『かぐや姫~第2幕』最終日、炸裂する金森ワールドに蹂躙される悦び♪(サポーター 公演感想)

2023年4月30日(日)、朝、新幹線で新潟を発って、「上野の森バレエホリデイ」での金森さん×東京バレエ団『かぐや姫~第2幕』を含むトリプルビル公演を観てきました。もう圧倒されまくってしまって、今なお続く大興奮かつ陶酔状態のうちにこれを書いています。

初日の舞台についてはかずぼさんが、2日目はfullmoonさんがレポートをあげてくださっていて、そのどちらからも、「どうやら只事ではなさそう」な気配が読み取れていたので、この日に向けて、期待は膨らむばかりでした。で、結論から言いますと、その期待は裏切られることがなかったばかりか、炸裂する金森ワールドに蹂躙される悦び、それにとっぷり浸る類稀なる35分間だったと言いましょう。

世阿弥『風姿花伝』の「序破急」に倣って言うなら、この「第2幕」は、拍子が変わる「破」そのもの。そしてその今回の「破」ですが、2021年の11月に初演された「第1幕」から時間をあけてクリエイションされてきたことが作品全体に極めて大きな質的変化をもたらすことになった点は金森さんも認めているところです。

舞台装置が、そして何より衣裳が、その趣を一変させていることに驚きました。「第1幕」では、金森さんの方が「現存する日本最古の物語」の時空に寄せて、目に見えるかたちで民話風の昔っぽさなど取り込みつつ、(ある意味、ある程度まで美しささえ犠牲にしつつ、)大人から子どもまで楽しめる日本ものの「グランド・バレエ」としての雰囲気を立ち上げようとしていたように思います。ところが、この「第2幕」では、逆に金森ワールドの方に、その「グランド・バレエ」や東京バレエ団を寄せてクリエイションを行っているのです。私たちが目にするのは、金森さんの審美眼に適った怖いくらいに美しく、怪しい世界…。

廣川玉枝さんによるこの「第2幕」の衣裳は、もうほとんどNoism『NINA-物質化する生け贄』(ver.2017)です。その『NINA』の既視感たっぷりな鈍く煌めく深みのある「赤」を纏って、この日「影姫」を踊った沖香菜子さんの驚愕の存在感には筆舌に尽くし難いものがありました!「第2幕」の主役は(沖さんが踊った)「影姫」と言ってよいように感じたほどです。勿論、秋山瑛さん(かぐや姫)、柄本弾さん(道児)、大塚卓さん(帝)をはじめ、皆さん素晴らしかったのですが、それでも、沖さんの凄みが凌駕していたということで…。

加えて、シンボリックな階段や高低差、はらはら舞い落ちてくる冒頭の赤い花弁。奥を微かに透かせて見せる紗幕の絶妙な効果、矩形の衝立が閉じては開く、そのめくるめく移動。それらはどれも抽象度や象徴度の高いものであり、その点で「第1幕」からの隔たりは大きいと言えるのですが、そうしたスタイルや説話の話法こそ元来、金森さんが自家薬籠中の物としてきたのであり、それが溢れているのがこの「第2幕」なのです。

その抽象性と象徴性のゆえに、もう「いつの日本」を舞台としたものなのか、否、そもそも「いつどこ」の物語なのかも判然としなくなっているくらいです。しかし総体として、客席から見詰める目に対して「圧」をかけて迫ってくるこの「第2幕」は間違いなく高い普遍性を獲得し得ていると感じます。金森さんはもう「竹取物語」をなぞることから脱して、本来その原ストーリーが有する「可能性」の中心に身を置き、自身の創造性(クリエイティヴィティ)を解き放つかたちでクリエイションを推し進めていく途を選択したということが明瞭に感じられる舞台でした。

それは誤解を恐れずに言うならば、2016年に庵野秀明が『シン・ゴジラ』において示した方向性とも重なるものと言えようかと思います。庵野が『シン・ゴジラ』からの「シン・」シリーズでやったこと(その後の2作の出来不出来は敢えてここでは問いません。)とは、つまり、原初にある周知の設定を土台に据えながら、そこに自らの創造性を絡めることで、新たな物語を立ち上げてみせること。その意味からは、『シン・かぐや姫』といった見方もできそうなくらいです。また、そこに現代社会に注がれる目線がある点も庵野との間の共通点として認められるものでしょう。時空を隔てて、よく知られた原ストーリーとせめぎ合うかたちで展開される「シン・」ストーリー。「影姫」の創作などはその最たる例かと思われます。

また、『中国の不思議な役人』、『カルメン』、『お菊の結婚』等々、過去のNoism作品と呼び交わす細部(動きや振り)にも満ちており、瞬間、記憶の中の諸作を想起させられる楽しみも随所で味わいました。

大方の予想と重なるだろうために、もう「予想」と呼ばれる資格を欠いてしまっているのでしょうが、このあと、「全3幕もの」として公演される際(今年10月・上野3公演、12月・新潟2公演)には、既に世に出ていて、私たちが目にしていたあの「第1幕」も大幅に改訂されていることでしょう。(少なくとも、衣裳は遡って変更される筈です。)

この「第2幕」、幾分、唐突に終わる感じもありますが、そこは見方によれば、切れ味鋭いナイフのようなカットアウトとも。そんな「第2幕」、続く「第3幕」への期待を掻き立てて止みませんが、これ単体でも「名作」と呼ばれる資格があるものと思いました。酔えます。

「凄いものを目にした」、そう感じた観客が多かったからでしょう。終演後、何度も何度も繰り返されるカーテンコール。その都度、「ブラボー!」の声がかかり、一人また一人とスタンディングオベーションに加わる人数が増えていき、遂には、客電も点いて、もう拍手もやめる潮時という雰囲気が場内を覆ってさえ、あろうことか拍手は一向に止む気配を見せず、緞帳がまた(仕方なしに躊躇でもするかのような風情で)上がると、客席からは嬉しいどよめきが、舞台上には苦笑を浮かべながらも満更ではなさそうな出演者の表情があり、その一瞬、場内はそれ以上望むべくもない極上の一体感に包まれたように感じました。

おっと、「上野の森バレエホリデイ」全体の雰囲気についても触れるべきだったのでしょうが、あのひとつの演目に圧倒されて木っ端微塵にされた感のある身としては、それをなすべき余力は既にありません。舞台を見詰める前に撮った画像をアップすることで、その代わりとさせて貰おうかと思います。

(shin)

『かぐや姫』第2幕、2日目♪

大感激の初演を観て興奮冷めやらぬ2日目、4月29日(土)。
この日は14時開演なので、前夜は閉店していたバレエホリデイのかわいいお店がたくさん開店していました♪

2日目の『かぐや姫』は主な出演者が交代して、ダブルキャストの醍醐味を堪能させていただきました✨
どちらも素晴らしい!

そして冒頭から、そこかしこに金森さんの細やかな思い入れや、痒いところに手が届くような心配りが感じられ、まさに感嘆感激!
音楽もピッタリで、ドビュッシーの曲なのに特別誂えかと思ってしまいます♪

そして孤独感溢れる登場人物と『ビリティスの歌』✨
かぐや姫と道児のほんの一瞬の逢瀬♡
素晴らしい美術、舞台装置、煌めく衣裳✨
もう〜書ききれません!
愛とは、孤独とは、人生とは!?

もう最終日(4/30)の公演を残すだけなのですね・・・
shinさんのブログを楽しみにしています♪

(fullmoon)

東京バレエ団『スプリング・アンド・フォール』『イン・ザ・ナイト』『かぐや姫(第2幕)』初日を観てきました。(サポーター 公演感想)

この公演はG.W.期間中に開催される「上野の森バレエホリデイ2023」の一環として開催されるものです。
東京文化会館もバルーンで飾り付けられたり、ロビーにバレエの衣装やダンサーのポワントの展示があったりと、いつもに増して華やいだ雰囲気でした。

入り口では巨大なバルーンのエントランスが
お出迎え。
小ホール向かうスロープにも
こんな素敵な電飾が!

今日(2023/04/28)は平日(金曜)夜公演ということもあってか、客層は大人が多く、落ち着いた印象を受けました。明日、あさっては休日の午後公演ですし、関連イベントも盛りだくさんなので、お子さんや家族連れのお客さんも増えるのでしょう。

(ちょっとギリギリかな)と思いつつ、入場を終えプログラムを購入してから席に着くと、午後7時の開演時刻から約10分過ぎに照明が落ち、ノイマイヤー『スプリング・アンド・フォール』が始まりました。
ドヴォルジャークの弦楽セレナーデで踊られる作品は、ところどころ東洋的な所作なども感じ、若々しく爽やかに演じられました。とても東京バレエ団にふさわしいレパートリーだと思いました。

休憩後、舞台袖にグランド・ピアノが運び込まれ、ロビンズの『イン・ザ・ナイト』がショパンのノクターンの生演奏とともに演じられます。
夜の闇と星のみえる舞台で三組のデュオによる素敵な作品でした。
(長身の上野水香さんは舞台に映えるなあ。今、長身のプリンシパルって少ないかも)などと思いながら観ていました。

そして次の休憩後には、待ちに待った金森さんの『かぐや姫(第2幕)』です。金森さんが事前にお話ししていたように、衣装・舞台装置が一新されましたが、想像以上で驚きました!
舞台が宮廷のシーンに移ったから、という解釈もありますが、概念としての「かぐや姫」としたほうが時代考証などに縛られず、作品が普遍性を持つのでは、と思いました。
Noismで『鬼』をスタイリッシュに作り上げた金森さんらしいと思います。

白く輝く舞台がシンプルながらゴージャスで美しく、まさに宮殿の雰囲気を感じます。

迫力のある男性群舞や摺り足で踊る女性群舞もみものでした。普段の金森作品にはあまり感じないベジャールっぽさも感じました(いや、でもあれもこれも金森さんの動きだ!と当惑しつつ)。

今回は10場(10曲)のシーンから構成されていますが、普通のグランドバレエにある情景や間奏曲というものがないためか、どれも見もので気が抜けない!
今回(今日)は初演ということで、上演中の拍手はありませんでしたが、拍手を受ける「間」はありそうなので、今後は曲毎の拍手も入るのでしょうか。

そして第2幕を観終わったあとに思ったのが、(2幕でここまでなら、3幕はどうなるの?)という疑問。既に自分の知る「かぐや姫」とは微妙にストーリーが異なっているように感じますし、3幕は更に金森さんの世界が拡がる予感がします。
既に発表されている1幕との接続性も含めて、秋の全幕初演が今から楽しみです!

ホワイエ中央には大きなバルーンが輝いていました!
今「かぐや姫」が熱い?
来年にはこんなイベントが!

(かずぼ)

目を釘付けにされ、心は掻きむしられ…『Der Wanderer-さすらい人』新潟公演初日

2023年1月20日(金)、この日から強い寒気が流れ込むとされ、大荒れ予報が出ていた新潟。雪は落ちてこなかったものの、夕方からは風雨が強まり、シューベルト『魔王』よろしく、嵐のなか疾走する「ト短調」気分が濃厚に漂うなか、車でりゅーとぴあを目指しました。

新生Noism Company Niigataによる『Der Wanderer-さすらい人』。世界初演となる新潟公演初日のチケットは早くから「完売」。新しい年の「Noism初め」を待ち焦がれていた人が如何に多かったか分かろうというものです。

入場整理番号順にスタジオBに進むと、この日、私は最前列の席を選び、腰を下ろしたのですが、緞帳がなく、現しのままの四角く区切られたアクティングエリア内には既にむこう向きに立つ井関さんの不動の姿がありました。全ての客席が埋まったのは19時を数分まわった頃。やがて場内が暗くなり、同時に効果音が高まると、それは始まりました。

そこからはもう、深遠なシューベルトの歌曲に浸り、これまでのNoismには見当たらなかった類いのソロの舞踊の連打に目を釘付けにされるだけでした。愛が踊られる前半も、その甘美さというより、心を、胸を掻きむしられるような満たされざる気持ちの切なさが横溢しています。そして後半は死が最前面に押し出され、不穏な禍々しさが際立ちます。そして待ち受けるラストのあの味わい。70分の新作をあっという間に見終えました。詳しくは書けませんが、もう必見です。

終演後のホワイエでは金森さんの『闘う舞踊団』(夕書房)をはじめとする書籍販売のコーナーが設けられていて、多くの方が列を作って買い求めていました。私も2冊買いました。明日は一日、読書三昧を決め込むつもりで、そんな土曜日も楽しみでなりません。勿論、サイン会にはまた並びます。

帰宅してからは、金森さん+東京バレエ団の『かぐや姫』第2幕ほか(上野の森バレエホリデイ2023)のチケットもゲットして、もう色々に嬉しいことづくめの金曜日でした。

新体制に移行したNoism Company Niigataによる第一作目『Der Wanderer-さすらい人』70分、それを見詰める者も、一人ひとり「人生」をさすらうことでしょう。そしてそのさすらいの果てにどこに連れて行かれることになるのか、是非その目で受け止めてください。チケットは絶賛発売中。「完売」の回もありますので、お早めに。

【追記】この記事へのコメント欄に、fullmoonさんによる 1/21(土)新潟2日目公演についての報告もありますので、よろしければご覧ください。

(shin)

超えていく金森穣Noism♪ 15周年記念公演・新潟初日

2019年7月19日(金)。一時、物凄い雨量が人を慌てさせた午前中を、その後、雨脚は弱まるも、蒸せかえるような息苦しい午後の時間を凌いで迎えた19時。喧しい世間をよそに、その時その時に最善の選択をしていかんとする金森さんが仕掛けた「15周年記念公演」、その初日。

ホワイエには、「新潟の奇跡」でもあるNoism15年間の軌跡がところ狭しと掲げられ、「祝祭空間」の趣きが濃厚です。過去作品のチラシを集めたボードに、頭上高くズラリ並んだ公演ポスターたち、更に、篠山紀信さん撮影の『中国の不思議な役人』の井関さんパネルに、『NINA』中国公演時の数種の大判ポスターなども目を引きます。どれも、じっくり眺めていたいものばかりなのですが、圧倒された私などは、落ち着きを失ってしまい、なんとかスマホに幾枚か画像を記録させることができただけ、そんな塩梅でした。(汗)

映り込みご容赦願います。個人的には、「Mirroring Memory」となっております。(笑)

そして19時。いよいよ公演の幕があがりました。まずは、『Mirroring Memories-それは尊き光のごとく』。昨春、上野の森バレエホリデイでのみ上演されただけの記念碑的な作品の改訂版です。2007年、金森さんのお誕生日(11月22日)に、恩師モーリス・ベジャールがお亡くなりになるという奇縁。それを機に、ご自分の作風も変わったと回顧される金森さん。「抗うことのできないどうしようもない力」の象徴として頻出する黒衣に纏わる10の場面を抜粋して、金森さんのソロパートの冒頭部と新たな振付を含む感動的なラストで挟んで構成されています。65分間の愉悦と感動。抜粋元の作品名も示されますので、鑑賞の手助けになります。ご覧になられた後にポスターやチラシを探してみるのも楽しいかもしれませんね。

しかし、かく言う私は、『Mirroring …』を再見したら、もうその感動の大きさにもちこたえているのに精一杯で、10分の休憩はあたふたするばかりで、とてもとてもなにかに充てるなどできなかったのですが…。(再びの汗)

休憩後、新作『Fratres I』の「本番」に向き合いました。絶句。公開リハーサルを2度見せてもらっていたというのに…。文字通りの絶句。これは!金森さんがメディア向けの3度目の公開リハーサル後の囲み取材で、「トップシークレット」という表現を用いた意味が判ろうというものでした。超弩級!ただただ物凄いものを観たとしか…。

確かに公開リハでも見ていました。基本的には同じものでしょう。しかし、これは別物です!断言します。まんまと金森さんにしてやられた、そんな気もするくらいです。まあ、それもいつものことなのですけれど。練度を増し、照明と演出も加えた舞台には驚愕する以外ありません。超えていくのです、金森穣Noismは。ですから、彼らから目を離すことはできないのです。あの透徹した美しさ、呼吸することさえ忘れるほどの厳粛さはまさに圧巻。魂が震えるというのはこのことです。わずか15分というのに、完全に観る者を現実から別次元へと連れ去ってしまいます。それ以上はここでは書きません。是非、ご体感ください。

終演後、客席もビビッドに呼応しました。割れんばかりの拍手に、飛び交う「ブラボー!」の声。緞帳が下がり上がりするたびに増していくスタンディングオベーションの人数。見回すと、幸福そうに顔を上気させて拍手し続ける人以外目に入ってきません。それくらい、圧倒的な15分間の視覚体験です!

一方、前半の『Mirroring …』のあとは緞帳が下がると、カーテンコールもなく、あっけないほどに、すぐ客電が点き、休憩を知らせるアナウンスが入りますから、拍手は後悔なきよう、短期集中で、出し惜しみ厳禁ですね。

超えていくのです、金森穣Noismは。まさにまさに。この公演を契機に、彼ら自らの手で新たな契約更新を勝ち得ていくこと間違いなし、そう確信した宵でした。「新潟の奇跡」、永遠に♪

最後に物販情報です。今回、初登場の夏らしいボーダーのTシャツが色・サイズ違いで2種(紺・グレー、各3500円)に、バッジとワッペン(各1200円)がございます。いつ着ようかしら。どこに付けようかしら。ご鑑賞の記念に、そしてNoism支援の一助に是非ご検討ください。

(shin)

東京文化会館小ホールに登場したNoism

Noism1特別公演:『Mirroring Memories-それは尊き光のごとく』 〈上野の森バレエホリデイ2018〉(2018/04/28~30)

山野博大(バレエ評論家)

初出:サポーターズ会報第34号(2018年7月)

 東京で本格的なバレエ公演が行われるところとしては、上野公園にある東京文化会館の大ホールが広く知られている。その正面入り口の左手の緩やかなスロープを登ったところにあるコンサート用の小ホールが舞踊のために使われることは最近ではほとんどない。しかしここは天井の高い石造りの荘重な雰囲気を漂わせた空間であり、かつてはときどき舞踊にも使われていたのだ。その小ホールに、会館主催の《上野の森バレエホリデイ2018》の特別公演として新潟市の公共ホールりゅーとぴあの専属舞踊団 Noism1 が登場した。そして金森穣の新作『Mirroring Memories -それは尊き光のごとく』を上演した。ドアーサイズの鏡10枚を横に並べた舞台がひろがっていた。鏡は半透明でその後ろにあるものに光が当たると、前と後ろが同時に見える仕掛だ。鏡をいろいろに並べ替えて舞台を作った。

 金森のソロから始まった。シェイクスピアの芝居などで開幕に役者が登場し口上を述べる場面を思い出した。しかしこれは、エコール=アトリエ・ルードラ・ベジャール・ローザンヌで、彼が振付を習った当時の初心を振り返るシーンだった。金森は、師の舞踊劇創作の手法を彼の方法で踏襲し、作品を創り続けてきた。ここでは、2008年の『人形の家』より「彼と彼女」、09年の『黒衣の僧』より「病んだ医者と貞操な娼婦」、10年の『ホフマン物語』より「アントニアの病」、11年の『Psychic 3.11』より「Contrapunctus」、12年の『Nameless Voice』より「シーン9-家族」、14年の『カルメン』より「ミカエラの孤独」、15年の『ASU』より「生贄」、16年の『ラ・バヤデール-幻の国』より「ミランの幻影」、13年の『ZAZA』より「群れ」、17年の『マッチ売りの話』より「拭えぬ原罪」のハイライトを次々に披露した。

 黒衣(くろご)とか、後見(こうけん)と呼ばれる舞台で演技者を助ける役割の者が、日本の能、歌舞伎、日本舞踊などの世界には存在する。彼らは着物の肌脱ぎの手伝い、早替わりの糸の引き抜き、小道具その他の受け渡し、不要となったものの取り片付け、役者の座る椅子の調整などを行っているが、もともとは演技者が舞台を続けられなくなった時に、即座に代わることを主な役割とする人たちだった。客席にいる将軍などの要人に対して、舞台の中断があってはならないという配慮から用意されたと言われている。

 その黒衣が金森の作品にはしばしば登場して重要な役割を担ってきた。後見は着物姿だが、黒衣は黒装束に黒頭巾。日本の古典芸能の世界では、どちらも観客には見えていないことを約束事として舞台は進行する。ところが金森の使う黒衣は、黒の装束は同じでも、その役割はずっと重い。ドラマの進行そのものが黒衣のコントロール下にあるような感じを受ける場面もあるほどだ。主役同士の互いの意志だけで世の中の諸事が進むわけではなく、何かより大きな力によって思いがけない結末に転じて行くのが現実だ。そのようなところで、彼らの存在が際立つ。『Mirroring Memories』を見て、私はその感をいっそう深くした。

 最後は金森と井関佐和子のデュエットだった。女性ひとりを舞台中央に残して彼らは鏡の背後に…。鏡のそれぞれには、それまで彼の作品を踊っていたダンサーたちがすでに並んでいた。その眺めは、役者の絵看板を並べた芝居小屋の風景であり、人気俳優のブロマイドを並べたような感じでもあった。彼は、日本の舞台芸能独特の黒衣を有効に活用する手法も加味して、師匠のベジャールに倣い舞踊劇を作り続けてきた。ここで上演された『Mirroring Memories』では、ハイライトを並べたことにより、彼の手法がより明確になった。 

 私は、彼が選んだ作品のすべてを見ていなかったし、そのハイライト部分がオリジナルのどのあたりだったかを明確に特定できないこともあった。また舞踊作家自身が自身の過去の作品を再演すると、どうしても今の自分を抑えきれず、オリジナルから離れるものだ。そんなこともあって、次々に手際よく展開された上野文化会館小ホールでのダンスの奔流を、私は彼の最新作という印象で見せてもらった。

サポーターズ会報第34号より

メディア向け公開リハ(DAY 3)は『Mirroring Memories』から

「15周年記念公演」の初日を8日後に控えた2019年7月11日(木)、薄曇りでやや風の強い午後、りゅーとぴあ・劇場を会場とするメディア向け公開リハーサル(DAY 3)および金森さんの囲み取材に出掛けてきました。

ここ数日、活動継続を巡るメディア露出が続くなかとあって、マスコミ関係者もいつになく大勢参加していました。

私はと言えば、運よく、一連の公開リハ3日間「皆勤」でしたので、「今日は何を見せてもらえるのだろう?」と少し余裕も感じていたのですが、スタッフの「『Mirroring Memories-それは尊き光のごとく』の一部をご覧いただきます」の声に、「3日間とも趣向が違うんだ」と思いながら、劇場への扉を通ると、すぐに舞台上でアップを続ける舞踊家たちの姿が目に飛び込んできて、いきなり、気分は上がりまくりでした。

この日は、導入部とエンディングを除き、「黒衣」に纏わる「黒い印象」を持つオムニバス部分を全て通して見せていただきました。本番の照明こそありませんでしたが、あの伝統的なイングランド民謡が流れ出すと、もうそこは「妖術」でも幅を利かす世界かと見まがうほど。でもそれ一色ではなしに、心を締め付け、涙腺を狙い撃ちするかのような場面も挿入されるしで、まさに目も眩むばかりの怒涛の展開。『ホフマン物語』『カルメン』『ASU』『ラ・バヤデール』…。抗うことなく、呑み込まれてしまうのが得策です。贅沢に感情を揺さぶられ続けることでしょう。

「OK, guys! Much better! Much better in every scene….(どの場面も随分よくなった)」金森さんの言葉が聞こえて、公開リハは終了。ついで、ホワイエでの囲み取材がもたれました。

いつも以上に、この日のマスコミ各社には色々尋ねてみようという思いがあったようでした。見たばかりの『Mirroring …』が比較的言語化しやすい作品に映ったことで、敢えてこの時期にぶつけてきたのかとの問いに、金森さん、「一年も前から会場(劇場)を押さえて準備してきているので、今のこの状況はわかる筈もなかった。文化的に価値のあるものをやるのであって、説得のためにやるのではない」とキッパリ。

『Mirroring…』の構成順に「上野の森バレエホリデイ」のときと異同がある点に関しては、ラストのワーグナー『夢』の前に井関さんのソロ(『痛み』)を追加したことで、そのままの順序とはいかず、一箇所シャッフルすることになったものとのこと。金森さんは今回の『Mirroring…』を「改訂版再演」とも「劇場版は初演」とも言っていましたから、上野でご覧になられている方も必見かと。

以下に、金森さんが質問に答えるかたちで語ったことを少し紹介してみます。

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『Mirroring …』、黒衣と鏡が印象的な作品。黒衣は場面毎に多義的であるが、総じて抗いようのない力、宇宙における「ダークマター」的な存在の象徴。一方の鏡、そのメタファー(隠喩)。各パートが乱反射し合って、記憶を構成する。その時間軸の体験を通して、「ああ、Noismだね」と理解されるものがあるとしたら嬉しい。

「15周年記念」という思いが強いのは、『Fratres I』の方。群舞であって、国籍も異なる皆でともに祈るように踊る。今の新潟で、今の現実は振り払おうとしてもできることではない。いつも以上に気合が入っているところもあるし、今まで通りに信じていること、踊りにしかできない表現を真摯に届けようという思いもある。

20世紀が「舞踊の世紀」(モーリス・ベジャール)なら、21世紀は「身体の世紀」。人間がもつ身体とは何かが問われる。頭で作られた国籍や性差などにどう向き合っていくか。

市民有志による「要望書」提出の動きには本当に感謝しかない。あらゆる対策を練らねばならない。この状況、ただひとり舞踊事業の問題にとどまるものではなく、自治体(新潟市)がりゅーとぴあ及び劇場文化政策をどう捉えているかが問われている。等々…。

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幕があがるまで、あと8日。今は幸福な「おあずけ」状態を一瞬一瞬ドキドキしながら過ごすことと致します。皆さま、劇場でお会いしましょう。

(shin)
(撮影:aqua)

七夕の公開リハーサルDAY 2、新潟市はこの日も夏模様

公開リハーサル2日目は2019年7月7日(日)、自動車の外気温表示によれば、外は30℃越えの「真夏日」。幸運にも、前日に続き、2日目の公開リハも見せていただきました。

のっけから誠に恐縮ですが、この日のレポートに先立ち、別のお話から書き出すことをお許しください。

時間は少し遡ります。七夕の公開リハに備えて、朝から時間を過ごしていたところ、突然のニュースが目に入ってきました。訃報。ジョアン・ジルベルトが亡くなったことを報じるYahoo!の見出しに動きが止まります。享年88。まだ若いじゃないか。毎年、今頃からの灼けつく夏本番には、彼のボサノバを聴いて、涼風を感じていたというのに…。切ない。心に大きな穴が開いたよう。りゅーとぴあまで走らせる車中は『ゲッツ/ジルベルト』を聴きながら。いつも同様、色褪せることのない音楽ではありますが、見上げるコントラストの強いなつぞらは寂しげに映るより他ありませんでした。そんな人も多かった筈。幸い、Noismがあってくれたお陰で、私の心の隙間はなんとか埋められたのですが…。心よりご冥福をお祈りいたします。

前置きが長くなりました。さて、本題に戻ります。公開リハDAY 2です。

なんと、この日は『Mirroring Memories-それは尊き光のごとく』後半と『Fratres I』を見せてもらえるとのこと。なんという大盤振る舞いでしょう。前日からの「そうだったらいいなぁ」が現実のものとなり、12時、スタジオBに入る頃には、件の憂愁もすっかり影を潜めていたことを書き添えておきます。

前日の最後の場面からのスタートです。

『Mirroring …』後半はオムニバス形式の断章が見事に撚り合わせられ、ラストに向かってぐんぐん進行していきます。傍らで視線を送っていた知人のなかには感極まって涙する姿も見られたくらい、観る者の感情を揺さぶってくる力には尋常じゃないものが漲っていました。また、通常なら舞台袖として隠れている部分も「あらわし」になっていますから、引っ込んだ後の(早)着替えの様子もすべて見えていて、その速さもさることながら、一つひとつ断章であって、本来繋がってはいないものを次々踊っていく「役への入り方」にも並々ならぬものがあるのだろうことをこの日は感じさせられました。

休憩を挟んだ後は『Fratres I』。群舞におけるシンクロ具合は、前日の比ではありません。更に2週間弱の錬磨の果てにどんなものを見せてくれるのか、既に圧倒される準備はできています。

未だ「完成形」ではない公開リハを見たに過ぎませんが、今回の2作品が、金森さんの恩師モーリス・ベジャールからご自身へ、更に金森さん振り付けの諸作を通して、若き舞踊家たちの未来へと繋がる、通時の「縦糸」を表出する『Mirroring …』と、「同士」を意味しながら、敢えて金森さんと井関さんを若い舞踊家たちのただなか、等価の位置に置き、共時の「横糸」を示す『Fratres I』との組み合わせであり、その「結節点」に、金森さんと井関さんを観るという体験は、まったく趣きを異にする2作に、コンテンポラリーダンスの過去、現在、未来すべてを包摂しようとする志向性を楽しむ公演と言って差し支えないでしょう。余計なことを書きました。要は、本番が待ち遠し過ぎるということです。

そして、公演前にもう一度、マスコミ向けの劇場リハーサル(DAY 3:7月11日・木曜日)も見せていただけることになっておりますので、また、レポートしたいと思います。

(shin)

文月、なつぞらの新潟市・公開リハーサル DAY 1

Noism新作公演の公開リハーサル初日、2019年7月6日(土)の新潟市はここ数日の「曇り空+蒸し暑さ」から一変、青と白のコントラストが美しいなつぞら。

昂ぶる気持ちを抑えつつ、11時50分の入場を待った活動支援会員たちの「幸福」はおわかりいただけるものと思われます。

会場のスタジオBへ導かれると、それぞれアップに余念のない舞踊家たちの姿。衣裳の質感や細部までガン見できる至近距離!

正午を少しまわった頃、公開リハDAY 1は始まりました。この日は『Mirroring Memories -それは尊き光のごとく』の前半部と新作『Fratres I』を見せていただきました。照明こそありませんでしたが、どちらも本番の衣裳を纏ってのリハーサルに、観ている側の気分も上がりました。

先ず、『Mirroring …』前半ですが、チラシ裏にある順序とは異同がありました。新たなパートも加わるのでしょうし、昨春の「上野の森バレエホリデイ」から進化・深化した舞台になること請け合いです。また、「上野」時からのメンバー変更に伴う入れ替えも「なるほど」って感じでした。

そして、5分の休憩を挟んで、新作『Fratres I』を待ちます。金森さんから「トイレへ行ったり」など促されましたけれど、誰も席を立つことなく、「板付き」のポジションで、入念に動きの確認をする15人の舞踊家を見つめ続けていました。

金森さんを含めた総勢15人による、知らされている通りの群舞作品です。もしかしたら、少し引いて観た方が凄みが伝わってくると思われ、(←個人的な印象です。)至近距離の椅子に腰掛けながら、上体を後ろに反らせて、視界に入る人数を増やすようにして見つめました。

また、個人的な話で恐縮ですが、行きも帰りも、車のなかでペルトの『フラトレス』を流しながら往復したのですが、行きの「どう創るのだろう?」が、「そう来るのね!」に替わって帰宅することになりました。同じ音楽なのですが、聞こえ方がより深くなったようにも感じました。

で、ここから先は、まだ目撃したのが10名足らずの「新たな創作」であることに鑑み、衣裳をはじめ、ほぼ一切、書くことを慎みたいと思います。どうぞ悪しからず。

なつぞらの下のりゅーとぴあ界隈、スマホで撮った数枚の写真のうち、公開リハDAY 1で目にしたものに最も似つかわしい雰囲気をもつ写真はこちらでしょうか。新作公演、深い情緒に打たれること間違いありません。

まだ見ぬ新『Mirroring …』の後半と『Fratres I』の錬磨に期待が弥増すばかりの文月、土曜日の午後でした。皆々様、乞うご期待でございますよ。

(shin)

楽日の『Mirroring Memories』が上野の森を祝祭空間に染め上げたバレエホリデイ

2018年4月30日(月・祝)の上野の森バレエホリデイ、
東京文化会館の小ホール界隈には見知った顔が溢れていました。
金森さんの出自を見詰めるが如き、興味深くも贅沢な作品の楽日でしたから、
見逃す訳にはいかぬとばかり、この日を楽しみにしていた方々が
続々集結してきたのにも何の不思議もなかった訳です。

冒頭の新作『Distant Memory』、
恩師ベジャールへの有らん限りの愛と敬意をその身体から発散させて、
心を込めて、ひたすら丁寧に、そして丁寧に踊りあげていく金森さん。
繊細かつ静謐に、微かな心の震えまでが可視化されていきました。
そして見上げる先に2008年からの過去作の画像が次々映されたかと思うと、
その結びにベジャールと若き金森さんのモノクロのツーショットが現れるではありませんか。
この演出にやられない人などいよう筈がありません。
そしてそれが余韻を残しながら静かに消えたかと思うと、
今度はその下、舞台奥にアール状に据えられた
縦長10枚のハーフミラーがその向こう側の10人を透して見せます。
目に飛び込んでくるのは、いずれも金森さんの手により造形された人物たち。
この後、ハーフミラーが不規則に開いては、奥の人物が現れて、
10の断片が次々踊られていくことになります。
情感たっぷりでいながら、なんとスタイリッシュな滑り出しでしょうか。

黒衣と生と死、或いは死すべき運命。そうした共通項を持つオムニバスは、
単なる抜粋に止まらず、例えば、井関さんによるミカエラが
カルメンの仕草をなぞって踊ったのち、
背後からすらりとした長躯の黒衣(!)が現れ、
ミカエラをその両腕に抱き締めるという感動的な新演出が加えられていたりもして、
まさに見所満載。片時も目を逸らすことは出来ませんでした。

この日の公演は、初日がそうであったと聞く通り、随所で拍手喝采が起こり、
その都度、会場の雰囲気は高揚していきました。
演じられた10の断片、その一つひとつに触れていくべきなのでしょうけれど、
ここでは、ラストに置かれた新作『Träume ―それは尊き光のごとく』へと急ぎます。
しかし、そのためには、直前の『マッチ売りの話』に触れない訳にはいきません。
あたかも「原罪」を刻印でもしたかのような禍々しい仮面をつけた8人の手前、
震える指でマッチを擦る浅海さん。
彼女が上着の下に纏うのはオリジナル版と異なる白い衣裳であり、
それは作り手でありながら、作品内部へと越境し、
舞台中央奥から現れてくる金森さんの衣裳と重なるものであると同時に、
続いて姿を見せる井関さんにも通じる衣裳でもあります。

『Träume』、父と母そして子、或いは継承する者。
溢れる慈愛の眼差しのなか、浅海さんは舞踊における母に抱かれ、
舞踊における父に守られながら、
促されて、自らの左手人差し指で遠い彼方を指差すと、
それが指し示す上方へと目をやり、自らの足で立つ力を得ます。
それは紛れもなく若き日の金森さんの似姿。
背後にはハーフミラーが透かして見せる人物たち。
このときは、そのなかに金森さん自身も含まれています。
で、はっと何かに気付いたように浅海さんが振り向き、舞台奥を見やるが早いか、
ハーフミラーはもはや何者をも透かすことをやめてしまい、…。暗転し、終演。

ラストで見事に示されるのは、躍り継ぐ者へ託される希望と躍り継ぐ者の決意。
光輝に包まれながら。
この切れ味鋭い、見事な幕切れに対して贈られる大きな拍手とブラボーの掛け声。
そして舞台の上と客席とを暖かい一体感が包んでいきます。

このときの客席の雰囲気は、舞踊の神が、ベジャールを経て、
金森さんと井関さん演じる父と母の姿をとって降臨するさまを
目の当たりにでもしたかのようだった、と言っても大袈裟ではなかったでしょう。
そして、それはまた、このときの東京文化会館・小ホール全体が、
さながら幸福な祝祭空間と化したかのようでもありました。

ひととき、私たちを取り巻く現実界を傍らに、
重層的な魔法の時間に酔いしれることを可能にしてくれた金森さんとNoism1。
60分間ののち、ホールから出てくる人たちの顔という顔には
一様に覚めやらぬ陶酔、或いはこぼれんばかりの多幸感が見て取れました。
それはまさに金森さんによって作品のラストに置かれた希望の煌きを
反映する(mirror)表情だったと言えます。

幸せな、このうえなく幸せな上野の森バレエホリデイの
三連休だったと言い切りましょう。
(shin)

【『Mirroring Memories ―それは尊い光のごとく』キャスト表】