Noism《15周年記念公演》で『Mirroring Memories―それは尊き光のごとく』 『Fratres I』を見る

山野博大(舞踊評論家)

 Noismの《15周年記念公演》が、『Mirroring Memories―それは尊き光のごとく』と『Fratres I』の2作品により行われた。どちらも金森穣の振付だ。

 『Mirroring Memories』は、昨年4月《上野の森バレエホリデイ2018》Noism1 特別公演で初演したものの再演。初演の会場は、東京文化会館小ホールだったが、今回はりゅーとぴあに続き、東京のめぐろパーシモンホールという開放感を伴う明るい感じの空間での上演だった。 私は「めぐろ」公演を見た。天井の高い石造りの荘重な雰囲気を漂わせた上野から移ったことで、舞台の印象が大きく変わった。ドアーサイズの鏡12枚(上野では10枚だった)を横に並べ、その半透明の鏡の前と後にあるものを同時に見せる仕掛の中で、彼がこれまでに作ったさまざまな物語舞踊の見せ場を次々と並べた。全体の流れは初演とだいたい同じだったが、観客が客席から鏡の列を眺める角度の違い、鏡の前に広がる空間の大きさなどが「めぐろ」の観客をよりいっそう作品の奥へと引き込むことになった。

 微妙な角度で並べられた鏡のひとつひとつに、その前で踊る者の後姿が少しずつ違って映る。ソロであっても、その背後に12人分の動きが出現する光景は、見る者にある種の快感をもたらす。そのような空間での冒頭の金森穣のソロは、ローザンヌのベジャールのアトリエで、彼が振付を習った当時を振り返るシーン。金森は、師の舞踊劇創作の手法を独自に発展させて、作品を創り続けてきたのであり、その初心を改めて観客に示したのだ。金森のしっかりと体幹を鍛えた肉体から送り出される舞踊表現は、ベジャールへの想いをストレートに伝えるものだった。

 『Mirroring Memories』は、彼がこれまでに作ってきた作品のハイライトシーンをいろいろと並べて見せたものであり、前に見た時とほぼ同様の進行だった。しかし個々の場面の印象はかなり変わっていた。再演の舞台を見る観客には、その作品に対する「慣れ」が働き、理解度が増す。作品は再演されるごとに、作者と観客との距離感を縮めて行く。今回はその「慣れ」に劇場の構造の違い、そしてNoism全体の努力の積み重ねが加わったことで、金森舞踊の核心がよりいっそう明らかになった。

 やはり「慣れ」の効果は大きい。再演を見る観客はより深く場面に入り込んで、その踊りのひとつひとつをゆっくりと楽しむことができるようになる。しかし今回は、それ以上にダンサーひとりひとりが振付をしっかりと理解して、作品とみごとに一体化したところが、初演との大きな違いだった。『マッチ売りの話』の中でマッチを次々と点火させながら息絶えたかのような娘を前にした金森穣と井関佐和子の踊りの、大きく全体を包み込んだ感動的な愛情表現をはじめ、その他の場面でも個々のダンサーの肉体の動きがより強く心に沁み入る瞬間が多かった。

 『Fratres I』は、アルヴォ・ペルトの音楽による15人の群舞作品だった。「Fratres」は、ラテン語で親族、兄弟、同士を意味する言葉だそうだが、人と人の関係が薄くなり、引きこもりが多くなったり、いじめで死を選ぶ子どもが後をたたない今日この頃、現代の日本人には、心に重くのしかかるタイトルだ。それに対して金森は、全員が感情を交えずに同じ動きをこなす連鎖を見せ、その後に個々のダンサーに天井からとつぜん白い紛(※)のシャワーを浴びせかけるという思いがけない舞台を作り上げた。

 『Mirroring Memories』は、その中に並べた物語舞踊のひとつひとつに、それぞれ長い時間をかけてきた内容いっぱいの名作カタログだった。それに対して新作の『Fratres I』は、全員が同じ動きに従うことの多い、単刀直入の群舞。両作品の感触の違いは明らかで、最後をさらりと切り上げた組合せの妙が快かった。長く続く盛大な拍手の裡に、Noism《15周年記念公演》の幕が降りたことが、その何よりの証しだった。金森穣という逸材を選び出し、15年という時間をかけて、これだけ高度な舞踊芸術を世に送り出した新潟市の、多大なる貢献に感謝しなければならない。

(2019年7月27日所見)

※ くず米と確認

「Noism《15周年記念公演》で『Mirroring Memories―それは尊き光のごとく』 『Fratres I』を見る」への3件のフィードバック

  1. 私も上野の森バレエホリデイで
    『Mirroring …』初演を観ていましたから、
    山野さんが触れられている「慣れ」を今回実感致しました。
    新たに加えられた場面を含めて、全体的な流れがより緊密になったと感じましたし、55分間の愉悦に浸りきることが出来ました。
    勿論、今回が初見となる方々にとりましては、
    その「初見」という特権的な機会が
    初めての愉悦を保証したことは言うまでもないでしょう。
    休憩前にして、既に多幸感に包まれたというのに、…。

    その後に待つのは『Fratres I』。
    休憩前とはまったく趣きを異にする15分が訪れようとは何人(なんぴと)も想像できよう筈がありません。
    しかし、微かにアルヴォ・ペルトの弦の音が聞こえてきて、
    再び緞帳があがり、薄暮を思わせる照明のなか、
    黒装束から顔と筋肉の隆起した腕のみを露出させ、
    蹲踞に似た不動の姿勢で、
    均整のとれた陣形を描く静謐な15人が目に入ってくると、
    それだけでもう「ある確信」に包まれてしまう訳です。
    まずは、繊細な弦による導入部は微動だにせず、
    弦の合間、パーカッション部に至って初めて、両の手が動くのみ。
    そこから徐々に盛り上がりを見せていく音楽、
    それに合わせて大きくなる動きは、やがて総身を捧げる祈りの舞踊へ。
    あたかも『ボレロ』の構成を見るかのような感じもしましたし、
    ここにも師へのオマージュが感じられるなと思ったりした訳です。
    そしてラスト、再びの静謐へ還って閉じられていく作品は、
    大伽藍に15体の仏像でも見るかのような、
    総じて「和」テイストの崇高な時間の印象。
    ほんの15分足らずの短い作品なのに、
    「さらりと切り上げ」られた筈なのに、重量級の感動。
    早くも予告された『Fratres II』が待ち遠しくてならないほど迄に、
    堪能致しました。

    山野さんがきちんと書いてくださったように、
    ここまで深い感動を約束する舞踊団を15年間支えてきた新潟市。
    これから先も更に、と願わずにはいられません。
    (長くなり過ぎました。スミマセン。)
    (shin)

  2. shinさま
    力強いコメント、というよりは ご感想、
    どうもありがとうございました!

    深く、すばらしい感動を約束する舞踊団、金森穣Noism。
    山野さんも、
    「金森穣という逸材を選び出し、15年という時間をかけて、これだけ高度な舞踊芸術を世に送り出した新潟市の、多大なる貢献に感謝しなければならない。」
    と書かれています。

    これからも、いつまでも、
    「Noismのある新潟市」であることを、強く願っています。
    (fullmoon)

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