快晴で暖かい豊橋から戻った新潟は初雪、インスタライブはvol.11

2020年12月14日(月)はこの冬一番の寒波が列島を襲い、新潟市も初雪に見舞われました。そんな寒い月曜日の夜20時、土曜日の豊橋公演から戻ってのインスタライブは11回目。おやつに弘前産の蜜入り林檎(佐和子さんは堅めが好み)を頬張りながら、特にテーマを定めないかたちのフリートークでした。その肩肘張らないものの、深みも備えたお話から一部ご紹介いたします。

年末・年始も忙しいNoism Company Niigata。12/24はオルガンコンサートに特別出演での「くるみ割り人形」、明けて1/4には京都のロームシアターに向けて出発。「年末年始も踊り続けます」(佐和子さん)

「豊橋、めっちゃくちゃ疲れました」(佐和子さん)…新潟での通し稽古の最中、ある場面で一瞬のカウントの遅れから外反母趾の足指を「がっつり突き指」したことから持病の腰痛も出て来ていたという佐和子さん。

豊橋公演(一回公演)について: 「もう、一回やし、いてまえ」(穣さん)に、「いってもうた」佐和子さん、本番は楽しかったものの、終わってからの身体のボロボロさ加減は大変だったとか。今回の豊橋公演のような一回公演には精神的なキツさがあり、その一回に賭けるときに「訳がわからなくなってはいけない」という大前提があると佐和子さん。最高のものを見せるためのコントロール。「初日だと思ったらダメ。我を失ってはいけないし、コントロールし過ぎで面白みがなくなるのも困る。色々考えて、考えて、でも、最終的には『いってきま~す』ってなる」(佐和子さん)「緊張しない、ワクワクしない、ヒリヒリしないとダメなのはわかっている。同時に、そんだけ熱くなったらコントロールできないよ、っていう冷たい自分もいるから、敢えて『うるさいっ』って言って出ていく」(穣さん)

豊橋公演の『FratresIII』、自覚としては結構良かったという穣さん。ゲネで良いと、その波で上手くいくのが穣さんだと佐和子さん。

「ここ最近、舞台で『知らない自分』が出てくるのが楽しい。前は、自分の身体がスペースのどこにいて、どういう感じかというアウトラインが見えていたのが、最近は、内側の方が見えている。『あっ、そんなふうに感じるんだ』とか」(佐和子さん)「それはその瞬間、ライブのその場にいるっていうことから受けるものを感じられているっていうことで良いんじゃない」(穣さん)「ライブのその瞬間に受けるものは絶対キャッチしたいから、あんまり固執し過ぎないようにしている。そのバランスが今は楽しいっス」(佐和子さん)「良かったっス」(穣さん)

本番前、ストレッチしながら久し振りにJポップを聴いていたという穣さんに対して、佐和子さんは演歌。「演歌オンパレードで、楽しかったっス」(佐和子さん)

『Adajo Assai』の二人の関係性について: 最終的には女性がいなくなるのだが、「いないんだけど、いる。いるのに、いない。いなくなったから、いる。そういうことなの。『Adajio Assai』では、言語化しづらいことを探究して作っている」(穣さん)「私の感覚的には、男と女という感じではない。ふたりの人間、舞踊家。名前が消えたときに、ただ人間が二人そこにいて、時間軸が逆戻りしたりとかする」(佐和子さん)「時間はひとつのテーマ。後半、動きを完全にリバースにしている。時間は前にしか進まないんだけれど、振付的には動きを全部逆にしている。離れているけど、影響し合っていることもある。別な空間にいながら共有したり、ズレたりみたいな構造もある。そのテーマはずっと大切なテーマ」(穣さん)そこから、鈴木忠志さんの本を介して、「演じている=観ている場で、本来、共有されがたいものを、ある種の妄想、幻想、虚構を通して、あたかも必然的に、そこに存在して、共有したと感じられる瞬間みたいなものを産む装置として演出や作品があると思う」(穣さん)

『Adajio Assai』から『春の祭典』への佐和子さんの変貌に関して: 「変貌大好き。でも、何かになろうとするのは嫌い。身体を変えるというのが大前提。自分の身体を見たりした感じから、自分の身体の奇妙なシェイプや奇妙な気持ち悪さがどうやったら出るかから。バレエ的なものから崩れたものが面白いと思った。自分の身体を研究することから始まる」(佐和子さん)

舞台に出る前のことなど: 「頑張ろう」みたいに声をかけ合ったりすることはない。それは、あくまで一人だから。「一人だからこそ、その後、舞台上で会ったときに会えるっていう」(穣さん)「凄い集中したいときに、人と触れることによって集中が切れちゃう。集中したまま『ヨロシク』とはなれない。(穣さんが)言ったとおり、舞台に行ったときに出会いたいから、その人たちと」(佐和子さん)「聖域さんだよね」(穣さん)「すごいわかる」(佐和子さん)「祈るときって一人なんだよね。集団で祈っていても一人だと思うんだよね」(穣さん)

…とまあ、そんなところを拾い出してみました。これからもインスタライブは続けていくそうですし、ゲストを呼ぶことも考えたいそう。で、次回は、鈴木忠志さんをはじめ、大先輩たちからどんな影響を受けて、どう血肉になっているか。また、昨年の利賀村での『still / speed / silence』の裏話なども内容としたいそうです。

おふたり共同のインスタアカウントにアーカイヴがあります。全編はそちらでどうぞ。それでは今回はこのへんで。

(shin)

穂の国とよはし芸術劇場PLATへいきました♪(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(『Adagio Assai』含む)(@穂の国とよはし芸術劇場PLAT)

2020年12月12日(土)、Noism Company Niigata「春の祭典/FratresⅢ」を観に、穂の国とよはし芸術劇場PLATへ行きました。

豊橋駅から見た
「とよはし芸術劇場PLAT」。
駅から専用通路で直結しています。

豊橋は「愛・地球博」の際に乗り換えで駅を利用しただけで、街を訪れるのは初めてです。また、とよはし芸術劇場PLATについては、知り合いがこの劇場の特色でもあるアーティスト・イン・レジデンスで滞在制作活動をしたことがあり、「劇場スタッフが親切で市民とも交流できて良い環境だった」という話を聞いて、いつか来てみたいと思っていました。

豊橋には路面電車(豊橋鉄道)が走っています。

劇場に到着すると、地元の方に混じり、東京や新潟でよくお見かけする方々もいらっしゃいます。また、りゅーとぴあの仁多見支配人もロビーでにこやかに応対されていました。

とよはし芸術劇場PLATの主ホールは客席が傾斜に配置され舞台との距離が近く、舞台の高さがあまり高くない(椅子の座面の高さ程度)のが特徴と思います。それと客席がコンパクトな割に天井が高いです。ダンスや演劇にとても良い環境のように感じました。

当日のタイムスケジュール。

各演目の印象を簡単に述べます。「Adagio Assai」は、照明の効果で、井関さん山田さんの舞踊がより際立ってみえました。8月のプレビュー、9月のサラダ音楽祭と3回目の鑑賞ですが、よくよくみるとお二人の踊りはなかなか噛み合わず(もちろん意図的)、ただ別れのストーリーという受け取りではすまないようです。

「FratresⅢ」は「Adagio Assai」の暗転から続けて上演されました。中央でもがき苦しむ金森さんと、高い緊張状態が伝わる群舞。観る方も緊張感MAXのところで「※」が落ちてきます。これには毎回はっとさせられます。先日観たベジャール「M」の大量の桜吹雪が落ちて散るシーンが蘇り、あの時も同様の衝撃・感動でした。そしてふと思ったのが、サラダ音楽祭での「FratresⅢ」の名演は、都響との共演もさることながら、「※」の演出がない分、通常よりも出し気味にしていたのかな、と。

「春の祭典」は8月のプレビュー公演で観た際は全容が把握できず(いろいろ見落としているのでは)と思いましたが、再び観ることで前より深く感じることができました。数ある「春の祭典」の中でも、生け贄を選ぶ(というか押しつける)過程が陰湿で、いじめ問題のように、弱者をターゲットにすることで自分を守ろうとする希薄な集団性を思います。今回は新メンバーも加わり、この難曲を見事に演じていて素晴らしかったです。(準メンバーの樋浦さんが出演されていなかったのは残念でした。)

終演後は、会場中、大きな拍手でダンサーをたたえます。止まないカーテンコールにこたえ、客席から金森さんが登場しました。金森さんの着ているTシャツの背中にはかわいいイラストが描かれていました!(金森さんと井関さんでしょうか?)

終演後はすっかり暗くなっていました。
駅前にきれいなイルミネーションが!

「集団性」の難しさ、尊さ、危うさ、といったテーマが込められた今回のプレビュー公演。本公演ではどのように変化するのでしょうか(演る方も観る方も)。とても楽しみです。

(かずぼ)