柳都会 vol.20 近藤一弥×金森穣【対談】レポート

先に掲載した、柳都会 vol.20(3/24)のレクチャーに続く、対談部分のレポートをお送りします。

金森 ここまでで、具体的なA4サイズの平面にいろいろ落とし込まれている要素についてどう捉えていますか。
近藤 配置については技法がある。舞踊であれば技術性というところか。
個性…その人にとっての空間・平面上での重心の捉え方にもなるが、空間の余白と重心から構成している。
金森 (学校で教えていらっしゃるが)感覚的なものは教えられる?
近藤 答えはない。自分ならこうするという位で、学生が作ったものについては一緒に悩み、作るプロセスを教える。
見た目が、もしかしたら意図したものとは違う意味に捉えられるのでは?とか、ここで切ってみたら?と問いかけると、言った通りに変更してきてしまう。
確信犯的に言うこともあるが、自分で考えて何かやると好きな感じになっていくというプロセスを繰り返すうちに会得していく。
金森 PCでいずれ人工知能がデザインをやるようになるのでは?
近藤 ある程度はできるのではないか。ただ、最初のものやエラーが魅力につながる。
それは計算を積み上げても太刀打ちできない。すぐれた作品であれば言語化の枠に留まらない。
作っている核心的な部分は、何らかのエラーのどこを用いるかという判断によるし、能力差がある。
ブラッシュアップを重ねて、繰り返し直させると微妙によくなっていくし、そうした方法論でしかわからない。
金森 近藤さんはどこかで習ったんですか?
近藤 親の絵の描き方がそうだった。

Photo: Ryu Endo

Photo: Ryu Endo

金森 作られたチラシのイメージで、すごくかっこいいんじゃないかと思って観に行くと、つまらないということが起こる。
近藤 パフォーミングアーツの場合は難しい。過去のDVDを見てチラシを作成しても、次は違うものになる。
金森 まず導くというか、興味をもってもらうことですね。
近藤 単なる批評より紹介のため推薦に近いかもしれない。潜在的にいいと思ってもらえるかどうか。
金森 新作の場合は難しいですね。
近藤 想像するしかない。依頼を受けた時点では曲がまだない事もあるし、公演までタイムラグがある。
どんな行程でどんな作られ方をするか、依頼者とのやりとりの中でかわってくる。
時代的な要請もあるかもしれないが、2000年代は普通の作り方になってきた。
『Liebestod』については、金色というイメージが固まっていた。
金森 素材写真を撮る前に、近藤さんから「どこかブレてたほうがいい」と言われた。
近藤 ブレていると動きが入る。止まるということを認識させるためには、動いているところを見せないといけない、ダンスを見せる基本。
金森 見切れた画像を使っていますが。
近藤 内容がこう……現実の見えているところと死(観念)がある瞬間に成立するコンセプトだったのではないか。
色味については、印刷で金は使えない(よく見えない)のでこうした。
金森 色彩感覚が心理学的に与える影響は考えますか?
近藤 あまり考えない。
金森 見た人にどういう影響を及ぼすかという……。
近藤 実用的な技術論になってしまう。
金森 コマーシャルなもの、何がキャッチーか、わかりやすい心理作用といったものは全く意図しない?
近藤 考えもしないわけではない。素材がアートであり、分析は結果論にすぎない。

金森 作家の立ち位置や視座と、広報物に求められる一瞥性の折り合いはどうつけていますか?
近藤 そこまではっきりとしたものはない。キャッチーではないものには、弱いなりの強さがある。
金森 作家、作風が好きという、大衆化されないもの感性が共鳴することがある。
ヨーロッパの一流プロデューサーがハイセンスなものを紹介してハイセンスな観客で完結していく流れがある。
この人が紹介するなら面白い作品だろうなというような、近藤さんにはいわゆるデザイナーとは違うイメージがある。
近藤 どうだろう。こんなの(※やくしまるえつこ)もあるし……。
金森 これちょっと(雰囲気が)違いますね。
会場 若い頃から芸術に親しむ機会があったんですか?
近藤 高校生の頃から、西武劇場で武満徹、安部公房、寺山修司が関わった舞台を観ていた。
絵に関しては、幼稚園の頃から父に手をひかれて展覧会に行ったのが災いしている(笑)
美術展の仕事をやりたいと思っていたら携われるようになった。事後的に父の息子だと知られた。
パフォーミングアーツについては佐藤まいみさん(さいたま芸術劇場プロデューサー)との出会いがあった。
金森 先程言われた、2000年代に作り方が変わったのはどうしてですか。
近藤 時代と関係しているけれどうまく言えない。
美術館も質的ではなく来館者数が指標になり数を稼がないといけなくなってきた。
一瞥性があり、デザイン的なインパクトが求められるのは時代の要請。
昔に比べると広報物を全部手がけることは少なくなった。デザイン業界は接点がないのでよくわからない。
デザインのジャンルがもっている何かは、プロパガンダの手先にもなりうる危険な側面がある。
金森 社会の変容があったということですね。

近藤 90年代に比べてシステムがコンパクトになり、自分独りでオペレーティングできるようになった。
それ以前は、指示を出して外注したことが、時間はかかるが手元でできるようになり作業が圧縮された。
思うことをストレートに作れるし、失敗してもやり直せる。
一方、エラーは人と関係することで出てくるので、自分で作るしかない。
版画のエラーは面白いのだけど、工夫して工房的な描き方をしたり、現代的になってくる。
近藤 コレオグラフィーではどうですか?
金森 振付ではいやでも他者と関係せざるをえない。
自分独りでやっていると、すぐに自己完結するので難しい。
今回、『R.O.O.M.』を18回踊ってみて、振りが自分から離脱する、想像を超えてくる感覚があった。
近藤 それは羨ましい。時間は必要ですね。身体は時間がかかる。
金森 身体は時間がかかる、『NINA』は「物質的な身体」とあるし。
生身の身体というのは、凄い量の情報を受けられる。
二次元の動画を見てフォルムだけ覚えても、それは違う。デジタル化できないものがある。
便利になると、失われる何かがある。そこで新しいメソッドが要請される。
近藤 メディアに関しては、紙ならポスター、本、名刺、すべて身体との距離感は違う。
学生に訓練として紙を出力させるが、ポスターの次は名刺というように課題のサイズを変える。
モニタの大きさの中で完結しないように。
金森 二次元の情報を受け取り慣れて、変容した身体に対する身体表現が求められる。
音楽は速くなっているし、情報処理のスピードは皮膚レベルにはそぐわなくなってくる。
同じ空間を共存していればこその限界値がある。実際、距離感に驚くことがある。
近藤 舞台の枠組みとして、生身の身体である特質を生かすところまで意識する観客、舞踊家も求められるのか。
金森 身体的行為として起こることは、ほかのものから抜きん出ている。
ネットにあげる動画として集団で踊っているようなものはひとつの表現だが、身体の意味合いが変わってきている。

会場 なぜ桑沢デザイン研究所を選んだのですか。
近藤 裾野が広いと聞いていたし、ある先生に憧れた。美大に入り直す時間がなかった事もあるが、結果的によかった。
金森 師匠はいますか?
近藤 直接はない。学生時代のバイト先で影響を受けた。当時、都内で一番大きなスタジオをもっていた人。
画家は好きに作品が作れて羨ましい。デザインはモノがあって作る。
紙とSNSで距離感が二重に発生する問題は、ある程度は無視する。今のところチラシがメイン。
そのうち本もAmazonで書影がどう見えるか、CDは配信時の絵柄がどう見えるか大事になるかもしれない。
会場 『ROMEO&JULIETS』についてはいかがでしょうか。
近藤 依頼をうけた時に台本はあったが、衣装はまだだった。
金森 ゴーストは近藤さんのアイディアでシーツを被った。
近藤 霊安室だし、ジュリエットが複数であることから匿名性もあった。
金森 台本を書いた側が忘れるような核心をビジュアルにしてくる。
(ゴーストの頭上に月のように照明を入れる)配置もすごい。想定していなかった切り取り方。
これこそエラーであり、共同作業で起こったこと。
映像担当の遠藤は意識して画角に入れて撮ったかもしれないけど。
近藤 照明についてはレタッチで位置を動かしたかもしれません(笑)
『R.O.O.M.』は、銀色と池田亮司の音楽からシャープな作品をイメージしてしまった。
シャープさよりも実験ということに重きを置いている。
部屋を囲い込んだことで、見えているものが脳の虚像と感じられる。
ビジュアルに使ったのはサイン波、パルス、オシレーターの波形です。池田さんが喜ぶもので音楽へのオマージュです。
金森 Noismのロゴはどう思いますか。高嶺格さんが作られたものですが。
近藤 赤を使っているし、強いです。ロゴを大きくすると使うのが難しい。
金森 『NINA』は送った写真の中から近藤さんがチョイスしたんですよね。色は変えてありますが。
近藤 写真の色を変えるのは篠山紀信さんとしてはokで、男女……二つの境界がテーマでした。
ゲシュタルトというか入れ替わる瞬間があった。
フォントは既存のものですが、アルファベットでオールマイティな書体はないので調整することはあります。
会場 オリジナルを作ることや、これは自分から手がけてみたいと相手に売り込むことはありますか?
近藤 こういうものが好きだと人に言っていると、そのうち仕事になるので、やりたいことは縁でできている。
結果論としてですが、日本人で海外で評価されている人を多く手がけた。米田知子さんの写真集もそう。
金森 そろそろ時間ですが、最後に何かあれば。
近藤 三浦さんの『孤独の発明』は哲学的な本で面白いです。
金森  『鏡の中の鏡』を作る前に読みました。
近藤 みなさん、手にとってみてください。
金森 え、宣伝で終わっちゃうの?!

要約する能力に恵まれず、聞き書きのメモをどうにか読めそうな体裁に加工したことで、発言者の本意とは異なるニュアンスとなっていたり、あるいは発言の取り違えをしている可能性も十分にあります。が、今回の柳都会の雰囲気に便乗して言うのなら、それも忍び込んだエラーとして、ご寛恕願えれば幸いです。
(とはいえ、誤謬等がありましたらご指摘ください)
(のい)

「柳都会 vol.20 近藤一弥×金森穣【対談】レポート」への4件のフィードバック

  1. noi さま
    大変な労作、ありがたく拝読しました。
    知的興奮に満ちた内容。引き込まれて聞き入った(だろう)聴衆の様子まで伝わってきました。
    三浦雅士『孤独の発明』について、こんなに強力な宣伝はありませんよね。早速、ポチってしまいました。(笑)
    加えて、前回、やくしまるえつこへの言及が気になるとコメントしたことに関しましても、見事に「ご回答」いただき、併せて感謝いたします。
    戯れ言はさておき、当日、足を運ぶことが叶わなかった者をも充分過ぎるほどに満たしてくれる充実のレポートを届けてくださったことに、心からの感謝と敬意を表するものです。本当に有難うございました。
    (shin)

  2. noiさま
    レポートどうもありがとうございました!
    すごいですね!!

    レポートの中ほど、金森さんが、
    「今回、『R.O.O.M.』を18回踊ってみて、振りが自分から離脱する、想像を超えてくる感覚があった。」と話されています。
    聞いていた時は『鏡の中の鏡』のことかなとも思いましたが、やはり『R.O.O.M.』ですね。他者との関係性の話ですから。
    『R.O.O.M.』が金森さんの手を離れ、金森さんの想像を超えていったという、とても喜ばしいことが再確認できてよかったです。

    ほか諸々、多岐全般に渡る詳細レポート、敬服しております。
    どうもありがとうございました。
    (fullmoon)

  3. noiさま
    金森さんのツイート、どうもありがとうございました!
    了解です♪
    (fullmoon)

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