山鉾巡行の日の千年の都に「スゴイ新潟」を示したNoism×鼓童『鬼』京都公演

2022年7月17日(日)の京都は、3年振りに祇園祭山鉾巡行(前祭)が戻って来た日。14万人超の人出が通りを埋めたと聞きました。伝統行事の再開が大いに人心を惹きつけたことは間違いありません。そしてこの日、新潟という「鄙(ひな)」から上洛した2団体がロームシアター京都を舞台に80分間に渡って人心を激しく揺さ振ったことも記しておかねばなりません。そのNoism×鼓童『鬼』京都公演、終演後の客席は見渡す限り、一様に上気した顔ばかりで、そのままそこからは、この日の音楽と舞踊とが、千年の都に伝承されてきた「鬼」とは性格を異にする異形を示し得たことがわかろうかというものです。

先を急ぎ過ぎました。

開演前のホワイエへと戻ります。物販コーナーでの売行きも好調そのもので、その品薄状態が今公演の注目度或いは満足度の高さを示しています。

その他、個人的には、またまた音楽の原田敬子さんと(少しですが)お話しをしたり、新潟からのサポーター仲間、京都のサポーター仲間ともやりとりしたりしながら、開演時間を待ちました。

3階席まで入った観客の様子はどことなしに「ホーム」新潟とも関東圏とも少し異なる雰囲気があるように感じました。(どこがと明瞭には言い難いのですが、少し寛ぎが感じられると言いますか、そんな感じですかね…。)

そして16時を少し回って、最初の演目『お菊の結婚』の始まりを告げるあのSEが聞こえてきて、客電が落ちます。この日もそこからの25分間はもう怒涛の人形振りが目を奪いました。人形たちの「無表情」のなか、最終盤に至り、相好を崩すあの人こそ、この演目にあっての「鬼」と言えるかと思いますが、愛知と山形でご覧になる方々がおられますので、はっきりとは書かずにおきます。一気呵成に踊られ、紡がれていく演目は眼福であり、かつ衝撃でもあると言いましょう。

そして15分の休憩後、『お菊の結婚』が初Noismだったりした向きには、続く演目『鬼』の冒頭ほんの一瞬で脳天を撃ち抜かれたように感じられた筈です。先刻形作られたばかりのNoism理解がいとも簡単に崩れ去ることになる訳ですから。

そこには鼓童の打音も大きな役割を果たしていました。冒頭の連打が、客席から不意を打たれたことによる驚きの発声を引き出したのです。同時に、関西圏のお客さんは「反応がダイレクト」という印象を持ちました。

そこからは金森さん曰く「音が良い」ロームシアター京都で、鼓童が繰り出す様々な音たち(それらは巡演を重ねることで、更に確信に満ち、深化が感じられます。この日は「サッ」や「スッ」が剣呑な殺気を伴って迫ってきました。)が炸裂し、結界が解かれ、人と異形が行き来する把捉が容易ではない時空が立ち現れました。その音をNoism Company Niigataが、同時に、身体で可視化していきます。それは容易に「悪鬼」として対象化できないような「鬼」ですが、見詰める両の目には確かな像を結び、そのありようが説得力を以て感得されていきます。もしかしたら千年の都にも姿を現さなかった類の鬼のありようが。それはあたかも「結界」が解かれるように、都が「鄙(ひな)」によって活性化される時空だったとも言えようかと思います。換言するなら、千年の都に対して侮ることの出来ない「スゴイ新潟」が示された、とも言えるでしょう。

ラストに至り、既に客席は拍手を送りたくてうずうずしているかのようでした。若干早めに響いた拍手も、場内に満ち満ちたそのうずうずに呑まれて静寂へと回収され、やがて一斉に割れんばかりの大きな拍手が沸き起こりました。そこから先、鳴り止まない拍手と、それに応えて繰り返されたカーテンコール(この日も客電が点って後も続きました)が辿り着く先はスタンディングオベーションしかありません。それも極めて自然な成り行きとしての。

で、冒頭に書いた通り、客席に、上気した顔ばかりが溢れるのを見ることになったのでした。密を避けるため、一斉退場は奨励されないのですが、そうではなく、公演の余韻に浸っていると思しき人たちが多かったように感じました。耳に入ってきたのは、「凄かった」や「面白かった」ばかりでしたから。

ホワイエに出てからの光景も同様です。物販コーナーにはお目当ての品を求めようとする人たちが並び、この日用意されたコラボTシャツが全サイズsold outになっていましたし、公演ポスターの前には、そのビジュアルを背景に写真撮影をしようとする人が笑顔でその順番を待っていました。Noismと鼓童によって心地よく圧倒された人たちが如何に多かったことかが窺えます。

立ち去り難い人たち、私もそのひとりでした。サポーターズ仲間や浅海侑加さんのお母様(わざわざ「まぜまぜくん」をいくつもお持ちくださいました。有難うございました。)とお話をしたり、中村友美さんとジョフォアさんに感激を伝えたり、「おめでとう♪」を言ったりしていました。その中村さんもそうですが、Noismには関西出身メンバーも多く、井本星那さん、杉野可林さんが身内や友人の方々と話す姿なども見られました。

そんなふうにして京都公演の幕はおりました。大好評のNoism×鼓童『鬼』ですが、あとは愛知と山形を残すのみとなりました。両会場でご覧になられる方々、あと少しです。どうぞお楽しみに♪

(shin)

「山鉾巡行の日の千年の都に「スゴイ新潟」を示したNoism×鼓童『鬼』京都公演」への10件のフィードバック

  1. shinさま
    京都公演のレポートを有難うございました。
    京都でもNoism×鼓童『鬼』が客席を魅了した様子が伝わってきました!
    金森さんのTwitterにて拝見しましたが、原田さん曰く『今日の本番は“何かが憑いて”よかった』とのことですね!
    https://twitter.com/jokanamori/status/1548654127705911297?s=20&t=rX0vX4dEwMoAFy4tx2H5Kw
    原田さんが、そう感じるほどに『鬼』は深化を遂げているのですね。
    shinさんのレポートを読ませていただきながら、新潟で観た舞台の場面の数々が、頭の中で再生され、「更に深化・・・!」と妄想しつつ鳥肌を立てています。
    会場のロームシアター京都の“音”も良いらしく、もうそれはそれは・・・!!
    ほんとに“どこでもドア”でスッ!サッ!と観に行けたら!と真剣に思案してしまいました。
    Noismの舞台の余韻は、舞台を観終えてからも強烈に心を揺り動かしますね。

    鑑賞後の京都も満喫してきてくださいね。

    aco

    1. aco さま
      コメント並びにお気遣い、有難うございます。
      観客の皆さんのリアクションからはホントに京都を魅了し尽くした感が伝わってきました。それだけにたった1回の公演とは勿体ない気がしたくらいです。(それはこの先の愛知や山形も同様でしょう。)
      終演後のホワイエで、acoさんもご存知の京都在住サポーターさんとの会話、「佐和子さんのあの身体の動き!」から始まり、結論はやはり、「穰さん、鬼ですよね♪」とお互いに笑いながら。
      余韻が続く京都の『鬼』。それに浸りながら、本日、帰新します。
      (shin)

  2. shinさま
    ありがとうございました!
    公演すばらしかったですね!!
    まさに、何かが憑いている!
    千年の都の鬼が、新潟の鬼に呼び覚まされたのでは。
    そんな凄さでした。

    関係者の皆さまと言えば、井関さんのご両親もいらしていましたね♪
    ご挨拶できてよかったです。
    私の1列後ろは、中尾洸太さんのご親族の方たちだったようですよ♪

    深まる感動を胸に、あとは愛知と山形です。
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      コメント有難うございました。
      「関西圏」のNoism、観客の佇まいも少し異なるように感じ、楽しみをもって同化しようとしました。
      祇園祭の時期に「鬼」とは、まさに何者かに召喚された感がありますよね。
      そうしたことも背景にあっての「憑依」だったのかもしれませんね。
      京都公演に纏わるあれこれを思い出しつつ、新潟へ戻ることに致します。
      (shin)

  3. …少し別の事柄になります。

    京都の『鬼』から生還し、千年の都で作曲者その人から頂いた非売品CD『奄美市民歌〜輝く未来へ〜』に耳と心を澄ます。
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    「同時期に作曲した対極のような音楽」(原田敬子さん)はまさにまさに。
    市民の結節点として漲る音楽の力、それがダイレクトに胸に響き、「輝く未来」が掛け値なしに信じられるほど。こんな素敵な歌を持つ奄美をいつか訪れたいと思う。
    Noism×鼓童『鬼』に絡めて言えば、井関さんが踊った(文字通りの)清音尼の音楽、とそんな感じか。これは奄美市民としては誇らしい筈。自然と背筋が伸びる思いがする。

    更に思う。『鬼』の音楽もそうだが、聴いていると、これとは異なる別の表現もあり得たその可能性が信じられず、あたかも題材がこの表現を求めたかのような自然さをもってスッと入ってくることに驚く。
    「6才〜80才」まで参加した市民が、奄美の土地で育まれた生命として呼吸している様が音楽の隅々に聞き取れるようだ。優しく、力強く、奇跡のように美しい。恐らく奄美の自然そのままに。
    何度も繰り返して聴きたくなるには訳がある。

    金森さんの『鬼』と『お菊の結婚』、原田さんの『鬼』と『奄美市民歌』。それぞれ同時期に平行して創作されたこと、その振れ幅には驚嘆するほかない。

    …そんなことを思いました。別の事柄でした…。
    (shin)

  4. shinさま
    別の事柄(別でもありませんが)、いいですね~
    「奄美市民歌」聴いてみたいです♪
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      有難うございます。
      奄美市HPをご訪問いただきますと、CDに収められた6つのヴァージョンを全てYouTubeで聴くことができます。(1.簡易二声合唱、2.独唱、3.斉唱、4.斉唱カラオケ、5.吹奏楽、6.アンサンブルver.)
      加えて、制作に係る記録映像(音源収録メイキング、アンサンブルver.、吹奏楽)と市民歌が流れるなか、奄美の自然や暮らしを収めた動画(斉唱、吹奏楽)もご覧になれます。

      その奄美市民歌についてですが、6番目のアンサンブルver.が原田さんの元々のアイディアで、「その他5曲は奄美市全域の皆さまにヒアリングしてご希望の出た編成によるヴァージョン」(原田敬子さん)なのだそうです。
      全てのヴァージョンの作編曲を原田さんが行い、1~4においてはご自身がピアノ演奏をされているそうです。

      昨日から私は6つのヴァージョンをリピートで聴いております。
      碧く透き通った海や、涼やかな風渡る森までが目に浮かんでくるようですし、何より、輝く未来が原田さんの「楽音」で言祝がれていくように感じます。
      6つのヴァージョン、どれも素敵ですから、是非、聴いてみてください。
      (shin)

  5. shinさま
    えっ! そうなのですか!?
    奄美市HP、見てみますね♪
    ありがとうございます!
    (fullmoon)

  6. shinさま
    6つのバージョン全曲と、3つの記録映像、視聴しました!
    大変すばらしい、美しい、厳かで清らかで癒される楽曲ですね。
    驚きました。
    記録映像の「メイキング映像」も必見ですね!
    平成30年から約3年かけたプロジェクトとのこと。
    美しい曲を聴いて、奄美に行きたくなりました。

    原田さんスゴイです!
    奄美と佐渡・新潟を行き来して、対極にあるような楽曲を創り上げていったのですね。

    『鬼』公演はあと2回。
    鼓童さんの演奏を嚙みしめつつ臨みたいと思います。
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      『奄美市民歌』、絶賛どハマり中です、私。
      fullmoonさんが触れてくれた「メイキング映像」、興味深いものがありますよね。
      そのなかで原田さん、「この奄美の『美(み)』をドレミの『ミ』に見立てて、奄美の場合は『美しい』っていう漢字を当てているじゃないですか。だから奄美はどんな美しさがあるかということを思い出して、その『ミ』の音が出てくる度に、いろんな和音で、このハーモニーの変化で、その美しさというものを表せたらなと思って。旋律だけじゃなくて、旋律の裏にあるハーモニーの部分で、それを表せたらなというふうに思いました」と仰っています。そうした複雑な音構造が『奄美市民歌』の美しさの秘密と知るとき、楽曲『鬼』にも同様なものが隠されているのだろうなと思う次第です。
      そして続けて原田さんが触れているのは奄美の方たちの「耳のよさ」と「ちゃんと聞くこと」です。それらは今回の『鬼』でも、そして常に原田さんが一貫して重視している要素です。「その良さを生かせるような仕上がりになるように作りました」と原田さん。
      生のパフォーマンスへの拘りは、「耳のよさ」と「ちゃんと聞くこと」と無縁ではないことがわかります。そして、それって今回の鼓童とNoismの緊密なパフォーマンスにも通底する要素だなぁと。(だからこそ、恐らく、ご自身、可能な限り、実際に劇場に聴きに来られているのだなぁとも。)
      改めて、ホントにスゴイ次元で作曲されていると知り、原田さんにはやはりクッキングシートについて訊ねてみたいなぁと。(←またか!?)
      fullmoonさんには愛知のレポートをお願いし、私は(可能なら)山形で原田さんに訊ねたいです。(←しつこい!)(汗)
      (shin)

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