『BOLERO 2020』特別上映と井関さんのトークを堪能♪ (@新潟市民映画館シネ・ウインド)

汗ばむような晴天の2021年6月5日(土)、期せずして同様に「2020」なる年号をその冠に据えた、さるスポーツイヴェントへの灯火運搬継走が実施された新潟市。交通規制の影響やら駐車場の混雑やらがあると嫌だなと思い、早々に万代界隈に入って迎えた新潟市民映画館シネ・ウインドでのNoism映像舞踊『BOLERO 2020』特別上映プラス井関さんのトークイヴェント。さしたる混乱もなく移動できてホッといたしました。

全席完売のこの日、トークの司会を担当される久志田渉さん(さわさわ会副会長)の「混雑を避けるために早めに発券を済ませて下さい」の言葉に従ってチケットを手にして入場時間を待っていると、続々見知った顔がやって来て、シネ・ウインドがりゅーとぴあと化したかのようで、いつものミニシアターとは異なる雰囲気に包まれていきました。

予告編上映なしで、定刻の17:30に、徐々に館内が暗くなると、Noism映像舞踊『BOLERO 2020』の上映が始まりました。そこからの16分弱、これまで幾度となく様々な端末で覗き込むようにして観てきた映像舞踊が、映画館のスクリーンに投影されてみると、まるで新鮮な体験そのものであることに驚きました。大きく映る分、誰を観るか、どこに目をやるかを選択しながら意識的に観る感覚もこれまでにないものでした。また、終盤、モノクロも混じってくる箇所では『ニューシネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ)クライマックスのモンタージュシーンのような趣を感じたのですが、それもこの日の新たな肌合いでした。あくまで個人的な感想ですけど…。

ラヴェルが作り出す高揚感の極みのうちに、上映が終わると、大きな拍手が沸き起こり、それは途切れることなくエンドクレジットの最後まで続きました。個人的に、映画のスクリーンに向かって拍手したのは『シン・ゴジラ』(庵野秀明)の「発声可能上映」のとき以来2度目のことでしたが、そこは「りゅーとぴあ化」したシネ・ウインドですから当然と言えば当然ですよね。

で、終映後、ほどなくして井関さんのトークイヴェントに移行しました。

以下、久志田さんの仕切りで井関さんが語った内容を中心に紹介していこうと思います。

『BOLERO 2020』のクリエイション: コロナ禍の昨年のこの時期作っていた。『春の祭典』公演がキャンセルとなり、ポッカリ空いた時間。舞踊家には踊り続ける必要があり、忘れられたらおしまいという思いもあった。突然作ることになり、『春の祭典』と同時進行で、2週間くらいで仕上げたもの。金森さんは数年前から「ボレロ、ボレロ」と言っていたこともあって、ベジャール版はあまり意識することもなかった。当初からそこにカメラがあり、他者の視線の象徴としてカメラは必然だった。

『BOLERO 2020』の撮影: 当初はメンバーの自宅で撮影する案だったが、メンバーが強く拒否。なかには「東京に住んでいます」などと見え透いた嘘をつく者(「香港人」!)まで出るほど。(笑)で、SWEET HOME STORE TOYANO店の協力を得て、撮影できることになったが、撮影できるのは定休日の1日かぎり。それも窓外からの自然光が変わってしまう19時には撮了する必要があった。9時に井関さんの撮影から始まり、一人あたりMAX45分でいかないと12人は撮れないタイトさ。みんな本当にパニックで、祈るような気持ちだったが、撮影を終えたメンバーがカメラの後ろでカウントを打したり協力して一発撮りを乗り切った。編集(遠藤龍さん)も大変だった筈。細かく音を覚えている必要があり、「第2のダンサー」と言える。

『BOLERO 2020』がもつ別の可能性: いつか生で観て欲しい。映っていないところでやっていることもあるので、一人ひとり全ての映像も観て欲しい。「きっと生でも…」、意味深な様子で大きく眉を動かしながらそう繰り返した井関さん。スタジオでも全員一緒に踊ったことがあるのだそうです。興味を掻き立てられずにはいられませんよね。

芸術選奨、「新潟発の舞踊家」: (受賞の感想を求められ、)遠い昔のような…。でも、びっくりした。こういうニュースって、何も考えていないぼーっとしている時に来るんだなと思った。故郷の高知にいたのが16年に対して、新潟で暮らし始めて17年。新潟という地方での活動を日本の舞台芸術の方々が「新潟発の舞踊家」と評価してくれたことが嬉しかった。この街、この舞踊団がなかったら、私はどこにいたんだろうと思う。このコロナの状況下、東京の舞踊家もウーバーイーツで食いつなぎ、踊るどころじゃないなか、改めて、専属舞踊団の意義を強く感じる。新潟の時間と場所が与えられていることから、言い訳は出来ない、最高のものを見せなければならない。

Noismのこれから: ①「『春の祭典』は研ぎ澄ますだけでなく、何か変わってくると思います」と井関さん。リハーサルでもカウントが変わっているし、細部の変化も20数人が合わさると大きな変化になる。「サプライズ・ヴァージョンです」と笑う井関さん。

②(Noismの精力的な活動予定に関して)「もっとあります。大人の事情で言えないんだけど、いっぱいあるんです」と微笑んだ井関さん。

③『夏の名残のバラ』は、金森さんが自身、「初の映像監督作品」とも位置づける作品。井関さん的には、4人と踊っているような作品で、その4人とは、山田さん、カメラさん、コードさん、枯れ葉さん。見た目の印象とは異なり、実に実験的な作品でもある。

映画館、そして劇場: 見知らぬ人と一緒に観る体験。その場所に行かないと味わえないエネルギーの通い合いがある。自由に非日常に触れることが出来るようになって欲しい。

…ここには書き切れないほど、多彩な内容が語られた充実のトークイヴェントも、やがて終わりの時間を迎えると、館内に再び大きな拍手が谺しました。

その後、ロビーでの井関さん関連書籍の販売に際して、サイン会も行われる由。私も「Noism井関佐和子 未知なる道」(平凡社)を改めて一冊求め、井関さんと金森さんおふたりにサインをして頂きました。

そして一緒に写真を撮って頂けないかとお願いすると、金森さんから「勿論」と快諾を頂き、そこからはもう入れ替わり立ち替わり、大撮影会の風情に。シネ・ウインドの入口付近は大盛り上がりを見せ、金森さんも「記者会見?」と笑うほど。これはもう嬉し過ぎる余禄♪そこで撮った写真のなかから数枚ご紹介します。

さて、もう残り一ヶ月を切った7月2日(金)に『春の祭典』りゅーとぴあ公演の幕が上がります。この日のトークでその日までのカウントダウン感も大きなものになりましたが、まずは、それまでにもっともっと映像舞踊『BOLERO 2020』を観倒したくなったような次第です。そんな人、私だけではない筈。こちらのリンクもご利用下さい。

『BOLERO 2020』特別上映レポートはここまでと致しますが、もう一枚、画像の追加です。司会を担当した久志田さん、司会のみならず、準備から大忙し、もう八面六臂の大活躍でしたので、その労を労いたく、こんな一枚を。久志田さん、色々ご苦労様でした。そして中身の濃い時間をどうも有難うございました。m(_ _)m

渾身の墨書!

また、『BOLERO 2020』に関しましては、当ブログ中、以下の記事も併せてご覧頂けましたら幸いです。

それでは。

(shin)

映像舞踊『BOLERO 2020』改訂版を楽しむ♪

来る6月5日に、新潟・市民映画館シネ・ウインドのスクリーンにて、井関さんのトークイベント付きでかかる予定を知り、そういえば、暫く観てなかったなぁなど思っていると、Noism official から「改訂版」公開などという告知が出されて、「えっ!?」ってなったのも事実。何の話かと言えば、勿論、映像舞踊『BOLERO 2020』のこと。

でも、同時に、「またやられちゃったな」とも思う。金森さんらしさ、或いは「金森イズム」は「紫綬褒章」受章前後でも変わる筈などなく、時間があれば、とことん作品に手を入れ続け、より「届く」ものを模索しようとするので、その都度、虚を突かれて、「またやられちゃったな」になる訳で。それは今回も。そんな「改訂版」。

で、久し振りに観てみました。

池ヶ谷奏さんとタイロン・ロビンソンさんの姿を観て、「ああ、やはり『2020』なのだ、これは。『2020』のメンバーが残してくれた作品なのだ」と懐かしさも込み上げてきたりして見詰めていると、…。

変わっている、12分割画面になる後半が随分。皆さん、ご自分の目(と記憶)でお確かめ頂ければと思いますが、少しだけ。

視線誘導がうまく働き、見やすくなったように思いますし、(私の記憶が確かなら)「えっ、こんなカットあった!?」というものが挿入されていたりしたうえに、その姿勢はラストにも及び、…。

金森さんのこれまでを思い出してみますと、『ロミジュリ(複)』では、度々、映像が差し替えられましたし、『バヤデール』においては何種類かのラストを目にしてきました。

で、この度の「改訂版」、私の場合、昨日からのレンタルですので、視聴期間は5月5日まで。「大型連休」の巣籠もりにはもってこい状態で、「不要不急」を慎みながら、繰り返し観て楽しむことになりますね、コレ。「200円は安過ぎです」ともう一度。皆さまも是非♪

過去の記事も併せてご覧頂けましたら幸いです。

2020/10/9 映像舞踊『BOLERO 2020』公開されました♪
2020/10/26 インスタライブvol.9は映像舞踊ボレロ裏話♪

(shin)

インスタライブvol.9は映像舞踊ボレロ裏話♪

2020年10月26日(月)21時、9回目を数える金森さん+井関さんのインスタライブは、10月9日に公開された映像舞踊『BOLERO 2020』の裏話♪なんとも嬉しいじゃあ~りませんか、コレ。おふたりのインスタにアーカイヴが残されています。是非ともご覧頂きたいと存じますが、今回も簡単に概略のご紹介をさせて頂きますので、参考にされてください。

発端: コロナ禍で公演はできないが、メンバーは新潟にいて、「稽古はしてよし」の日々、「このメンバーで何も残せていなかった」思いがあったこと。

今の時代のボレロを作る: 恩師ベジャール版は中心にメロディ(カリスマ、ソロ)を配し、それをリズムが取り囲む構造=極めて20世紀的マスターワーク。同じものを作っても仕方ない。今なら、多視点、同時多発的、個人主義、多様化。

『春の祭典』と共通のコンセプトで創作: ①楽譜の構造の理解、②スコアにのっとった台本作り、③舞踊家に楽器を割り振る。

『ボレロ』の3つの構成: メロディ、Aパターンリズム「メインリズム」、Bパターンリズム「合いの手リズム」(←金森さんの造語)→それら個別バラバラだったものが、やがて同期していく。

使用音源について: アルベール・ヴォルフ(1884-1970)指揮・パリコンセルヴァトワールオーケストラによる1950年代後半のLPレコード。著作権(70年)が切れているもので、演奏が良いものを選んだ。冒頭、登場するターンテーブルはおふたりのご自宅の私物とのこと。

動きのクリエイション: ①テーマ(キーワード)に基づいて、各メンバーに動き(断片・マテリアル)を作って貰う。②それを、金森さんがカウントに落とし込んで、メロディーラインで動きに還元していく。

今回『ボレロ』のキーワード: スコアナンバー1~7「いらいら、もどかしさ、我慢」、スコアナンバー8~11「むらむら、落ち着かなさ、欲望」、スコアナンバー12~15「鍛錬、解放、祈り」、スコアナンバー16,17「憤り、息が出来ない」。→『BOLERO 2020』は井関さんによる「我慢」から始まる。

映像作品を作ることの大変さ: エネルギーや緊張感が変わってしまうのでカットはしたくない。そこで全て一発撮り。SHSの協力を得て、一日での撮影だったため、各自30分以内で撮る必要があった。クリエイションは撮影を入れて2週間、振付も覚え立てほやほや状態で、「試験のようだった」とは井関さん。対して、金森さん、演出振付家としては、当然、最上のものを目指す訳で、「もう一度!」「One more time!」と言わねばならない場面も多く、「残るもの」を作る大変さがあった。

「ボレロ」最終盤の転調: ここではない別の次元にあがる瞬間。それがボレロの肝であり、それを可視化したかった。各自の部屋→舞台へ。非日常への飛躍。一分に満たないながら、生きる証。(…その際の衣裳秘話から続くお話は実際に聞いてのお楽しみ♪)

映像舞踊『BOLERO 2020』と今後: いずれ舞台でもやるつもりだが、それはそれで違う見世物になる。映像としての力や、舞台とは何かを感じることにもなる。一回じゃ見切れない。何度も観て欲しい。

…以上、そんな具合でしたかね。この日は「ショートなんで」(金森さん)と、ほぼ30分きっかりでの終了。しかし、聴いていて興味を惹かれるお話ばかりでしたので、是非、アーカイヴでお楽しみください。

そして聴けば、また観たくなること必定ですよね。ほ~ら、あなたもまた観たくなってきた。我慢は身体に悪いですからね。観たらいいんです、観たら。私も三度目のレンタル期間に入っております。

お粗末様でした。ではでは。

(shin)

映像舞踊『BOLERO 2020』公開されました♪

既にご覧になられた方も多くいらっしゃると思いますが、金森さんのdirectionと遠藤龍さんの編集によるNoismの映像舞踊『BOLERO 2020』が本日公開されました。このところの金森さん、多岐にわたって精力的です、いつにも増して!

「2020年」ということで言えば、昨年末~今年初の「森優貴/金森穣Double Bill」において『Farben』を振り付けた森優貴さんが、夏(8月)のアーキタンツ20周年記念公演で、「ボレロ(新作)」を発表する予定だったことも記憶に新しいところです。

…『ボレロ』。森さん振付の新作、私もチケットを買って、楽しみに待っていたのですが、「コロナ禍」で公演中止となってしまい、残念な気持ちでいた折も折、逆に今度は金森さんが「コロナ禍」ゆえに出来ることとして映像作品で取り上げて(そして/或いは、撮り上げて)くれました。『ボレロ』の穴は『ボレロ』で。金森さん、こう来たか。森さんだったら、どんなだったろう。そんな夢想にも浸れるほど、ぽっかり空いた穴が埋められていくように感じました。

この作品に関して、金森さんからのメッセージがあり、そのなかで製作の経緯などが語られています。こちらからもご覧いただけますので、どうぞ。

では、本編ですが、Noism公式ウェブサイトのニュース頁のリンクを貼っておきます。『BOLERO 2020』、そちら経由でどうぞ。(有料:「7日間レンタル」200円)

スマホでもご覧になれますが、少し大きなディスプレイでご覧になることをお薦めします。

私は幸いにも、プレビュー公演、先日の和楽器集団「ぐるーぷ新潟」コンサートにゲスト出演したNoism2、そして金森さんが新潟市洋舞踊協会記念合同公演に振り付けた『畦道にて~8つの小品』と続けて観ることができましたが、そうはいかず、「Noismロス」状態できている方も多くいらっしゃる筈です。こちら、一週間、何度でもご覧になれますから、「ロス」解消の絶好のチャンス。言うまでもなく、必見です♪

(shin)

柳都会 vol.20 近藤一弥×金森穣【対談】レポート

先に掲載した、柳都会 vol.20(3/24)のレクチャーに続く、対談部分のレポートをお送りします。

金森 ここまでで、具体的なA4サイズの平面にいろいろ落とし込まれている要素についてどう捉えていますか。
近藤 配置については技法がある。舞踊であれば技術性というところか。
個性…その人にとっての空間・平面上での重心の捉え方にもなるが、空間の余白と重心から構成している。
金森 (学校で教えていらっしゃるが)感覚的なものは教えられる?
近藤 答えはない。自分ならこうするという位で、学生が作ったものについては一緒に悩み、作るプロセスを教える。
見た目が、もしかしたら意図したものとは違う意味に捉えられるのでは?とか、ここで切ってみたら?と問いかけると、言った通りに変更してきてしまう。
確信犯的に言うこともあるが、自分で考えて何かやると好きな感じになっていくというプロセスを繰り返すうちに会得していく。
金森 PCでいずれ人工知能がデザインをやるようになるのでは?
近藤 ある程度はできるのではないか。ただ、最初のものやエラーが魅力につながる。
それは計算を積み上げても太刀打ちできない。すぐれた作品であれば言語化の枠に留まらない。
作っている核心的な部分は、何らかのエラーのどこを用いるかという判断によるし、能力差がある。
ブラッシュアップを重ねて、繰り返し直させると微妙によくなっていくし、そうした方法論でしかわからない。
金森 近藤さんはどこかで習ったんですか?
近藤 親の絵の描き方がそうだった。

Photo: Ryu Endo

Photo: Ryu Endo

金森 作られたチラシのイメージで、すごくかっこいいんじゃないかと思って観に行くと、つまらないということが起こる。
近藤 パフォーミングアーツの場合は難しい。過去のDVDを見てチラシを作成しても、次は違うものになる。
金森 まず導くというか、興味をもってもらうことですね。
近藤 単なる批評より紹介のため推薦に近いかもしれない。潜在的にいいと思ってもらえるかどうか。
金森 新作の場合は難しいですね。
近藤 想像するしかない。依頼を受けた時点では曲がまだない事もあるし、公演までタイムラグがある。
どんな行程でどんな作られ方をするか、依頼者とのやりとりの中でかわってくる。
時代的な要請もあるかもしれないが、2000年代は普通の作り方になってきた。
『Liebestod』については、金色というイメージが固まっていた。
金森 素材写真を撮る前に、近藤さんから「どこかブレてたほうがいい」と言われた。
近藤 ブレていると動きが入る。止まるということを認識させるためには、動いているところを見せないといけない、ダンスを見せる基本。
金森 見切れた画像を使っていますが。
近藤 内容がこう……現実の見えているところと死(観念)がある瞬間に成立するコンセプトだったのではないか。
色味については、印刷で金は使えない(よく見えない)のでこうした。
金森 色彩感覚が心理学的に与える影響は考えますか?
近藤 あまり考えない。
金森 見た人にどういう影響を及ぼすかという……。
近藤 実用的な技術論になってしまう。
金森 コマーシャルなもの、何がキャッチーか、わかりやすい心理作用といったものは全く意図しない?
近藤 考えもしないわけではない。素材がアートであり、分析は結果論にすぎない。

金森 作家の立ち位置や視座と、広報物に求められる一瞥性の折り合いはどうつけていますか?
近藤 そこまではっきりとしたものはない。キャッチーではないものには、弱いなりの強さがある。
金森 作家、作風が好きという、大衆化されないもの感性が共鳴することがある。
ヨーロッパの一流プロデューサーがハイセンスなものを紹介してハイセンスな観客で完結していく流れがある。
この人が紹介するなら面白い作品だろうなというような、近藤さんにはいわゆるデザイナーとは違うイメージがある。
近藤 どうだろう。こんなの(※やくしまるえつこ)もあるし……。
金森 これちょっと(雰囲気が)違いますね。
会場 若い頃から芸術に親しむ機会があったんですか?
近藤 高校生の頃から、西武劇場で武満徹、安部公房、寺山修司が関わった舞台を観ていた。
絵に関しては、幼稚園の頃から父に手をひかれて展覧会に行ったのが災いしている(笑)
美術展の仕事をやりたいと思っていたら携われるようになった。事後的に父の息子だと知られた。
パフォーミングアーツについては佐藤まいみさん(さいたま芸術劇場プロデューサー)との出会いがあった。
金森 先程言われた、2000年代に作り方が変わったのはどうしてですか。
近藤 時代と関係しているけれどうまく言えない。
美術館も質的ではなく来館者数が指標になり数を稼がないといけなくなってきた。
一瞥性があり、デザイン的なインパクトが求められるのは時代の要請。
昔に比べると広報物を全部手がけることは少なくなった。デザイン業界は接点がないのでよくわからない。
デザインのジャンルがもっている何かは、プロパガンダの手先にもなりうる危険な側面がある。
金森 社会の変容があったということですね。

近藤 90年代に比べてシステムがコンパクトになり、自分独りでオペレーティングできるようになった。
それ以前は、指示を出して外注したことが、時間はかかるが手元でできるようになり作業が圧縮された。
思うことをストレートに作れるし、失敗してもやり直せる。
一方、エラーは人と関係することで出てくるので、自分で作るしかない。
版画のエラーは面白いのだけど、工夫して工房的な描き方をしたり、現代的になってくる。
近藤 コレオグラフィーではどうですか?
金森 振付ではいやでも他者と関係せざるをえない。
自分独りでやっていると、すぐに自己完結するので難しい。
今回、『R.O.O.M.』を18回踊ってみて、振りが自分から離脱する、想像を超えてくる感覚があった。
近藤 それは羨ましい。時間は必要ですね。身体は時間がかかる。
金森 身体は時間がかかる、『NINA』は「物質的な身体」とあるし。
生身の身体というのは、凄い量の情報を受けられる。
二次元の動画を見てフォルムだけ覚えても、それは違う。デジタル化できないものがある。
便利になると、失われる何かがある。そこで新しいメソッドが要請される。
近藤 メディアに関しては、紙ならポスター、本、名刺、すべて身体との距離感は違う。
学生に訓練として紙を出力させるが、ポスターの次は名刺というように課題のサイズを変える。
モニタの大きさの中で完結しないように。
金森 二次元の情報を受け取り慣れて、変容した身体に対する身体表現が求められる。
音楽は速くなっているし、情報処理のスピードは皮膚レベルにはそぐわなくなってくる。
同じ空間を共存していればこその限界値がある。実際、距離感に驚くことがある。
近藤 舞台の枠組みとして、生身の身体である特質を生かすところまで意識する観客、舞踊家も求められるのか。
金森 身体的行為として起こることは、ほかのものから抜きん出ている。
ネットにあげる動画として集団で踊っているようなものはひとつの表現だが、身体の意味合いが変わってきている。

会場 なぜ桑沢デザイン研究所を選んだのですか。
近藤 裾野が広いと聞いていたし、ある先生に憧れた。美大に入り直す時間がなかった事もあるが、結果的によかった。
金森 師匠はいますか?
近藤 直接はない。学生時代のバイト先で影響を受けた。当時、都内で一番大きなスタジオをもっていた人。
画家は好きに作品が作れて羨ましい。デザインはモノがあって作る。
紙とSNSで距離感が二重に発生する問題は、ある程度は無視する。今のところチラシがメイン。
そのうち本もAmazonで書影がどう見えるか、CDは配信時の絵柄がどう見えるか大事になるかもしれない。
会場 『ROMEO&JULIETS』についてはいかがでしょうか。
近藤 依頼をうけた時に台本はあったが、衣装はまだだった。
金森 ゴーストは近藤さんのアイディアでシーツを被った。
近藤 霊安室だし、ジュリエットが複数であることから匿名性もあった。
金森 台本を書いた側が忘れるような核心をビジュアルにしてくる。
(ゴーストの頭上に月のように照明を入れる)配置もすごい。想定していなかった切り取り方。
これこそエラーであり、共同作業で起こったこと。
映像担当の遠藤は意識して画角に入れて撮ったかもしれないけど。
近藤 照明についてはレタッチで位置を動かしたかもしれません(笑)
『R.O.O.M.』は、銀色と池田亮司の音楽からシャープな作品をイメージしてしまった。
シャープさよりも実験ということに重きを置いている。
部屋を囲い込んだことで、見えているものが脳の虚像と感じられる。
ビジュアルに使ったのはサイン波、パルス、オシレーターの波形です。池田さんが喜ぶもので音楽へのオマージュです。
金森 Noismのロゴはどう思いますか。高嶺格さんが作られたものですが。
近藤 赤を使っているし、強いです。ロゴを大きくすると使うのが難しい。
金森 『NINA』は送った写真の中から近藤さんがチョイスしたんですよね。色は変えてありますが。
近藤 写真の色を変えるのは篠山紀信さんとしてはokで、男女……二つの境界がテーマでした。
ゲシュタルトというか入れ替わる瞬間があった。
フォントは既存のものですが、アルファベットでオールマイティな書体はないので調整することはあります。
会場 オリジナルを作ることや、これは自分から手がけてみたいと相手に売り込むことはありますか?
近藤 こういうものが好きだと人に言っていると、そのうち仕事になるので、やりたいことは縁でできている。
結果論としてですが、日本人で海外で評価されている人を多く手がけた。米田知子さんの写真集もそう。
金森 そろそろ時間ですが、最後に何かあれば。
近藤 三浦さんの『孤独の発明』は哲学的な本で面白いです。
金森  『鏡の中の鏡』を作る前に読みました。
近藤 みなさん、手にとってみてください。
金森 え、宣伝で終わっちゃうの?!

要約する能力に恵まれず、聞き書きのメモをどうにか読めそうな体裁に加工したことで、発言者の本意とは異なるニュアンスとなっていたり、あるいは発言の取り違えをしている可能性も十分にあります。が、今回の柳都会の雰囲気に便乗して言うのなら、それも忍び込んだエラーとして、ご寛恕願えれば幸いです。
(とはいえ、誤謬等がありましたらご指摘ください)
(のい)

柳都会 vol.20 近藤一弥×金森穣【レクチャー】レポート

3月24日に行われた、柳都会 vol.20のレクチャー部分のレポートです。

今回の柳都会は、グラフィックデザイナー近藤一弥さんの手に成る『Liebestod』『NINA』『ROMEO&JULIETS』『R.O.O.M.』のポスターが展示されたスタジオBにて行われました。
レクチャーで使用された画像■(主としてチラシ)は、近藤さんの公式サイト内の[Works]カテゴリからご覧いただけます。
以下、会場での聞き書きを整理し、敬称略にて掲載しました。特に断りがない場合は、近藤さんの発言です。

Photo: Ryu Endo

Photo: Ryu Endo

近藤 いろいろなジャンルのものを手がけてきたが、ノンコマーシャル。商業的、商品を売るようなものはやらない……でも本はやるか。
金森 断っているから?
近藤 依頼がこない(笑)。必然的にそうなって、アート、芸術、美術などをやっています。

1994-1999年代作品
■ジョン・ケージ「ローリーホーリーオーバーサーカス」
1994年のケージの回顧展ポスター。
ケージは、チャンスオペレーション、偶然性、易を作品に取り入れていた。
水戸芸術館の展示では偶然性によって陳列の順を日々変えた。
チラシは易のコンセプトが絵柄になっている。

■「絵画考」
グループ展なので、誰かひとりの作品を使うわけにいかず、自分のビジュアルを使った。
コンテンポラリーアートシリーズ全体で、脊椎のようなビジュアル。

■ダニエル・ラリュー+ウィリアム・フォーサイス
金森 あー! 天使と矢印の!
近藤 ティエポロの天使のですね、ロココ時代の。
[二人で盛り上がって置いていかれる会場……]
※フォーサイスがティエポロのデッサンに矢印を書き添えた「仮定された流れ」というダンス作品のチラシ

■フレッド・フリス/クリス・カトラー
ドラムチューニングと弦の画像を使っています、マテリアリズムで。

■書籍 安部公房全集
金森 きた。
近藤 全集では珍しいのですが、ジャンル別ではなく編年体をとっています。
金森 安部公房は好きで、15年以上前に知人のツテで安く全集を買ったんです。
近藤 (全集016の)箱の内側はフェリックス・ガタリと安部公房の写真です。
見返しは安部公房が撮った都市の写真、作家のモティーフそのものを表していると思って使いました。

■宮島達男 ブックレット 1999ヴェネツィア・ビエンナーレ
金森 現代美術で、青色LEDを使った作品を作っている宮島さんという方の……。
近藤 青色LEDはこれが最初です。

■東京オペラシティ オープニング 武満メモリアル
ロールシャッハみたいな……デカルマコニーという技法を使っている。
モチーフの五線譜は、武満遺作の五線譜の余白です。オマージュ。
金森 その作家の問題意識からコンセプトをとっている?
近藤 90年代に作ったものはそう。瀧口修造、シュルレアリズムの影響もある。

■マルティン・ヴァルデ
マルティン・ヴァルデのスライム様の作品と似たものを自分で作りました。

金森 自ら作家として表現したいと思わないのか。他者の作家性を表現したい?
近藤 自分は、批評や編集、キュレーターになると思っていた。
父は画家であり、高校時代に模写は描いたけれど、父の狂気は自分にはない。
画家はだいたい狂っているし、そうでなければ無理、自分は編集して評論していく。
金森 批評は言語を用いて本人が意識していないものをあぶりだすが、表現として視座を持つ。
近藤 宮川淳の『引用の織物』という実験的な書物がある、彼の美術評論は詩的になっていった。
言語的な方法論として極められたもので、言語を使った評論の究極であり、次のシフトになっている。
憧れていたが、亡くなってしまったので習えない。
ディスクール(言説)……ロラン・バルトのように、言語的よりも上の表現がすでにあった。
自分にはそこまでの能力はないのかもしれない、どうしても作家の側に立ってしまう。
技法的なウエイトとしての表現、身体的なものがでてくる。
絵画評論に限界を感じたので、批評性が形を変えて折衷案でやっている。
金森 それは、近藤さんにとってデザインがそうなのか、デザイン一般がそうなのか……。
近藤 デザインの中でそういうことがあってもいいのではないか。
デザインは一瞥性が大事で、まず人の足を留める簡潔性、インパクト、強さが求められる。
しかし、会話的な方法論…何度でも、あるいはずっと見続けたり、対峙してもいい。
金森 90年台はWindowsはないですね、PCがあれば反復できるツールとして使えるのに……。
近藤 ぎりぎりPCが入りこんできた時期。版下にペーパーセメントを使うのと、PCでの処理を併用していた。
1985年にはMacintoshがあり、1990年代の頭には自分の仕事として見せられるレベルまで使えるようになってきた。
金森 もうチラシは広報としていらいなんじゃないか。SNSとかが出てきて……。
近藤 一概には言えない。紙媒体がいる/いらないはシステム上のものではなく、レベル分けして考えないといけない。
だが、キービジュアルを作る作業は必要。紙として、もしくは画像としてあるのが求められる。
今日はとにかくスライドをたくさん持ってきていて……。

2000-2004年代作品
■フィリップ・ドゥクフレ「トリトン」
■武満徹「夢窓」
これは武満の本棚から。武満はルドンが好きだった。
金森 これは作品の要素が強いのでは。ダメ出しされることは?
近藤 ある。90年代に時代がかわってくる。協働しながら作ったこともあり、「もしもキュレーションに参加するとしたらどうするか?」という設定もあった。

■三浦雅士 書籍『考える身体』
三浦さんは70年代に雑誌「ユリイカ」「現代思想」の編集者をして、自分の本も出していたすごい人。
渡米してから、身体的な舞踏の評論にシフトした。
金森 どう思いました?
近藤 実のところあまり情報がなかった。雑誌「批評空間」で浅田彰、柄谷行人らと繋がりがあったが、そこから途切れ、渡米した。
金森 補足すると、舞踊をやる人誰もが読んでいた雑誌「ダンスマガジン」を三浦さんが作り、ベジャール、キリアン、フォーサイスの批評をしたり、60年代の演劇も熱烈に、いち速く取り上げた。三浦さん個人の知性のあらわれであり、必ず評論の現場にいる。
近藤 最近、Noismと金森さんを評価していると聞きます。
金森 嬉しい。聞こうと思っていたんですが、『考える身体』の装丁は……。
近藤 フォーサイスのイメージです。
金森 やっぱり。
近藤 裏見返しは、ベジャールの「春の祭典」です。

■三浦雅士 書籍『批評という鬱』
■三浦雅士 書籍『青春の終焉』
こちらは裏にブルーを使っています。
金森 作家からダメ出しされることは?
近藤 とある著作権者からダメ出しされたことはあった。金森さんからも結構……(笑)
まあ作家が作り壊していくものですが、だいたい一番最初のものが一番いい。
金森 そうですね。
近藤 勢いがあるから。

■インバル・ピント「オイスター」
パンフレットが蛇腹になっていて真珠がついている。手作業でつけた。
金森 80-90年代のヨーロッパの前衛はほぼ近藤さんが手がけた?
近藤 そうでもない。忙しい以外はほとんど断らないけれど。

■池田亮司 DVD「Fomula」
池田亮司は稀有な作家だと思っている。出会いがあった。

■ロベール・ルパージュ「月の向こうがわ」
金森 観た。
近藤 日本での公演は本人出演じゃなかったんですよ。

■マギー・マラン「拍手は食べられない」
作った時に使える宣材(画像)は写真一枚だけしかなかった、海外ではありがち。
マギーに「これが一番よくできている」と言われたけれど。
金森 フランス人はお世辞は言わない。

■安部公房 文庫本
安部公房に関しては、映像作品を作ったことがある。技術が変わったので作り直したい。
箱根の書斎の映像。そこは小説『飛ぶ男』のテクストそのもののような魅力的な部屋。
文庫本リニューアルは、安部自身が撮った写真から強度があるものを選んで使った。

以下、スライド表示されたものの、固有名詞の言及程度に留まったものを記しておきます。
東京都現代美術館 イタリア美術、東松照明、ICC(NTTインターコミュニケーションセンター)、ピーター・ブルック「ハムレットの悲劇」、森万由子、ダムタイプ「Voyages」、アントニオ・ゴームリー、ヴォルフガング・ティルマンス、クリスチャン・マークレー、やくしまるえつこ。

対談部分については、後日追って掲載予定です。なお、誤り等ありましたらご指摘いただけると幸いです。
(のい)