Noism「春の祭典」埼玉公演の千秋楽へ行ってきました♪(サポーター 公演感想)

☆ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』(2021/7/25@彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉)

青い空と白い雲というまさに夏真っ盛りの天気の中、Noism「春の祭典」埼玉公演の千秋楽へ行ってきました。

青空と夏の雲と「春の祭典」の大看板
大ホールへ向かう大階段
空が気になる日でした。

本日は新型ウイルス禍なしては大盛況で、1階席だけでは収まりきらず2階席も解放していました。
客席には東京バレエ団の方もいらっしゃったようです。11月に金森さん演出振付のバレエ「かぐや姫」が初演されますが、そちらも楽しみです。
Noismの客席はいつでもどこでも静かですが(何故?)、このような情勢下では安心感がありますね。

開始のベルからしばらくして客席が暗くなり「夏の名残のバラ」が始まりました。井関さんの美しい踊りも素敵ですが、アップで映し出される人形のような顔も強烈な印象があります。
この作品の着想は恒例の篠山紀信さんによるフォトコールのように思いますが、私はカメラマン(山田勇気さん)の佇まいが好きです。

「BOLERO 2020」は映像作品。これまで何回も観ていますが、大画面でみると視点が変わりますし、何より劇場のスピーカーで聴けるので音響が素晴らしいです(演奏者の咳まで録音されていることに気づきました)。
私自身も最近になりZOOM会議の機会が増え(会議メンバーが突然踊り出したら面白いだろうな)、と思いながら観ました。

すかさず幕が上がり「FratresⅢ」が始まります。「Fratres」シリーズはずっと観続けてきましたが、Ⅲになってやっと(これはベジャールの「ボレロ」だ)と思うようになりました。どうやら今ツアー以降の上演は未定のようですが、折々に上演してもらいたい作品です。

休憩の後は「春の祭典」。メンバー総出演の舞台はこれまでも劇的舞踊シリーズでありましたが、全員が一斉に舞台上で踊るのは初めてではないでしょうか。
金森さんが語る(音楽の可視化)、冒頭はそれぞれダンサーが楽器を分担している事がはっきり認識できますが、徐々にその分担ルールは緩やかになり、次第にひとつの音楽としての大きな動きと共にストーリー性を持って進んで行きます。
私自身は舞踊をしないせいか、舞踊を観る際に無意識に表情を追いがちになります。Noism版「春の祭典」は病人風メイクとボサボサの髪により、表情が分かり辛く、プレビュー公演時は正直面食らったのを覚えています。
一見すると見にくいことも現代を表すために敢えて用いているのでしょうし、実際ダンサー全員が「春の祭典」の住人になりきっていて圧巻でした。

カーテンコールでは鳴り止まない拍手と増えていくスタンディング。昨日は後ろの席で躊躇してしまいましたが、今日は私もピシッと立ち上がりました!
直前にみたオリンピック表彰式で、無観客のためその場にいる選手・関係者が一生懸命メダリストを称賛する姿に感銘を受け、私も良いものはきちんと称賛したいと思いました。

さあ、あとは札幌の大千秋楽を残すのみです。気になるメンバーの去就も明らかになっているかもしれません。私もワクチンの副反応次第ですが、可能な限り見届けたいと思います。

おまけ…与野本町駅構内にツバメの巣。乗降客や放送の音がすると「親が来た」と思って口をあけて鳴き始めます。

(かずぼ)

心に響くもの(サポーター 公演感想)

☆ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』(2021/7/24@彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉)

私の初日となった、さいたま2日め。
タイトルは『春の祭典』だけど、4作品をたっぷりと。

どれも全くの初見ではないので、あの時はあんな印象を受けたなぁ…とか、あの時の自分はあんな状態だったなぁ…とか、うっすらと思い出しながら、ゆっくりと作品世界に入ってゆく感じ。

もう1年以上、多くの人たちが孤独と向きあい、胸に祈りをいだき続けている。
Noismの舞台も、様々な姿をした孤独と、祈りに満ちている。そして、(単純ではないけれど)希望もまた。
見る人によって、見る時によって、心に響くものは変わるだろう。

さいたま千秋楽は、私も千秋楽。
どうぞつつがなく。

(うどん)

劇場外のポスター
おまけ…与野本町駅前、真夏のお疲れ気味のバラ

「5-7月のNoism と私」(サポーター感想)

☆「市民のためのオープンクラス」・『春の祭典』新潟公演 ・ Noism Summer School2021

前シーズンのオープンクラスは申し込みに出遅れて受けられないクラスがあったので、今回はメール受付日に日付が変わると同時に送信した。我ながら大変な意気込みだ。

体験が経験に変わりつつあるのを実感しているのが、浅海侑加先生とNoism2メンバー総出の「Noismバレエ体験(初級)」だ。回数を重ねるとこちらも指導する方も慣れる。

参加者のカラーが毎回違うのもこのクラスの特徴。明らかにほとんどが経験者という時やら、いろんなレベル、バックグラウンドの人たち混在の時やら。

すばらしいと思うのは、回を追うごとにレッスン内容がどのレベルの人が来ても満足できる方向に行っている事。動きが複雑になりすぎないよう、長くなりすぎないようになっている。初心者はマネをしやすく、更にレベルアップしたい経験者は基本的なポーズ、動きに磨きをかけられる。 Noismバレエはクラシックが根底にあるが、基本となる腕の位置や角度などに違いがあるので、スタジオBに来たらこう動く!というのが身に付くまでどのくらいかかるやら…
出来るだけ長く通い続けて身体に染み込ませてカッコよく踊りたいものだ。

5/9初めてのバレエ中級。鳥羽絢美、西澤真耶先生。経験5年以上が対象なのでそれっぽいお姉さん方がほとんど。お手本になりそうな方の近くのバーにさりげなく陣取る。フロアになってからもコンクールに出そうな大きく踊る人の斜め後ろに位置取り。その人に頑張ってついて行った。
でも楽しかった!初級はNoismバレエの基本をキチンと身に付けたいのでポジション等に気を使うのだが、中級は「もうやったれ!」とばかり大きく踊り、ピルエットダブルも勢いで回る。

5月9日のレパートリー中級クラスは『BOLERO 2020』終盤のユニゾンでした。長さにすると1分ちょっとなのだがギッシリ詰まっているわ展開は速いわ…「踊ってみた」どころではない。「マネしてみた」にもならない。他の参加者さんたちは表現はともかく少なくともマネしてついていってるように見えたので気弱になってしまい、終わってからジョフォア先生に「今回は難しかった。ちょっと恥ずかしかっ…」言い終わる前に一喝「恥ずかしくない!!」反射的に「恥ずかしくない!恥ずかしくない!」と叫んだ私。

そうです。弟子が弱気になった時の迷いの無い師の一喝。これは大事です。勇気づけられました。これからも出来るだけ出席してコンテンポラリーに慣れたいです!

「今やったのはダンス以前のことなんです」
5月23日のからだワークショップの後で勇気先生とお話をした。
最初は自分の体をさすったり叩いたり、関節ごとに動かしたりして目覚めさせ、次は2人ひと組で向かい合って見覚えのあるあの動きを…

「これ、アレですよね?」「そう。アレです」先生と目で会話。『Adagio Assai』の冒頭の動き。相手と目を合わせ、自然に連動して動く。初対面の相手なのではじめはぎごちなかったりするが、だんだん角が取れて行く。仕掛けたり仕掛けられたりするうちにどっちがリードしているのか分からない状態まで行く。そしてより自由に動いて行く。
終盤は風に乗ってあちこち飛び回る。相手もどんどん変えて行ってその場の雰囲気に浸って自分を解放する。「無礼講」に近い感じである。

先生のクラスは最初から柔らかい空気が流れているのだが、終わる頃にはすっかりスタジオBが温かく練れた感じに出来上がっていました。
みんなお友達状態で、楽しかったですね!とあちらこちらで笑い合う。

マスクをしていてちょうど良かった。日本人は目を合わせるのが苦手だし気恥ずかしい。簡単には心を開けない。顔が全開だったらここまでたどり着けなかったのでは、と思う。かと言ってフルフェイス仮面をつけたとしたら、とてつも無くアヤシい雰囲気になるだろうし…
怪我の功名ならぬ、マスクの功名でした。

JAZZのジャムセッションに似ている。決め事をする時もしない時もある。まず誰かが動く。それに他の者が合わせて行き、進むに従ってリードする者が移り変わって行く。そして全体としてのグルーヴが形成されて行く。
その時の場所、メンバーの組み合わせ、お互いの技量そしてそれを測る能力等によって毎回違うものができる。一期一会。
もちろんこれは極めてうまく行ったケースです。いつもみんなが満足できるとは限りません。
楽器という道具を使うので、身一つでやる身体表現よりも自分をさらけ出しにくいかもしれない。

今回の私のオープンクラスは、6月に申し込んだ2クラスをキャンセルしなければなくなったので5/30のバレエ初級で最後となった。
ワクチン接種の副反応(と自分の中で確信している)の目まいが長引いたのだ。
何があるかわからないので皆様ご注意を!

Noismバレエ(中級)
撮影:遠藤龍
Noismレパートリー(中級)
撮影:遠藤龍

回復途上でフラつきながら行ったシネウインドのボレロ上映会と公開リハ。
そしてほぼ回復して待望の公演。今回は初めてツレアイを誘った。満を持して、と言う感じ。演目もベジャールゆかりの有名曲だし、「他の2曲もすごいよ!オススメだよ!」と推した。
とても感動しておりました。次回も行きたいそうです。良い意味でこなれて一般受けするようになったからだと思います。各演目、ストーリーが想像しやすいし、『春の祭典』のアグレッシブさが印象的だったそうです。

7/2は2人で行き、7/4千秋楽は1人で最前列で観た。
『夏の名残のバラ』寄り添って見える時もあるが、執拗に執拗にダンサー(女優にも見える)を追うカメラ。あり得ないような角度からも時には残酷に写し出す。冒頭の鏡に向かって舞台化粧するシーンと繋がる。デュエットではあるが、ソロのように思えた。カメラは己れを客観視する自分自身。プロフェッショナルはそれをしなければならない運命にある。孤高の存在。
『Fratres III』の金森さんにもそれを感じる。他の人々がフードで身を守るのに対し、生身で試練を受けるストイックさ。自分自身に対する厳しさが見える。それでなければ他に対して厳しく接することは出来ない。
『BOLERO 2020』最前列だと全体が非常に見にくいので、今までみてない部分にフォーカスして観ることが出来た。いつか機会があればクラスでメタメタだったユニゾン部分のリベンジをしたいものだ。
そして『春の祭典』毎回変わっていく演出に、作品は生き物だ!と実感した。進化し、よりわかりやすくなっていると思った。皆さんのテーピングと汗…カラダを張っているから観客は感動出来るのですね。音楽そのものもエキサイティング。今回特に印象的だったのが「金管楽器って野蛮だ。打楽器よりもバイオレンスだ!」スクラップアンドビルド。
いつもより更に熱い公演でした。

映像舞踊『BOLERO 2020』
撮影:篠山紀信

そして私にとって今シーズン最後のイベント、「サマースクール」
毎年行われる舞踊家のための集中講座。2年前は見学だけさせていただいたが、今年は選考が通り参加する事ができた。Noismメソッド、バレエ、レパートリーの3クラス×5日なのだが1クラスのみの受講も可という事なので、メソッドを7月7日と9日に受けることにした。市民のためのオープンクラスは基本「体験」なので、継続していくつもりであればやはり一番根底にあるメソッドをやらなければと思ったのだ。

Noism Summer School 2021
Noismメソッド
撮影:遠藤龍
Noism Summer School 2021
Noismバレエ
撮影:遠藤龍
Noism Summer School 2021
Noismレパートリー
撮影:遠藤龍

今まで作品を観続けて来たが、こういうのに基づいて作られていたのか!というのが少し分かった気がした。レパートリークラスで踊りの一部分をやるというのも楽しいし意味があるのだが、私は不器用なので、コンセプトや基本的な動きが身体に浸透しないと不完全なマネも出来ず終わってしまう可能性大なのだ。

今回メソッドをほんの少しかじっただけだが、これからもいろんなクラスを出来るだけ受けて、スタジオBにいる時はNoism3、いや4?…… Noism24くらいのレベルにはなりたいな。
『Fratres』の蹲踞の姿勢からの、正座からの、膝立ちからの一連の動き等々。本当に地味で有意義でキツ~いクラスであった。でも大きな収穫があった。オープンクラスのからだワークショップと繋がったのだ。

Noism Summer School 2021
Noismメソッドでの山田勇気さん
撮影:遠藤龍

山田勇気先生、
ありがとうございました!
他の先生方にも感謝です!
次のシーズンも楽しみにしています。

(たーしゃ)

『春の祭典』、感動の新潟公演楽日の締めは金森さん相手のサプライズ♪

*この度の東海や関東を襲った豪雨とそれに伴う水の被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

2021年7月4日(日)、『春の祭典』本公演の新潟楽日は舞踊家たちの入魂の熱演により、本当に感動的な舞台を観ることが出来ました。

バルコニー席にも一部、観客を入れるなど、この日の劇場はほぼ満席。埋め尽くされた客席から湧き上がる感動を伝える拍手は音量が違っていました。発声が止められているなら、もう本気で叩くしかありませんものね。そして、本気で叩かなければ済まないような舞台が続いたのですから、当然と言えば当然だった訳ですが。

新潟での全3公演をすべて観たのですが、この日は、新潟での見納めという思いを抜きにしても、どの演目も、その演目の持ち味が際立つ見事な舞踊が展開され、それを見逃すまいと目を皿にして見詰めるうちに、涙腺が決壊しそうになったり、鳥肌が立ったり、気持ちを煽られたりと大忙しで、感情の振り幅の大きさに身を浸し、その時間を堪能しました。

ここからはタイトルに含ませた金森さん相手のサプライズについて書くことに致します。この日の観客は劇場に足を踏み入れた時点で、全員ある計画の「共犯者」となり、その時を待っていたことになります。正確には、入場時、手渡されたプログラム、チラシの束の、その一番上に一枚、見慣れない「紫」の紙片を目にしたときからです。

「紫」色の紙片は「confidential(極秘)」
(「紫」の再現性がいまいちでスミマセン。)

「黒幕」は紛れもなく芸術副監督。知らないのは金森さんただひとりらしく、みんなが「ぐる」という「ミッション」は、もう完全な「うっしっし」状態で、心が躍りました。

そして、やがて、最後の演目『春の祭典』が客席を大きな感動に包んで、その幕が下りる時が来ます。客席からは、いつもの如く、否、いつも以上に大きな拍手とスタンディングオベーションが舞台に贈られました。とりあえず、新潟の3公演を踊り終えた舞踊家たちは前日までとは違ったリラックスした表情を浮かべています。その列に金森さんと井本さんが加わるのもこれまで通りです。もう会場中の誰もが笑顔で手を叩いている図になり、カーテンコールが繰り返されていきます。その笑顔はいつしか、「へまをしてはいけない」と自らに言い聞かせつつ、今か今かと「実行」の合図を待つ「ほくそ笑み」の要素が大きくなっていった筈です。たったひとりを除いて。

あれは何という曲なのでしょう、遂に、祝祭感に満ちた晴れやかな音楽が流れてきました。観客は一斉に「紫」の紙を掲げ、舞台上の舞踊家は金森さんの方に向き直っての拍手に変わり、場内の全員による紫綬褒章受章を祝う時間となりました。全ての視線は金森さんひとりに集中します。上方からはキラキラした紙片が舞い落ちてきます。場内の誰もがそれ迄に倍する笑顔に変わりました。事態が飲み込めず、キョトンとし、いつになくキョロキョロするたったひとりを除いて。

「6歳で踊り始めた穣さん、46歳で紫綬褒章受章。おめでとうございます」マイクを握った井関さんから、コロナ禍で授章式が中止となった状況下、「みんなでお祝いを」と、このサプライズの趣旨が話されたのですが、さすがは「大人の事情」に強い井関さん、一緒に暮らしていても感づかれたりすることなしにこの時を迎えられたようです。

『Fratres』のように容赦なくではありませんが、キラキラする紙片が舞い落ち続けるなか、『春の祭典』第一部後半のようにメンズとガールズに分かれた舞踊家たち。メンズが金森さんの長躯を掲げて、その下で騎馬を組むと、舞台シモ手袖からはNoism2リハーサル監督・浅海侑加さんを担ぐガールズの騎馬が登場。浅海さんの両手には大きな花束が抱えられていて、大喝采のなか、金森さんに贈られました。

「こんなの、Noismを17年間引っ張ってきて初めて」、更に「一生の思い出になりました。その思い出を多くの皆さんと共有できて本当に幸せです。…このような大変な時期に、こんなにも劇場に来て貰って」と感謝の言葉を口にした金森さん。その場の雰囲気を「引退式みたい」と表したときには、会場中から大きな笑い声があがり、すかさず、「まだまだ踊りたいですし…」と続けると、更に万雷の拍手が贈られました。観客もひとり残らず、この「サプライズ」に加われたことを喜んだ筈です。

豪華4演目と、その後、コンプリートしたミッションに、劇場はこの上ないくらいの幸福な一体感に包まれていました。お陰で、通常なら、楽日の終演後には必ず抱く「Noismロス」とも無縁で帰路につくことができた程です。この日の観客も一生、このお祝いのことは忘れないだろう、そんな確信をもってりゅーとぴあを後にしたような次第です。

さあ、『春の祭典』本公演、次は7月下旬の埼玉公演(7/23~25)、札幌公演(7/31)です。同地のお客様、感動の4演目、満を持して登場です。期待MAXで、今暫くお待ちください。

(shin)

『春の祭典』完成形に新たに照明が追加され、見違えた新潟公演中日に思う

2021年7月3日、前日の衝撃の余韻を完全には鎮めきれないままの土曜日。気を許すと、口をついて出てくるのは、「いやぁ、凄かった」みたいな断片的な語彙のみで、それというのも、昨年のプレビュー公演で観ていたものとは迫力、訴求力に格段の違いがある『春の祭典』完成形を目にし、打ちのめされていたことによるものでした。で、連れ合いやNoism仲間には、戯れに、或いは、少しは気の利いたジョークのつもりで、「金森さん、また何か変えてきたりしてね」など軽口を叩きながら、新潟公演中日の公演を待っていたのでした。

開演前のホワイエでは、久し振りに見掛ける知人、友人のところに寄って行って挨拶を済ますと、その後、「凄かったですよ、昨日」など、いったい何人に言ったことでしょう。そう口にすることで、自らの期待値のハードルを上げていることも自覚しています。初めてでも、そうでなくても、金森さんとNoismの舞台に向き合うとき、油断などゆめゆめ許されることではないのです。常に「超えてくる」希有な存在なのですから。

そして、果たしてこの日も金森さんは『春の祭典』で仕掛けてきていました。前日とは明らかに違っていたのは照明でした。ある箇所に追加された照明は禍々しさたっぷりの色味で、一目見ただけで不安感を掻き立てられ、すっかり目に焼き付いてしまって、うなされそうなほどのインパクトを有していました。改めて、「追い求める人」金森さんに「これでよし」はないのだと念押しされたような塩梅でした。

そうした、終わりのない「改変」の可能性も含めて、複数回の鑑賞に耐える、否、一回では把握しきれない深み、或いは豊穣さ、それがNoism公演の魅力のひとつであることに異を唱える人はいないでしょう。要は、Noismに対して自分の人生からどれだけの時間を割り当てるか、ということに収斂する、生き方の選択(という表現が大袈裟に過ぎると言うのなら、時間の使い方)の問題なのです。深く、豊穣な芸術を相手にするのなら、たとえ一度の機会でも心に大きな何かが残ることは間違いありません。でも、そこからまた、何回でも浸りたくなって、自らの有限な時間を費やすことで、その都度、生々しい体験が約束されるのが芸術、それも優れた芸術なのではなかったでしょうか。(自らの人生からいくばくかの時間を削り出して、それを芸術に委ね、そのリターン大なるを期待して、裏切られず、豊かな時間を過ごし得ること。)Noismはその点で、間違いなく、そうした美質を備えた舞踊団なのだと言い切りたいと思います。新潟中日の公演でもまざまざ実感させられた事柄でした。

前日は3列目(最前列)中央の席から、この日は11列目中央から観たのですが、見え方の違いを堪能できました。複数回観るのでしたら、席を変えて観るのが良いですよね。楽しみ方が変わります。

で、この日も、最後のカーテンコール時、前日同様、金森さんと井本さんが加わった舞踊家たちに、割れんばかりの拍手とスタンディングオベーションが贈られ、舞台上からも客席に向けて拍手で応じる場面に出会えました。

有難いことに、明日、新潟公演楽日も観ることができそうです。ですから、今から、明日は何を発見できるだろうかと胸は大いに高鳴るのですが、同時に、もう既に、(一足も二足も早く、)明日を観終えて後の「Noismロス」も予感しちゃったりして、何やら複雑な心持ちに傾き始めたりもしています。まだ明日の公演があるというのに…。げにNoism、まったく困った存在なのです。

さあ、新潟公演も残すはあと1日のみ。まだご覧になってない方も、既にご覧になった方も、こぞって劇場へ!明日の皆さんの時間を費やす価値MAXの舞台がご覧になれますから。

(shin)

名作と話題作と感動作に衝撃作!待ちに待った『春の祭典』本公演は驚きの超弩級!

2021年7月2日(金)の新潟市は実に蒸し暑い一日でした。

6F旬彩柳葉亭から窓外を望む

りゅーとぴあに運ぶ私たちの心も待ちに待った期待値の高さから更に熱かった訳ですが、それを更に更に超えていってしまったのが、この日の『春の祭典』本公演初日の舞台。結論、もう、金森穣とNoism Company Niigata、ホントに恐るべしです。

もう既に、何も書かぬままに、上に「結論」としてしまいましたが、それは本心。この超弩級の舞台を見せつけられてしまったら、それを語ろうにも、言葉など如何に陳腐で空疎なものにならざるを得ないか、そんな圧倒的な事実に直面する以外ないからです。

ネタバレはなしに書きますが、それを完全に徹底しようとするなら、演目の順序を告げる上の画像も本来、明かすべきではないのでしょう。馥郁たる「名作」の至芸に胸を焦がし、異色の「話題作」の細部に見入り、崇高な「感動作」に涙腺を直撃され、ストラヴィンスキーがリアルに降臨したかのような「衝撃作」に組み伏せられる超弩級のプログラム。4作品の折り紙付きの素晴らしさのみならず、その「繋ぎ」の見事さにまで息を呑むことになるのは金森さんの美意識あればこそ。待っていました、劇場が産み落とすこの非日常の豊かさ。瞬きするのも惜しいほど、一瞬たりとも無駄にしたくない濃密な時間…。

…観ているあいだ、こちらの身体も途方もなく火照り、奇妙に汗ばんだことも書き記しておきます。

そして、最後の演目『春の祭典』が終わったとき、舞台上で、肩を上下させながら、大きく口を開けて、最大限、息を吸い込もうとする舞踊家たちの例外なく苦しそうな顔、また顔。観客の視線の「生け贄」と化し、全てを振り絞って踊った者たちにとっては、劇場内に響き渡る拍手が如何に大きかろうと、耳がそれを受容する以前に、身体は正直で、まずは酸素を欲しないではいられない、そんな感じが伝わる険しい表情たち。その苦悶が舞踊家の渾身を雄弁に物語り、拍手は更に大きなものになっていきます。やがて、ひとりまたひとりと漸くにして表情が緩み、そうしてカーテンコールを繰り返すうち、舞踊家たちの列に笑顔の金森さんが加わった訳ですから、スタンディングオベーションの波が広がっていったことに何の不思議さもあろう筈がありません。いつしか、踊った者と見詰めた者の間に一体感が生まれ、舞踊家たちも客席に向けて拍手を返してくれたとき、初日の多幸感は頂点に達しました…。

とにかく物凄い舞台です。浸って観ているあいだも、観終えてからも、私(たち)は劇場が提供するこんな非日常を待っていたのだと実感できました。その実感、今度はあなたも♪

ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2 『春の祭典』、この上なく贅沢で、もう「必見」以外の何物でもありません!

(shin)

3/21 ホテルオークラ新潟「絶やさない、新潟のおもてなし Noism Company Niigata 応援しよう、ノイズム。その創造力と身体表現に浸る」会員レポート

※月刊ウインド編集部、さわさわ会役員、Noismサポーターズ会員の、久志田渉さんがご寄稿くださいました。

 ホテルオークラ新潟主催による、新潟の文化・芸術を応援しつつ、ホテルならではの食事を楽しもうという企画。新潟古町芸妓、合奏団「新潟ARS NOVA」に続く第3弾が、Noism Company Niigataを迎えて開催された。チケット販売開始から時間を経ずに満席となったが、幸運にもイベントの告知開始日に予約出来た為、最前列中央で鑑賞する機会を得た。

 開場前のホテルオークラ新潟4階コンチネンタルルーム前は、着飾った人々でにぎわう(りゅーとぴあ周辺でお会いするNoismファンよりも、ホテルオークラ新潟のご贔屓筋が圧倒的に多い印象。失礼を承知で書けば、話題の映画「あのこは貴族」ではないが、日頃過ごしているのとは別の世界に迷い込んだよう)。

 12時からは総料理長・小島淳氏によるフランス料理の午餐。フランス料理を食べつけないが、前菜の皿に彩られたビーツ・ターメリック・ハーブの三色ソースの美しさと旨さ、熱いパンに浸して食す「海老のビスク」、肉嫌いでもそのしっとりした歯応えに唸る牛肉ソテーなど、見た目と味まで心配りされたメニューを堪能(ついつい酒が進んでしまう)。

 13時半からは、いよいよNoismの公演。公演前にはNoism芸術監督・金森穣さんが登壇。世界レベルの舞踊に“和”の身体性を融合させて挑むNoismの精神と、ホテルオークラの創業者・大倉喜八郎の子息・喜七郎が提唱した「大和楽」を対比させ、この場で公演することの意義を強調。最前列の為、金森さんの足元が、語っている時まで左右に開いており、Noismメソッドが徹底していることに驚く(「市民のためのワークショップ」に参加したからこそ気付けたことかもしれない)。

 幕開けはNoism 2『新潟幻影』より「銀の吹雪」。各々一脚の箱椅子を持って登壇するNoism 2メンバー。センターの4人、バックの5人それぞれの献身と、邦楽の音色、照明の工夫とが噛み合い、宴席に新潟の雪景色が確かに現出する。池田穂乃香さんの伸びやかさ、カナール・ミラン・ハジメさんの落ち着きを特筆したい。

 続いてはNoism 1「Fratres I」。告知チラシにNoism 0の名が無く気になっていたが、やはりNoism 1メンバー(井本星那さんは欠場)のみによるアレンジがなされていた。後半のトークショーでもNoism 0メンバーが語っていたように、舞台袖から登壇するNoism 1メンバーの普段とは少し異なる緊張感が、客席にもビシビシと伝わるよう。センターを務めたのはジョフォア・ポブラヴスキーさん(昨年12月のオルガンコンサート以来の登板)。日頃の軽み・可笑しみのあるイメージとは異なるストイックさと、堂々たる身体を活かして舞台の要となっていたのが感動的だった。鳥羽絢美さん・西澤真耶さんの舞台を支える力強い美しさ、三好綾音さんの躍進、女性メンバーより人数の多い男性メンバーの存在感。「FratresⅡ」「FratresⅢ」を経ているからこそ、その祈りのような振付の共振、このシリーズを観てきた間のNoismや世界の困難が想起され、涙が零れる。

 三幕目は映像舞踊「BOLERO 2020」。昨年の配信開始以来初となる、大画面での上映だった。小さな画面で細部を見つめる喜びのある作品とはいえ、Zoomを思わせる分割された画面で複雑に交錯する舞踊と、孤立していた筈の舞踊家たちの動きが連鎖していくダイナミズムを大きなスクリーンで多くの人と共に観ることの味わいたるや。6月初めには、筆者がボランティアスタッフを務める新潟・市民映画館シネ・ウインドで、また7月のNoism本公演でも上映が予定されている為、ぜひ大画面で楽しむ「BOLERO」に期待していただきたい。

 そして締めくくりはNoism 0の金森穣さん、井関佐和子さん、山田勇気さんによるトークショー。冒頭、日頃とは全く違う環境での公演に臨んだNoismメンバーが発した緊張感について、「力量が問われる場」(金森さん)「スタジオBとは全く違う距離感。この緊張感を、舞台に活かしてほしい」(井関さん)と、エールを送った。

 芸術選奨文部科学大臣賞受賞について、「毎日『嘘じゃないの』と穣さんに聞き続けた」「自分のことよりも、Noism・りゅーとぴあや新潟の人々への感謝の気持ちが湧いた。そのことを再認識する受賞だった」と語る井関さんと、「この国のエラい人たちが、ようやくこの人(井関さん)の価値に気付いた」「舞踊家・井関佐和子を生み出したことは、自分が来てから新潟が成しえたことの三本の指に入る」という金森さんに、胸が熱くなった。

 当日配布されたパンフレットにはNoism全メンバーがそれぞれの「新潟の好きなもの・こと」が記されていたが(山田勇気さんが壇上でも強調された「北海道出身だが、新潟の魚の味は繊細。全然違う」という指摘も嬉しい)、司会者はあえて「新潟の厄介なこと」を質問。金森さんの「風や雪の中で、歴史的に身体に刻まれた忍耐強さが新潟の人にはある。それは凄く美しいことだが、新しいことを始めたり、世界に発信する時の瞬発力に繋がりにくいことが弱みとなる」という指摘には、新潟人として「正に」と唸らされた。

 今後への抱負として井関さんは「前へ進むだけではなく、(芸術選奨受賞を経て)自信を持ち、安心して掘り下げていこう」、山田さんは「今までは一歩一歩を大切に歩んできたが、より遠くを見ていこう」と語った。そして金森さんは、新潟の未来像として「素晴らしく、クリエイティブな街として世界に知られ、人が訪れ、また世界に人が出ていく街になるビジョンがある。新潟が金森穣を手放さなければ」とし、「いつまでも新潟で、より広く高く発信を続けたい。市民に広く知られる活動を展開しつつ、世界の頂に挑戦してゆく」と、その信念を強調した。

 サプライズとして井関佐和子さんの芸術選奨文部科学大臣賞受賞を祝し、「舞踊家・井関佐和子を応援する会 さわさわ会」代表・齋藤正行(新潟・市民映画館シネ・ウインド代表)が、さわさわ会&サポーターズからの花束を井関さんに贈呈。

 最後はNoism 0、1、2メンバー、浅海侑加Noism 2リハーサル監督も登壇しての記念撮影タイムを経て、プログラムは無事終了した。

 齋藤代表は「ホテルオークラファンの人がNoismを知って、公演を観に来てくれたら、嬉しいね」と語っていたが、広くNoismが新潟に暮らす多様な人々に親しまれる為の、新たな一歩となる時間だったように思う。

(久志田 渉)

謹賀新年♪りゅーとぴあマガジン「偏愛、Noism」にサポーター中村さんご夫妻

新年明けましておめでとうございます。

コロナ禍が席巻した旧年、すっかり変貌を遂げてしまった社会に、皆さまも怖れと不自由、そして気詰まりばかりだったことと存じます。しかし、私たちは蓄えた経験に基づき、叡智を結集して、「コロナ2年目」に立ち向かうのみです。「一陽来復」。勇気を持ち、辛抱しつつ、明日を信じて。勿論、私たちの伴走者はやはりNoism Company Niigata。支えつつ、支えられている訳です。Noismのある私たちの「New Standard」、本年も宜しくお願い申し上げます。

「迎春」金森さんから活動支援会員への年賀状

そうして迎えたお正月。2021年1月1日発行「RYUTOPIA MAGAZINE(りゅーとぴあマガジン)」vol.63 2021Winterの「偏愛、Noism」に、私たちサポーターズのメンバーでもある中村玄さん・昌子さんご夫妻が取り上げられています。皆さま、ご覧になられましたか。昨年聖夜の石丸由佳さん「オルガンコンサート」へのNoismの出演の舞台裏など興味深いお話も読めます。

「Stay Home」が提唱されるお正月、ゆっくりお読み下さい。

(shin)

「市民のためのオープンクラス」を受講して(サポーター 感想)

☆市民のためのオープンクラス(2020年11月~12月)(@りゅーとぴあ・スタジオB)

11/1〜12/6までの各日曜、初級中級合わせて全6クラス。迷った末に全部受ける事にした。プレクラスが中止になった事もあり、可能な時にやりたいと思ったからだ。世の中の状況と自分の身体、次回などどうなるか分からない。

当方、年齢は一周プラス4年。クラシックバレエ歴はウン十年(大人の趣味クラス)。踊るのは好きだし、自分にいちばん合う健康法として続けて来た。

「市民のためのオープンクラス」チラシ

全てのクラスは「年齢不問」。中級も「舞踊経験5年以上」ということでノープロブレム!なのだが、真に受けていいのかなぁ?という余計な心配が…でもポジティブにゴーサイン。→正解でした。対象の範囲であればOKです。初心者の方も、無理をしない、出来なくても当然!という強い心を持てば大丈夫。

11/1 Noism バレエ体験(初級)(浅海侑加先生)

「未経験歓迎」といっても、何名かを除きほとんどが経験者のようでした。Noism2のメンバーさん達が大勢混じってくれました。 「耳を立てる」「両手の薬指に集中」「腕の位置はクラシックより真横に近い。上げるときは真上。耳の脇」 これで良いのかわからない時に侑加先生が「アゴを引いて」こうかな?「そうです!」嬉しくて、思わずニンマリ。 「大きな四番ポジションで移動」も徹底的にやった。片方の足をずずいと滑らせて前後左右に移動する。今までやった事が無いほど大きく動けた。快感♫

場所が持つオーラが確かにあった。『R.O.O.M.』など数々の作品が上演されたカンパニーの練習スタジオ。いつもは観客として居る場所。

数日後、髪をカットしに行く朝、急に思い付いて、さる御方の写真を持って行った。 「こんな雰囲気にして下さい」「了解です。この方カッコいいですよね!ブリーチもします?」「いやいや、石投げられるし、りゅーとぴあ行けなくなるから…」 もともとショートなのだが更に切ってもらい、今月はコンテンポラリーダンサーになり切ろうと思いました。まずはカタチから。

11/8 からだワークショップ(どなたでも)(山田勇気先生)

先生、ナイスです!良い方です! 受講者は年齢・経験も幅広く、私のように単独で来てる人、お友達同士で来てる人などさまざまでしたが、場の雰囲気を瞬時にやわらかくまとめ上げました。 「今日は、腕の位置はココ、というクラスじゃないから」と体を末端(手足指先)から揺らしてほぐしていくことから始まった。縛りが無いので身体も心も解放されていく感じが心地よい。”波及”という言葉がピッタリ。 背骨を一個一個意識してキャタピラみたいに使って腹筋を使わず起きる、というのがキツかった。

準備運動の後はペアを組んで、いくつかの動きをやった。お互い影響し合って動くというもの。 最初は、気功でやる両手で気のボールを作るのを2人でやるような動き。向かい合って、手のひらを空間を挟んで合わせる。片方が動いたらついて行く。どんな体勢になっても、気のボールをつぶしたり落としたりしないようにする。

Aさんと組んだのだが、私がリーダーになって、先に動いても、必ず彼女が先に先に行ってしまう。それでリーダー交代を提案。私がピッタリついて行くので、Aさん「チョー気持ちいい!」を連発。私もついて行くのが心地よかった。 しかし…これはどっちがリードしているのだろう?私が操ってるのでは?? どこかで見た様な…

最後の方にやった「パートナーに手を触れずに歩かせる」というのも、私は操られて歩く方が得意だった。これも「上手に操られるほど、操ってるつもりの人を操ってる感が増す」のだ。 黒子が人形を操ってるの図や『NINA』が浮かんできた。

どのクラスにも、アレにこんな部分あったよなーという気づき、実感がありました。より作品が身近になるのです。

勇気先生が「こんないろんな年代の人が集まって、こういう事をするという機会はあんまり無いので、貴重でした」と言われましたが、本当にそうでした。その場にいるメンツで雰囲気は変わりますから。まさに一期一会。楽しかったです!

11/15 レパートリー体験(初級)(浅海先生)

詳細はshinさんの「潜入レポート」をお読みください。AIか?と疑ってしまうほどの記憶力の持ち主でいらっしゃいます。 『ラ・バヤデール』の白い国のコールド。音楽を知ってるので、少し安心。男性陣がアタフタしてるのを見てやろう、なんて思ってたら、とんでもない、自分の事で精一杯。

クラシックはある程度は単語が分かるので、セットフレーズとして覚えられるのだが、コンテンポラリーは語彙がほとんどないので、全部丸覚えしなきゃないのだ。「ここまでで質問は?」とか聞かれても、どこが分からないのか分からない状態。マネしてやっても全然覚えてない。 「この部分が分かりません」と言える人はその前後は分かってる人なので一人前です。 必死で食らいついて行って、最後の通しでやっと流れがつかめた様な気がしました。

膝ゴリゴリで方向転換して進むハードなパート、打たない様に腹筋背筋めちゃくちゃ使って頑張った。スレて赤くなったけど、打身はまぬがれ、翌日は消えました。良かった〜。 印象的な片手で口を押さえる仕草。そう言えば、声の大きな者達に蹂躙される、もの言えぬ人々のストーリーだったな。観た時よりも演じた時の方が何か悲しかった。

11/22 Noism バレエ中級(井本星那先生)

コンテンポラリー言語を、ここで少しでも体験してから、レパートリー中級に臨もうと思っていましたが、親戚の葬儀が入ってしまい、泣く泣くキャンセルとなりました。 一抹どころでない不安が…

11/29 Noism バレエ初級(浅海先生)

初級2回目とあって、いろいろと考えてくださってレッスン形態がバージョンアップしていました。初級と言ってもいろんなレベルの人達が参加するので、教える方も難しいと思いますが、1回目よりもやる事をシンプルにしたり、メンバーが受講者の中にきちんと入ってくれたりと配慮されてる部分が多かったです。 経験者はシンプルな事でもより深く追求したり、完成度を高めたりできるので、今回は全員にとって良かったと言えるのではないでしょうか。 終わってからメンバーの方に腕のポジションについて質問して、直していただきました。とても丁寧に対応してくれました♪

耳を立てて道を歩いてみた。 口まわりと首の筋肉を使って。胸を起こして。 360度センサーが働いてる気がした。耳だけでなく、皮膚感覚、触覚も。 臨戦態勢だ。野性が目覚めた? 鏡で見ながらポーズを取っていたら、クラシックと違い、精悍にみえた。より動物のように、より生身の人間のように。

12/6 レパートリー中級(ジョフォア・ポプラヴスキー先生、林田海里先生)

いよいよ今期最後のクラス。スタジオBの雰囲気を味わっておこうと早めに行き、ストレッチ。今日はNoism0やNoism1のメンバーの方達もたくさんいらっしゃっていて、気分がアガる! ん?流れているのはあの曲ではないか?まさか今日やるのは…

曲を聴いてると、気功のポーズが取りたくなり(三十代の頃一年くらいやった)、音に身を任せてユラユラしていた。 先生方登場して集合。ジョフォア先生「今日は『Fratres』をやります。みたことあるひとー?」なんと、挙手したの私だけ!先生方と苦笑い。そういえば観たかも、という人が現れ、観た者3人(だったかな)が前に出された。ちょっとビビったが、お手本がすぐ目の前だし、いっぱい直してもらって、とても得した気分。

初めの部分はかなりの時間を蹲踞の姿勢でいる。視線は斜め前。公演時に、アレは辛いなと思って観てた部分だ。最初はどうなることかと思ったが、安定のポイントを見つけたら、わりと出来た。

動きにはみんな意味があるということをアタマとカラダで再確認。つま先を始め、身体が外に開いていれば自分を解放してるし、内向きな姿勢であれば内省的、閉じている状態。それが目まぐるしく移り変わる。パラレルは足の小指側、外側が平行なんだそうだ。そうすると、見た目は内向きになる。気功の立ち方である。

「祈り」「瞑想」「ほとばしる何か」 少林寺の修行僧になった気分。ジョフォア導師の掛け声が響く。「ぱぁらぁれぇるぅ〜!」上を見る時は「むねでみぃるぅ〜」などなど… ひらがなで聴こえてくる。

「ここまでOK?」と聞かれても… やっぱり分かるか分からないかが分からない。先生方のをチラ見して、時間差でしか演れない。でも最後の通しでは、わかるユニットや決めポーズっぽい部分は持てる力を100%出して表現しました!

メンバーの方達がたくさん見学してましたが、恥ずかしいという気持ちは全く起きず、応援されてるような気がしました。自分達がやった演目をアマチュアがひたむきにやってる姿は興味深かったのではないでしょうか。

持てるだけの日本語を駆使して、パワフルなレッスンをしてくださったジョフォア導師、通訳兼お手本を見せてくれた海里先生、どうもありがとうございました!

クラスを終えて…

やはり「年の功」はあるんだな、と思いました。クラシックバレエ経験だけではなく、ちょっとだけかじった気功、観た舞台、その他、今まで生きて来て経験した事全部に今回の体験がプラスされた。 振りのひとつひとつに意味があるのも、若い人たちより実感できる。振り写しの記憶力がもっとあればいいんだけどね。

私は踊りや音楽などを鑑賞するのが好きだけど、やはり自分でやる方が満足感を持てます。今回は、今まで観客でしかなかったのが 、Noism の表現を体験することによって少しだけ踏み込む事が出来て、大変嬉しく思います。 Noism との関わり方は、人それぞれ違いますが、これこそが私の関わり方だと思いました。

次回もぜひ受けたいと思います。 その為に毎日ムリのない程度に体を動かして整えています。 ムリをして「◯◯ヨリの◯◯ミズ」などと言われるのだけは避けたいなあ。

(たーしゃ)

快晴で暖かい豊橋から戻った新潟は初雪、インスタライブはvol.11

2020年12月14日(月)はこの冬一番の寒波が列島を襲い、新潟市も初雪に見舞われました。そんな寒い月曜日の夜20時、土曜日の豊橋公演から戻ってのインスタライブは11回目。おやつに弘前産の蜜入り林檎(佐和子さんは堅めが好み)を頬張りながら、特にテーマを定めないかたちのフリートークでした。その肩肘張らないものの、深みも備えたお話から一部ご紹介いたします。

年末・年始も忙しいNoism Company Niigata。12/24はオルガンコンサートに特別出演での「くるみ割り人形」、明けて1/4には京都のロームシアターに向けて出発。「年末年始も踊り続けます」(佐和子さん)

「豊橋、めっちゃくちゃ疲れました」(佐和子さん)…新潟での通し稽古の最中、ある場面で一瞬のカウントの遅れから外反母趾の足指を「がっつり突き指」したことから持病の腰痛も出て来ていたという佐和子さん。

豊橋公演(一回公演)について: 「もう、一回やし、いてまえ」(穣さん)に、「いってもうた」佐和子さん、本番は楽しかったものの、終わってからの身体のボロボロさ加減は大変だったとか。今回の豊橋公演のような一回公演には精神的なキツさがあり、その一回に賭けるときに「訳がわからなくなってはいけない」という大前提があると佐和子さん。最高のものを見せるためのコントロール。「初日だと思ったらダメ。我を失ってはいけないし、コントロールし過ぎで面白みがなくなるのも困る。色々考えて、考えて、でも、最終的には『いってきま~す』ってなる」(佐和子さん)「緊張しない、ワクワクしない、ヒリヒリしないとダメなのはわかっている。同時に、そんだけ熱くなったらコントロールできないよ、っていう冷たい自分もいるから、敢えて『うるさいっ』って言って出ていく」(穣さん)

豊橋公演の『FratresIII』、自覚としては結構良かったという穣さん。ゲネで良いと、その波で上手くいくのが穣さんだと佐和子さん。

「ここ最近、舞台で『知らない自分』が出てくるのが楽しい。前は、自分の身体がスペースのどこにいて、どういう感じかというアウトラインが見えていたのが、最近は、内側の方が見えている。『あっ、そんなふうに感じるんだ』とか」(佐和子さん)「それはその瞬間、ライブのその場にいるっていうことから受けるものを感じられているっていうことで良いんじゃない」(穣さん)「ライブのその瞬間に受けるものは絶対キャッチしたいから、あんまり固執し過ぎないようにしている。そのバランスが今は楽しいっス」(佐和子さん)「良かったっス」(穣さん)

本番前、ストレッチしながら久し振りにJポップを聴いていたという穣さんに対して、佐和子さんは演歌。「演歌オンパレードで、楽しかったっス」(佐和子さん)

『Adajo Assai』の二人の関係性について: 最終的には女性がいなくなるのだが、「いないんだけど、いる。いるのに、いない。いなくなったから、いる。そういうことなの。『Adajio Assai』では、言語化しづらいことを探究して作っている」(穣さん)「私の感覚的には、男と女という感じではない。ふたりの人間、舞踊家。名前が消えたときに、ただ人間が二人そこにいて、時間軸が逆戻りしたりとかする」(佐和子さん)「時間はひとつのテーマ。後半、動きを完全にリバースにしている。時間は前にしか進まないんだけれど、振付的には動きを全部逆にしている。離れているけど、影響し合っていることもある。別な空間にいながら共有したり、ズレたりみたいな構造もある。そのテーマはずっと大切なテーマ」(穣さん)そこから、鈴木忠志さんの本を介して、「演じている=観ている場で、本来、共有されがたいものを、ある種の妄想、幻想、虚構を通して、あたかも必然的に、そこに存在して、共有したと感じられる瞬間みたいなものを産む装置として演出や作品があると思う」(穣さん)

『Adajio Assai』から『春の祭典』への佐和子さんの変貌に関して: 「変貌大好き。でも、何かになろうとするのは嫌い。身体を変えるというのが大前提。自分の身体を見たりした感じから、自分の身体の奇妙なシェイプや奇妙な気持ち悪さがどうやったら出るかから。バレエ的なものから崩れたものが面白いと思った。自分の身体を研究することから始まる」(佐和子さん)

舞台に出る前のことなど: 「頑張ろう」みたいに声をかけ合ったりすることはない。それは、あくまで一人だから。「一人だからこそ、その後、舞台上で会ったときに会えるっていう」(穣さん)「凄い集中したいときに、人と触れることによって集中が切れちゃう。集中したまま『ヨロシク』とはなれない。(穣さんが)言ったとおり、舞台に行ったときに出会いたいから、その人たちと」(佐和子さん)「聖域さんだよね」(穣さん)「すごいわかる」(佐和子さん)「祈るときって一人なんだよね。集団で祈っていても一人だと思うんだよね」(穣さん)

…とまあ、そんなところを拾い出してみました。これからもインスタライブは続けていくそうですし、ゲストを呼ぶことも考えたいそう。で、次回は、鈴木忠志さんをはじめ、大先輩たちからどんな影響を受けて、どう血肉になっているか。また、昨年の利賀村での『still / speed / silence』の裏話なども内容としたいそうです。

おふたり共同のインスタアカウントにアーカイヴがあります。全編はそちらでどうぞ。それでは今回はこのへんで。

(shin)