「私がダンスを始めた頃」⑥  西岡ひなの

2歳から地元(滋賀)のバレエ教室に通い始めました。オムツが取れたばかりなので、もちろん当時の記憶はありません。始めた理由は、母が可愛い衣裳を着せたかったかららしいのですが、とてもやんちゃで先生の注意を聞かずに走り回り、木製のバーを舐めまわすような(ほのかな木の香りと、しょっぱかったのを覚えています)おてんば娘でした。

両親が共働きだったので、おのずとバレエ教室にいる時間が多くなり、それと同時に私のやんちゃさはバレエ教室内にどんどん広まっていきました。

ある日、教室の責任者である先生が「ひなのはどの子や!!!」とやってきて、三角座りのできない私を膝の上にのせて監視されたり(可愛がってくださいました)、まるで学校に行くかのようにバレエ教室に通っていました。

コンテンポラリーダンスと初めて出会ったのは小学3年生の時。バレエ教室には毎年夏休みに海外から先生が来てくださるのですが、その年はコンテンポラリーの先生でした。プライドが高かった私は、「今回もいつも通り私が真ん中で踊るんだ!」という気持ちでクラスを受けました。しかし、友達が一つ上のお姉さんと踊り、自分は同学年の子と端で踊ることになりました。

本当に悔しくて怒りながら教室を出て、家に戻ると、母から「(端で踊ったのは)当たり前でしょ。全然顔が笑ってないし、楽しくなさそうだった。それに比べて友達はニコニコして、元気でエネルギーがあったよ」と言われて、コンテンポラリーダンスでは、今まで自分がバレエで習ってきたことは通用しない、今の自分は他人と比べるのではなく、とにかく自分の踊りに一生懸命向き合わなくてはいけないんだと、初めて気づきました。 この経験は、舞踊家として踊る今も、毎日、毎公演、兜の緒を締め、舞踊と向き合うことの大切さを教えてくれます。

(にしおかひなの・1995年滋賀県生まれ)

*2019年7月退団

「「私がダンスを始めた頃」⑥  西岡ひなの」への2件のフィードバック

  1. 何度読んでも、「他人と比べるのではなく、
    とにかく自分の踊りに一生懸命向き合わなくてはいけない」が
    突き刺さります。
    そういえば、あのイチロー選手も「自分にコントロールできない事柄
    では悩まない(悩みようがない)」というようなことを語っていたのを思い出して、
    今回、同じような印象を抱いたような次第です。
    私たちはみんな、否応なく、他者に囲まれて生きざるを得ない訳で、
    ならば、揺るがしにできないことであると重ねて実感致しました。
    言うのは易しいのですが、…。(汗)
    しかも小3のときの気づきとは!
    …見習わねば、と思いました。

    『カルメン』公開リハで観た「敵役」も忘れられません。
    7月、気持ちのこもった踊りを楽しみにしております。
    (shin)

  2. やんちゃというか、気が強いというか、元気いっぱい幼少時のひなのちゃんの様子にクスリ♪ と笑いが・・・

    そして、小学3年時の経験から、ずっと変わらず強い気持を持ち続けていること。
    これは笑うどころか凄いことです。

    エッセイを読んで、7月公演が、ますます楽しみになりました!
    (fullmoon)

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