奇跡の現場に身を浸した10月17日、『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』千穐楽

個人的な事柄から書き出します。前日(10/16)のチケットも購入していましたが、職場の周年行事と重なっていたことに遅れて気付き、あえなく見送りにせざるを得ず、この日(10/17)の千穐楽が最初で最後の鑑賞機会となりました。はやる気持ちを抑えつつ、朝イチの新幹線で本当に久し振りの横浜入り。ホテルの部屋からはみなとみらいの大観覧車などを望むことができたのですが、雨煙る窓外のそれらは何とも平板で、そこここで営まれている筈の数多の人生たちも一切華やぎを立ち上げるべくもなく、灰色のなかに没していました。奇跡など存しないかのように…。

しかし、奇跡。そう、奇跡。「Dance Dance Dance @YOKOHAMA 2021」の掉尾を飾るNoism Company Niigata ✕ 小林十市『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』(KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉)はその名に値するものだったと言えるでしょう。肌寒い10月の平板な日常のなかに、刮目すべき類稀な70分(休憩含む)の「旅」を用意してくれたのですが、それはベジャールさんとローザンヌを巡る記憶に基づいた十市さんの旅であり、用意した金森さんの旅であるのみならず、Noismメンバーにとっても、観客にとっても、まさにそれは奇跡的な旅だったと言えるかと思います。

プログラムによれば、第一部(25分)は、「Opening I」「追憶のギリシャ」「BOLERO 2020」とあります。

その第一部。16時を少しまわった頃、風の音が聞こえてきて、緞帳があがると、舞台中央に旅支度を整え、椅子に腰掛けた十市さん。諦念を滲ませながら、古びたトランクから数枚の写真を取り出しては視線を落とします。舞台奥に映される画像によってそれらがベジャール・ダンサーとして一世を風靡していた頃のものとわかります。そこに上手(かみて)から金森さん、そして、遅れて井関さん、舞踊とは別種の「旅」など祝する様子も皆無で、自ら踊りを繰り出しては舞踊の醍醐味に連れ戻そうと誘いをかけます。その場面、ある種のストーリーを完全に逸脱した、喜色満面の金森さんの笑顔に打たれます。「兄ちゃん」十市さんと踊る奇跡を表情から、体中から発散しているのです。そしてそれは、とりもなおさず、観客にとっても奇跡に立ち会うこと以外の何物でもありませんでした。その愉悦。多幸感。

そこからの『BOLERO 2020』、十市さんは下手(しもて)ギリギリの位置に移した件の椅子に腰掛けて、12人の舞踊家により、新たな『BOLERO』が踊られるさまを、微動だにせず、見詰めるでしょう。コロナ禍の舞踊家を扱ったクリエイションは、途中まで、あくまで舞踊家12人の孤独な舞踊であり、そこには本来、観客は不在の筈で、想定されていない観客として、それを見詰めるいると、音楽の盛り上がりとともに、次第にシンクロしていく構成に、心臓は高鳴り、我を忘れて興奮する他ありません。

そのさなか、今回、「映像舞踊」版に追加されたものがあり、ドキッとすることに。それは大クライマックスへと移る瞬間、濁点付きの「あああっ!」という大音声の叫び声。山田勇気さんが発したものでした。そこからはもう一気呵成、舞台奥にベジャールさんの作風を彷彿とさせる真上からの映像が映ると、舞踊家たちが形作る円の中心に進み出る十市さん。力強く上方に腕を伸ばし、何かを掴んだかのような確かさや一瞬の煌めきも束の間、その場に倒れ込んでしまいます。そこに緞帳が降りてきて、第一部の終わり。大きな拍手が沸き起こりました。

15分の休憩を挟んで、第二部(30分)。「The 80’s Ghosts」と「Opening II」(!)とあります。「ん?」って感じでしたけど。

再び緞帳が上がると、ほぼ第一部ラストの倒れたままの十市さん。違いは下手(しもて)ギリギリにあるのが椅子ではなく、先のトランクであることです。

すると、舞台奥にほぼ正方形の開口が生じて、スモークのなかから、グレーの衣裳に見を包んだ12名が現れます。『中国の不思議な役人』を彷彿とさせる不気味さで、十市さんを脅しに来ます。まるでそれは、十市さん内部の、踊ることへの妄執ででもあるかのように。現実味は希薄ですが、迫力満点です。

やがて、そこにプラスされるのは諧謔味。そして言葉。「彼らは舞踊家です」であるとしながら、翻って、「そして私は俳優です」でよいのか。「そして私は…」と言葉は途切れがちになり、後が続きません。「俳優」であることに安住出来ない気持ちが噴出してきます。

と、トランクに仕舞い込んでいた道化師の衣裳が、井関さん、ジョフォアさん、中尾さん、三好さんによって取り出され、あろうことか、彼ら4人によってバラバラに着られてしまいます。自らも赤い鼻を付ける十市さんですが、4人に翻弄され続けます。『ASU』のコミカルな1場面の趣きです。

次いで、三好さんがトランクから新聞と思しき紙片を取り出すと、唐突に「3億円のサマージャンボ宝くじ」発売を告げる女性の声が聞こえてきたり、そうかと思えば、ミラーボールが降りてきてからは、タンゴ調の音楽が耳となり、弾かれた光が客席全体に散らばるうちに、気付くと「革命とは…」というベジャールさんの声に転じています。やがて、観客は、舞台奥に投影される古いフランスの写真や映像に、混乱、或いは動乱の様子を見ることでしょう。

流れてやまず、とどまることを知らない時間、付随する避け難い加齢という現実…、十市さんにとっての踊る意味とは。そして、同様に、襲い来る様々な困難や苦境…、そこにあって舞踊家が踊る意味とは。そうした踊る意味への問いは否応なく芸術の意味への問いとして普遍化されていきます。そのとき、私たち観客も漏れなくその問いのなかに包含されていることにならざるを得ません。

「Opening II」とは、この奇跡的な共演を機に、舞踊の旅に立ち返ることになる他ないのだろう「兄ちゃん」十市さんの新章へのエールであり、十市さんと踊ったNoismメンバーの今後への期待でもあり、それを観た観客にとってさえ、一人ひとり前を見て歩むことを力強く後押しするものだったと言い切りたいと思います。

「Opening II」と表記されたクロージングにあって、金森さんは十市さんに上着を渡し、写真を渡し、トランクを渡します。どこまでも優しい仕草です。それを受けて、客席の方へ歩み出す十市さんの表情も諦念とは無縁のものになっています。滋味を加えた舞踊家として。

ラストで手渡された1枚の写真。それが何を写したものだったかは示されません。しかし、繰り返されたカーテンコールの際、舞台奥には、まず、十市さんと金森さんの写真を皮切りに、Noismメンバーとのクリエイション時の十市さんの写真が映されていきました。私は、最後の写真は、時空と構成を超えて、そのときの1枚だったと受け取ります。ベジャールさんのもと、ローザンヌで交差したふたりの(或いはベジャールさんを含めた3人の)人生に発したものが、まったく無縁に思えた新潟でのクリエイションを経て、第3の場所、横浜のフェスティバルで多くの人の目を虜にし、心を鷲掴みにする、そんな奇跡的な70分だった訳です。なんとロマンティックなことではありませんか。鳴り止まぬ拍手と時間を追うにつれ、数を増していったスタンディングィング・オベーションとがその証左です。

…平板なようでいて、こんな奇跡も内包するのが日常なら、愛おしさも込み上げてこようというものです。帰ったホテルの窓外に広がる光景が、今度は魅力的に見えたのは灯りが点っていたことだけがその理由ではなかったでしょう。そして、この日観たものがひとつの奇跡であるとするなら、またいつか目にし得る日が来るかも、そんな奇跡さえ期待したい気になろうというものです。ただ、今の私たちにはわからないだけで…。

(shin)

「奇跡の現場に身を浸した10月17日、『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』千穐楽」への8件のフィードバック

  1. ベジャール、バレエファンにはギリシャ、特にボレロにまずグッときました。ベジャールの弟子による新たな舞台、二度はないでしょうね。
    佐和子さんはやはり圧巻でした。
    ベジャールの作品も是非これを機に拝見してほしいです。

    1. 市川 さま
      本日は久し振りにお会いできて嬉しく思いました。
      もう、一昨年から新潟県外へは出ることなく、それ故に、Noismの追いかけも休止状態だったからです。
      浅学ゆえ、よくはわかりませんが、ステップや身体の扱い方など、ベジャールさん由来のものも多いのですよね。
      このあと、ベジャールさんほか、バレエももっと観たいと思わせられる公演でした。
      で、奇跡ってことについてですが、一度起きてしまえば奇跡でなくなりますし、はたまた、奇跡であるにせよ、次もまた起きれば、それが新しい奇跡となりますしで、生きている限り、期待は持っていようと思います。そのときの大きな喜びを想像しつつ。
      コメント、有難うございました。
      (shin)

  2. shinさん

    ありがとうございました(T-T)
    読み進むなか、その煌めきの舞台が心の中に映像となって動き出し、胸が締め付けられるように熱くなりました。
    観に行くことが叶わないことの心の整理は、つけたはずでした。
    しかし、やはりこの切なさは整理しきれるものではないのだと実感しました。
    そんななか、その様子を聞かせていただけることは、何よりも有難いです。
    十市さんのお腹への念を益々強くしながら、奇跡を強く強く願ってしまう思いが止められません。

    aco

    1. aco さま
      コメント、有難うございます。
      この時期、観たくても観られないってこと多いですよね。
      そんな気持ちに叶うのかどうか、力の限り、書いてみたつもりです。長くなり過ぎて、申し訳ない気持ちもありますが、まだまだ書き足りないような思いすらあるくらいです。(同時に、あの分量、書き終えた今は、やらかしちゃったかなぁという思いもありますが。)
      私の身の上に起きた「ひとつの奇跡」扱いで書かせて頂きましたが、そうでもしない限り、冷静に書くことは無理、そう思った舞台でした。是非、もう一度奇跡を起こさなきゃですよね。みんなで気を送る日常と致しましょう。
      (shin)

  3. shinさま
    気持ち溢れる詳述、ありがとうございました!
    まだまだ書き足りないとは素晴らしい♪
    どんどん書いてください。
    公開リハの様子などは、ネタバレを避けるため、どうしてもムニャムニャになりがちと思いますが、この度は読んでいて大変スッキリしました♪
    この舞台を2日間とも観ることができて、本当に幸福です。

    acoさんは残念なことと存じますが、それでも公開リハを見られてよかったですね♪
    この先、きっと新潟でも上演されることと思いますよ。

    acoさんのような方がたくさんいらっしゃるであろう一方、
    2日鑑賞の方も結構いて「またお会いしましたね♪」が挨拶代わりになり、開演前や休憩中など お話に花が咲きました(もちろん「会話はお控えください」と係員に注意されるのですが)。
    そして、来日中のベジャール公演をご覧になられた更なる幸福な方もたくさんいらっしゃったようで、人の世の幸せは、はかり知れないものがあります。

    17日の終演後に帰ってきましたが、金森さんと長塚圭史さんのアフタートーク的インスタライヴを全部は見ていないので、アーカイブを視聴するのが楽しみです♪
    (fullmoon)

  4. fullmoon さま
    コメント、有難うございます。
    公演を観ている間に浮かんできたワードをいくつも取り逃がしてしまっている気がしていて、「まだ書ける」って書いてしまったのですが、本当にそうかどうかは怪しいかも…。
    しかし、観ているとき、色々な感じ方をしたのは事実でした。
    まずもって、「記憶の中の記憶へ」というサブタイトルからしてトリッキーですよね。十市さんとの千載一遇の機会を得て、「あの頃の記憶へ」降りていこうという訳ですけれど、おふたりならばこそ、頭が記憶しているものというよりも、身体が記憶しているものの謂なのかもしれませんし、それも今の「記憶」でないだけでなく、「あの頃の記憶」「へ」と、ベクトルだとされるのですから、事は単純ではありません。目指されるのは、ベジャール・ダンサーとしての十市さんを永らく観てきた観客にとって、共有され得る手応えのある「記憶」の(再)構築です。
    まず、ベジャールさんという共通の礎があり、そこに金森さんが捉えた十市さん像が重ね合わされたところに浮かび上がってくる作中の「道化師・小林十市」さん像。
    加えて、欲張りなことに、十市さんにとっての「新章」を開く仕掛けも込められているのですから、単なる懐古趣味で済む話でもありません。もう一筋縄ではいかない攻めのクリエイションな訳です。
    しかし、往年の十市さんを深くは知らない浅学の私ですら、おふたりの動きの奥にベジャールさんを意識出来ていましたし、未来に向けて開かれた側面も強く伝わってきましたし、目論見が見事に完遂されていたことは明らかです。ですから、ストーリーから逸脱する金森さん愉悦の笑顔になるのでしょう。あんな金森さん、見たことがありません。会場中に多幸感が溢れたのも道理です。
    そんな複雑な構成すら、自然な趣きで見せてしまった今回の公演は、まさに奇跡の顕現と呼ぶに相応しいものだったと思います。
    「ならばもう一度」、そう願うのも観客としては無理からぬことでしょう。まだまだ観足りませんし、更に更に多くの目に共有されて欲しいものだからです。
    今、そんなことを思ってました。
    そして、fullmoonさん同様、旅先にある身としては、インスタライヴは未見ですゆえ、まだ楽しみがひとつ残されていることも嬉しい限りです。
    …おっと、またまたここでも長くなり過ぎですね。スミマセン。
    (shin)

  5. shinさま
    ご返信ありがとうございました!
    またまたの詳述、うれしいです♪
    ほんと、金森さんの笑顔、チャーミングでしたね。
    過去と現在と未来を繋ぎ、愛が溢れる物語。
    そんな創作のお話や、長塚圭史さんのご感想が視聴できるインスタライヴ。
    見ました!
    とても面白いです!!
    乞うご期待ですよ♪

    そして、小林十市さんと長塚圭史さんのインスタライヴも見ました!
    こちらもいいですね~♪
    横浜DDD初演の『エリア50代』、11月13,14日に新潟で公演!
    金森さんも新潟で初めて観られるそうで、こちらも乞うご期待ですよ!
    楽しみが続きます♪
    (fullmoon)

  6. fullmoon さま
    ご教示、有難うございます。
    今日は代休なので、NHKの朝ドラ『おかえりモネ』をリアルタイムで観たのち、金森さんと長塚圭史さんの方は観ました。長塚さんからNoismへ寄せる興味が大きいことが知れて嬉しかったです。
    それと、KAATは好きな劇場なので、これからまた公演機会が増えると良いなぁと思いました。(勿論、感染状況が落ち着いていてくれなければ意味ありませんが。)
    それと、今回の使用楽曲への興味も募りました。
    十市さんと長塚さんの方も観てみますね。
    どうも有難うございました。
    (shin)

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