確かに天気予報では高い降水確率の予報が出ていたようでしたが、
街には傘を持たずに出掛けてしまって
時ならぬ激しい雨にうつむき加減で早足を繰り出す人々や、
傘を差していても結構な雨量に足許が濡れるのを如何ともしがたい人々の姿が見られ、
「ならば、車で」と思っても、隣の県民会館でも集客の見込めるイベントが組まれており、
車は車なりに大変だったのだろう、新潟市、2017年5月26日(金)の夕まぐれ。
そんな様々な不都合を越えて各所からりゅーとぴあ・劇場に集った私たちの眼前に、
満を持して、Noism1は降臨したのでした。
それはまさに金森穣さんと山田勇気さんの見えない手と舞踊家の身体によって描き出された、
ふたつの非日常。
この日、初日を迎えたダブルビル公演は
まずは、山田さんがNoism2に振り付けたレパートリー『Painted Desert』から。
かつてNoism2で観ていた作品をNoism1が踊ることに興味をそそられました。
間断なく耳を襲う不穏な地鳴りの響きが緊張感を高めるなか、
冒頭から石原悠子さんが、井関佐和子さん抜きのNoism1を牽引して、
圧倒的な存在感を示します。
他の舞踊家も、椅子に沈み込む姿が、或いは床に身を縮めて眠る姿が、
尋常ではないエッジの利いた身体として静止を続け、もうそれだけで目を惹き付けます。
白眉はやはり中川賢さんと池ヶ谷奏さんによるブラインド・パ・ド・ドゥ。
この作品は「レパートリー」ということですから、
ふたりが完全に目をつむったままで数分間踊るということは書いても差し支えないでしょう。
その姿を観ているだけで、舞踊家の緊張感がダイレクトに伝わってきます。
そしてこの日、私の目に強い印象を残したのは、他ならぬふたりの掌のセンサー。
目という感覚器官の代替物としての掌。見詰める私の目は釘付けでした。
力を抜き、柔らかく、緩やかにほんの少し曲げられた五指が
相手の身体を繊細にキャッチする様子、
それは同時に実に艶めかしくもありました。
照明も美しい作品です。
15分の休憩を挟んで、今度は金森さんの『Liebestod -愛の死』、文字通り世界初演。
ワーグナーの蠱惑的な旋律が流れるなか、
暗闇の下手側に一筋の光が落ちてくると、そこには吉﨑裕哉さんの後ろ姿。
その立ち姿だけで、既に「末期」が表象されています。
再び暗闇。次に上手側で照明が、こちら向きの井関さんの「歓喜」を捉えます。
「実験的な作品ではない。思いっきり感情で作っている。これが金森穣。」(金森さん)
観る者の心を掴んで、虜にしてしまうのにまったく時間は要しません。
見事な滑り出しです。
衣裳、照明、そしてシンボリックな装置の力も相俟って
ほんのふたりしか登場しない作品とは思えない程の空間的、時間的な広がりをもって
観る者を眼福へと誘います。
今、新潟に、井関さんと吉﨑さんがいて結実し、
ふたりの存在が不可欠な作品にして、
感涙必至の名作なのですが、
これより先は、これからご覧になる方に配慮して、あまり書かないでおきます。
ただ、アフタートークの最初、用紙での質問がなかったばかりか、挙手さえもなく、
金森さんが「新作の発表というのに『驚愕の事態』」と笑ったことを書き添えておきましょう。
観客はもれなく作品世界から現実世界への帰還を果たし得ないでいたからに相違ないのです。
この作品はかくの如く観る者を連れ去ってしまうことでしょう。
ここでは、舞台について直接触れることはせずに、
金森さんがその初日のアフタートークで、この作品について語った言葉を紹介することにします。
「憧れのために死ぬのではなく、憧れながら死ぬのだ。」(ショーペンハウアー)
「生は死のなかに取り込まれていて、死のなかの一瞬が生である。」
「(井関さんの「歓喜の女」には)悲しみにくれる女性であって欲しくない。
絶望的な悲しみを超越して立つ姿。それこそ、舞踊家の姿とも重なるもの。
冷ややかな視線や、酷評を前にしても、それを受けて立ち、
踊らなければ生きていけない存在。舞踊家のあり方。」
「劇場は、そうした舞踊家の生き様を見ることに喜びを感じる人が集まる場所であって欲しい。」(金森さん)
☆ ★ ☆ ★ ☆
アフタートークでは、金森さん、山田さんおふたりとも、
今回、狭いスタジオ公演ではなく、劇場という広い空間での公演ということから、
席によって見え方が全く異なるので、
是非、席を変えてもう一度見て欲しいとも言っておられました。
また、「今の時代、物質的に恵まれていて、自己表現が容易な社会という側面もある。
そのなかで、敢えて人を集めてまで、人と共に舞台芸術を作るには相当な覚悟を問われる。
作ることは魂の所在を示すこと。」と金森さん。
振付家と舞踊家の覚悟に満ちた舞台は必ずや観る者の心を強く揺さぶることでしょう。
生涯に渡る感動が待っていると言っても過言ではありません。
是非、一度、いえ、一度と言わず劇場へ足を運び、
己の身体と向き合う舞踊家の姿を前に、
感動を共有してみませんか。 (shin)
shinさま
今日の公演すばらしかったですね!
もう大感動です。
『Painted Desert』はNoism1がやると全く違う作品になっていましたね。さすがです!
それに、折込チラシによると、この作品は8月11日に富山県等の主催で富山で公演するのですね。
Noism1筆頭メンバーの中川賢さんが薫陶を受けた和田朝子舞踊研究所の方達が前半出演でNoism1は後半に出演。
観に行かなくちゃですね。
そして、『Liebestod―愛の死』、これはもう、言葉がありません。
本当に素晴らしい!!
井関佐和子さんは、もう本当にますますの魅力で圧倒されました。
そして、吉崎裕哉さんの目を見張る出来映えに驚きました。
まさに眼福です。20分では短すぎます。もっともっと踊ってほしい。
明日、あさって、そして埼玉公演、たくさんの方々に、ぜひぜひご覧いただきたいです。 (fullmoon)
fullmoon さま
コメント有難うございます。
おっしゃる通り、どちらも見応え満載で、素晴らしかったですね。
新たな「古典」誕生とも形容すべき、
普遍性を備えた名作『Liebestod – 愛の死』、
その世界初演に立ち会えたことも感無量です。
先日のメディア向け公開リハからの彫琢振りは本当に見事で、
流れるように躍り込まれ、作り込まれての初日に大感動でした。
アフタートークの冒頭、挨拶に立った篠田昭・新潟市長から
「金森さん、また、井関さんのために素晴らしいの作っちゃったね」
の言葉を引き出した、井関さんの踊りは圧巻。
ほんの20分という短い間に、
愛する男性を待つ「死」という抗う術もない運命を前にしての
内面の移り変わり、成長、脱皮が見事に可視化されていましたね。
詳しくは触れられませんが、
ニーチェ的な「超人」にも見える、
全てに「Yes!」と言うが如き、ラストの身振りこそ、
「歓喜の女」を「歓喜の女」たらしめるものでなくて何でしょう。
そして、「裕哉の個性、立ち方をもって作った」と金森さんが語った、
吉﨑さんの余命わずかな「末期の男」です。
そういうことなら、「板に付いている」のも当然な訳ですが、
吉﨑さんは、まるで神話のなかの「神」の神々しさを身に纏って
その全身から、蝋燭が消えゆくときの最後の煌めきを放って、
観る者を魅了し尽くしました。
それもこれも作品の「核」に金森さんの「魂の所在」と
振付家の覚悟があったればこそなのですよね。
「3月からずっと3人で過ごしてきた」(金森さん)、
その時間が見事に結実して、産み落とされた味わい深い名作。
まさに必見ですよね。 (shin)