『Duplex』新潟公演第2クール2日目(公演5日目)を観る♪

新潟市の2021年1月30日(土)は、週頭からの予報では前日からの「暴風雪」が続くとされた日。しかし、開けてみれば、時折、真横から雪を伴った強風が吹き付けたりすることはあるものの、そんな人をいたぶるような荒れた時間は割りに短く、積雪も、酷い路面の凍結もなく終始し、安堵することになりました。

「もし荒れた天気だったら嫌だな」など思いながら迎えた『Duplex』新潟公演第2クール2日目(公演5日目)でしたが、まあ、それも杞憂に終わり、「舞台を楽しむだけ」という気持ちで客席に着けたのはラッキーでした。

また、開演前と終演後には、久し振りに会う方々とも、適度な距離を保ちながら、言葉を交わすことができ、「ワクワク」と「うっとり」が増幅するのを楽しみました。

前週の金曜日に初日の公演を観てから、この日が2回目の鑑賞。やや余裕ももちながら視線を送っていたつもりでしたが、瞬きも忘れて凝視したりしていたらしく、ドライアイ気味になり、目をショボつかせることしきり。そして驚きの場面と知っていても、またしても驚いてしまったり、「2度目だというのに」とそれこそ驚きでした。

次に2作を観た個人的な印象を若干記したいと思います。心に浮かんだよしなし事を、ネタバレを避けつつ書き付けるつもりですが、お読みになりたくない向きは、*****と*****の間を読み飛ばしてください。

*****

森優貴さんのNoism1『Das Zimmer』。冒頭から張り詰めた空気は不穏そのもの。10人(+1人)の内面を表象する色濃い影。交わらない視線、一様でない表情。ときに翻り、ときにたくし上げられるスカートの裾、その性的(sexual)なimplication(暗示)。対する大仰な男性らしさ(musculine)の誇示。注ぎ、注がれる品定めの視線。性別(gender)への違和(SOGI)。かりそめでこれ見よがしの交歓。喪失(語られることのない)と過去の呪縛、震え…。この部屋を照らす光源はどこに見出せるのでしょう。重ねられていくfragileな(脆い)断章に、ラフマニノフとショパンは似合い過ぎです。

金森さんのNoism0『残影の庭~Traces Garden』。こちらは勿論、「はじめに武満徹の音楽ありき」の舞踊。武満本人が使った表現で言えば、「沈黙と測りあえる」音、或いは極めて沈黙と親和性の高い音が、ぽつん空間に落ちるや、一瞬にしてあたりを浸してしまうかのような彼の音楽を可視化した美しさが際立つ作品は、徹底して耳を澄まさんとする意志に貫かれた端正な作品でもあります。また、目に鮮やかな黄色と赤から、それぞれカロテノイド(黄)、アントシアニン(赤)と自然界の植物色素を連想させられたのも武満ゆえかと感じられました。

*****

どちらも最初に観たときよりも、強く胸に迫ってくるものがありました。複数回観る幸福に浸りながらも、同時に、より多くの人に観て貰いたいという気持ちもあり、その意味では複雑な部分もあります。やむを得ないこととは言え、50人とは少な過ぎ、勿体なさ過ぎです。それだけに凱旋公演であるとか、「生」が無理なら、配信であるとか、なにか機会を作って頂けないものかと思ったりもします。そんなプラチナチケットの公演、これからご覧になられる方はご堪能ください。

(shin)

「『Duplex』新潟公演第2クール2日目(公演5日目)を観る♪」への4件のフィードバック

  1. shinさま
    新潟公演5日目、ブログアップありがとうございました!
    初見時よりも強く胸に迫ってくるものがあったとのこと、
    複数回観る醍醐味ですよね。
    でも、他の人たちにも観てもらいたいというジレンマは私も同じで、特に今回のように観客数が限られているときはなおさらです。
    早々に売り切れになってしまったので、買いそびれた知人・友人からのオファーが多く、手持ちのチケットを何枚かお譲りしました。
    私が観る回数は減ってしまいましたが、それでもまだあと2回も観られます。
    次の鑑賞を楽しみに待ちたいと思います。
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      コメント、並びに他の方の感想が記されたブログのご紹介、有難うございました。
      このクオリティが新潟の地から生まれていることがホントに誇らしいですね。

      こちらでもう少し、私が個人的に感じたりしたことを書き足させて頂こうと思います。
      私は以前より武満徹を愛聴していましたので、
      今回、金森さんがそちらで創作すると知り、嬉しく思ったものでした。
      木や植物への思いが濃厚に感じ取れる武満の音楽が周囲を浸潤する今回の舞台に、近藤正樹さんによるあの「木工美術」が登場するのを目にした際、真っ先に頭に浮かんだもうひとつの名前はアンドレイ・タルコフスキーであり、彼の遺作『サクリファイス』(1986)でした。
      映画にも造詣が深かった武満がタルコフスキーを深く愛していたことはつとに有名でしたから、「あれ」を介して金森さん、武満、タルコフスキーが繋がったように感じたことは、それはそれは嬉しい驚きだった訳です。
      で、2回目の鑑賞を終えた翌日の日曜日は朝から『サクリファイス』を再見しました。すると、主人公アレキサンデルが誕生日に贈られたキリストの画集に感嘆しながら呟く台詞がまた私を捕えることになりました。こんな台詞です。
      「素晴らしい。霊妙で繊細だ。何という賢さ、そして精神性。しかも子供のように単純。深淵と素朴の共存。信じがたい。祈りのようだ」
      まさに、『残影の庭』を前にして呟かれたとしてもおかしくないものではありませんか。

      更に、この『サクリファイス』、その前半部分では、特に、室内で、半端ではない緊張感が張り詰める人間関係が描かれていきますから、そうなると、それは今度はもう、森さんの『Das Zimmer』にも通じてしまう訳です。椅子も、軽蔑も、震えも、見事に重なり合う細部として登場しては目を射抜いていきます。

      そんなふうに、優れた芸術作品が互いに呼び交わし合う、その結節点の頻出に大いに打ち震えたことは容易に想像して頂けるでしょう。
      それらが、(今のところ、)私の『Duplex』体験の中核に位置するものであることを書き記しておきたいと思った次第です。
      以上、長々と個人的なことでした。スミマセン。
      (shin)

  2. さすがshinさん! 
    素晴らしいご感想ですね!!
    shinさんのお気持ち、よくわかります。
    もっと長く書いてほしいですが、それは後日の「公演ご感想」を楽しみにしています。

    優れた芸術作品を観て何を感じるかは、個々人が何を見てきたのか、何に興味を持ち、経験、体験を積み重ねてきたのかによるのでしょう。
    豊かな土壌を心に持つshinさんならではのコメントを読んで、私はこれまで いかにうかうかと過ごしてきたのかと反省してしまいます。

    でも、そんな私でも自由に感想、想像を広げることができるこの2作品がとても好きです。
    こちらの気持ちが入り込む、余裕、余白があるということなのでしょうね。

    たーしゃさんは『残影の庭』を観て、美内すずえの「紅天女」を思い起こしたそうですよ。
    そう言われると「なるほどね♪」と思ってしまいます。

    いろいろな方の、いろいろなご感想、楽しいですね♪
    (fullmoon)

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