再演の「鬼」ツアー、神奈川公演初日(2024/01/13)♪

2024年1月13日(土)、Noism×鼓童「鬼」再演のツアーはこの日、KAAT神奈川芸術劇場でその初日を迎えました。この度の再演のツアーは前年訪れなかった土地を巡るものです。その皮切りに立ち会いたいとの思いで、朝、雪が降りだす前の新潟から横浜を目指しました。途中、三条を過ぎたあたりから案の定、窓外は雪。関東も昼過ぎには雪になるとの予報でしたから、雪の一日を覚悟していましたが、トンネルを抜けたら、あっけらかんと青空が広がっていたので、正直なところ、やや拍子抜けしたりする気持ちもありました。しかし、その後、ぽつりぽつり雨が落ちてきましたから、本格的に崩れる前に、KAATへと急いで移動したような次第です。

KAATに入ると、吹き抜けの下、アトリウムに、前年7月の「柳都会」(Vol.27)にご登場され、刺激的なお話を聴かせてくれた栗川治さんの姿を目に留めましたので、ご挨拶。栗川さん、新潟での公演は都合がつかず、今回、横浜での用向きに合わせてご覧になるのだと。で、大晦日のジルベスターコンサートでもお見かけした旨伝えると、興奮の面持ちで、Noismの『Bolero』はもとより、亀井聖矢さんのピアノが凄かったと話されたので、激しく同意しながら「2週間前」の感動を噛み締めたりさせて貰いました。

そんなこんなで、開場時間を迎えると、公演会場の〈ホール〉へと上がりました。メインロビーへと進み、トイレなどをすませていると、今度は原田敬子さんの姿が目に入ってきました。如何にも偉丈夫の黒コート姿の男性と一緒にこちら、奥の方へと歩んで来られます。前年の初演時にも「最上の音をお届けするために」とほぼ全会場に足を運んでおられた原田さん。この再演にあたっても、新潟でお話できましたし、「今回も」と、またここでもご挨拶をして少しお話出来ました。原田さんが仰るには、会場によって、音の響き方が異なるのは当然としても、こちらは少し大変だったのだとか。そんな話をしてくださった後、原田さんが件の黒コートの男性のことを「御大」と言い表して、そちらに戻って行かれるに及んで初めて、その男性が誰かを認識し、瞬時に凍りつくことに。そうです、その男性は誰あろう鈴木忠志さんだったのでした。金森さんも師と仰ぐまさに「御大」。不調法で失礼なことをやらかしてしまったような訳です。凹みました。(汗)

「うわあ!」とか思いながら、少しテンパった気分で買い求めた席につくと、私たち家族の2列前には鈴木さん!更に横を見ると、私の3つ右の席には原田さん!これもまた「うわあ!」です。いつも以上に緊張しつつ、開演を待つことになりました。

16時を少しまわって、波の音が聞こえてくると、『お菊の結婚』の始まりです。ストラヴィンスキーのバレエ・カンタータ『結婚』、その炸裂する変拍子とともに滑り出すほぼ人形振りによるコスチューム・プレイの見事さに、(しくじった)我を忘れてのめり込むことが出来ました。この日、これまでよりやや後方の席から見詰めた舞台は照明全体を、ある種の落ち着きのうちに観ることを可能にしてくれたと言えます。一例を挙げるならば、今まで気付かなかったのか、それとも、金森さんが今回変えてきたのか、そのあたりは定かではありませんが、中央奥、襖の向こうに印象深い赤を認めたりした場面などを挙げることが出来ます。そんな細部への目線を楽しみながらも、同時に、不謹慎な(と言ってもよいだろう)諧謔味に浸りながら、するすると見せられていくことのえも言われぬ快感はこの日も変わりません。何度観ても唸るばかりです。

呆気にとられながらあのラストシーンを見詰めたとおぼしき客席は、緞帳が完全に下り切るまで水を打ったように静まり返っていましたが、その後、一斉に大きな拍手を送ることになりました。

休憩になると、なんと、横の方から原田さんが「音、どうでしたか」などと訊いてきてくださったのですが、それは高い音が強く聞こえることを気にされてのことで、素人の耳には特段感じるようなこともなかったのですが、、休憩後の『鬼』に関しては、少しわかるようにも思いました。まさに一期一会の舞台な訳ですね。

(また、休憩中の通路には宮前義之さんの姿もありました。書き残しておきます。…以前にはご挨拶したこともあったのですが、この日は流石にもう無理でした。)

で、『鬼』です。客電が消えて、緞帳があがり、鼓童メンバーが控える櫓が顕しになると、そのキリリと引き締まった光景に対して、客席から一斉に息を呑むような気配が感じられました。前年から繰り返して観てきたこの超弩級の作品も、私にとっては、この日が見納め、「鬼」納めです。目に焼き付けるように観ました。鼓童が発する音圧を受け止めながら、舞踊家の献身に見入る時間も最後になるのですから、一挙手一投足も見落とせはしません。そんな覚悟で見詰めた次第です。繋がりも(漸く)クリアにわかってきた感がありましたし、この日も、妖艶さ溢れる姿態から妖気漂う様まで、振り幅の広い、目にご馳走と言うほかない場面がこれでもかと続きました。初めて観たときの驚きとは別種の、その力強い構成力と実演の質への驚きを抱きながら全編を追って、まさに最終盤に差し掛かったとき、目を疑うことになりました。動きが、演出・振付が明らかに違っている!またしても!!ラストのシークエンスを大きく変えてきたのです、金森さん、またしても!!!再演のラストシーンは初演のときとは違っていましたが、この日、そこに至るまでのシークエンスにも大きな変化が生じていたのでした。これからはこれで行くのでしょうか。それとも、まだまだ変更の余地があって、これも「神奈川ヴァージョン」なのでしょうか。いずれにしても、私にとっては「鬼」納めの舞台でしたから、この後のことについては、レポートや報告を待つよりほかにありません。やはり一期一会なのですよね。

「このあと、舞台はどうなっていくのだろうか」若干後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、客席を後にしました。最後に原田さんと「音の聞こえ方」についてお話出来たらなどとも思いましたが、原田さんは鈴木さんたちと一緒におられます。同じ轍は踏めませんから、サポーターズ仲間たちと一緒に外に出ました。すると、強い横殴りの風に煽られた雨が時折、霙(みぞれ)になったりするなど、待っていたのは寒々しい冬の天気でした。帰りの新幹線のこともあり、東海道線に遅れが生じたりされては困るので、まずは横浜へ、そしてその先、上野へと急ぐことで締め括られた私の2024年Noism始めでした。

そうそう、この日の『鬼』に関しては、最後、緞帳が下り切る少し前から、拍手が鳴り始めたのでしたが、きっと、もうそれ以上我慢し切れなかったものと理解できます。そんな訳で、この日、一緒に客席で見詰めた観客のなかから、今取り組まれているクラウドファンディングへの協力者が多数出ることを信じて、否、確信して、新潟への帰路に就いたような塩梅でした。

(shin)

インスタライヴ(2023/07/30)で語られた『Silentium』の「一体感」の真相、或いは深層

美容院に行っているときに思い立って、その午後の実施が決まるという油断出来なさ加減で届けられた7月30日(日)のインスタライヴは、リアルタイムでの対応が難しかった向きもあったかと思われますが、かく言う私もそう。その後もバタバタしていて、漸くアーカイヴをクリック出来たのは月も変わった葉月朔日のこと。

この日はゲンロンカフェも控えているし、ってことで、バタバタしたままに、かいつまんだご紹介をさせて頂こうと思います。詳しくは、おふたりのInstagramのアカウントに残されたアーカイヴをご覧ください。

約54分間、実に刺激的なお話を聴くことが出来ます。その「刺激的」というのは、如何に目の前で展開される踊りの実相に迫るのが難しいかということに尽きます。「領域」ダブルビル公演の『Silentium』において、金森さんと井関さんが「ほぼ初めてふたりだけで約18分間踊る」という前情報に接しただけで、おふたりの「息の合った」踊りを見ることになるのだろうという(ある意味、安直な紋切り型の)憶断が形作られてしまい、そうなるともう、それを離れて自由な視線を送り得なくなってしまうという、そんな作品、そんな実相…。

それでは…

*井関さんは昨年決まっていたこの作品を「軽いと思っていた。中継ぎみたいに凄く軽く考えていた。全く想像がつかなかったから」そう語ります。

*しかし、あちこち色々な場所で行われたクリエイションは「ペルトの『音楽ありき』で、曲だけ決まっていたが、曲が曲だけに音にあてて振りを作る訳にはいかず、振りは振りで無音で作っていった。何が生まれるか、実験的だった。漠然とは考えていたが、こんなに大変とは思わなかった」という展開をたどることになります。また、振りの前に宮前義之さんから衣裳が届いていたという稀有なパターンだったとも。

*本番では普通とは違う集中力で噛み合うものの、稽古では、お互い自分を出してくるので噛み合わないとか、本番では「その瞬間を生き切る」刹那感で、予定調和は全部はずれちゃう、と金森さんが語れば、井関さんは本番では委ねられる、委ねるしかないと言い、更に、一緒に踊ると、舞台にあがったときの金森さんはその差が激しく、「ここまではっきり違う人はいない」、びっくりするとも。

*『Silentium』での「一体感」については、ふたりは性格もアプローチの仕方も全然違っていて、直前のルーティンも別々。「そうじゃないとあそこまでいけない。一個人一個人なんだけど、お互い協力して乗り切るしかない」のだと金森さん。そのうえで、井関さんが、金森さんと踊るときの「面白いことふたつ」を、「①委ねられる。行こうとしている動きのところに必ずいてくれる。②自分の足に立てなくさせるときもある。基本、自分の足で立っていない」そう語り、その具合を「安心感」とともに「怖い」と表現して伝えてくれました。

*また、無音のなかカウントで踊るかたちだったのではなく、要は呼吸だったとし、アクセントからアクセントまでの尺のなかで、「ここらへんにいる」は決まっていても、それも大分揺らいでいて、そうした音に対する遅れがわかるのは井関さんの方で、金森さんはざっくりやっている感じなのだと明かしてくれました。

*宮前さんによるあの衣裳に関しては、「塗り壁」がコンセプト。あそこまで覆われていて踊るのはそうないので難しかったそう。軽くて着心地はいいが、存在感があり、骨や身体の中の構造を意識して踊る必要があったと金森さん。

*また、あの作品、床に敷かれていたのはリノリウムではなくて、パンチカーペット。「米を降らせたかったから」(金森さん)、音がしないのがよかった。キュッという音もなかった。「床大臣」の井関さんは滑らないスプレーを見つけたとのこと。

…と、そんなところを取り出して極々簡単なご紹介を試みてみましたが、勿論、もっともっと豊かな膨らみに満ちたお話を聴くことが出来ますから、実際にお楽しみ頂くのが一番です。

最後、再度、この日のインスタライヴを聴いた個人的な印象で締め括らせて頂きます。お話を聴けば聴くほど、予断を持たずに目に徹することが如何に困難だったかに直面させられた次第です。舞台に向かっていた約18分間、あの緩やかさのなかに、或いはその奥に激しさやらきつさやらを見出すことは出来ました。しかし、今、「息が合っている」という枠組みのなかで見詰めるのみだったことを思い出しています。勿論、「息が合っている」のですが、その真相、或いは深層を聴いて、見ることの困難さに愕然とさせられているような塩梅です。その意味で、とてもスリリングなインスタライヴだったと思います。また、聴こうと思います。

(shin)

「領域」東京公演最終日、「舞踊」の力を見せつけて大千穐楽の幕おりる♪

2023年7月16日(日)、三連休中日の東京はまるで電子レンジのなかにいて、ジリジリ蒸しあげられていくのを待ってでもいるかのような「超現実」の一日。朝、新幹線で新潟を発ってから、外気に身を晒す度に、「温帯」に位置する国の首都にいることが信じられないほどの危険な感覚を味わいました。そんな「超現実」。

そう、そんな「超現実」の「危険」を避けることができるエアコンが効いた屋内での舞台鑑賞と言えば、何やらこの上なく「優雅」な振る舞いとも思われかねませんが、そこはNoism0 / Noism1「領域」ダブルビル公演です。「優雅」なことは間違いありませんが、レイドバックしてなどいられない、またひとつ別種の「超現実」を受け止めることになるのでした。

開演前のホワイエには、金森さんと親交の深い東京都交響楽団ソロ・コンサートマスター矢部達哉さんのお姿もあり、この先の「サラダ音楽祭」での共演への期待感も一層高まりました。

この日、『Silentium』開演は15時。それ以前から緞帳があがって顕しになった舞台上、上手(かみて)にはこんもりした古米の小山があるのは新潟公演のままでしたが、下手(しもて)側、既に炎が灯っていたのは、新潟で観た3日間との違いでした。

やがて、おもむろにペルトの楽音が降ってくると、それに合わせて緞帳がおりてきての開演。再び緞帳があがると、古米の小山の脇、少し奥に揺れるふたりの姿が朧気に見えてきます。朧気に。それもその筈、未だ紗幕によって隔てられているためです。その紗幕もスルスルあがると、見紛うべくもない金森さんと井関さん、ふたりの姿が明瞭に視認できます。既に緩やかに踊っているふたりが。

既に踊っているのです。新潟公演中日のブログでも書いたことですが、演目の始まりが曖昧化されているのです。

そして落下する古米の傍ら、全くと言ってよいほど重力を感じさせないふたりの身のこなしやゆっくりとしたリフトは見るだに美しいものに違いありませんが、そうこうしているうちに、次に不分明になってくるのが、その「ふたり」であるという至極当然に過ぎる事実です。宮前さんの驚きの衣裳を纏って絡み合う「ふたり」がもはや「ふたり」には見えてこなくなる瞬間を幾度も幾度も目撃することになるでしょう。「じょうさわさん」とも呼ぶべき「キメラ」然とした様相を呈する「ふたり」は、「耽美的」なものに沈潜しようとすることもありません。安直な「美」を志向しようともしない、その振付の有様は、容易に言い表すことを拒むものですが、強いて言うなら、「超現実」的な意味合いで「変態的」(決して貶めているのではありません。むしろ独創性に対する驚嘆を込めた賛辞のつもりですが、安易な形容など不可能な故に、このような一般には耳障りの悪い表現になってしまったものです。ご容赦願います。)とでも形容せざるを得ないもの、そんなふうに感じた次第です。また、無音で振り付けたという動きは、観ているうちに、20分弱流れるペルトが触媒として聞こえてくるような塩梅で、音楽との関係も普通らしい領域を逸脱してくるようにも感じられました。

「変態的」と形容した所以。それは舞台上に提示された「20分弱」がひとつの舞踊作品としてではなく、あろうことか、金森さんと井関さん「ふたり」がこれまで共に歩んできた舞踊家としての膨大な時間のなかの僅か「20分弱」を垣間見せようとする意図の上に構築されたものに違いないと思ったことによるものです。これまでの全てを包含したうえで、今、そこで踊られていて、この先も変わらず踊られていく、互いに信頼し合う「同志」としての「ふたり」の関係性や覚悟そのものが作品として提示されていた訳です。ですから、作品として画するべき始まりも終わりも持たないことは必定でしょう。それはすなわち、私たち観客にとっては「超現実」であっても、「ふたり」にとってはこれまで重ねてきて、これからも重ねていく「日常」でしかないような、そんな「作品」。そこで映じることになるのは勿論、「ふたり」が示す舞踊への献身そのもの。その崇高さが溢れ出てくるさまが終始、見詰める目を射抜く「作品」。「ふたり」の舞踊家の(或いは「ひとつ」と化したふたつの)人生が示す、その選び取られた「やむにやまれなさ」加減が通常とは異なる「美」の有り様を立ち上げて、観る者の心を強く揺さぶるのです。

その「作品」、この日の大千穐楽で観た東京ヴァージョンのラストシーンは新潟公演で採用された2つとは異なる「第三の終章」。隣り合い並んで、下手(しもて)側に傾いた姿勢で静止したふたりの立ち姿がシルエットとして浮かび上がるその様子。それは紛れもなく動的な静止。美しさに息を呑みました…。当然の如く、盛大な拍手とスタンディングオベーションが待っていました。

20分間の休憩。上気したままに過ごしているうち、次の演目が始まろうとする頃合いになり、ホワイエから客席に戻ると、会場後方に、山田勇気さんと並んで座る二見一幸さんのお姿を認め、この間、サインを頂いたお礼も含めてご挨拶させて貰いに行きました。その際のブログもお読み頂いた旨、話されたので、感激してしまい、「握手して貰ってもいいですか」そう訊ねて、この日は握手して頂きました。「手、冷たくてすみません」と柔和な笑顔の二見さん。この日もその魅力にやられてしまったのでした。

そんないきさつがあり、再びニマニマして迎えた二見さん演出振付の『Floating Field』。そう、こちらの作品はそれ自体、ニマニマを禁じ得ないスタイリッシュさが持ち味。

しかし、この日はニマニマしてばかりもいられない事情が…。それはここまでかなり目立つポジションで踊られていた庄島すみれさんが怪我のために降板し、急遽、Noism2の河村アズリさんが新潟から召集されて、代役を務めることになっていたからです。前日も振りやフォーメーションに若干の変更が施されたとのことですが、何しろ、この日は大千穐楽です。もう「頑張れ!」しかない訳です。

冒頭、トップライトを受けた中尾さんの「蹴り」から「領域」を画するラインが横方向に伸びていくと、早速、坪田さんと河村さんの登場場面となります。すると、「頑張れ!」と視線を送ろうとしていた筈が、すぐに「これは大丈夫だ。凄い!」に変わり、安心して作品世界に没入することが出来ました。新潟公演楽日のブログで挙げそびれていた「ツボ」ポイントのひとつ、坪田さんの左の体側に、その右の体側をまるごと預けて、坪田さんが左足を横方向に持ち上げると、そのまま持ち上がってしまうすみれさんという場面も、河村さんでしっかり現出されていて、この日も改めて酔うことが出来ましたし。

そんなふうにして、様々に移ろい、漂っていく「領域」の千変万化振りが、この日も極めて自然に可視化されていき、新潟で観た際と比べても見劣りすることもありませんでした。二見さんによる演出の変更と、しっかりとした基礎を共有する河村さんの奮闘に加えて、サポートする立場にまわったすみれさん、そして見事にカバーした他のメンバーたち。更にはスタッフの尽力もあったことでしょう。それらどれひとつ欠けても、作品の成否を左右した筈です。それだけを思っても胸が熱くなったこの日の二見作品でした。

中間部、メロウでセンチメンタルに響くスカルラッティを経て、テンポアップして、扇情的、挑発的にぐんぐん盛り上がっていく後半は、その圧巻の幕切れに至るまで、音圧とともに目を圧してたたみかけてくる迫力に、観る度、その都度、耳たぶが熱くなり、身中、どくどく滾る自らの血流を感じさせられずにはいませんでした。勿論、この日も例外ではなく。

こちらも鳴り止まぬ拍手とスタンディングオベーションが起こったことは言うまでもありません。

「領域」ダブルビル公演の大千穐楽だったこの日、まったく方向性を異にするふたつの作品からは、「舞踊」の奥深い世界や在り方を見せつけられ、「舞踊」が持つ力に組み伏せられてしまったと言えそうです。「超現実」だったり、「非日常」だったりする時空の懐に抱かれたことの幸福を噛み締めているところです。

この後、Noism Company Niigataとしては、いくつかのイヴェントを抱えてはいるものの、シーズン末まできたということで、すみれさんにはしっかり怪我を直して来季に備えて欲しいと思うものです。

来季、Noism Company Niigataはまた何を見せてくれるのか。完膚なきまでに圧倒されることを期待しつつ、今はその時を待つことといたします。

(shin)

瞬きするのも忘れて瞠目したNoism0 / Noism1「領域」新潟公演中日♪

前日の雨からも湿気からも解放されてはいても、文月朔日らしからぬ中途半端な気温などは、今度はどこかもの寂しくもあり、人とは随分勝手なものだななどと思うような一日、2023年7月1日(土)。

Noism0 / Noism1「領域」新潟公演の中日。前日に引き続き、2演目の舞台を堪能してきました。初日は全体を一望する席(11列目)でしたが、この日は最前列(3列目)から舞踊家たちの身体をガン見。瞬きするのも忘れて瞠目したため、ドライアイ状態になるも、そこは我慢。捩れる身体に翻る衣裳、上気した顔や迸る汗の粒などを大いに楽しみました。

舞踊演目の始まりと終わりや、更には舞台の正面性にさえ疑問を投げかけるかのような側面を宿しながら、金森さんと井関さん、ふたつの身体がともに領域を侵犯し合い、果てに渾然一体となった「じょうさわさん」を立ちあげつつ、落下を続ける古米のごとく弛みなく、舞踊を生きてみせる『Silentium』。

対して、舞台の正面性にこだわり、ソリッドでクールな格好良さにこだわり、編まれては解かれていく様々な関係性が、目まぐるしいがまでの舞踊の連打として、アクティングエリア上のあちこちに現れるのを目で追うことの快感に満ちた『Floating Field』、その愉悦。

ふたつの演目、この日も大いに満喫させていただきました。

終演後は金森さんと井関さんによるアフタートークがありました。やりとりは主に『Silentium』に関するものでした。かいつまんでのご紹介を試みたいと思います。

Q: 1対1の創作、逃げ場がなくて苦しくはなかったか?
 -井関さん: 黒部での野外公演後の一ヶ月、私にとっては地獄でした。
 -金森さん: 逃げ場要る?
 -井関さん: 要らないんですけど、ホントに逃げ場がない状況なので…。
 -金森さん: 劇場出たら、だらっとしてるじゃない。(笑)
 -井関さん: ふたりで創作する大変さ、目の前の人に向き合うしかない。公演前の一週間でやっと何かを見つけ始めた。
 -金森さん: よかったね。
 -井関さん: ハイ。
 

Q: 二見さんの作品、そして踊るメンバーを見てどう思ったか?
 -金森さん:  格好いいダンス、うまいなぁって感じ。 空間処理や、動く身体がどっちに流れて、重心がどう動いて…とか。 踊るメンバー、ガンバレ!
 -井関さん: 二見さんは素晴らしいダンサー。それを吸収しようとしている。いい関係だなと。しかし、舞台はその人が、その人の人生がそのまま出てしまう。その意味では、まだまだ若いなぁと思った。同時にまだまだ先がある。これからが楽しみ。
 -金森さん: ぶち壊せ!

Q: 衣裳のオーダーはどういう感じだったのか?
 -金森さん: 音楽を聴いてもらって、あの衣裳が来た。「何じゃあ、これ!?」びっくり、たまげた。もとは一枚の布。剥がして破いていく過程を見た。
 -井関さん: ホント狂ってますよね、興奮した。(笑)

Q: かけがえのないパートナーと踊ってどう思ったか?
 -金森さん: 特にない。もうあの時間は消えていて、言わば死んでしまっている。あれをご覧いただけてよかったなと。
 -井関さん: 皮膚から出てくる「ことば」凄い。滅茶苦茶出てきて、もの凄く速く「会話」している。踊っていて、(美しい意味じゃなくて、)導かれている。その「会話」が楽しい。

Q: あの金色はホントの金箔か?
 -金森さん: 箔押ししているが、本物ではない。
Q: 剥がれたりしないか?
 -金森さん: ちょっとずつ剥がれてきているが、いっぱい洗濯してくださいとも言われている。
Q: 汗とか大丈夫なのか?
 -金森さん: 着ていると暑いが、見た目以上に動き易い。但し、大事な皮膚が覆われているので大変。いつも以上に集中しないと。

Q: アルヴォ・ペルトの音楽を選んだのは何故か?
 -金森さん: 黒部での創作でペルトを聴き漁っていたら、「見えてきた」から。他に音楽を聴いていたら「降ってきた」のが、お米や壁。あの壁は『Der Wanderer-さすらい人』の壁。どちらも使い回し。(笑)

Q: 今回の照明について。
 -金森さん: 今回の照明のキューはペルトの繰り返される音楽に基づいて16回とまず決めてかかった。通常は30分で大体100キューに届くところ、今回は極端に少ない。みんなに「絶対に嘘」と言われたが。(笑) いつもは身体を起点として合う照明を作っていくのだが、今回は音楽に合わせて照明を入れていくことにしたもので、いつもの逆コースと言える。あと、最初に緞帳が閉まるのもそう、逆。
「振り」も音なしで作ったが、それは大変だった。踊っていて、いつも同じではない。ふたりで「この瞬間、ちょっと遅れているね」とかやっている。

Q: 井関さんの髪の色がさっき黒かったのに、今は金色だが…
 -井関さん: 衣裳の宮前(義之)さんが、「ふたりとも黒髪がいい」と言ってきたので、踊るときにはスプレーで黒くしている。終わったら、筋肉を落ち着かせるために水で冷やすのだが、そのとき、黒も落としている。落としておかないと大変なんで。

Q: 蝋燭の炎も印象的だが、使うと決めたのはあの金の衣裳が来てからか?
 -金森さん: 生の火、降り続けるもの、大きなものが降ってくることなどは衣裳が来る前から決めていた。あの金色の衣裳、宮前くんも音楽に共振したのだろう。

ざっと、こんな感じでこの日のアフタートークの報告とさせていただきます。

で、いよいよ明日がNoism Company Niigata、今シーズン最後の新潟公演となります。来シーズンには『鬼』再演など注目の公演も組まれていますが、まずは、明日です。もとい、書いているうちに日付が変わっていましたね。本日です。新潟公演楽日のりゅーとぴあ〈劇場〉の客席を大勢で埋めて、おのおのの熱い視線を舞台に注ぎたいものです。お初にご覧になる方も、二度目、或いは三度目の方も揃って熱演を目撃しに参りましょう。贅沢この上ない公演ですゆえ、見逃すのは大損ですよ。

(shin)

感性の領域を押し広げられずにはいない2演目-Noism0 / Noism1「領域」新潟公演初日♪

雲が垂れ込めた鈍色の低い空からはひっきりなしに雨が降り続け、湿度が高かったばかりか、時折、激しい風雨となる時間帯もあり、まさに憂鬱そのものといった体の新潟市、2023年6月30日(金)。しかし、私たちはその憂鬱に勝る期待に胸を膨らませて、19時を待ち、劇場の椅子に身を沈めたのでした。Noism0 / noism1「領域」新潟公演初日。

ホワイエにはこれまでの外部招聘振付家による公演の(篠山紀信さん撮影の)写真たちやポスター等が飾られていたほか、見事なお祝いのスタンド花もあり、それらによって、内心のワクワクは更に掻き立てられ、舞台に臨んだのでした。

開演時間を迎えると、顕わしになったままだった舞台装置の手前に緞帳が降りてきて、客電が落ちます。それが再びあがると、Noism0『Silentium』は始まりました。沈黙と測りあうような音楽はアルヴォ・ペルト。先日の黒部・前沢ガーデン野外ステージでの『セレネ、あるいはマレビトの歌』に続いてのペルトです。そして、数日前にビジュアルが公開された金色の衣裳は宮前義之さんの手になるもの。眩い金一色に身を包んだ金森さんと井関さん。久し振りに髪が黒くなった井関さん、たっぷりした衣裳の金色も手伝って金森さんと見分けがつかなくなる瞬間も。そのふたりが絡み合い、動きに沈潜していくと、2体だった筈の身体領域は溶け合い、ほぼ一体化してしまい、もはやふたりには見えてきません。それは「じょうさわさん」と呼ばれるのが相応しいほどで…。おっと、まだまだ書きたいのですが、ネタバレみたいになってもいけませんし、これがギリギリ今書ける限度でしょうか。ただ一言。観ている側も己の感性の未踏の領域を逍遥せしめられるとだけ。

15分の休憩を挟んで、ノイズが轟くと、二見一幸さん演出振付のNoism1『Floating Field』です。こちらは以前の公開リハーサルで全編通しで見せて貰っていたのですが、照明と衣裳があると、(ほぼ身体だけを用いることは変わらないのに、)やはり格段にスタイリッシュで、実に格好いい仕上がりになっていました。そして小気味よく心地よい動きの連鎖や布置の更新の果てに何やら物語めいたものが立ち上がってくるかのようにも感じられます。随所で、脳内の「快」に関する領域(扁桃体)をくすぐり、ドーパミンの放出を迫ってくる憎い作品と言えるでしょう。

そしてこの日はアフタートークが設けられていて、地域活動部門芸術監督・山田勇気さんと二見一幸さんが登壇し、『Floating Field』に関して、主に客席からの質問に答えるかたちで進行していきました。なかから、いくつか、かいつまんでご紹介します。

Q: 誰がどこを踊るかはどう決めたのか?
 -A: 直接、触れ合ったなかで、ワークショップの様子などを観察して決めた。

Q: 二見さんの「振り」・動きはどうやって出てくるのか?
 -A: まず適当に音楽をかけて、即興で動きを作っていく。そのなかで、伝えら
れないものは排除して、相手の舞踊家に「振り」を渡して、キャッチボールするなかで、刺激されながら作っていく。
音に合わせている訳ではなく、音と関係ないところで作っていくが、そのうち、音が身体に入ってきて、自然と合っていく。 

Q: 作品を作るときに信条としているものは?
 -A: 自分のやりたいと思ったものが心に訴えかけるものでないこともある。客観的に判断して、独りよがりにならぬよう修正・変更したり、変えていく勇気を持つこと。

Q: 井関さん曰く、「金森さんと共通性がある」とのこと。どこだと思うか?
 -A: グループを組織して牽引していることから、メンバーを活かすことやタイミング的にどういったものを踊ったらよいか考えているところかと思う。

Q: Noism1メンバーの印象は?
 -A: 踊りに対して向き合う姿勢がプロフェッショナル。と同時に、ふとした瞬間に、可愛らしい人間性が垣間見られた。一回飲みに行きたかった。(笑)

Q: テーマ「領域」について
 -A: まず、二見さんが送ってくれた「演出ノート」があり、金森さんも同様に、お互いに作りたいものがあり、そこで共通するものとして「領域」と掲げた。
舞台の空間(領域)において発表することを前提に、Noism1メンバーのコミュニケーションの在り方、繋がり、意識、身体を用いて、最後は天昇していくイメージでクリエイションを行った。

…とそんな感じだったのでしょうか。最後に、山田さん、「二見さんはご自分でも格好いい踊りを踊る」とし、更に「(二見作品は)その日によって見え方も変わってくると思う。まだチケットはありますから、また見に来てください」との言葉でこの日のアフタートークを結ばれました。

あたかも「万華鏡」のように、舞台上の様々な場所で動きが生まれ、踊りが紡がれて、様々に領域が浮遊するさまを楽しむのが二見作品『Floating Field』だとするならば、金森さんと井関さんがそれぞれ領域を越境し、侵犯し合い、「じょうさわさん」と化して展開する一部始終に随伴することになる金森作品『Silentium』。畢竟、いずれも観る側の感性の領域は押し広げられて、見終えたあとには変貌を被った自らを見出すことになる筈です。

「ホーム」新潟での残り2公演、お見逃しなく!

(shin)

金森穣『闘う舞踊団』刊行記念 金森穣×大澤真幸(社会学者)トークイベントに行ってきました!

『Der Wanderer-さすらい人』世田谷公演の余韻も冷めやらぬ2月28日(火)、東京・青山ブックセンターで開催された金森さん・大澤さんのトークイベントに行ってきました♪

ほぼ満席の会場。黒のステキなジャケットで登壇の金森さん! あのプリーツは!?
そう、宮前義之さん(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE)のデザインです!
(ちなみに次の、Noism0・1夏の公演「領域」https://noism.jp/npe/noism0noism1-ryoiki/ でのNoism0衣裳は宮前さんですよ♪)

世田谷公演の裏話があるかなと思いましたが、それは全く無くてちょっと残念。司会者はいないので、最初は大澤さんが進行役のような形で始まりました。
大澤さんの机には付箋がたくさん付いた『闘う舞踊団』が置いてあり、 金森さんも気になる様子でしたが、付箋箇所を開くわけでもなくお話が進みます。

トーク内容はとても書ききれませんので、だいたいの流れに沿って簡単にご紹介します。

大澤:
・金森さんは、劇場に専門家集団がいて世界に向けて芸術文化を発信したいと思っているのに、足を引っ張る人がいて苦労している。
・芸術活動は何のためにあるのか。金森さんには確信があるが、他者はピンと来ていない。
・スポーツは見ればわかるが、芸術はそうではないので受容する素地(文化的民度?)が必要。
・日常を超えた真実があるかどうか、世界が違って見えてくるのが芸術。
・芸術は感動。快いと感じるものだけではなく、不安をおぼえるようなものも含めた心が揺らぐ体験。

金森:
・時代によって世の中が芸術に求めるものが変化している。
・自分はかつては、既存のものを壊して新しいものを立ち上げたいと考えていた。それができないのは自分に力がないからと思っていたが、そうではない。
・自己否定ではなく、意識を少し変える。微細な意識変容で見えてくるものがある。
・少しずつ世界をずらしていく。

大澤: 舞踊芸術の価値は日本では伝わりにくいのではないか?

金森: そんなことはない。日本には海外の一流のものがたくさん来ていて、観客は目が肥えている。そういう見巧者の感性に肉薄できるかどうか。環境が整えば日本でもできる。

大澤・金森: 見たことによって心が豊かになるのが芸術の力であり価値。

大澤: 90年代は多分野の人たちが集まって話をすることが結構あったが、最近は専門分野に分かれてしまっている。金森さんはいろいろな分野の交点になるような触媒になれるのでは? しかも東京ではなく新潟で。

金森: 新潟では対談企画の「柳都会」をやっているが、それとはまた違うことと思う。既存の文化の体制を変えたい。
・問題意識として、自分の同世代は40代、50代になり、老いや老後のことを考え出している。しかし今からでは遅い。20代の頃から考えなければならない。そのためにもこの本を読んでほしい。

大澤: この本を読んで、金森さんが100年スパンで考えていることに驚いた。そして自分は最初の方をやると書いてあることに感動した。
・舞踊は普遍的、本質的なもの。言語の前に音楽やダンスがある。言葉により日本では能が発展し、後に西洋のものを輸入していくようにもなる。
・集団を率いるというのは羨ましい。

金森: 集団は大変。一人だと楽だろうなと思う。

大澤: 静岡県のSPAC芸術総監督・宮城聰さんの苦労はよく知っているが、金森さんは宮城さんより大変だと思う。

金森: そんなことはない。自分ができたことは環境があればみんなができる。行政の人にはいい人もいる。
・カンパニーの維持や金銭問題についてはベジャールやキリアンでさえ苦労していた。

*このあと大澤さんは、吉本隆明と高村光太郎がどのように戦争と関わったか、転向論について話され、日本のどこに問題があったのか。知識人は大衆から遊離、孤立し、その孤独感に耐えられなくて転向する等、お話がどうなるのかと思いましたが、最後にはぐっと引き寄せて、
「金森さんは、一般の感覚と西洋のものの間に何とか連絡をつけて日本の文化として定着させたいとしている」とまとめてくださいました。

大澤: 感染症やウクライナ、核など、世界が迷っているこの時代に、日本はただ世界の後に付いていくだけ。
・感受性に対して揺らぎを与える芸術こそが役に立つ。
・少しずつ物事の見方を変えていく。
・金森さんは劇場文化の困難な道を進んでいる。

金森: そんな大層なことではなく、ちょっとやり方や使いみちを変えれば実現できること。
・劇場はもっと別な使い方をした方がよい。劇場のあり方に自分の人生を賭けている。
・ヨーロッパにいた時も、帰国してからも自分は移民・アウトサイダーだが、日本も新潟もアウトサイダーをうまく活用できるかどうかがカギ。

大澤: アウトサイダーがどのように文化を豊かにするか。
・金森さんは思春期~青年期に日本にいなかったので、日本人として社会人にならなかったのがよかった。
・ムラ社会に取り込まれなくてよかった。

金森: 日本は島国だから。でも外来文化を受け入れるマレビト的な考え方もある。
・自分は運がいい。危機的な時に限って決定的なことが起こる。助けられるとやらなくちゃいけない。

*大澤さんが終始「金森さんがやってきたことは、苦労、不可能、困難、難しい」等々を連発するので、金森さんは「それを言うのをやめてほしい」とことごとく談判! 
その結果、「金森だからできた。ではなく、金森ができたのだから他の人もできる」という共通認識になりました。

金森: 誰でも楽勝!
・時間とお金を使って観るだけの価値があるものを提供するのが劇場。

*時間になって一応トークが終わり、質問コーナーでは、東洋性と西洋性との折り合いについて、つらかった時期の解決法、新体制について等の質問がありましたが、『闘う舞踊団』にも書かれていますのでどうぞお読みください。

Q: 国の文化政策の課題は?という質問に対して、
金森: 確かに他国と比べて国の芸術予算は少ない。
でも(東京は劇場が減ってきて、人口に対して劇場の数は多くはないが)、他の地域は劇場(ハコ)もあるし、補助金も出る。
ハコも予算もあるのだから、少し考え方を変えるだけでやっていけるのではないか。
国の芸術予算は無駄な支出が多いと思う。官僚の皆さんは頭がいいのだから、補助金の出し方も踏襲のみではなくて考え方を変えたらいいと思う。

お話はだいたい以上です。割愛だらけで申し訳ありません。
トーク内容は、本に書いてあることもたくさんありましたので、どうぞお読みくださいね♪

最後に金森さんのひとこと: 一人ひとりが唯一無二。わかり合えないのが大前提。

やはり苦労してますね~
おつかれさまでした♪

トークのあとはサイン会があり、井関さんの臨時サイン会もあったようですが、私は日帰り参加のため残念ですがトークのみで直帰しました。

会場では、東京の友人知人に会えましたし、夕(せき)書房の高松さん、金森さん、井関さん、山田さん、浅海さん、三好さん、糸川さんに挨拶できてよかったです♪

(fullmoon)

【インスタライヴ-14】前回、佐和子さん受賞の裏で…穣さん、謎のブルゾン…諸々もろもろ

2021年5月2日(日)21時から行われたインスタライヴは前回から約2ヶ月振り。前回は佐和子さんの芸術選奨文部科学大臣賞受賞が発表された翌日のライヴでしたが、その裏で、今度は穣さんに纏わる、喜ばしい「大人の事情」を抱えていたとは!

 *穣さん、紫綬褒章受章に関して

  • 「びっくりした。紫綬褒章?あれ、どういうやつだっけ?」みたいな感じ。(穣さん)
  • 前回のインスタライヴ前日17時に佐和子さんの受賞が公表解禁。携帯を手に喜びの穣さん、twitterにあげた直後、課長から一報が入り、佐和子さん後転。そこから約2ヶ月。
  • 今もまだ実感ない。何も状況は変わらないから。嬉しいことは嬉しいんだけど。そのうち、あそこから新しい章が始まったんだなという認識はくるのかなと漠然と思っている。(穣さん)
  • 周りの人が喜んでいる姿がいいなぁと思った。(佐和子さん)
  • 知ってもらうきっかけになることは有難い。(穣さん)
  • 「他言して漏れたら、内定取り消しの可能性もあります」の通達もあり、周りはヒヤヒヤしていた。(穣さん)

 *忙しかったこの2ヶ月

  • 3月、東京バレエへの振付の第1回クリエイション。(10日間):Noism以外への新作振付。緊張感もあったが、斎藤友佳理さんをはじめ、物凄くウエルカムな体制にして貰って嬉しかった。
  • 戻ってきて、Noism1メンバー振付公演(3/27、28):芸術監督の仕事(オーダー決め・時間配分等)を山田勇気さんに任せて、穣さんと佐和子さんは本番だけを見た。「初日、楽しかった。みんながやりたいことを追求したなという感じ」(佐和子さん)(←佐和子さんは基本、褒めないのに。一方、穣さんはけなすこともあるが、褒める。)
  • 春休み:高知への凱旋帰省。高知市長を表敬訪問。温かい歓迎。
  • Noism2定期公演vol.12:10年振りの振付。「大変だった」(ふたり)「みんな頑張った。舞台上で良くなってくれたから、それは嬉しかったけど、まあ、大変だったね。何が大変って、若いから、自分がどれだけ出来るかまだわかってないじゃん。『まだいける!』と声を掛けなければならない、マラソンで併走するしんどさ」(穣さん)「エネルギーが吸い取られる」「でも、食らいついていこうとする気持ちはあったし、3日間でどんどん変わっていくのが観られたし良かった」「俯瞰でカンパニーを見ていたら、Noism1のメンバーたちが教え始めていたし、Noism2のメンバーたちも有難く受け取っていたし、そういう先輩・後輩みたいなのが出来てきた方が良い」(佐和子さん)15分休憩の間、約3分位でリノリウムを白から黒に張り替えたり、照明を手伝ったり、色々な仕事を経験できたのは、Noism1メンバーにとっても良いことだった。「みんなで一緒に何かやるのは楽しい。みんなで『ああだ、こうだ』言いながら、野球とかやりたい。監督じゃなくて」(穣さん)

 *穣さんの「謎の」ブルゾンのこと

  • 宮前義之さんとISSEY MIYAKEのエイポック・エイブルのチームの方々からのお祝いの品、TADANORI YOKOO・ISSEY MIYAKEの “KEY BEAUT.Y.”。 横尾忠則さん好きの穣さんが欲しがっていたもの。めっちゃ派手で、「新潟市で着ている人は多分、俺しかいない」「新潟の原信でこの服を見かけても声を掛けないでください」(笑)(穣さん)
  • 佐和子さんからのプレゼントはエイポック・エイブルのジャケットとパンツ(ユニセックス)。着心地良いし、水洗い可能。(この日、パンツを着用。)

 *再び「紫綬褒章受章」に関して

  • 17年間のNoismの活動が評価された。この国の芸術・文化への寄与。
  • 集団性・集団活動の良さ。
  • 「人は入れ替わるが、17年間、ここ(Noism)を通っていった人が作った。Noismの集団性が残っている」(佐和子さん)「たとえ3ヶ月とかであっても、この子がいたっていうこと、痕跡、残影っていうものが記憶のなかに残っているし、Noismのスタジオ、集団のなかに、無自覚・無意識のレベルで残っていて、新しく来る子はそれ、その気配を感じて、一員になっていく」(穣さん)「それがある意味、歴史なのかもしれない」(佐和子さん)「そうね。だから、時間がかかるんだよね、それは」(穣さん)
  • 「目指してきたものが現実のものになり始めているのが、嬉しい」(穣さん)
  • 「今回頂いたものが何かの始まりになるんだとすれば、それはもうちょっと後なんだろうね」「いつも応援してくださっていて、『もっと認められていいのに』と思っている方たちが自分事のように喜んでくださっているとわかるのが、何より嬉しい」(穣さん)
  • コロナ禍で天皇への拝謁はなし。月末に伝達式はある予定ながら、同伴者不可、平服。

 *身体は筋肉痛、頭のなかも大変なことに…

  • 穣さん、絶賛振付中:①サラダ音楽祭(お披露目できるかどうか未定)、②小林十市さんとのDDD、③春の祭典、④夏の名残のバラ、⑤冬の公演、と頭の中に5つの違う公演のプログラムがある状況は今までにない。
  • 佐和子さんはふたつの作品ながら、似ている身体性のため、ほぼ同化し始めている。
  • 「でも、舞踊に打ち込める環境にあるから、ヒイヒイ言いながらもそれを楽しむしかない」(穣さん)「全然全然、それは。朝、起きれないだけで、楽しいです」(佐和子さん)

 *これから…

  • 「変わらないです、何も。まだまだ戦い続けるし、多分、まだまだいっぱい失敗して、いろんな反省もして、これからもそれは変わらないんじゃないかと思う。何を失敗しても、何か大切なことがあって、自分が信じていることがあって、そこだけは目指し続けていきたいので、引き続き、宜しくおねがいします。頑張りま~す。有難うございま~す」(穣さん)

…と、そんな感じでしたでしょうか。盛り沢山で充実のトーク、是非ともアーカイヴにて全編をご覧下さい。それでは、この場はこのへんで。

(shin)

山野博大さん追悼(1):Noism芸術監督対談「舞踊を語る!」(金森穣×山野博大)再掲

初出:サポーターズ会報第29号(2016年6月)

*さる2021年2月5日に惜しまれながら急逝された山野博大さん。生前、サポーターズの会報に掲載させていただきながら、その後、本ブログには再掲せずにいたものがふたつありました。この度、感謝と追悼の気持ちを込めまして、それらを掲載させていただくことに致しました。まずは金森さんとの対談(2016年3月)からお届け致します。深い内容を熟読玩味頂きますとともに、在りし日の山野さんを偲ぶよすがとなりましたら幸いでございます。 (shin)

* * * * *

春まだ浅い2016年3月22日。

舞踊評論家の山野博大さんを東京から新潟にお招きし、りゅーとぴあで金森芸術監督と対談していただきました。

お話は舞踊批評を中心に、舞踊の歴史とメソッド、海外との文化比較、劇場専属舞踊団の存在意義、そして劇的舞踊『ラ・バヤデール-幻の国』の創作秘話まで多岐にわたり、和気藹藹とテンション高く進みました。

photo by Ryu Endo

劇場

金森 今日はよろしくお願いします。

山野 こちらこそ。先ほど、館内を案内していただいて劇場やリハーサルを見せていただきましたが、なかなかいい環境だね。だけど、劇場のステージはもう少し奥行きがあるといいね。

金森 そうなんですよ。さすがよくわかってらっしゃる。奥行きがないのはなかなか大変です。やはり日本の劇場は建てる時にそこを使う専門家集団が不在のまま建てているので、どうしてもその辺の問題は出てしまうでしょうね。

山野 どこの劇場もそうなんだよね。建築家にも劇場に来てもらえるといいね。

金森 そうですね。

山野 帝劇っていう劇場があったでしょ。

金森 日本バレエ発祥の。

山野 そうそう。あそこを最初に建てたときに、歌舞伎もやりたいというニーズがあって、タッパをちょっと低くして間口を広くした。だから他のものをやるにはバランスが中途半端なんだけど、その後出来た劇場は、みんなそこを真似て造ってるんだよね。1970年くらいまでの公的ホールは全部その寸法。その後は外国のものを観る人も出てきて、縦長のものも増えましたけど。

金森 なるほど、帝劇モデルだったんだ。

山野 その帝劇は今はもう無いんだけどね。

金森 帝劇から日本の洋舞は始まってますもんね。

山野 そうそう。帝劇はそこだけ除くと他は素晴らしい劇場だったね。

舞踊批評

金森 そもそも山野さんは何故、批評を始めたんですか?

山野 中学2年生のときにね、バレエ団で踊ってる同級生がいて、それを観に行ったんですよ。そしたら、「これはなかなか面白い」と思った。面白いと思ったら、自分がやるのが普通でしょ。ところが、その同級生が稽古で学校へは出て来れないし、留年しちゃうし、大変でね。それで「こりゃ、やるより観るほうがいいな」と思っちゃったわけですよ(笑)。そこから観始めて、大学2年生のときに批評家になりました。アントニー・チューダーのライラック・ガーデンでノラ・ケイを観たときに、それまでクラッシック・バレエっていうのは“こういうものだ”という固定観念で観ていたのが全く違う世界に出会って衝撃を受けた。「舞踊とはここまで表現できるものなんだ!」と。ならば一生この世界で生きてもいいなと思ってね。

金森 中学校の同級生の公演を観に行って以降というのは、その方の公演とかをご覧になっていたんですか?

山野 いや、外国から来たものはなんでも観に行ったりしながらのめり込んでいきました。新聞に投稿したりとかしてね。当時は一般的に男の子が舞踊を観に行くということに対して、否定的でしたからね。

金森 そうでしょうねぇ。

山野 うちの場合はね、母親が芸事が大好きで理解があったんですよ。観に行くことに反対もされなかったし、チケットも買ってもらえた。そんななか、次第に趣味の域からは離れていきましたね。あるとき、図書館で本を読んでいたら、学校の先輩が「君、バレエの本を読んでるみたいだけど、興味があるの?」と声をかけてきてくれてね。当時はコピー機がないから書き写しをしていたんだけど、「その本なら家にあるから遊びにおいで」って言ってくれた。

金森 そのエピソード、山野さんの本(「踊る人にきく」三元社)に書いてありましたね。

山野 そうそう。それがきっかけで日本を代表する大評論家の光吉夏弥さんの家に通えるようになったんですよ。光吉さんに当時自分が書いた評論を見せたら、「これは中学生の作文だ。批評というのはちゃんとルールがあって書くんだ。感想文じゃないんだ」って言われた。「批評の第一は“舞台で何が行われていたのかを正確に書く”こと。その次に“批評”がくる。そうでなければ、その人がどう観て評価しているのかわからないじゃないか」と。しかも「歴史的な流れがどうあって、今ここがあるのかを理解していないと批評というのも意味がない」と言われてね。観てることをちゃんと書いて、それが歴史的にどうなのかというところも理解した上で自分の意見がどうなのか。批評というのはそういうふうに書きなさいと言われましたね。

金森 素晴らしい方にお会いしたんですね。そのような批評は、残念ながら日本ではなかなか目にしませんね。 “舞台上で何が行われていたか”だけか、“自分がどう感じたか”だけのものが多くて、その間が無い。歴史を踏まえた上でどうなのかというところは専門的知識がないと書けないものだとは思うんですが。

山野 だからね、批評家になるには少なくとも10年は観てないと、批評家って看板はかけられないんですよ。今を批評するならば、それ以前のことを把握し、理解を深めて自分の知識を補強していかないとならない。

金森 そうですよね。バレエでもなく現代舞踊でもないNoismがやっているような表現を、何舞踊というのか、山野さんに名称を考えていただきたいな。コンテポラリーという名称は嫌なんですよ。消費文化の象徴のようで。コン、テンポラリーじゃないですか。テンポラリーって一時的なものですよね。今の批評家のお話じゃないですけど、歴史性を踏まえてこれから何をするかと考えていくときに、自分の世代、育ちにおいては、やはり洋舞の影響なしには語れません。ただアイディア的に面白いとか、一時的なものではなく、バレエや現代舞踊、また、日本舞踊や舞踏など日本のなかで培われてきた歴史的身体の知識みたいなものと、自分がヨーロッパで学んできたものなど全部を活かして日本の21世紀の舞踊スタイルとして何かを残したいと考えています。

photo by Ryu Endo

舞踊の歴史とメソッド

山野 洋舞が一番影響を受けているのは、日本舞踊だと思うんですよ。我々日本人の立居振舞いを基本にして出来ているからね。日本舞踊が歴史的に培ってきたものをもっと使えばいいと思う。

金森 日本舞踊って型があるじゃないですか。稽古はどのようにしているんですか?

山野 稽古のメソッドはないんですよ。

金森 ないんですか?

山野 日本舞踊というのはね、先生と弟子が1対1で相対して、先生が三味線弾いて、振りを写していくんです。

金森 集団で稽古をしないんですか?

山野 振りを写していくのが稽古。つまり、日本舞踊って「システム」じゃないんです。作品集なんですよ。

金森 なるほど。でも上達はどのように見ていくんですか?

山野 師匠によって良し悪しが下される。エリアナ・パブロワが日本で最初にクラッシックバレエを教えたんだけど、それは日本舞踊と同じやり方で教えていた。

金森 パブロワが何の規範もなく、いいとかよくないとか言うわけですか。

山野 そう。つまり、パブロワはバレエ団に属していませんでしたからね。

金森 そうですよね。そこですよね。

山野 パブロワは貴族で、先生を家に呼んで教わっていた。貴族が没落して、日本に流れてきてバレエを教えながら生活していたんだね。その後、オリガ・サファイアという人が日本に来て、理論と技術を日本に伝えた。そこで初めて世界のバレエと日本が繋がったんだね。

金森 日本に初めて来たバレエ団がロシア系だったわけで、バレエと言えばロシアというところがあったし、新国立劇場ができたときにも最初にロシアのスターを招いていた。それはオリガ・サファイアからの影響だと思うんですが、なぜ日本のバレエ界は日本のバレエのメソッドを創らなかったんでしょうね。

山野 日本のバレエのメソッド…創れないですよ。

金森 創れますよ! デンマークだってブルノンヴィルが創っているし。フランスだって、イタリアだって、イギリスだってそうだし、アメリカだってバランシンの影響があるにしてもアメリカのバレエだなって感じがするじゃないですか。日本は何故いつまでも海外の真似をして、海外のスターを呼んで公演をしているんでしょう。

山野 つまりはね、海外に繋がっていることで日本というのは評価される。

金森 そう! それが情けなくてしょうがない。

山野 う~ん。そこが日本なのね。でもね。バレエの歴史というのは500年あるわけよ。

金森 そうですね。

山野 日本のバレエの歴史っていうのは、まだ100年ほどなんだよ。無理だよ、まだ。

金森 なるほど。これからですかね。

山野 これからは、あなた方の番だね。やらなきゃならないね。

劇場専属舞踊団

山野 日本のバレエというのはね、スタートがそうだったから、なかなか劇場でバレエをやるというスタイルになってこなかったんですよ。だから、日本のバレエ団は個人名がついているわけ。海外でね、個人名のついているバレエ団は少ない。

金森 そうですね。海外では結局、劇場がその国や街の文化政策として運営されているから、その劇場専属の舞踊団も当然その国や街の名前が付けられていますね。

山野 向こうは劇場に舞踊家が棲んでいるわけですよ。日本みたいに個人がバレエ団を創って、劇場を借りてやるんだということを考えた人は、世界でディアギレフが最初。日本はずっとディアギレフ・スタイル。

金森 でも、ディアギレフは天才的なプロデューサーとして、すごい芸術家たちを集めてやっていましたよね。日本の舞踊団はバレエ団のトップの方がいなくなると成り立たなくなってしまう。

山野 そういう在り方は世界では非常識で、劇場についてるバレエ団というのが常識なんですよ。そう考えると、りゅーとぴあに在るNoismっていうのは世界の常識に適っているわけだよね。日本では他に新国立劇場しかない。やはり、それ以外にも公的なところが舞踊団を持とうとして劇場を提供してくれるようなシステムが出てこないと世界と伍していけないわけよね。

金森 なんでできないんですかね。

山野 まだまだ、世間の関心が低いんですよ。

『ラ・バヤデール』平田オリザ脚本

山野 今回の『ラ・バヤデール』では平田オリザさんが脚本を書いているということですけど、平田さんとはどういう関係性があったんですか?

金森 2年前の夏に演出家の鈴木忠志さんが拠点とされている利賀村の演出家コンクールで審査員を依頼された際に、平田さんが審査委員長でしたから、お会いしたんです。初めてお会いしたのはおそらく10年近く前だと思うのですが、ゆっくりとお話ししたのはそこが初めてでした。利賀村に入っていると演劇を観る、あるいは食事をする以外の時間は空いていますから、そこにいる専門家たちと非常に密な話ができるわけです。そんななかで平田さんにどんどん興味を持つようになって、「いつかNoismのために脚本書いてください」って言ったら、「いいですよ」と言ってくださって。

山野 平田さんの芝居は観たことあるの?

金森 稽古を見せていただいたことはありますが、舞台はまだ生では無いです。映像で観て感銘を受けたのと、書かれた本を幾つか読んでいます。でも、平田さんの演劇的なものをNoismで表現したいということではなく、彼の論理的構築の仕方や政治に深くコミットしているところに強く関心を持ちました。“なぜ平田オリザだったか”と言えば、やはり「政治」というキーワードですね。新しく劇的舞踊を考えるにあたり、社会的なことを盛り込まないといけないと感じた。今、我々が直面している社会的な問題や課題をもとにした戯曲を書くために、シンプルに深い洞察ができる人っていうのは、やはり平田オリザさんだな、と思ったんですね。そしたら、もう想像以上の脚本が来ました。今、まさに考えるべきことだし、創るべきものだし、皆さんにお届けするべき物語になりましたね。

山野 なるほど。

金森 平田さんは、要望があれば書き直すし何かを加えたいという希望もウェルカムだからと言ってくださいました。なので、結構自分のアイディアも盛り込んでいただきながら、今、第6稿まで詰めていただきました。

山野 そうなの! すごいねぇ。

金森 ありがたいです。

山野 そういうやりとりがあるというのがいいね。音楽や美術や照明など、その他の要素というのはどういうふうに?

金森 衣裳を宮前義之さん、空間は田根剛さん、木工美術を近藤正樹さん、そして今回は新たに笠松泰洋さんに音楽の部分をお願いしています。今回の創作にあたり、やはり彼らだなと強く思いました。彼らが『ラ・バヤデール』の物語を通して、今の時代の課題をどう考え、表現するのかに興味があります。世界的な視座を持って活動している同時代の信頼できるクリエーターたちですね。

山野 なるほど。楽しみですね。

金森 ありがとうございます。楽しみにしていてください。

(2016.3.22/りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館)

(取材・文: fullmoon / aco ) 

PROFILE  |  やまの はくだい

舞踊評論家。1936年(昭和11年)4月10日、東京生まれ。1959年3月、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1957年より、新聞、雑誌等に、公演批評、作品解説等を書き、今日に至る。文化庁の文化審議会政策部会、同芸術祭、同芸術団体重点支援事業協力者会議、同人材育成支援事業協力者会議、日本芸術文化振興基金運営委員会等の委員を歴任。文化勲章、芸術選奨、朝日舞台芸術賞、橘秋子賞、服部智恵子賞、ニムラ舞踊賞等の選考、国内各地の舞踊コンクールの審査にあたる。舞踊学会、ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク、日本洋舞史研究会等に所属。日本洋舞史を舞踊家の証言で残す連続インタビュー企画《ダンス=人間史》の聞き手をつとめる。《舞踊批評塾》主宰。インターネット舞踊批評専門誌「ダンス・タイムズ」代表。舞踊関係者による《まよい句会》同人。2006年、永年の舞踊評論活動に対し、文化庁長官表彰を受ける。NoismサポーターズUnofficial会員。2021年(令和3年)2月5日永眠。享年84。

『ASU~不可視への献身』の衝撃

山野博大(舞踊評論家)

初出:サポーターズ会報第27号(2015年6月)

 Noism1の横浜公演で金森穣の新作『ASU~不可視への献身』を見た。この作品は、*前年12月19日に本拠地のりゅーとぴあで初演したものだ。第1部が「Training Piece」、第2部が「ASU」という2部構成だった。

【註】*「前年」=2014年

 「Training Piece」は井関佐和子をはじめとする11人のダンサーが踊った。幕が開くと、全員が明るい舞台に等間隔で寝ている状態が見えた。ひとりひとりのダンサーが個々のシートに寝ているような、照明の効果があり、これはどこかのスタジオでのレッスンの風景のようだった。寝たままゆっくりと両腕を動かすところから、トレーニングが始まった。バレエのバー・レッスンは直立した肉体に対するトレーニングだが、ここではそれを寝たままの状態で行い、そこへさらに新しい要素を加えた。後半は白っぽい上着を脱いで、カラフルな衣装(ISSEY MIYAKE所属の宮前義之のデザイン)になり、フロアー全体を使ってのトレーニングとなった。

 ダンスのトレーニング・システムは、作品で使われるおおよその動きを予想した、そのダンス固有のテクニックの集大成であり、普通それは観客に見せない。しかし、ここではまずNoismダンスの種明かしが行われたかっこうだった。これと同様のことを、かつて伊藤道郎がやっていたことを思い出した。彼は『テン・ジェスチャー』という伊藤舞踊のエッセンスを作品化していて、それをダンサーのトレーニングに使うばかりか、しばしば観客にも披露した。

 第2部の「ASU」は一転して暗い舞台だった。灯火を掲げたダンサー9人が登場した。黒を基調とした、個々別々の衣裳をまとい、前半のはなやいだ雰囲気と一線を画した。舞台奥には木材を加工して作った大きな樹木のようなもの(木工美術=近藤正樹)が寝かされていた。舞台には、Bolot Bairyshevの「Kai of Altai/Alas」が鳴っていた。これはアルタイ共和国に伝わるカイ(喉歌)という種類の音楽だそうだが、私には太棹の三味線を伴奏に太夫が語る、日本の義太夫のようにも聞こえた。

 しだいに明るくなった舞台で、9人のダンサーたちが動きはじめた。その動きは今まで見たNoismのものと、大きく異なった。そこには今の時代の日常の人間関係から、歌舞伎や文楽などに残る義理人情の世界まで、いろいろなものが混ざり合っていたと、私は直感的に受け取った。日本では、20世紀初頭に西欧の動きを取り入れて「洋舞」とか、「現代舞踊」と称するものを生みだし、それを育ててきた。しかし「ASU」はそれらとはまったく異なる別の世界だった。

 戦前からの石井漠、高田せい子、江口隆哉、檜健次ら日本の現代舞踊の始祖たちは、とぼしい海外からの情報を足掛かりとして、そこに日本古来の動きを加味して「日本の現代舞踊」を作った。それは敗戦を契機としてアメリカからもたらされたマーサ・グラーム、ホセ・リモン、マース・カニングハムらのアメリカン・スタイルのモダンダンスに一蹴されたかに見えた。しかしバレエやコンテンポラリー・ダンス、そして日本古来の舞台芸能などと協調しながら、この日本に今もしぶとく生き続けている。

 舞台ではカイ(喉歌)の音が鳴り続け、近藤正樹の樹木のオブジェが大地に立った。そこで宮前義之の、いかにも動きやすそうな衣裳をまとったダンサーたちが金森穣の創り出した動きに専念した。彼は今の時代の西欧のダンスを習得して帰国し、新潟でNoismを立ち上げた。そこで西欧のダンス・カンパニーと同様の公演の形態を日本の土地で実現させようと、創作にはげんだ。彼の目は世界へ(西欧へ)と向いていた。

 しかしこんどの『ASU~不可視への献身』で、彼の目は別の方角を見ていた。とつじょ彼の中から「西欧ではないX」が噴出したのだ。現代の日本は、アジアに位置しながら西欧のものを生活の中に大量に取り入れ、アジアよりは欧米に近い日常を作り出している。昔から日本人は海の外からやってくるものに異常な関心を示し、いろいろなものをどんどん取り込んで「日本」を作ってきた。しかしいつも向こうのものをそのまま取り込むことはしなかった。たとえば、紀元前に北部インドで釈迦がはじめた仏教は6世紀頃に日本へ伝わったが、それから1500年が経ってみると、すっかり日本化して、元のものとはだいぶ様子が違う。また政治、経済のシステムにしても、海外のものを取り入れたはずにもかかわらず向こうのものと同じと言えない状況であることは周知の事実だ。それと同じようなことがいろいろな分野で起こり、今の「日本」が出来上がっている。

 かつて日本は、わずかな情報をもとに「洋舞」を作りだした。しかし世界の情報がリアルタイムで入ってくる現代にあっては、向こうのやり方をそのまま持ち込めば、それでよし。「日本らしさ」は、そこに自然に現われてくるものという考えが一般的となった。金森穣も、今まではこの「自然ににじみ出る日本らしさ」を作品の柱にしてきたと思う。それがこんどの『ASU~不可視への献身』で一変した。長い時間をかけて日本に蓄積した「動き」のニュアンスとでも言うべきものに焦点をあて、それそのものを作品化したのだ。

 私はこれを見る直前に、国立劇場で四国の土佐に伝わる古神楽の舞台再現に立ち会っていた。そこでは日本芸能の古層が随所に姿をあらわした。それを見たのと同じ感覚を、直後に金森作品から受けるとは思ってもみなかった。彼は日本の歴史の古くからの蓄積物に手をつけてしまった。これ以後は「自然ににじみ出る日本らしさ」だけで作品を作れない時代となるだろう。とんでもないものを見てしまったという思いが心中に広がった。

サポーターズ会報第27号より

(2015年1月24日/KAAT神奈川芸術劇場ホール)