「柳都会」vol.24:小林十市さんを迎えて、回想されるローザンヌの日々、それから…

コロナ禍の影響で、9月11日(土)に開催予定だった「柳都会」が、10月4日(月)18:00からという平日の異例な時間帯に振り替えてまで実施された裏には、金森さんの強くて深い思いがあったからと解してまず間違いはないでしょう。この日のゲストは、金森さんが「兄ちゃん」と親しみを隠さない「エリア50代」小林十市さん(ダンサー・振付家)。接点はモーリス・ベジャール(1927-2007)、そしてふたりが彼の許で過ごしたローザンヌの日々。その2年間を回想しながら、金森さんが繰り出す質問と答える十市さんを基軸に、観客の前に浮かびあがってくる巨匠ベジャールの「横顔」。気負ったところのまるでないおふたりのお話にはとても興味深いものがありました。そのあたりが少しでも伝えられたらと思います。

1992年の出会い。舞踊団「ベジャール・バレエ・ローザンヌ」所属の十市さん23歳、バレエ学校「ルードラ・ベジャール・ローザンヌ」一期生の金森さん17歳。
 金森さん「人生で一番孤独な時期だった」
 十市さん「そんなに大変だった?一期生だし、自立して、自分の世界を持っている人たちのひとりに見えていた」
 金森さん「閉ざしていただけ」
前年(1991年)の暮れ、カンパニーに大リストラが断行され、60数名いたダンサーが25名に絞られ、同時に、(表向きは)「創作活動を濃密に」と学校が創られることに。(その学費はゼロで、後にベジャールの私費でまかなわれていたことを知ったと金森さん。)

一方、十市さんはジョージ・バランシン(1904-1983)に憧れて、NYに短期留学(バランシンが設立したバレエ学校SAB)。その後、日本に帰る気はなかったものの、アメリカでのワーキングビザ取得は困難を極めたため、母親が好きで、自分も観たことがあったベジャールに履歴書を送ったところ、すぐに返事が来て、3泊4日のプライベートオーディションの機会が設けられた。眼光鋭く、レッスンの様子を見ていたベジャールに「君のこと気に入ったから、一緒に仕事をしたい」と言われ、採用されたのが1989年。そのとき、十市さん20歳。ベジャール62歳。その後、腰の怪我で辞めるまで14年間、ベジャールの許で踊った。バランシンやってみたい気持ちがなくなっただけでなく、他の振付家の作品を踊りたいと思ったこともなく、ベジャールの作品のなかで違う作品をやりたかっただけだったと十市さん。
 金森さん「怪我に対してベジャールさんは寛容だったの?」
 十市さん「全然、寛容じゃない。昔の人だったし、舞台命の人だった。『痛い』と言っても、『僕も痛いよ』と言われちゃうと、もう何も言えなかった」
 金森さん「ジョルジュ・ドンさんって、どんな感じでしたか?」
 十市さん「カンパニーのなかでひとり別格。ひとりだけ、スターって感じ。ホテルの浴衣を羽織って、パイプの先に煙草をくゆらせて…、ちょっと近寄り難い存在だった」

ベジャールの創作風景について、
 金森さん「ベジャールさんは作品について説明したりしたんですか?」
 十市さん「モノによっては。振付は順番通りには行われなかった」
 金森さん「怒鳴ったりしたんですか?」
 十市さん「そういうイメージはない。自分が動きながら作品を創っていく。でも、恐い存在で、私語する人などいなかった」

 十市さん「振り返ってみるとローザンヌはどうしても行かざるを得なかった場所。分岐点に思える。果たして自分で選択しているのかどうか」
 金森さん「こうして新潟で並んで話していることが奇跡」
 十市さん「あっちの方で決まっているだろうシナリオを知らないだけで生きている。決まっているんだろうけどわかっていない」

今回のふたりのクリエーションについて、
 十市さん「まずは9月頭に2週間。1週目に振りを覚えて、次の週、身体が痛くなったので、『ハンディを付けて』と言ったら、『それは失礼なことだし、そんな十市さんは見たくない』と言われた。で、今日も勇気さんに教えて貰った治療院へ行ってきた」
 金森さん「今回の振付でベジャールっぽいところはありましたか?」
 十市さん「Noismメソッドに感じた」

事前に寄せられた質問
①新潟の印象は?
 十市さん「自転車に優しいところが『いいな』と感じた。自転車で近付いていくのを感じるとよけてくれたり」
②新潟で美味しいと思ったものは?
 十市さん
「ホテルで食べている朝食のお米。日本は何でも美味しい。海外ツアーをやってたとき、耐えられたのはイタリアだけ。ドイツは大味だし、スペインは油っぽいし…、日本は世界で一番美味しい」
③40代から50代、身体の維持方法は?
 十市さん
「よい鍼(はり)の先生に出会うこと。(笑)今回のように、これだけの運動量があると代謝もあがり、食生活は気にしないで済むが、母は常にお腹のチェックが厳しくて、よく矢沢永吉を引き合いに出しながら、『永ちゃんは腹出てないから』と言ってくる。まるで呪縛のように、『ちゃんとしなさい』って言われてきたが、それって何?」
④初めて観たNoism作品は何?
 十市さん
「多分、映像で観た『NINA』。メソッドにもある立っているやつ。それと、2010年に池袋で観た『Nameless Poison』。そのとき、ふたりでツーショットの写真を撮っているから」
⑤17年間、金森さんがNoismを続けてきたことに関してどう思うか?
 十市さん
「凄いよね、大変だよね。細かいことも聞いたけど、活動できる場を与えられているのは、やはり人かなと思う。穣君と新潟市との関係。ベジャールさんとローザンヌのように」

「常に自分のことで精一杯」という十市さん、「これからどうするんですか」と金森さんに問われると、まわりの3人の女性(母、妻、娘)と折り合いを付けながら、自分の幸せ=舞台に立つことを追い求めていきたいと語り、「舞台の上から、暗闇(客席)の中を凝視し、内観しながら、何かを探る感じが好き」とし、演劇や映像も経験してみて、「やはりダンサーの中身、ダンサーとしての記憶が残っている。自分を捨て切れなかったから、役者にはなり切れなかった」と感じているのだそうです。しかし、演劇に行ったことについては、その要素も濃かったベジャールさんを理解するうえでは大きかったとも。

もう一度、ベジャールの存在について、
 十市さん「ベジャールさんがやめるまでやるつもりだった。ベジャールさんに『指導で残ってくれ』と言われたけど、踊りたかったから、踊っている人たちを教えられないと思ったから」
 金森さん「でも、1年くらいで腰の痛みはなくなったんでしょ?」
 十市さん「1年半。日本で、福島の外科医さんに椎間板に注射一本打って貰ったら痛みがひいた」
 金森さん「でも、戻るとは考えなかった?」
 十市さん「世代交代だと思った。で、演劇へ。でも、今は舞踊で舞台に立ちたい」


 十市さん「踊っていた14年、その後も含めると15年、ベジャール・ファミリーに入って生活していて、そこで創られた自分が今に至っているのかなと」
 金森さん「逆に、2年しかいなくて、空きがなくて入れなかったから、憧れがある。その呪縛から、もっと新しいもの、もっと美しいものを求めてきたけれど、離れることは出来ない。そして今、東京バレエや十市さんが寄ってくる感覚が不思議」
 十市さん「ベジャールに思いを馳せて作品つくりをしているが、『怪我をしないように』と穣くんに言われても、穣くんの作品を踊っているのだし…」
 金森さん「作品つくりは妄想から始まる。で、『十市さんならもうちょっと、もっと行ける』となる。『これぐらいで良いかな』とか現実的になり過ぎるとできない」


最後に至り、十市さんが、数日前に、携帯電話で奥さんと話しながら萬代橋付近を歩いていた際、赤信号の交差点を、前方に見える青信号と勘違いし、渡ろうとして、「死にそうになった」経験から、「本番の舞台でなくても、常に悔いを残さないように全力でやらなきゃダメかな」と思ったと話せば、今回、新潟は劇場に空きがなくてやれないものの、「再演するかどうかは十市さんのお腹次第」と話した金森さん。予め90分という枠が設けられていなければ、いつまでも尽きることなく愉快に話は続いていったことでしょう。

そんなおふたりの初めてのクリエーション、「Noism Company Niigata × 小林十市」は、KAAT神奈川芸術劇場・大ホールにおいて、10月16日(土)と翌17日(日)の二日間の公演です。

そちらは観に行かれないという方にも小林十市さんが登場する舞台は新潟でも。「エリア50代」、11月13日(土)と翌14日(日)です。

この日のお話を聞いて、ますます期待が膨らみました。どんな舞台が観られるのか、待ち遠しい限りです。

まだまだ色々と書き切れませんでしたが、この日の「柳都会」レポートはこのへんで。

(shin)
 

「「柳都会」vol.24:小林十市さんを迎えて、回想されるローザンヌの日々、それから…」への11件のフィードバック

  1. shinさま
    小林十市さんを迎えての柳都会ブログアップ、ありがとうございました!
    楽しかったですね!
    会場が能楽堂なので、最初の登場から能楽師の歩き方を真似て現れた十市さんに金森さんも観客も「笑」♪
    お祖父さんが柳家小さん、弟さんが柳家花緑だそうで、聴いていて つい笑ってしまう話しぶりはさすがですね。
    お茶目な十市さんでしたが、もちろん真面目なお話も盛りだくさんで、いつまでも聞いていたい柳都会でした♪
    横浜での公演、そして、りゅーとぴあ能楽堂での「エリア50代」、ますます楽しみです。
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      コメント、そして補足、有難うございます。
      全ては到底書き切れないので、書く作業は結局、何を書かないかと同義になる訳です。そこで、補足をいただくことの有難さを噛み締めることになる、そんな塩梅です。感謝に堪えません。
      18:00、橋掛かりをサクサク歩いて登場した金森さんでしたが、その後ろを、能の足運びでまったり進んだ十市さんに客席から笑いが起きたのが全ての始まりでした。用意された椅子の脇まで辿り着いたところで、金森さんが「能楽師の小林十市さんです」と紹介し、「ふざけてばかりいるんで、90分間心配なんです」と続けた脇で、いたずらっ子ぽい笑みを浮かべる十市さん。
      無事、90分間の終わりを迎えて退場する際には、十市さんが、持って来ていたデジカメを金森さんに渡して、客席を背景に立つ自分を撮ってくれと頼む一幕が待っていました。
      「(シャッターボタンを)半押しにしておいて」が上手く伝わらず、時間をかけて何度も繰り返された「SNS用」十市さんのドタバタ記念撮影。結局、金森さんが撮った画像は、当の十市さんではなく、後ろの客席にピントが合ったものになったらしいのですが、それを見て、「これはこれで、ネタになるね」と笑った十市さん。その後も、「お約束」とばかり、最初と同じ能の足取りで捌けていき、最後の最後、姿が見えなくなる寸前に、揚げ幕のところでは、回転してみせてくれるという茶目っ気溢れるショーマンシップ振りでした。
      それらに挟まれた本篇の「対談」部分が、どれほどユーモラスで寛いだ空気感に包まれたものだったかお察しいただけるものと思います。「血」は争えないとでも言うべきなのでしょうね。楽しい時間でした。
      途中、人生を「あっちの方で決まっているだろうシナリオ」と見る十市さんの俯瞰した視座が語られたときには、ふたりが舞踊家であることも相俟って、1981年に発表された加藤和彦のアルバム『ベル・エキセントリック』に収められた一曲「ディアギレフの見えない手」(作詞:安井かずみ)の中の、「人生の舞台裏で糸を引くのは見えない手」という一節が瞬時に脳裏に浮かびました。…個人的な事柄でした。
      (shin)

      1. 皆さま
        先のコメントで言及した画像ですが、
        小林十市さんのインスタグラムにアップされていましたので、リンクを貼りました。ご覧下さい。
        金森さん撮影は3枚目、確かに手前の十市さんではなく、「後ピン」で私を含む客席にピントが合ってしまっています。
        かつてなら、撮った人がかなり責められるかもですが、今日のSNS時代にあっては、「『ネタ』になるね」用法があり、ボツ写真にはならないのですね。(笑)
        (shin)

  2. shinさん

    詳細なレポをありがとうございました。
    行く予定だったところ、なんと仕事が押し、終わったのが18時40分…
    泣く泣く諦めたのですが、その様子をこうして知ることが出来て、本当に有難いです。
    ありがとうございます。
    対談のなかには、新潟での再演も可能性としてはゼロではないようなお話もあり、実現されることを強く強く願っていようと思います✨

    aco

    1. aco さま
      コメント、有難うございました。
      何しろ、平日は月曜日の夕刻でしたものね。なかなか思うようにならなかった人も多かった筈です。観客も普段より少なめでした。
      それだけに、何とか、場の雰囲気だけでも伝えたい、語られた内容も少しは紹介したい、そんな思いで、メモをとって頑張ってみたつもりです。90分間、メモとりっ放しで腕はダルダル。そして少しでも早くお届けしたいと思い、粘って纏めて、(お粗末なものでしかありませんが、)深夜になって、なんとかアップできました。ですから、眠い、眠い。そんなこんなでした。
      その甲斐があったのか、なかったのか、正直、自信はありませんでしたが、いただいたコメントに救われた思いです。
      十市さんの「お腹次第」とされる新潟での再演、きっと実現されるものと信じています。十市さんの「お腹」に向けて、一緒に「気」を送って参りましょう。(笑)
      (shin)

      1. shinさま

        こうしたレポは、誰もが出来るものではありません。
        ご苦労をかけているとは思いますが、なかなか足を運べない機会が増えてしまった昨今、本当に有難いです。有難うございます(T-T)寝不足や腕の疲労がその後の日々に差し支えていませんように…。

        金森さんが、人生のなかでいちばん孤独だったとき(全てがゼロになったと語る人生の節目のとき)、十市さんの、あのお人柄がどれだけ金森さんの心を暖めていたかということは、十市さんのお人柄と、十市さんの隣りにいるときの金森さんの、見たこともないような‘弟’感満載の笑顔からも沁々と感じることができますよね。

        十市さんへの「お腹」へ「気」を送り続けていくことを今日からの日課とします!

        aco

        1. aco さま
          大変、恐縮です。
          少しでもNoismのサポートに繋がるのであれば、これからも、もう少し衰えに抗していきたいと思います。
          コメント、有難うございました。
          (shin)

  3. Shinさま
    詳細なレポ、ありがとうございました!
    お二人のやり取りの楽しそうな雰囲気が伝わって来ました。穣さんが十市さんの様々なお話を引き出している様子、いちいち噛み締めながら拝読しました。
    新潟再演、ぜひぜひ実現させてほしいです!

    1. gssy1127 さま
      コメント、有難うございました。
      そもそも、「柳都会」の性格自体が、はじまった当初の、新潟で活躍しているゲストを迎えてのやりとりだったものから、金森さんの関心とコネクションにより、当代随一のゲストが招かれての対談へと大きく舵を切り、様変わりを遂げたことで、本来、新潟でやって終わりというのでは勿体ないものになっています。これからは、配信されてしかるべきものではないかと考える次第です。
      それをド素人でしかない者が紹介を試みるのですから、もう、荷が重すぎる訳ですが、そこは、「これは公式の発信ではない」と自分に言い聞かせつつ、気楽にやらせて貰おうということでなんとか書いています。(そうでなきゃ、とてもとても。)そんなある種のいい加減さを大目に見るつもりで読み頂けましたら幸いです。
      しかしながら、最近、加齢により、とみに集中力やら、メモ取りやらもに衰えを自覚するような塩梅でありまして、そうした方向からも、充分なものをお届けできにくくなってしまった感もあり、困ったものです。
      このブログを書いていて、一番大変なのは「柳都会」レポです。(次は「ランチのNoism」でしょうか。あと、原稿の日本語訳も緊張します。)場の空気感を伝えつつ、レポートとして、(あまり)間違ったことになってないものをお届けできたらと思っています。抜けも落ちもあるでしょうが、どうか、これからも温かい目でご覧頂けますと助かります。m(_ _)m
      (shin)

  4. みなさん羨ましい限りです。私は一度だけローザンヌを訪れた折、ベジャール・バレエ・ローザンヌのスタジオの前までベジャール詣しました。夏休みでしたのでカンパニーはバカンスです。ジョルジュ・ドン、ベジャール…そしてバレエやダンスに…全て憧れてました。

  5. 市川さま
    コメントありがとうございました。
    横浜DDDでお会いできてよかったです♪
    私の方こそ市川さんが羨ましいです。
    リアルタイムでベジャールバレエ団をご覧になっていて、ローザンヌにも行かれたのですから。
    またお話を聞かせてください。
    (fullmoon)

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