金森さんの愛を感じた「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」活動支援会員対象公開リハーサル(土曜日の部)

正確に一週間後に控えたNoism Company Niigata × 小林十市さんの公演(「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」)を前に、10月9日(土)に開催された活動支援会員対象の公開リハーサルを観てきました。(@りゅーとぴあ・スタジオB)以下、ネタバレなしでいきます。

この日と翌10日(日)、二日間に設定された公開リハーサルですが、両日各12人と限られた人数しか目にすることができないとあって、申込開始日には朝から緊張して、ドキドキしながらメールを送信し、その後、「受け付けました」旨の受信を見た際には安堵の気持ちが湧いてきたことが思い出されます。

先日の「柳都会」を聴いて、金森さんが「奇跡」と表現する「兄ちゃん」十市さんとの共演への期待は募る一方でしたので、待ち遠しかったこの機会。

そして3日前(10/6)になって届いたメールには「終了時刻変更」とあります。当初、30分の予定だったものが、1時間に延長されると知らされたのです。「もしかして全部観られるの?」そんな思いを胸に足を運んだ土曜日のお昼過ぎでした。

「1時間もの」に延長されて
実施された公開リハーサル

で、その公開リハーサル、もう随所に金森さん(とスタッフの皆さん)の愛が溢れた至福の約70分だったと言わねばなりません。まず、折から「劇場に空きがない」とりゅーとぴあでの公演が叶わず、目にする機会に恵まれない新潟市民に向けられた愛。フラットな床面、アクティングエリア「きわきわ」に据えられた椅子に腰掛けて、まさに目と鼻の先で見せて頂いたのですが、もちろん、そこに緞帳はありません。全てが顕わしの空間で、金森さんの「カーテンが上がってます」と「カーテンが下りてます」の言葉に挟まれた、当日の舞台の一部始終(それは言葉の正確な意味での「一部始終」で、ホントに最初から最後まで)を見せて頂いたのでした。

第一部は「映像舞踊」として観てきた演目の実演版。出演者も入れ替わり、「あっ、この人がこれをやるんだ」という楽しみ方もあります。そして何より、十市さんを配して追加された場面はまさに眼福で見とれます、マジで。ネタバレを避ける配慮から書けないのが残念ですが、横浜で、或いは明日の公開リハでご覧になられる方はどうぞお楽しみに。ベジャールさんと、そして十市さんへの愛に溢れていることは言うまでもなく、金森さんが、2020年、「コロナ禍」の舞踊家を念頭において、「中心」不在に映る映像を撮ったことで、周囲にある種の磁場が形成され、十市さんが召喚されたのに違いないと思うほどです。このはまり方、金森さんには最初からこのイメージが見えていて、ただ謙遜して「奇跡」と呼んでいるだけじゃないのか、などとも。

そして踊り終わった後には、本番、横浜の舞台での演出についても説明してくれた金森さん、もう愛の人でしかありません。後光が差して見えました。大袈裟でもなんでもなく。

10分(本番では15分だそうです)の休憩を挟んで、新作を見せて貰いましたが、これはもうこれまでのNoismのイメージとは一線を画すもので、「兄ちゃん」十市さんのキャラクターや資質が色濃く投影されたクリエイションだっただろうことが明瞭です。「兄ちゃん」への愛。十市さんに触発された結果、「お初にお目にかかります」的Noismに仕上がっていると言っても過言ではないでしょう。音楽を含めて全てが斬新。しかし、それがどんなものかは今は伏せておきます。なにしろ、ネタバレ厳禁が大命題ですから。ただ、新しいNoismとの出会いが待っていますとだけ。

また、この日の公開リハーサルの楽しみは他にもてんこ盛り状態でした。第一部で再び踊る姿を観た浅海侑加さん、相変わらず素敵でした。またどんどん踊って欲しいものです。そして、先日、「私がダンスを始めた頃」で続けてご紹介した新加入の庄島さくらさん、すみれさんの踊りもガン見しましたし、この度、昇格してNoism1で踊る中村友美さん、坪田光さんにも目が行きました。多くの面で、とても興味深く、中身の濃い時間を過ごせたと思います。

そんなこんなで、終了したのは、13時40分頃だったでしょうか。始まったのが予定の12時半を少し回っていたとはいえ、約70分間、何の出し惜しみもなく、もう「最後の最後まで」全て見せて貰っちゃった訳です。これほどまでに愛ある「リターン」があるなんて、もう活動支援会員でいて良かった♪今日スタジオBにいた誰もが一人残らずそう思っていたことは間違いありません。あそこまで見せられたら、もうスタンディングオベーションで応える他ないじゃありませんか。みんな笑顔笑顔で立ち上がって拍手を送った、そんな公開リハーサルでした。

(shin)

「柳都会」vol.24:小林十市さんを迎えて、回想されるローザンヌの日々、それから…

コロナ禍の影響で、9月11日(土)に開催予定だった「柳都会」が、10月4日(月)18:00からという平日の異例な時間帯に振り替えてまで実施された裏には、金森さんの強くて深い思いがあったからと解してまず間違いはないでしょう。この日のゲストは、金森さんが「兄ちゃん」と親しみを隠さない「エリア50代」小林十市さん(ダンサー・振付家)。接点はモーリス・ベジャール(1927-2007)、そしてふたりが彼の許で過ごしたローザンヌの日々。その2年間を回想しながら、金森さんが繰り出す質問と答える十市さんを基軸に、観客の前に浮かびあがってくる巨匠ベジャールの「横顔」。気負ったところのまるでないおふたりのお話にはとても興味深いものがありました。そのあたりが少しでも伝えられたらと思います。

1992年の出会い。舞踊団「ベジャール・バレエ・ローザンヌ」所属の十市さん23歳、バレエ学校「ルードラ・ベジャール・ローザンヌ」一期生の金森さん17歳。
 金森さん「人生で一番孤独な時期だった」
 十市さん「そんなに大変だった?一期生だし、自立して、自分の世界を持っている人たちのひとりに見えていた」
 金森さん「閉ざしていただけ」
前年(1991年)の暮れ、カンパニーに大リストラが断行され、60数名いたダンサーが25名に絞られ、同時に、(表向きは)「創作活動を濃密に」と学校が創られることに。(その学費はゼロで、後にベジャールの私費でまかなわれていたことを知ったと金森さん。)

一方、十市さんはジョージ・バランシン(1904-1983)に憧れて、NYに短期留学(バランシンが設立したバレエ学校SAB)。その後、日本に帰る気はなかったものの、アメリカでのワーキングビザ取得は困難を極めたため、母親が好きで、自分も観たことがあったベジャールに履歴書を送ったところ、すぐに返事が来て、3泊4日のプライベートオーディションの機会が設けられた。眼光鋭く、レッスンの様子を見ていたベジャールに「君のこと気に入ったから、一緒に仕事をしたい」と言われ、採用されたのが1989年。そのとき、十市さん20歳。ベジャール62歳。その後、腰の怪我で辞めるまで14年間、ベジャールの許で踊った。バランシンやってみたい気持ちがなくなっただけでなく、他の振付家の作品を踊りたいと思ったこともなく、ベジャールの作品のなかで違う作品をやりたかっただけだったと十市さん。
 金森さん「怪我に対してベジャールさんは寛容だったの?」
 十市さん「全然、寛容じゃない。昔の人だったし、舞台命の人だった。『痛い』と言っても、『僕も痛いよ』と言われちゃうと、もう何も言えなかった」
 金森さん「ジョルジュ・ドンさんって、どんな感じでしたか?」
 十市さん「カンパニーのなかでひとり別格。ひとりだけ、スターって感じ。ホテルの浴衣を羽織って、パイプの先に煙草をくゆらせて…、ちょっと近寄り難い存在だった」

ベジャールの創作風景について、
 金森さん「ベジャールさんは作品について説明したりしたんですか?」
 十市さん「モノによっては。振付は順番通りには行われなかった」
 金森さん「怒鳴ったりしたんですか?」
 十市さん「そういうイメージはない。自分が動きながら作品を創っていく。でも、恐い存在で、私語する人などいなかった」

 十市さん「振り返ってみるとローザンヌはどうしても行かざるを得なかった場所。分岐点に思える。果たして自分で選択しているのかどうか」
 金森さん「こうして新潟で並んで話していることが奇跡」
 十市さん「あっちの方で決まっているだろうシナリオを知らないだけで生きている。決まっているんだろうけどわかっていない」

今回のふたりのクリエーションについて、
 十市さん「まずは9月頭に2週間。1週目に振りを覚えて、次の週、身体が痛くなったので、『ハンディを付けて』と言ったら、『それは失礼なことだし、そんな十市さんは見たくない』と言われた。で、今日も勇気さんに教えて貰った治療院へ行ってきた」
 金森さん「今回の振付でベジャールっぽいところはありましたか?」
 十市さん「Noismメソッドに感じた」

事前に寄せられた質問
①新潟の印象は?
 十市さん「自転車に優しいところが『いいな』と感じた。自転車で近付いていくのを感じるとよけてくれたり」
②新潟で美味しいと思ったものは?
 十市さん
「ホテルで食べている朝食のお米。日本は何でも美味しい。海外ツアーをやってたとき、耐えられたのはイタリアだけ。ドイツは大味だし、スペインは油っぽいし…、日本は世界で一番美味しい」
③40代から50代、身体の維持方法は?
 十市さん
「よい鍼(はり)の先生に出会うこと。(笑)今回のように、これだけの運動量があると代謝もあがり、食生活は気にしないで済むが、母は常にお腹のチェックが厳しくて、よく矢沢永吉を引き合いに出しながら、『永ちゃんは腹出てないから』と言ってくる。まるで呪縛のように、『ちゃんとしなさい』って言われてきたが、それって何?」
④初めて観たNoism作品は何?
 十市さん
「多分、映像で観た『NINA』。メソッドにもある立っているやつ。それと、2010年に池袋で観た『Nameless Poison』。そのとき、ふたりでツーショットの写真を撮っているから」
⑤17年間、金森さんがNoismを続けてきたことに関してどう思うか?
 十市さん
「凄いよね、大変だよね。細かいことも聞いたけど、活動できる場を与えられているのは、やはり人かなと思う。穣君と新潟市との関係。ベジャールさんとローザンヌのように」

「常に自分のことで精一杯」という十市さん、「これからどうするんですか」と金森さんに問われると、まわりの3人の女性(母、妻、娘)と折り合いを付けながら、自分の幸せ=舞台に立つことを追い求めていきたいと語り、「舞台の上から、暗闇(客席)の中を凝視し、内観しながら、何かを探る感じが好き」とし、演劇や映像も経験してみて、「やはりダンサーの中身、ダンサーとしての記憶が残っている。自分を捨て切れなかったから、役者にはなり切れなかった」と感じているのだそうです。しかし、演劇に行ったことについては、その要素も濃かったベジャールさんを理解するうえでは大きかったとも。

もう一度、ベジャールの存在について、
 十市さん「ベジャールさんがやめるまでやるつもりだった。ベジャールさんに『指導で残ってくれ』と言われたけど、踊りたかったから、踊っている人たちを教えられないと思ったから」
 金森さん「でも、1年くらいで腰の痛みはなくなったんでしょ?」
 十市さん「1年半。日本で、福島の外科医さんに椎間板に注射一本打って貰ったら痛みがひいた」
 金森さん「でも、戻るとは考えなかった?」
 十市さん「世代交代だと思った。で、演劇へ。でも、今は舞踊で舞台に立ちたい」


 十市さん「踊っていた14年、その後も含めると15年、ベジャール・ファミリーに入って生活していて、そこで創られた自分が今に至っているのかなと」
 金森さん「逆に、2年しかいなくて、空きがなくて入れなかったから、憧れがある。その呪縛から、もっと新しいもの、もっと美しいものを求めてきたけれど、離れることは出来ない。そして今、東京バレエや十市さんが寄ってくる感覚が不思議」
 十市さん「ベジャールに思いを馳せて作品つくりをしているが、『怪我をしないように』と穣くんに言われても、穣くんの作品を踊っているのだし…」
 金森さん「作品つくりは妄想から始まる。で、『十市さんならもうちょっと、もっと行ける』となる。『これぐらいで良いかな』とか現実的になり過ぎるとできない」


最後に至り、十市さんが、数日前に、携帯電話で奥さんと話しながら萬代橋付近を歩いていた際、赤信号の交差点を、前方に見える青信号と勘違いし、渡ろうとして、「死にそうになった」経験から、「本番の舞台でなくても、常に悔いを残さないように全力でやらなきゃダメかな」と思ったと話せば、今回、新潟は劇場に空きがなくてやれないものの、「再演するかどうかは十市さんのお腹次第」と話した金森さん。予め90分という枠が設けられていなければ、いつまでも尽きることなく愉快に話は続いていったことでしょう。

そんなおふたりの初めてのクリエーション、「Noism Company Niigata × 小林十市」は、KAAT神奈川芸術劇場・大ホールにおいて、10月16日(土)と翌17日(日)の二日間の公演です。

そちらは観に行かれないという方にも小林十市さんが登場する舞台は新潟でも。「エリア50代」、11月13日(土)と翌14日(日)です。

この日のお話を聞いて、ますます期待が膨らみました。どんな舞台が観られるのか、待ち遠しい限りです。

まだまだ色々と書き切れませんでしたが、この日の「柳都会」レポートはこのへんで。

(shin)
 

柳都会vol.23 山田うん×金森穣【対談】レポート

2021年3月7日の「柳都会」後半は、会場や金森さんからの質問にこたえ、さらに山田さんのトークが続きました。

質問/東村山のワークショップ(以下WS)の内容はどのようなもの?
45分、2クラスで即興などの内容。重度障害で踊れる人は少ない。もし、じっとうずくまっていても”踊っている”という認識でいる。音楽は、歌謡曲、クラシック、ロック、いろいろなジャンルのものを流す。偏るとストレスになってしまう。
毎回必ずやることは「WAになっておどろう」で、となりの人と手をつなぐ。「線路は続くよどこまでも」で、前の人の肩に手を置いて列になる。最後に床にねころんでクールダウン。身体を動かすと興奮状態になるため、そののままだと施設に迷惑がかかってしまう。背がまるまったままの人もいるので2-3分かけて寝転び、5分寝転んで、また2-3分かけて起きる。
質問/施設でのWSは、始めた頃は大変だったのでは?
ふだんは歩けないようなおじいちゃんが、スーダラ節が流れたら立ちあがって踊りだした。私達は喜んだけれど、施設の職員さんからは、心臓に負担がかかるのに!と怒られた。
ただ、施設によっては、ここで死んでしまってもいいからやってください(真剣な表情を再現する山田さん)、と言われることも。担当する人によって、どこまで許容しているかは違う。

金森/プロジェクトごとにオーディションをしている?
初期はプロジェクト毎にオーディションをしていた。集団を維持していくのは大変。今のメンバーは4期〜8期の経験者がいる。それぞれバイトをして、プロジェクト毎に集まる。アベンジャーズみたいな感じ、いろいろな人がいた方がいい。
東村山は毎週行っている、WSが多いのでメンバーには「行ってみる?」と問いかける。温度差はあるが押し付けはしない。
決まった稽古場がないことについては、東京のカンパニーはみんなそうだが、毎回違う公民館で練習している。稽古場を間違えて遅れることがよくある。私も間違える。アクティングエリアの確保は難しい。
東京のカンパニーの中での特色はなに?
最近、豊橋とかでレジデンスをやりはじめている。他のカンパニーは自らは合宿していない。差はわかりませんね。
ダンスとのかかわりについては?
OLをやっていた時もある。踊りは、盆踊り、器械体操、モダンバレエをやっていた。80年代の外国の公演をいろいろ見て面白くなった。全国の盆踊りや神楽を調べている。
新潟でも誰かやっていなかったっけ?
堀川久子さんですね、お会いしました。
昔、アスベスト館で笠井叡さんや舞踏を見た。日本の土着的なものに惹かれていた。宙返りはできてもプリエはできない。そこをつなぐヒントになるかと、自分のスタイルを立ち上げるために舞踏を3年(20歳〜30前位)した。スタッフワークをやっていた時期もあり、照明もできる。
会社は20歳くらいでやめた。バブル崩壊期の証券会社にいたので、入社してから謝ってばかりだった。(大変申し訳ございませんでした……と真剣に謝ってみせる山田さん。笑いが起こる会場)
やはり、お金と芸術について考える。OLをやめてアートに携わった。90年代に横浜の小劇場で制作をしていた。セッションハウス、それからパークタワーで若手を応援し育てようと、振付をはじめた。
Noismもパークタワーから活動開始してるんだよね。
2000年に、もう最後かなと思って横浜ダンスコレクションに出演したら、受賞した。そこから渡仏した。踊る側でなく、振付をしたかった。お金とか制作とか、斜めから俯瞰して見ていたい。
カンパニーを持って、プロジェクトベースで人を集めているけれど、作品ごとに個性があるし、すごい才能を集めたくはならない?
カンパニーを固定することをイメージできない。舞踊は時間がかかる。3年に一度オーディションはする。最低3年、身体、精神、神経をつかいながら、一緒に作っていく。立ち上がっていくものが伝達されるので、例えばここで宙返りができる人がほしい、という気持ちはない。
「コスモス」はダンサーが結構作っている。作ったピースを細かく監修している。
「コスモス」の群舞はアクティングエリアが広いけど、どこで作った?
群舞や万国旗が出てくるところは、水天宮ピットで作った。広いスペースがある。
公民館で机を動かしたりしてると怒られる。家にも稽古場があり、ベッドを入れてピースを作った。作品のコンセプトとして作り方を決めていた。
「春の祭典」ではテクニックの伝達について触れたが、メソッドはあるの?
バレエとバーレッスン、裸足が基本。身体をスパイラルに捻るというバレエの要素は要る。あとは、阿波踊り、筋トレ、即興、ヨガ、時期によって違う。
いろいろしているけれど、拠り所は? 何かを上達させるとか?
ヨガ、バレエ、週1で阿波踊りをやりたい。床を踏む時に、指のどこを意識するかとか。
場所と時間が与えられたら、毎日クラスをやりたい。
専属の声がかかればやる?
やります。
専属になると、今のような活動がやりづらくなることはない?
やりづらくなるかな……?
WSの時、ダンサーと向き合うのではなく、参加者と向き合って、ダンサーと横で肩を並べている時に幸せを感じる。時間をシェアしている感覚。
振付を作るのと、覚えるのとは違う。私が振付を覚えていると時間ぎれになってしまう。

質問/カンパニーに入る条件はどんなもの?
新作メンバー募集の時は、即興、面接などで決める。
カンパニーのメンバーになると、自然にWSに駆り出される。いやならいいけど、興味があれば行ってみない?と一人ひとりに声掛けをする。
作品のコンセプトは自分が作る。動きをつくる時は「コスモス」なら、ベッドを置いて、2人のダンサーに、どうぞ!……と、結構自由にやる。やってみてスパイスを加える感じ。神経を使うところもあり、ホスピタルでなくホスピスと限定したりする。
質問/WSをする小学校や障害者施設は見学できる? アート、教育、医療、地域、親、文化政策、財源、自治体など関連すると思うが?
学校による。見られることがストレスになる場合もある。教育関係や親はokしている。7年くらいWSをしていた神奈川は見学ok、宮城もok。障害者施設もコロナ前はokだったが、コロナ後は全部だめになった。
見学といってもオープンにはしているわけではなく、直接連絡をくれたり、どの人かわかるつながりがあれば問題ない。
質問/山田さんにとってダンスとは?
芸術だけではない。傷つけることもあるし、一言では言えない。
欲張りなので、ダンスが活動につながるというか、いろいろな切符を持っている要素だと思う、ITやレストランでの活動につながったりもする。ダンスは誰でもできると思ってしまう。

金森/誰でもできるなら、なぜオーディションをするの?
それは、誰とでも結婚できるかといえばそうではないような事。ダンサーは私自身のスピリットを注げる人。ダンスは万人のものだし、クラブ、盆踊り、舞台と様々ある。仲間内で踊る、制約のある中でアートとしてのダンス、路上で踊るとか、小学生の中にいても踊ればこちらを見てくれる。踊りを立ち上げていけば、魔法使いのようになる。
アカデミックにダンスをやってきていないので、可能性、裾野が広がっているように感じる。
さっき「春の祭典」のくだりで”教育”という言葉が出たけれど?
空間に対して身体をどう使うか。要素が足りない、弱い、似ているけどそうじゃないことがある。誰のものでもあるダンスから、そこまでは自発的に出てこない。
その部分についてはどう処理するの?
処理しない。判断を保留しておくと、10年くらい経って解けたりする。じっとしていたいと思う部分との葛藤と矛盾がエネルギーになる。

質問/山田さんと金森さんは初対面? Noismについてどう思う?
面識はあったけれど、こうして話すのは初めて。
Noismは圧倒的。最初から最後まで隙がない印象。ばーん!というイメージで、気持ちがいい。自分の作品は、愛嬌、そばかす、ほころびみたいな、真逆のテイストがある。Noismの作品には厳しさを感じるので、どう作るんだろうと思っている。
新潟市にこんなカンパニーがあるなんて、専属舞踊団があること、そんなことが日本で起こる時代がくるなんて夢のよう。舞踊団がある新潟市が続いてほしい。
舞踊や芸術について、いま横にレンギョウがあるけれど、これはなくてもいいもの。でも、あったほうがいいし、好きになれる。Noismがあるから新潟がいいという人がたくさんいると思う。

金森/うんさんが専属をやれるならやりたいと言っていたことは意外だった。でも本気で時間と場所が欲しいと言っているし、そうなったら相互にノウハウを学び共有して、Noismと情報交換をしながら発展していくという妄想が広がってくる

山田さんのお話は多岐に渡り、とても時間が足りないようでした。ポジティビティに満ちた、密度の濃いなひとときでした。
発言にペンが追いつかなかった部分もあり、ニュアンスが異なる点もあるかと思います。ともあれ、そばかすが紛れ込んだような解像度ながら、現場の雰囲気を感じていただければ幸いです。(のい)

柳都会vol.23 山田うん×金森穣【レクチャー】レポート

2021年3月7日(日)16:30~18:00 りゅーとぴあスタジオBにて、柳都会vol.23 山田うん×金森穣「いま、ダンスカンパニーを率いること」が開催されました。会場では、前日の「コスモス」舞台上で存在感を放っていたレンギョウの活け込みが聴衆を迎えてくれました。
山田さんは、カンパニーのプレゼンは初めてとのことで、映像とカンパニー来歴の年表を交えながらお話しされました。以下、会場での聞き書きを整理し、敬称略にて掲載しました。特に断りがない場合は、山田さんの発言です。(★はスライド)

『柳都会』チラシ

コスモスについて
「コスモス」は当初、映像バージョンとして構成された作品。
昨年6月、東京芸術劇場での公演を中止した(中止を申し渡されたのではなく、状況からお客さんを入れられないという自主的な判断)ことを契機に、映像作品として作った。作品制作の過程でも、密にならないよう構成をした。新潟公演が実現した事は奇跡のよう。カンパニーメンバーはふだん夜のみ練習をしていて、昼はそれぞれアルバイトをしている。
やはりライブで踊りたいため、当初は映像作品をいやがった。

『コスモス』チラシ

地方での合宿
島根 5-6年前からよくワークショップ(以下WS)をしている。そのため日中はリハーサルができない。毎年カンパニーで合宿をしており、島根など過疎地との地域交流をしている。現地での食事は制作の上原さんが料理をしたり、地域の方が作りに来る。合宿では廃校の教室で寝る。島根で合宿をしたきっかけは、いろいろなところへ年賀状を出す際に合宿させて欲しいと書いていたら、島根から返事が来たから。
(カンパニーメンバーが笑顔で食事をしている★)つらすぎて笑っている。ふだんは東京で生活をしているメンバーが、付近にコンビニもない山の中で1週間過ごしている。
青森、ほか (建物の一面に洗濯物が干してある★)合宿をした青森の保育園。一日中こんな光景で、起きて、掃除・洗濯して、交流して、WSして、洗濯して……部活のよう。 男女16名が、同じ部屋で寝るため、一人あたりヨガマット1枚程度のスペースしかない。食事の量が少ないので、先を争って食べる。量が少ないのは予算的な問題もある。合宿は自主的にはじめた。福岡の糸島では 地元のダンサーなどともWSをした。なぜ合宿をするのかといえば、東京にいるとバイトなど個々の都合もあってまとまって会えないから。
金森/鈴木忠志さんのカンパニー(SCOT)のようだ。冷蔵庫のプリンを誰が食べたかで大問題になる。
島根の神楽の人とも交流を持った。学校でWSをすると、過疎地なので子供の数よりもカンパニーメンバーが多くなる。子供と踊ると腰をかがめたり、重心が低くなる。
茅ヶ崎、海を背にした大人数の集合写真★
金森/右端の人が小さいわけじゃない
人が多すぎて斜めに並んでいる、遠いから小さい。山田さんは茅ヶ崎出身。
エストニア公演、2017年くらい。きっかけは、TPAMをやってエストニアから声がかかり、呼ばれた。現地では教会に泊まった。ホテルとかではなく、手弁当的な部分がある。
教会のお湯が15分しか出ず、先輩から先にシャワーを浴びるが、順番が後になるにつれてお湯が冷たくなっていく……。
★2010年、氷川丸、★ひまわり畑×神楽。蜂がいた。
★花まつりで鬼の役をする。「いきのね」のリサーチ。鬼役を「ヘタ!」と現地の子供にヤジられるが、ヤジもイベントのようなもの。
★2016年、マレーシア、イスラエルなどからダンサーを招く。東京ならマレーシアとイスラエルの人が会える。音楽劇、演劇の演出、ファッションブランド福岡店オープニングイベントなども手がける。
★企業からの依頼でディナーショーをした。スープストックトーキョーやビーガンレストランからオファーがあって、ランチとディナーの間にダンスをする。要望はなくても歌も歌う、サーブもする、トークする。

年表を示しながら
2002年、カンパニー立ち上げ。
2003年、任意団体となる。当時は無名で、お金がなかった、ガバナンスの面から任意団体となり、セゾン文化財団ジュニアフェローとなった。助成金300万が交付された。
2005-2012年、地域創造のモデル事業を行い、地域交流、公演、旅をして、時間を過ごして、ご縁が続いた。茅ヶ崎、いわきなど。
2013年、島根、八戸で公演。徐々に作品規模が大きくなっていく。ゼロに戻ってオーディションをする。第1期は8名のメンバーがいた。期を改めるごとにオーディションを行うため、ずっと一緒に稽古していたメンバーがオーディションで選ばれない事もある。これは厳しいし、辛い。
プロジェクトは平行して行っている。東村山の重度障害者福祉施設に2名常勤(交代)でいっている。メンバーはほぼWSや公演、レジデンス、を一緒にやっているので、価値観、共通言語ができている。誰がファシリテーターでも問題ない。施設側から「うんさんじゃなくてもいい」と言われる。
2011-2013年
制作がいるのかいないのかくらいの時期、合宿をはじめた頃。
2017-2018年
「季節のない街」山本周五郎の小説が原案★。youtubeに映像は上げていない。マレーシア、ボルネオのダンサーも参加。ただ踊るのでなく、たたずまい、差別、暴力の要素は一緒に傷ついていかないとできない作品なので、山田さんが唯一出ている作品。震災後の心理状態が現れている。
★ソロ作品「ディクテ」
2013年、「春の祭典」(ダブルビル)。定員1000名以上の劇場で初めての公演。それまで200〜300人くらいの劇場で公演していた。踊る前に、市民〜おばあちゃんたちの誘導をして、そのあと踊る。
「春の祭典」は、とても疲れる。カンパニーメンバーに、空間に対して身体を伸ばす、重力、テクニックを教える教育的な側面もあった作品。公演のギャラはマッサージ代に消えた。踊って身体を痛めて、お金も残らない。
金森/春祭だけに生贄ということ……。
2004〜2019年、「ワンピース」。関かおりさん(第1期メンバー)出演。「ワンピース」男性バージョンも制作。オリジナル音楽はヲノサトルさん担当。外国ツアーにも行った。45分の作品なのでダブルビルで上演。マレーシア、中国、インド、何人ものダンサーが(舞台装置の箱の映像★)箱に入っては出て、入っては出てする。
マレーシアは、コンテンポラリーダンスはあるが、伝統舞踊の方がメジャー。シンガポール、インドネシアのダンサーも参加。

金森/法人化したのはなぜ?
山田/個人では信用を得たり、資金の調達が難しい。
金森/いろいろな活動をなさっている。ここまででも情報過多だし、東京の舞踊団という感じがしない。これは望んでいた活動なのか?
山田/最初は会社勤めをしていた。趣味でクラブなんかで踊っていたくらい。

状況としては辛い体験ながら、山田さんの語り口があっけらかんとしているので、会場からは笑いが起こる瞬間も多々あるレクチャーでした。(のい)

柳都会vol.22 江口歩×金森穣を聴いてきました♪

2020年10月11日(日)16:30~18:00、本来ならほぼ5ヶ月前(5/17)に開催される筈だった「新潟お笑い集団NAMARA」代表・江口歩さんと金森さんによる柳都会が、りゅーとぴあ・能楽堂を会場に無事に開催され、聴いてきました。

おふたりのこれまでの接点ですが、①先ず、Noism初期の頃、江口さんは二度ほどアフタートークの司会をされたことがあったのだそうですが、「下ろされてしまった」と江口さん。

②次いで、『black ice』の頃、江口さんのラジオのゲストとして金森さんに出て貰ったことがあったとのことでしたが、金森さんは記憶になく、地震の影響で、10分間収録されたものの、オンエアされないでしまったのだそうです。

そうした際に江口さんが金森さんに対して抱いた印象は「尖っている」というものだったそうです。

「文化不毛の地」(?)新潟に、それぞれ「日本初」の劇場専属舞踊団と地方都市発のお笑い集団を立ち上げたおふたりは、それぞれのスタンスで、周囲の理解を得ようと格闘してきたおふたりでもあります。今回の柳都会は、主に、金森さんが「お笑い集団NAMARA」と江口さんについて訊ねるかたちで進行しました。

(註)壇上のおふたりから撮影許可あり

足袋を履いて、能楽堂の舞台に進み出ると、まず、江口さん「アウェイ感がビシビシ」と語ることで、笑いが起こり、つかみはオッケイ、そんな滑り出しでした。

「新潟お笑い集団NAMARA」と江口さん(代表取締役社長)

立ち上げは1997年で、今年で23年目。当時の新潟県、自殺率が2年連続で全国ワーストだった頃。それは、①りゅーとぴあオープンの頃であり、「箱もの」は要らないの声があがったり、また、②陸上競技場を舞台に、現在のアルビレックスの前身アルビレオが発足した頃でもあり、サッカーなど根付かないと言われてもいた。「NAMARA」も同様だった。

毎月、ライブをやっても当然、儲からない。「どうやって食っていくか」が問題。だから声がかかると、全部「ハイ、ハイ」と受けていた。しかし、5年間くらい、全員ノーギャラだった。

「欧州帰りの29歳、『お前には居場所はないよ』と否定されているように思い、世の中に対して苛立っていた。尖っていた」(金森さん)「俺も全否定だもん。継続していても評価は上がらなかった」(江口さん)

転機は2002年。商店街、学校、病院、介護施設などから「講師に」と声がかかるようになる。いずれも、「会話がまずいことになっている」と認識。求められているのは、コミュニケーションをとること、繋ぐこと。「通訳」「翻訳」みたいな役回り。

また、「障がい者と健常者、加害者と被害者、自民党と共産党といった両極端の依頼もあった」(江口さん)…その具体例:精神障がい者の自己肯定イベント「病気だヨ!全員集合」、坂井輪中学集団暴行事件被害者の父親が開いたトークイベント、新潟市長選挙に際し、(篠田・前市長を含む)3人の候補者を出走馬に見立てた「市長選ダービー」等々。

スタンスは「面白がったって、いいじゃないか」興味が持てれば、理解のきっかけになる。

実際の仕事内容は知らなかったが、「何でも良いからやってみよう」とみんな受けていて、そうしてやっていくうちに色々学ぶことになった。大層な気持ちでやっていた訳ではなく、「ハイ、ハイ」言ってきたことで、「どっちも肯定しようという態度を覚えた。左翼とも右翼とも付き合う、『なかよく』だね」(江口さん)「うまい!」(金森さん)

それでも、「お前ら、お笑いだろ」と揶揄されたり、「お前ら、何やってるんだ」と不審がられたりしていたことに対して、金森さん「立ち位置がそれまでになかったため、評価のしようもなかった」

時代も変わった

「『社会課題を楽しく』っていうなら、『SDGs(持続可能な開発目標)』と言うと説明が楽で、使うことも。デジタル化の加速で、異業種の繋がり、業態の変化も進む今、立ち上げ当初の頃と同じような気分を楽しんでいる」(江口さん)

「『NAMARA』はみんなバラバラ。好きなことをするのが『NAMARA』と言ってきた。保育士芸人や銭湯大使なんてのもいる」(江口さん)「つかみどころのないグループ。新しく人を入れる基準は?」(金森さん)「オールOK。どんどんチャンスあげたっていいじゃん、って」(江口さん)「他県にも似たようなグループはあるの?」(金森さん)「ないみたい。新潟にはタレントが多い印象、『タレント王国』。それぞれの特性・武器を活かして融合して、束になって発信したら、って考える」(江口さん)

「時代、何なんだろ、アレ。あんなに叩かれていたのが、今、『良いことやっている』と言われ、表彰までされるようになっちゃった」(江口さん)

江口さんって人

「政治家になることは考えたことない?」(金森さん)「あんな面倒くさくて、頭下げてばかりいるような仕事したくない。具体的には、色々な行政課との付き合いはあるけど」(江口さん)「行政と文化、互いの専門知識しかなく、相手を知らない。江口さんみたいな存在は抜群なNPO。福祉系など、需要はありそう」(金森さん)「縦割り社会の中で『ハイ、ハイ』言ってきたこと、横へ、横へと動くことだった」(江口さん)

「金森さんには、観光課と繋がって、(北方文化博物館などの)アートなポスターを作って欲しいし、篠山紀信さんと一緒に『SWITCH』にも出て欲しい。また、Noismには古町芸妓や新潟プロレスともコラボして貰いたい気持ちがある」(笑)(江口さん)

「江口さんって、ホントつかめない。でも、良い意味で、つかめないところが江口さんの強み。『NAMARA』が受け入れられていったり、新潟って、面白いところだなと思う」(金森さん)

「江口さんって泣くことあります?どんなとき?」(金森さん)「泣くさ。映画観てとか」(江口さん)「何故訊いたかというと、江口さんは物凄く俯瞰で物事を見ているから、落語的に。一人ひとり感情移入していたらもたない。ひとりの人としてどこで泣くのかって興味持っちゃった」(金森さん)

「一神教の善悪みたいに、何かひとつのことを信じるというよりも、両方を肯定する。面白いか面白くないかが価値基準。融合したら面白いんじゃないかとか思う」(江口さん)「江口さんはダメ出しをしたり、評価を下したりしますか?」(金森さん)「あんまりしないんだよね」(江口さん)「ですよね。全てを肯定していくとなると」(金森さん)

変化すること

平和ボケの頃の毒のあるアナーキーな笑い(横山やすし、たけし、爆笑問題・太田、立川談志)→肯定漫才(オリエンタルラジオ、ぺこぱ)へ。時代の変化。「そこにウズウズもある」(江口さん)「茶化そうと思ってますよね。(笑)でも、変わっていけるかどうかというのが問題。変わらなきゃと思う。嫌々じゃなくて、自分のなかで変化の時。『金森、変わったな』と言われるのは不本意。前向きに変化を楽しんでいる」(金森さん)

「視覚障がい者のためのワークショップには興味をもった。お互いに化学変化が起きている。そういうジョイントがやりたい」(江口さん)「やる前は不安があった。クラスがうまく機能しなかったら、参加者を傷つけてしまうんじゃないかと。でも、みんな、『もっと、もっと』と、全然怖がっていなかった。でも、『会わせりゃ、何とかなるだろう』みたいなのは嫌。双方、傷つく。『この方法論なら』と思えたからやった」(金森さん)「芸術から離れちゃって、ボランティアみたいなトーンはダメ」(江口さん)「滅茶滅茶アートでしたよ。年末にもやるんだけど、進化(深化)しそう」(金森さん)

江口さんって人(金森さんが理解した江口さん)

「江口さん、『お笑い』とか『面白い』とか言うからややこしい」(金森さん)「誤解される」(江口さん)「でしょうね」(笑)(金森さん)「叩かれる」(江口さん)「でしょうね。(笑)でも、70歳くらいになって、地域の人がみんな知ってるようになると無敵だね」(金森さん)

リーフレットとアンケート

「今度、一緒に飲みませんか」(江口さん)「俺、コーラですけど、いいですか」(金森さん)「じゃあ、俺もジンジャーエールにします」(笑)(江口さん)…

…と、まあ、そんな具合でしたかね。

この日は会場からの質問タイムはありませんでしたが、おふたりのやりとりを聴くだけで、「なまら(=新潟の方言で「とても」「凄く」の意)おもっしぇえ(=同「面白い」)」90分でした。江口さんと「新潟お笑い集団NAMARA」が刻んだ歴史、そして注がれる視線の変化。それを介して、金森さんとNoismが歩んできた日々も浮かび上がってくる、そんな感じのトークだったと言えるように思います。それら、うまく伝えられたかどうかは不安ですが、本日のレポはこの辺で…。

追記: おしまいに、この日の客席は金森さんから、映像舞踊『BOLERO 2020』の拡散を託されました。是非ともご覧ください。200円で7日間楽しめますので、コスパはめっちゃサイコーです♪こちらからどうぞ。

蛇足: りゅーとぴあ・Noismボードの前に置かれた冊子「tempo1」(富士通発行:無料)を貰ってくるのもこの日の大切な目的。無事果たせました。収録された金森さんの記事「身体のTEMPO」、これからじっくり読みます。皆さんも是非♪

(shin)

本日(9/19)の新潟日報朝刊「窓」欄に拙文を掲載していただきました♪

先月末、かれこれ3週間前に地元の新潟日報紙「窓」欄に宛てた投書が、本日(2020年9月19日)の朝刊に掲載されました。下に載せますので、まずはお読みください。

2020/9/19新潟日報朝刊「窓」欄より

「投稿後、3週間」というのが掲載されるリミットのようですから、今回の投稿は「ボツ」なのだと思っていたところ、ギリギリ滑り込みで、6度目の掲載。新潟日報さん、どうも有難うございました。m(_ _)m

タイトルの変更と文章の整理を施していただいたうえでの、ギリギリの掲載は、採用されたタイトルが何やら中高生っぽくて赤面したくなる気も致しますが、「最高」は「最高」なんだから仕方ありませんね。そして、「最高」の2文字が持つ日報購読層への訴求力は小さくないのでしょうし。でも、そうなら、更にもう一歩踏み込んで「サイコーかよ」とでも表記して貰いたかった気も致します。(笑)

Noismの今回の公演のクオリティ、そしてそれを実現にこぎつけた関係者の方々の努力、それら全てが「サイコー」で、それら全てが「私たちの未来(新しい日常)を作っていく」、そう感じた次第でした。「未来とは、今である」とは、さる米国の人文学者(マーガレット・ミード(1901~1978))が語ったとされる言葉です。その意味で、「未来」に繋がる「今」を目撃した気持ちを込めて書いた文章でした。

追記: 平田オリザさんと金森さんの「柳都会」(2016/4/23/)につきましては、こちらにレポートをアップしてございます。そして、今回の投書で引いた元の発言は、「芸術そのものの役割」中の「被災時の『自粛』の風潮を巡って」語られたなかでお読みいただけます。気の利かない記事ですが、ご参照ください。

(shin)

大変なこの国の今、新潟から文化を発信すること

拡大の止まない疫病の猛威に、各所で我慢を強いられている感が強いこの頃、皆さま、お元気でお過ごしでしたでしょうか。かく言う私も「一斉休校」の大きな混乱の渦中に投げ込まれ、目も回る年度末を一日一日どうにかこうにかやり過ごしております。どうか皆さま、ご自愛ください。

さて、そんななか、タイトルにも記しましたように、ここ新潟から Noism Company Niigata が文化の香りをお届けするふたつのコンテンツをご紹介いたします。

いずれもTwitterからのご紹介ですが、以下をご覧ください。

BSNの特別番組は、新潟だけでなく、全国で視聴できるようになるといいのですが…。

そして、柳都会の方は5月半ば。その頃には混乱も収まっていて欲しいものです。

ともあれ、新潟から点される文化の灯火に是非ご期待ください。

(shin)

森優貴さんを招いた「柳都会」vol.21を聴いてきました♪

2019年9月29日(日)の新潟市は雨模様で、じめじめした一日。Noism活動継続の記者会見からわずか2日というタイミングで、「日本の劇場で、専属舞踊団は必要とされるのか?」をテーマに、「柳都会」vol.21が開かれました。今回のゲストは、2012年から今夏まで7年間にわたって、ドイツはレーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニーで日本人初の芸術監督を務め、この度帰国した森優貴さん。欧州の状況に照らして、日本の現状を考える、またとない好機ということで、興味津々、会場のスタジオBへと赴きました。

定刻の15:00ちょうど、ふたりが登壇し、着席。金森さんから紹介され、「もう始める?」と切り出した森さん。2012年にダンサーを公式に引退して、レーゲンスブルク歌劇場の舞踊部門の芸術監督に就任。10代で欧州に渡って23年という年月は、在日本より長く、「日本語が出てこない」とおどけながらも、ところどころ関西弁を交えて、軽妙に語る森さんはとても気さくな方でした。森さんのお話しは独・レーゲンスブルク歌劇場の説明から始まりました。以下、手許のメモをもとに、要約でお届けします。

レーゲンスブルク歌劇場: 人口12~13万人、世界遺産の街・レーゲンスブルク(独・バイエルン州)。レーゲンスブルク歌劇場は3階だて、築100年くらいの建物にはオペラハウス(キャパ580名程)ともうひとつホール(キャパ620名程)があり、約360名が雇用されている。年間会員制度があり、それぞれの嗜好(コンサート、オペラ、舞踊等)と曜日の組み合わせから、30数種類のモデルが用意されており、年間会員は決まった座席で鑑賞する。毎週火曜日に会議があり、売り上げをチェック。そこでは年間会員以外の一般の売り上げの多寡が重視される。

歌劇場のサイクル: 年間スケジュールは年毎に変化はなく、夏休みは閉鎖、9月から始まる。舞踊関係では、11月に秋の新作公演、加えて、「社会貢献」としてHIVチャリティガラコンサートが秋に行われている。次いで冬の新作公演は2月。3月にはミュージカル公演があり、ダンサーも出演必須で、振付も行う。5月にはオペレッタで、舞踊ナンバーが2~3曲入る。6月はヤング・コレオグラファーの公演、とほぼ固定で回っていく。あくる年の方向性が決まるのは12月、1月頃。 

劇場支配人(インテンダント)と芸術監督: 劇場トップには劇場支配人(インテンダント)1名がいて、そのインテンダントに選任された4名の芸術監督(芝居・舞踊・楽団・青少年の芝居ユンゲス・シアター)がいるスタイルはほぼドイツで一般的なもの。インテンダントは市の評議会が選任する。その際には、その人が持つ人脈が重視されるケースが多い。インテンダントまで上り詰める者は、オペラのディレクター、芝居の演出家などであるのが通例。舞踊からの者はほとんどいない。森さんが務めた芸術監督は各プロダクション毎に予算を示されるのみであり、売り上げの責任を負う立場にはない。

舞踊部門の芸術監督: 劇場が年間38~40の新作を送り出しているなか、舞踊部門は最もプロダクションが少なく、予算もカットされ易いのが現状。「舞踊部門は立ち位置が弱いよね」(金森さん)。どういうところで勝てる喧嘩をしていくか、それなしには舞踊の位置づけを守れない。長期の準備期間を要するのが舞踊。台本がなく、曲探しから始め、秋に新作公演を打つためには、1年半くらい前に始めないと間に合わない。確固たるイメージが共有されなければ、美術・衣裳などは作れない。その舞台・衣裳などは劇場内に工房があり、ほぼ外注することはなく、正確な情報を渡さないと動いてくれない。また、レーゲンスブルク歌劇場にはストレージ(倉庫)がないことから、公演は連続公演のかたちで組まれ、公演後、美術は破棄される。よって、再演は行わない(行えない)。

芸術監督の交代期: 一旦、全員解雇のかたちをとり、オーディションを行い、残留者が決まるのが普通。どの劇場も一斉に動くため、流れには乗れる。一方、カイロプラクティック等への転身等の他の選択肢や補助金等のサポートもあるため、見切りをつける子も多い。失業手当(1年間)なども受給可能。レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニーのダンサーは男女5名ずつの10名。そこに世界中から700~800の応募がある。(イタリア、スペイン、キューバ、ブラジル、日本、韓国などからの応募が多い。)また、オーディションにおいて、不採用とする際には、訴訟を避けるためにも芸術面での理由を述べる必要がある。

欧州の劇場: 日本と違い、「貸館」主体の劇場はない。貸日を設けているくらい。公演チケットの価格は、良席でもオペラで10,000円未満、ダンスは4,800円くらい。他に、学生チケットや「ラストミニッツチケット」(格安で売り出される当日券)などバラエティに富むものが用意されている。 

劇場の今: 教育機関に対する責任の大きさから、アウトリーチ活動を行い、新作初日までのクリエイションの過程を見せるなど、どうやって作品が出来上がっていくのかを見せて、劇場に足を運んで貰えるよう努力している。それを担うのは広報部長(1名)であるなど、雇用人数に対してオーバーワークという現実がある。また、近年、ドイツでは芝居に客が入らなくなってきている。理由は時間がかかるから。その点、舞踊は、生きる総合芸術という側面を手軽に楽しんで貰える利点があり、芝居の売り上げが思わしくなかったり、歌手が体調を崩したりしたときなどには、「優貴!(やってくれ!)」と(舞踊に)声がかかることも多かった。他面、観客に目を向けると、ファンを除いて、市外の劇場へ足を伸ばす者は少なく、市内で完結してしまうことが多い点や高齢化に伴い、次世代の観客が減少している点なども問題として浮上してきている。

日本の劇場、日本に戻ってきて: 公民館と区別がつかないような劇場の日本。「実際、公民館の跡地に劇場が建っている例も多い」(金森さん)。まず、集客の保証があってという順序ではなく、その地域、その劇場で作ったものを発信していくことの意義は大きい。生の人間が作って、生の人間が関わるところに本質的な対話や共感が生まれる。土壌もない状況でNoismができたことは、歴史的な事件であり、希望であったし、それが15年続いたことも含めて、奇跡のような事件。それだけに、今日まで「2番手」が出てこなかったことが腹立たしくて仕様がない。語弊はあるが、もし「2番手」ということになるなら、自分以外にいないんじゃないかと思った。(会場から拍手)

ラストの会話を再現してみます。
-「なんで日本に戻ってきたの?」(金森さん)
-「まあ、いろいろ」(森さん)
-「とりあえず、倒れてもいいのがわかったからね。頑張ってみるよ」(金森さん)
-「金森さんはいつだって追いかけるべき先輩だった」(森さん)
-「避ける者も多いよ。その道は絶対に行かないというか…」(金森さん)(笑)
-「芸術監督の立場について色々相談したし、『同志』と言って貰えたことは嬉しかった。『2番手』、責任だと思ってた」(森さん)
-「俺、もうちょっとやりたいんだけど、いい?」(金森さん)
-「金森穣だけで終わってしまってはいけない。ひとりではできないけど」(森さん)
-「まだ帰ってきたばかりじゃない?」(金森さん)
-「今、勢いあるからさぁ、やるなら今かなぁと」(森さん)(笑)

すべて網羅することは到底できよう筈もありませんが、上のやりとりのような感じで、終始、和やかに進められたこの日の「柳都会」。途中には、森さんがレーゲンスブルクで振り付けた作品の公式トレイラーも5本流され、その色彩感豊かな映像に、来る12月・1月の『Noism1+Noism0 森優貴/金森穣 Double Bill』への期待も募りました。3歳違いのふたり(金森さんが3つ年上)、今、その振付の個性を並べて観ることが待ち遠しくて仕方ない心境です。とても楽しい2時間でした。

(shin)

 

金森さん「このタイミングでこのような体制で挑めることに感謝」(9/27記者会見)

2019年9月27日(金)午後2時半、「 りゅーとぴあ劇場専属舞踊団 Noism 第6期活動期間の更新『Noism1+Noism0  森優貴/金森穣 Double Bill』製作発表 記者会見」に参加してきました。

会場はりゅーとぴあ ・ 能楽堂のホワイエ、 出席者は中原八一新潟市長、金森さん、りゅーとぴあ支配人の仁多見浩さんの3名。傍らに井関さん・山田さんをはじめとするNoismメンバーが勢揃いするなか、中原市長の「よろしくお願いします」の言葉から会見は始まりました。

まず最初に、中原市長がこの一年間を「Noismの活動を理解する期間が必要だった」としながら、「Noismの活動に支障をきたさないように」これまで15年間の活動を検証し、さる8月24日、りゅーとぴあ及び金森さんに課題と方向性を伝えたところ、「本当に真摯に検討してくれた」と説明。Noism・りゅーとぴあと協力しながら、市民との関係を築き、レジデンシャル組織としての優良事例となること、新潟市の踊り文化に対し、好影響を与えることで、より一層の高評価を獲得していく期待を語りました。

仁多見支配人は、2022年までの活動を認めてもらったことに感謝しながら、課題には「身が引き締まる思いがする。りゅーとぴあとして真摯に受け止め、改善に取り組んでいきたい」と第一声。続けて、「意思疎通を図りながら、全国のモデルとなり得るよう努めていきたい」と。

金森さんは皮切りに、中原市長には、「難しい判断と決定」であっただろうことに思いを馳せて、そして仁多見支配人には、連携の重要性に鑑みて、「力強い協力」を申し出てくれたことに対して、ともに感謝を口にし、「このタイミングで、このような体制で挑めることに感謝します」とも。

次いで、まず、舞踊団の総称を、これまでの「Noism – RYUTOPIA Residential Dance Company」から「Noism Comapany Niigata」に改称する旨を発表。これは、国外での「RYUTOPIAとは?」と国内の「Residentialとは?」の疑問を一挙に解消しながら、より単刀直入に、「Niigata(新潟)」の名を国際的に発信することを可能にするもの、としました。

更に、新体制として、これまでのNoism1とNoism2に、プロフェッショナル選抜カンパニーNoism0を加えた、3部体制にすること、舞踊家とスタッフに関しては、舞踊家1名減、スタッフ1名増で臨むことが触れられました。

その後、「提言」を受けて纏められた「活動方針(案)」(文化政策課)に盛り込まれた6点の課題改善に向けた取り組みや方向性が説明されました。

①地域貢献のための活動: 市内の舞踊団体との連携(R2秋・新潟市洋舞踊協会合同公演における金森さんによる新作振付)、「Noismスクール(経験者向け・初心者向け)」の新規実施、「柳都会」・「公開リハーサル」等の継続実施、更に、市民へのスタジオBの提供等。

②国内他館との信頼関係・ネットワーク: 少数精鋭の選抜カンパニーNoism0(金森さん・井関さん・山田さん)は小規模の故、他館との連携のし易さというメリットがあり、連携には好都合と。

③Noism以外の舞踊の提供: 金森さん以外の振付家招聘公演として、年末からの『Noism1+Noism0 森優貴/金森穣 Double Bill』を実施。独・レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニー芸術監督を辞し、帰国した森さんに帰国後1本目として、Noismへの振付を委嘱。

④コンプライアンス・意思疎通、⑤労務管理、⑥予算減の可能性: 規約等を再確認のうえ、適切に進める(④)、十分に協議のうえ、改善に努める(⑤⑥)、とされました。

金森さんの説明に続き、メンバーを代表して、井関さんと山田さんもこれからの活動について語りました。井関さんが自身の経験に重ねて、「若い世代の人たちにとって、時間・空間・人のサポートは重要。これからも与えていって欲しい」と語れば、山田さんも「(Noism2リハーサル監督という)責任ある立場として、遠い未来を見つめて、よりよい価値をつくっていきたい」と話しました。

その後、簡潔に、(極めて簡潔に、)『森優貴/金森穣 Double Bill』について触れられたあと、報道各社からの質疑応答に時間が割かれました。ここでは、それらを通して語られたことをまとめてご紹介します。

仁多見支配人: 公演を観ることが生き甲斐になったり、観ることで人生観が変わったり、町の賑わいにも繋がったりと、芸術活動の意味は大きい。公共劇場に課せられた責任の重さとともにやりがいを感じる。

Noismはりゅーとぴあ専属の舞踊団、それをどう支えていくかが課題解決に向けて最も重要なところ。職員全体がそういう意識を共有しながら進めていく。公演の度、スタッフには負担も大きい。実態に目を通しながら、金森さんと一緒に体制作りをしていきたい。

支配人になってから、初めてNoismの公演を観た。言葉にならない感動とはこういうものなんだなと知った。人生観も変わるくらい凄い。必ず感動します。まず一度観ていただきたい。

中原市長: 文化を創造し、世界に向けて発信していくところに予算を使う意味がある。「3年後」は正直、未定。レジデンシャルカンパニー制度が新潟市として持続可能か、全国的にも意味を持ち得るか、定期的な検証は必要。

今回、私が市長になって検討することになった。そのなかでも、金森さんはキチンとした話し方をされる。世界的にも評価される金森さんが真摯に受け止めてくれ、解決しようと決意してくれたことを有難く思う。こういう方から新たに色々取り組んでいただくのだから、必ず評価は高まっていくものと確信している。新たなファンも必ず生まれる筈。

名称も新たに「Noism第二幕」の開幕。芸術性の高い素晴らしい舞踊を楽しんでいただきたい。期待していただきたい。是非応援してくださいと言いたい。

金森さん: Noismの存在理念が討議されたのは今回が初めて。特別の感慨がある。それぞれの「課題」に対して驚きはなかったが、同時に、どれもNoismという一舞踊団だけで取り組める性質のものではない。支配人から「力強い協力」の言葉を得て、取り組めるんじゃないかと思うようになった。

「財政再建」問題は、新潟市民として「関係ない」と言って済ませられるものではない。粉骨砕身、頑張っていくことしかない。時間は大事だが、あればいいというものでもない。限られたなかで、成果を出していくことが問われている。具体的に動いて、適宜、その都度、改善していきたい。

かつて、芸術家の後ろにパトロンがいたものが、社会制度の中に落とし込んで劇場が成立するようになった。どのようなものを発信していけば地域のためになるのかという問題は、一芸術家としては相容れない部分もある。右目で新潟を、左目で世界を見て、その焦点に浮かび上がるものが自分の現実。

「新潟から世界へ」と言っても、誰も本気で信じてはくれなかったんじゃないかな。(笑)それから15年。今、それだけのレベルのものを地域に還元していきたい。

劇場の扉を開けて外に出ていくことをしながらも、本義は舞台表現。是非、観に来ていただきたい。

会見が始まると、すぐに固さはやわらぎ、終始、穏やかな表情で前向きに語る3人を目の前にして、課題は課題として、一致協力してそれに向き合おうとする新潟市とりゅーとぴあと金森さん(Noism)を認め、少しホッとし、漸く、あの「提言」に対して抱いた違和感も薄らぎました。

未だ、予算や市民貢献活動ほか、制約は多くありますが、「新生Noism Company Niigata」として新たなカンパニー・モデルを立ち上げていってくれるだろうこと、と同時に、支援の輪が広がり、「新たな金森ファン、Noismファン」(中原市長)に囲まれ、誰知らぬ者などない、揺るがぬ「新潟市の顔」となる日のことを思いました。それに向けて、私たちも頑張って支えて参りましょう。新たな一歩が踏み出されました。

終了は見事に予定時間ピッタリの午後3時半。日曜日の「柳都会」も楽しみです♪

(shin)

柳都会 vol.20 近藤一弥×金森穣【対談】レポート

先に掲載した、柳都会 vol.20(3/24)のレクチャーに続く、対談部分のレポートをお送りします。

金森 ここまでで、具体的なA4サイズの平面にいろいろ落とし込まれている要素についてどう捉えていますか。
近藤 配置については技法がある。舞踊であれば技術性というところか。
個性…その人にとっての空間・平面上での重心の捉え方にもなるが、空間の余白と重心から構成している。
金森 (学校で教えていらっしゃるが)感覚的なものは教えられる?
近藤 答えはない。自分ならこうするという位で、学生が作ったものについては一緒に悩み、作るプロセスを教える。
見た目が、もしかしたら意図したものとは違う意味に捉えられるのでは?とか、ここで切ってみたら?と問いかけると、言った通りに変更してきてしまう。
確信犯的に言うこともあるが、自分で考えて何かやると好きな感じになっていくというプロセスを繰り返すうちに会得していく。
金森 PCでいずれ人工知能がデザインをやるようになるのでは?
近藤 ある程度はできるのではないか。ただ、最初のものやエラーが魅力につながる。
それは計算を積み上げても太刀打ちできない。すぐれた作品であれば言語化の枠に留まらない。
作っている核心的な部分は、何らかのエラーのどこを用いるかという判断によるし、能力差がある。
ブラッシュアップを重ねて、繰り返し直させると微妙によくなっていくし、そうした方法論でしかわからない。
金森 近藤さんはどこかで習ったんですか?
近藤 親の絵の描き方がそうだった。

Photo: Ryu Endo

Photo: Ryu Endo

金森 作られたチラシのイメージで、すごくかっこいいんじゃないかと思って観に行くと、つまらないということが起こる。
近藤 パフォーミングアーツの場合は難しい。過去のDVDを見てチラシを作成しても、次は違うものになる。
金森 まず導くというか、興味をもってもらうことですね。
近藤 単なる批評より紹介のため推薦に近いかもしれない。潜在的にいいと思ってもらえるかどうか。
金森 新作の場合は難しいですね。
近藤 想像するしかない。依頼を受けた時点では曲がまだない事もあるし、公演までタイムラグがある。
どんな行程でどんな作られ方をするか、依頼者とのやりとりの中でかわってくる。
時代的な要請もあるかもしれないが、2000年代は普通の作り方になってきた。
『Liebestod』については、金色というイメージが固まっていた。
金森 素材写真を撮る前に、近藤さんから「どこかブレてたほうがいい」と言われた。
近藤 ブレていると動きが入る。止まるということを認識させるためには、動いているところを見せないといけない、ダンスを見せる基本。
金森 見切れた画像を使っていますが。
近藤 内容がこう……現実の見えているところと死(観念)がある瞬間に成立するコンセプトだったのではないか。
色味については、印刷で金は使えない(よく見えない)のでこうした。
金森 色彩感覚が心理学的に与える影響は考えますか?
近藤 あまり考えない。
金森 見た人にどういう影響を及ぼすかという……。
近藤 実用的な技術論になってしまう。
金森 コマーシャルなもの、何がキャッチーか、わかりやすい心理作用といったものは全く意図しない?
近藤 考えもしないわけではない。素材がアートであり、分析は結果論にすぎない。

金森 作家の立ち位置や視座と、広報物に求められる一瞥性の折り合いはどうつけていますか?
近藤 そこまではっきりとしたものはない。キャッチーではないものには、弱いなりの強さがある。
金森 作家、作風が好きという、大衆化されないもの感性が共鳴することがある。
ヨーロッパの一流プロデューサーがハイセンスなものを紹介してハイセンスな観客で完結していく流れがある。
この人が紹介するなら面白い作品だろうなというような、近藤さんにはいわゆるデザイナーとは違うイメージがある。
近藤 どうだろう。こんなの(※やくしまるえつこ)もあるし……。
金森 これちょっと(雰囲気が)違いますね。
会場 若い頃から芸術に親しむ機会があったんですか?
近藤 高校生の頃から、西武劇場で武満徹、安部公房、寺山修司が関わった舞台を観ていた。
絵に関しては、幼稚園の頃から父に手をひかれて展覧会に行ったのが災いしている(笑)
美術展の仕事をやりたいと思っていたら携われるようになった。事後的に父の息子だと知られた。
パフォーミングアーツについては佐藤まいみさん(さいたま芸術劇場プロデューサー)との出会いがあった。
金森 先程言われた、2000年代に作り方が変わったのはどうしてですか。
近藤 時代と関係しているけれどうまく言えない。
美術館も質的ではなく来館者数が指標になり数を稼がないといけなくなってきた。
一瞥性があり、デザイン的なインパクトが求められるのは時代の要請。
昔に比べると広報物を全部手がけることは少なくなった。デザイン業界は接点がないのでよくわからない。
デザインのジャンルがもっている何かは、プロパガンダの手先にもなりうる危険な側面がある。
金森 社会の変容があったということですね。

近藤 90年代に比べてシステムがコンパクトになり、自分独りでオペレーティングできるようになった。
それ以前は、指示を出して外注したことが、時間はかかるが手元でできるようになり作業が圧縮された。
思うことをストレートに作れるし、失敗してもやり直せる。
一方、エラーは人と関係することで出てくるので、自分で作るしかない。
版画のエラーは面白いのだけど、工夫して工房的な描き方をしたり、現代的になってくる。
近藤 コレオグラフィーではどうですか?
金森 振付ではいやでも他者と関係せざるをえない。
自分独りでやっていると、すぐに自己完結するので難しい。
今回、『R.O.O.M.』を18回踊ってみて、振りが自分から離脱する、想像を超えてくる感覚があった。
近藤 それは羨ましい。時間は必要ですね。身体は時間がかかる。
金森 身体は時間がかかる、『NINA』は「物質的な身体」とあるし。
生身の身体というのは、凄い量の情報を受けられる。
二次元の動画を見てフォルムだけ覚えても、それは違う。デジタル化できないものがある。
便利になると、失われる何かがある。そこで新しいメソッドが要請される。
近藤 メディアに関しては、紙ならポスター、本、名刺、すべて身体との距離感は違う。
学生に訓練として紙を出力させるが、ポスターの次は名刺というように課題のサイズを変える。
モニタの大きさの中で完結しないように。
金森 二次元の情報を受け取り慣れて、変容した身体に対する身体表現が求められる。
音楽は速くなっているし、情報処理のスピードは皮膚レベルにはそぐわなくなってくる。
同じ空間を共存していればこその限界値がある。実際、距離感に驚くことがある。
近藤 舞台の枠組みとして、生身の身体である特質を生かすところまで意識する観客、舞踊家も求められるのか。
金森 身体的行為として起こることは、ほかのものから抜きん出ている。
ネットにあげる動画として集団で踊っているようなものはひとつの表現だが、身体の意味合いが変わってきている。

会場 なぜ桑沢デザイン研究所を選んだのですか。
近藤 裾野が広いと聞いていたし、ある先生に憧れた。美大に入り直す時間がなかった事もあるが、結果的によかった。
金森 師匠はいますか?
近藤 直接はない。学生時代のバイト先で影響を受けた。当時、都内で一番大きなスタジオをもっていた人。
画家は好きに作品が作れて羨ましい。デザインはモノがあって作る。
紙とSNSで距離感が二重に発生する問題は、ある程度は無視する。今のところチラシがメイン。
そのうち本もAmazonで書影がどう見えるか、CDは配信時の絵柄がどう見えるか大事になるかもしれない。
会場 『ROMEO&JULIETS』についてはいかがでしょうか。
近藤 依頼をうけた時に台本はあったが、衣装はまだだった。
金森 ゴーストは近藤さんのアイディアでシーツを被った。
近藤 霊安室だし、ジュリエットが複数であることから匿名性もあった。
金森 台本を書いた側が忘れるような核心をビジュアルにしてくる。
(ゴーストの頭上に月のように照明を入れる)配置もすごい。想定していなかった切り取り方。
これこそエラーであり、共同作業で起こったこと。
映像担当の遠藤は意識して画角に入れて撮ったかもしれないけど。
近藤 照明についてはレタッチで位置を動かしたかもしれません(笑)
『R.O.O.M.』は、銀色と池田亮司の音楽からシャープな作品をイメージしてしまった。
シャープさよりも実験ということに重きを置いている。
部屋を囲い込んだことで、見えているものが脳の虚像と感じられる。
ビジュアルに使ったのはサイン波、パルス、オシレーターの波形です。池田さんが喜ぶもので音楽へのオマージュです。
金森 Noismのロゴはどう思いますか。高嶺格さんが作られたものですが。
近藤 赤を使っているし、強いです。ロゴを大きくすると使うのが難しい。
金森 『NINA』は送った写真の中から近藤さんがチョイスしたんですよね。色は変えてありますが。
近藤 写真の色を変えるのは篠山紀信さんとしてはokで、男女……二つの境界がテーマでした。
ゲシュタルトというか入れ替わる瞬間があった。
フォントは既存のものですが、アルファベットでオールマイティな書体はないので調整することはあります。
会場 オリジナルを作ることや、これは自分から手がけてみたいと相手に売り込むことはありますか?
近藤 こういうものが好きだと人に言っていると、そのうち仕事になるので、やりたいことは縁でできている。
結果論としてですが、日本人で海外で評価されている人を多く手がけた。米田知子さんの写真集もそう。
金森 そろそろ時間ですが、最後に何かあれば。
近藤 三浦さんの『孤独の発明』は哲学的な本で面白いです。
金森  『鏡の中の鏡』を作る前に読みました。
近藤 みなさん、手にとってみてください。
金森 え、宣伝で終わっちゃうの?!

要約する能力に恵まれず、聞き書きのメモをどうにか読めそうな体裁に加工したことで、発言者の本意とは異なるニュアンスとなっていたり、あるいは発言の取り違えをしている可能性も十分にあります。が、今回の柳都会の雰囲気に便乗して言うのなら、それも忍び込んだエラーとして、ご寛恕願えれば幸いです。
(とはいえ、誤謬等がありましたらご指摘ください)
(のい)