Noismと新潟独自の劇場文化、双方の未来を志向する金森さんを支える!

神無月の月末にずれ込み、昨日の中原新潟市長の定例記者会見を報じるニュースで、漸く、Noismの活動継続協議の方向性が見えてきました。

まず最初に、リンクから昨日(10/29)の金森さんのTwitterからご覧下さい。

次に、会見を受けるかたちで今朝(10/30)、地元紙・新潟日報が「新潟面」で報じた記事です。

新潟日報2021年10月30日付け朝刊

こうした一連の流れの嚆矢は、まず、10月21日の金森さんのツイートに感じ取れました。そちらもリンクからご覧下さい。

そのツイートに接した際、コロナ禍の財政状況も考え合わせるなら、これまでとは異なる内容が話し合われ、かなり厳しい選択を求められていることが窺い知れました。それでも、金森さんは、その段階において触れ得るギリギリの線で、「Noismの“長い未来”、すなわち私が信じる新潟独自の芸術文化の“明るい未来”の為であることを、信じて頂ければと思います。」とツイートしていました。

真に私(たち)が望むのは、新潟市民の「シビックプライド」の一翼をなす存在として、大袈裟に言えば、未来永劫、Noismが新潟市にあり続けることであり、そして、国内に類を見ない17年間の実績を積み重ねてきた「レジデンシャル制度」の芸術監督は、本人が自ら禅譲しない限り、金森穣氏であること、このふたつです。

「新制度を適用する第一号がNoism」とか、「Noismありきではない」とか、「芸術監督の任期の上限は2期10年」とか、「お互いに条件が整えば10年継続できる。10年後には新たに公募を行う」とか、行政特有の射程の短い施策に切り替えることで、これまで時間をかけて新潟市に根付き、この地でその在り方が成熟し、世界に冠たる存在となり得たカンパニーを失うことだけはあってはならないことです。

金森さんと彼の「劇場文化100年構想」を信じる気持ちに一点の曇りもありません。あり得ません。ただ、この先は、「新制度」の新たな「実施主体」とされたりゅーとぴあの手腕による部分も大きいと考えます。私たちサポーターズはりゅーとぴあとも連携しつつ活動していく必要が今までにも増して大きくなったと言えます。

求められる「市民還元」も果たしながら、より遠大な芸術的理想を抱くのが、私たちのNoismです。来るべき(10年後?の)「公募」において、わかりやすい「市民還元」という「甘言」を弄するだけで、市側におもねるような団体も現れないとは言えません。そのとき、Noismの芸術的価値はどこまで正当に評価され、検討されていくのか、心配は尽きない訳です。

しかし、これまでも、私たちをここまで連れてきてくれた金森さんです。真の意味での「未来志向」で、Noismと新潟独自の劇場文化の未来を見詰めて、新たな「ブレイクスルー(突破)」を果たしていってくれる筈です。その点で、彼がなす選択への信頼に揺らぎなどありません。あり得ません。そして、これから私たちに問われるのは、Noismをどれだけ必要としているか、その熱量だと言い切りましょう。私たちも、サポーターズとして、覚悟を新たに、新しい「ブレイクスルー」に関わっていけたらと思う次第です。皆さまの広く熱いご協力をお願い致します。

(shin)

【追記】10/29新潟市長定例記者会見時の配布資料(画像)もご覧ください。

「Noismと新潟独自の劇場文化、双方の未来を志向する金森さんを支える!」への6件のフィードバック

  1. shinさま
    よくぞ書いてくださいました!
    まさしくその通りです!

    金森さんは当初より「劇場文化100年構想」を信条として、これまで真摯に活動してきました。
    それがこの度の制度では「芸術監督 任期上限10年」とは、なんと寂しく悲しいことでしょう。
    行政側は芸術文化の真の醸成を考えていないのでしょうか?

    ここまで見事に育ってきた「金森穣 Noism Company Niigata」を、新潟市の芸術文化の大看板として、輝かしい指標を刻み続けていけるように図らってほしいものと思います。

    この件については、金森さんと協議中とのことで、まだ正式には整っていません。
    shinさんが書かれているように、金森さんの新たな「ブレイクスルー(突破)」力を信じ、私たちも見守りつつ、関わってまいりましょう!
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      コメント、有難うございます。
      そうですね。胆力が必要な場面が到来しましたね。
      で、胆力と言えば、やはり金森さんかと。今、私たちが立つ「地平」は、金森さんなしには余人が想像もし得なかった「地平」だとつくづく感じるこの頃です。この「地平」を切り拓いたのは、間違いなく金森さんの胆力だったのだと。
      しかし、今は17年前ではありません。向き合う状況の困難さもあるでしょうが、かつて、金森さんの孤独な闘いだったものも、多くの理解者、支援者を産んで今に至っている筈です。今、サポーターズもその末席に加われたら、これほど嬉しいこともありません。
      この胆力が問われる状況のなか、私たちにやれることを粛々とやって参りましょう。私たちには、Noismのない未来など想像もできないのですから。
      (shin)

  2. 15年程前に釜山国際映画祭に行った時の事です。平日だというのに学生が案内所やシャトルバス乗り場など会場以外でもボランティア活動している姿に感銘を受けました。市は期間中、学校を休みにしているそうです。学生たちは外国人たちと英語でコミュニケーションとるのを楽しんでいるように見えました。そのおかげかどうかわかりませんが、今、韓国映画の勢いはすごいですよね。
    新潟市はどうにかしてもっとNoismの存在を活かせないのか。存続よりもそこを議論できないものでしょうか?

    1. 藤原 さま
      コメント、有難うございました。
      そのとおりですよね。
      文化をひとつの大きな側面として育て上げられるかどうか、そこには自治体の胆力こそが問われるのでしょう。
      Noismという、こんなに訴求力のあるコンテンツに恵まれているというのに、ですよね。
      金森さんは一貫して、文化が自治体にどんな貢献ができるかを提案してきました。
      それこそが、「劇場文化100年構想」な訳ですが、金森さんが見詰めるヴィジョンを共有するのが難しいばかりか、今、手にしている文化資産(Noism)の積極的な活用さえままならないという及び腰の姿勢ばかりが目に付く日常だったと言っても過言ではないでしょう。
      文化コンテンツを公的に支援する前例のない冒険。それこそ、前例主義が大手を振るう日本では実現困難な理想なのかもしれませんが、その風穴を新潟市が開けてくれることを願ってきた訳です。諦めることはいつでもできますから。この先もどうか一緒にNoismを支えて参りましょう!
      (shin)

  3. shinさん
    fullmoonさん
    藤原さん

    みなさんのご意見に深く深く頷いて拝読させていただきました。
    市民還元、市民還元と言われることが多いけれど、新潟市は、それらの活動が実際にどう届いたのか、それがどう今後の新潟にもたらしていく可能性 に繋がっていくのかを検証しているのだろうか…
    これだけの作品を届けてくれていること自体、価値のある還元だと思うのです。
    まさにNoismのこの芸術性の高い創作活動、公演自体が、価値のあるものであり、我々新潟市民の“シビック・プライド”たるものであると思うのですが…
    新潟市は、Noismをどう活かしていくのか、主体性を持って評価、検討していただけないものか…といつも思ってしまいます。
    そして、これまでの活動による、各所からの称賛や評価については、どう考えているのか…
    いつもどこか、その評価の仕方を他人任せで形を整えているだけのように感じてしまいます。

    金森穣氏に対してもそうです。
    fullmoonさんの仰っているように

    「金森さんは当初より『劇場文化100年構想』を信条として、これまで真摯に活動してきました。
    それがこの度の制度では『芸術監督 任期上限10年』とは、なんと寂しく悲しいことでしょう。
    行政側は芸術文化の真の醸成を考えていないのでしょうか?

    ここまで見事に育ってきた『金森穣 Noism Company Niigata』を、新潟市の芸術文化の大看板として、輝かしい指標を刻み続けていけるように図らってほしいものと思います。」

    これまで、そしてこれからの新潟市の芸術文化をどう育てていくのかを考えいただきたい。
    金森穣氏の描く劇場文化を、ここ、新潟に花咲かせていくために…!

    aco

    1. aco さま
      力強いメッセージコメント、有難うございました。
      私たちと新潟市と金森さん&Noismの関係性のこれから、大いに関心の募るところですよね。
      で、今、協議中なのでしょうが、気になるのは、新潟日報の記事中の次の部分です。

      「市とりゅーとぴあの役割分担も明確化。新制度の実施主体はりゅーとぴあ側で、市は活動拠点と活動費用の一部を支援する立場だとした。」

      まだ決定をみていないとはいえ、この文言はどう捉えたら良いのでしょうか。
      新潟市は、実質、Noismから手を引いたと読めてしまうことが気掛かりな点です。そうだとするなら、「日本初の公共劇場専属舞踊団」という在り方はどうなるのだろうか、とか、これまでのNoismの性格も変質せざるを得ないのだろうか、とか…。
      今後、市は「活動拠点と活動費用の一部を支援する」のみという訳ですから、Noismの活用の工夫については、専ら、実施主体のりゅーとぴあが担う(担わせられる)という訳です。主体が市ではなくなるとはそういうことでしょう。
      そんなふうに、市のスタンスが単なる「支援」へと限りなく後退するのなら、(今後、「アンオフィシャル」という事自体、何を表わすことになるのか、もありますが、それは措いておいても、)サポーターズの関わりもその意義を増そうというものです。私たちの胆力も試されざるを得ないと考える所以です。
      今まで以上に、心をひとつに活動していきましょう。
      (shin)

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