東京バレエ団『スプリング・アンド・フォール』『イン・ザ・ナイト』『かぐや姫(第2幕)』初日を観てきました。(サポーター 公演感想)

この公演はG.W.期間中に開催される「上野の森バレエホリデイ2023」の一環として開催されるものです。
東京文化会館もバルーンで飾り付けられたり、ロビーにバレエの衣装やダンサーのポワントの展示があったりと、いつもに増して華やいだ雰囲気でした。

入り口では巨大なバルーンのエントランスが
お出迎え。
小ホール向かうスロープにも
こんな素敵な電飾が!

今日(2023/04/28)は平日(金曜)夜公演ということもあってか、客層は大人が多く、落ち着いた印象を受けました。明日、あさっては休日の午後公演ですし、関連イベントも盛りだくさんなので、お子さんや家族連れのお客さんも増えるのでしょう。

(ちょっとギリギリかな)と思いつつ、入場を終えプログラムを購入してから席に着くと、午後7時の開演時刻から約10分過ぎに照明が落ち、ノイマイヤー『スプリング・アンド・フォール』が始まりました。
ドヴォルジャークの弦楽セレナーデで踊られる作品は、ところどころ東洋的な所作なども感じ、若々しく爽やかに演じられました。とても東京バレエ団にふさわしいレパートリーだと思いました。

休憩後、舞台袖にグランド・ピアノが運び込まれ、ロビンズの『イン・ザ・ナイト』がショパンのノクターンの生演奏とともに演じられます。
夜の闇と星のみえる舞台で三組のデュオによる素敵な作品でした。
(長身の上野水香さんは舞台に映えるなあ。今、長身のプリンシパルって少ないかも)などと思いながら観ていました。

そして次の休憩後には、待ちに待った金森さんの『かぐや姫(第2幕)』です。金森さんが事前にお話ししていたように、衣装・舞台装置が一新されましたが、想像以上で驚きました!
舞台が宮廷のシーンに移ったから、という解釈もありますが、概念としての「かぐや姫」としたほうが時代考証などに縛られず、作品が普遍性を持つのでは、と思いました。
Noismで『鬼』をスタイリッシュに作り上げた金森さんらしいと思います。

白く輝く舞台がシンプルながらゴージャスで美しく、まさに宮殿の雰囲気を感じます。

迫力のある男性群舞や摺り足で踊る女性群舞もみものでした。普段の金森作品にはあまり感じないベジャールっぽさも感じました(いや、でもあれもこれも金森さんの動きだ!と当惑しつつ)。

今回は10場(10曲)のシーンから構成されていますが、普通のグランドバレエにある情景や間奏曲というものがないためか、どれも見もので気が抜けない!
今回(今日)は初演ということで、上演中の拍手はありませんでしたが、拍手を受ける「間」はありそうなので、今後は曲毎の拍手も入るのでしょうか。

そして第2幕を観終わったあとに思ったのが、(2幕でここまでなら、3幕はどうなるの?)という疑問。既に自分の知る「かぐや姫」とは微妙にストーリーが異なっているように感じますし、3幕は更に金森さんの世界が拡がる予感がします。
既に発表されている1幕との接続性も含めて、秋の全幕初演が今から楽しみです!

ホワイエ中央には大きなバルーンが輝いていました!
今「かぐや姫」が熱い?
来年にはこんなイベントが!

(かずぼ)

心を鷲掴みにされ、身体は熱を帯びた新潟公演9日目の『Duplex』

例年より一日早い節分と立春を経た週末、2021年2月6日(土)の新潟市は、前日早朝の物凄い路面凍結が嘘のように、穏やかな日差しに恵まれ、暦の上のみの春から、日々、その「兆し」が大きくなっていることを実感できる一日でした。

そんな午後、りゅーとぴあ・スタジオBへ、『Duplex』の新潟公演9日目を観に行ってきました。都合3回目の鑑賞でした。有難いことです。

過去2回は、全体を視野に収めることが出来るほぼ中央部の席から観ていたのですが、この日は連れ合いが「最前列で観よう」と言うので、その言葉に従って、首振り覚悟で、一番前の席を選んで腰掛けました。複数回観るのなら、やはり、一度はその選択はアリですね。森さんの『Das Zimmer』では、あたかも「部屋」の一員ででもあるかのように、願えども得られない繋がりに身悶えし、「不在」に身を焦がす、その切なさを共有しましたし、更に、金森さんの『残影の庭』にあっては、3人の腕の産毛さえ視認でき、空気の震えまで伝播してくる近さはもう「圧巻」の一言で、一瞬にしてあたりを浸してしまう武満徹の「一にして全」の楽音とフォルテッシモで迫ってくる無音を全身で浴びることと相俟って、心を鷲掴みにされる時間を堪能しました。両作品とも、これまでの少し引いた席から視線を送っていたときとはまったく別物の見え方でした。

『Das Zimmer』の情緒たっぷりのピアノは誰だろう。ショパンなど、勝手に、無責任極まりなくも、「ホロヴィッツ」などという名前を思い浮かべたりするのですが、まったく根拠もないことでして、どなたか詳しい方からのご教示を賜りたいところです。宜しくお願い致します。m(_ _)m

『残影の庭』は、「耳を澄ますこと」と「目を凝らすこと」により、繰り返される季節の移ろいに、そしてその変化の「兆し」に、「奇跡」を感得する深みに打たれずにはいられません。また、この日は山田勇気さんの浮かべる表情が、金森さんとのデュオのときと、井関さんとのデュエットのときとでは全く異なることに目が反応しました。

どちらの作品に対しても、腕がだるくなるくらいに、少しでも大きな拍手を送りたいと思わずにはいられませんでした。その後、出口付近で手指消毒をして帰ろうと、検温機能付きの機器に両手をかざすと、いきなりピー音が鳴り、「37.7℃」と表示されて、ちょっと焦ることに。しかし、「そんな筈はない」と、慌てて隣のサーモグラフィーカメラに移動し、今度は額で測定させると「36.4℃」という数値を出してくれたので、ホッと胸を撫で下ろしました。なるほど、この公演の「熱さ」は、間接的に、検温機器にも伝わっていた訳でして(←ホントか?)、「ブラボー!」と叫べない今、先刻の精一杯の拍手が演者にその熱量を伝えてくれていたら嬉しいと思いながら、帰路につきました。

『Duplex』新潟ロングラン公演も残すところ、あと3公演となりましたが、楽日前日の2月10日(水)(19:00~)の公演は、11:00より若干の当日券販売があるとのこと。(りゅーとぴあ2Fインフォメーションでの販売。)「争奪戦」が繰り広げられるかもですけれど、諦めていた方には「吉報」と言えるのではないでしょうか。チャレンジあるのみです。もしでしたら、ご検討ください。

(shin)

『Duplex』新潟公演第2クール2日目(公演5日目)を観る♪

新潟市の2021年1月30日(土)は、週頭からの予報では前日からの「暴風雪」が続くとされた日。しかし、開けてみれば、時折、真横から雪を伴った強風が吹き付けたりすることはあるものの、そんな人をいたぶるような荒れた時間は割りに短く、積雪も、酷い路面の凍結もなく終始し、安堵することになりました。

「もし荒れた天気だったら嫌だな」など思いながら迎えた『Duplex』新潟公演第2クール2日目(公演5日目)でしたが、まあ、それも杞憂に終わり、「舞台を楽しむだけ」という気持ちで客席に着けたのはラッキーでした。

また、開演前と終演後には、久し振りに会う方々とも、適度な距離を保ちながら、言葉を交わすことができ、「ワクワク」と「うっとり」が増幅するのを楽しみました。

前週の金曜日に初日の公演を観てから、この日が2回目の鑑賞。やや余裕ももちながら視線を送っていたつもりでしたが、瞬きも忘れて凝視したりしていたらしく、ドライアイ気味になり、目をショボつかせることしきり。そして驚きの場面と知っていても、またしても驚いてしまったり、「2度目だというのに」とそれこそ驚きでした。

次に2作を観た個人的な印象を若干記したいと思います。心に浮かんだよしなし事を、ネタバレを避けつつ書き付けるつもりですが、お読みになりたくない向きは、*****と*****の間を読み飛ばしてください。

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森優貴さんのNoism1『Das Zimmer』。冒頭から張り詰めた空気は不穏そのもの。10人(+1人)の内面を表象する色濃い影。交わらない視線、一様でない表情。ときに翻り、ときにたくし上げられるスカートの裾、その性的(sexual)なimplication(暗示)。対する大仰な男性らしさ(musculine)の誇示。注ぎ、注がれる品定めの視線。性別(gender)への違和(SOGI)。かりそめでこれ見よがしの交歓。喪失(語られることのない)と過去の呪縛、震え…。この部屋を照らす光源はどこに見出せるのでしょう。重ねられていくfragileな(脆い)断章に、ラフマニノフとショパンは似合い過ぎです。

金森さんのNoism0『残影の庭~Traces Garden』。こちらは勿論、「はじめに武満徹の音楽ありき」の舞踊。武満本人が使った表現で言えば、「沈黙と測りあえる」音、或いは極めて沈黙と親和性の高い音が、ぽつん空間に落ちるや、一瞬にしてあたりを浸してしまうかのような彼の音楽を可視化した美しさが際立つ作品は、徹底して耳を澄まさんとする意志に貫かれた端正な作品でもあります。また、目に鮮やかな黄色と赤から、それぞれカロテノイド(黄)、アントシアニン(赤)と自然界の植物色素を連想させられたのも武満ゆえかと感じられました。

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どちらも最初に観たときよりも、強く胸に迫ってくるものがありました。複数回観る幸福に浸りながらも、同時に、より多くの人に観て貰いたいという気持ちもあり、その意味では複雑な部分もあります。やむを得ないこととは言え、50人とは少な過ぎ、勿体なさ過ぎです。それだけに凱旋公演であるとか、「生」が無理なら、配信であるとか、なにか機会を作って頂けないものかと思ったりもします。そんなプラチナチケットの公演、これからご覧になられる方はご堪能ください。

(shin)