揮発しゆく『春の祭典』(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』プレビュー公演(@りゅーとぴあ)

Noism Company Niigataの作品を見る時、今日的な状況に照応させて観てしまいがちなのは何故だろう。 公共空間でしか目にしないような長い椅子は白く、一人掛けの椅子の連結により作られていた。所在なさそうに、しかしそこに座らねばならないかのように一人、また一人と登場する。のっぺりと塗られた白い顔。纏われた白いシャツの身幅は広く、身体のラインを拾わない。膝上まで素足の身体が正面を向いて一列に座ると、没個性化した衣装ゆえに体格差という個性に目が向く。余剰の布は身体に遅延して皺を形成し、時に照明を半透過させた。

このNoism版『春の祭典』は、音の構造から舞踊を作る実験舞踊であり、ひとりの舞踊家がひとつの楽器を担う。しかし楽器の射影に留まらず、音楽と舞踊の相互作用により空間は充溢していく。図形楽譜という記譜法があるが、さらに三次元に拡張したコレオグラフィックノーテーションとも言うべきであろうか。楽譜は椅子の背の5本の線にも象徴されていた。

椅子は一直線に置かれて境界を成し、またランダムに置かれ、積み上げれられ、檻になり、円陣を形づくった。分断は随所にあり、翳りがちな表情の群衆の畏怖や脅威はざわめき、エコーチェンバー的に増幅していくようだった。奥から射す光に導かれる者、そうでない者。おそるおそる踏み出した者もあった。間断のない収縮と弛緩がなす震え、硬直的な身体、開かれたままの手のひらは不安な情動を接ぎ木したようでもあった。

『春の祭典』
撮影:村井勇

自己省察的表現は抑制的なトーンをもたらし、だが突如として野性的なものにも変容する。変容は不意に訪れ、揮発する。それは我々の裡にもあるものだ。舞踊は時間軸をもった揮発性芸術であり、それゆえいつかの私の感情をなぞるのかもしれない。『春の祭典』は美しさと、現在のアクチュアリティに満ちた刺激的な作品だった。

(のい)

「揮発しゆく『春の祭典』(サポーター 公演感想)」への2件のフィードバック

  1. のいさま shinさま
    こんばんは。
    明日は豊橋公演!
    というタイミングで、
    どうもありがとうございました!
    新潟公演がまざまざとよみがえってきます。

    明日の豊橋公演はどうでしょう!?
    新メンバーの活躍も楽しみです♪
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      コメント、有難うございました。
      のいさんならではの精緻な文章に、
      新潟での公演を思い出しましたね。

      仕事柄、県を跨いでの移動は難しく、
      豊橋公演も見送らざるを得ませんでした。
      新メンバーの印象をはじめ、
      どんな進化(深化)が見られたか、
      是非お聞かせ下さい。
      リスク管理を徹底しながら、
      楽しんできて下さい。
      (shin)

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