本日(9/19)の新潟日報朝刊「窓」欄に拙文を掲載していただきました♪

先月末、かれこれ3週間前に地元の新潟日報紙「窓」欄に宛てた投書が、本日(2020年9月19日)の朝刊に掲載されました。下に載せますので、まずはお読みください。

2020/9/19新潟日報朝刊「窓」欄より

「投稿後、3週間」というのが掲載されるリミットのようですから、今回の投稿は「ボツ」なのだと思っていたところ、ギリギリ滑り込みで、6度目の掲載。新潟日報さん、どうも有難うございました。m(_ _)m

タイトルの変更と文章の整理を施していただいたうえでの、ギリギリの掲載は、採用されたタイトルが何やら中高生っぽくて赤面したくなる気も致しますが、「最高」は「最高」なんだから仕方ありませんね。そして、「最高」の2文字が持つ日報購読層への訴求力は小さくないのでしょうし。でも、そうなら、更にもう一歩踏み込んで「サイコーかよ」とでも表記して貰いたかった気も致します。(笑)

Noismの今回の公演のクオリティ、そしてそれを実現にこぎつけた関係者の方々の努力、それら全てが「サイコー」で、それら全てが「私たちの未来(新しい日常)を作っていく」、そう感じた次第でした。「未来とは、今である」とは、さる米国の人文学者(マーガレット・ミード(1901~1978))が語ったとされる言葉です。その意味で、「未来」に繋がる「今」を目撃した気持ちを込めて書いた文章でした。

追記: 平田オリザさんと金森さんの「柳都会」(2016/4/23/)につきましては、こちらにレポートをアップしてございます。そして、今回の投書で引いた元の発言は、「芸術そのものの役割」中の「被災時の『自粛』の風潮を巡って」語られたなかでお読みいただけます。気の利かない記事ですが、ご参照ください。

(shin)

言葉を使うことで危険な領域に踏み込んだ劇的舞踊第3作『ラ・バヤデール~幻の国』

山野博大(バレエ批評家)

初出:サポーターズ会報第30号(2017年1月)

 舞台の床に照明を当てて、中央に本舞台、両サイドに花道風の出入りスペースを設定した空間がひろがる。中央に能の道具を思わせる何本かの木材が立つ。老人ムラカミ(貴島豪)が登場して、マランシュ国の偽りの発展とあっという間の滅亡の過程を語りはじめる。Noismの劇的舞踊第三作『ラ・バヤデール~幻の国』は、能と似た作りのオープニング・シーンを用意していた。

 バレエ『バヤデルカ』はプティパの振付、ミンクスの音楽により1877年、サンクトペテルブルクのボリショイ劇場で初演された。これは舞台が古代インドだった。それを平田オリザが架空の帝国の盛衰史として書き改めたのが『ラ・バヤデール~幻の国』だ。言葉を使ってストーリーを進め、その中に踊りの見せ場、音楽の聞かせどころを作るというやり方は、日本古来の能や歌舞伎などの手法をそっくり踏襲したものと言ってよい。

 ヨーロッパで発展したバレエは、言葉を使わないことを原則としているために、歴史をこと細かに語るといったことには不向きだ。バレエ作品が社会の矛盾を鋭く衝くといったことは行われてこなかった。ルイ14世の力で発展したバレエの本拠地であるパリ・オペラ座が、1789年のフランス革命の後も存続できたこと、アンナ女帝の肝いりで始まったロシアのバレエが、1917年に始まった革命の後も変わることなく上演され続けてきたことなどは、バレエが言葉を使わなかったからだったと言ってよい。

 日本でも同様のことがあった。日本が戦争を始めて世界各地へ攻め入った頃、舞踊家たちは軍の慰問にかりだされ、兵隊たちの前で舞踊を披露し、戦意を高揚した。その渦中、日本に帰化して霧島エリ子を名乗ったエリアナ・パヴロバは、1941年に慰問先の中国で病死している。しかし1945年の敗戦後、日本の舞踊家たちは占領軍であるアメリカの兵隊たちの前で踊りを見せるという変わり身の早さを示した。それも言葉を使わなかったからできたことだ。しかしNoismは今回、バレエの中に言葉を使うことで、身分格差、信仰、危険薬物といった、もろもろの問題に関わり、自らの立場を明らかにすることを選んだ。

 ミラン(ニキヤ・井関佐和子)は、カリオン族の踊り子だ。メンガイ族の騎兵隊長バートル(ソロル・中川賢)と愛し合う仲だ。しかしマランシュ族の皇帝は、娘フイシェン(ガムザッティ・たきいみき)の婿にバートルを指名する。ミランに秘かに想いを寄せる大僧正ガルシン(奥野晃士)がからんでくる。平田の脚本は、ミンクスの間に笠松泰洋の作曲をうまく配置した音楽をバックに、プティパの『バヤデルカ』の人間関係をそっくりそのまま再現していた。

 言葉によって状況を、このようにはっきりと示されると、新興国家マランシェの国益優先に蹂躙されるミラン(ニキヤ)とバートル(ソロル)の姿がよりいっそう鮮明に、残酷に見えてくる。バートルとフイシェンの婚約式の場で踊ることを強いられ死を選ぶミラン、麻薬に身を持ち崩して行くバートルの背後に、身分格差がそびえ立っている。

 また国が滅びて行く過程で麻薬の果たした役割などについても、その非人間的な意図が観客に正面から突きつけられる。プティパの『バヤデルカ』の幻影シーンも阿片を吸った男の見る夢であることに変わりはない。しかしプティパの創ったバレエでは美しさを強調して、その背後にあるものを見えなくしている。Noismの『ラ・バヤデール~幻の国』では、ダンサーの動きを新たにして、麻薬による幻覚の中のいかにも頼りなげな浮遊感のようなものを表現し、これを最大の見せ場に創り上げた。役者たちの演ずる厳しい状況描写の間に、ダンサーたちの踊りを収めて、ことの成り行きをより明らかにしているのだ。井関佐和子、中川賢らのダンス、たきいみき、奥野晃士、貴島豪らの芝居がみごとに噛み合った舞台からは、プティパのバレエでは感じられなかった非人間的な現実の厳しさがひしひしと迫ってきた。

サポーターズ会報第30号より

(2016年7月2日/KAAT神奈川芸術劇場)

『柳都会 第15回 平田オリザ×金森穣』が開催されました

昨日4月23日(土)、りゅーとぴあ能楽堂にNoism新作『ラ・バヤデール-幻の国』の脚本を担当された劇作家で演出家の平田オリザさんをお迎えして、第15回柳都会が開催されました。
15回まで回を重ねてきた「柳都会」ですが、冒頭、金森さんより「今回から、ゲストの方のレクチャーを聞き、それに基づいた対談」というスタイルに変更された旨の告知がありました。
午後4時、スクリーンとホワイトボードが用意された能楽堂の舞台で、まず平田オリザさんのレクチャーが始まりました。

LECTURE: 「新しい広場を作る」をテーマに、ユーモアを交えて、社会における劇場の役割について話されました。要旨を少しご紹介いたします。

☆劇場の役割:  限られたお金で、次の3点をバランス良く執り行うことが文化政策として重要。
①芸術そのものの役割・・・感動、世界の見方が変わる。 (100~200年スパン)
被災時の「自粛」の風潮を巡って: 「自粛」は創造活動の停止を意味する。100年後、200年後の被災者は何によって慰められるのか。また、地球の裏側の難民を慰める可能性のある「公共財」を作り続けなければならない。
公的なお金を使う以上、後に残るものを作る。作らなければ、何も残らない。新作を作り続けるなかで、一本レパートリーになればそれで良い。

②コミュニティ形成や維持のための役割・・・「社会包摂」 (30~50年スパン)
郊外型大型店舗の出店により、中心市街地が衰退し、画一化する地方都市。資本原理は地方ほど荒々しく働く。利便性の代わりに失われてしまったのは無意識のセーフティネット。
「ひきこもり・不登校」:人口20~50万人程度の地方都市(そこでは、若者の居場所が固定化・閉塞化しており、「成功」の筋道がひとつしか存在しない)で深刻。
「社会包摂(social inclusion)」:ひきこもり・失業者・ホームレスの人たちにとっての居場所も備える重層化された社会をつくる。(欧州では普通の政策)
欧州の劇場は自由に使えるパソコンを置いたカフェを併設するなど、社会参加を促している。
社会との繋がりを保つことは結局は社会的なコストの低廉化に通ずる。人間を孤立化させない、市場原理とも折り合いをつけた「新しい広場」としての劇場。「(劇場に)来てくれて有難う。」
出会いの場、きっかけを与える場としての劇場。結節点(繋ぎ目)としての演劇・バレエ等々…。
孤立しがちな人間を文化的な活動によって社会にもう一度包摂していく役割を果たす劇場。

③直接、社会の役に立つ役割・・・教育、観光、経済、福祉、医療 (3~5年スパン)
(例)認知症予防に効果があるとされる「社交ダンス」人気、等々。

また、国民の税金を使いながらも、首都圏に暮らす人たちしかその恩恵に浴しにくい、日本の文化的な状況の問題点にも触れて、経済格差より文化格差の方が発見されにくい性質のものであるとし、文化の地域間格差が拡大している現状を危惧しておられました。「身体的文化資本」(個人のセンスや立ち居振舞いといったものの総体:本物がわかる目)を育てることは、理屈でどうこうなるものではなく、常に本物に触れさせる以外に方法はないそうです。
まったくその通りですね。

(追記: この日のレクチャーの内容については、平田さんのご著書最新刊『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書)に詳しく書かれているとのことです。是非ご一読ください。私もこれから読みたいと思います。)

DISCUSSION: 5分間の休憩を挟んだのち、平田さんと金森さんの対談パートでは、劇場の「ミッション(使命)」を中心に話が進んでいきました。「何のために劇場はあるのか?」

☆劇場の「ミッション」:
欧州の劇場には、その時々の課題や問題を作品のかたちで提示し、それについて考える機会を提供する場としての側面も大きいとのこと。

平田さんが制定に大きく関わった「劇場法」では、劇場を、作品を作る場と同時に、蓄積する場(フローとストック)と捉え、アウトリーチをも含め、そこには専門家が必要であるとします。
とりわけ、平田さんは、「館」全体についての責任を負い、ミッションを定める立場の総支配人を支え、そのミッションを遂行する「専門家」として芸術監督(や音楽監督)を養成するシステムを整備していくことが必要であり、リベラルアーツ(一般教養)としての舞踊の教育とは別に、「個」を育てる、舞踊のエリートのための教育を行うことで、そうした芸術監督をキチンと育てていきたい、そして色々なものを見せる劇場、そのレパートリーを信頼して観に来て貰える劇場を作っていきたいと語っておられました。プロとアマの間の線引きが不明瞭な舞踊の現状に歯噛みする思いの金森さんも「我が意を得たり」と得心の様子でしたね。

この日、新作『ラ・バヤデール-幻の国』も、初めての「通し稽古」をやったそうですが、最後、平田さんからの「極めて良いものが出来上がった。バレエの歴史にちょっとは爪痕を残せるものと確信している。その初演に立ち会って欲しい」という言葉で、ちょうど午後6時、ふたりのアーティストの矜持に満ちた、内容の濃い会は締め括られました。

「20年くらいかかるだろうけれど、この国に『劇場文化』を根付かせたい」と語った平田さん。それはスパンこそ違えど、金森さんが常々「劇場文化100年構想」と呼ぶ ヴィジョンとピタリ重なるもので、まさに「問題意識」を共有するおふたりと言えるでしょう。そのおふたりがタッグを組んだ新作です。ますます期待は高まりますね。6月、新潟・りゅーとぴあ・劇場から始まる公演に是非お運びください。そして、平田オリザ×金森穣が提示する劇場の「ミッション」をご感得ください。  (shin)

 

「柳都会」#15、平田オリザがやってくる!

Noism1&2劇的舞踊『ラ・バヤデール―幻の国』公式情報更新!

そして、4月23日(土)開催の柳都会には脚本の平田オリザ氏が登場!

詳細は当HP「Noism公演情報」欄に掲載。「リンク」欄からはNoism公式ウェブサイト、Noism公式ツイッター等に行けますので、ぜひご覧ください!

4/9(土)東京 国立新美術館での金森さんと宮前さんの対談に合わせるかのように、4/5(火)正午から、NHK BSプレミアムで「三宅一生デザインノココチ」再々々放送が決定しましたね。いろいろ楽しみです♪

そして、昨日新聞折り込みの「市報にいがた」によると、BeSeTo演劇祭が(金森さんの誘致により、東京ではなく)新潟市で10月開催!東アジア文化都市間の交流事業も昨年に引き続き実施するということで、ますます楽しみです♪どんどん応援していきましょう!!

閑話休題:「談ス」3人組、全国公演中。おなじみの平原慎太郎さんが出演します。新潟公演もうすぐ、3/17(木)19:00 りゅーとぴあ劇場。

(fullmoon)