「新潟はスゴイ」を見せつけた興奮の『鬼』埼玉公演楽日♪

2022年7月10日(日)、大きなワクワクを抱え、今公演のNoismと鼓童ダブルネーム入りTシャツを着込んで、真夏の新潟から真夏の埼玉へ向かいました。一昨日、埼玉公演初日を観たfullmoonさんのレポートに「舞台美術に変更アリ!?」などとあったものですから、『ROMEO & JULIETS』の映像差し替えの例に見るまでもなく、常にブラッシュアップの手を止めない金森さんのこと、どう変わっているのか、もう興味は募る一方でした。

そして、更に、個人的な事柄ではありますが、もうひとつ別の角度、音楽の原田敬子さんへの興味も日毎に大きなものになってきていました。
今公演の特設サイトで見られる「Noism×鼓童『鬼』Trailer原田敬子さんver.」において、「楽器或いは声で実演するための音楽」への拘りを語る原田さん。続けて、「人間の、演奏する人たちの身体を媒体として、音を媒体として、人間の身体と、それをコントロールする脳、精神の可能性を限界まで拓いていく」と自らの音楽を語っておられます。音楽の素養のない身にとっては、それら語られた言葉を、単なる語義を超えて、それが表わす深い部分までまるごと理解することなどできよう筈もありませんでした。新潟での3公演を観たことで、更に原田さんの音楽について知りたいと思うようになり、CDを求めて耳を傾ける日々が続きました。

お昼少し過ぎに大宮に連れて行ってくれる新幹線、移動中の座席では、原田さんの旧譜『響きあう隔たり』のライナーノーツを熟読して備えました。同ライナーノーツのなかに、彼女が折に触れて繰り返す「演奏の瞬間における演奏者の内的状態」という自身の志向性に関して、今公演に繋がるヒントとなるものを見つけたからです。
原田さんは語ります。「私のいう内的状態とは感情的なものではなく、拍の数え方・呼吸の仕方・音の聴き方等、演奏に不可欠な実際面での技術である。新しい音楽というものに、何か役割があるとすれば、それはこれまでの習慣だけではなく、少しでも新たなアイデアが加えられ、奏者のイマジネーションを刺激しつつ、実はそれを実現するための技術の部分に挑戦するというポジティヴな未来志向性を、身体を通して聴き手に提示することかも知れない」(CD『響きあう隔たり』ライナーノーツより)
この言葉、「音楽」に纏わる語を「舞踊」関連に置き換えて、名前を伏して示したならば、金森さんが言ったものと捉えてもおかしくない言葉たちではないでしょうか。まあ、優れた芸術家は通じ合うものと言ってしまえばそれまでですけれど、この度のコラボレーションの必然性が見えてくるように思えたのでした。

公演の詳細は書けないからといっても、前置きが長くなり過ぎました。

入場時間になり、ホワイエまで足を運ぶと、そこにはNoismスタッフ上杉さんと話す小林十市さんの姿があり、周囲に光輝を放っていました。それから、芸術監督の近藤良平さんに、評論家の乗越たかおさんもおられました。また、劇的舞踊で参加されていた俳優の奥野晃士や元Noism1メンバー・鳥羽絢美さんとは、それぞれ少しお話しすることができました。この日は関東地区での千穐楽でしたから、華やかさが際立っていたと言えます。
また、この日の物販コーナーでは、缶入りの浮き星に加えて、Noism×鼓童TシャツのSサイズも売り切れとなっていたことも記しておきます。こうしたことからも今公演が多くの方の心に届いているものとわかります。

開演時間が来ます。先ずは『お菊の結婚』です。ストラヴィンスキーの音楽に操られるようにして動く人形振りですが、動きは細部にわたって確信に満ち、練度が増しています。蔑みの眼差しで見詰められたオリエンタリズムのなか、拡大していく「歪み」が招来するものは…。淀みなく展開しながらも、「おもしろうて、やがて…」のような味わいは繰り返し観ても飽きることはありません。

休憩後は『鬼』です。緞帳があがり、櫓が顕わしになっただけで、ザワッとして、一瞬にして心を持って行かれてしまうのはいつもの通りです。そこから40分間、透徹した美意識が支配する演目です。fullmoonさんが触れた、ある場面での「舞台美術の変更」も、禍々しい効果を上げていました。
この演目、原田さんによる音楽を(1)鼓童が演奏し、(2)それを、或いはそれに合わせてNoismが踊るという、ある意味「2段階」を想定するのが普通の感覚なのでしょうが、鼓童の音とNoismの舞踊の間にはいささかも空隙などはなく、してみると、その当たり前のように成し遂げられた同調性が高いコラボレーションは、敢えて言えば、原田さんの楽譜を、(1)鼓童が演奏すると同時に、(1)金森さんもNoismを「演奏」しているかのような錯覚をきたすほどです。(無論、金森さんの演出振付を不当に矮小化しようというのでは毛頭ありません。)この演目、カウントで成立するものではないのですから、人間業とは思えない途方もないレベルの実演であることはいくら強調しても足りないほどです。「聴くこと」の重要性は原田さんが常に唱える事柄ですが、それが鍵を握る「共演」であることは言うまでもないでしょう。Noismと鼓童、恐ろしいほどに「新潟はスゴイ」(金森さん)を見せつけた興奮の埼玉楽日だったと思います。

終演後のカーテンコールでは、鳴り止まない拍手に、大勢のスタンディングオベーションが加わり、感動を介して、会場がひとつになった感がありました。繰り返されたカーテンコールはfullmoonさんがレポートしてくれた前日同様、客電が点いてからも続き、客席は温かい笑顔で応じました。そのときの多幸感たるやそうそう味わえるものではありませんでした。

今日は原田さんを中心に書いてきましたが、原田さん繋がりで、個人的なことをひとつ記して終わりにしようと思います。先日の「1.8倍」云々の件がありましたので、お見かけしたら、再びご挨拶せねばとの強い気持ちをもって埼玉入りした部分もありました。すると、開演前、この日も座席表付近で原田さんの姿を認めましたので、お声掛けしました。で、様々に感謝を告げようとするのですが、やはり緊張してしまい、この日も頭は真っ白に。にも拘わらず、笑顔で対して頂き、不躾なお願いでしたが、CDにサインも頂きました。感謝しかありません。その後、fullmoonさんと一緒に再度ご挨拶することもできました。

原田さん、度々突然お邪魔することになり、失礼しました。と同時に、重ね重ね有難うございました。この日も音楽を起点とする実演に圧倒されました。

諸々の高揚感のうちに、新幹線に乗って新潟へ戻ってきた訳ですが、ツアーはこの日でふたつ目の会場を終え、次は一週間後(7/17・日)の京都です。関西のお客様、お待ちどおさまでした。お待ちになられた分も、たっぷりとお楽しみください。

(shin)

「「新潟はスゴイ」を見せつけた興奮の『鬼』埼玉公演楽日♪」への5件のフィードバック

  1. shinさま
    埼玉楽日のレポート、ありがとうございました!
    最終日、賑わっていましたね!
    クレッシェンドで、1日ごとに盛り上がっていき、楽日はfffという感じでした。
    SNS等でも絶賛の嵐ですね!

    原田さんのことをたくさん書いていただきありがとうございました。
    原田さんはスゴイ作曲家ですよね。原田さんがいらっしゃらなければ『鬼』も無かったわけですし。
    そして、さすがshinさん。原田さんのことを書いていながら金森さんのことでもあり、鼓童さんのことでありながらNoismのことになるという理に感服いたしました。
    ありえないようなスゴイ実演を目の当たりにして、本当に「スゴイ!」としか言いようがありません。

    そしてそして、埼玉楽日に原田さんをご紹介していただき、どうもありがとうございました!
    私もホワイエで原田さんをお見かけしたのですが、やはりお声掛けはできなかったので・・・

    京都公演が楽しみです♪
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      コメント有難うございました。恐縮です。
      原田さんはその目がとても印象的で、いつもまっすぐ真摯に物事を見詰めようとされる方とお見受けしました。
      この日も、いつ、お会いするかわからないからと、熟読して臨んだ筈のライナーノーツ。いざお会いし、その旨を伝える段になると、そのCDのタイトルが突然、頭の中で失せてしまい、『(なんとかの)隔たり』とか言うことになる不様さを示してしまったのも、原田さんの目力に圧倒された故と今ならわかります。

      そんな『響きあう隔たり』のライナーノーツから、もう少しだけ原田さんの発言をご紹介したいと思います。
      「…互いの響きを聴くのにその隔たり感のようなものを感じながら演奏するということが距離感や全体を創っていくと思うのね」(『響きあう隔たり III for soloists and orchestra』)
      「音を本当に聴く、ということで実現される強烈な緊張感も意図しています」(『wa-ta-ri I for chamber ensemble』)
      こうした発言から、今回の太鼓芸能集団と舞踊団、ジャンルを異にする2団体の間に当然存在する「隔たり」が積極的に称揚される創作だったことがわかります。
      それにしましても、原田さんは、金森さんと同様、実に明瞭に語る方と確信したライナーノーツでした。

      加えて、今回の公演パンフに収められた原田さんの金森さん評にもその卓越した言語感覚が窺えます。
      「…鬼を宿す漢字からも触発された。魂、魅、魔。そして金森さんは『魄(ハク)』?」の部分です。
      「魄」:「〘名〙 たましい。精神をつかさどる陽の気を魂というのに対して、陰の気に属して 肉体をつかさどり人の成育をたすけるといわれるもの」(コトバンク「精選版 日本国語大事典」の解説より)
      …恐れ入ります。

      そんな方を前にして、2度に渡ってしどろもどろになった自分がホント情けないです。(汗)
      (shin)

  2. shinさま
    ネタバレを避けながらも角度を変えながら読み応えのあるレポート、流石です!
    ありがとうございます✨

    留守番を強いられる環境の私にとって、Noismツアー中は落ち着かず、開演時間頃には、頭の中が…
    グルグル、パッ!パッ!と、てんやわんやな状態となるわけです。
    (この擬音表現、通じますかm(__)m)

    同じ作品であっても、同じ舞台はひとつとしてないわけであり、ましてや(金森さんのいうところの)“本物”は、何度観ても、見応えがあるわけです。
    Noismの作品って、舞台を観た後もずっと、感覚や感性が刺激されているのがわかります。

    それにしても…
    舞台美術の変更が何だったのか、気になって気になって…(笑)

    今度、お会いしたら、原田さんの音楽について、また聞かせてくだい
    あ、舞台美術の変更についても✨

    日付をまたいでのレポート後、お仕事、おつかれさまです。
    暑さにお気をつけて…

    aco

    1. aco さま
      コメント有難うございました。
      そして恐縮です。お気遣いにも感謝です。
      ホントのホントの「本物」ですよね、Noismも、鼓童も。
      そしてそれを可能にした原田さんの音楽もってことです。

      終演後、外へ出たところで、元Noism1の鳥羽絢美さんと、観てきたばかりの公演について、何が話せるということもなくでしたが、少しお話しをしました。そこで、鳥羽さんもかつて同様な経験をされてきたことを念頭にこう切り出してみました。
      「今回の2演目、全然、印象が違うんですけれど、それを同時平行でクリエイションしていたってスゴイですよね」
      すると、鳥羽さん「ハイ。ホントに稽古は大変だったと思います」と。勿論、経験の裏打ちがあっての言葉です。伝わってきた「重み」は今もまざまざと思い出すことが出来ます。

      あと、「舞台美術」の変更の件ですが、私が気付いたのは照明が2ヶ所、(赤と金、)追加されて、効果をあげていたことでした。
      ここから先は直接お知らせしますね。
      (shin)

  3. 皆さま
    いよいよ、Noism×鼓童『鬼』京都公演が迫って参りました。
    で、Noismと京都の組み合わせということですと、伶楽舎の生演奏で踊られた『残影の庭~Traces Garden』の記憶が新しいところですけれど、「鬼」ということでしたら、2017年8月9日(水)19時からNHK-BSプレミアムで放送された『京都異界中継』も思い出されます。「異界」京都での「鬼」ですから。
    でも、いずれにしましても、楽しみですってことでしかない訳ですけれど。
    (shin)

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