2018年7月8日(日)、雨予報を裏切り、晴れるも、相当な蒸し暑さの一日。
感動のうちに、「新潟 3 DAYS」全3公演の幕が下りました。
この日のアフタートークでのSPAC・舘野百代さんの言葉を借りれば、
「一幕の丁々発止のやりとりから、このまま二幕も転がる感じがした」との、鼓動が高まり、「胸熱」だった新潟公演の楽日。
一幕の終わりにこの日も拍手が沸き起こり、(私も拍手しました)
終幕には「ブラボー!」の掛け声、(私も叫びました)
そしてスタンディングオベーション。(私も自然と立ち上がっていました)
回数を重ねたカーテンコールのラストに至り、
退団が決まっている中川賢さんと吉﨑裕哉さんに、
金森さんから情熱的な赤色が印象的な花束が手渡されると、
会場中から一層大きな拍手が贈られたこともここに書き記しておきます。
この日はアフタートークに先立って、
客席で一緒に新潟楽日の公演を観た篠田昭・新潟市長の挨拶があり、
「文化発信都市」を自認する一地方都市・新潟市にあって、
ここまでNoismが担ってきた役割の大きさについて話され、
今後も持続可能な活動を作っていきたいと結ばれました。
「ホーム」新潟・りゅーとぴあ公演における一大アドバンテージと言ってよい3日間のアフタートークには、
連日、Noism1からは、金森さん、井関さん、山田さん、
SPACからは、武石さん、貴島さん、舘野さんの合わせて6名が終演後の舞台に登場して、様々な質問に答えたり、色々なお話を聞かせてくださいました。
で、ここからは、今回の分厚い力作『ロミジュリ(複)』を観るにあたり、
期間中のアフタートークから、
読んでおけば、少しは参考になる事柄などを少しご紹介していきたいと思います。
ネタバレはしないつもりですが、それでもご覧になりたくない向きには、
この下の部分(☆★を付した部分)をそっくり読み飛ばしていただきますようお願い致します。
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〇井関さんの役柄「ロザライン」: 原作では直接登場してこない役どころながら、「元来、物語全体がメインの人物だけに付随する構造は好きじゃない。
ほんのちょっとしか登場しない人が見ている世界の方が豊かなこともあり得る」(金森さん)ということで、ロザラインの比重が大きくなったのだと。
ロザラインはアンドロイドの看護師(全機、両手に手袋)、
他の看護師ふたりは歪な体はしているが、人間、
金森さんが演ずる医師ロレンスは半人半機(片手の手袋)の存在。
◎その井関さん: 「一番楽しいシーンが一番大変で、大変過ぎて笑っちゃうくらいだった」と明かす。←きっと「あの」シーンです。
〇患者たち、チームC(奇数)とチームM(偶数)について:
「キャピュレットは奇数っぽかったし、モンタギューは偶数っぽかったので、そういう患者ナンバーを割り振った。(笑)」(金森さん)
彼らはみんな、ナンバー化され、ナンバーとして管理される存在。それぞれの背中、縦一列にナンバーが付けられている。
◎彼らの体のあちこちに貼られたテープ2種の意味合い:
暖色(オレンジ)→パワーアップしている部位、
寒色(青緑)→マイナスがかった部位、 をそれぞれ示している。
【例】山田さん演じるポットパンは頭に「寒色」: おつむが弱い。
5人のジュリエットたちも喉に「寒色」: 発話しない(できない)。
反対に、ティボルト(中川さん)は両手が「暖色」、
マキューシオ(シャンユーさん)は両足が「暖色」。
〇両足「寒色」で車椅子のロミオについて:
「車椅子を押してまっすぐ行くのも、曲がるのも難しい。人の体なら通じるのに、物はなかなか通じない」と井関さん。
ロミオ役の武石さんは「車椅子での事故はなかった。愛があった」と。
◎精神病院でのロミジュリ、あるいは、多様性(diversity)と包括性(inclusiveness)の問題:
「今の時代を言い現わす象徴的な2語だろう。
多種多様な人たち、多種多様な趣味嗜好、多種多様な価値観が混在する世界。
それはどのように包括されたらよいのか。
『視線』が複雑なものにならざるを得ないのが、まさに(現代の)世界。
今回の作品も同じ。そのどこを見て、何を感じるのか。
作品に正解を求めるのではなく、どう見るかを問いたい」(金森さん)
〇金森さんが師と仰ぐ鈴木忠司さんの『リア王』も精神病院を舞台にしていたが、その類縁性について:
「絶対、言われるだろうと思っていたが、好きなので、『まあ、いいや』と。
今回の『ロミジュリ』に関しては無自覚だった部分もあったのだが、
大好きなので、そういう文脈で観て貰えることは嬉しい」(金森さん)
◎実演家として大事だと思う事柄:
SPAC武石守正さん(ロミオ役): 「関係性。ある瞬間が切り取られたものが舞台。
他者との関係の中で、声も演技も定まってくる」
SPAC貴島豪さん(グレゴリー/キャピュレット役): 「見られている感覚。
本番までどういう準備をして、舞台に立つのか。
お客さんが舞台を観に来られる理由はさまざま。
何が観る者の心を動かすのか」
Noism山田勇気さん: 「関係性。例えば、武石さんが体から発しているものがあって、自分はそこにどう居るべきなのか、肌で受け止める。そうやって何かが生まれたら嬉しい」(そこで金森さんの「感受性だね」の言葉に一同頷く。)
〇シェイクスピア『ロミオとジュリエット』は「死ぬことでしか叶わない愛」を描くが、「今回のロザラインには『死ねないことの悲哀』を込めた」(金森さん)
(また、「ジュリエットたち」が果たしてどうなっていくかについても要注意、と書くことに留めておきます。)
・・・場合によっては、読み飛ばして欲しい箇所、ここまで。
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Noism1×SPAC劇的舞踊Vol.4『ROMEO & JULIETS』、
「お互い境界線を感じない、ひとつの舞台を創る舞台人」(井関さん)として、
舞踊家と俳優とががっぷり四つに組み、
渾然一体となって取り組んだこの野心的なクリエイションで、
双方の実演家の皆さんが異口同音に、
大きな刺激を受けたと語っておられたことも印象的でした。
それはひとえにどちらも「劇場専属」という在り方に関わっているのだとする金森さんの指摘にも首肯する他ない事実が含まれているように思いました。
また、「繰り返される一回性」や「一瞬、一瞬」という言い方も、
日頃の金森さんがよく口にされる「刹那」とピタリ重なり合って、
動かしようのない「舞台の真実」を物語っていました。
「繰り返す『一回性』」と語ったのは武石さん。
更に続けて、「舞台は日々模索し、発見するもの。
再現することが出来ないことも多いのだが、
再現しなきゃならない」とも。
で、井関さんが、「舞台は立たないとわからない。常に発見があり、
お客さんが入ると、本気を越えた本気になる」と言えば、
貴島さんも、「毎日、フルパワーでやっていても、日々違うものがある。
一回一回新しいものがどんどん生まれている。
いろんなところに『宝箱』があって、それを探しに行く感じ」と応じました。
山田さんは、「舞踊でも演劇でもない『劇的舞踊』がようやくわかってきた。
やっているなかで、見出すもの」と語り、
舘野さんも、「神秘的で曰く言い難い魅力」を指すらしい「ドゥエンデ」という
言葉を使って、それがあるのが舞台であると纏めました。
そんなふうに、舞台のうえで生まれる「一瞬、一瞬」を共有しに、
私たちも劇場に足を運び続けましょう。
…人生を豊かにするために♪
以上、力の及ぶ限りの「採録」を試みてみました。
ご覧になられた方にとっても、これからご覧になられる方にとっても、
僅かでも何かの参考にしていただけたなら、望外の喜びです。
さて、3日間、新潟の地に大きな驚きと感動をもたらした『ロミジュリ(複)』、
次は、週末7/14(土)、中川さんご出身の富山県はオーバード・ホールに参ります。
演出・振付家、舞踊家、俳優が揃って創りあげるこの渾身の舞台、
ゆめゆめお見逃しなきように!
(shin)