『かぐや姫~第2幕』最終日、炸裂する金森ワールドに蹂躙される悦び♪(サポーター 公演感想)

2023年4月30日(日)、朝、新幹線で新潟を発って、「上野の森バレエホリデイ」での金森さん×東京バレエ団『かぐや姫~第2幕』を含むトリプルビル公演を観てきました。もう圧倒されまくってしまって、今なお続く大興奮かつ陶酔状態のうちにこれを書いています。

初日の舞台についてはかずぼさんが、2日目はfullmoonさんがレポートをあげてくださっていて、そのどちらからも、「どうやら只事ではなさそう」な気配が読み取れていたので、この日に向けて、期待は膨らむばかりでした。で、結論から言いますと、その期待は裏切られることがなかったばかりか、炸裂する金森ワールドに蹂躙される悦び、それにとっぷり浸る類稀なる35分間だったと言いましょう。

世阿弥『風姿花伝』の「序破急」に倣って言うなら、この「第2幕」は、拍子が変わる「破」そのもの。そしてその今回の「破」ですが、2021年の11月に初演された「第1幕」から時間をあけてクリエイションされてきたことが作品全体に極めて大きな質的変化をもたらすことになった点は金森さんも認めているところです。

舞台装置が、そして何より衣裳が、その趣を一変させていることに驚きました。「第1幕」では、金森さんの方が「現存する日本最古の物語」の時空に寄せて、目に見えるかたちで民話風の昔っぽさなど取り込みつつ、(ある意味、ある程度まで美しささえ犠牲にしつつ、)大人から子どもまで楽しめる日本ものの「グランド・バレエ」としての雰囲気を立ち上げようとしていたように思います。ところが、この「第2幕」では、逆に金森ワールドの方に、その「グランド・バレエ」や東京バレエ団を寄せてクリエイションを行っているのです。私たちが目にするのは、金森さんの審美眼に適った怖いくらいに美しく、怪しい世界…。

廣川玉枝さんによるこの「第2幕」の衣裳は、もうほとんどNoism『NINA-物質化する生け贄』(ver.2017)です。その『NINA』の既視感たっぷりな鈍く煌めく深みのある「赤」を纏って、この日「影姫」を踊った沖香菜子さんの驚愕の存在感には筆舌に尽くし難いものがありました!「第2幕」の主役は(沖さんが踊った)「影姫」と言ってよいように感じたほどです。勿論、秋山瑛さん(かぐや姫)、柄本弾さん(道児)、大塚卓さん(帝)をはじめ、皆さん素晴らしかったのですが、それでも、沖さんの凄みが凌駕していたということで…。

加えて、シンボリックな階段や高低差、はらはら舞い落ちてくる冒頭の赤い花弁。奥を微かに透かせて見せる紗幕の絶妙な効果、矩形の衝立が閉じては開く、そのめくるめく移動。それらはどれも抽象度や象徴度の高いものであり、その点で「第1幕」からの隔たりは大きいと言えるのですが、そうしたスタイルや説話の話法こそ元来、金森さんが自家薬籠中の物としてきたのであり、それが溢れているのがこの「第2幕」なのです。

その抽象性と象徴性のゆえに、もう「いつの日本」を舞台としたものなのか、否、そもそも「いつどこ」の物語なのかも判然としなくなっているくらいです。しかし総体として、客席から見詰める目に対して「圧」をかけて迫ってくるこの「第2幕」は間違いなく高い普遍性を獲得し得ていると感じます。金森さんはもう「竹取物語」をなぞることから脱して、本来その原ストーリーが有する「可能性」の中心に身を置き、自身の創造性(クリエイティヴィティ)を解き放つかたちでクリエイションを推し進めていく途を選択したということが明瞭に感じられる舞台でした。

それは誤解を恐れずに言うならば、2016年に庵野秀明が『シン・ゴジラ』において示した方向性とも重なるものと言えようかと思います。庵野が『シン・ゴジラ』からの「シン・」シリーズでやったこと(その後の2作の出来不出来は敢えてここでは問いません。)とは、つまり、原初にある周知の設定を土台に据えながら、そこに自らの創造性を絡めることで、新たな物語を立ち上げてみせること。その意味からは、『シン・かぐや姫』といった見方もできそうなくらいです。また、そこに現代社会に注がれる目線がある点も庵野との間の共通点として認められるものでしょう。時空を隔てて、よく知られた原ストーリーとせめぎ合うかたちで展開される「シン・」ストーリー。「影姫」の創作などはその最たる例かと思われます。

また、『中国の不思議な役人』、『カルメン』、『お菊の結婚』等々、過去のNoism作品と呼び交わす細部(動きや振り)にも満ちており、瞬間、記憶の中の諸作を想起させられる楽しみも随所で味わいました。

大方の予想と重なるだろうために、もう「予想」と呼ばれる資格を欠いてしまっているのでしょうが、このあと、「全3幕もの」として公演される際(今年10月・上野3公演、12月・新潟2公演)には、既に世に出ていて、私たちが目にしていたあの「第1幕」も大幅に改訂されていることでしょう。(少なくとも、衣裳は遡って変更される筈です。)

この「第2幕」、幾分、唐突に終わる感じもありますが、そこは見方によれば、切れ味鋭いナイフのようなカットアウトとも。そんな「第2幕」、続く「第3幕」への期待を掻き立てて止みませんが、これ単体でも「名作」と呼ばれる資格があるものと思いました。酔えます。

「凄いものを目にした」、そう感じた観客が多かったからでしょう。終演後、何度も何度も繰り返されるカーテンコール。その都度、「ブラボー!」の声がかかり、一人また一人とスタンディングオベーションに加わる人数が増えていき、遂には、客電も点いて、もう拍手もやめる潮時という雰囲気が場内を覆ってさえ、あろうことか拍手は一向に止む気配を見せず、緞帳がまた(仕方なしに躊躇でもするかのような風情で)上がると、客席からは嬉しいどよめきが、舞台上には苦笑を浮かべながらも満更ではなさそうな出演者の表情があり、その一瞬、場内はそれ以上望むべくもない極上の一体感に包まれたように感じました。

おっと、「上野の森バレエホリデイ」全体の雰囲気についても触れるべきだったのでしょうが、あのひとつの演目に圧倒されて木っ端微塵にされた感のある身としては、それをなすべき余力は既にありません。舞台を見詰める前に撮った画像をアップすることで、その代わりとさせて貰おうかと思います。

(shin)

「『かぐや姫~第2幕』最終日、炸裂する金森ワールドに蹂躙される悦び♪(サポーター 公演感想)」への2件のフィードバック

  1. shinさま
    最終日の詳細、ありがとうございました!
    カーテンコール盛り上がったようですね!
    初日もスタンディングオベーションはありましたが、やはり最終日の盛り上がりようは違いますね♪

    『シン・ゴジラ』ならぬ『シン(shin)・かぐや姫』ならぬ
    『ジョー・かぐや姫』でしょうか!?
    更新著しいかぐやの最終日、『ビリティスの歌』の日本語投影は無くて、音声のみだったと別途お知らせいただき驚きです!
    確かに配布資料に訳詩やあらすじは書いてありますが、早速の新趣向のようですね。

    その時の、紗幕の向こうのパフォーマンス。それぞれの孤独が黒衣によって半ばユーモラスに表されていましたね♪

    廣川NINA「影姫」迫力ありました!
    男性群舞も女性群舞も大迫力!
    あれもこれもそれもと、書くことが尽きませんのでこの辺で失礼します♪
    ブラボー!!
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      コメント有難うございます。
      『ビリティスの歌』日本語訳の投影の有無に関しましては、fullmoonさんの2日目ブログを読んでいましたので、それが表す意味の重要性に鑑みて、この日は珍しく、予めキャスト表裏面に目を通すことをしていたため、(←普段はあまり手許の資料等見ないのですが、)ちんぷんかんぷんなフランス語音声が、すぐに「それ」と思い当たり、3日間通して鑑賞した知人に確認しました。そのときは、勿論、逐語的に理解することなど不可能ですし、大意の大掴みな記憶のみで、その音声を受け止めていたのでしたが、フランス語特有のアクセントやら鼻音やらが、とても生々しい「異物感」をもって体内に入ってくるようで、それはそれで一興でした。(金森さん、効果を試してみたのでしょうけれど。)

      それにしましても、金森さんが自分のフィールドで、Noismに寄せてクリエイションした『かぐや姫~第2幕』、魅力的でない訳ありませんよね。また、今風に言えば、「竹取物語」を「パラレルワールド」風に楽しむことに通ずる「影姫」の造形なども、それもこれも「こっち側(?、あっち側?)」の金森ワールドがしっかり確立されて、揺るぎなく「ある」からこそと思いました。そうした事情も『シン・ゴジラ』における庵野秀明との共通点と見ています。

      あっ、東京バレエ団の男性群舞が見せつけた迫力や魅力といったものにはここまで触れず仕舞いでしたが、それもあっての「第2幕」であることは言を俟たないでしょう。
      ホントに諸々「ブラボー!」な訳です。
      (shin)

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