「新潟はスゴイ」を見せつけた興奮の『鬼』埼玉公演楽日♪

2022年7月10日(日)、大きなワクワクを抱え、今公演のNoismと鼓童ダブルネーム入りTシャツを着込んで、真夏の新潟から真夏の埼玉へ向かいました。一昨日、埼玉公演初日を観たfullmoonさんのレポートに「舞台美術に変更アリ!?」などとあったものですから、『ROMEO & JULIETS』の映像差し替えの例に見るまでもなく、常にブラッシュアップの手を止めない金森さんのこと、どう変わっているのか、もう興味は募る一方でした。

そして、更に、個人的な事柄ではありますが、もうひとつ別の角度、音楽の原田敬子さんへの興味も日毎に大きなものになってきていました。
今公演の特設サイトで見られる「Noism×鼓童『鬼』Trailer原田敬子さんver.」において、「楽器或いは声で実演するための音楽」への拘りを語る原田さん。続けて、「人間の、演奏する人たちの身体を媒体として、音を媒体として、人間の身体と、それをコントロールする脳、精神の可能性を限界まで拓いていく」と自らの音楽を語っておられます。音楽の素養のない身にとっては、それら語られた言葉を、単なる語義を超えて、それが表わす深い部分までまるごと理解することなどできよう筈もありませんでした。新潟での3公演を観たことで、更に原田さんの音楽について知りたいと思うようになり、CDを求めて耳を傾ける日々が続きました。

お昼少し過ぎに大宮に連れて行ってくれる新幹線、移動中の座席では、原田さんの旧譜『響きあう隔たり』のライナーノーツを熟読して備えました。同ライナーノーツのなかに、彼女が折に触れて繰り返す「演奏の瞬間における演奏者の内的状態」という自身の志向性に関して、今公演に繋がるヒントとなるものを見つけたからです。
原田さんは語ります。「私のいう内的状態とは感情的なものではなく、拍の数え方・呼吸の仕方・音の聴き方等、演奏に不可欠な実際面での技術である。新しい音楽というものに、何か役割があるとすれば、それはこれまでの習慣だけではなく、少しでも新たなアイデアが加えられ、奏者のイマジネーションを刺激しつつ、実はそれを実現するための技術の部分に挑戦するというポジティヴな未来志向性を、身体を通して聴き手に提示することかも知れない」(CD『響きあう隔たり』ライナーノーツより)
この言葉、「音楽」に纏わる語を「舞踊」関連に置き換えて、名前を伏して示したならば、金森さんが言ったものと捉えてもおかしくない言葉たちではないでしょうか。まあ、優れた芸術家は通じ合うものと言ってしまえばそれまでですけれど、この度のコラボレーションの必然性が見えてくるように思えたのでした。

公演の詳細は書けないからといっても、前置きが長くなり過ぎました。

入場時間になり、ホワイエまで足を運ぶと、そこにはNoismスタッフ上杉さんと話す小林十市さんの姿があり、周囲に光輝を放っていました。それから、芸術監督の近藤良平さんに、評論家の乗越たかおさんもおられました。また、劇的舞踊で参加されていた俳優の奥野晃士や元Noism1メンバー・鳥羽絢美さんとは、それぞれ少しお話しすることができました。この日は関東地区での千穐楽でしたから、華やかさが際立っていたと言えます。
また、この日の物販コーナーでは、缶入りの浮き星に加えて、Noism×鼓童TシャツのSサイズも売り切れとなっていたことも記しておきます。こうしたことからも今公演が多くの方の心に届いているものとわかります。

開演時間が来ます。先ずは『お菊の結婚』です。ストラヴィンスキーの音楽に操られるようにして動く人形振りですが、動きは細部にわたって確信に満ち、練度が増しています。蔑みの眼差しで見詰められたオリエンタリズムのなか、拡大していく「歪み」が招来するものは…。淀みなく展開しながらも、「おもしろうて、やがて…」のような味わいは繰り返し観ても飽きることはありません。

休憩後は『鬼』です。緞帳があがり、櫓が顕わしになっただけで、ザワッとして、一瞬にして心を持って行かれてしまうのはいつもの通りです。そこから40分間、透徹した美意識が支配する演目です。fullmoonさんが触れた、ある場面での「舞台美術の変更」も、禍々しい効果を上げていました。
この演目、原田さんによる音楽を(1)鼓童が演奏し、(2)それを、或いはそれに合わせてNoismが踊るという、ある意味「2段階」を想定するのが普通の感覚なのでしょうが、鼓童の音とNoismの舞踊の間にはいささかも空隙などはなく、してみると、その当たり前のように成し遂げられた同調性が高いコラボレーションは、敢えて言えば、原田さんの楽譜を、(1)鼓童が演奏すると同時に、(1)金森さんもNoismを「演奏」しているかのような錯覚をきたすほどです。(無論、金森さんの演出振付を不当に矮小化しようというのでは毛頭ありません。)この演目、カウントで成立するものではないのですから、人間業とは思えない途方もないレベルの実演であることはいくら強調しても足りないほどです。「聴くこと」の重要性は原田さんが常に唱える事柄ですが、それが鍵を握る「共演」であることは言うまでもないでしょう。Noismと鼓童、恐ろしいほどに「新潟はスゴイ」(金森さん)を見せつけた興奮の埼玉楽日だったと思います。

終演後のカーテンコールでは、鳴り止まない拍手に、大勢のスタンディングオベーションが加わり、感動を介して、会場がひとつになった感がありました。繰り返されたカーテンコールはfullmoonさんがレポートしてくれた前日同様、客電が点いてからも続き、客席は温かい笑顔で応じました。そのときの多幸感たるやそうそう味わえるものではありませんでした。

今日は原田さんを中心に書いてきましたが、原田さん繋がりで、個人的なことをひとつ記して終わりにしようと思います。先日の「1.8倍」云々の件がありましたので、お見かけしたら、再びご挨拶せねばとの強い気持ちをもって埼玉入りした部分もありました。すると、開演前、この日も座席表付近で原田さんの姿を認めましたので、お声掛けしました。で、様々に感謝を告げようとするのですが、やはり緊張してしまい、この日も頭は真っ白に。にも拘わらず、笑顔で対して頂き、不躾なお願いでしたが、CDにサインも頂きました。感謝しかありません。その後、fullmoonさんと一緒に再度ご挨拶することもできました。

原田さん、度々突然お邪魔することになり、失礼しました。と同時に、重ね重ね有難うございました。この日も音楽を起点とする実演に圧倒されました。

諸々の高揚感のうちに、新幹線に乗って新潟へ戻ってきた訳ですが、ツアーはこの日でふたつ目の会場を終え、次は一週間後(7/17・日)の京都です。関西のお客様、お待ちどおさまでした。お待ちになられた分も、たっぷりとお楽しみください。

(shin)

『鬼』埼玉公演2日目に行ってきました!

7/9(土)埼玉公演、中日となりました。さい芸の最寄り駅、大宮から埼京線で2駅目の与野本町は、駅前に広い遊歩道的な、与野本町駅前公園アートストリートエリアがあり、バラがたくさん植えられています♪まだまだ咲いていますよ。明日も暑い最中にはなりますが、公演の行き帰りにどうぞご覧ください♪

鼓童アース・セレブレーションのポスター。
山田勇気さんワークショップとNoism2と鼓童のコラボレーションがあります♪

さて、本日2日目の公演も、まさに圧巻でした!!
どちらの演目も凄い、凄い、凄すぎる!素晴らしすぎて、ああだこうだとアレコレくどくど書きたいのですが書けません。。
ネタバレを避けるという意味あいもありますが、言語化能力が不足しております。申し訳ありません💦
未見の方は、ぜひご自身で体験、体感、ビックリ仰天、大感動していただければと存じます。

さて、初日にご紹介した、さわさわ会の会報誌ですが、私が今日会場に到着した時には、すでに残り3部。そのあと、あっという間に無くなってしまいました〜
入手ご希望の方は、ぜひどうぞ、さわさわ会にご入会ください。お送りいたします。ご一緒に井関佐和子さんを応援しましょう!
このあとの公演では、京都、山形は折り込み配布。愛知は積み置きとなります。

「さわさわ会」ご入会もご検討ください♪ m(_ _)m

Noismサポーターズのインフォメーションも同様です♪
インフォメーションには、金森監督からの3通りのメッセージや、shinさんによる公演期待文、hohosan製作のNoism応援グッズ紹介等が載っていますよ♪こちらもぜひお読み&ご入会くださいね!

早いもので、埼玉公演も明日が楽日となりました。体調を整え、暑さに負けず、『鬼』公演に挑んでください。
そして、お待たせしました。明日は真打ちshinさんが登場します!
乞うご期待♪
(fullmoon)

『鬼』埼玉公演 初日に行ってきました!

7/8(金)、新潟も埼玉も暑いですが、夕方6時頃ともなると、気温も下がり、涼しい風もそよそよと〜♪
彩の国さいたま芸術劇場に到着すると、そこにはBSN新潟放送のヒーロー、坂井悠紀ディレクターが〜♪

会場ロビーには、プログラムセット、さわさわ会の新会報誌♡、そして物販コーナー。


物販は缶入り浮き星が早くも売り切れ!
東京の知人友人に挨拶していると間もなく開演。
チャイムが鳴ってから、そこそこの人数の観客が入場してきました。電車が遅れたのだそうです。皆さん間に合ってよかった!

『お菊の結婚』、ピエールの登場は、ステージの高さがあるので、舞台袖からでした。
ホント、コミカルなのに怖い演目ですが、照明がきれいですね〜♪
流れるように動きが進んで行きます。
続く『鬼』はガラッと雰囲気が変わります。
舞台美術に変更アリ!?
井関さんの鬼がますます禍々しいです!
この演目も本当に凄いですよね!!
鼓童さんの音も大迫力です!

大拍手で無事終演♪
ブラボーを言っちゃいけないそうですが、後ろの方から2、3回聞こえましたよ!

今回も素晴らしい公演でした♪
原田敬子さんのお姿もチラッとお見かけしました。
安倍元総理の衝撃のニュースがありましたが、公演は明日あさってと続きます。
どうぞお運びくださいね♪


(fullmoon)

Noism Company Niigata 《春の祭典》

稲田奈緒美(舞踊研究・評論)

 2021年7月23日、この日は「東京オリンピック2020」が始まる日でもあった。新国立競技場での開会式とほぼ同時刻から、Noism Company Niigataの公演が始まった。

 幕開きは、2019年初演の〈夏の名残のバラ〉。井関佐和子が楽屋でメイクをし、赤いドレスの衣装を着て舞台に出演するまでの映像が映し出される。静かな、一人だけの時間が流れるが、それは井関がダンサーとして舞台に立つために自らを奮い立たせ、かつ冷静に集中力を研ぎ澄ましていくルーティンだろう。幾度となく繰り返しながら歩んできたダンサーとしての年月が、その佇まいに、背中に、美しく滲んでいる。恐らくは同時間に新国立競技場では、わかりやすくショーアップされた開会式のパフォーマンスが繰り広げられている。その光景を想像しながら井関の姿を見る時、彼女の身体とそれを映像に捉える視点からは、馥郁たるアートの豊かな香りが漂ってくる。アートを特権的な地位におくわけではないが、私が見たいのはこういうものなのだ。様々な意味が、思いが、何層にも積み重なり、あるいは混沌としながら意味を生成していくような、イマジネーションを掻き立てるもの。オリンピックに世間が沸く一方で、このように上質なダンス公演を楽しむことができるのは幸運である。

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『夏の名残のバラ』
撮影:篠山紀信

 井関を捉える映像が舞台へ切り替わり、舞台上で井関が踊り始める。舞台で踊りながらカメラを井関に向けるのは、ダンサーの山田勇気。カメラが井関の顔を、手足を、密着するように、あるいは遠くからとらえ、舞台上のスクリーンに映し出す。観客は目の前で踊る井関と山田を見ると同時に、異なるアングルからクローズアップされた二人をスクリーン上に見る。井関が赤いドレスを翻しながら舞台を疾走し、全身を山田に投げ出して表情をこわばらせ、また柔らかく肢体をくゆらせ、あるいは鋭く空間へ切り込んでいく。常に全身を燃焼させながら踊る井関も、それを果敢に受けとめる山田も、ダンサーとしては円熟期を迎えつつある。しかし、そこにネガティブな要素はない。〈夏の名残のバラ〉は、今なお、その凛とした姿を形にとどめているのだ。私たち観客の眼前にあるダンスと、その遠近をかく乱しながら映し出される映像をシンクロしながら見ていると、最後にその思い込みが見事に覆される。鮮やかな手法。それは次回の上演を初めて見る観客のために秘密にしておこう。

 井関は、自身の過去と未来を、いまここにある身体に重ね合わせながら踊る。強靭なしなやかさで、そのダンスと生きざまを美しく表現し、観るものを引き寄せる。この踊りで井関は、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。井関の“いま”を鮮やかに見せる振付と、ダンスと映像による仕掛けを施す構成、演出をした金森穣は、日本ダンスフォーラム賞を受賞した。

 二作品目は、昨年コロナ禍による自粛が続く中でその状況を見事に映像化した映像舞踊〈BOLERO 2020〉が、劇場のスクリーンで大写しにされた。踊ることを日課とするダンサーたちが、それぞれ閉塞的な部屋にこもり、一人きりで踊る姿を編集し、ウェブ上で配信されたもの。この状況では、いつものように空間を縦横に動き回り、手足を存分に広げ、またダンサー同士で会話したり触れ合いながら創造するという、彼らの日常が封印されている。その苛立ちを、まだるっこさを、不安を吐き出し、なおも踊らずにはいられない身体の生々しく、ヒリヒリとした痛みや熱が画面から伝わってくる。筆者は昨年、パソコン画面上で拝見したが、今回のスクリーン上映では、大写しになったダンサーたちの身体のディテールと、「ボレロ」という単調な反復がやがて大きな渦となる音楽とのシンクロが、より迫力をもって伝わってくる。映像舞踊という実験がまた一つ、ダンスを創り、観る可能性を広げてくれた。

映像舞踊『BOLERO 2020』
撮影:篠山紀信

 3曲目は〈Fratres〉シリーズの最終章〈Fratres Ⅲ〉。ラテン語で親族、兄弟、同士を意味する言葉であり、使用されているアルヴォ・ペルトの音楽タイトルでもある。

 幕が上がると、薄暗い空間の中心に金森。その周りを取り囲むように群舞が配置される中で、ヴァイオリンが鮮烈なメロディを畳みかけるように奏で始める。ダンサーたちは男女の別なく、修道士のようなフードのついた黒い衣装をまとっている。彼らの動きは顔を上げる、手を伸ばす、俯く、床に倒れこみ、這うといったミニマムなものが多いが、それを見事に音楽と他者にシンクロしながら反復していく。一つひとつの動きには、研ぎ澄まされた内への集中と同時に、空間を構成するすべてのダンサーや光、音楽へと向けられている。その場に佇んだまま、または蹲踞の姿勢を取りながら続いていく様は、儀式のようでもある。そのため観客はシンプルな動きが単なる身振りではなく、天を仰ぎ、地を希求するかのような意味を様々に見出し、解釈することができる。

 集団によるアンサンブルの集中度が極まったとき、頭上から米が降り注ぐ。群舞はフードをかぶり、一人一人の頭上で受け止めるが、中心の金森だけはフード(我が身を守るモノ)をかぶらずに全身で受け止める。受苦であり浄化でもある、頭上からの米を一身に浴びるという行為からは、自己犠牲を超えた祈りを感じる。踊ることで天と地をつなぐダンサーである彼らは、もはや儀式や祈り、畏れを忘れた現代人のために、そこにいるのだ。しかし突出したカリスマに扇動されるのではなく、その集団の調和によって、そこにいることの強度を増している。Noismが多くの団員を抱えるカンパニーとして存在することの意義と可能性を、舞台は表している。

『FratresIII』
撮影:村井勇

 4曲目は公演タイトルにもなっている〈春の祭典〉。この作品が1913年に初演された際は、ストラヴィンスキーの音楽、ニジンスキーの振付共に時代から遥に進んでいたため、観客の多くは理解できず、評価も得られなかったことは舞踊史ではよく知られている。しかし時代と共に音楽は高く評価され、20世紀の古典となり、数えきれないほどの振付を生んできた。そのため振付家は、どのような設定で、コンセプトで、振付、演出をするか想像力を掻き立てられると同時に、恐ろしくもあるのではないか。金森が選んだのは、ダンサー一人一人にオーケストラの演奏家のパートを振り分けて、オーケストラが踊りだす、というコンセプトであった。それはしばしば「音楽の視覚化」と言われる振付の手法を超えた、厳密にして挑発的な試みである。

 客電がついたまま幕があがると、舞台前方には横一列に椅子が並べられている(椅子:須長檀)。椅子の背はワイヤーのようであり、それが一列に並んでいると、まるで鉄格子か鉄柵で囲まれているように見えるため、囚人、隔離された人々の空間を思わせる。井関から一人ひとり、おどおどした様子で背中を曲げながら登場し、椅子に座っていく。中央に井関と山田。全員が横一列に座ると、客席の方へ、舞台の中へと、何ものかにおびえているように見つめては後ずさりし、音楽に合わせて手を震わせる。男女全員が白シャツと白い短パンという同じデザインの衣装を着ており、その色と画一的なデザインが精神病院かどこかに囚われているようにも思わせる。

『春の祭典』
撮影:村井勇

 音楽が激しいリズムを刻み始めると、その不規則なリズムにぴったり合わせながら、群舞が踊る。椅子に座ったまま両足を床に打ち付けながらリズムを刻み、あるいは半分が立ち上がり、また座り込み、と見事である。やがて、椅子の後方にある幕の内側が紗の間から照らされると、誰もいない空間が広がっている。四方を半透明の柵に囲まれた空間は、閉ざされ、隔離された空間であることがわかる。空間は人々をおびき寄せるように、サスペンションライトで床を照らしている。覗き込む群衆。幕があがると、群衆は恐れながらもその中に入っていく。

 そして激しくなる音楽そのものを踊っていく。椅子を円状に並べ、座る人と、前方中心に向かって倒れこむ人がいるシーンや、ダンサーが自分の腕で自分の腹部を打つような動きはピナ・バウシュへのオマージュだろうか。また、男女が下手と上手に分かれて群れとなり、男の群れが帯状の光の中を激しく跳躍しながら突進してくるシーンは、ベジャールへのオマージュだろうか。〈春の祭典〉という音楽と舞踊の歴史への敬意が感じられる。

 やがて男女が分かれて入り乱れ、一人の女性が生贄として選ばれる。これまで多くの振付家が作ってきた作品では、生贄として選ばれた女性、または男女ペアと、それを取り巻く群衆は対立構造を取ることが多い。それがこの作品では、生贄の女性を守ろうとするのは、もう一人の女性(井関)である。か弱い女性を男性が守るのではなく、女性が女性を守っている。男女のペアで無いところも現代ならではの視点だ。その二人に対して攻撃するような群衆。この辺りは、群れを作ったとたんに匿名の集団が凶暴性を増す、現代社会を投影しているのだろうか。同調圧力やSNSでの誹謗中傷などを思い起こさせる。しかし、最後に守られていた女性が、井関を指さす。「この女こそ生贄だ」と示しているかのように。信頼が裏切りに変わる、人を裏切り、売り渡すような現代社会を表しているのか。

 井関は一人で群衆の苦しみ、恐れを受けとめるが、最後は全員が手をつなぎ、後方へ向かってゆっくり歩んでいく。手をつなぎ共に歩み始める人々の姿は、救いと希望を感じさせる。

 もちろん振付家は、ベタな現代社会の投影を意図して振り付けてはいないだろうが、今回の公演では様々に現代社会を喚起させるシーンが多かった。言葉ではなく身体で表されるからこそ、観るものの想像力を多面的に刺激し、その意味を考えさせ、より深く目と耳と、胸と頭と、皮膚感覚に残る。なんと贅沢な公演だったのだろう。また、これだけ体力と集中を必要とする作品を、(映像作品は含めず)3曲も次々と踊っていく団員たちにはまったく感服する。そのダンサーたちは国籍も民族も身体も多様性に富んでいる。このように多様かつ優れたなダンサーたちを育てた金森や井関、山田、そして新潟という日本海から世界に向かって開かれた土地に改めて拍手を送りたい。 

(2021.7.23(金)/彩の国さいたま芸術劇場)

PROFILE | いなた なおみ
幼少よりバレエを習い始め、様々なジャンルのダンスを経験する。早稲田大学第一文学部卒業後、社会人を経て、早稲田大学大学院文学研究科修士課程、後期博士課程に進み舞踊史、舞踊理論を研究する。博士(文学)。現在、桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修准教授。バレエ、コンテンポラリーダンス、舞踏、コミュニティダンス、アートマネジメントなど理論と実践、芸術文化と社会を結ぶ研究、評論、教育に携わっている。

【インスタライヴ-15】『春の祭典』ツアー後の大質問大会

2021年8月1日(日)20時、『春の祭典』最後のツアー先である札幌から(2時間前に)新潟市に戻ってきたばかりの金森さんと井関さんが、「眠い」なか、前回のインスタライヴ以来、ほぼ3ヶ月振りとなるインスタライヴを行ってくれました。広く質問に答える形式での『春の祭典』大質問大会、約1時間。以下にその概要を抜粋してお伝えします。

*この日の晩ご飯: 北海道名産・鮭のルイベ漬(佐藤水産)
*今回のインスタライヴ中のおやつ: 福島産の桃

札幌公演は15年振り。「皆さん、待っててくれた感じ。(hitaru)楽屋のトイレは入る度に音楽が流れる『最新設備』だった」(笑)(井関さん)

Q:照明の調整に時間はかかったか?
-金森さん「ツアー地では凄く時間がかかって、ゲネが無理になり、本番直前のテクニカルランで初めて通せる感じなのが、今回は設備が良くて、順調だった」
-金森さん+井関さん「札幌スペシャルの照明、次やるときはテッパン。最後にちょっと違う演出・照明が加わっている。もう一個『外部』の世界を感じる照明にした」
-井関さん「最後の最後までライヴ感が凄かった」


Q:『春の祭典』音源はどのように決めたか?
-金森さん「入可能なものは手当たり次第に入手して、実際に踊ってみた。既に作っていた構成に合っていて、演出家としてビビッとくるものがあったのがブーレーズ盤だった」
-井関さん「色々なテンポのものがあったが、ブーレーズ盤が一番、音の粒が立っていると言っていたのを覚えている」
-金森さん「ブーレーズ盤は、情感でいくというより、理知的。音がクリアで構造がはっきりしている印象。後から、ベジャールさんもこれを使っていたと聞いた」

Q:踊るときに一番大切にしていることは何か?
-井関さん「その瞬間をどう生きるか。邪念を抜きにして、その瞬間の空気とエネルギーをどう感じるか。邪魔は入るが、それさえも『瞬間』と捉えて乗り越えること」
-金森さん「舞台に立てば立つほど、緊張感をコントロールする術も判ってくるが、『失敗しないかな』との適度な緊張感で集中度も上がる。そのときの音楽の響き、観客のエレルギー、自分の状態を大切にしたい。そこに身を投じる。そこに居続けるための集中」

Q:一人ひとりに楽器を割り当てた『春の祭典』、音を聴いて踊るのか?
-井関さん「楽譜で割り当てていて、全員で完全にカウントを数えているので、一応判っている。それが大前提で、カウントの取り方、『音色になる』ことの難しさがある」
-金森さん「舞踊家は音楽に合わせることに慣れているが、『音になる』っていうのはどういうことか。「(音が)来る」と判っていることではない。音の呼吸・強度を身体化するという完全にはなし得ないことを21人に求めた」
-井関さん「音に合わせすぎると、音に見えない。外からの目がないと成立しない」
-金森さん「一人ひとりが演奏者であるということが肝。自分が動いたことで、その音が発されているように見えることの難しさ」

Q:しんどいとき、それを超える秘訣は?
-井関さん「体力は、稽古でも頑張ってMAXやるが、本番でガンガンあがっていく」
-金森さん「身体は記憶する。最初の通しは滅茶滅茶しんどいが、そのしんどさを求めちゃったりする。これが危ない」
-井関さん「それに酔っちゃったりするのが危ない。語弊はあるが、作品を超える体力と精神力があって、しんどそうに見えて、しんどくないのがベスト。表現の幅が増えてくる。身体も精神も鍛える稽古、また、本番では最高の作品にするべくコントロールすることが重要。身体でやり切って、その先に見える何かを頭を使って見つけて、身体で試す」
-金森さん「舞踊家は馬であって、同時に騎手である。しかし、騎手であり続けながら馬を鍛えることは出来ない。鍛錬は馬にならなければ出来ない。馬が仕上がった後から、騎手が来るというバランスがいい」

Q:踊った後、どれくらいすると食欲がわくものか?
-金森さん「すぐは無理。でも、作品による」
-井関さん「本番の時は『食欲』はない。『食べなきゃ』っていう感じで『義務』。『完全にコレ、仕事だな』って思ったことも」
-金森さん「遅くならないうちに、できるだけ身体にいいものを、って感じだが、美味しいものの方が入り易い。当然、幸せにもなるし」

*照明や装置の微細な違いに気付く舞台人のビビッドさについて
「なんかちょっと違う。今日、(照明が)眩しい」って言って怒り出すのが「佐和子あるある」と金森さん。「で、照明家さんたちが『えっ、変えてないです』ってザワザワってなる。(笑)でも、厳密に言うと、毎日、照明はチェックで触っている。で、微細には変わっている。どれだけビビッドな感覚で舞台に立って感知しているかは、多分、照明家さんには想像できない」(金森さん)

Q:『Fratres』のお米は使い回しか?
-金森さん「はい。演出部さんが、毎回、終演後にザルでほこりを取っている。降らしたときに詰まっちゃったりするので。金銀山の砂金採りかみたいなレベルで」(笑)

Q:リノリウムのペイント、そのコンセプトは?
-井関さん「近々、映像をアップする予定」
-金森さん「コンセプトを伝えて、(俺以外の)メンバーみんなで塗ったもの。そのコンセプトは上から落ちてきてバチャ。みんなのは噴水みたいにバチャ。まあ、似てるんだけど、上から落ちてくることが…」
-井関さん「みんなで話し合って、やっぱりちょっとずついこうと。ひとり一色ずつ持って」それで、「これ、いけるんじゃね」と最初は井関さんから塗っていった。「踊っているとき、毎回、一瞬、海のような、波のようなエネルギーを感じた」
-金森さん「プレヴュー公演やっているときに、何かが必要と感じていて、『ああ、これか』と気付いたもの。『春の祭典』の色彩の爆発、色の欲情みたいなものを精神的な爆発として付与したかった。アクションペインティングのように上からペンキを落とそうと思ったが、さすがに、劇場の人に『大変なことになるからやめて下さい』と言われて…」

Q:『春の祭典』創作で一番苦労した点は?
-井関さん「一番というと、やはり楽譜読み。ホントに時間かかったし、待つ時間も長かった」
-金森さん「ユニゾンもそんなになくて、一人ひとりに振り付けていたから」
-井関さん「楽譜とにらめっこしていて、これはホントにダンスの作品なのかと。最初の1、2ヶ月くらいは」

Q:ふたりにとって、踊り・振付が「腹落ちする」っていうのはどのような感覚か?
-金森さん「踊っていて、『コレだ』って思うときってことなら、それが判るってことが『経験』なのかなと思う。今にして思うと、若い頃は、腹まで落ちないで、肺ぐらいで止まっていた気がする」
-井関さん「完璧な踊りはないが、その瞬間、光を浴びて、そこに集中していられているときが一番納得できるときか」
Q:振付が自分のものになり、無意識・ナチュラルなかたちで踊れるといった感覚か?
-井関さん「無意識はない」
-金森さん「おおっ、佐和子だねぇ。オレ、無意識だからね」
-井関さん「リハーサルで計算をとことんしておいて、そこからどれくらい外れたところへ行けるかっていうか」
-金森さん「結局、完全にはコントロールし得ないものをコントロールしようとしているから、どちら側に立つのかで違うし、この身体っていうのが凄い矛盾で、そういうものと向き合うことが踊ること。観てて感じる感想とは違う」
-井関さん「ここ最近になって、やっと、バランスっていうのが計算じゃないってことが判ってきた。その瞬間瞬間に選び取っていくこと、それが楽しいなと」

Q:『春の祭典』のキャスティングはどのようにして行ったか?
-金森さん「ホントに直感的なインスピレーションによった。楽器の音色からどのメンバーを想起したかっていうこと。癖も性格も判っているし、音色が舞踊家のもつエネルギー等に合うかどうか、という感じ」

Q:今後、『火の鳥』『ペトルーシュカ』に取り組む予定は?
-金森さん「『火の鳥』はNoism2のために作ったものがあり、それはいつかやりたい。『ペトルーシュカ』は『いつかやるのか?』と…、特に予定はないけど」

Q:昨年の「サラダ音楽祭」の演目、再演はないのか?
-金森さん+井関さん「『Adagio Assai』と『Fratres』に関しては、特別決まっているものはない。今回はジョン・アダムズの新作『ザ・チェアマン・ダンス』。42歳・井関佐和子、走れるのか。(笑)それと20年間、点で踊ってきている『Under the Marron Tree』。e-plus『SPICE(スパイス)』の記事を見てください」
-金森さん「『春の祭典』はいずれそのときのメンバーで再演するだろうし、『夏の名残のバラ』はやる予定がある」

…等々と、そんな感じですかね。疲れていた筈のおふたりでしたが、多岐にわたる質問ひとつひとつに丁寧に答えてくださっていました。その様子、是非ともアーカイヴにて全編をご覧ください。そして次回は「サラダ音楽祭」後かな、と予告めいたものもありましたね。楽しみにしています。

それでは、今回はこのへんで。

(shin)

Noism「春の祭典」埼玉公演の千秋楽へ行ってきました♪(サポーター 公演感想)

☆ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』(2021/7/25@彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉)

青い空と白い雲というまさに夏真っ盛りの天気の中、Noism「春の祭典」埼玉公演の千秋楽へ行ってきました。

青空と夏の雲と「春の祭典」の大看板
大ホールへ向かう大階段
空が気になる日でした。

本日は新型ウイルス禍なしては大盛況で、1階席だけでは収まりきらず2階席も解放していました。
客席には東京バレエ団の方もいらっしゃったようです。11月に金森さん演出振付のバレエ「かぐや姫」が初演されますが、そちらも楽しみです。
Noismの客席はいつでもどこでも静かですが(何故?)、このような情勢下では安心感がありますね。

開始のベルからしばらくして客席が暗くなり「夏の名残のバラ」が始まりました。井関さんの美しい踊りも素敵ですが、アップで映し出される人形のような顔も強烈な印象があります。
この作品の着想は恒例の篠山紀信さんによるフォトコールのように思いますが、私はカメラマン(山田勇気さん)の佇まいが好きです。

「BOLERO 2020」は映像作品。これまで何回も観ていますが、大画面でみると視点が変わりますし、何より劇場のスピーカーで聴けるので音響が素晴らしいです(演奏者の咳まで録音されていることに気づきました)。
私自身も最近になりZOOM会議の機会が増え(会議メンバーが突然踊り出したら面白いだろうな)、と思いながら観ました。

すかさず幕が上がり「FratresⅢ」が始まります。「Fratres」シリーズはずっと観続けてきましたが、Ⅲになってやっと(これはベジャールの「ボレロ」だ)と思うようになりました。どうやら今ツアー以降の上演は未定のようですが、折々に上演してもらいたい作品です。

休憩の後は「春の祭典」。メンバー総出演の舞台はこれまでも劇的舞踊シリーズでありましたが、全員が一斉に舞台上で踊るのは初めてではないでしょうか。
金森さんが語る(音楽の可視化)、冒頭はそれぞれダンサーが楽器を分担している事がはっきり認識できますが、徐々にその分担ルールは緩やかになり、次第にひとつの音楽としての大きな動きと共にストーリー性を持って進んで行きます。
私自身は舞踊をしないせいか、舞踊を観る際に無意識に表情を追いがちになります。Noism版「春の祭典」は病人風メイクとボサボサの髪により、表情が分かり辛く、プレビュー公演時は正直面食らったのを覚えています。
一見すると見にくいことも現代を表すために敢えて用いているのでしょうし、実際ダンサー全員が「春の祭典」の住人になりきっていて圧巻でした。

カーテンコールでは鳴り止まない拍手と増えていくスタンディング。昨日は後ろの席で躊躇してしまいましたが、今日は私もピシッと立ち上がりました!
直前にみたオリンピック表彰式で、無観客のためその場にいる選手・関係者が一生懸命メダリストを称賛する姿に感銘を受け、私も良いものはきちんと称賛したいと思いました。

さあ、あとは札幌の大千秋楽を残すのみです。気になるメンバーの去就も明らかになっているかもしれません。私もワクチンの副反応次第ですが、可能な限り見届けたいと思います。

おまけ…与野本町駅構内にツバメの巣。乗降客や放送の音がすると「親が来た」と思って口をあけて鳴き始めます。

(かずぼ)

心に響くもの(サポーター 公演感想)

☆ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』(2021/7/24@彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉)

私の初日となった、さいたま2日め。
タイトルは『春の祭典』だけど、4作品をたっぷりと。

どれも全くの初見ではないので、あの時はあんな印象を受けたなぁ…とか、あの時の自分はあんな状態だったなぁ…とか、うっすらと思い出しながら、ゆっくりと作品世界に入ってゆく感じ。

もう1年以上、多くの人たちが孤独と向きあい、胸に祈りをいだき続けている。
Noismの舞台も、様々な姿をした孤独と、祈りに満ちている。そして、(単純ではないけれど)希望もまた。
見る人によって、見る時によって、心に響くものは変わるだろう。

さいたま千秋楽は、私も千秋楽。
どうぞつつがなく。

(うどん)

劇場外のポスター
おまけ…与野本町駅前、真夏のお疲れ気味のバラ

「ランチのNoism」#12 : 三好綾音さんの巻

メール取材日:2021/6/5(Sat.)

感動「てんこ盛り」状態のストラヴィンスキー没後50年 Noism0+noism1+Noism2『春の祭典』公演も、まず、皮切りの新潟公演を終え、次の埼玉公演まで2週間を切りました。このタイミングで、ご好評を頂いています連載企画「ランチのNoism」第12回をお届けしようと思います。今回ご登場願うのは、クールで落ち着いた雰囲気を漂わす三好綾音さんです。そのランチや、如何に。では、一緒に覗いてみましょうか、三好さんのランチ。

♫ふぁいてぃん・ぴーす・あん・ろけんろぉぉぉ…♪

今日もりゅーとぴあ・スタジオBに舞踊家たちの昼がきた♪「ランチのNoism」!

*まずはランチのお写真から

“So Cool!!”
クールな三好さんのクールなランチ

1 今日のランチを簡単に説明してください。

 三好さん「サラダです。上に乗っているのは高野豆腐とズッキーニ、エリンギを炒めたものです」

 *おお、これはクールな印象の三好さんに違わない、相当クールな感じのランチとお見受けしました、…って「冷やしている」ってことじゃありませんよ。見かけがクールってことです。「カッコイイ」という意味も込めて。そしてまたまた量は少なめながら、高野豆腐があるお陰で、満足感は得られそうな…。でも、もっと食べたいかな、私なら。

2 誰が作りましたか。普通、作るのにどれくらい時間をかけていますか。

 三好さん「朝、10分くらいで準備します」

 *「10分」!もう最初から手の込んだものは目指さないっていう割り切りに充分、三好さんの「ランチ哲学」の一端を見るような思いが致します。

3 ランチでいつも重視しているのはどんなことですか。

 三好さん「消化の早さと、野菜の栄養をしっかり摂ることです」

 *やはりランチの背後に相当色々考えるところがあることを窺わせますね。好きな物を食べて寛ぐっていうのではなく、時間をかけずに準備して、それでいて、効果MAXとなるような「哲学」が存在するランチ。ここまでくるのに色々試行錯誤はあったのでしょうが、コレ、ある意味、究極かも。そんなふうに思えるランチ、う~ん、三好さんっぽい。

4 「これだけは外せない」というこだわりの品はありますか。

 三好さん「ビタミン類が摂れる野菜です。いつもほうれん草か小松菜か、ブロッコリーです」

 *またまたストイックな響き。ランチに求めるものにブレがないんですよね。「踊るための身体」から導き出されたランチ。そのストイックさに打たれます。

5 毎日、ランチで食べるものは大体決まっている方ですか。それとも毎日変えようと考える方ですか。

 三好さん「食材に変化はありますが、基本的には決まっています。ほうれん草か小松菜、食物繊維のキノコ類、たんぱく質は鶏肉か、ゆで卵か高野豆腐が多いです」

 常に身体に向き合いながら、削いでいって、削いでいって、…ひとつの「ランチ道」を極めようとして至った感じ。もう「黒帯」って域に達しているかのような風格すら漂ってますね。お見事!

6 公演がある時とない時ではランチの内容を変えますか。どう変えますか。

 三好さん「公演の時はサラダがお味噌汁になります。よりお腹に負担がかからないですし、ツアー先でも必ず買えるものなので」

 -公演の時のランチはお味噌汁だけになるということでしょうか。主にお求めになるお味噌汁の具材などを教えて下さい。

 三好さん「ゆで卵も食べます。ゆで卵は普段から2個くらい持っていて、ランチに食べたり、休憩の時に食べたりしています!新潟の家の時は冷凍のほうれん草としめじとかが多くて、インスタントを買うときは茄子のお味噌汁が好きです」

 *ゆで卵もありって聞いて、ちょっとホッとしました。あと、お味噌汁の具材のところで、「好き」ってワードが出て来たことにもちょっとホッとしたりして…。(笑)

7 いつもどなたと一緒に食べていますか。

 三好さん「いつもカイ(・トミオカさん)スティーヴン(・クィルダンさん)と同じテーブルに座ります。最近はせなさん(=井本星那さん)とお話しながら食べています」

 *この日のお写真がこちら。

 左手前から奥に向かってスティーヴン・クィルダンさん、カイ・トミオカさん、そして坪田光さん。その向かい側、右奥にジョフォア・ポプラヴスキーさん、そして右手前が三好さんですね。

8 主にどんなことを話しながら食べていますか。

 三好さん「せなさんとは、食べ物の話が多いですね。この食材が体に良さそうだよーとか、色々情報交換をさせてもらっています」

 *井本さんとの「情報交換」のなかで、最近気になる食材など訊ねてみましたら、「オートミールです。先日はせなさんから小分けのオートミールを頂きました!」(三好さん)とのお答え。こちらの話題も掘り下げると、どんどん深いものになっていくのでしょうが、入口のほんの浅いところしか訊ねられませんでした…。スミマセン。(汗)

9 おかずの交換などしたりすることはありますか。

 三好さん「つい最近せなさんにキヌアをお裾分けしたら、美味しいキヌアサラダになって返ってきました!とっても美味しかったです」

 *おっと、またまた深みのある展開になってきましたよ。今度は頑張って、ちょっとこの「沼」にハマってみましょうか。

 -三好さんはいつ頃、どういうきっかけでキヌアを知ったのですか。また、新潟でも買えるのでしょうか。

 三好さん「さわ(=井関佐和子さん)さんにお借りした疲労に関する本に、キヌアやアマランサスの穀類はカリウムとか、マグネシウムが豊富でむくみやストレスに良いと書いてあったので、サラダのバリエーションにもなると思って買ってみました。プチプチした食感が好きでとっても気に入っています!私は新潟ではあまり見かけないので、アマゾンで購入しました」

 -キヌアをいつもはどのように調理して食べていますか。ランチに持ってくることはないのでしょうか。

 三好さん「茹でて、トマトやきゅうり、パプリカとなどと混ぜます。オリーブオイルと塩コショウ、レモン、バルサミコで味付けするのがお気に入りです。先日インスタグラムのストーリーにキヌアサラダを上げていたのでその写真を送ります」

 *ってことで、送っていただいた写真がこちらです。

キヌアサラダ調理中の図

 *どうも有難うございます。「ストーリー」用ってことで、コメント解説まで入っていて嬉しい限りです。で、件の「キヌアサラダ」、「研修生カンパニー」から「プロフェッショナルカンパニー」へ昇格って感じですかね。色鮮やかでとても美味しそうです。他に目を移してみますと、Noismメンバーのお買い物上手の側面は三好さんの「酢にんじん」にも!こちら、必殺、イトーヨーカドーでしょうかね。

10 いつもおいしそうなお弁当を作ってくるのは誰ですか。 料理上手だと思うメンバーは誰ですか。

 三好さん「ランチは、ゆかさん(=浅海侑加さん)のサンドイッチがいつも美味しそうだなぁと横目に見ながら思っています。」

 *おお、ニーチェじゃないですけど「人間的な、あまりに人間的な」な側面も!クールな三好さんが横目で見ながら食事をしている図、想像しただけで可愛いですよね。…失礼しました。で、料理上手の話はまだまだ続きます。

 三好さん「料理は、さわさんやゆかさんが作る料理は本当に美味しくて憧れます。でも皆も本当に上手です!まや(=西澤真耶さん)は家に行くと必ず美味しい常備菜?を出してくれますし、以前持ち寄りパーティーをしたときは、チャーリー(・リャンさん)は餃子だったり、ジョフはキッシュだったり、スティーブンはスイーツだったり、皆それぞれに得意なものがあって、全部美味しかったです♪」

 *おおっと、とてもとても全て掘り下げる訳にはいきませんから、前回の「ランチのNoism」に登場してくれた西澤さんとのやりとりに絞って訊いてみましょう。

西澤さんの「常備菜(?)」について、少し具体的に教えて下さい。

 三好さん「私がまやの常備菜で一番大好きなのは、セロリといかくんをオリーブオイル?であえたものです。いかくんを料理に使うのにびっくりして、しかも超簡単でとっても美味しいんです!まやはツアーに行ったときなども、スーパーで安くて美味しくてホテルで食べれるものを見つけてくる天才で、よく一緒にスーパーに行って、まやのかごに入ってる物を見てそれどこにあったの?!って聞きます(笑)」

 *おおっと、「いかくん」ですか?…それ、「さかなクン」とは違う感じで、いかの燻製のことですよね。(…って、間違う筈ないか。)いかにも(…って、クドい(笑))ハイブリッドな料理ですね、西澤さん。三好さんとは路線が違う。でも、「天才」と評されたスーパーでのお買い物も含めて、西澤さんのキャラが見えてくるような逸話には、前回、西澤さんが紹介してくれた三好さんの「無限にんじん」と併せて、料理面でインスパイアし合っているふたりの構図も見えてきて、この「沼」にもハマってみてよかったなと思いました。三好さん、諸々、どうもご馳走様でした。

今回も締め括りに、三好さんからのメッセージをご紹介しましょう。

サポーターズの皆さまへのメッセージ

「いつも私達の活動を支えてくださり、ありがとうございます。また次の公演をお見せできる日まで、皆様も、私達も、健康で安全な日々を過ごせますように願っています!」

さあ、そんな「次の公演」は埼玉での公演。今回、本公演として「初演」となるNoism版『春の祭典』では、井関さんに続いて2番目に姿を現すのが三好さんです。彼女を含めて、全員が渾身の舞踊で魅了する舞台は映像舞踊を含めて4演目。もう超豪華ですから、どうぞお楽しみに。

本日はここまで。今回もお相手はshinでした。では、また。

(shin)

Noism0 / Noism1 『Duplex』

稲田奈緒美(舞踊研究・評論)

 コロナ禍により多くの劇場公演が制約を受ける中、感染対策に万全を期して、Noism0 / Noism1公演『Duplex』が開催された。客席は一人置きのため観客数は減ったが、観客が舞台を欲する思いは変らない。会場となった彩の国さいたま芸術劇場の小ホールは客席がすり鉢状に並んでおり、通常は舞台と客席の間を仕切らないオープンな使い方をする。ところが今回は、舞台と客席の間に幕を吊るし、その両側に袖を作って、額縁舞台(プロセニアム舞台)に仕様を変えた。小空間に敢えて作られた額縁舞台を、まるで西洋近代劇の第四の壁から部屋を覗き込むように観客が見つめる中、客席が暗くなり、Noism 1による『Das Zimmer』(振付:森優貴)が始まった。

 うっすらと照らし出される空間に、スーツ姿の男たち。鍵盤楽器のくぐもった音が、朧げな記憶のかなたから聞こえて来るかのように流れている。立ちすくむ男たちの身体から、声にならない感情がにじみ出る。物語が始まることを期待しながら観客が凝視すると、暗転により中断される。薄暗い照明がついて再び男たちが現れるが、再び暗転。途切れ途切れの薄暗がりから徐々に明るくなると、数脚の椅子と男女が姿を現す。男女はまるでチェーホフやイプセンの芝居の登場人物のような、かっちりとした上流階級風のグレーのスーツやスカートを纏っている。やがて舞台奥に横一列に並べられた椅子に、凍るような男と女10人が座り、一人あぶれていた黒いスーツ姿の男が去ると、残された10名によるドラマが動き出す。

 とはいえ、ダンスは演劇のように一貫した物語や登場人物に従う必要はない。むしろセリフ劇とは異なり、誰のものともわからない、言葉にならない感情の切れ端が動きとなり、踊りとなり、次々と変化していく。シーンが変わるたびに椅子の配置が変わり、異なる空間が現れる。その中で、女たちは複数で、あるいは一人でスカートを翻しながら突き進み、佇み、躊躇い、男たちはスーツ姿で走り、怒り、のたうち、踊り続ける。そこにいる男女は親子なのか、兄弟なのか、夫婦なのか、役割が固定しているわけではなく、シーンごとに親密さ、思慕、反目、疑心など様々な関係性が、視線や身振りによって象徴的に、あるいはダイナミックなダンスによって現わされていく。観客はそこに起きては中断される、様々な思い、感情、関係性、ドラマを見つめ、いかようにも解釈しながら、それが積み重なっていく重みを感じていく。

 やがて、くぐもった鍵盤音が徐々に輪郭を現わしてピアノの音に変わると、ショパンのピアノ曲であることが分かってくる。ピアノが次第に音を増してオーケストラが加わると、黒服の男が再び現れる。男女10人が暗転で繋いだドラマの断片に、黒服の男が介入し、歪められた身体で狂言回しのように紛れ込んでいくのだ。

 ラフマニノフの前奏曲「鐘」が重々しく鳴り響き、舞台の空気が一変する。荘厳なる悲劇性が波となって男女を押し集め、密集し、かたまりとなって個別性を失い、舞台から消えていく。残ったのは、黒服の男と女が一人。だが男の身体は、時間の中へ溶けていくかのようにねじ曲がり、薄れていく。それは彼の肉体的な死を意味するのか、記憶の中で彼が消えていくことを意味するのか、解釈は自由だろう。男の姿を見届けて、女は屹然として舞台奥の眩い光の中へと歩んでいく。女は現実の世界に戻るのか、未来へ進むのか、彼女の行く先を決めるのは観客である。

 振り付けた森優貴によれば、作品名の『Das Zimmer』はドイツ語で「部屋」という意味だそうだ。覗き込んだ部屋で、次々と起こっては中断され、完結することなく形を変えていく物語に、観客は感情を揺さぶられ、自らの思いを投影し、あるいは忘れていた記憶が呼び起こされ、吸い寄せられていった。誰かの一つの物語ではなく、誰でもあり誰でもない、無数の物語。多国籍で多様なダンサーたちなればこそ、次々とこの部屋で起こる無数の物語に、色とりどりの意味を加え、さまざまな角度から光を当てることができる。森優貴とNoism1のメンバーが共に作りあげたその部屋は、小空間に閉ざされながら、観客に対して無限大に開かれていた。

『Das Zimmer』
photo by 篠山紀信

 休憩をはさんで第二部は、金森穣の演出・振付、Noism0の出演による『残影の庭~Traces Garden』。これは2021年1月にロームシアター京都開館5周年記念として、上演されたばかりの新作だ。雅楽の演奏団体として伝統を守り、かつ現代の革新に挑んできた伶楽舎と共に創作された。演奏されるのは、武満徹の《秋庭歌一具》。金森にとって雅楽でダンスを振り付けることは初めてであり、持ち前の探求心でその背景に流れる歴史、文化、社会までを掘り下げ、武満徹をそのコンテクストに置き、考えを深めながら創作に挑んだようだ。観客としても、この刺激的な組み合わせに期待しないはずがない。

 舞台の幕が上がると、三方の壁には九つの燈明のような灯がともされ、チラチラと風に揺らいでいる。舞台中央には、雅楽の敷舞台のような正方形が敷かれ、日常の喧騒から離れた静謐な空間が設えられている。そこに三人のダンサー、金森穣、井関佐和子、山田勇気が現れる。三人が身につけているのは、合わせ衿の直垂のような衣装。しかし袖がないため腕は剥き出しになっている。身体のラインを消す衣装から突き出た腕が、肉体の温もりと塊としての密度を保ちながら、滑らかに動くかと思えば、抽象的な舞楽の舞の型も取り入れ、厳かに、優美に動いていく。三人がそれぞれの場を踏み固めるようにユニゾンで踊り、また、前後に重なって千手観音のような形象も見せる。まるで人から、何ものかへ変わるために場と身体を清める儀式のようだ。

 天井から赤い衣装が降りてきて、吊るされた形のまま、井関が頭からスルリと衣装に入り込む。狩衣のような形をしたそれは、しかし柔らかな素材のため、井関の動きに合わせて軽やかに揺れ、裾が翻り、袖が腕に巻き付く。金森、山田とのコンビネーションでは、井関はまるで重力に支配されていないがごとく、軽やかに宙に舞い、空を泳ぐ。雅楽の音に同化するかのような軽やかさを、柔らかな衣装の動きがさらに増幅して見せている。このような無重力のイリュージョンは、ロマンティックバレエのバレリーナたちがトゥシューズを履き、チュチュを着て、青白いガスライトに照らされて暗い森の中に浮かび上がることで現出させたものである。しかし、井関たちは西洋の妖精たちのように天上を目指すのではない。空気や風となって、音と共に空間に溶け込んでいくのだ。これまでのNoism作品では、生きる身体の熱量を空間に刻み、痕跡を残していくような作品が印象に残っている。一方、この作品では雅楽の音が空間に溶け込みながら響きわたるように、身体の物質性は希薄になり、現れては消え、見る人の中に残像のみを残していく。空気の流れ、風を身体によって視覚化し、空間に溶け込むことで身体の存在を止揚しているかのようだ。

 すると、山田が大きな枯れ木を背中に担いで舞台に現れる。先ほどまでとは正反対の、重力にまみれた巨木とそれを運ぶ人。唐突な具体性に驚きながら、物語の始まりを予感する。山田がその木を床に据えると、舞台は昔話や説話の世界に見えてくる。山田は茶色、金森は黒の狩衣を身につけ、3人のダンサーは再び人に戻り、女や男という意味や関係性を纏って物語のワンシーンのように身振り、手ぶりを挟み込みながら踊っていく。しかしそれは、特定の物語ではなく、物語が形作られる前の原型のような、言葉になる前の音と風が渦巻く状態だ。

 そして三人は狩衣を脱ぎ、鎮めの儀式をするかのように意味をそいだ身体で踊る。彼らの呼吸が音に溶け、風に溶け、身体が風そのものになって秋の庭に残っていくように。

『残影の庭~Traces Garden』
photo by 篠山紀信

 振付、構成も音楽も対照的な二作品を見終えて、何か通底するものを感じた。ひとつの形として統合され、塊として完成されていくことへの躊躇い、疑い。私たちが確かさとして感じていたものが、分断され、中断され、希薄になり、記憶という時間へ、呼吸という風へと変わっていく。それは破壊や分断、消滅ではなく、むしろダンスによって描き出す身体が時間と風になることで、連続性を取り戻すかのようだ。この二つの作品には、今という時代が投影されている。

(2021.2.26(金)19:30~/彩の国さいたま劇術劇場・小ホール)

PROFILE  |  いなた なおみ
幼少よりバレエを習い始め、様々なジャンルのダンスを経験する。早稲田大学第一文学部卒業後、社会人を経て、早稲田大学大学院文学研究科修士課程、後期博士課程に進み舞踊史、舞踊理論を研究する。博士(文学)。現在、桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修准教授。バレエ、コンテンポラリーダンス、舞踏、コミュニティダンス、アートマネジメントなど理論と実践、芸術文化と社会を結ぶ研究、評論、教育に携わっている。

【インスタライヴ-13】佐和子さんの受賞と埼玉公演終演とが相俟ってのテンションMAXトーク

『Duplex』の埼玉公演を終え、佐和子さんの芸術選奨文部科学大臣賞受賞が発表された翌日、2021年3月4日(木)の20時から、穣さんと佐和子さんによるテンションMAXのインスタライヴが届けられました。その模様を少しだけ採録致します。

*佐和子さん、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞 

  • 穣さん「やっと言えた。我慢するのがしんどい。人目につかないところで小躍りしていた。はしゃぎ過ぎ、オレ」
  • 佐和子さん「新潟公演の休演日にニュースが入ってきた。穣さんが数十倍喜んでくれた」
  • 穣さん「努力って報われるんだな」「これだけやったら届くんだな」「見ててくれる人いるんだな」
  • 佐和子さん「恩返しが出来るという意味で、賞は嬉しい」「私のことを自分以上に早くから認めてくれていた(共にお亡くなりになった)浦野さん、山野さんの凄いエネルギーが降ってきたんじゃないか」
  • 佐和子さん「受賞理由のなかの『新潟発の日本を代表する舞踊家』は本当に嬉しかった。ここ(りゅーとぴあ・スタジオB)がなければ、日本で踊っている可能性は凄く少なかった。17年間」
  • 穣さん「金森穣の作品を体現するだけでなく、振付家・金森穣を触発するミューズ」
  • 佐和子さん「ド根性で穣さんの背中を追いかけているだけじゃなく、ここ最近は、穣さんの背中を見つつも、自分の道を行かなければならないという思いになってきた」「踊ること、創作することが違うベクトルを走り始めた感じ」「受賞で、ここから突き詰めて良いんだなという自信が得られた。何も守らなくていいんだと思えた」

*『残影の庭』埼玉公演(4日間で5公演)

  • 天井の高さ・客席形状の違いから、照明を作り直さざるを得なくなり、ゲネプロがやれなくなってしまった。
  • 穣さん「照明によって、世界観が全く違っちゃう」「小さいホールほど、照明は緻密な計算が必要」
  • 「テクラン」という名の通し稽古を入れて6回踊った埼玉。
  • 2回公演の日は精神的に大変だっただけでなく、関節が柔らかくなり過ぎて止まれない、身体に小さなブレを体験。

*今回の作品『残影の庭』本番直前のタイミングの話

  • 佐和子さん: 本番3分前、最後に水を飲む。本番1分前、穣さんと勇気さんの全身をチェックする。←気になって、自分の集中力が削がれないように。
  • 穣さん「せめて、3分前にして。1分前に何かあったら、めっちゃ動揺するから」
  • 佐和子さん「3分前は『水』だから」(笑)

*『残影の庭』の羽衣衣裳について

  • 堂本教子さんによる衣裳、発案は穣さん。
  • その軽さに3人とも一度はパニックになったことがあるとのこと。
  • いつか展示できたら、触れて頂きたいとのこと。
  • 3人とも2着ずつあるのだが、2着とも、その繊細さのため、完全に一緒にはなり得ない。練習用と本番用とで感覚に違いがある。
  • 衣裳を着けなければスルスル楽な動きも、衣裳を着るとそうはいかなくなる。衣裳のお陰で、3人のなかで無言の会話をしていた。3人で踊っていたのではなく、6人で踊っていた感じ。リッチな体験だった。

*そのほか、『残影の庭』について

  • 佐和子さん「作品を通して一番難しかった動きは、その場で立ち止まって、ただ回る、ただ方向を変えることだった」
  • 穣さん「能の凄さを実感した」
  • また、能を模した6m四方のリノリウムに関しても、素材がゴムのため、若干広くなってしまうのだが、その僅か増した広さに身体が順応したことのほか、まじまじと見ずとも、そのリノリウムの黄色を視野角に収めて動いていたことなど繊細な体感の話も。
  • 再演したい。息の長いレパートリーになる。海外にも持って行きたい。(佐和子さんは屋外でもやりたいのだそう。)伶楽舎さんとまた「生」でやりたい。

*これから

  • 穣さん「埼玉の芸術監督に近藤良平さんが就任し、新国立は吉田都さん。舞踊の力をこの国で、社会に浸透させていけるよう精進したい」

ライヴのラストは、再び佐和子さんの受賞の話に戻り、穣さんから「最後にもう一度大きな拍手」が贈られて、ふたり大笑いのうちにジ・エンドとなりました。

いつもにも増して、終始ハイテンションで展開されていったこの日のインスタライヴ。細部にはこちらでは取り上げなかった楽しい話も盛り沢山。まだご覧になっていない方はアーカイヴでどうぞ。こちらからもご覧頂けます。

それではまた。

(shin)