「SaLaD音楽祭2022」メインコンサートで魅せたNoism♪

*西日本各地で猛威を振るい、北上を続ける台風14号。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

Twitterで金森(穣)さんの従兄弟の金森大輔さんが防災の観点からのツイートを多数続けて発信してくれている状況下でもあり、「行けるのだろうか?」「大丈夫なのか?」「見送るべきではないのか?」と不安な気持ちは否めませんでしたが、タイミング的に新潟・東京間の往復ならギリギリ何とかなりそうと、2022年9月19日(月)、東京は池袋の東京芸術劇場での「SaLaD音楽祭」メインコンサートを観に行ってきました。

時折、思い出したように激しく雨が路面を叩きつけていましたが、池袋駅から地下通路で繋がる東京芸術劇場は、傘の出番もなく、大助かりでした。

15時、コンサートホール。都響の楽団員が揃い、矢部達哉さんによるチューニングに続き、指揮の大野和士さんが姿を見せると、次いで上手側からNoism Company Niigata の7人が歩み出て来ました。順に樋浦瞳さん、糸川祐希さん、三好綾音さん、中尾洸太さん(センター)、井本星那さん、坪田光さん、杉野可林さんで、公開リハ初日とは樋浦さんと糸川さんのポジションが入れ替わっていました。ペルトの音楽による『Fratres I』横一列ヴァージョンです。都響による演奏はCD音源と較べても、弦の音が遥かに繊細に響き、その楽音を背中から受けて踊る面々の様子はいずれも最高度の集中を示して余りあるものでした。

ペルトの『Fratres ~ 弦楽と打楽器のための』に金森さんが振り付けた作品は、これまで、順に『Fratres III』まで観てきていますが、ここでその始原とも呼ぶべき『Fratres I』を、それも金森さんが踊らず、極めてシンプルな(一切のごまかしが利かぬ)横一列で観ることには、観る側にも初見時の緊張を思い出させられるものがあったと言いましょう。冒頭から暫く、上からの照明は踊る7人の顔を判然とさせず、黒い衣裳を纏った匿名性のなか、7人がNoism Company Niigataの「同士」であることのバトンを託されて踊る峻厳極まりない様子には瞬きすることさえ憚られました。

踊り終えて、下手側に引っ込んだ後、盛大な拍手のなか、大野さんに促されて再び姿を見せた7人。緊張から解き放たれ、安堵した表情を見たことで、こちらも頬が緩みました。それほどの厳しい空気感を作り出した11分間の舞踊だったと言えます。

その後、都響による華やかなウェーバー:歌劇『オベロン』序曲を挟んで、15時30分になると、再び、Noismのダンスを伴う、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第2楽章です。金森さんが振り付けた舞踊作品としてのタイトルは『Sostenuto』。同曲の発想記号からの命名です。

舞台の準備段階から、通常のピアノ協奏曲のときと異なり、指揮者の大野さんに正対してピアニストの江口玲さんが演奏するかたちでピアノが配置されたのが先ず印象的でした。先の『Fratres I』同様、オーケストラの手前でNoismが踊るのですが、その姿を捉えながら演奏する必要があってのことでしょう。

死、喪失、悲しみ、絶望…、そうしたものの果てに「音が保持され」、光や希望が見出され、人と人の時間が、或いは彼岸と此岸とが繋がれるに至る叙情的な作品『Sostenuto』、その世界初演。白い衣裳、白みがかった照明。井関佐和子さん、山田勇気さん、井本さん、三好さん、中尾さん、庄島さくらさん、庄島すみれさん、坪田さん、樋浦さんの9人によって踊られました。人ひとりが不在となることに胸が締め付けられつつ進み、最後に光や希望が見出され、思いが繋がるとき、涙腺は崩壊せざるを得ません。これまで幾度となく聴き、「ロシア的」と解してきたラフマニノフによる旋律が、この舞踊を想起することなしには聴けなくなってしまった感すら否めない胸に迫る濃密な叙情性。こちらも時間にすると11分ほどの小品ながら、忘れ難い印象を残す作品です。この先、いずれかの公演時にこの度と同じ完全な形での(再)上演が望まれます。

Noismの舞踊は僅か「11分×2」という短さながら、台風への不安を抑えて行った甲斐のあるこの度の「SaLaD音楽祭2022」でした。幸い、帰りの新幹線も無事運行しており、安全に帰宅できましたし。

この度の公演会場でも、Noismサポーターズの数名とお会いできましたし、開演前、そして途中休憩と終演後にも、浅海侑加さん(と彼女のお母様)にばったり出くわし、その都度、ちょっとずつお話しすることができ、何よりご結婚の祝いを直接お伝えできました。で、浅海さんからは「これを終えると、メンバーは明日(9/20)から一週間お休み」とお聞きしました。18thシーズンから19thシーズンへの移行期は色々とイヴェントが目白押しでメンバーはとても忙しかったことに改めて気づかされました。充分な期間とは言えないかもしれませんが、一週間ゆっくりして、再び新シーズンに臨んで欲しいと思いました。

(shin)

「SaLaD音楽祭」活動支援会員対象公開リハーサル初日(9/10・土)を観てきました♪

夏が舞い戻ってきたような感があり、強い日差しに汗ばむ2022年9月10日(土)の新潟市。りゅーとぴあのスタジオBまで、活動支援会員を対象とする「SaLaD音楽祭」にむけた公開リハーサル(初日)を観に行ってきました。

シーズンが改まり、メンバーも入れ替わったNoism Company Niigata。
(Noismボードの入れ替えも進んでいます。まだ完了していませんが…。)

9/19のメインコンサートにて、ペルトの『Fratres』とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章を東京都交響楽団の生演奏で踊るNoismですが、果たしてどんな面子で踊られるのか、興味津々でない者などいなかった筈です。

2分弱進んでいたスタジオBの時計が13:02を示す頃、つまりほぼ予定されていた時間通りに公開リハーサルは始まりました。

最初の演目『Fratres』(13:00~13:10)から。あの黒い衣裳を纏って、スタジオB内の上手側から一列に歩み出たのは、順に、糸川祐希さん、樋浦瞳さん、三好綾音さん、中尾洸太さん(センター)、井本星那さん、坪田光さん、杉野可林さんの7人。本番の狭いアクティング・エリアを考慮した「横一(列)ヴァージョン」(金森さん)です。
これまでも何度も観てきた作品ですが、間近で観ることで、手や足の動き、身体のバランスの推移などをガン見することができ、それはそれはこの上ない目のご馳走であり、ホントに興奮しながら見詰めていました。
あと、本番でも「降るもの」はないでしょうし、足をドンドンと踏みならす場面は演出が変更されていたことを記しておきたいと思います。

着替えを挟んで、もうひとつの演目・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番より第2楽章(13:15~13:30)です。今度は先刻までと打って変わって、全員が白い衣裳に身を包んでいます。踊るのは、井関佐和子さん、山田勇気さん、井本さん、三好さん、中尾さん、庄島さくらさん、庄島すみれさん、坪田さん、樋浦さんの9人です。こちらは完全な新作で、この曲を都響から提案を受けてすぐ、「見えた」と金森さん。「丁度、バレエの恩師が亡くなった直後だったことで、思いを馳せながら創作した」のだそうです。見覚えのある小道具が効果的に用いられ、生と死、喪失の哀切と受け継がれていく思いが可視化されていきます。

体制も刷新されたNoism Company Niigataの19thシーズン、その劈頭の舞台「SaLaD音楽祭」。自らの、或いはNoismの活動を「文化、芸術を残していく闘い。願わくば、数十年後、例えば、ここが改修されていたりとかしても、その時代の舞踊家が躍動していて欲しい」と語った金森さん。「このふたつを持っていってきます」の言葉に力が込められていたのを聞き逃した者はいなかったでしょう。大きな拍手が送られましたから。

明日の日曜日、もう一日、公開リハーサルはあります。ご覧になられる方はどうぞお楽しみに♪そして「SaLaD音楽祭」メインコンサートでの本番の舞台のチケットをお持ちの方も期待値を上げて上げてお持ちください。

(shin)

Noism Company Niigata 《春の祭典》

稲田奈緒美(舞踊研究・評論)

 2021年7月23日、この日は「東京オリンピック2020」が始まる日でもあった。新国立競技場での開会式とほぼ同時刻から、Noism Company Niigataの公演が始まった。

 幕開きは、2019年初演の〈夏の名残のバラ〉。井関佐和子が楽屋でメイクをし、赤いドレスの衣装を着て舞台に出演するまでの映像が映し出される。静かな、一人だけの時間が流れるが、それは井関がダンサーとして舞台に立つために自らを奮い立たせ、かつ冷静に集中力を研ぎ澄ましていくルーティンだろう。幾度となく繰り返しながら歩んできたダンサーとしての年月が、その佇まいに、背中に、美しく滲んでいる。恐らくは同時間に新国立競技場では、わかりやすくショーアップされた開会式のパフォーマンスが繰り広げられている。その光景を想像しながら井関の姿を見る時、彼女の身体とそれを映像に捉える視点からは、馥郁たるアートの豊かな香りが漂ってくる。アートを特権的な地位におくわけではないが、私が見たいのはこういうものなのだ。様々な意味が、思いが、何層にも積み重なり、あるいは混沌としながら意味を生成していくような、イマジネーションを掻き立てるもの。オリンピックに世間が沸く一方で、このように上質なダンス公演を楽しむことができるのは幸運である。

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『夏の名残のバラ』
撮影:篠山紀信

 井関を捉える映像が舞台へ切り替わり、舞台上で井関が踊り始める。舞台で踊りながらカメラを井関に向けるのは、ダンサーの山田勇気。カメラが井関の顔を、手足を、密着するように、あるいは遠くからとらえ、舞台上のスクリーンに映し出す。観客は目の前で踊る井関と山田を見ると同時に、異なるアングルからクローズアップされた二人をスクリーン上に見る。井関が赤いドレスを翻しながら舞台を疾走し、全身を山田に投げ出して表情をこわばらせ、また柔らかく肢体をくゆらせ、あるいは鋭く空間へ切り込んでいく。常に全身を燃焼させながら踊る井関も、それを果敢に受けとめる山田も、ダンサーとしては円熟期を迎えつつある。しかし、そこにネガティブな要素はない。〈夏の名残のバラ〉は、今なお、その凛とした姿を形にとどめているのだ。私たち観客の眼前にあるダンスと、その遠近をかく乱しながら映し出される映像をシンクロしながら見ていると、最後にその思い込みが見事に覆される。鮮やかな手法。それは次回の上演を初めて見る観客のために秘密にしておこう。

 井関は、自身の過去と未来を、いまここにある身体に重ね合わせながら踊る。強靭なしなやかさで、そのダンスと生きざまを美しく表現し、観るものを引き寄せる。この踊りで井関は、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。井関の“いま”を鮮やかに見せる振付と、ダンスと映像による仕掛けを施す構成、演出をした金森穣は、日本ダンスフォーラム賞を受賞した。

 二作品目は、昨年コロナ禍による自粛が続く中でその状況を見事に映像化した映像舞踊〈BOLERO 2020〉が、劇場のスクリーンで大写しにされた。踊ることを日課とするダンサーたちが、それぞれ閉塞的な部屋にこもり、一人きりで踊る姿を編集し、ウェブ上で配信されたもの。この状況では、いつものように空間を縦横に動き回り、手足を存分に広げ、またダンサー同士で会話したり触れ合いながら創造するという、彼らの日常が封印されている。その苛立ちを、まだるっこさを、不安を吐き出し、なおも踊らずにはいられない身体の生々しく、ヒリヒリとした痛みや熱が画面から伝わってくる。筆者は昨年、パソコン画面上で拝見したが、今回のスクリーン上映では、大写しになったダンサーたちの身体のディテールと、「ボレロ」という単調な反復がやがて大きな渦となる音楽とのシンクロが、より迫力をもって伝わってくる。映像舞踊という実験がまた一つ、ダンスを創り、観る可能性を広げてくれた。

映像舞踊『BOLERO 2020』
撮影:篠山紀信

 3曲目は〈Fratres〉シリーズの最終章〈Fratres Ⅲ〉。ラテン語で親族、兄弟、同士を意味する言葉であり、使用されているアルヴォ・ペルトの音楽タイトルでもある。

 幕が上がると、薄暗い空間の中心に金森。その周りを取り囲むように群舞が配置される中で、ヴァイオリンが鮮烈なメロディを畳みかけるように奏で始める。ダンサーたちは男女の別なく、修道士のようなフードのついた黒い衣装をまとっている。彼らの動きは顔を上げる、手を伸ばす、俯く、床に倒れこみ、這うといったミニマムなものが多いが、それを見事に音楽と他者にシンクロしながら反復していく。一つひとつの動きには、研ぎ澄まされた内への集中と同時に、空間を構成するすべてのダンサーや光、音楽へと向けられている。その場に佇んだまま、または蹲踞の姿勢を取りながら続いていく様は、儀式のようでもある。そのため観客はシンプルな動きが単なる身振りではなく、天を仰ぎ、地を希求するかのような意味を様々に見出し、解釈することができる。

 集団によるアンサンブルの集中度が極まったとき、頭上から米が降り注ぐ。群舞はフードをかぶり、一人一人の頭上で受け止めるが、中心の金森だけはフード(我が身を守るモノ)をかぶらずに全身で受け止める。受苦であり浄化でもある、頭上からの米を一身に浴びるという行為からは、自己犠牲を超えた祈りを感じる。踊ることで天と地をつなぐダンサーである彼らは、もはや儀式や祈り、畏れを忘れた現代人のために、そこにいるのだ。しかし突出したカリスマに扇動されるのではなく、その集団の調和によって、そこにいることの強度を増している。Noismが多くの団員を抱えるカンパニーとして存在することの意義と可能性を、舞台は表している。

『FratresIII』
撮影:村井勇

 4曲目は公演タイトルにもなっている〈春の祭典〉。この作品が1913年に初演された際は、ストラヴィンスキーの音楽、ニジンスキーの振付共に時代から遥に進んでいたため、観客の多くは理解できず、評価も得られなかったことは舞踊史ではよく知られている。しかし時代と共に音楽は高く評価され、20世紀の古典となり、数えきれないほどの振付を生んできた。そのため振付家は、どのような設定で、コンセプトで、振付、演出をするか想像力を掻き立てられると同時に、恐ろしくもあるのではないか。金森が選んだのは、ダンサー一人一人にオーケストラの演奏家のパートを振り分けて、オーケストラが踊りだす、というコンセプトであった。それはしばしば「音楽の視覚化」と言われる振付の手法を超えた、厳密にして挑発的な試みである。

 客電がついたまま幕があがると、舞台前方には横一列に椅子が並べられている(椅子:須長檀)。椅子の背はワイヤーのようであり、それが一列に並んでいると、まるで鉄格子か鉄柵で囲まれているように見えるため、囚人、隔離された人々の空間を思わせる。井関から一人ひとり、おどおどした様子で背中を曲げながら登場し、椅子に座っていく。中央に井関と山田。全員が横一列に座ると、客席の方へ、舞台の中へと、何ものかにおびえているように見つめては後ずさりし、音楽に合わせて手を震わせる。男女全員が白シャツと白い短パンという同じデザインの衣装を着ており、その色と画一的なデザインが精神病院かどこかに囚われているようにも思わせる。

『春の祭典』
撮影:村井勇

 音楽が激しいリズムを刻み始めると、その不規則なリズムにぴったり合わせながら、群舞が踊る。椅子に座ったまま両足を床に打ち付けながらリズムを刻み、あるいは半分が立ち上がり、また座り込み、と見事である。やがて、椅子の後方にある幕の内側が紗の間から照らされると、誰もいない空間が広がっている。四方を半透明の柵に囲まれた空間は、閉ざされ、隔離された空間であることがわかる。空間は人々をおびき寄せるように、サスペンションライトで床を照らしている。覗き込む群衆。幕があがると、群衆は恐れながらもその中に入っていく。

 そして激しくなる音楽そのものを踊っていく。椅子を円状に並べ、座る人と、前方中心に向かって倒れこむ人がいるシーンや、ダンサーが自分の腕で自分の腹部を打つような動きはピナ・バウシュへのオマージュだろうか。また、男女が下手と上手に分かれて群れとなり、男の群れが帯状の光の中を激しく跳躍しながら突進してくるシーンは、ベジャールへのオマージュだろうか。〈春の祭典〉という音楽と舞踊の歴史への敬意が感じられる。

 やがて男女が分かれて入り乱れ、一人の女性が生贄として選ばれる。これまで多くの振付家が作ってきた作品では、生贄として選ばれた女性、または男女ペアと、それを取り巻く群衆は対立構造を取ることが多い。それがこの作品では、生贄の女性を守ろうとするのは、もう一人の女性(井関)である。か弱い女性を男性が守るのではなく、女性が女性を守っている。男女のペアで無いところも現代ならではの視点だ。その二人に対して攻撃するような群衆。この辺りは、群れを作ったとたんに匿名の集団が凶暴性を増す、現代社会を投影しているのだろうか。同調圧力やSNSでの誹謗中傷などを思い起こさせる。しかし、最後に守られていた女性が、井関を指さす。「この女こそ生贄だ」と示しているかのように。信頼が裏切りに変わる、人を裏切り、売り渡すような現代社会を表しているのか。

 井関は一人で群衆の苦しみ、恐れを受けとめるが、最後は全員が手をつなぎ、後方へ向かってゆっくり歩んでいく。手をつなぎ共に歩み始める人々の姿は、救いと希望を感じさせる。

 もちろん振付家は、ベタな現代社会の投影を意図して振り付けてはいないだろうが、今回の公演では様々に現代社会を喚起させるシーンが多かった。言葉ではなく身体で表されるからこそ、観るものの想像力を多面的に刺激し、その意味を考えさせ、より深く目と耳と、胸と頭と、皮膚感覚に残る。なんと贅沢な公演だったのだろう。また、これだけ体力と集中を必要とする作品を、(映像作品は含めず)3曲も次々と踊っていく団員たちにはまったく感服する。そのダンサーたちは国籍も民族も身体も多様性に富んでいる。このように多様かつ優れたなダンサーたちを育てた金森や井関、山田、そして新潟という日本海から世界に向かって開かれた土地に改めて拍手を送りたい。 

(2021.7.23(金)/彩の国さいたま芸術劇場)

PROFILE | いなた なおみ
幼少よりバレエを習い始め、様々なジャンルのダンスを経験する。早稲田大学第一文学部卒業後、社会人を経て、早稲田大学大学院文学研究科修士課程、後期博士課程に進み舞踊史、舞踊理論を研究する。博士(文学)。現在、桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修准教授。バレエ、コンテンポラリーダンス、舞踏、コミュニティダンス、アートマネジメントなど理論と実践、芸術文化と社会を結ぶ研究、評論、教育に携わっている。

【インスタライヴ-15】『春の祭典』ツアー後の大質問大会

2021年8月1日(日)20時、『春の祭典』最後のツアー先である札幌から(2時間前に)新潟市に戻ってきたばかりの金森さんと井関さんが、「眠い」なか、前回のインスタライヴ以来、ほぼ3ヶ月振りとなるインスタライヴを行ってくれました。広く質問に答える形式での『春の祭典』大質問大会、約1時間。以下にその概要を抜粋してお伝えします。

*この日の晩ご飯: 北海道名産・鮭のルイベ漬(佐藤水産)
*今回のインスタライヴ中のおやつ: 福島産の桃

札幌公演は15年振り。「皆さん、待っててくれた感じ。(hitaru)楽屋のトイレは入る度に音楽が流れる『最新設備』だった」(笑)(井関さん)

Q:照明の調整に時間はかかったか?
-金森さん「ツアー地では凄く時間がかかって、ゲネが無理になり、本番直前のテクニカルランで初めて通せる感じなのが、今回は設備が良くて、順調だった」
-金森さん+井関さん「札幌スペシャルの照明、次やるときはテッパン。最後にちょっと違う演出・照明が加わっている。もう一個『外部』の世界を感じる照明にした」
-井関さん「最後の最後までライヴ感が凄かった」


Q:『春の祭典』音源はどのように決めたか?
-金森さん「入可能なものは手当たり次第に入手して、実際に踊ってみた。既に作っていた構成に合っていて、演出家としてビビッとくるものがあったのがブーレーズ盤だった」
-井関さん「色々なテンポのものがあったが、ブーレーズ盤が一番、音の粒が立っていると言っていたのを覚えている」
-金森さん「ブーレーズ盤は、情感でいくというより、理知的。音がクリアで構造がはっきりしている印象。後から、ベジャールさんもこれを使っていたと聞いた」

Q:踊るときに一番大切にしていることは何か?
-井関さん「その瞬間をどう生きるか。邪念を抜きにして、その瞬間の空気とエネルギーをどう感じるか。邪魔は入るが、それさえも『瞬間』と捉えて乗り越えること」
-金森さん「舞台に立てば立つほど、緊張感をコントロールする術も判ってくるが、『失敗しないかな』との適度な緊張感で集中度も上がる。そのときの音楽の響き、観客のエレルギー、自分の状態を大切にしたい。そこに身を投じる。そこに居続けるための集中」

Q:一人ひとりに楽器を割り当てた『春の祭典』、音を聴いて踊るのか?
-井関さん「楽譜で割り当てていて、全員で完全にカウントを数えているので、一応判っている。それが大前提で、カウントの取り方、『音色になる』ことの難しさがある」
-金森さん「舞踊家は音楽に合わせることに慣れているが、『音になる』っていうのはどういうことか。「(音が)来る」と判っていることではない。音の呼吸・強度を身体化するという完全にはなし得ないことを21人に求めた」
-井関さん「音に合わせすぎると、音に見えない。外からの目がないと成立しない」
-金森さん「一人ひとりが演奏者であるということが肝。自分が動いたことで、その音が発されているように見えることの難しさ」

Q:しんどいとき、それを超える秘訣は?
-井関さん「体力は、稽古でも頑張ってMAXやるが、本番でガンガンあがっていく」
-金森さん「身体は記憶する。最初の通しは滅茶滅茶しんどいが、そのしんどさを求めちゃったりする。これが危ない」
-井関さん「それに酔っちゃったりするのが危ない。語弊はあるが、作品を超える体力と精神力があって、しんどそうに見えて、しんどくないのがベスト。表現の幅が増えてくる。身体も精神も鍛える稽古、また、本番では最高の作品にするべくコントロールすることが重要。身体でやり切って、その先に見える何かを頭を使って見つけて、身体で試す」
-金森さん「舞踊家は馬であって、同時に騎手である。しかし、騎手であり続けながら馬を鍛えることは出来ない。鍛錬は馬にならなければ出来ない。馬が仕上がった後から、騎手が来るというバランスがいい」

Q:踊った後、どれくらいすると食欲がわくものか?
-金森さん「すぐは無理。でも、作品による」
-井関さん「本番の時は『食欲』はない。『食べなきゃ』っていう感じで『義務』。『完全にコレ、仕事だな』って思ったことも」
-金森さん「遅くならないうちに、できるだけ身体にいいものを、って感じだが、美味しいものの方が入り易い。当然、幸せにもなるし」

*照明や装置の微細な違いに気付く舞台人のビビッドさについて
「なんかちょっと違う。今日、(照明が)眩しい」って言って怒り出すのが「佐和子あるある」と金森さん。「で、照明家さんたちが『えっ、変えてないです』ってザワザワってなる。(笑)でも、厳密に言うと、毎日、照明はチェックで触っている。で、微細には変わっている。どれだけビビッドな感覚で舞台に立って感知しているかは、多分、照明家さんには想像できない」(金森さん)

Q:『Fratres』のお米は使い回しか?
-金森さん「はい。演出部さんが、毎回、終演後にザルでほこりを取っている。降らしたときに詰まっちゃったりするので。金銀山の砂金採りかみたいなレベルで」(笑)

Q:リノリウムのペイント、そのコンセプトは?
-井関さん「近々、映像をアップする予定」
-金森さん「コンセプトを伝えて、(俺以外の)メンバーみんなで塗ったもの。そのコンセプトは上から落ちてきてバチャ。みんなのは噴水みたいにバチャ。まあ、似てるんだけど、上から落ちてくることが…」
-井関さん「みんなで話し合って、やっぱりちょっとずついこうと。ひとり一色ずつ持って」それで、「これ、いけるんじゃね」と最初は井関さんから塗っていった。「踊っているとき、毎回、一瞬、海のような、波のようなエネルギーを感じた」
-金森さん「プレヴュー公演やっているときに、何かが必要と感じていて、『ああ、これか』と気付いたもの。『春の祭典』の色彩の爆発、色の欲情みたいなものを精神的な爆発として付与したかった。アクションペインティングのように上からペンキを落とそうと思ったが、さすがに、劇場の人に『大変なことになるからやめて下さい』と言われて…」

Q:『春の祭典』創作で一番苦労した点は?
-井関さん「一番というと、やはり楽譜読み。ホントに時間かかったし、待つ時間も長かった」
-金森さん「ユニゾンもそんなになくて、一人ひとりに振り付けていたから」
-井関さん「楽譜とにらめっこしていて、これはホントにダンスの作品なのかと。最初の1、2ヶ月くらいは」

Q:ふたりにとって、踊り・振付が「腹落ちする」っていうのはどのような感覚か?
-金森さん「踊っていて、『コレだ』って思うときってことなら、それが判るってことが『経験』なのかなと思う。今にして思うと、若い頃は、腹まで落ちないで、肺ぐらいで止まっていた気がする」
-井関さん「完璧な踊りはないが、その瞬間、光を浴びて、そこに集中していられているときが一番納得できるときか」
Q:振付が自分のものになり、無意識・ナチュラルなかたちで踊れるといった感覚か?
-井関さん「無意識はない」
-金森さん「おおっ、佐和子だねぇ。オレ、無意識だからね」
-井関さん「リハーサルで計算をとことんしておいて、そこからどれくらい外れたところへ行けるかっていうか」
-金森さん「結局、完全にはコントロールし得ないものをコントロールしようとしているから、どちら側に立つのかで違うし、この身体っていうのが凄い矛盾で、そういうものと向き合うことが踊ること。観てて感じる感想とは違う」
-井関さん「ここ最近になって、やっと、バランスっていうのが計算じゃないってことが判ってきた。その瞬間瞬間に選び取っていくこと、それが楽しいなと」

Q:『春の祭典』のキャスティングはどのようにして行ったか?
-金森さん「ホントに直感的なインスピレーションによった。楽器の音色からどのメンバーを想起したかっていうこと。癖も性格も判っているし、音色が舞踊家のもつエネルギー等に合うかどうか、という感じ」

Q:今後、『火の鳥』『ペトルーシュカ』に取り組む予定は?
-金森さん「『火の鳥』はNoism2のために作ったものがあり、それはいつかやりたい。『ペトルーシュカ』は『いつかやるのか?』と…、特に予定はないけど」

Q:昨年の「サラダ音楽祭」の演目、再演はないのか?
-金森さん+井関さん「『Adagio Assai』と『Fratres』に関しては、特別決まっているものはない。今回はジョン・アダムズの新作『ザ・チェアマン・ダンス』。42歳・井関佐和子、走れるのか。(笑)それと20年間、点で踊ってきている『Under the Marron Tree』。e-plus『SPICE(スパイス)』の記事を見てください」
-金森さん「『春の祭典』はいずれそのときのメンバーで再演するだろうし、『夏の名残のバラ』はやる予定がある」

…等々と、そんな感じですかね。疲れていた筈のおふたりでしたが、多岐にわたる質問ひとつひとつに丁寧に答えてくださっていました。その様子、是非ともアーカイヴにて全編をご覧ください。そして次回は「サラダ音楽祭」後かな、と予告めいたものもありましたね。楽しみにしています。

それでは、今回はこのへんで。

(shin)

「春の祭典」大千穐楽、北の街に炸裂した幻影♪(サポーター 公演感想)

☆ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』(2021/7/31@札幌文化芸術劇場 hitaru)

 現メンバーによる最終公演でもあるNoism0、1、2「春の祭典」大千穐楽、札幌の地で無事終了しました。

 酷暑、拡大を続ける新型コロナ禍、某巨大スポーツイベントと、北海道行きをどれだけ躊躇したか。それでも、現代に切り結んだ傑作「春の祭典」のひとまずのラスト、この公演がラストになると思われるメンバーの勇姿を目撃する為、予定どおり応援旅行を決行しました。

さっぽろ創生スクエア
札幌文化芸術会館 hitaru(4~8F)
hitaruロビーからのさっぽろテレビ塔

 会場の「札幌文化芸術劇場 hitaru」はオフィスや放送局、図書館などが入る高層ビルの一角。さっぽろテレビ塔もロビーからよく見えます。
この劇場がスゴい! 5階~8階までが客席の為、舞台の天井が高く、また音響も抜群。井関佐和子さんの渾身と、山田勇気さんの安定の受けが冴える『夏の名残のバラ』に引き込まれつつ、「あれ? いつもより音楽が低音まで聴こえるぞ」と気付かされました。映像舞踊『BOLERO 2020』も、今まで観たどの会場よりもメロディが身体に響き、かつ舞台の高さもあって、最前列で鑑賞したにも関わらずとても見易かったです。

 『FratresⅢ』で金森穣さんが舞台に現れた瞬間、嗚咽が漏れたのは何故でしょう。活動継続の危機を経て、さぁこれからという矢先のコロナ禍。カンパニーだけでなく、観客である私たちも、いつ果てるとも知れない苦しみの中で、何とか希望を捨てず、祈るように暮らしています。その万感を、この荘厳な作品には重ねてしまうのです。Noism1メンバーひとりひとりの、いつも以上に気合いのこもった表情、完璧な動きのシンクロ、それを背中で見守るような金森さんのソロ。落涙しつつ、いつか「Fratresシリーズを観ていた頃は、辛い時期だったけれど、何とか越えられたね」と思える日が来ることを正に祈りました。

 そして、特筆すべきは「札幌スペシャル」と呼ぶべき演出の仕掛け。『夏の名残のバラ』ラスト、客席を驚かせる映像が、「hitaru」の客席を使って再撮影されていたのです。また、『春の祭典』ラスト、「人は人と手を繋ぐことが出来るか?」という祈りがこもるような場面で、客席を舞台奥から照射する強烈な光。舞台芸術ならではの、その時、その場での一回性が生み出す、深々とした感激。札幌の地まで出掛けたことで目撃できた「幻影」のようでいて、確かな実感を伴った公演の余韻を、じっくり反芻しようと思っています。

(久志田渉)

Noism「春の祭典」埼玉公演の千秋楽へ行ってきました♪(サポーター 公演感想)

☆ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』(2021/7/25@彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉)

青い空と白い雲というまさに夏真っ盛りの天気の中、Noism「春の祭典」埼玉公演の千秋楽へ行ってきました。

青空と夏の雲と「春の祭典」の大看板
大ホールへ向かう大階段
空が気になる日でした。

本日は新型ウイルス禍なしては大盛況で、1階席だけでは収まりきらず2階席も解放していました。
客席には東京バレエ団の方もいらっしゃったようです。11月に金森さん演出振付のバレエ「かぐや姫」が初演されますが、そちらも楽しみです。
Noismの客席はいつでもどこでも静かですが(何故?)、このような情勢下では安心感がありますね。

開始のベルからしばらくして客席が暗くなり「夏の名残のバラ」が始まりました。井関さんの美しい踊りも素敵ですが、アップで映し出される人形のような顔も強烈な印象があります。
この作品の着想は恒例の篠山紀信さんによるフォトコールのように思いますが、私はカメラマン(山田勇気さん)の佇まいが好きです。

「BOLERO 2020」は映像作品。これまで何回も観ていますが、大画面でみると視点が変わりますし、何より劇場のスピーカーで聴けるので音響が素晴らしいです(演奏者の咳まで録音されていることに気づきました)。
私自身も最近になりZOOM会議の機会が増え(会議メンバーが突然踊り出したら面白いだろうな)、と思いながら観ました。

すかさず幕が上がり「FratresⅢ」が始まります。「Fratres」シリーズはずっと観続けてきましたが、Ⅲになってやっと(これはベジャールの「ボレロ」だ)と思うようになりました。どうやら今ツアー以降の上演は未定のようですが、折々に上演してもらいたい作品です。

休憩の後は「春の祭典」。メンバー総出演の舞台はこれまでも劇的舞踊シリーズでありましたが、全員が一斉に舞台上で踊るのは初めてではないでしょうか。
金森さんが語る(音楽の可視化)、冒頭はそれぞれダンサーが楽器を分担している事がはっきり認識できますが、徐々にその分担ルールは緩やかになり、次第にひとつの音楽としての大きな動きと共にストーリー性を持って進んで行きます。
私自身は舞踊をしないせいか、舞踊を観る際に無意識に表情を追いがちになります。Noism版「春の祭典」は病人風メイクとボサボサの髪により、表情が分かり辛く、プレビュー公演時は正直面食らったのを覚えています。
一見すると見にくいことも現代を表すために敢えて用いているのでしょうし、実際ダンサー全員が「春の祭典」の住人になりきっていて圧巻でした。

カーテンコールでは鳴り止まない拍手と増えていくスタンディング。昨日は後ろの席で躊躇してしまいましたが、今日は私もピシッと立ち上がりました!
直前にみたオリンピック表彰式で、無観客のためその場にいる選手・関係者が一生懸命メダリストを称賛する姿に感銘を受け、私も良いものはきちんと称賛したいと思いました。

さあ、あとは札幌の大千秋楽を残すのみです。気になるメンバーの去就も明らかになっているかもしれません。私もワクチンの副反応次第ですが、可能な限り見届けたいと思います。

おまけ…与野本町駅構内にツバメの巣。乗降客や放送の音がすると「親が来た」と思って口をあけて鳴き始めます。

(かずぼ)

心に響くもの(サポーター 公演感想)

☆ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』(2021/7/24@彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉)

私の初日となった、さいたま2日め。
タイトルは『春の祭典』だけど、4作品をたっぷりと。

どれも全くの初見ではないので、あの時はあんな印象を受けたなぁ…とか、あの時の自分はあんな状態だったなぁ…とか、うっすらと思い出しながら、ゆっくりと作品世界に入ってゆく感じ。

もう1年以上、多くの人たちが孤独と向きあい、胸に祈りをいだき続けている。
Noismの舞台も、様々な姿をした孤独と、祈りに満ちている。そして、(単純ではないけれど)希望もまた。
見る人によって、見る時によって、心に響くものは変わるだろう。

さいたま千秋楽は、私も千秋楽。
どうぞつつがなく。

(うどん)

劇場外のポスター
おまけ…与野本町駅前、真夏のお疲れ気味のバラ

「5-7月のNoism と私」(サポーター感想)

☆「市民のためのオープンクラス」・『春の祭典』新潟公演 ・ Noism Summer School2021

前シーズンのオープンクラスは申し込みに出遅れて受けられないクラスがあったので、今回はメール受付日に日付が変わると同時に送信した。我ながら大変な意気込みだ。

体験が経験に変わりつつあるのを実感しているのが、浅海侑加先生とNoism2メンバー総出の「Noismバレエ体験(初級)」だ。回数を重ねるとこちらも指導する方も慣れる。

参加者のカラーが毎回違うのもこのクラスの特徴。明らかにほとんどが経験者という時やら、いろんなレベル、バックグラウンドの人たち混在の時やら。

すばらしいと思うのは、回を追うごとにレッスン内容がどのレベルの人が来ても満足できる方向に行っている事。動きが複雑になりすぎないよう、長くなりすぎないようになっている。初心者はマネをしやすく、更にレベルアップしたい経験者は基本的なポーズ、動きに磨きをかけられる。 Noismバレエはクラシックが根底にあるが、基本となる腕の位置や角度などに違いがあるので、スタジオBに来たらこう動く!というのが身に付くまでどのくらいかかるやら…
出来るだけ長く通い続けて身体に染み込ませてカッコよく踊りたいものだ。

5/9初めてのバレエ中級。鳥羽絢美、西澤真耶先生。経験5年以上が対象なのでそれっぽいお姉さん方がほとんど。お手本になりそうな方の近くのバーにさりげなく陣取る。フロアになってからもコンクールに出そうな大きく踊る人の斜め後ろに位置取り。その人に頑張ってついて行った。
でも楽しかった!初級はNoismバレエの基本をキチンと身に付けたいのでポジション等に気を使うのだが、中級は「もうやったれ!」とばかり大きく踊り、ピルエットダブルも勢いで回る。

5月9日のレパートリー中級クラスは『BOLERO 2020』終盤のユニゾンでした。長さにすると1分ちょっとなのだがギッシリ詰まっているわ展開は速いわ…「踊ってみた」どころではない。「マネしてみた」にもならない。他の参加者さんたちは表現はともかく少なくともマネしてついていってるように見えたので気弱になってしまい、終わってからジョフォア先生に「今回は難しかった。ちょっと恥ずかしかっ…」言い終わる前に一喝「恥ずかしくない!!」反射的に「恥ずかしくない!恥ずかしくない!」と叫んだ私。

そうです。弟子が弱気になった時の迷いの無い師の一喝。これは大事です。勇気づけられました。これからも出来るだけ出席してコンテンポラリーに慣れたいです!

「今やったのはダンス以前のことなんです」
5月23日のからだワークショップの後で勇気先生とお話をした。
最初は自分の体をさすったり叩いたり、関節ごとに動かしたりして目覚めさせ、次は2人ひと組で向かい合って見覚えのあるあの動きを…

「これ、アレですよね?」「そう。アレです」先生と目で会話。『Adagio Assai』の冒頭の動き。相手と目を合わせ、自然に連動して動く。初対面の相手なのではじめはぎごちなかったりするが、だんだん角が取れて行く。仕掛けたり仕掛けられたりするうちにどっちがリードしているのか分からない状態まで行く。そしてより自由に動いて行く。
終盤は風に乗ってあちこち飛び回る。相手もどんどん変えて行ってその場の雰囲気に浸って自分を解放する。「無礼講」に近い感じである。

先生のクラスは最初から柔らかい空気が流れているのだが、終わる頃にはすっかりスタジオBが温かく練れた感じに出来上がっていました。
みんなお友達状態で、楽しかったですね!とあちらこちらで笑い合う。

マスクをしていてちょうど良かった。日本人は目を合わせるのが苦手だし気恥ずかしい。簡単には心を開けない。顔が全開だったらここまでたどり着けなかったのでは、と思う。かと言ってフルフェイス仮面をつけたとしたら、とてつも無くアヤシい雰囲気になるだろうし…
怪我の功名ならぬ、マスクの功名でした。

JAZZのジャムセッションに似ている。決め事をする時もしない時もある。まず誰かが動く。それに他の者が合わせて行き、進むに従ってリードする者が移り変わって行く。そして全体としてのグルーヴが形成されて行く。
その時の場所、メンバーの組み合わせ、お互いの技量そしてそれを測る能力等によって毎回違うものができる。一期一会。
もちろんこれは極めてうまく行ったケースです。いつもみんなが満足できるとは限りません。
楽器という道具を使うので、身一つでやる身体表現よりも自分をさらけ出しにくいかもしれない。

今回の私のオープンクラスは、6月に申し込んだ2クラスをキャンセルしなければなくなったので5/30のバレエ初級で最後となった。
ワクチン接種の副反応(と自分の中で確信している)の目まいが長引いたのだ。
何があるかわからないので皆様ご注意を!

Noismバレエ(中級)
撮影:遠藤龍
Noismレパートリー(中級)
撮影:遠藤龍

回復途上でフラつきながら行ったシネウインドのボレロ上映会と公開リハ。
そしてほぼ回復して待望の公演。今回は初めてツレアイを誘った。満を持して、と言う感じ。演目もベジャールゆかりの有名曲だし、「他の2曲もすごいよ!オススメだよ!」と推した。
とても感動しておりました。次回も行きたいそうです。良い意味でこなれて一般受けするようになったからだと思います。各演目、ストーリーが想像しやすいし、『春の祭典』のアグレッシブさが印象的だったそうです。

7/2は2人で行き、7/4千秋楽は1人で最前列で観た。
『夏の名残のバラ』寄り添って見える時もあるが、執拗に執拗にダンサー(女優にも見える)を追うカメラ。あり得ないような角度からも時には残酷に写し出す。冒頭の鏡に向かって舞台化粧するシーンと繋がる。デュエットではあるが、ソロのように思えた。カメラは己れを客観視する自分自身。プロフェッショナルはそれをしなければならない運命にある。孤高の存在。
『Fratres III』の金森さんにもそれを感じる。他の人々がフードで身を守るのに対し、生身で試練を受けるストイックさ。自分自身に対する厳しさが見える。それでなければ他に対して厳しく接することは出来ない。
『BOLERO 2020』最前列だと全体が非常に見にくいので、今までみてない部分にフォーカスして観ることが出来た。いつか機会があればクラスでメタメタだったユニゾン部分のリベンジをしたいものだ。
そして『春の祭典』毎回変わっていく演出に、作品は生き物だ!と実感した。進化し、よりわかりやすくなっていると思った。皆さんのテーピングと汗…カラダを張っているから観客は感動出来るのですね。音楽そのものもエキサイティング。今回特に印象的だったのが「金管楽器って野蛮だ。打楽器よりもバイオレンスだ!」スクラップアンドビルド。
いつもより更に熱い公演でした。

映像舞踊『BOLERO 2020』
撮影:篠山紀信

そして私にとって今シーズン最後のイベント、「サマースクール」
毎年行われる舞踊家のための集中講座。2年前は見学だけさせていただいたが、今年は選考が通り参加する事ができた。Noismメソッド、バレエ、レパートリーの3クラス×5日なのだが1クラスのみの受講も可という事なので、メソッドを7月7日と9日に受けることにした。市民のためのオープンクラスは基本「体験」なので、継続していくつもりであればやはり一番根底にあるメソッドをやらなければと思ったのだ。

Noism Summer School 2021
Noismメソッド
撮影:遠藤龍
Noism Summer School 2021
Noismバレエ
撮影:遠藤龍
Noism Summer School 2021
Noismレパートリー
撮影:遠藤龍

今まで作品を観続けて来たが、こういうのに基づいて作られていたのか!というのが少し分かった気がした。レパートリークラスで踊りの一部分をやるというのも楽しいし意味があるのだが、私は不器用なので、コンセプトや基本的な動きが身体に浸透しないと不完全なマネも出来ず終わってしまう可能性大なのだ。

今回メソッドをほんの少しかじっただけだが、これからもいろんなクラスを出来るだけ受けて、スタジオBにいる時はNoism3、いや4?…… Noism24くらいのレベルにはなりたいな。
『Fratres』の蹲踞の姿勢からの、正座からの、膝立ちからの一連の動き等々。本当に地味で有意義でキツ~いクラスであった。でも大きな収穫があった。オープンクラスのからだワークショップと繋がったのだ。

Noism Summer School 2021
Noismメソッドでの山田勇気さん
撮影:遠藤龍

山田勇気先生、
ありがとうございました!
他の先生方にも感謝です!
次のシーズンも楽しみにしています。

(たーしゃ)

『春の祭典』、感動の新潟公演楽日の締めは金森さん相手のサプライズ♪

*この度の東海や関東を襲った豪雨とそれに伴う水の被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

2021年7月4日(日)、『春の祭典』本公演の新潟楽日は舞踊家たちの入魂の熱演により、本当に感動的な舞台を観ることが出来ました。

バルコニー席にも一部、観客を入れるなど、この日の劇場はほぼ満席。埋め尽くされた客席から湧き上がる感動を伝える拍手は音量が違っていました。発声が止められているなら、もう本気で叩くしかありませんものね。そして、本気で叩かなければ済まないような舞台が続いたのですから、当然と言えば当然だった訳ですが。

新潟での全3公演をすべて観たのですが、この日は、新潟での見納めという思いを抜きにしても、どの演目も、その演目の持ち味が際立つ見事な舞踊が展開され、それを見逃すまいと目を皿にして見詰めるうちに、涙腺が決壊しそうになったり、鳥肌が立ったり、気持ちを煽られたりと大忙しで、感情の振り幅の大きさに身を浸し、その時間を堪能しました。

ここからはタイトルに含ませた金森さん相手のサプライズについて書くことに致します。この日の観客は劇場に足を踏み入れた時点で、全員ある計画の「共犯者」となり、その時を待っていたことになります。正確には、入場時、手渡されたプログラム、チラシの束の、その一番上に一枚、見慣れない「紫」の紙片を目にしたときからです。

「紫」色の紙片は「confidential(極秘)」
(「紫」の再現性がいまいちでスミマセン。)

「黒幕」は紛れもなく芸術副監督。知らないのは金森さんただひとりらしく、みんなが「ぐる」という「ミッション」は、もう完全な「うっしっし」状態で、心が躍りました。

そして、やがて、最後の演目『春の祭典』が客席を大きな感動に包んで、その幕が下りる時が来ます。客席からは、いつもの如く、否、いつも以上に大きな拍手とスタンディングオベーションが舞台に贈られました。とりあえず、新潟の3公演を踊り終えた舞踊家たちは前日までとは違ったリラックスした表情を浮かべています。その列に金森さんと井本さんが加わるのもこれまで通りです。もう会場中の誰もが笑顔で手を叩いている図になり、カーテンコールが繰り返されていきます。その笑顔はいつしか、「へまをしてはいけない」と自らに言い聞かせつつ、今か今かと「実行」の合図を待つ「ほくそ笑み」の要素が大きくなっていった筈です。たったひとりを除いて。

あれは何という曲なのでしょう、遂に、祝祭感に満ちた晴れやかな音楽が流れてきました。観客は一斉に「紫」の紙を掲げ、舞台上の舞踊家は金森さんの方に向き直っての拍手に変わり、場内の全員による紫綬褒章受章を祝う時間となりました。全ての視線は金森さんひとりに集中します。上方からはキラキラした紙片が舞い落ちてきます。場内の誰もがそれ迄に倍する笑顔に変わりました。事態が飲み込めず、キョトンとし、いつになくキョロキョロするたったひとりを除いて。

「6歳で踊り始めた穣さん、46歳で紫綬褒章受章。おめでとうございます」マイクを握った井関さんから、コロナ禍で授章式が中止となった状況下、「みんなでお祝いを」と、このサプライズの趣旨が話されたのですが、さすがは「大人の事情」に強い井関さん、一緒に暮らしていても感づかれたりすることなしにこの時を迎えられたようです。

『Fratres』のように容赦なくではありませんが、キラキラする紙片が舞い落ち続けるなか、『春の祭典』第一部後半のようにメンズとガールズに分かれた舞踊家たち。メンズが金森さんの長躯を掲げて、その下で騎馬を組むと、舞台シモ手袖からはNoism2リハーサル監督・浅海侑加さんを担ぐガールズの騎馬が登場。浅海さんの両手には大きな花束が抱えられていて、大喝采のなか、金森さんに贈られました。

「こんなの、Noismを17年間引っ張ってきて初めて」、更に「一生の思い出になりました。その思い出を多くの皆さんと共有できて本当に幸せです。…このような大変な時期に、こんなにも劇場に来て貰って」と感謝の言葉を口にした金森さん。その場の雰囲気を「引退式みたい」と表したときには、会場中から大きな笑い声があがり、すかさず、「まだまだ踊りたいですし…」と続けると、更に万雷の拍手が贈られました。観客もひとり残らず、この「サプライズ」に加われたことを喜んだ筈です。

豪華4演目と、その後、コンプリートしたミッションに、劇場はこの上ないくらいの幸福な一体感に包まれていました。お陰で、通常なら、楽日の終演後には必ず抱く「Noismロス」とも無縁で帰路につくことができた程です。この日の観客も一生、このお祝いのことは忘れないだろう、そんな確信をもってりゅーとぴあを後にしたような次第です。

さあ、『春の祭典』本公演、次は7月下旬の埼玉公演(7/23~25)、札幌公演(7/31)です。同地のお客様、感動の4演目、満を持して登場です。期待MAXで、今暫くお待ちください。

(shin)

『春の祭典』完成形に新たに照明が追加され、見違えた新潟公演中日に思う

2021年7月3日、前日の衝撃の余韻を完全には鎮めきれないままの土曜日。気を許すと、口をついて出てくるのは、「いやぁ、凄かった」みたいな断片的な語彙のみで、それというのも、昨年のプレビュー公演で観ていたものとは迫力、訴求力に格段の違いがある『春の祭典』完成形を目にし、打ちのめされていたことによるものでした。で、連れ合いやNoism仲間には、戯れに、或いは、少しは気の利いたジョークのつもりで、「金森さん、また何か変えてきたりしてね」など軽口を叩きながら、新潟公演中日の公演を待っていたのでした。

開演前のホワイエでは、久し振りに見掛ける知人、友人のところに寄って行って挨拶を済ますと、その後、「凄かったですよ、昨日」など、いったい何人に言ったことでしょう。そう口にすることで、自らの期待値のハードルを上げていることも自覚しています。初めてでも、そうでなくても、金森さんとNoismの舞台に向き合うとき、油断などゆめゆめ許されることではないのです。常に「超えてくる」希有な存在なのですから。

そして、果たしてこの日も金森さんは『春の祭典』で仕掛けてきていました。前日とは明らかに違っていたのは照明でした。ある箇所に追加された照明は禍々しさたっぷりの色味で、一目見ただけで不安感を掻き立てられ、すっかり目に焼き付いてしまって、うなされそうなほどのインパクトを有していました。改めて、「追い求める人」金森さんに「これでよし」はないのだと念押しされたような塩梅でした。

そうした、終わりのない「改変」の可能性も含めて、複数回の鑑賞に耐える、否、一回では把握しきれない深み、或いは豊穣さ、それがNoism公演の魅力のひとつであることに異を唱える人はいないでしょう。要は、Noismに対して自分の人生からどれだけの時間を割り当てるか、ということに収斂する、生き方の選択(という表現が大袈裟に過ぎると言うのなら、時間の使い方)の問題なのです。深く、豊穣な芸術を相手にするのなら、たとえ一度の機会でも心に大きな何かが残ることは間違いありません。でも、そこからまた、何回でも浸りたくなって、自らの有限な時間を費やすことで、その都度、生々しい体験が約束されるのが芸術、それも優れた芸術なのではなかったでしょうか。(自らの人生からいくばくかの時間を削り出して、それを芸術に委ね、そのリターン大なるを期待して、裏切られず、豊かな時間を過ごし得ること。)Noismはその点で、間違いなく、そうした美質を備えた舞踊団なのだと言い切りたいと思います。新潟中日の公演でもまざまざ実感させられた事柄でした。

前日は3列目(最前列)中央の席から、この日は11列目中央から観たのですが、見え方の違いを堪能できました。複数回観るのでしたら、席を変えて観るのが良いですよね。楽しみ方が変わります。

で、この日も、最後のカーテンコール時、前日同様、金森さんと井本さんが加わった舞踊家たちに、割れんばかりの拍手とスタンディングオベーションが贈られ、舞台上からも客席に向けて拍手で応じる場面に出会えました。

有難いことに、明日、新潟公演楽日も観ることができそうです。ですから、今から、明日は何を発見できるだろうかと胸は大いに高鳴るのですが、同時に、もう既に、(一足も二足も早く、)明日を観終えて後の「Noismロス」も予感しちゃったりして、何やら複雑な心持ちに傾き始めたりもしています。まだ明日の公演があるというのに…。げにNoism、まったく困った存在なのです。

さあ、新潟公演も残すはあと1日のみ。まだご覧になってない方も、既にご覧になった方も、こぞって劇場へ!明日の皆さんの時間を費やす価値MAXの舞台がご覧になれますから。

(shin)