金森穣×東京バレエ団『かぐや姫』新潟大千穐楽を総身に浴びた至福の2時間40分♪

2023年12月3日(日)、新潟市は本格的な「冬」を連れてくるとおぼしき強烈な風雨に見舞われました。この日はりゅーとぴあも県民会館もイヴェント目白押しで、果たして駐車場に車を入れられるか、若干、不安な気持ちを抱えつつ、りゅーとぴあを目指しました。少し待ちましたが、何とか入れ替わりのタイミングで駐車できて、まずは一安心。

冬の荒天のなかの各公演地『鬼』再演ポスター

13時30分の入場時間を前に、どんどん観客は集まってきます。私自身も久し振りのりゅーとぴあでしたので、友人、知り合いの顔を探しながら待っていました。そんななか、山田勇気さんと浅海侑加さん夫妻、ジョフォア・ポプラヴスキーさんと中村友美さん夫妻、現Noism1メンバーの糸川祐希さんとお母様にお会いして、ご挨拶をしたり、お話できたりとウキウキ気分もずんずん盛り上がっていきました。

そうこうしているうちに入場時間となり、ホワイエに進むと、そこは一段と賑わいが増しているように思えました。この日のミッションは金森さんと井関さんからプログラムにサインを貰うこと。特別なペンを用意して臨みましたが、おふたりの姿は見えません。「今日は立たれないのかな」と半ば諦め始めた矢先、おふたりが出てきてくださいました!この時点で既に興奮はMAXレベルに! 無事、金色のペンでサインをしていただくことが出来ました。

14時になり、(恐らく)最後のお客さんが席についたところで開演。そこからはまた別の興奮に包まれることになります。前の記事でfullmoonさんが書いてくれたように、今公演は「すり鉢」状の一番「底」にあたる部分に地続きでせり出すようにして舞台が設えられていて、そのため、(恐らく)どの席からも想像以上に近くから見下ろす感じで鑑賞することができたからです。近い、近い!

そんなふうに総身で浴びるようにして観た『かぐや姫』全3幕公演の大千穐楽の舞台。第1幕の「緑」、第2幕は「赤」と「黒」、そして第3幕の「白」、休憩を含む至福の2時間40分でした。

まず驚くべきは音楽。ドビュッシーの音楽はこの金森作品のための劇伴音楽ではないかと思ってしまうほど! で、ドビュッシーって本当に様々な曲を書いていたのだと改めて感じたりもしましたが、「超」が付くほどの有名曲が使用された場面であっても、舞台上のパフォーマンスの強度が強くてちっとも音楽に負けていないばかりか、逆に、今後、その曲を聴くと舞台の場面を思い起こさずにはいられない、そんな気がするほどです。ここまで集めに集めて、オール・ドビュッシーで構成した金森さんの執念も感じました。

そのパフォーマンスの強度、東京バレエ団の団員に目は釘付けでした。この世の者とは思えない秋山瑛さんは「白」。跳ねる無邪気さから陰影に富む憂いまで全身で「かぐや姫」をリリカルに具現化していきます。一方、「影姫」沖香菜子さんの「赤」。吸い込まれそうな半端ない目力ともども、衝撃的としか言いようがないほどの圧倒的な存在感で迫ってきます。そして勿論、「道児」柄本弾さん、「翁」木村和夫さん、「帝」大塚卓さんはじめ男性陣も素晴らしかったですし、男性群舞の場面などはまさに圧巻でした。そして金森作品のファンとしては「暗躍(?)」する「黒衣」たちが「金森印」として可愛くて仕方なかったことも言い添えておきましょう。

私たちを超えた大きな力により、この世に「愛」をもたらさんと遣わされた「かぐや姫」。周囲に人を愛する心を芽生えさせますが、それは同時に、「嫉妬」や「欲望」その果てに「憎しみ」や「争い」までもたらすことになってしまい、失意の底、嘆きの(無音の)叫び声をあげるや、…。(←あくまでも個人的な解釈です。)

私たちが目撃したのは、紛れもない金森作品としての普遍的なグランド・バレエの誕生。バレエに疎い私ですが、この作品をもって東京バレエ団の素晴らしさを知り得たことも喜び以外の何物でもありません。他の演目も観てみたいと思ったような次第です。

曰く、桃や栗と同様に、3年間の月の満ち欠けの果てに、ここに結実を見た金森さんと東京バレエ団の『かぐや姫』全3幕。この名作の世界初演に立ち会えたことをしみじみ嬉しく思っております。

そして今月(2023年12月)は、この度の『かぐや姫』を皮切りに、中旬は鼓童との『鬼』再演(12/15~17:『お菊の結婚』含む)が、そして大晦日にはりゅーとぴあジルベスターコンサートにて「新」ボレロが待つ、まさに金森さんとNoism「大渋滞」の月♪ 年末の渋滞する道路は御免ですが、こちらは嬉しい悲鳴そのもの。りゅーとぴあでお会いしましょう。

さてさて、今夜は私も(プログラムに読める三浦雅士さん同様に)アリス=紗良・オットのCDでドビュッシー『夢想』を聴いて寝ることと致します。あの余韻のままに…。

(shin)

東京バレエ団『かぐや姫』東京公演を終えて(ひとまずの)「アフタートーク」的インスタライヴ♪

東京バレエ団×金森穣『かぐや姫』全3幕世界初演の東京公演(10/20~22)を終えて、2023年10月29日(日)の20時から(ひとまずの)「アフタートーク」的なインスタライヴが金森さんと井関さんのインスタアカウントで配信されました。このあと、新潟公演をご覧になられる方にとっては、「アフタートーク」ではなく、「ビフォートーク」となることから、ネタバレ等を気にされる向きもおありだったかもしれませんが、その心配もないやりとりだったかと思いますので、是非、アーカイヴにてご視聴頂きたいと思います。

かく言う私も、この日が日本シリーズ第2戦の日にあたっていたため、その時間帯には、こちらをリアルタイムでは視聴せず、(その前日とはうって変わって、悶々とした気分で)テレビの野球中継で試合の推移を見詰めておりました(汗)。その後、アーカイヴで視聴したのですが、楽しい気分になれたのは有難いことでした(笑)。

このブログでは、一区切りがつき、開放感たっぷりに『かぐや姫』という新作のグランド・バレエの創作を振り返ったおふたりのやりとりがどんなものだったか、以下に少しばかりですが、かいつまんでのご紹介を試みたいと思います。

☆金森さんが東京バレエ団芸術監督・斎藤友佳理さんと初めて会って食事しながらオファーを受けたのは5年位前(2018年)。その後、調整しつつ、題材を決めつつ、振り付けを始めたのは今から2年7ヶ月前。外部への「純クリエーション」はこれが初めて。50人超えの人数やスタジオの大きさに慣れるのに時間がかかった。最初は疲れた。第1幕振り付け時には金森さんは日記をつけていた。(←そうでした、そうでした。思い出しました。)

★東京バレエ団が目黒ということで、金森さんと井関さんの滞在先はずっと白金台(8回)だったのだが、最後の三週間だけは品川だった。品川の人の多さは凄かった。

☆第1幕をガラッと変更した。家具も曲線を増やしてモダンデザインに変えた。
【註】新潟では2021年11月に第1幕が上演されたのみである。

★照明の話。照明作りはまず第3幕から始めて、第1幕へ。しかし「ゲネ」に及んでも、第2幕の追加した場面の照明ができていなかった。それが仕上がったのは、「初日」の午前4:50頃のことだった。(清掃等が入る都合上、劇場が使えるのは最大午前5時まで、とのこと。)

☆照明の話(つづき)。照明はロジックではなく、イメージの世界。しかし、具体的に形にするための指示を出さなければならない。今回は空間が大きくてスタッフの人数も多かった。「全幕物をイチから全部照明を作る人はいない」(井関さん)「振付家で一番大変なことは、自ら納得し決断できるところまで、スタッフに付き合って貰うこと。多くの人を巻き込んで動いて貰い、それを背負うこと」(金森さん)

★「任せられなくて」照明を自分でやることで、間際になればなるほど、舞踊家たちとの時間が減ってしまわざるを得ないことに「申し訳ない」思いもある、と金森さん。それを受けて、「どこかで手放さなければならない。ギリギリまでやったら、その瞬間を本人たちが生きられるかどうか」との考えを示した井関さん。舞踊家も自立する必要がある。初日のパフォーマンスは緊張感とともにみんな確実な道を選んでいきがちとも。

☆新潟の舞台は狭いので、空間構成がどうなるのか。みんな並べるのか、入るのかどうか。取捨選択しないと「危ない」とも思う。

★今回のクリエーションについて、「ホントに勉強になった。イメージし得る身体の使い方、振付の可能性など今まで味わったことのない発見があった」と金森さん。一方、コンテとバレエが「違うもの」と思って『かぐや姫』をやられるとそれは違う。バレエのそこから先を一緒に見出していきたい。それだけにもっと踊り込んでいく再演の機会があって欲しい。

☆舞踊家たちがバレエ的な要素を含めつつ、「一線を越えようとしている」姿が面白かった、と井関さん。金森さんは、これまで、時代的にも、振付のスタイルを確立しようとしたことはない、と。しかし、今回の東京バレエ団との作業を通じて、よりバレエ的なものと向き合い始めて、「バレエ的な身体の型がありつつ、それを保持したまま、如何にただの形ではないところに行けるか。このプロセスで見つかっていったものがスタイルになりそうな漠然とした思いがある」(金森さん)

★「生オケ」での『かぐや姫』は編集の専門家を入れる必要があり、ハードルが高い。

☆「影姫」の配役について、沖香菜子さん・金子仁美さんともに「意外」と言われることも多かったが、金森さんと井関さんにとっては、全く意外でもなく、「それこそそうにしか見えなかった」と井関さん。

…主に、そんなところを以てこちらでのご紹介とさせていただきますが、なお、上の内容に続けて、ラストの7分程度(とりわけ最後の5分間でしょうか)、とても楽しいお話が聞けます。まだの方は大きな損をしていると言えそうな程ですから、是非お聞きください♪

そして、新潟ローカルの話にはなるのですが、折から、今日深夜には(正確には日付が変わって「明日」になりますが)、BSN新潟放送で『劇場にて』の再放送もあります。鼓童との『鬼』再演の舞台裏に密着取材したこの番組、まだご覧になっていない方はお見逃しなく、ですね。

では、今回はここまでということで。

(shin)

『かぐや姫~第2幕』最終日、炸裂する金森ワールドに蹂躙される悦び♪(サポーター 公演感想)

2023年4月30日(日)、朝、新幹線で新潟を発って、「上野の森バレエホリデイ」での金森さん×東京バレエ団『かぐや姫~第2幕』を含むトリプルビル公演を観てきました。もう圧倒されまくってしまって、今なお続く大興奮かつ陶酔状態のうちにこれを書いています。

初日の舞台についてはかずぼさんが、2日目はfullmoonさんがレポートをあげてくださっていて、そのどちらからも、「どうやら只事ではなさそう」な気配が読み取れていたので、この日に向けて、期待は膨らむばかりでした。で、結論から言いますと、その期待は裏切られることがなかったばかりか、炸裂する金森ワールドに蹂躙される悦び、それにとっぷり浸る類稀なる35分間だったと言いましょう。

世阿弥『風姿花伝』の「序破急」に倣って言うなら、この「第2幕」は、拍子が変わる「破」そのもの。そしてその今回の「破」ですが、2021年の11月に初演された「第1幕」から時間をあけてクリエイションされてきたことが作品全体に極めて大きな質的変化をもたらすことになった点は金森さんも認めているところです。

舞台装置が、そして何より衣裳が、その趣を一変させていることに驚きました。「第1幕」では、金森さんの方が「現存する日本最古の物語」の時空に寄せて、目に見えるかたちで民話風の昔っぽさなど取り込みつつ、(ある意味、ある程度まで美しささえ犠牲にしつつ、)大人から子どもまで楽しめる日本ものの「グランド・バレエ」としての雰囲気を立ち上げようとしていたように思います。ところが、この「第2幕」では、逆に金森ワールドの方に、その「グランド・バレエ」や東京バレエ団を寄せてクリエイションを行っているのです。私たちが目にするのは、金森さんの審美眼に適った怖いくらいに美しく、怪しい世界…。

廣川玉枝さんによるこの「第2幕」の衣裳は、もうほとんどNoism『NINA-物質化する生け贄』(ver.2017)です。その『NINA』の既視感たっぷりな鈍く煌めく深みのある「赤」を纏って、この日「影姫」を踊った沖香菜子さんの驚愕の存在感には筆舌に尽くし難いものがありました!「第2幕」の主役は(沖さんが踊った)「影姫」と言ってよいように感じたほどです。勿論、秋山瑛さん(かぐや姫)、柄本弾さん(道児)、大塚卓さん(帝)をはじめ、皆さん素晴らしかったのですが、それでも、沖さんの凄みが凌駕していたということで…。

加えて、シンボリックな階段や高低差、はらはら舞い落ちてくる冒頭の赤い花弁。奥を微かに透かせて見せる紗幕の絶妙な効果、矩形の衝立が閉じては開く、そのめくるめく移動。それらはどれも抽象度や象徴度の高いものであり、その点で「第1幕」からの隔たりは大きいと言えるのですが、そうしたスタイルや説話の話法こそ元来、金森さんが自家薬籠中の物としてきたのであり、それが溢れているのがこの「第2幕」なのです。

その抽象性と象徴性のゆえに、もう「いつの日本」を舞台としたものなのか、否、そもそも「いつどこ」の物語なのかも判然としなくなっているくらいです。しかし総体として、客席から見詰める目に対して「圧」をかけて迫ってくるこの「第2幕」は間違いなく高い普遍性を獲得し得ていると感じます。金森さんはもう「竹取物語」をなぞることから脱して、本来その原ストーリーが有する「可能性」の中心に身を置き、自身の創造性(クリエイティヴィティ)を解き放つかたちでクリエイションを推し進めていく途を選択したということが明瞭に感じられる舞台でした。

それは誤解を恐れずに言うならば、2016年に庵野秀明が『シン・ゴジラ』において示した方向性とも重なるものと言えようかと思います。庵野が『シン・ゴジラ』からの「シン・」シリーズでやったこと(その後の2作の出来不出来は敢えてここでは問いません。)とは、つまり、原初にある周知の設定を土台に据えながら、そこに自らの創造性を絡めることで、新たな物語を立ち上げてみせること。その意味からは、『シン・かぐや姫』といった見方もできそうなくらいです。また、そこに現代社会に注がれる目線がある点も庵野との間の共通点として認められるものでしょう。時空を隔てて、よく知られた原ストーリーとせめぎ合うかたちで展開される「シン・」ストーリー。「影姫」の創作などはその最たる例かと思われます。

また、『中国の不思議な役人』、『カルメン』、『お菊の結婚』等々、過去のNoism作品と呼び交わす細部(動きや振り)にも満ちており、瞬間、記憶の中の諸作を想起させられる楽しみも随所で味わいました。

大方の予想と重なるだろうために、もう「予想」と呼ばれる資格を欠いてしまっているのでしょうが、このあと、「全3幕もの」として公演される際(今年10月・上野3公演、12月・新潟2公演)には、既に世に出ていて、私たちが目にしていたあの「第1幕」も大幅に改訂されていることでしょう。(少なくとも、衣裳は遡って変更される筈です。)

この「第2幕」、幾分、唐突に終わる感じもありますが、そこは見方によれば、切れ味鋭いナイフのようなカットアウトとも。そんな「第2幕」、続く「第3幕」への期待を掻き立てて止みませんが、これ単体でも「名作」と呼ばれる資格があるものと思いました。酔えます。

「凄いものを目にした」、そう感じた観客が多かったからでしょう。終演後、何度も何度も繰り返されるカーテンコール。その都度、「ブラボー!」の声がかかり、一人また一人とスタンディングオベーションに加わる人数が増えていき、遂には、客電も点いて、もう拍手もやめる潮時という雰囲気が場内を覆ってさえ、あろうことか拍手は一向に止む気配を見せず、緞帳がまた(仕方なしに躊躇でもするかのような風情で)上がると、客席からは嬉しいどよめきが、舞台上には苦笑を浮かべながらも満更ではなさそうな出演者の表情があり、その一瞬、場内はそれ以上望むべくもない極上の一体感に包まれたように感じました。

おっと、「上野の森バレエホリデイ」全体の雰囲気についても触れるべきだったのでしょうが、あのひとつの演目に圧倒されて木っ端微塵にされた感のある身としては、それをなすべき余力は既にありません。舞台を見詰める前に撮った画像をアップすることで、その代わりとさせて貰おうかと思います。

(shin)