柳都会vol.23 山田うん×金森穣【レクチャー】レポート

2021年3月7日(日)16:30~18:00 りゅーとぴあスタジオBにて、柳都会vol.23 山田うん×金森穣「いま、ダンスカンパニーを率いること」が開催されました。会場では、前日の「コスモス」舞台上で存在感を放っていたレンギョウの活け込みが聴衆を迎えてくれました。
山田さんは、カンパニーのプレゼンは初めてとのことで、映像とカンパニー来歴の年表を交えながらお話しされました。以下、会場での聞き書きを整理し、敬称略にて掲載しました。特に断りがない場合は、山田さんの発言です。(★はスライド)

『柳都会』チラシ

コスモスについて
「コスモス」は当初、映像バージョンとして構成された作品。
昨年6月、東京芸術劇場での公演を中止した(中止を申し渡されたのではなく、状況からお客さんを入れられないという自主的な判断)ことを契機に、映像作品として作った。作品制作の過程でも、密にならないよう構成をした。新潟公演が実現した事は奇跡のよう。カンパニーメンバーはふだん夜のみ練習をしていて、昼はそれぞれアルバイトをしている。
やはりライブで踊りたいため、当初は映像作品をいやがった。

『コスモス』チラシ

地方での合宿
島根 5-6年前からよくワークショップ(以下WS)をしている。そのため日中はリハーサルができない。毎年カンパニーで合宿をしており、島根など過疎地との地域交流をしている。現地での食事は制作の上原さんが料理をしたり、地域の方が作りに来る。合宿では廃校の教室で寝る。島根で合宿をしたきっかけは、いろいろなところへ年賀状を出す際に合宿させて欲しいと書いていたら、島根から返事が来たから。
(カンパニーメンバーが笑顔で食事をしている★)つらすぎて笑っている。ふだんは東京で生活をしているメンバーが、付近にコンビニもない山の中で1週間過ごしている。
青森、ほか (建物の一面に洗濯物が干してある★)合宿をした青森の保育園。一日中こんな光景で、起きて、掃除・洗濯して、交流して、WSして、洗濯して……部活のよう。 男女16名が、同じ部屋で寝るため、一人あたりヨガマット1枚程度のスペースしかない。食事の量が少ないので、先を争って食べる。量が少ないのは予算的な問題もある。合宿は自主的にはじめた。福岡の糸島では 地元のダンサーなどともWSをした。なぜ合宿をするのかといえば、東京にいるとバイトなど個々の都合もあってまとまって会えないから。
金森/鈴木忠志さんのカンパニー(SCOT)のようだ。冷蔵庫のプリンを誰が食べたかで大問題になる。
島根の神楽の人とも交流を持った。学校でWSをすると、過疎地なので子供の数よりもカンパニーメンバーが多くなる。子供と踊ると腰をかがめたり、重心が低くなる。
茅ヶ崎、海を背にした大人数の集合写真★
金森/右端の人が小さいわけじゃない
人が多すぎて斜めに並んでいる、遠いから小さい。山田さんは茅ヶ崎出身。
エストニア公演、2017年くらい。きっかけは、TPAMをやってエストニアから声がかかり、呼ばれた。現地では教会に泊まった。ホテルとかではなく、手弁当的な部分がある。
教会のお湯が15分しか出ず、先輩から先にシャワーを浴びるが、順番が後になるにつれてお湯が冷たくなっていく……。
★2010年、氷川丸、★ひまわり畑×神楽。蜂がいた。
★花まつりで鬼の役をする。「いきのね」のリサーチ。鬼役を「ヘタ!」と現地の子供にヤジられるが、ヤジもイベントのようなもの。
★2016年、マレーシア、イスラエルなどからダンサーを招く。東京ならマレーシアとイスラエルの人が会える。音楽劇、演劇の演出、ファッションブランド福岡店オープニングイベントなども手がける。
★企業からの依頼でディナーショーをした。スープストックトーキョーやビーガンレストランからオファーがあって、ランチとディナーの間にダンスをする。要望はなくても歌も歌う、サーブもする、トークする。

年表を示しながら
2002年、カンパニー立ち上げ。
2003年、任意団体となる。当時は無名で、お金がなかった、ガバナンスの面から任意団体となり、セゾン文化財団ジュニアフェローとなった。助成金300万が交付された。
2005-2012年、地域創造のモデル事業を行い、地域交流、公演、旅をして、時間を過ごして、ご縁が続いた。茅ヶ崎、いわきなど。
2013年、島根、八戸で公演。徐々に作品規模が大きくなっていく。ゼロに戻ってオーディションをする。第1期は8名のメンバーがいた。期を改めるごとにオーディションを行うため、ずっと一緒に稽古していたメンバーがオーディションで選ばれない事もある。これは厳しいし、辛い。
プロジェクトは平行して行っている。東村山の重度障害者福祉施設に2名常勤(交代)でいっている。メンバーはほぼWSや公演、レジデンス、を一緒にやっているので、価値観、共通言語ができている。誰がファシリテーターでも問題ない。施設側から「うんさんじゃなくてもいい」と言われる。
2011-2013年
制作がいるのかいないのかくらいの時期、合宿をはじめた頃。
2017-2018年
「季節のない街」山本周五郎の小説が原案★。youtubeに映像は上げていない。マレーシア、ボルネオのダンサーも参加。ただ踊るのでなく、たたずまい、差別、暴力の要素は一緒に傷ついていかないとできない作品なので、山田さんが唯一出ている作品。震災後の心理状態が現れている。
★ソロ作品「ディクテ」
2013年、「春の祭典」(ダブルビル)。定員1000名以上の劇場で初めての公演。それまで200〜300人くらいの劇場で公演していた。踊る前に、市民〜おばあちゃんたちの誘導をして、そのあと踊る。
「春の祭典」は、とても疲れる。カンパニーメンバーに、空間に対して身体を伸ばす、重力、テクニックを教える教育的な側面もあった作品。公演のギャラはマッサージ代に消えた。踊って身体を痛めて、お金も残らない。
金森/春祭だけに生贄ということ……。
2004〜2019年、「ワンピース」。関かおりさん(第1期メンバー)出演。「ワンピース」男性バージョンも制作。オリジナル音楽はヲノサトルさん担当。外国ツアーにも行った。45分の作品なのでダブルビルで上演。マレーシア、中国、インド、何人ものダンサーが(舞台装置の箱の映像★)箱に入っては出て、入っては出てする。
マレーシアは、コンテンポラリーダンスはあるが、伝統舞踊の方がメジャー。シンガポール、インドネシアのダンサーも参加。

金森/法人化したのはなぜ?
山田/個人では信用を得たり、資金の調達が難しい。
金森/いろいろな活動をなさっている。ここまででも情報過多だし、東京の舞踊団という感じがしない。これは望んでいた活動なのか?
山田/最初は会社勤めをしていた。趣味でクラブなんかで踊っていたくらい。

状況としては辛い体験ながら、山田さんの語り口があっけらかんとしているので、会場からは笑いが起こる瞬間も多々あるレクチャーでした。(のい)

「柳都会vol.23 山田うん×金森穣【レクチャー】レポート」への2件のフィードバック

  1. のいさま
    詳細な【レクチャー】レポート、ありがとうございました!
    山田うんさんのお話はとても面白かったですね♪
    レクチャーパートに続いて、明日あたり、【対談パート】アップでしょうか!?
    金森さんも楽しそうでしたね♪
    (fullmoon)

    1. fullmoonさま
      面白かったですねえ。
      活動範囲の広さもさることながら、山田さんから実務面の話がさらっと出てくるのが興味深かったです。会社員の時期があったから?と思いながら聞いていました。
      対談パートでも会社勤めの時の話をされてましたね。

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