりは妄想から始まる。で、『十市さんならもうちょっと、もっと行ける』となる。『これぐらいで良いかな』とか現実的になり過ぎるとできない」


最後に至り、十市さんが、数日前に、携帯電話で奥さんと話しながら萬代橋付近を歩いていた際、赤信号の交差点を、前方に見える青信号と勘違いし、渡ろうとして、「死にそうになった」経験から、「本番の舞台でなくても、常に悔いを残さないように全力でやらなきゃダメかな」と思ったと話せば、今回、新潟は劇場に空きがなくてやれないものの、「再演するかどうかは十市さんのお腹次第」と話した金森さん。予め90分という枠が設けられていなければ、いつまでも尽きることなく愉快に話は続いていったことでしょう。

そんなおふたりの初めてのクリエーション、「Noism Company Niigata × 小林十市」は、KAAT神奈川芸術劇場・大ホールにおいて、10月16日(土)と翌17日(日)の二日間の公演です。

そちらは観に行かれないという方にも小林十市さんが登場する舞台は新潟でも。「エリア50代」、11月13日(土)と翌14日(日)です。

この日のお話を聞いて、ますます期待が膨らみました。どんな舞台が観られるのか、待ち遠しい限りです。

まだまだ色々と書き切れませんでしたが、この日の「柳都会」レポートはこのへんで。

(shin)
 

言葉を使うことで危険な領域に踏み込んだ劇的舞踊第3作『ラ・バヤデール~幻の国』

山野博大(バレエ批評家)

初出:サポーターズ会報第30号(2017年1月)

 舞台の床に照明を当てて、中央に本舞台、両サイドに花道風の出入りスペースを設定した空間がひろがる。中央に能の道具を思わせる何本かの木材が立つ。老人ムラカミ(貴島豪)が登場して、マランシュ国の偽りの発展とあっという間の滅亡の過程を語りはじめる。Noismの劇的舞踊第三作『ラ・バヤデール~幻の国』は、能と似た作りのオープニング・シーンを用意していた。

 バレエ『バヤデルカ』はプティパの振付、ミンクスの音楽により1877年、サンクトペテルブルクのボリショイ劇場で初演された。これは舞台が古代インドだった。それを平田オリザが架空の帝国の盛衰史として書き改めたのが『ラ・バヤデール~幻の国』だ。言葉を使ってストーリーを進め、その中に踊りの見せ場、音楽の聞かせどころを作るというやり方は、日本古来の能や歌舞伎などの手法をそっくり踏襲したものと言ってよい。

 ヨーロッパで発展したバレエは、言葉を使わないことを原則としているために、歴史をこと細かに語るといったことには不向きだ。バレエ作品が社会の矛盾を鋭く衝くといったことは行われてこなかった。ルイ14世の力で発展したバレエの本拠地であるパリ・オペラ座が、1789年のフランス革命の後も存続できたこと、アンナ女帝の肝いりで始まったロシアのバレエが、1917年に始まった革命の後も変わることなく上演され続けてきたことなどは、バレエが言葉を使わなかったからだったと言ってよい。

 日本でも同様のことがあった。日本が戦争を始めて世界各地へ攻め入った頃、舞踊家たちは軍の慰問にかりだされ、兵隊たちの前で舞踊を披露し、戦意を高揚した。その渦中、日本に帰化して霧島エリ子を名乗ったエリアナ・パヴロバは、1941年に慰問先の中国で病死している。しかし1945年の敗戦後、日本の舞踊家たちは占領軍であるアメリカの兵隊たちの前で踊りを見せるという変わり身の早さを示した。それも言葉を使わなかったからできたことだ。しかしNoismは今回、バレエの中に言葉を使うことで、身分格差、信仰、危険薬物といった、もろもろの問題に関わり、自らの立場を明らかにすることを選んだ。

 ミラン(ニキヤ・井関佐和子)は、カリオン族の踊り子だ。メンガイ族の騎兵隊長バートル(ソロル・中川賢)と愛し合う仲だ。しかしマランシュ族の皇帝は、娘フイシェン(ガムザッティ・たきいみき)の婿にバートルを指名する。ミランに秘かに想いを寄せる大僧正ガルシン(奥野晃士)がからんでくる。平田の脚本は、ミンクスの間に笠松泰洋の作曲をうまく配置した音楽をバックに、プティパの『バヤデルカ』の人間関係をそっくりそのまま再現していた。

 言葉によって状況を、このようにはっきりと示されると、新興国家マランシェの国益優先に蹂躙されるミラン(ニキヤ)とバートル(ソロル)の姿がよりいっそう鮮明に、残酷に見えてくる。バートルとフイシェンの婚約式の場で踊ることを強いられ死を選ぶミラン、麻薬に身を持ち崩して行くバートルの背後に、身分格差がそびえ立っている。

 また国が滅びて行く過程で麻薬の果たした役割などについても、その非人間的な意図が観客に正面から突きつけられる。プティパの『バヤデルカ』の幻影シーンも阿片を吸った男の見る夢であることに変わりはない。しかしプティパの創ったバレエでは美しさを強調して、その背後にあるものを見えなくしている。Noismの『ラ・バヤデール~幻の国』では、ダンサーの動きを新たにして、麻薬による幻覚の中のいかにも頼りなげな浮遊感のようなものを表現し、これを最大の見せ場に創り上げた。役者たちの演ずる厳しい状況描写の間に、ダンサーたちの踊りを収めて、ことの成り行きをより明らかにしているのだ。井関佐和子、中川賢らのダンス、たきいみき、奥野晃士、貴島豪らの芝居がみごとに噛み合った舞台からは、プティパのバレエでは感じられなかった非人間的な現実の厳しさがひしひしと迫ってきた。

サポーターズ会報第30号より

(2016年7月2日/KAAT神奈川芸術劇場)

『ASU~不可視への献身』の衝撃

山野博大(舞踊評論家)

初出:サポーターズ会報第27号(2015年6月)

 Noism1の横浜公演で金森穣の新作『ASU~不可視への献身』を見た。この作品は、*前年12月19日に本拠地のりゅーとぴあで初演したものだ。第1部が「Training Piece」、第2部が「ASU」という2部構成だった。

【註】*「前年」=2014年

 「Training Piece」は井関佐和子をはじめとする11人のダンサーが踊った。幕が開くと、全員が明るい舞台に等間隔で寝ている状態が見えた。ひとりひとりのダンサーが個々のシートに寝ているような、照明の効果があり、これはどこかのスタジオでのレッスンの風景のようだった。寝たままゆっくりと両腕を動かすところから、トレーニングが始まった。バレエのバー・レッスンは直立した肉体に対するトレーニングだが、ここではそれを寝たままの状態で行い、そこへさらに新しい要素を加えた。後半は白っぽい上着を脱いで、カラフルな衣装(ISSEY MIYAKE所属の宮前義之のデザイン)になり、フロアー全体を使ってのトレーニングとなった。

 ダンスのトレーニング・システムは、作品で使われるおおよその動きを予想した、そのダンス固有のテクニックの集大成であり、普通それは観客に見せない。しかし、ここではまずNoismダンスの種明かしが行われたかっこうだった。これと同様のことを、かつて伊藤道郎がやっていたことを思い出した。彼は『テン・ジェスチャー』という伊藤舞踊のエッセンスを作品化していて、それをダンサーのトレーニングに使うばかりか、しばしば観客にも披露した。

 第2部の「ASU」は一転して暗い舞台だった。灯火を掲げたダンサー9人が登場した。黒を基調とした、個々別々の衣裳をまとい、前半のはなやいだ雰囲気と一線を画した。舞台奥には木材を加工して作った大きな樹木のようなもの(木工美術=近藤正樹)が寝かされていた。舞台には、Bolot Bairyshevの「Kai of Altai/Alas」が鳴っていた。これはアルタイ共和国に伝わるカイ(喉歌)という種類の音楽だそうだが、私には太棹の三味線を伴奏に太夫が語る、日本の義太夫のようにも聞こえた。

 しだいに明るくなった舞台で、9人のダンサーたちが動きはじめた。その動きは今まで見たNoismのものと、大きく異なった。そこには今の時代の日常の人間関係から、歌舞伎や文楽などに残る義理人情の世界まで、いろいろなものが混ざり合っていたと、私は直感的に受け取った。日本では、20世紀初頭に西欧の動きを取り入れて「洋舞」とか、「現代舞踊」と称するものを生みだし、それを育ててきた。しかし「ASU」はそれらとはまったく異なる別の世界だった。

 戦前からの石井漠、高田せい子、江口隆哉、檜健次ら日本の現代舞踊の始祖たちは、とぼしい海外からの情報を足掛かりとして、そこに日本古来の動きを加味して「日本の現代舞踊」を作った。それは敗戦を契機としてアメリカからもたらされたマーサ・グラーム、ホセ・リモン、マース・カニングハムらのアメリカン・スタイルのモダンダンスに一蹴されたかに見えた。しかしバレエやコンテンポラリー・ダンス、そして日本古来の舞台芸能などと協調しながら、この日本に今もしぶとく生き続けている。

 舞台ではカイ(喉歌)の音が鳴り続け、近藤正樹の樹木のオブジェが大地に立った。そこで宮前義之の、いかにも動きやすそうな衣裳をまとったダンサーたちが金森穣の創り出した動きに専念した。彼は今の時代の西欧のダンスを習得して帰国し、新潟でNoismを立ち上げた。そこで西欧のダンス・カンパニーと同様の公演の形態を日本の土地で実現させようと、創作にはげんだ。彼の目は世界へ(西欧へ)と向いていた。

 しかしこんどの『ASU~不可視への献身』で、彼の目は別の方角を見ていた。とつじょ彼の中から「西欧ではないX」が噴出したのだ。現代の日本は、アジアに位置しながら西欧のものを生活の中に大量に取り入れ、アジアよりは欧米に近い日常を作り出している。昔から日本人は海の外からやってくるものに異常な関心を示し、いろいろなものをどんどん取り込んで「日本」を作ってきた。しかしいつも向こうのものをそのまま取り込むことはしなかった。たとえば、紀元前に北部インドで釈迦がはじめた仏教は6世紀頃に日本へ伝わったが、それから1500年が経ってみると、すっかり日本化して、元のものとはだいぶ様子が違う。また政治、経済のシステムにしても、海外のものを取り入れたはずにもかかわらず向こうのものと同じと言えない状況であることは周知の事実だ。それと同じようなことがいろいろな分野で起こり、今の「日本」が出来上がっている。

 かつて日本は、わずかな情報をもとに「洋舞」を作りだした。しかし世界の情報がリアルタイムで入ってくる現代にあっては、向こうのやり方をそのまま持ち込めば、それでよし。「日本らしさ」は、そこに自然に現われてくるものという考えが一般的となった。金森穣も、今まではこの「自然ににじみ出る日本らしさ」を作品の柱にしてきたと思う。それがこんどの『ASU~不可視への献身』で一変した。長い時間をかけて日本に蓄積した「動き」のニュアンスとでも言うべきものに焦点をあて、それそのものを作品化したのだ。

 私はこれを見る直前に、国立劇場で四国の土佐に伝わる古神楽の舞台再現に立ち会っていた。そこでは日本芸能の古層が随所に姿をあらわした。それを見たのと同じ感覚を、直後に金森作品から受けるとは思ってもみなかった。彼は日本の歴史の古くからの蓄積物に手をつけてしまった。これ以後は「自然ににじみ出る日本らしさ」だけで作品を作れない時代となるだろう。とんでもないものを見てしまったという思いが心中に広がった。

サポーターズ会報第27号より

(2015年1月24日/KAAT神奈川芸術劇場ホール)

堂々の終幕 『ラ・バヤデール -幻の国』KAAT公演楽日

7月3日(日)、うだるような真夏日の横浜、
Noism『ラ・バヤデール -幻の国』KAAT公演は楽日を迎えました。

チケット前売り分はこの日も売り切れ。
嬉しいことに、神奈川公演は三日間通して完売だったのだそうです。

私は神奈川公演は2日目だけのつもりでいたのですが、
この日(楽日)の早朝、
「神奈川に来てからも結構変わって
昨日(2日目)御大鈴木忠志さんが見たので
その意見もあって今日またさらに変更ある事を覚悟しております」
などというお話しが伝わってきたものですから、もういけません。
「折角、まだ近くにいるのだし、ならば・・・」という気分に傾くと、
急遽、新幹線の切符を変更し、当日券を求めることにしてしまいました。
当日券は1枚4,500円。前売りより1,000円安い価格はお得でした。

当日券で売り出された3階席は、ホールのかなり上方で、
まるで「天井桟敷」のような席。
そこでは身を乗り出し、両の掌で頬杖をつくといった寛いだ姿勢で見ることすらOK。
そんな急勾配の下に舞台を見下ろす席は、
照明の様子もつぶさに受け止められる「良席」でした。

そして私が買った席ですが、
「二幕」で中川賢さんと亡霊が形作る「縦列」の延長線上に位置する席でしたし、
とりわけ、その流れから、為す術なく立ちすくむバートル(中川さん)の手前、
舞台を埋め尽くすように、一斉に仰臥位に横たわった亡霊たちが
今度は次々に時間差で上半身を起こし、
顔を隠しながら客席側へと捻る場面を、
(個人的に最も好きな場面のひとつなのですが、)
舞台上の一部始終を余すところなく視野に収めて見つめたとき、
その儚さは一層際立ち、
戦慄にも似た、身震いするほどスリリングな視覚体験に、鳥肌が立ちました。

「劇的舞踊」の全体を俯瞰することで、この日初めて気付いたことも数多くありました。
『ラ・バヤデール -幻の国』、後方席もお勧めですよ。

神奈川公演楽日の様子に話を戻しますと、
回を重ねることで、舞台はこなれて、メリハリのある情感豊かなものとなり、
全てがスムーズに繋がって展開していくさまに、目は釘付けにされていました。

上に書いた「影の王国」のほか、
特に、この日はエッジの効いた「一幕」に目を奪われました。
前半終わりの幕が下りたとき、隣の連れ合いと顔を見合わせると、思わず口をついて出たのは
「面白い!」「よかったね!」というものだったのですが、
それも不思議はありません。
何しろ、この日遅く、日付が変わろうとする頃に伝わってきた金森さんの舞台評は、
「今日(神奈川楽日)の前半は今までで一番良かった」というものだったらしいので。

それはそうと、目を皿のようにして待ち受けたはずの「変更」ですが、
・・・気付きませんでした。(汗)
ラストも前日と同じ「神奈川エンディング」で、変わりありませんでしたし。

充実の2時間も終演を迎え、
幕が下りると、劇場内には前日よりも更に大きな拍手が谺しました。
なかでも、当日券の3階席、私の付近の
「天井桟敷の人々」が最も熱心に拍手されていた印象があります。
「ブラボー!」の掛け声も、スタンディングオベーションも、
「1,000円安い」ホール最後列がその中心だったように感じました。
勿論、私も、自然な流れでそのどちらにも加わりました。

ややあって午後5時半前、KAATの自動ドアを出ると、
外にはまだむせかえるような暑さが残っていましたが、
私たち幸福な観客の心はそれ以上の熱を帯びていたと思います。
みんな、暑さなどものともせず、満ち足りたような笑顔を浮かべていましたし、
何人かでご覧になられた人たちは例外なく饒舌に話していました。

そんなふうに、堂々と終幕を迎えた神奈川3DAYSの楽日。
一日遅れでこれを書いていますが、
この間にNoism+SPACご一行様は、既に関西入りしておられるご様子。

次は今週末、7月8日(金)、9日(土)の兵庫公演。
両日とも熱い舞台になること請け合い。
乞うご期待! ですね。  (shin)

 

 

 

『ラ・バヤデール』KAAT公演2日目に驚く

本格的な「日本の夏」と言う他ないような
蒸し蒸ししたこの日7月2日(土)、
神奈川芸術劇場KAATに
『ラ・バヤデール −幻の国』の神奈川公演2日目を観に来ました。

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2幕見終えたとき、舞踊家も俳優陣も明らかに滑らかさを増した印象を持ちました。
加えて、表現は刈り込まれ、削ぎ落とされ、
よりシンプルなものになっていたように感じました。

前日の神奈川初日を観ていない私にとって
最大の驚きは変更がラストにまで及んでいたことです。

新潟・りゅーとぴあでは基本的に3日間同じエンディングだったものが、
この日、目にしたのは明らかに別のスタイルへの変更だったからです。
SNSで様々な方面から教えて頂いたところによれば、
ラストの変更は前日からのものだったとのこと。
言ってみれば、それは新潟とは異なる「神奈川エンディング」、
この先はこれでいくのでしょうか。
それとも、兵庫、愛知、静岡でも変わっていく余地があるのでしょうか。
目が離せないとはこのことですね。

終演後のホワイエで衣裳を担当された宮前義之さんを見かけ、
畏れ多くも言葉を交わす機会を得てみると、
お互いの口をついて出たのは、
まず「ラスト、変わってましたねぇ」ということ。

宮前さんは続けて「あれは相当キツイですよね。
Noismだからできるんですよね」と、
より強度を増したスタイルへの変更に言及されておられましたが、
まさに「我が意を得たり」の感を得ました。
他にも割と大きなものから細かなものまで、
様々な変更が目にとまった、と書き記しておきたいと思います。

実際、連日推敲が繰り返される舞台を前にして
「明日はまたどうなっているのだろうか」などと考えてしまうと、
胸中、嫉妬心が膨らんでくるのを如何ともしがたくて困ってしまいます。

かように人の心を揺さぶり続けるNoism『ラ・バヤデール −幻の国』。
神奈川公演も残すところ、あと1日。
複数回観ても飽きないばかりか、
まだまだ観たくなる、そんな舞台です。

神奈川楽日は15:00からの2幕・2時間。
あなたが目にするのはどんな『ラ・バヤデール』なのか、
興味は尽きないところです。
開演1時間前から当日券販売もあるとのこと。
楽日のKAAT公演にご期待ください。 (shin)

 

 

 

明日から、『ラ・バヤデール-幻の国』KAAT公演!

今日で6月が終わり、いよいよ明日7月1日、バヤデールKAAT公演開幕です!2日チケット完売、3日残席わずかのようですが、当日券が出るようですので、皆様ぜひお運びください!

KAATはじめ兵庫、愛知、静岡各公演会場ではNoismサポーターズUnofficial会報、さわさわ会 会報誌とも無料配布いたします。

サポーターズ会報へご寄稿及び金森さんと対談してくださった山野博大さん、ツイッターでさわさわ会会報誌の写真を掲載してくださった乗越たかおさん(https://mobile.twitter.com/NorikoshiTakao/status/746948991108079617/photo/1)どうもありがとうございました。おふたりとも2日にKAAT公演をご覧になられるようです。

『ラ・バヤデール-幻の国』情報詳細:http://labayadere.noism.jp/

◆そして、Noism0『愛と精霊の家』

さいたま公演チケット好評発売中!

8月20日(土)18:00、21日(日)15:00彩の国さいたま芸術劇場大ホールhttp://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/3603

新潟公演は10月7日(金)19:00 りゅーとぴあ劇場、チケット発売日は8月11日(木・祝)です。http://noism.jp/npe/noism0_2016_niigata/

その後のNoism公演予定(当メニュー欄「Noism公演情報」から詳細ご覧いただけます)

Noism2定期公演

12月16日(金)19:00、17日(土)17:00、18日(日)13:30・17:00(全4回)りゅーとぴあスタジオB チケット発売日 一般10/15、会員10/13

Noism1新作【新潟公演】

2017年1月20日(金)~29日(日)、2月18日(土)~26日(日)予定 りゅーとぴあスタジオB チケット発売日 一般11/26、会員11/24

【埼玉公演】2017年2月10日(金)~12日(日)予定 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール

ワークショップ

◆Noismサマースクール2016開催!

7月27日(水)~31日(日)りゅーとぴあスタジオB

◆からだワークショップも!

7月31日(日) りゅーとぴあ練習室5

15:00~16:30 こどものためのからだワークショップ 16:45~18:00 おとなのためのからだワークショップ

兵庫、愛知、静岡でもワークショップ開催します!http://noism.jp/npelist/?category=%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96

 

閑話休題:

おなじみの中野さん加藤さんの公演が砂丘館であります。静岡公演とかぶっていますが、ぜひどうぞ。

★加藤千明・中野綾子ダンスパフォーマンス「カンパネラ」

7月23日(土)16:00、24日(日)14:00・17:00 料金各回1,500円(学生1,000円)7/2より受付開始、申込は砂丘館へ。http://www.sakyukan.jp/2016/06/4243

★「メシュラシュ」公演

振付・出演:堀田千晶・イタイ エクセルロード・ダニエル デヴェリース

http://www.you-can-dance.jp/archives/7315

1989年生まれで17歳から2年間、Noism研修生だった堀田千晶(ほりたちあき)さん振付出演の公演です。堀田さんはNoism研修生の後、ネザーランドダンスシアター2(オランダ)に入団。2011年スウェーデンのヨーテボリダンスカンパニーに入団。2015年からバットシェバアンサンブルに入団して今に至ります。こちらもぜひどうぞ!

新潟公演 日時: 2016年7月25日(月) 17:00 19:00 全2回公演 会場: 燕喜館 チケット: 1,500円 お問い合わせ: sankakusan.jp@gmail.com

東京公演 日時: 2016年7月28日(木) 20:00 会場: 三鷹市芸術文化センター・星のホール チケット: 3,000円(20歳以下は1,500円) WEB予約:  こりっち舞台芸術! ←クリック! ※ ワークショップも開催

広島公演 日時: 2016年8月4日(木) 17:30 19:30 全2回公演 会場: JMSアステールプラザ・リハーサル室 チケット: 1,500円 お問い合わせ: sankakusan.jp@gmail.com ※ ワークショップも開催

京都公演 日時: 2016年8月11日(木) 15:00 17:00 全2回公演 会場: 京都芸術センター講堂 チケット: 1,500円 お問い合わせ: sankakusan.jp@gmail.com ※ ワークショップも開催

●Facebook[メシュラシュ] https://www.facebook.com/Meshulash-%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%8B%E3%81%8F-1138045622894537/

遠藤龍 写真展「LIMITS OF CONTROL/RYU ENDO」開催中!

Noismの写真や映像、mikyozとしての活動で知られる遠藤龍氏。Blue Café(新潟市中央区上大川前通7 サンシャイン新飯田ビル2F)で初個展7月10日まで開催中です。月曜休み、要1オーダー。

写真はすべて原子力発電所と関わりがある(あった)土地で撮影。自然が人間のコントロールからすり抜けるように本来の姿に回帰していく光景の写真が展示されています。LIMITS(限界)をネガティブな問題としてだけではなく、重要な転換点へと考えていくことを提起している写真展です。どうぞご覧ください。http://pbs.twimg.com/media/Ck41jvxUYAAu0l0.jpg

(fullmoon)