音の粒を宿す身体、その僥倖(サポーター 公演感想・2023/08/06)

「サラダ音楽祭」での東京都交響楽団とNoism Company Niigataとのコラボレーションも今年で四年目となった。20年9月、新型コロナ禍による緊急事態宣言下での『Fratres』上演に新潟から駆けつけた時の緊張感と、街行く人の多くがマスクを着けていない現在との対比や、まとわり着くような東京の暑熱に眩暈しつつ、会場となる東京芸術劇場へ向かった。

今回は金森穣さんと井関佐和子さんのデュオが、都響と共演。J.S.バッハ(マーラー編曲)管弦楽組曲『序曲』がクライマックスに差し掛かる頃、舞台の上手・下手から金森さんと井関さんが登場。舞台中央で互いを見つめつつ廻る二人の姿に眼を奪われる内、間断無くに「エア(アリア)」(ヴァイオリン曲に編曲された『G線上のアリア』として有名)の演奏と舞踊が始まる。

大野和士氏指揮による都響の演奏、その音のひと粒ひと粒を身体に置き換えるように、互いが時に主旋律、重低音となって舞う金森さんと井関さん。先日の『Silentium』同様、言葉以上の雄弁さで、信頼・愛情・緊張を身体の動きで語り尽くす二人から放たれる情感は圧倒的。個として立脚した舞踊家が、緊迫感と多幸感を矛盾させることなく、互いの身体と音楽に解け合って行く約5分の舞台を、脳裏に焼き付けるよう見つめた。僥倖のようなひと時と言いたい。私はどうしても男女の愛しあう姿を二人に重ねて羨望を覚えてしまうが、それに留まらない普遍性を伴って、音楽そのものになって舞う金森さん・井関さんに、惜しみ無い拍手が送られた(カーテンコールは三回に及んだ)。

続くドヴォルザークの歌曲『スターバト・マーテル』は80分を超える10曲の演奏だったが、4人の声楽家、新国立劇場合唱団の圧倒的な歌声も相まって、音楽の渦を全身で味わい尽くすような時間だった。

(久志田渉)

「領域」東京公演最終日、「舞踊」の力を見せつけて大千穐楽の幕おりる♪

2023年7月16日(日)、三連休中日の東京はまるで電子レンジのなかにいて、ジリジリ蒸しあげられていくのを待ってでもいるかのような「超現実」の一日。朝、新幹線で新潟を発ってから、外気に身を晒す度に、「温帯」に位置する国の首都にいることが信じられないほどの危険な感覚を味わいました。そんな「超現実」。

そう、そんな「超現実」の「危険」を避けることができるエアコンが効いた屋内での舞台鑑賞と言えば、何やらこの上なく「優雅」な振る舞いとも思われかねませんが、そこはNoism0 / Noism1「領域」ダブルビル公演です。「優雅」なことは間違いありませんが、レイドバックしてなどいられない、またひとつ別種の「超現実」を受け止めることになるのでした。

開演前のホワイエには、金森さんと親交の深い東京都交響楽団ソロ・コンサートマスター矢部達哉さんのお姿もあり、この先の「サラダ音楽祭」での共演への期待感も一層高まりました。

この日、『Silentium』開演は15時。それ以前から緞帳があがって顕しになった舞台上、上手(かみて)にはこんもりした古米の小山があるのは新潟公演のままでしたが、下手(しもて)側、既に炎が灯っていたのは、新潟で観た3日間との違いでした。

やがて、おもむろにペルトの楽音が降ってくると、それに合わせて緞帳がおりてきての開演。再び緞帳があがると、古米の小山の脇、少し奥に揺れるふたりの姿が朧気に見えてきます。朧気に。それもその筈、未だ紗幕によって隔てられているためです。その紗幕もスルスルあがると、見紛うべくもない金森さんと井関さん、ふたりの姿が明瞭に視認できます。既に緩やかに踊っているふたりが。

既に踊っているのです。新潟公演中日のブログでも書いたことですが、演目の始まりが曖昧化されているのです。

そして落下する古米の傍ら、全くと言ってよいほど重力を感じさせないふたりの身のこなしやゆっくりとしたリフトは見るだに美しいものに違いありませんが、そうこうしているうちに、次に不分明になってくるのが、その「ふたり」であるという至極当然に過ぎる事実です。宮前さんの驚きの衣裳を纏って絡み合う「ふたり」がもはや「ふたり」には見えてこなくなる瞬間を幾度も幾度も目撃することになるでしょう。「じょうさわさん」とも呼ぶべき「キメラ」然とした様相を呈する「ふたり」は、「耽美的」なものに沈潜しようとすることもありません。安直な「美」を志向しようともしない、その振付の有様は、容易に言い表すことを拒むものですが、強いて言うなら、「超現実」的な意味合いで「変態的」(決して貶めているのではありません。むしろ独創性に対する驚嘆を込めた賛辞のつもりですが、安易な形容など不可能な故に、このような一般には耳障りの悪い表現になってしまったものです。ご容赦願います。)とでも形容せざるを得ないもの、そんなふうに感じた次第です。また、無音で振り付けたという動きは、観ているうちに、20分弱流れるペルトが触媒として聞こえてくるような塩梅で、音楽との関係も普通らしい領域を逸脱してくるようにも感じられました。

「変態的」と形容した所以。それは舞台上に提示された「20分弱」がひとつの舞踊作品としてではなく、あろうことか、金森さんと井関さん「ふたり」がこれまで共に歩んできた舞踊家としての膨大な時間のなかの僅か「20分弱」を垣間見せようとする意図の上に構築されたものに違いないと思ったことによるものです。これまでの全てを包含したうえで、今、そこで踊られていて、この先も変わらず踊られていく、互いに信頼し合う「同志」としての「ふたり」の関係性や覚悟そのものが作品として提示されていた訳です。ですから、作品として画するべき始まりも終わりも持たないことは必定でしょう。それはすなわち、私たち観客にとっては「超現実」であっても、「ふたり」にとってはこれまで重ねてきて、これからも重ねていく「日常」でしかないような、そんな「作品」。そこで映じることになるのは勿論、「ふたり」が示す舞踊への献身そのもの。その崇高さが溢れ出てくるさまが終始、見詰める目を射抜く「作品」。「ふたり」の舞踊家の(或いは「ひとつ」と化したふたつの)人生が示す、その選び取られた「やむにやまれなさ」加減が通常とは異なる「美」の有り様を立ち上げて、観る者の心を強く揺さぶるのです。

その「作品」、この日の大千穐楽で観た東京ヴァージョンのラストシーンは新潟公演で採用された2つとは異なる「第三の終章」。隣り合い並んで、下手(しもて)側に傾いた姿勢で静止したふたりの立ち姿がシルエットとして浮かび上がるその様子。それは紛れもなく動的な静止。美しさに息を呑みました…。当然の如く、盛大な拍手とスタンディングオベーションが待っていました。

20分間の休憩。上気したままに過ごしているうち、次の演目が始まろうとする頃合いになり、ホワイエから客席に戻ると、会場後方に、山田勇気さんと並んで座る二見一幸さんのお姿を認め、この間、サインを頂いたお礼も含めてご挨拶させて貰いに行きました。その際のブログもお読み頂いた旨、話されたので、感激してしまい、「握手して貰ってもいいですか」そう訊ねて、この日は握手して頂きました。「手、冷たくてすみません」と柔和な笑顔の二見さん。この日もその魅力にやられてしまったのでした。

そんないきさつがあり、再びニマニマして迎えた二見さん演出振付の『Floating Field』。そう、こちらの作品はそれ自体、ニマニマを禁じ得ないスタイリッシュさが持ち味。

しかし、この日はニマニマしてばかりもいられない事情が…。それはここまでかなり目立つポジションで踊られていた庄島すみれさんが怪我のために降板し、急遽、Noism2の河村アズリさんが新潟から召集されて、代役を務めることになっていたからです。前日も振りやフォーメーションに若干の変更が施されたとのことですが、何しろ、この日は大千穐楽です。もう「頑張れ!」しかない訳です。

冒頭、トップライトを受けた中尾さんの「蹴り」から「領域」を画するラインが横方向に伸びていくと、早速、坪田さんと河村さんの登場場面となります。すると、「頑張れ!」と視線を送ろうとしていた筈が、すぐに「これは大丈夫だ。凄い!」に変わり、安心して作品世界に没入することが出来ました。新潟公演楽日のブログで挙げそびれていた「ツボ」ポイントのひとつ、坪田さんの左の体側に、その右の体側をまるごと預けて、坪田さんが左足を横方向に持ち上げると、そのまま持ち上がってしまうすみれさんという場面も、河村さんでしっかり現出されていて、この日も改めて酔うことが出来ましたし。

そんなふうにして、様々に移ろい、漂っていく「領域」の千変万化振りが、この日も極めて自然に可視化されていき、新潟で観た際と比べても見劣りすることもありませんでした。二見さんによる演出の変更と、しっかりとした基礎を共有する河村さんの奮闘に加えて、サポートする立場にまわったすみれさん、そして見事にカバーした他のメンバーたち。更にはスタッフの尽力もあったことでしょう。それらどれひとつ欠けても、作品の成否を左右した筈です。それだけを思っても胸が熱くなったこの日の二見作品でした。

中間部、メロウでセンチメンタルに響くスカルラッティを経て、テンポアップして、扇情的、挑発的にぐんぐん盛り上がっていく後半は、その圧巻の幕切れに至るまで、音圧とともに目を圧してたたみかけてくる迫力に、観る度、その都度、耳たぶが熱くなり、身中、どくどく滾る自らの血流を感じさせられずにはいませんでした。勿論、この日も例外ではなく。

こちらも鳴り止まぬ拍手とスタンディングオベーションが起こったことは言うまでもありません。

「領域」ダブルビル公演の大千穐楽だったこの日、まったく方向性を異にするふたつの作品からは、「舞踊」の奥深い世界や在り方を見せつけられ、「舞踊」が持つ力に組み伏せられてしまったと言えそうです。「超現実」だったり、「非日常」だったりする時空の懐に抱かれたことの幸福を噛み締めているところです。

この後、Noism Company Niigataとしては、いくつかのイヴェントを抱えてはいるものの、シーズン末まできたということで、すみれさんにはしっかり怪我を直して来季に備えて欲しいと思うものです。

来季、Noism Company Niigataはまた何を見せてくれるのか。完膚なきまでに圧倒されることを期待しつつ、今はその時を待つことといたします。

(shin)

インスタライヴで語られたNoism的「夏の思い出2022」

2022年9月25日(日)、2度目の3連休最後の日に金森さんと井関さんによるインスタライヴが配信され、Noism的に「てんこ盛り」状態だった今年の「夏の思い出」が振り返られました。アーカイヴが残されていますが、こちらでもごくごくかいつまんでご紹介を試みます。

☆「NHKバレエの饗宴」に関して
・中村祥子さんからの依頼によるもの。新潟でのクリエイションは2回。初日(3月?4月?)、パートナーの厚地康雄さんは(井関さんに源を発する噂を耳にしてか)大緊張。2回目にはもう出来上がっていて、「意外とサクッと出来た」(金森さん)
・舞台上での緊張感。「終わって舞台に走って行ったら、ふたりとも死にそうになってたもんね。ホントに怖かったんだろうなと思って」(井関さん)
1公演のみで収録のためのカメラが入る。「その瞬間を味わいたいのに、『これが残る』とかって考えてしまって」(井関さん)
・「あのふたりだから出来た」(井関さん)「本番、もうふたりしかいない。何が起こってもお互い助け合って、お互い委ねて、引っ張っていくしかない。その関係性がパ・ド・ドゥって良いよなぁって」(金森さん)
・「次世代の若い子たち、これから日本のバレエ界とか欧州でも活躍していくだろう子たちの『今』と直接話す機会もあったし良かった」(金森さん)

☆「聖地」利賀村に関して
・3年振りに行った利賀芸術公園(富山県南砺市利賀村)。作品を観るだけではなく、「心の師匠」鈴木忠志さんと話して、ドオーンとふたりで仰け反るような言葉を貰った。「この国に帰ってきて鈴木さんがいらっしゃったこと、鈴木さんがこれまでにやってこられたこと、その全てをこの国で実現できるんだということがどれほど勇気を与えてくれたか計り知れないし、今なお、鈴木さんが利賀でやられている活動、何より舞台芸術、作品を観たときに得られる感動、刺激、影響」(金森さん)「言葉で言えない。あの空間に入った瞬間、皮膚レベルで圧倒的な違いを感じる。刺激っていう言葉以外見つからない」(井関さん)「強めの、過剰なね」(金森さん)「過剰な刺激」(井関さん)
・来月(10月)、黒部市の野外劇場でのSCOT公演を初めてNoism1、Noism2みんなで観に行くことになった。「彼らが行きたいと言って、みんながまとまって、それが結果、全員だったってのが何より」(金森さん)
・「また絶対に踊りたい」(井関さん)「踊らせたい」(金森さん)「踊りましょ」(井関さん)

☆「SaLaD音楽祭2022」に関して
・『Sostenuto』:都響からいくつか候補が示された中からラフマニノフを選んだ。3月、『鬼』の創作中に、「歩いて」と言って井関さんに歩いて貰った金森さん、「OK!見えた。じゃあ5月まで」と。→『鬼』が固まってきた5月くらいに創作着手。
・クリスチャン・ツィメルマン(Pf.)・小澤征爾指揮・ボストン交響楽団のCDで創作したが、生演奏がどう来ようが、それによって作品が破綻しないように考えていたとして、「万が一、凄く遅く演奏されてもこれなら大丈夫。速くなったとしてもこれなら大丈夫」(金森さん)
・そのツィメルマンのCDも素晴らしいが、生には勝てないと口を揃えたおふたり。「生で聴いた瞬間にその世界に入っちゃう」(井関さん)「Noismと一緒に作るという感覚を持ってくれていて、その思いがそこにあるだけで唯一無二」(金森さん)「その瞬間しかできない。消えちゃうがゆえに美しさは半端ない」(井関さん)「音楽はデフォルトが無音。必ず静寂に向かう。静寂への向かい方が音楽の肝。それを感じるためには生じゃなきゃダメ。録音は時間的に定められている」と生演奏の醍醐味を語る金森さん。「このコラボレーションは続けていきたい」とおふたり、もうちょっとだけ舞台を拡げて欲しいという気持ちも共通。

☆新体制、新シーズン
・国際活動部門芸術監督・井関さん:「まだまだそこまでやれている実感はないが、役割分担もあるので、思ってたより大丈夫」「今はメンバーに伝えたいことを何のフィルターも通さずに話せるのが良いこと」(井関さん)「メンバーもこの体制になって、素直に聞けるようになったと思う。今は彼らの芸術活動の責任を担う芸術監督として言ってくれていると彼らも思える。見てると良い関係性だなと」(金森さん)

☆『Andante』の金森さん・井関さんヴァージョンを観る可能性は…
・「あれは彼らのために作ったものなので、彼らが踊っていくものなのですが」(井関さん)「できますよ、できますけど、100%無理なのが全身タイツで出るのは無理。多分、皆さんからも悲鳴が出るんじゃないかと。あれはやっぱり厚地くんの身体を以てして観られる、彼の身体という『作品』があるから」(金森さん)「踊りたいと思わないし、向き合い方が違う。彼らのために作って、彼らが美しく見えるようにやっているから」(井関さん)「期待には応えられない。皆さんの『あのふたりが踊ったら』という妄想がベストだと思う。それを超える実演は出来ない気がする」(金森さん)

等々…。ほか、夏を越えて次々壊れるおふたりの家電製品を巡る話も楽しくて、ホント笑えますし、新作に関する話や「兄ちゃん」小林十市さんについての話もあります。まだご覧になられていない方はこちらのリンクからアーカイヴでどうぞ。

(shin)

「SaLaD音楽祭2022」メインコンサートで魅せたNoism♪

*西日本各地で猛威を振るい、北上を続ける台風14号。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

Twitterで金森(穣)さんの従兄弟の金森大輔さんが防災の観点からのツイートを多数続けて発信してくれている状況下でもあり、「行けるのだろうか?」「大丈夫なのか?」「見送るべきではないのか?」と不安な気持ちは否めませんでしたが、タイミング的に新潟・東京間の往復ならギリギリ何とかなりそうと、2022年9月19日(月)、東京は池袋の東京芸術劇場での「SaLaD音楽祭」メインコンサートを観に行ってきました。

時折、思い出したように激しく雨が路面を叩きつけていましたが、池袋駅から地下通路で繋がる東京芸術劇場は、傘の出番もなく、大助かりでした。

15時、コンサートホール。都響の楽団員が揃い、矢部達哉さんによるチューニングに続き、指揮の大野和士さんが姿を見せると、次いで上手側からNoism Company Niigata の7人が歩み出て来ました。順に樋浦瞳さん、糸川祐希さん、三好綾音さん、中尾洸太さん(センター)、井本星那さん、坪田光さん、杉野可林さんで、公開リハ初日とは樋浦さんと糸川さんのポジションが入れ替わっていました。ペルトの音楽による『Fratres I』横一列ヴァージョンです。都響による演奏はCD音源と較べても、弦の音が遥かに繊細に響き、その楽音を背中から受けて踊る面々の様子はいずれも最高度の集中を示して余りあるものでした。

ペルトの『Fratres ~ 弦楽と打楽器のための』に金森さんが振り付けた作品は、これまで、順に『Fratres III』まで観てきていますが、ここでその始原とも呼ぶべき『Fratres I』を、それも金森さんが踊らず、極めてシンプルな(一切のごまかしが利かぬ)横一列で観ることには、観る側にも初見時の緊張を思い出させられるものがあったと言いましょう。冒頭から暫く、上からの照明は踊る7人の顔を判然とさせず、黒い衣裳を纏った匿名性のなか、7人がNoism Company Niigataの「同士」であることのバトンを託されて踊る峻厳極まりない様子には瞬きすることさえ憚られました。

踊り終えて、下手側に引っ込んだ後、盛大な拍手のなか、大野さんに促されて再び姿を見せた7人。緊張から解き放たれ、安堵した表情を見たことで、こちらも頬が緩みました。それほどの厳しい空気感を作り出した11分間の舞踊だったと言えます。

その後、都響による華やかなウェーバー:歌劇『オベロン』序曲を挟んで、15時30分になると、再び、Noismのダンスを伴う、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第2楽章です。金森さんが振り付けた舞踊作品としてのタイトルは『Sostenuto』。同曲の発想記号からの命名です。

舞台の準備段階から、通常のピアノ協奏曲のときと異なり、指揮者の大野さんに正対してピアニストの江口玲さんが演奏するかたちでピアノが配置されたのが先ず印象的でした。先の『Fratres I』同様、オーケストラの手前でNoismが踊るのですが、その姿を捉えながら演奏する必要があってのことでしょう。

死、喪失、悲しみ、絶望…、そうしたものの果てに「音が保持され」、光や希望が見出され、人と人の時間が、或いは彼岸と此岸とが繋がれるに至る叙情的な作品『Sostenuto』、その世界初演。白い衣裳、白みがかった照明。井関佐和子さん、山田勇気さん、井本さん、三好さん、中尾さん、庄島さくらさん、庄島すみれさん、坪田さん、樋浦さんの9人によって踊られました。人ひとりが不在となることに胸が締め付けられつつ進み、最後に光や希望が見出され、思いが繋がるとき、涙腺は崩壊せざるを得ません。これまで幾度となく聴き、「ロシア的」と解してきたラフマニノフによる旋律が、この舞踊を想起することなしには聴けなくなってしまった感すら否めない胸に迫る濃密な叙情性。こちらも時間にすると11分ほどの小品ながら、忘れ難い印象を残す作品です。この先、いずれかの公演時にこの度と同じ完全な形での(再)上演が望まれます。

Noismの舞踊は僅か「11分×2」という短さながら、台風への不安を抑えて行った甲斐のあるこの度の「SaLaD音楽祭2022」でした。幸い、帰りの新幹線も無事運行しており、安全に帰宅できましたし。

この度の公演会場でも、Noismサポーターズの数名とお会いできましたし、開演前、そして途中休憩と終演後にも、浅海侑加さん(と彼女のお母様)にばったり出くわし、その都度、ちょっとずつお話しすることができ、何よりご結婚の祝いを直接お伝えできました。で、浅海さんからは「これを終えると、メンバーは明日(9/20)から一週間お休み」とお聞きしました。18thシーズンから19thシーズンへの移行期は色々とイヴェントが目白押しでメンバーはとても忙しかったことに改めて気づかされました。充分な期間とは言えないかもしれませんが、一週間ゆっくりして、再び新シーズンに臨んで欲しいと思いました。

(shin)

「SaLaD音楽祭」活動支援会員対象公開リハーサル初日(9/10・土)を観てきました♪

夏が舞い戻ってきたような感があり、強い日差しに汗ばむ2022年9月10日(土)の新潟市。りゅーとぴあのスタジオBまで、活動支援会員を対象とする「SaLaD音楽祭」にむけた公開リハーサル(初日)を観に行ってきました。

シーズンが改まり、メンバーも入れ替わったNoism Company Niigata。
(Noismボードの入れ替えも進んでいます。まだ完了していませんが…。)

9/19のメインコンサートにて、ペルトの『Fratres』とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章を東京都交響楽団の生演奏で踊るNoismですが、果たしてどんな面子で踊られるのか、興味津々でない者などいなかった筈です。

2分弱進んでいたスタジオBの時計が13:02を示す頃、つまりほぼ予定されていた時間通りに公開リハーサルは始まりました。

最初の演目『Fratres』(13:00~13:10)から。あの黒い衣裳を纏って、スタジオB内の上手側から一列に歩み出たのは、順に、糸川祐希さん、樋浦瞳さん、三好綾音さん、中尾洸太さん(センター)、井本星那さん、坪田光さん、杉野可林さんの7人。本番の狭いアクティング・エリアを考慮した「横一(列)ヴァージョン」(金森さん)です。
これまでも何度も観てきた作品ですが、間近で観ることで、手や足の動き、身体のバランスの推移などをガン見することができ、それはそれはこの上ない目のご馳走であり、ホントに興奮しながら見詰めていました。
あと、本番でも「降るもの」はないでしょうし、足をドンドンと踏みならす場面は演出が変更されていたことを記しておきたいと思います。

着替えを挟んで、もうひとつの演目・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番より第2楽章(13:15~13:30)です。今度は先刻までと打って変わって、全員が白い衣裳に身を包んでいます。踊るのは、井関佐和子さん、山田勇気さん、井本さん、三好さん、中尾さん、庄島さくらさん、庄島すみれさん、坪田さん、樋浦さんの9人です。こちらは完全な新作で、この曲を都響から提案を受けてすぐ、「見えた」と金森さん。「丁度、バレエの恩師が亡くなった直後だったことで、思いを馳せながら創作した」のだそうです。見覚えのある小道具が効果的に用いられ、生と死、喪失の哀切と受け継がれていく思いが可視化されていきます。

体制も刷新されたNoism Company Niigataの19thシーズン、その劈頭の舞台「SaLaD音楽祭」。自らの、或いはNoismの活動を「文化、芸術を残していく闘い。願わくば、数十年後、例えば、ここが改修されていたりとかしても、その時代の舞踊家が躍動していて欲しい」と語った金森さん。「このふたつを持っていってきます」の言葉に力が込められていたのを聞き逃した者はいなかったでしょう。大きな拍手が送られましたから。

明日の日曜日、もう一日、公開リハーサルはあります。ご覧になられる方はどうぞお楽しみに♪そして「SaLaD音楽祭」メインコンサートでの本番の舞台のチケットをお持ちの方も期待値を上げて上げてお持ちください。

(shin)

「8-12月の Noism と私」(サポーター 感想)

☆オープンクラス~公開リハーサル(SaLaD音楽祭、DDD@YOKOHAMA2021、『境界』)~小林十市さん(柳都会~『エリア50代』)~『かぐや姫』~公演『境界』

とにかく盛りだくさんな充実したNoismライフだった。りゅーとぴあまで車で1時間弱の田舎に住んでいるが、通った通った…
あまりにも次々とイベントがあり、先週何を観たのかやったのか思い出せないくらいだったが、印象は間違いなく脳内と身体に刻まれている。観たもの感じたことは自分の中で同化して変貌しているので、事実や他の方の記憶と違ってきている可能性もある。「え~??そんなだったっけ~?」という部分があってもスルーしていただけたら幸いです。

オープンクラスは10/3から12/12まで計7回、皆勤賞でした!
「バレエ初級」ある意味このクラスは一番キツい。汗ダクである。人数制限中で10人程度なのでNoism 2メンバーがほぼマンツーマンで付いて優しくキビしく指導して下さる。基本中の基本を徹底的にやるのでごまかしが効かない。Noismらしく踊るには必須のクラスだ。

「レパートリー初級」2回あったのだが、10/3は『Training Piece』だった。「やった!」と心の中でガッツポーズ。Noismメソッドを作品化したもので憧れの演目。心拍音に合わせて起き上がって行き、いろんな動きに発展していくのだが、アイソレーション(ダンスに不可欠な身体各部分を独立して動かす手法)が出来ないとなんかヘン。今までやった事が無いので出来なくてアタリマエ、課題が見つかって嬉しい、とポジティブに。
11/21は『passacaglia』これも「Yes !」
かなりの時間が”歩く”練習に使われた。舞台上を歩く事はステップを踏む以上に難しいと思う。ただ普通に歩けば良いわけではない。役柄に合った感情表現をしながら後ずさったり、緩急をつけたりして全方位に進まなければいけないのだ。それも鑑賞に耐えるよう美しく。井関佐和子さんの歩き方を思い出していただければ納得できると思う。
この曲は悲しみをたたえて歩く感じなので、人生経験の長いヒトは有利だったかな??

いつも楽しい、勇気先生の「からだワークショップ」他のクラスでもやる準備運動で手のひらで全身をさする、叩くというのがある。自分の身体を目覚めさせる、輪郭(外部との境界?)を確認する。手のひらだけでなく手の甲でやったり、身体全体を手のように見なして床と触れ合うというのもやった。
これがすごく新鮮だった。”床との親和性”が初めて実感できた!吸い寄せられるように床に近づいて行き、体の一部が床に密着すると、あとは自然に擦れ合ったり転がったりしていくのだ。そうか、これが発展すると踊りになるのか。足先から徐々に砂に変わって行き崩れ落ちるのも、これが出発点か。
本題は、2人で向かい合いお互い右手と右足を前に出して(古武術でいうナンバ)相手が押したらその分引くというように必然的なリアクションを続ける、というもの。みんな「こう来たら~」「こう来て~」と声に出してやっていた。
このクラスはバレエ無経験の人が多いのだが全く関係無し。武術に近いのでバレエっぽいとかえってヘンだ。しか~し、あら不思議、ラストに一組づつ発表したのだがパドドゥに見えるのだ。スローモーション的に動いたからやれるのだが、メチャクチャNoismっぽい! 
「皆さん相手をよく見ているからです」と先生。
ローザンヌ国際バレエコンクールの実演付き解説の山本康介先生(浅海侑加先生の先生)がコンテンポラリー部門の批評で言っていた「わざとらしくなく、リアクションで踊ってるように見えると良いですね」の意味がクラスを受けてよくわかった。

中級クラスはバレエ、レパートリー共に難易度が上がる。
バレエクラスは井本星那先生だが、私は先生の踊りが好きなのでレッスンを受けられて嬉しい。サブに今期からNoism 1に上がった坪田光さんが付いてくれた。彼のチャーミングな雰囲気、踊りも大好き。まだNoism 2の時に初級クラスでアドバイスいただいた事があるので親近感有り。
ジョフォア先生のレパートリークラスはブレインストーミング。心身共に真っさらにして、がんばって気負いを消して臨んでいる。
毎回「え~⁈ こんなのを私ごときがやっていいんですかぁ~(出来ないけど)」という演目(のホンの一部)を教わるのだが、今回は、小林十市さんのための作品『A JOURNEY ~記憶の中の記憶』だった!

今年のNoismの関係者のNo.1キーパーソンと思われる十市さん。彼は新潟に、「DDD@YOKOHAMA」で上演されるその作品のクリエイションの為に滞在した。その最中の10/4、りゅーとぴあ能楽堂での金森さんとの対談「柳都会」ではお茶目な素顔を見せてくれた。歩きスマホをしてクルマに轢かれそうになった…とか。金森さんは、自由な「兄ちゃん」を尊敬しながらも時にはハラハラしながら見守る弟のようだった。

そして10/9には支援会員向けの公開リハーサル。
公開リハには2種類ある。創作している過程、ダメ出しをしながらの練習風景を見せるもの。それと舞台装置、照明は無いものの衣装は着けて通しで見せるもの。これは新潟以外の地でしか上演されない演目を特別に見せてくれる場合が多い。今回は休憩を挟みながら通しで見せていただいた。とても有り難い、お得な企画なので興味のある方はぜひ支援会員に!
『A JOURNEY ~記憶の中の記憶』は十市さんの今までの歩みを描いた作品だが、『BOLERO 2020』が組み込まれていた。新メンバーも参加し、久しぶりに浅海侑加さんの踊りも見れた「改訂版リアルボレロ」。ラストは十市さんが真ん中。
それを舞台でなくスタジオBの同じフロアで間近に観たら、心の底から「来世はぜったいにダンサーになる!」という思いが湧き上がってきた。そのくらい迫力が自分の中に入って来たのだ。

その十市さんと近藤良平、平山素子両氏の3人がおちゃらけトークを交えながら1人づつ真面目に踊る、という企画『エリア50代』(11/14)。
これも能楽堂で行われたのだが、Noismメンバーの皆さん勢揃いで観客席に。行く道ですからね。歳を重ねて現役だからこその遊び心、心配事、これからどうやってダンス寿命を伸ばすか、どういう方向を目指すか…などなど。アマチュア「エリア60代」としても参考になりました。

11/20に、東京バレエ団(金森さん振り付け)の『かぐや姫』を観た。
席選びに失敗し、残念な事に集中出来なかった。コールドのフォーメーションを見たくて三階最前列を取ったのだが、席の前にバトンがせり出していて、翁の家など舞台の前面が欠けてしまった。身を乗り出すわけにもいかず…この歳になると、見えないというのはかなりのストレスである。
全幕公演の際は一階席を取ろうと思う。

コールドはとても良かった。久しぶりにクラシックダンサーのコールドを観たが、体型や踊りなど、同質性が求められるのを再認識した。クラシックバレエに特化した身体だというのも。
クラシックバレエをずっとやってきた私がコンテンポラリー、Noismに惹かれて自分でも踊りたいと思い始めたのはここら辺に理由があるようだ。ユニゾンできっちり合わせるパートでもひとりひとりの個性を出せる。体型や髪型が違ってもよい。重力を感じる、より人間的なダンスである、という点に。

Noism 1メンバー各々の個性(色彩)を視覚化したのが、今回の公演『境界』の山田うんさんの作品『Endless Opening』の衣装と振り付けだ。
衣装で印象に残ったのは、井本さんの水色、坪田さんの紫、樋浦さんのオレンジ、そしてジョフォアさんのライトグリーン。単色ではなくパッチワークのように様々な色を配している。人はいろんな面を持ち合わせているから。
うんさんは各自のオーラの色が見えたのだろうか。自分の色を纏ってみんな伸び伸び楽しそうに踊っていた。クラシックっぽい振りもたくさん出てきたが、もしかしたら昔からある動きの方が身体により入っているので自由に踊れる部分もあるのかなと感じた。今回は樋浦瞳さんについ目が行った舞台だった。

個々が持っている台車。この歳になると棺桶を運んでいるとしか見えないが、まあそういうものだろう。生まれてから死ぬまで持っている。生をまっとうし、身に付けたものを外してネクストライフに向かって行く。行く先は待機場所の「境界」。
私のイメージは『2001年宇宙の旅』のラスト、スターチャイルドが浮かんでいる場所だ。

Noism 0の『Near Far Here』はモノトーンの荘厳な世界。冒頭は暗い庭園に置いてある彫像たちが稲妻に照らされているように見えた。音楽はゆっくりとしたバロックの三拍子。三拍子と言ってもワルツでは無い。人々が楽しむために踊るワルツは終わりが来るが、これはずっずっずっと永遠に進み続ける音楽。なにかとても大きいものがゆっくりと回転している。終わる事はない。
金森さんの決意、方針が伝わってくるような作品だった。

立ち姿が神々しいとまで言える井関さんの白いドレスと打掛のようなガウン、和と洋が同居している。バレエと武道、両方のスピリットを融合させたNoismの化身のようだった。

全体を通して重厚な雰囲気が漂っていたが、途中に3人ならではのアルアル、1:2に分かれてバランスを崩すという人間的なコミカルな場面もあって面白かった。シルエット(各々の別の面?)も加わると更にややこしくなる

白と黒、そしてラストの暗赤色の花びら。私は、これは”血の色=人間”のように感じた。人間を含めた生き物かもしれない。天と地の間に動き続ける生き物たち。

初日に花びらをひろって帰ったら、ほとんど同じ色のコサージュを持っていることに気づき、楽日はそのコサージュと同色のストール、あとはオールブラックスといういでたちで観た。知り合いに見せまくって「いっぱい拾って作った」と言ったら一瞬信じた人がいた!
今回は演目に関係したファッションで行くという楽しみも満喫できた。

2021年は本当にいろいろ楽しませていただきました。
8/6に東京での「SaLaD音楽祭」のリハも通しで見せてもらい、後で公開動画を観たのですが、画面のテロップに「Noism Company Niigata」と出た時に、なんとも言えない誇らしさを感じました。やはりNiigata が付いてると付いてないでは大違いです。

2022年も私なりに応援して行きたいと思います。1月-3月のオープンクラスも全クラス申込みました。
豪雪やホワイトアウトにならない限り通います!

(たーしゃ)

サラダ音楽祭メインコンサートのNoism in 2021(サポーター 公演感想)

☆『過ぎゆく時の中で』(ジョン・アダムズ:ザ・チェアマン・ダンス)/『Under the marron tree』(マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調より第4楽章アダージェット)

***九州・中国地方をはじめ、今も続く大雨、その被害にあわれている多くの方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。***

 今日(2021/8/13)はこれまでの暑さからは信じられないほど涼しく、雨が降ったり止んだりの一日でしたが、東京芸術劇場で開催されたサラダ音楽祭メインコンサートに行ってきました。

頭上注意!
東京芸術劇場前の広場はハトがたくさん
小雨が降ったり止んだりの天気

 サラダ音楽祭は東京都交響楽団が毎年豪華ゲストと共に送るスペシャルなコンサートで、昨年に続きNoism Company Niigataが出演しました。吉野直子さんのハープ、新国立劇場合唱団の合唱、小林厚子さんの独唱、そして何より都響の演奏が素晴らしかったのですが、今回はこのブログの趣旨としてNoismが出演した2演目(2曲)について書きたいと思います。

当日(2021/8/13)のプログラム

 まずジョン・アダムズ『ザ・チェアマン・ダンス』。コンサート最初に演奏されました。
黒いレオタード姿のNoism1による群舞と帽子を被った黒スーツの男(山田勇気さん)。軽快な曲に合わせてメンバーが舞台に次々と出現しては踊り、また颯爽と駆け抜けていきます。黒い帽子の男はその様子を見つつ時折絡みます。
プログラム解説を読むと、この曲はニクソン大統領の中国訪問(チェアマン=毛沢東)が題材となっているそうです。もしかしたら黒スーツの男はニクソンなのかもしれません。中盤のややゆったりした音楽になると、井関さんとジョフォアさんによる社交ダンス(風)もありました。これは江青と毛沢東のダンスでしょうか。

 金森さんがつけた『過ぎゆく時の中で』というタイトルのごとく、あっという間に駆け抜けていきました。走馬灯をみるとは本来こういうことかもしれません。
演奏終了後にはカーテンコールもあり、Noismの皆さんに客席から沢山の拍手が送られました。何人かのメンバーにとってはNoismとしてラストステージとなる訳ですが、今回は感傷に浸る隙すらありませんでした。これも時が過ぎてから湧き上がってくるものなのかもしれません。

 次にマーラーの「アダージェット」。前半プログラムの最後に演奏されました。舞台上には大きな黒テーブルと2脚の椅子。演奏が始まると井関さんがテーブル下から現れ少女のように踊り戯れます。
『Under the marron tree』は金森さんの初めての作品ですが、その後の作品に通じる「孤独」「不在」が既に感じられます。
私はこの作品を「青山バレエフェスティバルLast Show」と Noism0『愛と精霊の家』の初演・再演で観ることができました。Noismを観続けていく中で、折々に原点となる作品に再会できるのはとても嬉しいことです。

 演奏後にはこちらも割れんばかりの拍手。カーテンコールも3回ほどあったでしょうか。井関さんも笑顔で拍手に応えます。

 困難な状況の中で無事開催されたサラダ音楽祭。まったく油断できない厳しい状況が続きますが、感染しない・させないよう十分注意しつつ劇場に通い続けたいと思った夕べのひと時でした。

(かずぼ)

活動支援会員対象の「サラダ音楽祭」公開リハーサル(2日目)を観てきました♪

2021年8月6日(金)、スマホでチェックしたネットのニュースで「39.2℃」「危険な暑さ」と報じられたのは新潟市秋葉区。りゅーとぴあがある中央区は幾分かはましといえども、ひなたに駐車していた車に乗り込むと、外気温は46℃を表示しているなど、もうどうかしちゃった感のある殺人的な暑さのなか、活動支援会員対象「サラダ音楽祭」公開リハーサル(2日目)を観てきました。

この度の公開リハーサルは当初、この金曜日だけの予定でしたが、申し込まれた支援会員が多かったため、すぐに前日の木曜日分が追加されたのでした。その2日目。

巨大スポーツイヴェント開催に伴い、国民のあいだに「安心バイアス」が拡がり、新規陽性者数も右肩上がりに増加していくなか、「緊急事態宣言」下にある東京都へ赴くのは躊躇われますから、多くの方にとって、この機会はかなり貴重なものと捉えられていたのでしょう。

スタッフが付き添うかたちでの検温と手指消毒を済ませても、予定時間までは「スタジオB」のある4Fではなく、2Fロビーで入場の案内を待つというのも、これまでになく、慎重のうえにも慎重な対応でした。で、一旦、案内されてみると、今度は、そのまま「スタジオB」まで進みます。これもホワイエでの歓談を徹底して避けようとする意図によるものです。

そうやって、みんながスタジオ内の壁沿いに用意された椅子に腰をかけると、金森さんの合図でリハーサルが始まりました。まずは11人が踊る演目の一部です。みんな感染予防のマスクをつけ、見覚えのある衣裳を纏った11人(女性5人、男性6人)。その衣裳について、「本番の衣裳ですか」と金森さんに尋ねてみましたところ、「そうです。使い回しで~す。予算もかけられないので」とのことで、同時に、何の衣裳だったのか、ふたつの作品名も教えて頂きましたが、今はそれは伏せておきます。本番をご覧になられる方は当日、脳内検索をかけてヒットする作品名は何か、お楽しみ頂きたいと思います。男女10人があるひとつの作品からのもので、ひとり山田勇気さんだけは他の作品からの衣裳を纏って踊ります、とだけ。

こちら、かなり激しい動きを求められる演目のようで、袖に引っ込んだタイミングでは、(というのも、スタジオBには袖がなく、全て顕わしになっていますから、)腰に手をあて、息もあがりがちになっている姿も見られました。限られた狭いアクティング・エリアのなか、生オケで踊るのはホントに大変だろうことは一目瞭然です。しかし、いつもの金森さんの言葉を借りれば、「舞踊家が苦しければ苦しいほど、観客は喜ぶ」のでしょう。そんな舞踊家たちの動きから召喚された記憶は『クロノスカイロス1』、衣裳の色味こそ異なりますが。

そして井関さんひとりが踊る演目の方に移りました。本番では、ハープの協奏曲(約15分)を間に挟んで踊られるとのことですが、情緒も一転、まったく趣を異にする時間が楽しめる筈です。この日のリハーサルからだけでもそれは疑い得ないことと確信致しました。

約30分の公開リハーサルの最後にあたって、メンバーを呼び集めて挨拶するなか、「劇場が開いている以上、我々舞踊家としては、充分に配慮しながら、出来ることをやっていくことで、これからも世界に向けた発信を続けていきます」と金森さん。常に歩みを止めない姿勢には胸が熱くなります。「これからも引き続き、ご支援宜しくお願い致します」の言葉に、恐らく、その場にいた全員が心のなかで「勿論です」と返していたのではなかったでしょうか。その気持ちの籠もった拍手がスタジオBに響いていました。

「サラダ音楽祭」本番まで残すところ一週間。これからも一切妥協することなく、実演の精度を極限まで上げながら、当日の舞台を迎えるのでしょう。ご覧になられる方、感染状況、健康状態ほか、本当に気を遣うことと思いますが、その分も、忘れられない舞台になること間違いありません。ご堪能ください。

(shin)

【インスタライヴ-15】『春の祭典』ツアー後の大質問大会

2021年8月1日(日)20時、『春の祭典』最後のツアー先である札幌から(2時間前に)新潟市に戻ってきたばかりの金森さんと井関さんが、「眠い」なか、前回のインスタライヴ以来、ほぼ3ヶ月振りとなるインスタライヴを行ってくれました。広く質問に答える形式での『春の祭典』大質問大会、約1時間。以下にその概要を抜粋してお伝えします。

*この日の晩ご飯: 北海道名産・鮭のルイベ漬(佐藤水産)
*今回のインスタライヴ中のおやつ: 福島産の桃

札幌公演は15年振り。「皆さん、待っててくれた感じ。(hitaru)楽屋のトイレは入る度に音楽が流れる『最新設備』だった」(笑)(井関さん)

Q:照明の調整に時間はかかったか?
-金森さん「ツアー地では凄く時間がかかって、ゲネが無理になり、本番直前のテクニカルランで初めて通せる感じなのが、今回は設備が良くて、順調だった」
-金森さん+井関さん「札幌スペシャルの照明、次やるときはテッパン。最後にちょっと違う演出・照明が加わっている。もう一個『外部』の世界を感じる照明にした」
-井関さん「最後の最後までライヴ感が凄かった」


Q:『春の祭典』音源はどのように決めたか?
-金森さん「入可能なものは手当たり次第に入手して、実際に踊ってみた。既に作っていた構成に合っていて、演出家としてビビッとくるものがあったのがブーレーズ盤だった」
-井関さん「色々なテンポのものがあったが、ブーレーズ盤が一番、音の粒が立っていると言っていたのを覚えている」
-金森さん「ブーレーズ盤は、情感でいくというより、理知的。音がクリアで構造がはっきりしている印象。後から、ベジャールさんもこれを使っていたと聞いた」

Q:踊るときに一番大切にしていることは何か?
-井関さん「その瞬間をどう生きるか。邪念を抜きにして、その瞬間の空気とエネルギーをどう感じるか。邪魔は入るが、それさえも『瞬間』と捉えて乗り越えること」
-金森さん「舞台に立てば立つほど、緊張感をコントロールする術も判ってくるが、『失敗しないかな』との適度な緊張感で集中度も上がる。そのときの音楽の響き、観客のエレルギー、自分の状態を大切にしたい。そこに身を投じる。そこに居続けるための集中」

Q:一人ひとりに楽器を割り当てた『春の祭典』、音を聴いて踊るのか?
-井関さん「楽譜で割り当てていて、全員で完全にカウントを数えているので、一応判っている。それが大前提で、カウントの取り方、『音色になる』ことの難しさがある」
-金森さん「舞踊家は音楽に合わせることに慣れているが、『音になる』っていうのはどういうことか。「(音が)来る」と判っていることではない。音の呼吸・強度を身体化するという完全にはなし得ないことを21人に求めた」
-井関さん「音に合わせすぎると、音に見えない。外からの目がないと成立しない」
-金森さん「一人ひとりが演奏者であるということが肝。自分が動いたことで、その音が発されているように見えることの難しさ」

Q:しんどいとき、それを超える秘訣は?
-井関さん「体力は、稽古でも頑張ってMAXやるが、本番でガンガンあがっていく」
-金森さん「身体は記憶する。最初の通しは滅茶滅茶しんどいが、そのしんどさを求めちゃったりする。これが危ない」
-井関さん「それに酔っちゃったりするのが危ない。語弊はあるが、作品を超える体力と精神力があって、しんどそうに見えて、しんどくないのがベスト。表現の幅が増えてくる。身体も精神も鍛える稽古、また、本番では最高の作品にするべくコントロールすることが重要。身体でやり切って、その先に見える何かを頭を使って見つけて、身体で試す」
-金森さん「舞踊家は馬であって、同時に騎手である。しかし、騎手であり続けながら馬を鍛えることは出来ない。鍛錬は馬にならなければ出来ない。馬が仕上がった後から、騎手が来るというバランスがいい」

Q:踊った後、どれくらいすると食欲がわくものか?
-金森さん「すぐは無理。でも、作品による」
-井関さん「本番の時は『食欲』はない。『食べなきゃ』っていう感じで『義務』。『完全にコレ、仕事だな』って思ったことも」
-金森さん「遅くならないうちに、できるだけ身体にいいものを、って感じだが、美味しいものの方が入り易い。当然、幸せにもなるし」

*照明や装置の微細な違いに気付く舞台人のビビッドさについて
「なんかちょっと違う。今日、(照明が)眩しい」って言って怒り出すのが「佐和子あるある」と金森さん。「で、照明家さんたちが『えっ、変えてないです』ってザワザワってなる。(笑)でも、厳密に言うと、毎日、照明はチェックで触っている。で、微細には変わっている。どれだけビビッドな感覚で舞台に立って感知しているかは、多分、照明家さんには想像できない」(金森さん)

Q:『Fratres』のお米は使い回しか?
-金森さん「はい。演出部さんが、毎回、終演後にザルでほこりを取っている。降らしたときに詰まっちゃったりするので。金銀山の砂金採りかみたいなレベルで」(笑)

Q:リノリウムのペイント、そのコンセプトは?
-井関さん「近々、映像をアップする予定」
-金森さん「コンセプトを伝えて、(俺以外の)メンバーみんなで塗ったもの。そのコンセプトは上から落ちてきてバチャ。みんなのは噴水みたいにバチャ。まあ、似てるんだけど、上から落ちてくることが…」
-井関さん「みんなで話し合って、やっぱりちょっとずついこうと。ひとり一色ずつ持って」それで、「これ、いけるんじゃね」と最初は井関さんから塗っていった。「踊っているとき、毎回、一瞬、海のような、波のようなエネルギーを感じた」
-金森さん「プレヴュー公演やっているときに、何かが必要と感じていて、『ああ、これか』と気付いたもの。『春の祭典』の色彩の爆発、色の欲情みたいなものを精神的な爆発として付与したかった。アクションペインティングのように上からペンキを落とそうと思ったが、さすがに、劇場の人に『大変なことになるからやめて下さい』と言われて…」

Q:『春の祭典』創作で一番苦労した点は?
-井関さん「一番というと、やはり楽譜読み。ホントに時間かかったし、待つ時間も長かった」
-金森さん「ユニゾンもそんなになくて、一人ひとりに振り付けていたから」
-井関さん「楽譜とにらめっこしていて、これはホントにダンスの作品なのかと。最初の1、2ヶ月くらいは」

Q:ふたりにとって、踊り・振付が「腹落ちする」っていうのはどのような感覚か?
-金森さん「踊っていて、『コレだ』って思うときってことなら、それが判るってことが『経験』なのかなと思う。今にして思うと、若い頃は、腹まで落ちないで、肺ぐらいで止まっていた気がする」
-井関さん「完璧な踊りはないが、その瞬間、光を浴びて、そこに集中していられているときが一番納得できるときか」
Q:振付が自分のものになり、無意識・ナチュラルなかたちで踊れるといった感覚か?
-井関さん「無意識はない」
-金森さん「おおっ、佐和子だねぇ。オレ、無意識だからね」
-井関さん「リハーサルで計算をとことんしておいて、そこからどれくらい外れたところへ行けるかっていうか」
-金森さん「結局、完全にはコントロールし得ないものをコントロールしようとしているから、どちら側に立つのかで違うし、この身体っていうのが凄い矛盾で、そういうものと向き合うことが踊ること。観てて感じる感想とは違う」
-井関さん「ここ最近になって、やっと、バランスっていうのが計算じゃないってことが判ってきた。その瞬間瞬間に選び取っていくこと、それが楽しいなと」

Q:『春の祭典』のキャスティングはどのようにして行ったか?
-金森さん「ホントに直感的なインスピレーションによった。楽器の音色からどのメンバーを想起したかっていうこと。癖も性格も判っているし、音色が舞踊家のもつエネルギー等に合うかどうか、という感じ」

Q:今後、『火の鳥』『ペトルーシュカ』に取り組む予定は?
-金森さん「『火の鳥』はNoism2のために作ったものがあり、それはいつかやりたい。『ペトルーシュカ』は『いつかやるのか?』と…、特に予定はないけど」

Q:昨年の「サラダ音楽祭」の演目、再演はないのか?
-金森さん+井関さん「『Adagio Assai』と『Fratres』に関しては、特別決まっているものはない。今回はジョン・アダムズの新作『ザ・チェアマン・ダンス』。42歳・井関佐和子、走れるのか。(笑)それと20年間、点で踊ってきている『Under the Marron Tree』。e-plus『SPICE(スパイス)』の記事を見てください」
-金森さん「『春の祭典』はいずれそのときのメンバーで再演するだろうし、『夏の名残のバラ』はやる予定がある」

…等々と、そんな感じですかね。疲れていた筈のおふたりでしたが、多岐にわたる質問ひとつひとつに丁寧に答えてくださっていました。その様子、是非ともアーカイヴにて全編をご覧ください。そして次回は「サラダ音楽祭」後かな、と予告めいたものもありましたね。楽しみにしています。

それでは、今回はこのへんで。

(shin)

本夕、BSNテレビ「ゆうなび」にて「サラダ音楽祭」が♪

新潟県内の皆さま、朗報です。本日の夕方(18:15~)のBSNテレビ「ゆうなび」のなかで、過日、同局クルーが同行取材されたサラダ音楽祭の様子がオンエアされるそうです。必見、必録ですね。

ワクワクものですね。で、放送後、同番組をご覧になられたご感想などもお寄せ頂けましたら幸いです。(以下、Noism Company Niigata のtwitterからの転載です。)

これを書いている今、時刻は朝の8時を回ったところ。あと10時間が待ち遠しい!BSNさんには、出来るだけ「尺」をとって頂きたいと思いますが、とりあえず、楽しみでしかありませんね。皆さま、どうぞお見逃しなく♪

*追記*  同特集の内容につきましては、下のコメント欄にて若干ご紹介させて貰いました。どうぞ、コメント欄にお進み頂き、併せてお読みください。

(shin)