舞踊家の矜持を示した新生NINA、埼玉公演楽日

銀盤で羽生結弦選手が今五輪初の金メダルをこの国にもたらしたのは
埼玉公演の初日、緞帳があがるまえのこと。
小平奈緒選手がそれに続いて金メダルを獲得したのは、翌2018年2月18日(日)、
今度は埼玉公演の楽日の舞台がはねてからのこと。
私は新潟に戻り、「俄かスピードスケート・ファン」と化して、
興奮しながらテレビの画面が映し出す小平選手に釘付けになっていました。
「確実視された朗報」も蓋を開けるまでは何が起こるかわからないのが常で、
ハラハラしながら見守っていたものです。
しかし、彼と彼女はやってくれました。
王者の風格を感じさせる日本人を心底誇らしく感じたものです。

で、そのふたつのエポック・メイキングな金メダルに挟まれるようにして、
「約束された感動」の舞台に立ち会ったのですから、
この2日間、どこをとっても、まさに血沸き肉躍るような大興奮の2日間だった訳です。

「風格」、そうです。まさに「風格」。
しかし、こちらは日本という軛(くびき)をいとも軽やかに超越して、
舞踊家というコスモポリタンが示した「矜持」とも呼べる舞台、新生NINA。

とりあえず国内ラストとなるこの日、公演前のホワイエには、私が知り得る限りでも、
バレエ評論家の山野博大さん、今回の衣裳を担当されたSOMARTAの廣川玉枝さん、
そして盟友・ISSEY MIYAKEの宮前義之さんと建築家の田根剛さんら、
錚々たる金森人脈とも言える人々が集結。
華やかで祝祭的な雰囲気のなか、
「約束された感動」に至る時間は刻々刻まれていきました。

その感動の舞台はまず、幽けき切れ切れの音から。
井関さんが、15分間、その一身でひたひたと迫りくる死を踊って、
無常を可視化し、観客の心を静かに揺さぶり、場内の空気を鎮めます。
カーテンコールの最後に、笑顔で右手を上げて、
自身が踊った時空とは別の次に控える時空への繋ぎの仕草を見せるのは、
「前座」と言えば「前座」、確かにそれに基づく振る舞いではあるのでしょうが、
まさにそれはそれだけでお金が取れる「豪華すぎる前座」であり、
次の演目へのハードルをグッと押し上げました。

高められるだけ高められた期待値を一様に視線に込める客席。
一転して、今度は神経を逆撫でするかのような異様な音が鳴り響き、
「生け贄」たちがスタイリッシュに、
支配と被支配、抑圧、暴走、焦燥や反乱を踊ります。
そのさまは、前日のコメント欄でfullmoonさんが触れてくれたように、
そして各種SNSで多くの人たちが書き込むように、
AI(人口知能)を巡る極めて現代的な混乱として目に映ずることでしょう。

しかしまた、この作品は2005年に世に送り出されたものであり、
過去に再演も行われています。
優れた古典が、時代を超えて生き続け、様々な見方・読み方を可能にするように、
この『NINA -物質化する生け贄』も、その時代その時代で、
異なる思考の「容れ物」として機能してきたのでしょうし、
これからもそれは変わらない筈です。

過去、現在、そして未来を繋いで、メンバーを入れ替えながら踊られ続け、
今回の照明や衣裳の変更等を含め、実演を通して練り上げられることで、
『NINA』としての一貫性は保ちながらも、更に進化を続けていく作品。

この度味わった感動や抱いた印象の記憶は記憶として、
この作品の魅力の淵源であるところの、
常に「刹那」が刷新され、突出し続けるダイナミクスは、
私たちを途方もない確信へと誘わずにはおきません。
金森さんは今度はいつ、この同じ『NINA』で、また別のものを見せてくれるのだろうか、
そしてそれは「約束された感動」でない筈がない、というものです。
---5月の上海、それもそうですが、
またの日、必ずや『NINA』に心揺さぶられる日が来る筈だと。
否、既に揺さぶられる準備はできている、とも。
その日が今から楽しみでなりません。


(shin)

「舞踊家の矜持を示した新生NINA、埼玉公演楽日」への3件のフィードバック

  1. shinさま
    感動的なブログをどうもありがとうございました!

    この瞬間こそが永遠。
    その場で舞台を見た者にのみ許される感動。

    この貴重な体験を伝える語り部とも言えるshinさん。
    感謝の気持ちでいっぱいです。
    (fullmoon)

  2. fullmoon さま
    過分な言葉、身に余ります。
    何を書こうとしても、あの感動には迫れないため、
    本当に参ったというのが正直なところです。
    で、同時に、すぐにでもまた観たいという気持ちもありますし、
    時間をおいて、何年か後にでもという気持ちも。
    そのどちらであっても、「約束された感動」に浸れることは間違いないことでしょうから。
    で、年を隔てて観るとき、『NINA』に私は何を見ることになるのか、考えるだけでワクワクしてくるのです。
    これもまた『NINA』が真の名作である所以ですね。
    (shin)

    1. fullmoon さま
      もうひとつ書き残しておきたい印象があります。
      極めて個人的なものなのですが、それはこんな感じです。
      投稿の中でも触れた
      ①井関さんが「Swan」のカーテンコールのラストで見せる
      右手をあげて、次に控える「NINA」へ引き継ごうとする
      堂々としていながらも、慎ましやかな仕草が、
      ②「NINA」前半、舞台の上手奥に据えられた椅子に
      腰掛けようとする池ヶ谷さんの、あたかも人形たちの「首領」として
      世界を統べるかのように重々しく右手をあげる仕草と呼び交わし、
      ③更に、その変奏(バリエーション)として、
      後半、印象深い「赤」の場面で登場する「教祖」シャンユーくんが
      三体の赤い人形を煽り、その後、逆に煽られる際に現れる、
      両手を何度も勢いよく振り上げる仕草に繋がっている、…
      それらが不可視のひとつのラインで結ばれて浮き出し、
      その都度、ハッとしながら、陶然と見入ったことです。
      ただ単に、人が手をあげる動きでしかないにも拘わらず、
      美しく、多義的で、神秘的ですらあることに驚きを隠せません。
      私もせめて右手くらい美しくあげられる人を目指したいと
      思うようになりました。(笑)
      (shin)

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