公開リハーサル2日目、金森さん「今回お見せできてよかった」

2020年6月14日(日)の新潟市はお昼頃から雨。しかし、あまり気温が上がらなかったため、不快感はさほどでもなかったのが救いでした。

そんななか、新潟在住の活動支援会員を対象とした公開リハーサルの2日目です。今日も取材クルーの姿が数多く見られ、前日と併せて、県内全てのテレビ局が大きな機材を抱えて劇場を訪れたように思います。

で、この日の感染予防措置ですが、検温機器の設置場所に前日からの変更点があり、まだまだ手探り状態にあるといった様子で、検温スタッフにとっても、この2日間の全てが「リハーサル」であったり、ある意味、「実証実験」でもあったりするのだろうと理解しました。

前日とは異なる動線の配置
「正常な体温です♪」
検温機器にそう言われない限り、
この先には進めません
この光景、初めての方には物々しく映りますよね
脇道に逸れますが、感染経路を追うためという
趣旨はホテル等の宿帳も同じと聞いています

この日もリハーサル開始時刻が近付くにつれ、静寂が場内を支配するようになり、その静けさがいつまでも続くかと感じられ始めた頃、15時を2分ほどまわっていたでしょうか、これまた音もなく、スルスルと緞帳が上がり、井関さんと山田さんの脚部から、体幹、そして顔が、順に、真横から見るかたちで、私たちの目に入ってきます。ためらうような、たゆたうような、求め合うような、そんなふたり。『Adagio Assai』(仮)です。見惚れるしかないふたり。映像との相互作用も、通り一遍のものではないため、目は舞踊家と映像の行き来を求められるなど、上品な刺激に満ちたものと言えます。緩やかな切なさが印象的な小品です。

そして、ある効果音が聞こえてくると、そのまま『Fratres III』に接続していくのも前日観た通りです。舞台中央奥、登場時点から既に金森さんの目、或いは表情は、「同志」を先導する者のそれにしか見えません。そこから始まる「祈り」と同義でしかないソロと群舞が創出する豊穣な時間。ブレることなく、自らコントロールできることのみに専心する愚直な潔さが観る度に胸を打ちます。

休憩後は、実験舞踊vol.2『春の祭典』。金森さんのこの新作で、ストラヴィンスキーの手になる変拍子や不協和音に合わせて、21の身体を通して可視化される世界は、バーバリズム(野蛮・未開)とは異なる、極めて今日的な主題の体系に収まるものと言えるでしょう。混沌としていながらも、(須長さん制作の椅子に代表されるような)直線的なシンプルさ、或いは明晰さも同居したものであり、照明の果たす役割が印象的な作品と言うに止めておきます。

全て終わった後、この日も「ブラボー!」の掛け声が飛ぶなど、目にした舞台が、もはや「公開リハーサル」の範疇で語られるものではないことは誰しもが共通して感じていた事柄に過ぎません。ただ、舞台両袖に様々な道具や資材の類いが隠されることなく、全て顕しにされていたことのみが、これが「リハーサル」であることを思い出させるくらいだった筈です。

最後の挨拶。この日の金森さんは笑顔で話されました。「ほとんど本番。今まで仕上ったもので、最上のものであり、何の出し惜しみもありません」と。更に続けて、「今、ここに彼らがいて、皆さんがいて、今、この日の実演を彼らがやって、今、この瞬間が非常に貴重だということです。この困難な社会を生きていくうえで、一助になれれば嬉しい。これからも精進していきます」とも。

金森さんがそう語り、一通り、挨拶も終わった感が伝わってきた頃合いで、金森さんの後方、一列に並んだ舞踊家たちの列の中央、井関さんがしきりに隣のジョフォアさんの腕を掴んで、前に押すような仕草を見せています。

そのタイミングで、金森さんが、「ジョフ(ジョフォア・ポプラヴスキーさん)は今シーズンで終わり。8月から、次のカンパニーが始まるので、7月で(Noismを)離れなきゃいけない」と告げるではないですか!「他にもいるんだけど…」と「悲報」の多くは語られなかったものの、ジョフォアさんについては、「今回お見せできてよかった」と言い、8月のプレビュー公演には出演しないことが明らかになりました。(涙)

前日とこの日、『春の祭典』の冒頭、ジョフォアさんの登場場面、大柄の体躯を小さく折りたたむことで表出された「可愛らしさ」が個人的にはツボだっただけに何ともショックな報せでした。

でも、彼がNoismのDNAとでも言うべきものを次なる場所に拡散してくれて、異なる場所にいるNoismファミリーとして踊り続けてくれることを期待したいと思います。そして、この先も長く、新潟のことを覚えていてくれたら嬉しいです。いつまでもみんなで応援していきましょう。

さて、実演は一旦終了ですが、今週の金曜日(6/19)にはシビウ国際演劇祭2020 online special edition にて、Noism1の『R.O.O.M.』がオンラインで配信されます。奇しくも、「実験舞踊」繋がりでもあり、あの野心作、久し振りに堪能したいと思います。配信はライヴ配信のみで、朝4;20からと、夕刻16:20からとのこと。詳しくはこちら、Noism Web Siteをご覧ください。

(shin)

渾身!熱い思いで実現した活動支援会員対象 公開リハーサル初日

数日前に梅雨入りが報じられましたが、この日も新潟市に雨はありません。2020年6月13日(土)の新潟りゅーとぴあ・劇場、年頭からのコロナ禍に延期に次ぐ延期を余儀なくされ続けたNoismの舞台にまみえる機会を、全国の、否、世界中のファンに先駆けて手にし得た果報者は、Noism Company Niigataの「ホーム」新潟に住む活動支援会員、およそ50名。更には、開場前からメディア各社も集結しており、「劇場再開」への関心の高さが窺えました。

待ちに待った案内…

沸き立つ心を抑えつつ、足を踏み入れたりゅーとぴあの館内で私たちを待っていたのは、長い空白の果てに漸く、この日を迎た劇場の「華やぎ」ではなく、「With Corona」時代の劇場が直面する「物々しさ」の方だったと言えるかもしれません。

館内に入ると先ず
サーモグラフィーカメラで検温
この後、劇場前に並びます
距離をとって2列に並んだ先、
劇場入り口手前はこんな感じ
6つの「お願い」近景
入場直前に再度の検温

列に並んでいる間、りゅーとぴあの仁多見支配人をお見かけしたので、ご挨拶した後、少しお話する機会を持ったのですが、すぐに検温スタッフが飛んできて、もう少し距離をとるように注意されたような次第です。

入場受付スタッフは当然、衝立の向こう
ホワイエには連絡先記入用紙も
受付時に座席指定がありました

漸く迎えたこの日、久方ぶりに集う見知った顔、顔、顔ではありましたが、それ以上に「重々しさ」が漂うホワイエは、私たちに今がどんな時なのかを決して忘れさせてくれませんでした。

公開リハ開始15分前、促されて劇場内の指定された席へ進みます。すると、この日の席は一列おきのうえ、両横が3つずつ空けられて配され、そのため、中央ブロックは各列4人、脇のブロックは1人ないし2人しかいないというこれまで見たこともない光景を目にすることになり、その裏に、この日を迎えるための厳しいレベルでの安全管理意識の徹底振りにハッとさせられたものです。

15:00。客電が落ちてからは、そうした時間とはまったく異なる別の時間が流れました。最初はNoism0・井関さんと山田さんの『Adagio Assai』(仮)です。緞帳が上がると向かい合うふたり。無音。不動を経て、動き出すと、次いで流れるモーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲、その第二楽章、そして映像。熟練のふたりによる「とてもゆっくり」流れる豊かな時間。『春の祭典』ポスターが舞踊家たちの足を捉えているのと対照的に、今作ではふたりの手に目を奪われます。

15:13頃。浸って見つめていると、緞帳は下りぬままに、次の演目であるNoism0 + Noism1『Fratres III』にそのまま移行しました。ですから、Noism0と言っても、井関さんと山田さんは不在で、金森さん+Noism1(併せて12名)とでも言った方がよい感じでしょうか。で、この完結版とも言える『Fratres III』ですが、いつかの折に、金森さんが「I 足す II が III」と言っていた通りの構成で、その言葉からの想像は当たっていましたが、実際、目にしてみると、これがまた圧巻。鬼気迫る金森さん、一糸乱れぬNoism1ダンサー。それはまさに「1+2=3」以上の深みと高揚感。圧倒的な崇高さが目を釘付けにします。「そうなる訳ね。ヤラレタ」と。更に、どうしても「コロナ禍の舞踊家」というイメージが被さってきましたし、「これを目にする者はみな勇気づけられるだろう。慰撫されることだろう」と、まさに今観るべき舞台との思いを強くした15分弱でした。

休憩を挟んで、今度はNoism0 + Noism1 + Noism2による実験舞踊vol.2『春の祭典』。ホワイエから戻り、自席から目を上げると、緞帳の前、横一列に綺麗に並べられた21脚の椅子。舞踊家にはそれぞれ別々の楽器が割り振られているとの前情報から、背もたれを構成する横に走る黒い5本の線が21脚分、一続きになって並ぶ、この冒頭部においては、何やら五線譜を想像させたりもしますが、須長檀さんによるこの一見、無機質に映る椅子は、この後やはり、様々に用いられ、様々な表情を示すことになります。

作品に関してですが、私自身、先行する『春の祭典』諸作について深く知るものではありませんので、次のように言うのも少し躊躇われますが、ストラヴィンスキーのあの強烈な音楽に導かれると、畢竟、情動的なものへの傾向が強くならざるを得ないのだろうと、そんな印象を抱いていました。それが金森さんの新作では、情動のみならず、理知的なコントロールが利いていて、つまりはスタイリッシュな印象で見終え、私たちの時代の『春の祭典』が誕生したとの思いを強く持ちました。また、この作品、若い西澤真耶さんが大きくフィーチャーされていることは書いておいても差し支えないでしょう。準主役の立ち位置で素晴らしいダンスを見せてくれます。ご期待ください。

ネタバレを避けようということで書いてきましたから、隔靴掻痒たる思いも強いことかと思われますが、ご了承ください。今回、公開リハーサルとしながらも、休憩を挟んで、見せて貰った大小3つの作品は、どれひとつ取っても、大きな感動が約束されたものばかりだと言い切りましょう。『春の祭典』の終わりには、「ブラボー!」の掛け声がかかり、会場の雰囲気はリハーサルとは思えないようなものであったことを書き記しておきたいと思います。

また、こちら過去の記事4つ(いずれも「Noismかく語る・2020春」)ですが、併せて御再読頂けたらと思います。

最後、客席から黒いマスク姿の金森さんが登壇し、挨拶をした場面について触れない訳には参りません。

舞台上、熱演した舞踊家たちに、”You guys can take a rest.(さがって休んで)”と指示を出した後、「本当は昨日が初日だったんですけど、…」と語り始めた金森さん、そこで声を詰まらせ、続く言葉が出て来ません。そのまま後ろ向きになると、私たちの目には、必死に涙を堪えようと震える背中が、そして私たちの耳には、その手に握られたマイクが拾った嗚咽が。瞬間、客席にもこみ上げる熱い思いと涙が伝播します。やがて、「…ご免なさい。こんな筈じゃなかったんだけど。言うことも考えていたし…。」と言った後、続けてキッパリと言い切ったのは「これが今の我々に出来るベストです。我々にとっての本番です」の言葉。「出来る限りを続けていきます」とも。

更に、「今出来る限りをやりたいということで、スタッフにも演出家のワガママに付き合って貰いました」と、リハーサルらしからぬリハーサルが実現した舞台裏を明かしながら、スタッフに向けられた感謝の言に溢れていた、この日に賭ける並々ならぬ気持ちに打たれなかった者はひとりもいなかった筈です。

いつ果てるとも知れない、暗く長いトンネル。未だ「抜け出した」とは言えないような日々。不安で不自由な環境の中にあってさえ、共有されていたNoismというカンパニーの鍛錬に纏わる揺るぎない精神性。同じものを見詰める「同志」たる舞踊家たち。その凄さを垣間見せることになったのが、この日の公開リハーサルだったと思います。

終演後は、大きな感動に包まれながらも、場内放送で、後方の席から順番の退場を指示されるなど、私たちの周囲にある「現実」に引き戻された訳ですが、そうした「現実」があるのなら、勿論、「生活」だけでは満たされ得ず、真に「生きる」ために、こうした優れた「芸術」や「文化」が必要であることが身に染みて感じられた次第です。裏返せば、それこそ、私たちが「Noismロス」になる理由です。(長い文章になってしまったのも、ここまでの長い「Noismロス」の故とご容赦ください。)今回、ご覧になれない方々、次の機会まで今暫くお待ちください。今度のNoismも、必ずその辛抱に応えてくれますから。

この日、確かに、Noismの歴史がまたひとつ刻まれたと言っても過言ではないと思います。それを目撃し得たことの、否、ともにその時間を過ごし得たことの喜びに、今、浸っています。

(shin)

「空気を吸う」(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』東京公演

例えば、ひとつひとつの動きがある種の記号であると考える。
それはローマ数字やピクトグラムのような、
あるいは象形文字のような
それ自体がハッキリとした意味を持つ記号と考えることもできるが、
ここではむしろ平仮名やカタカナ、アルファベットのように個々には意味を持たないが、
いくつかが連なることで単語あるいは文章という意味性を持つ
“意味のない記号”と考えたほうが面白い。

すると、さまざまな方向から(上からまでも!)現れる記号は、
まさに頭の隅々から次々と現れ、
それが連なることで文として成り立っていく文字要素という記号に似ていることに気が付く。

ひとつひとつの動きに意味を見いだすことはできなくても、
その出現の仕方、場所、方向、そして次の個との連なりなどによって
確かに揺さぶられる心情。
なるほど、これは文章なのだ。

思えば、そのヒントはすでにタイトルにも内包されていた。
『ROOM』ではなく『R.O.O.M.』。
この4つのアルファベットに、それぞれ意味は割り振られているが
要は一文字一文字が記号として独立した個、ということではないか!
・・・と、一人悦に入ろうとした瞬間、
その思考は簡単に打ち砕かれた。

こういう時、私の浅はかで理屈っぽい思考を無下に打ち砕くのは、
いつも井関佐和子その人。
そこに舞い降りた(そう、文字通り降りてきた!)彼女は、
まったくもって記号などではなかった。

記号と言うには、あまりに自在で
記号としての定型感がなく、
それはむしろ色とか雰囲気とかニュアンスといった種類に近く、
いわば、さまざまな記号を包み込むように漂う空気感のようなものだ。

それは、読み解くものでは無く吸い込むものなのだ、空気のように。

だとしたら、包まれる記号と包む空気との関係とは何か。
いや、この舞台において両者はそのように対峙するものなのか。
そもそも“両者”と区別すべきものなのか
・・・だが、違う、明らかにそれは種が違うのだ。

という、いつもの疑問に辿り着いた頃、無情にも『R.O.O.M.』の幕は下りた。
                Kinya(2019.2.23:吉祥寺シアター)

新潟から届いた箱の中に入っていた心のときめき

Noism1:実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』を見る

山野博大(舞踊評論家)

 新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ専属舞踊団Noismが吉祥寺シアターで公演を行い、金森穣の新作、実験舞踊『R.O.O.M.』と『鏡の中の鏡』を上演した。舞台には長方形の巨大な箱が置かれていた。内部には、銀色の正方形のパネルが上から奥、そして両サイドまでぴたりと張り巡らされていて、客席側の紗幕(実際には紗幕は無いが)から、奥に広がる何もない空間が見えた。日本の能、歌舞伎、日本舞踊などの世界には、黒衣(くろこ)とか、後見(こうけん)と呼ばれる舞台で演技者を助ける役割の者が存在し、それを「見えないもの」とする約束事がある。それと同様に、そこに紗幕がなかったとしたら…。ダンサーたちは、完全に密閉された箱の中で踊り、それを見る人は誰もいないという状況が出現しているのではないか。金森穣は、そんな設定で実験舞踊を創ったのだという想いが頭をよぎった。

『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信

 突然、カミ手寄りの天井のパネルが開き、男性ダンサーの下半身が現れるという思いがけない成り行きで『R.O.O.M.』は始まった。男性5人が次々と落ちてきた。彼らは特に何かを表現するということもなく、ただただ力一杯に動き回った。次いでトゥシューズの女性ダンサー6人がやはり上部のパネルのあちこちに開いた穴から登場し、バレエのステップを粛々と展開した。井関佐和子のソロがあり、次いで、はじめに登場した男性5人のひとり、ジョフォア・ポプラヴスキーとのデュエットになった。デュエットでは男女のさまざまな心理的変化が描かれることが多いのだが、このふたりはむしろそれを排除して踊っているように見えた。さらに男女12人のダンスが続き、箱のそこここにぽっかりと開く穴からダンサーたちが忙しく出入りした。最高潮で暗転となり、全員が現れて前にずらりと横一列に並んだ。これはどう見てもカーテンコールの風景だ。ひとしきり動いて次々に退場。最後に井関が中央奥の穴から退いて作品は終った。劇場の黒い幕が降りて長方形の巨大な箱を隠すと、劇場空間の舞台と客席を分かつ基本構造のからくりが、精密に仕組まれたダンスの紡ぎ出す人間の感情を抑えた『R.O.O.M.』のドライな触感の余韻と共に、にわかに明らかになった。

 舞台と客席を幕で仕切った劇場という空間は、よく考えてみるとおかしな場所だと思う。舞台の上で繰り広げられる出来事とまったく関係のない人間がそこにつめかけ、一喜一憂するのだ。演出家をはじめとする多くの人たちが寄り集まって、客席との一線を意識させないようにいろいろと工夫を凝らし、観客の心を舞台の上で進行している出来事に取り込もうと手を尽くす。そのおかげで、観客は、普通ではなかなか体験できないような不思議な世界に遊ぶことができる。そんな劇場という空間の基本的な仕組みを、金森穣は観客に思い出させた。

 次の『鏡の中の鏡』の幕が開くと、金森が中央に座り、カミ手後方に等身大の鏡がはめこまれている空間が見えた。密封された箱の中という状況は同様だった。金森が力強く動いては、時おり鏡に自身のからだを写した。しばらくして、その鏡に井関佐和子の姿がダブって写った。鏡は半透明になっており、その背後のものに光をあてると、それが同時に写るように仕組まれている。暗転後、パ・ド・ドゥとなった。人間的な感情の交換がたっぷりとあり『R.O.O.M.』のデュエットとの対比は明らかだった。しばし踊った後、二人ははなれたところに座り、もう動こうとしなかった。金森がわずかに動いたところで暗くなり、そのまま『鏡の中の鏡』は終わった。

『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信
『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信
『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信

 新潟から届いた巨大な箱の中に入っていた、人間的な感情の交換を徹底的に排除した『R.O.O.M.』と情感たっぷりの『鏡の中の鏡』の対比が心に残った。金森穣が設定した外から見ることができないはずの空間での実験に立ち会った私は、劇場の持つ意味を改めて確認し、「見られないはずのものを見せてもらった」ひそかな心のときめきを覚えつつ劇場を後にした。

(2019年2月21日/吉祥寺シアター所見)

漸く来た!Noism、2020年8月まで活動期間更新の報せ♪

Noismを愛する皆さま。既にご存じかとは存じますが、
本日(2019/3/6)、Noism活動期間更新の悦ばしき報せが入りました。
2020年8月までとのこと。
従来の「3年単位」ではありませんが、先ずは一安心といったところですね。

しかし、あくまでもこれは「暫定措置」とみるべきで、
中原市長の市政においても、
Noismがこれまでと同様にしっかり新潟市に根を張った活動を展開していくためには、
やはり「3年単位」の更新を勝ち取っていかなければならないとの考えに変わりはありません。

で、2020年8月以降の活動につきましては、
これまで1年前に決定されるのが常だったことを考え併せますと、
今年の8月~9月くらいに方針が出されるものと考えられます。
今から約半年後となります。まさしくここが正念場な訳です。

幸い、先頃の実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』で
初めてNoismをご覧になった市長はかなり好印象を持たれた、
という話も伝わってきております。
そうした追い風も大事にしながら、
Noismの安定した活動を手にしてするべく、
サポーターズ一丸となって応援していかなければなりません。

また、先日の特別アフタートークの席上、
会場から「Noismのために何をしたら良いですか?」と問われて、
金森さん、即座に「友人、知人、見知らぬ人を劇場に連れてきて下さい」との答え。
何を措いても基本はまずそこなのでしょう。
皆さまからの益々のご協力、ご支援をお願いする次第です。
この機に、追い風に乗って、
明日に向かって滑空していかなければなりませんね。
どうぞ宜しくお願い致します。
(shin)

名作『R.O.O.M.』/『鏡~』を反芻する「桃の節句」、特別アフタートーク特集

2019年3月3日(日)16:30のスタジオB。先週その幕を下ろした「名作」実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』に纏わるディープな話に耳を傾けんと、大勢の方が詰めかけ、スタッフは大急ぎで椅子を増やして対応していました。関心の高さが窺えるというものです。そして私たちの向かい側、私たちが見詰める先には「桃の節句」らしい雛壇こそありませんでしたが、並べられた人数分の椅子に、つい先日までとは打って変わってリラックスした表情の13人の舞踊家が腰掛け、この日の特別アフタートークは始まりました。
ここではその一部始終をお伝えすることなど到底できませんが、なんとか頑張って、少しでも多くご報告したいと思います。

勢揃いした13名。左から順に、西澤真耶さん、西岡ひなのさん、カイ・トミオカさん、チャン・シャンユーさん、チャーリー・リャンさん、池ヶ谷奏さん、金森さん(中央)、井関さん、浅海侑加さん、ジョフォア・ポプラヴスキーさん、林田海里さん、井本星那さん、そして一番右に鳥羽絢美さん。お内裏さまが居並ぶような華やかさがありました。

併せまして、noiさんがtwitterにおける今回公演に関するツイートのまとめを二度に渡って行ってくれていますので、そちら(togetter)も参考にされてください。
 ☆新潟公演時点でのまとめ 
 ★東京公演のまとめ

先ずは『R.O.O.M.』、天井のアイディアのきっかけ
NHKのドキュメンタリー番組でシャーレを観察する様子を見て、感銘を受けて、「上からかぁ。スタジオBならできるかなぁ」と金森さん。
そこからは、柱もないこともあり、荷重を巡って、「一度にあがるのは3人くらいがせいぜい」と言う舞台監督と、「12人」と言う金森さんのやりとりが始まっていったのだと。
天井高については、井関さんの逆さ天井歩きから自ずと導き出された高さであるとのこと。

「プロジェクションマッピング」に関して
チャーリーさんの腹部と背中のそれに関しては最初から用意していたものを途中から使った。
一方、井関さんの方は、ソロのバックに何かが足りない、映像であることの必然性が足りないと感じて、撮影して追加したもの。お陰で、「過ぎた時間と対話して踊る」印象になった。(別の機会に、井関さんから、井関さんが増えて見えるそのシーンが『おそ松くん』と呼ばれている旨伺っていたこともここに書き添えておきます。)
また、投影方法に関しては、新潟は上から、東京は下からと異なった。(東京では井関さんから「眩しい」と文句を言われたとか…。)

ポワントについて
金森さん「ポワントなしだと何かが足りない。数センチ足したら、これでいい、と。今後も使うつもりはある」
池ヶ谷さん「目線が高くなり、床面との距離感が変わって最初は怖かったし、筋肉痛もあったが、履くことで出る新しい動きを楽しみながら履くようにしていた」
浅海さんも同様で、「ポワントでしか出来ない動きがあり、新しい発見があって面白かった」
井本さん鳥羽さんは「ポワント履いて普段やる動きではないので、思わぬところが破けたり、消耗が早かったりした」
西岡さんの「大胆な動きが多かったので、『ポワント、可笑しいだろ』と思った」には会場中が大爆笑。
西澤さん「なかなか昔の感覚が戻ってこなくて、穣さんに『お前、ホントに履いてたのか?』と言われた」
井関さんは「20年振りだった」と。

Noismに入ろうと思ったきっかけ
カイさん「日本人とイギリスのハーフ。ストリート系が主流のイギリスのコンテとは異なるスタイルの日本のダンスがどんなものか、日本でしか学べないものを学びたかった」
シャンユーさん(今回、新加入ではありませんが、)「10年前、台湾で『NINA』を観て、金森さんと井関さんからサインを貰って、写真を撮って貰った。先輩のリン(・シーピン)さんが所属していたので、自分もできるかなとオーディションを受けた」
チャーリーさん「2017年、香港の大学を卒業後、フリーランスで踊っていたが、つまらないと感じ始めていた頃、『NINA』公演の際、オーディションを受けた。その後に『NINA』を観たのだが、今まで観たことのないダンスだった」 (帰国後、「オーディションの結果はどうだった?」とチャーリーさんから定期的にメールが来ていたことを金森さんが明かすと、会場は笑いに包まれました。)
ジョフォアさん「Noismのことは知らなかった。日本人の彼女がいることから、日本には来たいと思っていたのだが、所属するカンパニーを離れる決断はつかなかった。そんな折、芸術監督の交代とNoismの募集が重なった」
林田さん「6年間、欧州にいた。Noism出身の人もいたので噂は聞いていて、興味があった。当時、チェコにいて、生活のリズムや働き方のスタンスの違いに直面し、自分のやりたいことが出来るのか疑問に感じていた。何かを変えないとやりたいことに到達できないと思って、オーディションを受けた」

あのチャーミングな靴下について
元々はグレーでいくつもりだった(確かに公開リハのときはそうでした。)が、衣裳を着けてみると「色味が足りない」となった。それが本番の週の頭のこと。で、井関さんの靴下ボックスから色々並べてみて、オレンジ(女性)、ピンク(男性)とすることになり、買いに走ったもの。女性用はチュチュアンナ、男性用はユニクロでお買い上げ。但し、男性用は途中を切って縫い直してあるのだそう。

次にあの「銀色」の正体について
床は(業務用)アルミホイル+その上に透明なシート。天井と横も同様にアルミホイル。「何度も買い足しを行っただけでなく、その店の在庫全部を買ったこともあった」(制作の上杉さん)

『R.O.O.M.』の「壁」
横3ケ、奥6ケに分解でき、床は平台の上に載っている。移動は、10トントラック1台+4トントラック1台で行った。このあと、りゅーとぴあからシビウに向けて発送するとのこと。

『鏡の中の鏡』の音楽について
最初は振付を全く違うアルヴォ・ペルトの曲(『Spiegel Im Spiegel』)に合わせて行ったのだが、楽曲の使用料が高すぎることで断念、変更したもの。

キャストのアンダーに関して
この長丁場の公演、13人の舞踊家に不測の事態があったときのアンダーとして、準メンバーの片山夏波さんと三好綾音さんを同行させていて、ふたりで、女性キャスト6名のパートを半分の3名ずつに分けていたとのこと。それでも男性メンバーのアンダーは不在のため、もし何か起きたら、構成を変えるか、「俺がやるか」(金森さん)ということだったらしいです。

今回、全18回の公演を通した後の心身の変化について
西澤さん「最初、下りるとき、腕がプルプルしていたのが、2回公演でも平気、最後は全然余裕になっていた」
鳥羽さん「一日2回も『あっ、いけた!』と自分でも嬉しかった。リフレッシュしながら、違うお客さんに新たなものを見せることの大切さに改めて気付いた」
西岡さん「自分はルーティンを変えたくない人。リラックスの仕方が重要と思った」
井本さん「下りることが毎回同じにはならないことで、踊りに影響が出ていたりした。しかし、今は、『違っていいのだ』と違うことを楽しめるようになった」
カイさん「セクション毎に動きの質が違う作品。その都度違うことが起きるのは仕様がない。その都度学ぶことがあった。最後の公演で気付いたことを最初に気付いていたかった」
林田さん「公演期間中、生活にも緊張感があった。これほど体調に気を遣ったことは今までなかったこと」
シャンユーさん「Noism3年目で悩みもある。最初に肩を痛めてしまい、自分は踊らない方がいいんじゃないかとすら思ったりしたが、ストレスのある実人生も、ステージ上では幸せを感じた」
ジョフォアさん「全部のエネルギーでぶつかっていくタイプなのだが、『R.O.O.M.』は違った。頑張れば頑張るほど、金森さんの美学と違う方向へ行ってしまった。受け入れて、金森さんの求めるように動こうとしたら、味わったことのない痛みが味わったことのない箇所に生じたりしたが、しっくりいき始めた」
チャーリーさん「パフォーマンスは毎回、精神状態も身体のコンディションも異なる。日々違う自分と向き合う経験をした」
浅海さん「実験舞踊ということで、自分でもルーティンを止める実験をした。その日その日で違う18回、違う圧、違う空間を感じることが出来た」
池ヶ谷さん「公演回数が多いことは経験もあり、どこでどのようになるのか予想はついていたが、年齢から回復に時間を要するようになった。踊っている以外にも色々考えていなければならないことが多くて、集中するのが大変だった。濃い一ヶ月を過ごせた」
井関さん「過去にも20回公演などの経験がある。細かなことは覚えていないが、全て自分の血肉となっていると思う。今回も、全て踊り終わった直後、『踊りたい』と思った」
金森さん「その都度、その日やることをやるだけ。怪我とかせずに踊り通せたことは自分を褒めてあげたい。舞踊家として過ごしてきて、今、頭の中にフィジカルなものが浮かんでいる。今はフィジカルなものを作りたい気持ちでいる」

『R.O.O.M.』の振付について、或いは、振付(創作)一般について(金森さん)
「『R.O.O.M.』では、何かを計算してということではなく、意味とか情感から入るのではなくして、理路整然としたズレではないものを『面白いな』と選んでいった。どうなるのかわからないなか、やってみて、立ち上がったものから拾っていった感じ。」
「最初に動機はあるが、形や動きにしたときにどうなるのか客観的に判断しなければならない。生み出したものの責任を負う。それがより生きるためには何をするべきなのか。クリエーションにあっては、自分の作品なのだけれど、自分の所有物ではないという感覚、それを大切にしている」
「(自分の)感情を起点にして振付を行うと、限定的なものになり、作品が閉ざしてしまうことに繋がりかねない。敢えて、自分とは違うものを求めるなど、作り出す営為にはそれがどのように見えるかの視点が大切」

市長とのその後
Noismの今後の命運の鍵を握る中原(新)市長とは、市長の鑑賞後、まだこれといった交わりはなく、「近々、観に来ていただいたお礼を言いに行くつもり」(金森さん)とのことでした。

その他、国際性を増した新メンバーに関して、Noismメソッドの印象、自国と日本の違いなど、興味深いお話が続きましたけれど、さすがに全てをご紹介することはできません。そこで、ここでは林田海里さんとカイ・トミオカさんの言葉を引いて一旦の締め括りとさせていただきます。
まず、林田さん、「このジャンルは多様性ありき。色々な国籍の舞踊家がひとつのカンパニーにいて当たり前。見易い国籍の違いではなく、パーソナリティやアイデンティティの違いを楽しんで貰いたい」
そして、カイさん、「それぞれの舞踊家に対して、ここまで欲しいもの、欲しい身体がクリア(明確)な芸術監督は金森さんが初めて。これまでは至って自由だったと言える。その求めるものの結実を見たものがNoismメソッドだと理解している」また、「他国で踊っている舞踊家の方が舞踊家でいることが容易だ。こうしてNoismで踊れていることがどれだけラッキーなことかと思う」とのことでした。

記事の最後に重要なお知らせがあります。只今、6月のモスクワに招聘されている劇的舞踊『カルメン』の公開リハーサルの日程を調整中とのことですが、それをご覧になるには、支援会員であることが必要だそうです。
そして、その公開リハ、キャパの都合から2回行う方針だとのことでした。国内ではその2回が『カルメン』を観る機会の全てとなります。まだ、支援会員になっておられない方にとりましては、最重要検討事項であること間違いありませんね。

この日の特別アフタートーク、18:00の終了予定時刻を15分過ぎた18:15にお開きとなりました。105分間に渡って、それこそあの「名作」のように、どんな話が飛び出すか予測不可能な成り行きに身を任せて、あの「名作」を反芻することが出来ました。ここで取り上げられなかった事柄もまだまだ沢山あります。コメント欄にて、皆さまから書き加えたりして頂けましたら幸いです。宜しくお願い致します。

それでは、次は鮮烈な赤のチラシ&ポスターが既に私たちを挑発しているNoism2定期公演の会場でお会いしましょう。
(shin)

既に「名作」の呼び名を欲しいままにする『R.O.O.M.』/『鏡~』大千穐楽(東京公演最終日)

すっかり春といった風情の2019年2月24日(日)、その名作は新潟と東京併せて17日間18公演の最後の幕を下ろしました。ここまで5週間、律義にほぼ週末毎に、見たこともない「異空間」を立ち上げて私たちを魅了してくれていたその名作が、一旦、国内でのすべての公演を終えたのは、東京の吉祥寺シアター、時刻にして19時少し前のこと。深い感動や満足と同時に、もうあの「異空間」にまみえることは叶わなくなった事実が棘のように刺さった時刻でもありました。

観客は勝手なものです。演じる者たちの身体のあちこちに増えることはあっても減ることのないテーピングが物語る身体を痛めつけ続けた過酷な日々にも拘わらず、まだまだ観たかったなどと容易く口にするのですから観客は本当に勝手なものです。

しかし私たち観客も知っていたのです。この5週間に目にしたこの2作が紛れもない名作だということなら。そしてその名作の記憶は、この度演じた13の身体、その所有者の名前とともに私たちの内部に刻まれることになりました。終演後、捧げられた惜しみない拍手と歓声、スタンディング・オベーション、それらは皆、それぞれの身体の限界ギリギリのところで「異空間」を立ち上げて魅せてくれた13人の舞踊家が当然に受け取るべき「栄誉」な訳ですから、私たちはもっと長く、もっと激しく、まだまだ拍手していたかったのでした。

今回、その刺激に満ちた豊饒な2作品がどんなふうに映じたか、個人的な印象を以下に書いてみようと思います。(読まずにおきたい向きは、☆☆☆印から★★★印までを飛ばして下さい。)

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

『R.O.O.M.』。目を奪うほどの威容を示す「箱」の中で展開される実験とその観察(全12場面)。架空の種、その「胚」の発生を辿るかのような体験。滴り落ちるも自らが何であるかを知ることのない原初の「胚」。やがて、手を発見するも未だ使い方は知らず、それを照らす光源をいぶかし気に見上げたかと思ううち、それが動くことに気付き、そこから意のままに動かすことを覚えていきます。足についても同様。両方の足の甲で床を打つことを通して、足を発見。動かしてみると動いたことから、動きを獲得していくと、いつしか立つことを覚え、遂にはつま先立ちをするまでに至ります。(但し、四肢に類する部位として、手を介して、頭部をも発見しますが、それはどうやらあまり使い途がないようで、なんとも皮肉です。)
それぞれの「胚」が示す発生の過程にあっては、時に他の「胚」が辿った過程を掠め取るかのように一足飛びの発生を見せる「胚」(ジョフォアさん、池ヶ谷さん)も現れてきます。更に、女王然とした「胚」を踊る井関さん。ひとり超越的な別次元の運動性を獲得する迄に至ります。

そうして個体が確立されると、次に待っているのは、他の個体とのせめぎ合い。同種間の、そして異種間の闘争に似た様相を呈して、それは描かれていきます。女性舞踊家の「種」が示す、男性舞踊家の「種」に対する優位性には、『NINA』を彷彿とさせるものがあり、その威圧感たるや半端ないものがありました。未だ覚醒を見ていない自らの力能、それを覚醒させるためには、「触媒」として他の個体すらも利用していきます。そしてそこから先は「適者生存の理」に従い、振るい落とされていく個体と残る個体の別を見ながらも、最終的には全てが篩にかけられてしまう迄を概観する「実験」。私たちが見詰めるのは「箱」の内部だけながら、その外部も大いに気になる作りになっていると言えるでしょう。そして最後にやってくるカタルシスには圧倒的なものがあります。

『鏡の中の鏡』。①ソロ:苦悩のあまり蹲る金森さん。自らを纏め上げる全的なイメージがつかめず、心底から苦しんでいます。鏡が映す自らの姿にも満たされることはなく、出口なしといった感じです。そこに「天啓」のように一筋の光明が差し込みます。鏡に映る姿に己の別の姿を認めるからです。

②ソロ:鏡を見ながら孤独に苛まれ絶望する井関さん。他者との邂逅を求めるのですが、それは得られそうもありません。そこに導きが与えられます。きっかけはまたしても鏡。鏡が映す「手」から、孤独を埋める、埋めないだけではなく、自らを突き詰めることから他者へと至る道筋が拓けます。

③デュエット:苦悩する魂と孤独な魂。観客はそれらふたつを同じ「箱」空間のなかに目にしますが、踊る金森さんと井関さんの視線は交わることはありません。それは、ふたりを一緒に見ていながらも、「説話」構造的には、ふたりがまったく別の時間、別の空間に存在していて、一切触れあってはいないことを物語るものです。まったくの非接触を踊っていたものが、途中から身体的な接触を伴う動きに変わってさえ、視線は決して交わりませんから、異なる別の時空に存在するふたりと読み解くのが妥当と感じます。接触はたまたまのものに過ぎず、お互いが「説話」構造としては「デュエット」の相手を欠いたまま、「ソロ×2」として、(観る者の目には、舞踊的にこの上なく高度にシンクロする「デュエット」が)踊られていきます。金森さんと井関さんがソロ・パートをそう踊ったように、私たち観客も見えない筈のもの(デュエット)を見ていたのです。ため息の出るような美しさと言ったらありません。
踊っている間は苦悩と孤独を傍らに置くこともできたようですが、それも事故のような「天啓」に過ぎない訳で、長続きするものではなく、やがて訪れ、募るのはまたしても苦悩と孤独。しかし、遂に何か見る(気付く)ことができたようで、…。

★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★

まったく方向性を異にしながらも、それぞれ、あの緊密な空間にも拘わらず、広さと深みを備えた「分厚い」2作品。それらを同時に観るのですから、私たちの心は、受け止めるのに要すると暗に想定していた容量をいとも容易く超えられてしまい、驚き、慌てふためきながら、全く未開の領野を経巡ることになる、そんな体験をしていたように思います。(ですから、上に記したものは、驚きと動揺のうちに、精緻さを欠いて私の内側に形作られた印象に過ぎず、どこまでも個人的なものであることをお断りしておきます。)そして観るたびに常に瑞々しい、その意味でも驚くべき体験と言いましょう。観ているだけなのにも拘わらず、相当な体力を要した意味も分かろうというものです。それを「名作」と呼ばずして何と呼んだらよいのでしょうか。

私たちの記憶は抽象的なものではありませんから、この名作の記憶も、常にりゅーとぴあ・スタジオB、或いは、吉祥寺シアターという空間と切り離すことの出来ないものとして留まり、或いは、再帰してくることでしょう。名作とはその細部のリアリティに至るまで全てが自ら語り出してくるかのように噴出する何物かです。ですから、私たちはこのふたつの空間を細部のひとつとして喜びをもって思い出すことになるのです。曰く、「聖地」と。金森さんが、「聖性は場所にではなく眼差しの裡にある」と呟いた所以です。(2019/2/19twitter)

ああだ、こうだと、愚にも付かない事柄を書いている今ですが、既に手に余るほどに大きな「Noismロス」が始まってしまっています。それに抗するために、3月3日(日)開催の特別アフタートーク(「アフターアフタートーク」)でどんなお話しが聞けるのか楽しみにしていよう、と無理にも気持ちを切り替えているような次第です。

末筆にはなりましたが、これを締め括るために書き落としてはならないことを最後に。
「この長い公演期間を完走された舞踊家の皆さん、スタッフの皆さん、どうもお疲れ様でした。大きな感動を有難うございました。私たちはとても幸せでした」と改めて。
(shin)

実験舞踊・東京公演も「大山」マチソワを越えて、いよいよ…

2019年2月23日(土)の東京は日差しは春めきながらも、終始、強い風が吹きつけ、体感温度的には決して暖かいとは言えず、コートの離せない一日でした。しかし、そんな一日も「熱い」ところは「熱かった」訳で、それが吉祥寺シアター界隈のことであったことは言うまでもない事柄でしょう。

熱さの理由など言うに及ばぬ筈。この日がNoismにとって、記念すべきその第1作『SHIKAKU』以来15年振りとなるマチソワ公演日であった以外ありません。

これまでも見るからに恐ろしいがまでの消耗振りを目撃してきていますし、この日のマチネとソワレの間には2時間半しかないのですから、心配にもなろうという訳です。果たして…。

私はこの日、ソワレの客席にいたのですが、そこで目にしたもの、それはこちらの心配を全て杞憂に終わらせてしまう、疲れを感じさせない無尽蔵のパワーであり、それを駆使した鬼気迫るパフォーマンスでした。
「疲れている筈なのに…」
おのれの限界のそのまた先へ行かんとして、ありったけの意地と本気をぶつけてくる実演家。その姿を目の当たりにして、震えに襲われなかった者など皆無でしょう。リアルに「化け物」、否、「MONSTER」の降臨。まさにデモーニッシュ!
そして、それに驚きながらも、「もっと!もっと!」とばかり、嬉々として、心に巣食う嗜虐的な側面が頭をもたげるのに任せて、まだまだ満たされたいと視線を送る観客。
その構図こそ、真に「舞台芸術」が産み落とす醍醐味!吉祥寺シアターには、尋常ではない空気が張り詰めていました。

終演後の割れんばかりの拍手も、「ブラボー!」も、スタンディング・オベーションさえも、内なる感動を伝えるには不釣り合いなリアクションにしか感じられず、そのもどかしさに歯噛みする思いだったのは私ばかりではなかったでしょう。『R.O.O.M.』も『鏡の中の鏡』もどちらも「人間業」には感じられないような、この日のソワレの舞台でした。

そんなふうにひとつ大きな山を越えて、Noismがある豊かな週末も遂にあと1日、明日を残すのみとなりました。

一旦始まってしまえば、いずれそういう時がやって来るのは必定。「千秋楽」の明日、また渾身の舞台を観せてくれる舞踊家に魅了される準備はとうに整っています。白熱の吉祥寺シアター、見逃せませんよ。(shin)

『R.O.O.M.』/『鏡~』東京公演開幕!

2019年2月21日(木)19:30、東京・吉祥寺シアター公演初日、素晴らしかったです!!
満員御礼、大盛況、大好評、大歓声で無事終了♪ 

心配していた舞台装置(あの銀色の市松模様の巨大な箱)も照明も、
ばっちりハマっていて、この会場のために作ったかのようでした。

ステージは新潟(スタジオB)よりも高さがありました。
私は最前列!で、椅子席でしたが、とても見やすかったです。
踊る人たちを、より間近に感じました!
土曜の夜と日曜も観ます。楽しみ~♪
(fullmoon)

目を圧する『R.O.O.M.』/目を惹きつける『鏡~』に心を鷲掴みにされた新潟公演楽日

2019年2月17日(日)、新潟市中央区は少し強い風は吹くものの晴れ間も顔を覗かせ、
「新潟の冬」からは遠いイメージの一日。
ホワイエ開場の時刻14時半のスタジオBにはキャンセル待ちの方も数名いらっしゃり、
楽日の公演に向けられる熱い期待が既にホワイエには充満していました。
初めての方も、何度目かの方も、一様に気持ちの昂ぶりを抑えることができずにいる、
そんな様子だったと言えます。

スタジオへ入った後も、中の空気は張り詰めていて、浮かれた様子は皆無。
そこに身を置くだけで呼吸が浅くなるような、そんな雰囲気が漂っていたのは、
明らかに他の日とは違う感じがしました。
この日が新潟で観る最後の機会でしたから、
誰もがみな、舞台の「一回性」、その厳かさを全身で受け止めて、
緊張の内に幕が上がるのを待っていたとしても何の不思議もありはしませんが。

開演。『R.O.O.M.』。
明転すると目に飛び込んでくる「装置」にまずはため息が思わず零れてしまうのですが、
これが意外と重要。
息をするのも忘れてしまいそうな、50分間の斬新な実験が展開されていく訳ですから。

楽日の12場面は、
舞踊家一人残らず、「もうこのあと余力など残っていなくとも構わない」とばかりに、
ありったけの力を振り絞り、全身全霊を傾けて踊られていきました。
その異次元と言っても過言ではないクオリティは、観る者の目を圧する迫力に満ち、
観ている側も同調して、心拍数はあがり、気持ちが滾っていかざるを得ません。
熱を帯びていく舞台、けしかけられ、固唾を飲んで見詰める客席。
ラストでマックスの昂揚に達して暗転。
すると今度はそこまで不動で来ていた客席の番です。口火を切る男声の「ブラボー!」、
続く女声の「ブラボー!」その絶妙。
そこから先はもう堰を切ったかのような「ブラボー!」の洪水。その怒涛。
同時に、あちらこちらで反射的に人影が動いたかと思うと、見たこともないくらいの人数の
スタンディング・オベーション。
そして勿論、鳴り止まぬ拍手がカーテンコールに立つ舞踊家一人ひとりに捧げられました。

休憩でクールダウンを図ると、後半は『鏡の中の鏡』。
打って変わった音楽と照明、蹲る金森さんの姿に、
私たちは一瞬にして、相貌を別にした、まったくの異空間に連れ去られてしまいます。

金森さんのソロそして鏡。鏡そして井関さんのソロ。その果てのパ・ド・ドゥ。
能弁な身体ふたつに目は惹きつけられ、その繊細さには心底驚くよりありません。
観ているだけで涙が込み上げてくるのです。
もっと観ていたいと思ったのもいつも通りでした。
余韻を引き摺り、じわじわ込み上げてくる思いを噛み締めることになる作品の性質から、
我に返るには「間」が必要とされます。それなしには、容易に身体は動きません。
自由を取り戻した身体から徐々にスタンディング・オベーションが客席を拡がっていく点、『R.O.O.M.』とは全く別種の経験・別種の感動と言う他ありません。
「ブラボー!」も声を取り戻してからという感じでした。
しかし辿り着いた先が大喝采であることは言うまでもありません。
舞台上で拍手を受ける井関さんと金森さんのカーテンコールが続きます。
そのさなか、金森さんがその右手を後方の壁に向けて、スタッフへの拍手を促し、
更に拍手の音量が増したかと思えば、
今度は金森さん、両手を客席に差し向けた後、自ら客席に拍手をしてくれるではないですか。
そこに井関さんも加わり、お互いに拍手を送り合う舞台と客席という幸福過ぎる光景に至り、
楽日ならではの贅沢なひと時に浸りました。

長かった筈の新潟13公演が、地元の観客だけでなく、遠方からお越しの方々の心も鷲掴みにして、遂にその幕を下ろしました。(「箱」は直ちに一旦解体されて、搬出されることになります。)

引き続き、この舞台は中3日で、東京・吉祥寺シアターに登場します。その4日間・5公演、東京でご覧になられる方々、お待たせしました。期待値を上げるだけ上げてお待ちください。きっとその期待値すら凌駕する驚きの舞台を目にされることと確信しています。

まだこの舞台の旅は続きますが、新潟公演で見納めの方も大勢いらっしゃいます。
そこで、今日のところは一旦こう締め括りましょう。
「感動の舞台を有難うございました。私たちは幸福でした」と。
(shin)