Noism×鼓童『鬼』記者発表に行ってきました!

日時:2022年4月22日(金)10:30-11:30(会場受付10:00より/オンライン受付10:20より)
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場 ホワイエ〉
登壇者:
・金森穣(りゅーとぴあ舞踊部門芸術監督、Noism Company Niigata芸術監督)
・原田敬子(作曲家)
・石塚充(太鼓芸能集団 鼓童)

曇り空ながら春らしい暖かさ。りゅーとぴあの桜は終わり、若葉が萌え出ています♪
会場の劇場ホワイエにはテレビカメラやビデオカメラが何台も並び、オンライン参加もあるということで、機械設備がなにやら物々しい雰囲気です。

*公演の詳細は、こちらのプレスリリースをご覧ください。▶Noism×鼓童『鬼』プレスリリース

上記資料が配布されました。司会は りゅーとぴあ坂内さん。

まずは金森さんがお話しされ、企画の経緯や作品について、「新潟」をテーマにしたいということ、作曲家 原田敬子さんとの出会い、鼓童 船橋さんとの対談等について話されました。上のプレスリリースをお読みいただけると、ほぼおわかりになると存じます。

続いて原田敬子さんです。
2019年 利賀村のシアターオリンピックスでの曲を聴いているので、どんな(怖そうな)人かと思っていたら、なんと、見目麗しく、スリムで、明るくて面白くて、もしかしたら天然入っている?と思わせるような方で驚きました!

原田さんは作曲のためのリサーチをされたそうです。シアターオリンピックスがあったので、2018年頃から頻繁に新潟に来ていたそうですが、この度は「新潟をテーマに」「新潟とは何か」ということで、Noism・鼓童見学のみならず、いろいろなお店の人にもリサーチし、新潟の政治、音楽、地形などの研究者も5名紹介してもらってお話を伺ったそうです。
新潟の人は真面目で堅実、土地に根付いたものを作っているという印象のようです。
今回の鼓童の出演者は、20代半ば~後半の若い新世代7名で、それに「声」が入るそうです。
全員楽譜が読めて、「太鼓が好き!」という個性豊かな面々で、「いろいろな鬼がいるな~」と思われたそうです。
「鼓童は40年の歴史があり、その前に鬼太鼓座として10年、合わせて50年の歴史がありますが、これまでは、能力の三分の一しか使っていないのでは」と話され(ビックリ)、「鼓童さんのからだの中が変容してしてしまうようなものになってほしい」と期待されました(二度ビックリ)。

続いて、鼓童 石塚充さん。
「Noismには以前から注目していて、自分は いちファン。いつかは共演したいと思っていて、ようやく実現した。一緒に稽古をして刺激を受けている。」
「原田さんの楽曲に取り組んでいるが、難しい。これまでの最高難度だが、得るものが多い。魂を注ぎ込んでいる。充実した時間である。早く観ていただきたい。」と話されました。

登壇者のお話が終わり、会場からの質問、続いてリモートでの質問となります。

かいつまんでご紹介します。

Q:原田さんにとって「新潟らしさ」とは?
-原田:Noismと鼓童が実現してくれると期待している。タイトルの『鬼』は鬼太鼓座の「鬼」にも由来している。鬼にまつわる民話も多い。鬼は人間が作り出したものであり、新潟発にとどまらず世界に通用するテーマ。心が邪鬼に襲われた、ネガティブな暴走を振り払いたい。

この回答に対し、金森さんから、
「鬼はネガティブなだけのものではない。負だけではなく、それを肯定し、光にもなりうるもの。」
原田さんも、「鬼太鼓の鬼はいい鬼です。」と。

Q:観客に示したいものは?
-金森:「新潟スゲェー!」
-石塚:スマホやパソコンなどで何でもできるような時代だが、生身のからだが素晴らしいことを見てもらいたい。

Q:作品について、新潟に住んでいる者として、お互いが受ける刺激について。
-石塚:特に意識はしていない。日々の体験が結果として出ていると思う。佐渡や新潟を意識しなくても面白い作品と思う。
-金森:我々は実演集団。からだに新潟が宿されている。
刺激と言ってもまだ4日のみだが、集団生活をしているせいか、鼓童は大人。向き合い方全てが真摯。
-石塚:Noismはからだの鍛え方が凄い。全力で磨き上げていく魂が凄い。
音楽を神様に捧げるときは、踊る人を通して届ける。これまでは自分たちのみの演奏を観客に届けていたが、今回は違う。 

Q:利賀村やサラダ音楽祭は別として、初めての生演奏だが。
-金森:太鼓の強烈な響き方がヒリヒリして面白い。自分も少し踊る。
-石塚:鬼はいい意味で人間のことであり自分たちのこと。身近な人たちへ、神様との橋渡しとして、人間のエネルギーを変化させて願いとして届けたい。

そのほか、同時上演の『結婚』についての質問もありましたが、とにかく劇場に来て、その場に身を投じて体感してほしいという金森さん、石塚さんの強い気持ちが伝わりました。

原田さんから、サービストーク?として、
「曲に旋律は無い。リズムがある。それは心臓の鼓動で、歪んだ3拍子。鼓動は洒落じゃないけど、鼓童が由来。鼓動が全曲に渡っていろいろな形で出てくる。それが新曲の特徴。」

-金森:7名の鼓童は14本の腕を持った鬼。14名のNoismは手(足)を28本持った鬼。

そして最後に金森さんから…
「これは公演の後に言おうと思っていたけど今言います。原田さんが一番『鬼』です!」

おあとがよろしいようで♪

(fullmoon)
(撮影:aqua)

新潟日報「Noism 脱皮への次章」、地域貢献に期待する声を報じる

2021年12月29日(水)の新潟日報朝刊は、前日分(「上」)に続き、文化面に「Noism 脱皮への次章」を掲載しました。前日のブログにて、3回展開かと予想しましたが、この日の掲載分は「下」とのことで、なら、「前編」「後編」の方が良くないか、とか思いながらも、その気持ちは棚上げし、(←こうして書いてしまっては、「棚上げにならない」の声も聞こえてきそうですが、)とにかく、「下」をご紹介します。

新潟日報・2021年12月29日付け朝刊より

今回は、新「レジデンシャル制度」のひとつの眼目でもある、「地域活動部門」設置に関する記事構成となっています。端的に言えば、前回の活動継続期に「課題」との位置付けがなされた「市民還元」の取組みに梃子入れをして、更に浸透度を増そうという体制に関するものです。

触れられているのは、市山流宗家、にいがた総おどり、全国大会で上位に食い込む高校ダンス部の活躍等々、「舞踊のまち新潟」を印象づける数々。

そのなか、まず紙幅が割かれているのは、新潟市洋舞踊協会の第9回記念合同公演(2020/10/4)、井関さんのほか、当時のNoism1メンバーだった林田海里さん、チャーリー・リャンさん、カイ・トミオカさん、スティーヴン・クィルダンさんが新潟市内のバレエ教室に通う若者たちと共演したのでした。作品は『畔道にて~8つの小品』、金森さんが一から振り付けた完全な「新作」でした。勿論、当日、私も客席からその舞台を観ていたのですが、「これはひとつの大きなメルクマールになる」、そう思って目頭が熱くなったものでした。

次にこの日の記事で見逃せないのは、「今期は初めて、市内の高校ダンス部出身者がプロカンパニー『ノイズム1』のメンバーになった」の1文でしょう。勿論、それは奇しくも、前日、本ブログ「私がダンスを始めた頃」に掲載した樋浦瞳さんのことです。そうしたことからくる期待もあるにはあるでしょうが、それ以上に、もっと純粋に、先般の『Endless Opening』で見せたその伸びやかな踊りに新鮮な魅力を感じた方も多くいらっしゃる筈です。かく言う私もそのひとりですけれど。で、その樋浦さんなら、新潟市や新潟市民とのリンクの役割を果たすことに不足はありません。そう感じた次第です。

記事に戻ります。その締め括りに置かれた市舞踊協会の若林さんの言葉、「金森監督には、今後も新潟を文化都市として成熟させるという大きな目標に向かって進んでもらいたい」。同感です。
そうした思いとは裏腹に、行政サイドは、恐らく、Noismのこれまでの「17年」を長いとみた部分もあるのでしょうが、決してそんなことはありません。新「レジデンシャル制度」で設けられた「1期5年」乃至「2期10年」の上限で目指される「目標」は、果たして大きなものたり得るのでしょうか。「文化都市としての成熟」はもっと長い射程で捉えられるべきものではないのでしょうか。金森さんが常々唱える「劇場文化100年構想」こそまず議論され、そして共有されて欲しい理想と言えます。

勿論、「国際活動部門」路線も重要な訳です。世界的にリスペクトを集める「余人をもって代えがたい」芸術監督・金森さん。彼がいてくれる新潟市の未来は明るい筈。真に文化的な方向での刷新を旨とする(庵野秀明氏ばりの)「シン・レジデンシャル制度」を求める所以です。

(shin)

地元紙・新潟日報、新「レジデンシャル制度」に関する記事を掲載

Noism0 / Noism1 『境界』東京公演の幕が下りてしまい、ファイナルの高知公演(1/10)まで、年末年始2週間の「Noism-less」期の今、2021年12月28日(火)、地元紙・新潟日報がその文化面において、「Noism 脱皮への次章」という記事を掲載し、新「レジデンシャル制度」について取り上げています。この日(12/28)分には「上」とありますので、あと2回が予定されているのでしょうか。
クリスマス期の耳目を集めた『境界』東京公演の感想がSNS各所を賑わせている現在、多くの方からの関心が寄せられるものと思われます。「新潟の動向には注目が集まっている」状況下、県外の方にもお読み頂きたく、ご紹介を試みたいと思います。

新潟日報・2021年12月28日(火)朝刊より

私も、本ブログを担当している関係からでしょうか、「市民サポート団体」として取材を受け、皆さんの気持ちを代表するだろう思いを話してきました。

金森さんが心血を注いだ17年という年月が折り畳まれているNoism Company Niigataの現在地。新潟で、東京で、あの『境界』ダブルビル公演を観た後の今、私の中にある、やはり「金森さんなしでは」の思いはより強固なものになっています。否、常に思うところに過ぎないのですけれども、それ。

このあと、(多分)「2回」(?)がどのような内容なのか。いずれにしましても、「No Noism, No Life.」の私たち「市民サポート団体」にとって、「Noism-less」の今であってみれば、次が待ち遠しい道理ではあります。
そして、そもそも、地元紙が取り上げる新潟市の新「レジデンシャル制度」ですが、その刷新振りで全方位的な大きな期待感を集める、言うなれば「シン・レジデンシャル制度」であって欲しい、否、そうしたものにしていかなければならないと思う年末です。
皆さんからのコメント、お待ちしております。

【追記】「Noism 脱皮への次章」翌日掲載分はこちらからもどうぞ。

(shin)

『境界』メディア向け公開リハーサルに行ってきました♪

12/9(木)久しぶりに晴れて、気持ちのいい一日となりました♪ りゅーとぴあ劇場で14時半~『境界』公演、山田うんさんの『Endless Opening』メディア向け公開リハーサルに行ってきました!

まず驚いたのは「台車」? ベッドのようにも棺のようにも見えますが、山田うんさんによると『身体(からだの象徴)』なのだそうです。

人は生まれるのも死ぬのもベッドの上で、生きている間は横たわっている時間がとても長い。生と死の象徴でもある、この台車(?)を自分の身体のように使いこなさなければならないのですが、ちょっと難しそう。『ロミオとジュリエットたち』の車椅子を思い出しましたが、それよりも難しいのでは。

でももちろん、ずっと台車と一緒にいるわけではなく、素晴らしいダンスを見せてくれます♪ 花のような風のような、見ていると優しい気持ちになります。「献花」「多幸感」「喜びの花束を渡したい」という、うんさんの言葉通りの踊りです。

音楽はボロディンの弦楽カルテット第2番 第1~4楽章で、とてもきれいな曲です。 衣裳は花のようにカラフルと聞いていますが、この日はまだ稽古着でした。本番が楽しみです♪

30分のリハーサルのあとは山田うんさんと金森さんの囲み取材。山田うんさんは「新潟はすべてが綺麗で美しく、食べ物も飲み物も美味しくて、最高!」と話されました。Noismメンバーについては、力強くしなやかな身体、素晴らしい躍動感、Noismは新潟の宝物であり財産であり、一緒に舞踊を創っていくのはとても光栄と褒めてくださいました。

対して金森さんは「ゲスト振付家のうんさんに褒めてもらったが、ダンサーはその言葉に応えなければいけない。私では引き出せないものを、うんさんから引き出してもらいたい」と話し、「ぜひ見てください!」を連呼しました。

また、ご自身の作品については「うんさんと全く同じ心境です」とし、井関佐和子さんのお祖父様が最近亡くなられたお話をしました。井関さんは「生きている間は特に思い出したりしないものだが、亡くなるとその人のことを考え、より身近に感じる」と話されていたそうです。まさに『Near Far Here』ですね。

NCNがクリスマスに贈るふたつの作品、どうぞ大切な人とご一緒にご覧ください。

Noism0 / Noism1 境界新潟公演 | Noism Web Site

(fullmoon)
(撮影:aqua)

【追記】
この日のリハーサルの模様を伝えるUX新潟テレビ21のニュース動画へのリンクを貼りますので、ご覧下さい。
 → UX新潟テレビ21「キーワードは『境界』…三途の川も表現」(12/9木20:39配信)

(shin)

「新レジデンシャル制度」12/3会見続報、これで制度設計は充分なのか?

前日(12/3)に開かれた「新レジデンシャル制度」に関する会見、それを報じるニュース動画を次々追ったのは私ひとりではなかったでしょう。しかし、そのどれもが「新制度」の骨格を撫ぜる程度のものに終始していた印象で、何かモヤモヤしたものが残る気がしたのも事実です。

明けて12月4日、今度は紙媒体が報じる番です。コンビニへ行って、何紙か買ってきましたが、件の記事を載せていたのは新潟日報と朝日新聞の2紙だったでしょうか。

でも、その論調は2紙で異なる感じで、色々読んでスッキリしたかったというのに、モヤモヤの解消には至らなかったような塩梅です。

少し、ご紹介しましょう。先ずは「新制度」の全体像を扱った新潟日報から。

2021年12月4日付け新潟日報朝刊

「任期5年『成果出す』」の見出しの下、カラー写真入りで4段の記事を掲載し、この度の「新制度」に至る迄の経緯と今後の展開が、金森さんの決意を軸に纏められています。

こちらの記事で気になる箇所としては、先ず、「ノイズム発足当時から制度設計自体が不十分だったとの指摘があがった」であり、次いで、「金森さんは、新制度について、個人的に思う部分はあるとしながらも」であり、「『10年と考えると中途半端』などと述べ」や「ノイズムイコール金森穣というのを脱却したい」などの金森さんの言葉が挙げられるでしょう。

次に、朝日新聞からです。こちらは書き方からもNoismとの接点が薄い記者の手になる記事のようです。

2021年12月4日付け朝日新聞

こちらで特に気にかかる箇所は、勿論、「任期後に退任する可能性もあることを示唆した」の部分ですが、これは金森さんが常々口にする「劇場文化100年構想」よりも「新制度」の字面が抱かせる印象を重く捉えた結果かと思われます。しかし、実際、会見場にいなかった者としては、そうしたニュアンスの判断も根拠に乏しいものと言わざるを得ないのがツラいところです。

昨日からの各種報道で、残念に思うことのひとつに、紹介されているのが、金森さんの言葉だけで、あとのふたり、つまり、中原新潟市長と(朝日新聞だけを読むなら、同席したことも定かではなくなる)堀内りゅーとぴあ支配人の言葉がまったくスルーされていることもあります。「活動目標・基本方針の設定」を行い、「市の施策への有効活用」を果たすことが目される新潟市の首長と、「制度に基づくレジデンシャル事業の実施」主体であるりゅーとぴあの支配人は何も語らなかったのでしょうか。それともニュースバリューのある言葉は一切、口にしなかったのでしょうか。いずれにしても、物足りなさしかありません。こんな有様で「新制度」の制度設計は充分だと言い切れるのでしょうか。まったく何もわからない、そんな気持ちになるばかりです。

そんなあたりが、金森さんの「個人的に思う部分はある」となったのでしょう。5年後、或いは10年後、市がコミットする文化の成熟が否応なく途絶えてしまう制度設計のどこが望ましいものと言えるのでしょうか。これまでも、これからも極めて豊穣なかたちで持続可能な筈の金森さんとNoism、17年間に渡って育まれてきた「新潟モデル」とも呼ぶべきものをいとも簡単に捨て去る「新制度」の理はどこに見出せるというのでしょうか。「文化」の営みに照らして、キチンと語って欲しかったところです。

今後も金森さんに全幅の信頼を寄せて、同じものを見詰めて歩んでいこうと思うのですが、それこそまったく検証もなされていない「新制度」の枠組みに関しては、見直しや修正が必要だと言う声はあげ続けていこうと思います。

(shin)

12/3会見、国際活動と地域活動の「2部門制」で動き出す新たなNoism Company Niigata

12月3日(金)、新しいレジデンシャル制度に関する注目の記者会見が開かれました。サポーターズとしましても参加したいところでしたが、今回は新潟市政記者クラブ、新・新潟市政記者クラブ所属各社が対象とのことで、それは叶わず、twitter や報道各社のニュースが伝える内容を待っていた点では皆さんと同じだったかと思います。

まずは、県内メディアが伝えた内容へのリンクを貼っておきますので、ご覧下さい。

BSN新潟放送
http://www.ohbsn.com/news/detail/kennai20211203_16729398.php

NST新潟総合テレビ
https://news.yahoo.co.jp/articles/f809dcfbf7d6f9038771ed5e68bf06de052798c6

UX新潟テレビ21
https://news.yahoo.co.jp/articles/1c5b4cd4c56b0ee72ca27e0ff4af34943eb4dad8?source=rss

TeNYテレビ新潟
https://news.yahoo.co.jp/articles/482debd60fca4777d0f4a851c73e9415133e64df

そして次にNoism Web Site が伝えた新活動体制へのリンクです。

りゅーとぴあ レジデンシャル制度に基づく新活動体制 | Noism Web Site

2022年9月からの新制度では、芸術監督の任期が1期5年以内、任期の更新は1回、2期10年を上限とされ、新制度を適用する第一号がNoismであることは既に報じられていましたが、それ以外の細部がとても気になるところでしたし、何より「Noismありきではない」という市長の言葉に胸中、大きな不安を掻き立てられていたのでした。

で、この日の会見です。
伝えられたものから、そうした懸念や不安が一掃されたという訳ではありません。疑問は疑問のまま残っていますけれど、ニュース映像が見せてくれた金森さんの表情と「この5年で新しいNoismの成果を出す。そのために5年を費やす」の言葉に、持続可能なNoism、及び「劇場文化100年構想」への確かな一歩が刻まれたと信じたい、信じてついて行こう。そんな気持ちが湧いてきて、少なからず落ち着きを取り戻すことができたといったところでしょうか。

来年9月からの5年間の新活動体制では、これまで活動評価で課題とされてきた「市民還元」部分への積極的なテコ入れが感じられる「2本の柱」が設けられるものとなりました。新レジデンシャル制度の初代「芸術監督」=「Noism Company Niigata 芸術総監督(金森さん)」の下、「国際活動部門芸術監督(井関さん)」と「地域活動部門芸術監督(山田さん)」を置く体制です。

「市の施策への有効活用」を約束する新潟市には、これまでのような不作為の姿勢ではなく、積極的な支援体制への転換が望まれるところです。その上での「2本の柱」であることは言うまでもありません。

先行きは不透明さが極まる昨今。「100年」のスパンで物事を捉えるなどほとんど無理な業なのかもしれません。しかし、そこに芸術による感動という長期にわたる意義や、社会包摂という中長期的な意義を視野に収めつつ、社会にとって不可欠な「公共財」たろうとする、新潟市を舞台に展開される、金森さんの生涯を賭した「冒険」には、シビックプライドをくすぐられない訳がないじゃないですか。

最後に金森さんのブログへのリンクを貼っておきます。胸熱になること必至。私たちのNoism Company Niigataを、私たちは自分たち一人ひとりの場所から盛り上げていきましょう。すべてはこの一日から始まって、まずは5年、そして10年、更にその先へ。「初代芸術監督」金森さんと同じ夢を見ながら。

新潟市・新レジデンシャル制度・初代芸術監督就任に寄せて | 金森穣 (jokanamori.com)

(shin)

「新しい」レジデンシャル制度の下の活動継続、詳細は12/3の会見が待たれる

皆さま、既に旧聞に属するものとなってしまいましたが、昨日(11/26)付けの地元紙・新潟日報がその朝刊の新潟面において、「ノイズム活動継続」の見出しと「市など3者 新制度で合意」の袖見出しを付けて報じました。

新潟日報2021年11月26日付け朝刊

「レジデンシャル制度」の見直し方針が発表されて以来、芸術監督の任期をはじめ、中原新潟市長が「ノイズムありきではない」と強調したとされることに心中穏やかではない日々を送っているのは私だけではないでしょう。

新潟市とNoismの今後はどうなっていくのか。図らずも、この日の簡潔すぎる2段組の記事の直上には、新潟名誉市民である文化人・會津八一揮毫の「新潟」という題字があり、左隣には「こだわりや熱意などは見えにくい」と評される中原八一市政に関する記事が配されているのが何とも皮肉と言えば皮肉かと。ふたりの「八一」。文化と行政、そして文化行政の在り方に関して、一地方都市・新潟市の舵取りに、全国はおろか、世界中の関心の目が注がれていると言っても過言ではない状況です。’Art is long, life is short.’ 「眼前の対応に追われる」姿勢では文化は育たないことは自明です。

そうした意味からも、新潟市とりゅーとぴあ、そして芸術監督・金森さんとの間で進められてきた協議の結果が公表される12月3日の会見が待たれます。そしてそれが、これまで金森さんとNoismが獲得してきた国内外の名声に恥じない内容であり、「市の施策への有効活用」を謳う新潟市にあって、「金看板」として関わっていく気概を示すものであることを強く望む気持ちでいっぱいです。

さて、会見やいかに。

(shin)

Noismと新潟独自の劇場文化、双方の未来を志向する金森さんを支える!

神無月の月末にずれ込み、昨日の中原新潟市長の定例記者会見を報じるニュースで、漸く、Noismの活動継続協議の方向性が見えてきました。

まず最初に、リンクから昨日(10/29)の金森さんのTwitterからご覧下さい。

次に、会見を受けるかたちで今朝(10/30)、地元紙・新潟日報が「新潟面」で報じた記事です。

新潟日報2021年10月30日付け朝刊

こうした一連の流れの嚆矢は、まず、10月21日の金森さんのツイートに感じ取れました。そちらもリンクからご覧下さい。

そのツイートに接した際、コロナ禍の財政状況も考え合わせるなら、これまでとは異なる内容が話し合われ、かなり厳しい選択を求められていることが窺い知れました。それでも、金森さんは、その段階において触れ得るギリギリの線で、「Noismの“長い未来”、すなわち私が信じる新潟独自の芸術文化の“明るい未来”の為であることを、信じて頂ければと思います。」とツイートしていました。

真に私(たち)が望むのは、新潟市民の「シビックプライド」の一翼をなす存在として、大袈裟に言えば、未来永劫、Noismが新潟市にあり続けることであり、そして、国内に類を見ない17年間の実績を積み重ねてきた「レジデンシャル制度」の芸術監督は、本人が自ら禅譲しない限り、金森穣氏であること、このふたつです。

「新制度を適用する第一号がNoism」とか、「Noismありきではない」とか、「芸術監督の任期の上限は2期10年」とか、「お互いに条件が整えば10年継続できる。10年後には新たに公募を行う」とか、行政特有の射程の短い施策に切り替えることで、これまで時間をかけて新潟市に根付き、この地でその在り方が成熟し、世界に冠たる存在となり得たカンパニーを失うことだけはあってはならないことです。

金森さんと彼の「劇場文化100年構想」を信じる気持ちに一点の曇りもありません。あり得ません。ただ、この先は、「新制度」の新たな「実施主体」とされたりゅーとぴあの手腕による部分も大きいと考えます。私たちサポーターズはりゅーとぴあとも連携しつつ活動していく必要が今までにも増して大きくなったと言えます。

求められる「市民還元」も果たしながら、より遠大な芸術的理想を抱くのが、私たちのNoismです。来るべき(10年後?の)「公募」において、わかりやすい「市民還元」という「甘言」を弄するだけで、市側におもねるような団体も現れないとは言えません。そのとき、Noismの芸術的価値はどこまで正当に評価され、検討されていくのか、心配は尽きない訳です。

しかし、これまでも、私たちをここまで連れてきてくれた金森さんです。真の意味での「未来志向」で、Noismと新潟独自の劇場文化の未来を見詰めて、新たな「ブレイクスルー(突破)」を果たしていってくれる筈です。その点で、彼がなす選択への信頼に揺らぎなどありません。あり得ません。そして、これから私たちに問われるのは、Noismをどれだけ必要としているか、その熱量だと言い切りましょう。私たちも、サポーターズとして、覚悟を新たに、新しい「ブレイクスルー」に関わっていけたらと思う次第です。皆さまの広く熱いご協力をお願い致します。

(shin)

【追記】10/29新潟市長定例記者会見時の配布資料(画像)もご覧ください。

新潟日報が報じた「要求水準を達成」、2020/9~2021/8のNoism

先日(9月23日)、金森さんがツイートしていたように、9月25日(土)付けの新潟日報朝刊がその新潟面で、「昨季『要求水準を達成』」の見出しのもと、「ノイズム活動評価」について「有識者会議が判定」した内容(「B評価」)を報じました。

同紙は、9月22日に開かれた有識者会議が、りゅーとぴあの自己評価や(新潟)市の評価案を基にオンラインで議論し、「昨シーズン(2020年9月~2021年8月)のNoismの活動について3段階のうち真ん中のB評価を付け、『要求水準を達成している』と評した」と伝えています。

市の評価案で、初めて実施した小学校5校への出張公演が高く評価されたこと、有識者5人のなかで、市舞踊協会の若林美江会長の「コロナ禍でも舞踊文化に触れられるのは、ノイズムが新潟にある強みだと再確認した」との言葉などが紹介されています。

新潟日報9月25日(土)朝刊より

10月発表予定の今後の契約や「レジデンシャル制度」の見直し案などが待たれますが、今は(当然と言えば当然の事柄に過ぎないとも言えますが、)頷ける「内容」であったのだろう「B評価」に安堵しているところです。(個人的には、昨シーズンも「特A評価」とみるところですが、「内容を常に改善」することが求められるなら、伸びしろの残る「B評価」はむしろ好ましいのかもしれません。)

求められている「市民の満足度や認知度の向上」に向けて、私たちサポーターズとしましても、改めて出来得ることをやっていきたいと思ったような次第です。この先も一丸となってNoismを支えて参りましょう。

(shin)

『春の祭典』メディア向け公開リハーサルに行ってきました♪

2021年6月24日(木)の新潟市は日差しも強く、天気予報が予期させた以上に夏っぽい趣の一日。13時からの『春の祭典』メディア向け公開リハーサルに臨むべく、正午前に職場から、充分エアコンを効かせた車でりゅーとぴあへと向かいました。

県内のテレビ局各社のカメラセッティングが済んだ後、劇場の中へと進みます。舞台上に「あの」白い衣裳を纏った舞踊家たちがそれぞれに動きの確認をしている様子が見えてきます。その足許、リノリウムの雰囲気が昨年のプレビュー公演時と違います。また、アクティングエリアを区切る正面奥と両側の幕も異なります。「これが完成形」、そう金森さんは説明してくれましたが、特に彩色が施されたリノリウムは多義的な美しさを放っていました。

予定通りの13時。一旦、緞帳が下り、その手前に一列に並んだ椅子に腰掛けようと、まず井関さんが下手側から登場し、リハーサルが始まりました。やがて、21人の舞踊家にストラヴィンスキーの楽音が重なり、冒頭からの約20分間を見せて貰いました。

その20分間だけに限っても、リノリウムや三方の幕の存在感によってプレビュー公演のときとは随分と違ったものになって見えた印象です。

「OK! OK! Thank you! ちょっと舞台前に集まって貰っていい?」

ちょうど場面転換のところに差し掛かったとき、「OK! OK! Thank you!」と金森さん。続けて、「ちょっと舞台前に集まって貰っていい?」と舞台上の舞踊家を集めて英語で話し始めました。時間にして約10分。距離がありましたので、聞き耳を立ててもほとんど聞こえませんでしたが、「emotional complexity(感情の複雑さ)」なる表現を始め、端々に、「emotion」「emotional」なる単語が使われていたことだけは耳に届きました。その後の囲み取材の際に質問も出ましたが、内容は「トップシークレット!(笑)」(金森さん)とのことでした。

そして13:30からはホワイエで、その金森さんの囲み取材でした。以下に金森さんの答えを中心にいくつか拾い上げてみます。

  • Noismオリジナルの『春の祭典』について:「『生け贄』のテーマ性がどう表現されるのか、現代社会に何を訴えかけるのか、どなたにも感じて頂ける作品になっている」
  • 定員100%での上演について:「ちょっと複雑。舞台人としては客席が埋まった熱気のある舞台で実演したいが、来場頂くお客様には心理的な負担をお掛けするので申し訳ない思いもある」
  • プレビュー公演時との違い:「そんなに変わってないですよ。リノリウムが変わっただけ。印象がだいぶ違う。一年間期間をおくことによってより必然性をもってしまった。昨年よりも作品が重みを表現しなければならない、その重みを感じている。…『最後』が変わりました。作品の終わらせ方が変わりました。あまりにも現実の世の中が大変だし、あまりにも困難なので、舞台芸術を通して、何を最後に届けるか。混沌とした精神の痙攣のような作品の最後、お客様に届けるメッセージは変わりましたね。それは必然だった。稽古していてこれは違うねって。…『希望』というのとはちょっと違う。ある種の『願い』とか、『祈り』みたいなものがどうしても加わらざるを得ないっていうか。『絶望』を『絶望』のまま提示するのはちょっと…、劇場の外が『絶望的』過ぎるっていうか…」
  • コロナ禍における芸術家:「世の中と劇場の中の問題をこれだけ考えたことはなかった。戦後世代ですから、ここまで世界的な事象を日常生活で経験したことがない。そのなかで芸術に問われる意義とか価値は違ってきている」
  • コロナ禍、Noismの『春の祭典』が観客に届けるもの:「難しいですね。…難しいな」(しばし考えた末に)「何を感じて欲しいか、…『力』かな。『生きる力』かもしれないね。価値観とか、思考の産物じゃなくって、『生きる』っていう強さ。『生きる』って何だろうとか。人は誰しも一人では生きていない。『他者と生きる』ってどういうことかっていうことかな。上手く言えないけど」

囲み取材を終えて…。劇場の外にあった当たり前の「日常」が歴史的にも数えるほどの暗澹たる「非日常」へと反転してしまっている現在、金森さんとNoismは如何なる劇場的な《真正》「非日常」を見せてくれるのか、金森さんの言葉を聞いて期待は否応なく募ることになりました。言い換えるなら、それは、来月(7月)、傷を負った私たちの心に届き、私たちを鼓舞する「ハレ」なる舞台が観られることを確信するに充分な時間でもありました。

新潟から始まる今観るべき舞台、ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』。チケットは絶賛発売中です。よいお席はお早めにお求め下さい。来るべき夏、Noismが示す「春」から目が離せません。

(shin)