「革新を創り出すための伝統と継承」:井関佐和子さん出演・10/7「歌舞伎俳優十代目松本幸四郎トークショー ~疫禍に負けない文化の力〈新潟の舞踊文化と歌舞伎の魅力〉~」会員レポート

※月刊ウインド編集部、さわさわ会役員、Noismサポーターズ会員の、久志田渉さんがご寄稿くださいました。

 新潟日報主催の十代目松本幸四郎丈のトークショーに井関佐和子さんが出演すると知り、チケット発売日にメディアシップ内プレイガイドに並んだ。今や熱狂的Noismファンとして名が通りつつある私だが、実は12歳以来四半世紀となる「鬼平犯科帳」マニア。池波正太郎の影響で映画・演劇ファンとなり(シネ・ウインドに出入りする今も、池波が著書で触れた往年の名画を漁るように観たからこそ)、中村吉右衛門丈に憧れて歌舞伎座にも機会があれば足を運ぶ歌舞伎好きでもある。播磨屋びいきではあるが、その跡を継いで次期長谷川平蔵役に決まっている高麗屋・幸四郎丈(吉右衛門丈の甥にあたる。祖父・八世幸四郎は長谷川平蔵の風貌のモデルであり、初代を演じた)の姿を間近に観たいという思いがあった。


 第一部は鼎談「おどり・歌舞伎・NIIGATA」。早稲田大学演劇博物館招聘研究員・鈴木英一氏(常磐津和英太夫 新潟日報カルチャースクールの講師を務めたことが、このトークショー開催のきっかけとなった)の進行で、幸四郎丈、井関さん、七代目 市山七十郞さんが登壇。りゅーとぴあの印象から始まり、『越後獅子』といった新潟縁の古典舞踊など話題は多岐に渡った。井関さんが「人生で4回舞台で泣いたことがある。そのひとつが歌舞伎。憧れが強い」と語り、「その舞台に私が立っていたか気になって」と返す幸四郎丈に笑いが起こる(実際は片岡仁左衛門丈と坂東玉三郎丈の舞台だったとのこと)。


 印象深いのは井関さんが語るNoismメソッドやNoismバレエなど基礎訓練に興味津々な幸四郎丈の姿。西洋舞踊の「垂直」「天」を意識する性質と、「重力」を重視する東洋・和の舞踊を取り入れ、拮抗するエネルギーを感じるNoismならではの鍛練。「歌舞伎は配役されて初めて。『いつか演じたいから』と教わる機会は、まずない。その演目を通して教わることが稽古だから、ある部分だけを鍛練することはない」「(天と地、相反する力を意識することで)宙に浮いたりしませんか?」と幸四郎丈。ユーモアを交えつつも、真摯に問いかける眼差しがあった。


 Noismと日舞の共通性も興味深い。狐の面を付けた後頭部を正面にして舞う日本舞踊「うしろ面」と、黒衣の後頭部に付けた面を正面に演じるNoism作品。化粧や華美な衣装を付けずに舞う「素踊り」と、肌色のタイツだけで舞うNoism。「バレエなど他ジャンルの要素を取り入れて昇華する。真似るだけでは、本物に敵うわけがない」という幸四郎丈に、ミュージカルやシェイクスピア劇に挑んだ八代目・九代目幸四郎丈の姿が重なる。


 コロナ禍中も「劇場専属舞踊団」として舞踊に向き合えた「幸せ」を語り、「こうした形が日本中の劇場に広がってほしい」と願う井関さん。古町の花街が置かれた苦しさを指摘する七十郞さん。そして「歌舞伎座は昨年8月以来、公演を続けている。その賛否もあるだろうし、足が遠のいている方もいるだろう。だが『公演をする・しない』ではなく『する為にどうするか』を考えている。歩みを止めたくない」と強調した幸四郎丈。歌舞伎・日本舞踊・現代舞踊という「枠」など軽々と越えて、舞台に生きる三人それぞれの矜持が、溢れるようだった。 


 第二部は幸四郎丈と鈴木氏による「世界文化遺産・歌舞伎の魅力~歌舞伎の〈笑い〉について」。小柄ながら「勧進帳役者」と呼ばれる程に弁慶を当たり役とした七代目、柔和にテレビを見ていた姿が印象的ながら、白鸚襲名後二ヶ月後に亡くなった八代目、「直感の人」という印象に反し、膨大な蔵書から得た知識を詰め込んでいる父・九代目(当代松本白鸚)。歴代幸四郎について語る幸四郎丈の肉声は、歌舞伎ファンにとって感慨深い。渋谷で、コンテンポラリーダンサーと共作しているダンス公演の映像紹介や、歌舞伎ならではの笑い方指南、ザ・ドリフターズの元付き人・すわ親治の「ねこ車との社交ダンス」ネタを取り入れた公演など、濃密な話題の連続だった。


 終演後、さわさわ会会長の齋藤正行さん(シネ・ウインド代表)が「面白かったよ。コロナで公演が無ければ、歌舞伎役者は収入が無いんだね。だからそれぞれの家がプロダクションになり、芸を伝承するんだ」と呟き、「柳都会」で小林十市さんがベジャールからどのように指導されたかを熱心に尋ねる金森穣さんの姿を思い出していたことも印象に残る。伝統を絶やさず、観客に届けること。それを背骨に、新しいものを創造すること。Noismの本拠地で聞いた幸四郎丈の言葉を、じっくりと反芻したい。


(久志田渉)