本夕、BSNテレビ「ゆうなび」にて「サラダ音楽祭」が♪

新潟県内の皆さま、朗報です。本日の夕方(18:15~)のBSNテレビ「ゆうなび」のなかで、過日、同局クルーが同行取材されたサラダ音楽祭の様子がオンエアされるそうです。必見、必録ですね。

ワクワクものですね。で、放送後、同番組をご覧になられたご感想などもお寄せ頂けましたら幸いです。(以下、Noism Company Niigata のtwitterからの転載です。)

これを書いている今、時刻は朝の8時を回ったところ。あと10時間が待ち遠しい!BSNさんには、出来るだけ「尺」をとって頂きたいと思いますが、とりあえず、楽しみでしかありませんね。皆さま、どうぞお見逃しなく♪

*追記*  同特集の内容につきましては、下のコメント欄にて若干ご紹介させて貰いました。どうぞ、コメント欄にお進み頂き、併せてお読みください。

(shin)

サラダ音楽祭について-公演翌日はもはや恒例(?)インスタライブvol.6

この度の台風10号により被災された多くの方々に心よりお見舞いを申し上げます。

さて、かずぼさんによる前日のサラダ音楽祭レポがあがったばかりのタイミングではありますが、「公演翌日トーク」は公演後の佐和子さんの精神衛生上必須ということで、「ならば止むなし」とばかり、こちらのブログも簡単に概略をアップすることに致します。かずぼさんの詳細な公演レポの「番外編」としてお楽しみ頂けましたら幸いです。

・穣さん、いきなりの「謝罪会見」は、舞い上がってやってしまった矢部さんとの「握手」について。そして、この後も時折、謝罪の言葉は繰り返されました。

・佐和子さん・穣さんともに昨日の一番の印象は、生オケのラストの一音が消えていく瞬間のこと。「生の残響が空間にまだ漂っている」(穣さん)「自らじゃない力で、更に静寂が閉じていく感じ、ホントに凄い。無音が音だと感じる」(佐和子さん)音楽が始まる前も客席は「ただ待っているだけじゃなくて、聴いている感じ」(穣さん)「音との向き合い方、また新しい何かを見つけた感じがする」(佐和子さん)

・「ラベルを初めてオケで練習した際、10分の作品が40分くらいに感じた。自分が知っている世界じゃないところに連れて行かれて、音楽が導いてくれて、砂漠を凄く長い旅をしているようなイメージだった」(佐和子さん)「一音と一音の間が録音よりもっと繊細で濃密」(穣さん)

・矢部さんの『フラトレス』、「まず驚いたのはクリアなこと。一音一音が粒立って全部聞こえる。濁りがない。繊細。これをどういうふうに自分の身体に落とし込んで踊るんだろう、どうやって矢部さんと対話していくんだろう、と思ったのが初日。2日目も矢部さんの音の純度に対して合うスピード感やタイミングを掴めてなかった。何かが違う」(穣さん)「表現として、どいうふうに作品を作り上げていくか」(佐和子さん)矢部さんと言葉でイメージを交換したのを機に「化学反応が起きた」(佐和子さん)「話したことで、動きながら矢部さんに何か送る感じになった。この方向性かも知れないと何か掴み始め、本番3時間前のゲネで、これが矢部さんと奏でる『フラトレス』なんだと確信を得た」(穣さん)「本番では、あの瞬間でしか生まれないものが生まれた」(佐和子さん)「ペルトの『フラトレス』を踊ったんじゃなくて、矢部さんと踊った、矢部さんで踊った感覚」(穣さん)

・オーケストラピットがなくて、背後にオーケストラを背負っていることの体験: オーケストラから、矢部さんから受ける熱い視線の体験、とても疲れた。「超見巧者に骨董を後ろから見られている感じ」(穣さん)

・スタンバイの穣さん: 「俺もオーケストラじゃん」で、オーケストラと一緒に入っていった。いつもの手を振る仕草、「やりおったな」(佐和子さん)「普段、幕の奥で必ずやっていること。自分の儀式として」(穣さん)

・対する佐和子さんはちょっと違うらしい: 「出て行くときから『入っていく』。人の作品という意識が結構あるから。作家がいる演者という感覚とあなたの場合の自らが作家の違いがある」(佐和子さん)「舞踊家としてのタイプの違いもある。俺は人の作品でも意外とやっちゃうタイプだから」(穣さん)「そうね、そうだね。ある、ある」(佐和子さん)

・感染対策、前4列空いている客席、正装した「黒」の団員→不思議な感覚、様々な「ゲスト感」、「『郷に入っては…』なんだけど、郷のやり方が全然分かんないんすけど、みたいな」(穣さん)

・音楽家に訊いてみたいこと(佐和子さん): 本番の緊張感、アドレナリンで身体が変わり、音がゆっくり聞こえたりして、いつもの時間がストレッチされる、イコール自分が俊敏になってくる状態に舞踊家はなりがち。音楽家はどうなんだろう。

・矢部さんの『フラトレス』と俺たちの『フラトレス』、江口さんのラベルと俺たちのラベル: 「実演に向けたコミュニケーションを深くとることも何か違うと思う部分がある。どう融合していくのか、共演して生まれる新しいものに出来ないか」(穣さん)「何か感じたかった。すぐに納得したくなかった」(佐和子さん)

・「Noism0に入りませんか」(穣さん)-「入ります」(矢部さん): 矢部さんとの(サイトウキネン以来)9年振りの共演は、矢部さんの猛アタックによって実現したもの。「サイトウキネンで得た何よりのものは矢部さんと出会えたこと。オーケストラの皆さんとも精神的に近付きたい。こういう機会、経験を積み重ねていきたい」(穣さん)

・Noismとしては、生で踊る機会が続く: オルガン(年末のりゅーとぴあ)、雅楽(年明けの京都)

・佐和子さんは公演後の割りに元気。「今回、興奮気味だったよね」(佐和子さん)「録音で踊っているときは『出した』という感覚になるのだが、今回は、矢部さんから貰って出している、ある種の触媒のように、何かが通過していったって感じ」(穣さん)

・矢部さんと佐和子さんふたりトークも実現したい、等々…

約55分弱、開放感たっぷり充実のインスタライブでした。以上で報告とします。

アーカイヴはこちらからどうぞ。

(shin)

サラダ音楽祭メインコンサートのNoism@池袋・東京芸術劇場(サポーター 公演感想)

☆『Adagio Assai』(ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調より第2楽章)/『FratresIII』(ペルト:フラトレス~ヴァイオリン、弦楽と打楽器のための)

 池袋の東京芸術劇場でサラダ音楽祭メインコンサートを観てきました。 とても素敵なコンサートで、そのすべてについて感想を書きたいところですが、私の文章力ではだらだら長く散漫な文章になってしまいそうなので、今回はこのブログの趣旨でもあるNoism Company Niigataが出演した2演目についてレポートしたいと思い ます。

東京芸術劇場外観
劇場エントランス
サラダ音楽祭の垂幕がかかっている
コンサートホールへと続く長いエスカレーター
改修前はもっと長くて恐かった
エスカレーターをコンサートホール側から見たところ
地下の広場
受付
チケットは自分でもぎる

 

 最初の演目モーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」ではモダンオルガンも音を奏でましたが、その後の舞台転換ではこのパイプオルガンが隠れるほど大きなスクリーンが吊り上げられます。 いよいよラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調 第2楽章」のはじまりです(先日の新潟公演では「Adagio Assai(仮)」として上演)。指揮の大野和士さんと共にピアニストの江口玲さんが登場、演奏が始まるかと思えば、Noism0の井関佐和子さん、山田勇気さんがおもむろに現れ大きく踊りだします。冒頭の部分は「Adagio Assai(仮)」から、より大空間に対応すべく変更されたようです。

 江口さんの素敵なピアノの旋律と共に井関さん山田さんの舞踊がドラマチックに語られます。金森さんが以前「退団するメンバーとの別れの寂しさから小さな作品がつくれそう」とつぶやいていたのは、恐らくこの作品のことでしょう。2人のダンスは別れを語っているように感じました。井関さん山田さんの軌跡がストップモーション風に切り取られスクリーンに映し出されます。それはまるで流れつづける時間(現実)と、もはや永遠となった回想がオーバーラップして現れるように感じました。井関さんはオーケストラの間を抜け舞台後方に、山田さんは前方に留まり離れ離れでラストを迎えます。しばしの沈黙のあと万雷の拍手で賞賛されるお二人。

 続いて転換の後、暗転したままの舞台上にオーケストラメンバーと共に入ってきたのは金森穣さん。ヴァイオリンソロの矢部さんも自席で座ったまま演奏するようです。 舞台前方のリノリウム上で気合がみなぎっている様子の金森さんはこれまでにないほど大きく、異様な雰囲気を漂わせています。その直後に大野さんも入場すると場内から拍手が起こりますが拍手には応えず指揮台にのぼり演奏のスタンバイに入りました。 矢部さんのヴァイオリンが鳴ると同時に金森さんの身体が即座に反応し二人の激しい演奏が始まります。ペルトの「Fratres」です。次第に舞台の上手下手からフードで表情のみえないNoism1ダンサーがゆっくりと入場、芸術劇場の舞台上横いっぱいに広がり完璧なユニゾンを踊ります。金森さんは矢部さんのヴァイオリンソロと呼応、群舞はアンサンブルと呼応し演奏が繰り広げられます。金森さんの演舞は鬼気迫るものがあり圧倒されますし、対する矢部さんのヴァイオリンは冷静沈着な中に鋭さがあり、まるでサムライのような凄みがあります。また矢部さんは冒頭の超絶技巧後も、ソリストとオーケストラのコンサートマスターとしての役割を同時に担い、アンサンブルを率いつつソロを奏でます。

 Noismの踊りはコンテンポラリーでありながら原始的であり、純粋な祈りの儀式のように感じられました。「Fratres」シリーズ最終章となる「FratresⅢ」では「これからも踊り続けること」「新型ウイルスの終息」「舞台芸術の存続」の祈りのように感じられました(もちろん観る人によって感じ方は様々でしょう)。 ちなみに、これまでの「Fratres」シリーズでは天井より白いモノが落下してくる演出があり、それが非常に感動的なのですが、こちらについて興味がある方もいらっしゃると思いますので、単独公演との演出の違いについても簡単に書き記します。まず落下物の演出は照明を操作することで同様の効果が得られていました。またラストの円舞もスペースの都合上変更されていて、上手下手に分かれて非常にゆっくりと退場していき最後は金森さんだけが舞台上にいる、といった演出がされていました。

 打楽器の余韻が鳴り止むと同時にこれまた大きな拍手が起き、舞台袖に捌けていたNoism1ダンサーも舞台上に戻りカーテンコールに応えます。ここで金森さん、勢いのあまり矢部さんに握手を求めました。矢部さんは一瞬困惑したように見えましたが握手に応じていました(ちなみに指揮者大野さんと矢部さんは握手の代わりに肘タッチをしていました)。

 また演奏会の終演後は、再びのカーテンコールとなり今度は金森さんが臼木さん、江口さんと共に登場しました。ここでも大きな拍手が観客から送られカーテンコールが何度も続きました。 ちなみに、東京都交響楽団は7月に主催公演を再開しましたが都響会員・サポーターに限られていたため、今回のサラダ音楽祭が一般に開かれたコンサートの久しぶりの再開となったようです。 都響、Noismの公演を待ち望んでいたファンにはとても感慨深いコンサートとなりました。と同時に、いつもNoismの公演には必ず現れる熱いファンの姿が今回は見えなかったこともあり、新型ウイルスの影響により泣く泣く来場を諦めた、自粛した方もいらっしゃることも知っています。 本日のNoismの祈りが天に届き、早く舞台人が正常の舞台活動が出来る日が訪れることを私も願っています。

(かずぼ)