言葉を使うことで危険な領域に踏み込んだ劇的舞踊第3作『ラ・バヤデール~幻の国』

山野博大(バレエ批評家)

初出:サポーターズ会報第30号(2017年1月)

 舞台の床に照明を当てて、中央に本舞台、両サイドに花道風の出入りスペースを設定した空間がひろがる。中央に能の道具を思わせる何本かの木材が立つ。老人ムラカミ(貴島豪)が登場して、マランシュ国の偽りの発展とあっという間の滅亡の過程を語りはじめる。Noismの劇的舞踊第三作『ラ・バヤデール~幻の国』は、能と似た作りのオープニング・シーンを用意していた。

 バレエ『バヤデルカ』はプティパの振付、ミンクスの音楽により1877年、サンクトペテルブルクのボリショイ劇場で初演された。これは舞台が古代インドだった。それを平田オリザが架空の帝国の盛衰史として書き改めたのが『ラ・バヤデール~幻の国』だ。言葉を使ってストーリーを進め、その中に踊りの見せ場、音楽の聞かせどころを作るというやり方は、日本古来の能や歌舞伎などの手法をそっくり踏襲したものと言ってよい。

 ヨーロッパで発展したバレエは、言葉を使わないことを原則としているために、歴史をこと細かに語るといったことには不向きだ。バレエ作品が社会の矛盾を鋭く衝くといったことは行われてこなかった。ルイ14世の力で発展したバレエの本拠地であるパリ・オペラ座が、1789年のフランス革命の後も存続できたこと、アンナ女帝の肝いりで始まったロシアのバレエが、1917年に始まった革命の後も変わることなく上演され続けてきたことなどは、バレエが言葉を使わなかったからだったと言ってよい。

 日本でも同様のことがあった。日本が戦争を始めて世界各地へ攻め入った頃、舞踊家たちは軍の慰問にかりだされ、兵隊たちの前で舞踊を披露し、戦意を高揚した。その渦中、日本に帰化して霧島エリ子を名乗ったエリアナ・パヴロバは、1941年に慰問先の中国で病死している。しかし1945年の敗戦後、日本の舞踊家たちは占領軍であるアメリカの兵隊たちの前で踊りを見せるという変わり身の早さを示した。それも言葉を使わなかったからできたことだ。しかしNoismは今回、バレエの中に言葉を使うことで、身分格差、信仰、危険薬物といった、もろもろの問題に関わり、自らの立場を明らかにすることを選んだ。

 ミラン(ニキヤ・井関佐和子)は、カリオン族の踊り子だ。メンガイ族の騎兵隊長バートル(ソロル・中川賢)と愛し合う仲だ。しかしマランシュ族の皇帝は、娘フイシェン(ガムザッティ・たきいみき)の婿にバートルを指名する。ミランに秘かに想いを寄せる大僧正ガルシン(奥野晃士)がからんでくる。平田の脚本は、ミンクスの間に笠松泰洋の作曲をうまく配置した音楽をバックに、プティパの『バヤデルカ』の人間関係をそっくりそのまま再現していた。

 言葉によって状況を、このようにはっきりと示されると、新興国家マランシェの国益優先に蹂躙されるミラン(ニキヤ)とバートル(ソロル)の姿がよりいっそう鮮明に、残酷に見えてくる。バートルとフイシェンの婚約式の場で踊ることを強いられ死を選ぶミラン、麻薬に身を持ち崩して行くバートルの背後に、身分格差がそびえ立っている。

 また国が滅びて行く過程で麻薬の果たした役割などについても、その非人間的な意図が観客に正面から突きつけられる。プティパの『バヤデルカ』の幻影シーンも阿片を吸った男の見る夢であることに変わりはない。しかしプティパの創ったバレエでは美しさを強調して、その背後にあるものを見えなくしている。Noismの『ラ・バヤデール~幻の国』では、ダンサーの動きを新たにして、麻薬による幻覚の中のいかにも頼りなげな浮遊感のようなものを表現し、これを最大の見せ場に創り上げた。役者たちの演ずる厳しい状況描写の間に、ダンサーたちの踊りを収めて、ことの成り行きをより明らかにしているのだ。井関佐和子、中川賢らのダンス、たきいみき、奥野晃士、貴島豪らの芝居がみごとに噛み合った舞台からは、プティパのバレエでは感じられなかった非人間的な現実の厳しさがひしひしと迫ってきた。

サポーターズ会報第30号より

(2016年7月2日/KAAT神奈川芸術劇場)

勝手に命名「『ロミジュリ(複)』ロザラインは果たしてロミオが好きだったのか問題」(サポーター 公演感想)

☆劇的舞踊vol.4 『ROMEO & JULIETS』(新潟・富山・静岡・埼玉)

〇はじめに:  Noismの新展開を告げる会見を待ち、心中穏やかならざる今日この頃ですが、前回掲載の山野博大さんによる『ROMEO & JULIETS』批評繋がりで、今回アップさせていただきますのは、最初、twitterに連投し、次いで、このブログの記事「渾身の熱演が大きな感動を呼んだ『ロミジュリ(複)』大千秋楽(@埼玉)」(2018/9/17)のコメント欄にまとめて再掲したものに更に加筆修正を施したものです。各劇場に追いかけて観た、曖昧さのない「迷宮」、『ROMEO & JULIETS』。その「迷宮」と格闘した極私的な記録に過ぎないものではありますが、この時期、皆さまがNoismのこの「過去作」を思い出し、再びその豊饒さに浸るきっかけにでもなりましたら望外の喜びです。

①当初、ロミオに好かれていた時でさえ、その手をピシャリと打っていたというのに、やがて、彼のジュリエッツへの心変わりに見舞われて後は、制御不能に陥り、壊れたように踊る、ロザライン。自分から離れていくロミオに耐えられなかっただけとは考えられまいか。

②他人を愛することができたり、愛のために死ぬことができたりする「人」という存在への叶わぬ憧れを抱いたアンドロイドかもと。とても穿った見方ながら、しかし、そう思えてならないのです。

③「人」よりも「完全性」に近い存在として、ロレンス医師の寵愛のもとにあることに飽きたらなくなり、或いは満たされなくなっただけなのか、と。それもこれもバルコニーから「不完全な存在」に過ぎないジュリエッツが一度は自分を愛したロミオを相手に、その「生」を迸らせている姿を見てしまったために、とか。

④というのも、全く「生気」から程遠い目をしたロザラインには、愛ほど似つかわしくないものもなかろうから。

⑤ラストに至り、ロザラインがロミオの車椅子を押して駆け回る場面はどこかぎこちなく、真実っぽさが希薄なように映ずるのだし、ベッドの上でロミオに覆い被さって、「うっうっうっ」とばかりに3度嗚咽する仕草に関しても、なにやらあざとさが付きまとう感じで、心を持たないアンドロイドの「限界」を表出するものではなかっただろうか。

⑥アンドロイドであること=(古びて打ち捨てられたり、取り換えられたりしてしまう迄は)寵愛をまとう対象としてある筈で、それ故、その身の境遇とは相いれないロミオの心変わりを許すべくもなく、「愛」とは別にロミオの気持ちを取り戻したかっただけではないのか。「愛し愛され会いたいけれど…」で見せる戯画的で大袈裟な踊りからは愛の真実らしさは露ほども感じられず、単なる制御不能に陥った様子が見て取れるのみです。

⑦更には、公演期間中に2度差し替えられた手紙を読むロザラインの映像。 最終的に選択されたのは読み終えた手紙が両手からするりと落ちるというもの。頓着することもなく、手紙が手から落ちるに任せるロザラインは蒸留水を飲んではいないのだから、「42時間目覚めない」存在ではなく、ロミオが己の刃で果てる前に身を起こすことは普通に可能。

⑧すると、何が見えてくるか。それは心変わりをしたロミオを金輪際、ジュリエッツに渡すことなく、取り返すこと。もともと、アンドロイドのロザラインにとっては儚い「命」など、その意味するところも窺い知ることすら出来ぬ代物に過ぎず、ただ、「人」がそうした「命」なるものを賭けて誰かを愛する姿に対する憧れしかなかったのではないか。

⑨「愛」を表象するかに思える車椅子を押しての周回も、アラベスク然として車椅子に身を預ける行為も、ただジュリエッツをなぞって真似しただけの陳腐さが感じられはしなかったか。そのどこにもロミオなど不在で構わなかったのではないか。そう解するのでなければ、ロミオが自ら命を絶つ迄静かに待つなどあり得ぬ筈ではないか。

⑩ロレンス医師のもとを去るのは、死と無縁のまま、寵愛を永劫受け続けることに飽きたからに他ならず、彼女の関心の全ては、思うようにならずに、あれこれ思い悩みつつ、死すべき「生」を生きている「人」という不完全な存在の不可思議さに向かっていたのであって、決してロミオに向かっていたのではあるまい。

⑪というのも、たとえ、ロザラインが起き上がるのが、ロミオが自ら果てるより前だったにせよ、蒸留水を飲んだだけのジュリエッツが蘇生することはとうに承知していたのであるから、ロミオが生きたままならば自分が選ばれることのない道理は端から理解していた筈。ふたりの「生」が流れる時間を止める必要があったのだと。

⑫心を持たないゆえ、愛することはなく、更に寵愛にも飽きたなら…。加えて、死すべき運命になく、およそ死ねないのなら…。ロザラインに残された一択は、「命」を懸けて人を愛する身振りをなぞることでしかあるまい。それがぴたり重なる一致点は「憧れつつ死んでいく(=壊れていく)とき」に訪れるのであり、そこで『Liebestod ―愛の死』の主題とも重なり合う。

⑬これらは全て「アンドロイドのロザラインは蒸留水を飲んだのか問題」というふうにも言い換え可能でしょうが(笑)、答えは明白なうえ、蒸留水自体がロザライン相手にその効能を発揮するとは考えられないため、これはそもそも「問題」たる性格を微塵も備えていないでしょう。

⑭掠め取った手紙を自分のところで止めたロザラインには、追放の憂き目にあい、戻れば死が待つ身のロミオが、起き上がらないジュリエッツを前にしたならば、絶望のあまり、自らも命を絶つという確信があったものと思われる。そのうえで、ロミオが自ら命を絶つまで不動を決め込んでいたのに違いない。

⑮ラスト、(公演期間中、客席から愛用の単眼鏡を使ってガン見を繰り返したのですが、)ロミオの亡骸と共に奈落へ落ちるときに至っても、ロザラインの両目は、「心」を持ってしまったアンドロイドのそれではなく、冒頭から終始変わらぬ無表情さを宿すのみ。とすると、あの行為すらディストピアからのある種の離脱を表象するものとは考え難い。

⑯この舞台でディストピアが提示されていたとするなら、果たしてそれはどこか?間違っても「病棟」ではない。監視下にあってなお、愛する自由も、憎む自由も、なんなら絶望する自由もあり得たのだから。本当のディストピアが暗示されるのは言うまでもなくラスト。死ぬことすら、なぞられた身振りに過ぎないとしたら、そこには一切の自由は存しないのだから。

⑰そう考える根拠。舞台進行の流れとはいえ、もう3度目にもなる「落下」は、それを見詰める観客の目に対して既に衝撃を与えることはない。単に、そうなる運命でしかないのだ。舞台上、他の者たちが呆然とするのは、呆然とする「自由」の行使ではないのか。生きる上で、一切の高揚から程遠い「生」を生きざるを得ない存在こそがディストピアを暗示するだろう。

⑱(twitterの字数制限から)「運命」としてしまったものの、アンドロイドであるロザラインに対してその語は似つかわしいものではなく、ならば、「プログラム」ではどうか、と。もともと自らには搭載されていない「高揚」機能への憧憬が、バルコニーのジュリエッツを眺めてしまって以降の彼女を駆り立てた動因ではないか。

⑲更に根本的な問題。「ロザラインは(無事)死ねるのか問題」或いは「奈落問題」。マキューシオ、ティボルト、ロミオにとっての「奈落」とロザラインにとっての「奈落」をどう見ればよいのか?そして、そもそも、病棟で患者たちが演じる設定であるなら、先の3人の死すら、我々が知る「生物の死」と同定し得るのか?

⑳それはまた、一度たりとも「奈落」を覗き込んでいない唯一の存在がロザラインであることから、「果たしてロザラインには奈落は存在するのか問題」としてもよいのかもしれない。「人」にあって、その存在と同時に生じ、常にその存在を根本から脅かさずにはおかない「死の恐怖」。「奈落」は「死」そのものではなく、その「恐怖」の可視化ではないのか。すると、ロザラインには「奈落」はあり得ず、心変わりから自らの許を去ったロミオを相手に「愛」を模倣し、そのうえ、「愛」同様に縁遠い感覚である他ない「死の恐怖」も実感してみたかった、それだけなのではなかったか。

これらが私の目に映じた『ロミジュリ(複)』であって、ロザライン界隈には色恋やロマンスといった要素など皆無だったというのが私の結論となります。

(shin)

『ROMEO & JULIETS』、世界に誇るべき新バージョンの誕生

山野博大(舞踊評論家)

初出:サポーターズ会報第35号(2019年1月)

 新潟市の公共劇場りゅーとぴあの専属舞踊団Noism1が『ROMEO & JULIETS』を上演した。この振付を担当した金森穣は、最近のコンテンポラリー作品が複雑な動きの連鎖にこだわり過ぎ、「物語」を劇的に語るおもしろさから離れる傾向にあることを懸念したようだ。観客が難しいステップの成り行きなどを気にかけずに、舞台展開を気楽に楽しめるようにと「劇的舞踊」を企図した。そして2010年の『ホフマン物語』を皮切りに、2014年の『カルメン』、2016年の『ラ・バヤデール―幻の国』を順次発表して大きな反響を得た。その第4弾が『ROMEO & JULIETS』なのだ。これはシェイクスピアの書いた悲劇「ロミオとジュリエット」の舞踊化のはずだが、タイトルをよく見るとジュリエットが複数表示になっている。

 バレエ・ファンにはおなじみの、プロコフィエフ作曲の序曲が流れ、幕が開いた。シェイクスピアの書いた冒頭の台詞(日本語訳)が朗々と語られ、その主要部分はスクリーンに文字となって映し出された。ダンサーたちが現れると、その衣裳が長めの白衣であることに気付く。これは病院の眺めではないか。と思ううちにロミオ(武石守正)が車椅子に乗って登場。ジュリエットは複数の女性患者が……。舞台には、半透明のガラスをはめた縦長の衝立がいくつも並び、それをてきぎ移動させることで場面が変った。これは、白い壁とガラスの障壁で仕切られた病院の普通の眺めだった。冒頭でシェイクスピアの言葉を示したスクリーンには、舞台上のあちこちの様子がランダムに映され、病院内の監視モニターのように見えた。

 両家の壮絶な対決シーンが始まり、観客はあっという間にシェイクスピアの世界に引き込まれた。ジュリエット役の浅海侑加、鳥羽絢美、西岡ひなの、井本星那、池ヶ谷奏の5人がさまざまな現れ方で場面に関わった。キャピュレット家の婚約披露の宴会での、ロミオとジュリエットの出会いは、群舞の中にパリス(三島景太)とジュリエットの位置を微妙にずらした踊りを設定し、ロミオとの偶然の触れ合いの機会をこしらえた。バルコニー・シーンはジュリエットの映像を、高い位置のスクリーンに映して二人の位置関係を示しつつ、愛が急速に深まる様子をたっぷりと描いた。さらに、ティボルト(中川賢)とマキューシオ(チャン・シャンユー)の決闘シーン、それに続くティボルトとロミオの死闘が、スリリングに設定され、観客はそれらが病院の中の患者同士の出来事であることを、しばし忘れた。

 後半冒頭に金森の長いソロがあった。金森は病院の医師で患者全体をコントロールする立場にある。物語の上ではロレンスの役を演じてジュリエットに秘薬を与えるので、このソロには彼が全体を仕切る張本人であることを示す意味があったかもしれない。井関佐和子は、ロザラインと看護師の2役を演じてひんぱんに物語の流れに関わり、ダンスの見せ場をはなやかに盛り立てた。最後の墓場のシーンでは、舞台中央のベッドに誰かが横たわっている。そこへロミオが現れて二人の死の場面となる。どうやら先に横たわっていたのは井関が演ずるロザライン(または看護師)だったらしい。それを見た観客サイドは、シェイクスピアの元のストーリーを思い出して両家の和解を想像するなど、つい先を急ぎがちだ。しかしよく考えてみると、ここにロザラインが登場するのは「異常」ではないか。井関の演ずる看護師が、前の場面でアンドロイド風の動きをしていたことなどを思い返すうちに、これはシェイクスピアの芝居の最終シーンではなく、どうやら病院の一風景らしいと気付く。舞台には患者たちの何気ない日常がもどっていた。

 プロコフィエフの音楽でラブロフスキーやクランコらが振付けた「ロミオとジュリエット」が、シェイクスピアの原作を忠実に再現したものであることを我々は知っている。病院の中という状況設定以外は、展開のポイントをまったく変えることなく、金森も自分の『ROMEO & JULIETS』を作った。彼の「劇的舞踊」は、観客の心の中にあるシェイクスピア原作の記憶を刺激して、別に設定した状況に同化させ、そこに新しいダンスの場面をふんだんに織り込むことで成り立つ「舞踊作品」だった。

 病院という閉ざされた世界で、名作バレエのストーリーを再現した例としては、マッツ・エック振付の精神病院内の『ジゼル』(1982年作)がある。金森の『ROMEO & JULIETS』は、無理のないストーリー展開、要所に置かれたダンスのおもしろさ、音楽、舞台美術の的確な運用などを備えており、まさに劇的な出来栄え。世界に誇るべき病院版『ロミオとジュリエット』の誕生だった。

サポーターズ会報第35号より

(2018年9月14日/彩の国さいたま芸術劇場大ホール)

モスクワの『カルメン』写真特集♪

ゲリコンオペラ外観

ゲリコンオペラ外壁プレート

日程表

見えるかなぁ~?

エントランス

こちらもエントランス

エントランスカフェ

カフェレストラン

開場! 

学者役の奥野さんが既に舞台上に!

旅の学者メリメ役の奥野晃士さん♪

開演前と休憩中は撮影OKだそうです。

会場内…

客席の上の方に貴賓席があります。

もうすぐ開演!

だんだん混んできました。

ただいま休憩中。

ホセ、21日目の懲罰房。熊も見えるかな~?

休憩が終わりに近づき、左の出入り口の方、わかるでしょうか?ジプシーの娘たちが出てきました。

日本では開演前や休憩中に客席でガンを飛ばしていましたが、今回はステージ前のみで、この時だけでした。

ちなみに、ステージは新潟よりも高さと奥行きはあるようでしたが、幅が少し足りないようで、ステージ両脇の出入口からの登場退場もあり、面白かったです♪

プログラム

開くとロシア語でキャスト名が!

りゅーとぴあのロゴはそのまま。

こちら(現地レポ)も併せてどうぞ♪  (fullmoon)

モスクワの『カルメン』♪(現地レポ)

5月29日、チェーホフ国際演劇祭招聘、『カルメン』モスクワ公演初日!
新潟から駆けつけた一行4名で鑑賞しました♪
チケットは既にソールドアウトの大盛況!
そして拍手歓声、スタンディングオベーションの大成功で無事終演!!
よかったですよ〜♪

公演中も随所で拍手があり、見事な熱演に観客が引き込まれていました。
会場では、金森さん、山田さん、スタッフの上杉さん、堀川さんにお目にかかれました♪
私たち一行には、ライターの本間大樹さんが同行。新潟日報夕刊・おとなプラスに公演の様子等が掲載される予定です。
ほかに、BSN新潟放送からもテレビカメラを担いで3名、取材に来ていました。いろいろ楽しみですね♪
モスクワの空港でお見かけした、新潟市の飲食店・錦弥(きんや)のお二人にも、会場でご挨拶できました♪

会場名は現地では、「ゲリコン・オペラ」と発音するそうです。
カジュアルな服装の方が多いですが、綺麗なドレス姿の女性も結構多数いらっしゃいました!
会場も一部改装したのか、外壁や、エントランス等、とてもきれいでした。クロークに行く階段まわりのデザインも美しくて斬新。好印象の会場でした♪

私たち一行にはロシア人の女性が案内に付いてくださった(この件の詳細は後日)のですが、公演をご覧になって大興奮!観る前と観たあとでは顔つきが変わっていました。 とてもよかった、面白かった、凄かった、カルメンは凄く色気があった、と話されていました♪
本間大樹さんはカルメンを観るのは初めてだそうですが、何度か見ている3名も、また新たな驚きと美しさ、華やかさに感動しました。

観客の反応で面白かったのは、ドロッテがロシア語で[休憩]と書いたカードを出すところ。笑いと拍手が起きました。この場面は日本でも同じなので想像できましたが、もうひとつは闘牛士の場面です。天井から吊るされている牛が落下して闘牛士が死ぬシーン。牛が落ちた途端に会場は大爆笑、ヤンヤの大拍手! 日本では笑いが出ることもたまにはありましたが、ほんの少しでした。
そしてすぐに次の深刻な場面になるのですが、この反応に金森さんは「してやったり!」と思ったことでしょう。

最後、いつが終わりかわからないシーンでは、その都度拍手が起こり、カーテンコールも長く続きました。ちなみに、字幕はステージ両サイドの壁に二ヶ所。公演の小パンフレットは200ルーブル(約400円)でした。

モスクワ『カルメン』大成功の喜び、そして興奮と感動を胸に、ホテルへの帰途につきました。
2日目、3日目の公演も大成功間違いなし!祈念いたします。
まだまだ書き足りませんが、まずはこのへんで♪

From Russia with Love!

こちら(写真特集)も併せてどうぞ♪  (fullmoon)

速報!劇的舞踊『カルメン』にモスクワ熱狂!

モスクワでの劇的舞踊『カルメン』初日の幕が上がり、終演後の劇場に圧倒的な熱狂と興奮をもたらした様子が届いて参りました。さもありなん♪

Noism officialによるインスタグラムの動画です。

こちらもNoism officialによるツイッターです。

そして、金森さんのツイートもご覧ください。

新潟市のNoism、そして日本のNoism。なんと誇らしいことでしょうか!
このあと、現地で初日をご覧になったfullmoonさんのレポートで詳細をお知らせする予定です。ご期待ください。 (shin)

目に贅沢なご褒美-劇的舞踊『カルメン』2019 ver.公開リハ(2019/05/18)

気温25℃を越えた新潟市は、うららかを通り越して、暑くさえ感じられるほど陽気の良い皐月の土曜日。りゅーとぴあ・スタジオBにて、劇的舞踊『カルメン』モスクワ公演に向け、活動支援者を対象とした2度目の公開リハーサルを観てきました。この日はSPACの奥野さんも加わったフルキャストでの通し稽古で、本番さながらに10分間の休憩を挟んで、全篇を見せて貰いました。

いざ、あの世界へ♪

前回、1度目のリハ(5/12)については、ご覧になったacoさんがコメント欄にレポを書いてくれていますが、その言葉の端々から興奮、陶酔、感動が読み取れましたし、もう期待を膨らませるだけ膨らまして出掛けて行った訳です。
そしてそれは裏切られることなどあろう筈がありません。申し込み先着20名、その目と鼻の先ギリギリ、数センチのところまで出てきて展開される劇的舞踊は、観ているこちら側がドギマギするくらいのド迫力。

衣裳や装置の多くは仮のものだったり、幾度か重要な映像が投影されることになる中央のスクリーンがなかったりと、実際の公演との違いこそありますが、代わりに、見立てて踊る稽古の雰囲気が楽しめたり、本番ではスクリーンの背後にいて、不可視であるべき実演家の待機する仕草や準備動作がそのまま観られたりと、いつもながら、レアな楽しみ方には事欠きませんでした。出番以外でも、終始、私たちの視線に晒され続ける実演家は大変だろうと思ったりもする訳です。一言で言うなら、もう、目には贅沢なご褒美が過ぎる、そんな感じの2時間で。

先ず何といっても、音楽がエモい。あれが響くともう一気にそこはスペイン。記憶が召喚され、かつて見た舞台の印象との偏差を満喫させて貰いました。「このキャスティング、また違った味わいがあって楽しい」とか、「アレがああなって、こうなるんだよな、うん」でも時々、「ああ、そうだったのか」と今更ながら気付くこともあったりして、Noismの「古典」としてこの先も繰り返し観ていきたいという思いを強くしました。目を閉じるまでもなく、自然と目に入ってくる光景の「やや上方あたりに」(!)今日観た踊りのあの場面やこの場面が浮かんでくるような錯覚を伴いながら、情緒を揺さぶる音楽たちが今も脳内でリピート再生されているくらいです。

今回の2019ver.キャスティングは、以下のとおりです。
カルメン 野性の女: 井関佐和子
ホセ 理性の男: 中川賢
ミカエラ 許嫁の女: 井本星那
スニガ 権威の男: 林田海里
リュカス 我欲の男: ジョフォア・ポプラヴスキー
ロンガ 同郷の男: チャン・シャンユー
ドロッテ 謎の老婆: 池ヶ谷奏
メルセデス 異父の姉: 浅海侑加
フラスキータ 異父の妹: 鳥羽絢美
マヌエリータ 仇敵の女: 西岡ひなの
ガルシア 極道の男: カイ・トミオカ
兵隊の男たち: チャーリー・リャン、カナール・ミラン・ハジメ
ジプシーの男たち: 三好綾音、池田穂乃香
街娘たち/ジプシーの女たち: 西澤真耶、片山夏波、門山楓、杉野可林、長澤マリーヤ
学者 博識の老人: 奥野晃士(SPAC)

リハのあいだ中、キャスト全員の熱演に圧倒されまくりでしたが、個人的には、ジョフォアさんの「闘牛士」、そして西岡さん演じる「敵役」が強く印象に残りました。そして、そうです、もうひとつ。お約束の「ホセ、帰ってきて~~~!」(笑) ご覧になった皆さまはどんな印象をもたれましたか。

で、メンバーは来週5月24日に東京を経由して露国に向かう予定なのだそうです。きっとかの地の演劇祭でも目の肥えた観客を魅了し尽くしてしまうだろうことを改めて確信いたしました。大きな拍手に包まれたカーテンコールすら今から既に幻視できます。GO! Noism! GO!!

(shin)

活動支援会員限定『カルメン』公開リハ、コメント求む!

以下の通り、Noism劇的舞踊『カルメン』モスクワ公演に向けた 公開リハーサルが迫って参りました。

日時A:2019年5月12日(日)12:00~14:00  
日時B:2019年5月18日(土)12:00~14:00  
会場:りゅーとぴあ  新潟市民芸術文化会館〈スタジオB〉  

昨夕、両日程とも鑑賞定員に達したとの知らせがあり、 喜ばしい反面、1度しか観る機会がないのがやや残念でもあります。 でも、それは仕様のないことですね、ハイ。

皆さまは申し込まれましたでしょうか。 どちらの回をご覧になられますか。 これを書いている私は「日時B」に参ります。

そこで、皆さまへのお願いです。 どちらの回も、ご覧になられた皆様からのコメントをお寄せいただきたいと存じます。

「日時A」(5/12)につきましては、この記事へのコメントというかたちでお願いしたいと思います。(折から、G20新潟農業大臣会合開催中でもあり、新潟市内は交通渋滞も予想されます。こちらもご覧いただき、お時間に余裕をもってお出掛けください。)

「日時B」(5/18)に関しましては、私の方でレポをあげる予定でおりますので、 そちらへコメントを頂けましたら幸いです。

モスクワ公演にむけて弾みがつきますよう、 多数のコメントを頂戴出来たらと思う次第です。 何分宜しくお願い致します。 (shin)

劇的舞踊『ラ・バヤデール ー幻の国』サンクトペテルブルク招聘公演に行ってきました

皆さま、こんにちは。ロシアに行ってまいりました!

本題の前に、ちょっと宣伝を。
前のブログ記事にあります、
「新潟市Noismふるさと納税」https://www.furusato-tax.jp/city/product/15100
そして、
公式「Noism活動支援」https://noism.jp/support/ を、
どうぞよろしくお願い申し上げます。
どちらもいつでも受け付けています♪

さて、2018年11月21日(水)、ロシア・サンクトペテルブルク、アレクサンドリンスキー劇場で開催された、Noism劇的舞踊『ラ・バヤデール ー幻の国』招聘公演に、会員4名を含む5名で行ってきました!

Noism公式レポートもぜひご覧くださいね!
https://noism.jp/reports/baya_stpetersburg_2018/

アレクサンドリンスキー劇場は、サンクトペテルブルクの街の中心部にあり、1,378席を有する、歴史のある美しい劇場です。

19時開演で、18時過ぎに劇場に到着しました。

ロビーで販売していた「プティパ・フェスティバル」プログラムは各作品の紹介等をまとめた本になっており、厚くて立派ですが250ルーブル(約500円)と安価。
チケットは日本でネットで取りました。5,000ルーブル(約1万円)と高価。

プログラムの表紙には、「ディアギエフPS 2018 プティパPS 21世紀 」と書いてあります。
写真・解説は作品ごとに数ページずつありますが、個別のプログラムはありませんでした。
なので、11/17の当ブログ掲載のキャスト表は貴重な資料ですよ!

開場を待つ間に私たちにテレビ局の取材が!
現地メディアのようでしたが英語でした。

ちなみにロシアといえどもケンタッキーやアメリカ資本の店舗・ホテルや、TOYOTA、ユニクロ、丸亀製麺、そして英語看板も普通にあり、デパートも豪華で、若い人たちは英語が話せます。
流通通貨はルーブルですが、お店によってはドルやユーロもOK。もちろんカードも。

さて、18時半開場かと思いきや、なかなか扉が開きません。
19時開演なのに、開場したのは19時過ぎ!

しかし、開演時間が過ぎても、焦ることもなく悠々と来場してくる観客がたくさんいます。
ロシアのことをよく知っている同行者さんによると、「ロシアでは30分遅れは普通。時間通りに来る人はいない」とのこと。
びっくりですね!

そのことがわかっていて開場が遅れたわけでもないようですが、とにかく無事に開場。

満席の大盛況です♪
金森さん、山田勇気さんをお見かけしました。
お二人には席が用意されていました。

そして開演。
かなりざわめいていた会場が、貴島さんの登場で次第に静かになっていきます。

Noismはクラシックバレエではないので、公演中に拍手が起きることは日本ではほとんどないのですが、さすがは本場、ことあるごとに拍手やブラボーが出ます。

井関さんの踊りに喝采が!
https://www.youtube.com/watch?v=4sl7l1Q33E8&feature=youtu.be

井関さん、とてもきれいでした。
同行の会員さん2名は自然に涙が出たそうです。
私もじわ~っときました。

井関さんが金髪で驚きました。
今回のためというわけではないようですが、ロシアではウケがよかったそうですよ♪

池ヶ谷さん(ポーヤン役)のコミカルな演技に笑いが起きました♪
気になっていた俳優さんたちのセリフは、ステージの上の方にある飾り幕に、ロシア語の字幕が投影されました。

一幕が拍手喝采で無事終了し、幕間は休憩用の別室で大勢の観客が談笑していました。

二幕が始まり、いよいよ「影の王国」の場面です。
美しいシーンにうっとりです♪

この重要な場面は、観客の驚きと感嘆が伝わる拍手で称賛されました!
すばらしかったです!!
金森さんもうれしかったことでしょう。

次々と繰り広げられる踊りに拍手が続きます。

一番最後の、全員が柱の周りを歩く衝撃のシーンに、観客の驚きと好奇心が感じられました。
思いがけない幕切れでびっくりしたようです。

舞台は無事終了し、拍手と歓声のカーテンコールが続きます♪

久しぶりに観るNoismバヤデール。
私も大感激、大感動!!!

ロシアまで行ってよかった~♪
どうもありがとう~!!!

さて、今回のロシア旅行は普通の団体ツアーに便乗して行ったので、ちゃっかり観光もしてきましたよ。
サンクトペテルブルクは歴史的な建物がたくさんある、きれいで落ち着いた、シックな街で、また行ってみたいです。
エルミタージュ美術館、エカテリーナ宮殿、パブロフスク宮殿、血の上の教会、ネフスキー大通り等を観光しました。

モスクワは渋滞の大都会。
クレムリン、赤の広場、聖ワシリー寺院、国立歴史博物館、豪華なグム百貨店、郊外のセルギエフ大聖堂、スーパーマーケット等を観光しました。

来年5月29,30,31日の、チェーホフ演劇祭 Noism劇的舞踊『カルメン』招聘公演は、モスクワのゲリコン・オペラという会場で、赤の広場からも近い、街の中心部にあります。
下見はできませんでしたが、また5月にロシアに行きたいです。

そして11月24日、なんと帰りのモスクワの空港で、金森さん、井関さん、山田さん、Noism1&準メンバー、そして貴島さんに遭遇!
同じ飛行機で帰ってきました♪
Noism2メンバーは前日に帰国したそうです。

公演の様子は同行会員ツイッター:久志田喜八郎 @kihachirokushid でも発信しています。
公演会場では、久志田渉さんたち2名と私たち3名は席が分かれ、どちらも1階8列中央でしたが、真ん中に通路があるので、左右に席が離れました。
私たちのエリアの観客は皆、熱心に好意的に鑑賞していてました♪
久志田さんの周りには、残念ながら不真面目な観客もいたようですね。。

12月末発行の月刊ウインド1月号では、久志田さんのロシア旅行記が特集で4ページ掲載される予定です。
どうぞお楽しみに。ぜひご覧くださいね!
(ちなみに月刊ウインドには毎号Noism1メンバーのコラムが掲載されています♪11月号は浅海さん、12月号はシャンユーさん、1月号は・・・)

寒さを心配していましたが、晴れの日続きで寒さを感じず(屋内がとても暖かい)、楽しいロシアツアーでした♪

次のモスクワ招聘公演は春なのでますます楽しみです♪
既にチケット発売中!
500席の劇場で、3日間ありますが、いつもすぐ売り切れるそうです。
モスクワ公演、ご一緒にいかがでしょう。
(たった今、久志田さんから連絡あり。初日チケットゲットしたそうです!)

追伸:
◆11/10に開催されたさわさわ会懇親会の様子が、さわさわ会ホームページにアップされました!どうぞご覧ください♪
http://www.sawasawa-kai.com/photo/181110/index.html

柳都会vol.19 須長檀×金森穣―北欧と日本。日常と非日常のデザイン
12月2日(日)14:30-16:30 (14:20開場)りゅーとぴあスタジオB
まだお席があるそうです。どなたもぜひどうぞ!
https://noism.jp/npe/ryutokai_19/

(fullmoon)

サンクト直前『ラ・バヤデール』活動支援会員向け公開リハに見入る

2018年11月17日、この季節らしい気温の土曜日、
枝を離れた無数の枯れ葉が自動ドアの内側まで入り込んできていた
秋のりゅーとぴあ界隈はこの日に重なった種々のイベントに人出も多く、大賑わい。

そんななか、11月21日にロシア・サンクトペテルブルクで開かれる「プティパ祭」のオープニング公演として招聘された
劇的舞踊『ラ・バヤデール ―幻の国』の公開リハーサルを見んと、
メディアを含めて、約40名が、遠くは東京など県外からも
りゅーとぴあ・スタジオBに駆け付けました。

久し振りに『ラ・バヤデール』を国内で観る
この日限りの機会であると同時に、
初めて新メンバーを目にする機会でもあった訳ですから、
集まった者はみな興奮した面持ちで、スタジオBの鏡の前、
2列に配された椅子に腰かけて、舞踊家と俳優を凝視しました。

今にして思えば、腰をおろしたとき既に、絞られた音量ながら音楽が聞こえていたように思います。
スタジオB「上手」奥でストレッチに余念がない中川さん、
その手前、奥の方を向いてうずくまったまま待機するたきいさんの姿が見えるなか、
中央に屹立する慰霊碑(仮)の陰から貴島さんがゆっくり静かに現れ、
12時5分過ぎ、それは始まりました。
途中、1幕と2幕の間に15分間の休憩を挟んだ、本番さながらの「完全な」ランスルー。
気になるキャストは次の通りです。
如何でしょう、予想通りでしたか。
初演時キャストと異なり、舞踊家の国籍も「マランシュ帝国」に似て様々です。
ですから、見慣れた筈の同じ作品ではあっても、
肌合いは当然に異なっていて、新しいNoismのスタートと映りました。

衣裳や小道具も本番とは違った仮のものなのですが、
それも味になるのが、公開リハが持つレアな魅力のひとつでしょう。
それぞれが身に纏うTシャツやショートパンツ、その1つひとつからも、
舞踊家と俳優の個性の一端が少なからず見えてこようというものだからです。

そして会場がスタジオBゆえに、この日、一列目に座ったならば、
もうそのすぐ鼻先で迫力あるパフォーマンスを観ることになります。
演者の紅潮する頬が、息遣いが、身体の動きが、飛び散る汗がすぐ眼前にあり、
激しい動きの際には、それが起こした空気の流れが「風」と化して届いてきました。
あまりの至近距離に、身じろぎひとつも憚られるような、
しかし、同時に、あたかも演者と同じステージ上にでもいるかのような感覚。
ああ、なんという贅沢、なんという醍醐味だったことでしょうか。

で、サンクトペテルブルク公演を観に行かれる幸せな方々もいらっしゃいますが、
それを上回る圧倒的大多数が日本から「かの地」での公演の成功を祈る立場でしょうので、
ちょっぴり書かせていただいても構わないと(勝手に)判断し、書きます。
ええい、ままよ。やあ。

「冒頭10分間が変わっていました!」
まあ、これなど一目瞭然なのですけれど、
現地でご覧になられる方はその目で確認してきてください。
(でも、もしかして、また変わっていたりして。(笑))
…そして、覚束ない記憶頼りで恐縮なのですが、
ラストもこれまでに観たものと違っていたと思います。確か。恐らく。多分…。(汗)

久方振りに目にした大作『ラ・バヤデール』、やはり心を鷲掴みにされてしまいました。
汗を滴らせる舞踊家と俳優たちに大きな拍手が贈られたことは言うまでもありません。
「完全な」ランスルーは、緞帳の上がり下がりを幻視させながら、
カーテンコールの最後の最後にまで及ぶという徹底振りでした。

そうした全てが終わったあと、列に加わった金森さんがご挨拶をなされたのですが、
その中で、「未だ契約が更新されていない」ことに触れられたときに、
市長交代期の、この間の事情は充分承知していたとしても、
胸が痛み、何やら申し訳ないような気持ちになってしまったのは、
恐らく私だけではなかった筈です。
「この素晴らしいカンパニーに心置きなく活動して貰いたい!」
改めてその思いを強くし、そのために
「サポーターズとして何ができるのか、
できることをやらなければ!」
そんなことを思いながら、金森さんのご挨拶を聞いていました。

来年5月にはモスクワで『カルメン』。
その先もスペインや中国からのオファーがあるようですし、
事態を好転させていくお手伝いをしなければと思うものです。

でも、まずはサンクトペテルブルク。
スタッフを含めた総勢40名からの一行は
明日早朝に新潟を出発して成田へ向かうのだとのこと。
で、11月21日には、「かの地」でも観客を魅了し尽くすのでしょうし、
公演の大成功はもう必定。
「凱旋公演なんかも観たいなぁ!」
私たちの誇りNoismを巡って、妄想はとどまるところを知らず、
膨らむ一方な訳です。

そんな午後の贅沢過ぎる2時間でした。
(shin)