Noism 金森 穣『闘う舞踊団』~出版記念トークイベント~聴いてきました!

テレビをつければWBC一色、ぽかぽか陽気の休日に、MOYO Re:(もより)にて行われた『闘う舞踊団』~出版記念トークイベントを聴いてきました!
聞き手はツバメコーヒーの田中 辰幸さん。
以下、トークの様子をふわっとレポートします。

■出版について
本を書くことで未来の誰かに託している。資料として残すという側面がある。
『闘う舞踊団』は、文化政策にかかわっている人から反応がある。
Noismは成功例だと思っていたところ、読んでみて驚きや共感を覚えたという声がある。
こういう形で発信していかないと気が付いてもらえない。もっと発言していかなければいけない。

■鑑賞すること、批評の不在
Noism初期の頃のアフタートークでは平易な質問もあったが、回を追うごとにはっとする質問が来るようになった。
舞踊に触れていなければ、見方はわからない。感じられるものはあっても、この見方で”合っているのか”わからない。
舞踊についての言説が流通していない。別の方法も考えていかなければいけないし、地道に続けていくこともある。
一度でもいいから観てもらうためには、知名度を上げることも必要。

■10代の頃
中学生くらいの頃は授業に身が入らなかった。屋上でハーモニカを吹いていた。
自分が”違う!”と思ったらイヤになって、授業が入ってこない。
承認欲求はある。0歳児保育の頃は大人に気に入られようと愛想をふりまく幼児だった。

■家庭環境からして舞踊のエリートなのでは?
父は伊豆大島から東京に出て、ウエストサイドストーリーに感化されてダンスを始めた。
いま70代で生活保障もあるわけではない。舞踊家の大変さ、厳しさは目の当たりにしている。
舞踊は身近なものであり、踊っていると周りの大人がほめてくれた。

■世代による分断
現代では舞踊の動画もたくさんあり、学習しやすくはなっている。
世代による体験の分断はあり、強いてやらせるのは暴力的なこと。
いま海外に行っても、通信手段が普及しているので容易につながってしまえる。
ただし方法が違うだけで、孤独は味わっているのかもしれない。
自分の追い込み方、内圧を高めてどう外圧に対処するかという体験が重要。
外圧がないところで、内発的に自らを高めていくことは難しい。

■身体の稀少性
社会が非身体化しているからこそ、身体の稀少性に惹かれる。
知識は見て学べること。その時自分の身体がどうなっているか、身体と向き合うという実践によって理解できることがある。
知識を疎外しているわけではなく、両輪としてやっていく。
身体性をどうとらえるかは、一度WSに出て体験してみるのが一番。
実践を通して身体の可能性に気づき、見る行為により追体験ができる。
人生をかけて自分の身体と向き合うことでリアリティが生まれる。

■読書について
本は18歳頃から読み始めた。図書館には行かないタイプだった。
ヨーロッパでは、哲学とは、親とはといった会話で他者とコミュニケーションする光景があった。
自分は今まで舞踊(運動)はしてきたが、これではヤバイ!恥ずかしいという思いから本を読み始めた。
いきなりニーチェを読み、内容はわからないけれど負けず嫌いなので読み通した。
ニーチェのほか、三島、村上春樹など雑食だった。
今ならまとめ動画で要約も見られるし、知らなくてもchatGPTで回答は得られる。
だが身体とどうかかわるか、全身体的な体験として本を読む。読む行為は空間的かつ時間的。
ベジャールの父は哲学者だった。メルロー=ポンティなども会話に出てきた。
情報と感覚は違う。ヤバイ!と思うこと、危機感を持つことが大事。

■金森さんがちゃんとしすぎている問題から
田中:金森さんは、もう少し隙があると親しみがわきやすいのでは?
金森:この前も柳都会で、近づきがたいと思っていたが、普通でよかったと言われた。
田中:だらしなくしてみては?
金森:スキを見つけて楽しい? 別に作っているわけではなくて、やりたくてやっている。
そんな方法でなくても、山田の道、井関の道、オレはオレでやっていく。
もし、崩して観客が増えるとか、根拠があるならやる。
とはいえバランス感覚が重要。知名度が全てではないが、知名度も必要。
質と社会性の両立、広報を続けていっておいおい成果がでてくればよい。多角的アプローチをしていきたい。

■観客について
少子高齢化が問題と言われるが、高齢者はさまざまな人生経験をしているので、ごまかされない目があり深く届くものがある。
芸術家の自分としては、理解者は一人でもいればいい。実演家と芸術家の両方の視座が必要。
県外からの観客は2~3割程度。昔より増えている。
市内の人が劇場に足が向かないのは、年間を通してやっていることの弊害かもしれない。
首都圏へのアピールは課題。関係が構築できたと思ったら担当者が変わる。
(芸術家としては)ただ数が集まればいいというものではない。
何が評価されているのかは、今期から新体制なので、三年後にまた聞いてほしい。
メンバーがチケットを販売することはタブーではないが、それをやらないと成り立たなくなるのは駄目。
普段の生活の中で、馴染みのお店や触れ合う人へ観に来てくださいという声かけはあると思う。

■饒舌な金森さん
(ポスターの指先まで隙のない姿に対して)舞踊家だから仕方がない(笑)
田中くんが相手だと、ふだん話さないことまで話した気がする。
柳都会では聞き手になっているが、今日はずっと喋っている。
フリートークが成立するかどうかは相手による。

■良くも悪くも金森さんの存在は不動のものでは?
日々さらけ出して、メンバーと一緒に稽古している。
ベジャール、キリアンの指導者性はタイプが違う、自分が師事した頃の彼らは60代70代だった。
自分が踊らなくなってからわかる見え方があるかもしれない。
今後は、Noismの組織としての体制を確立させる。
自分の身体と向き合うことで「真の花」に迫れるのではないか、興味はある。
舞踊はよく非言語と言われるが、むしろ前言語的ではないか。

■「美しさ」とは
大前提として、はかないもの。言語化すると消失してしまう。
ヨーロッパでは「美しい」と頻繁に言葉に出す。
リプロデュース可能なものにするのが「芸」。

軽妙なテンポの田中さんが、スペイン人の女の子、鈴木忠志さんのユンボなどの話題を挟んで会場を沸かせることも度々。質疑応答からさらに話題を展開するモデレーターぶりに、いつになく饒舌な金森さんが応えます。怒涛のトークに聞き入り、気づけばあっという間の2時間が経過していたのでした。(のい)

「Noism 金森 穣『闘う舞踊団』~出版記念トークイベント~聴いてきました!」への5件のフィードバック

  1. のい さま
    レポート、有難うございました。
    「2時間」ですから、盛り沢山だったかと思われますが、簡潔にまとめていただいたお陰で、要旨はよく伝わってきました。ご苦労様でした。

    身体の稀少性。
    話は本旨から逸れますが、冒頭に触れられていたWBCにおいてもそれが眩しく突出していたように思います。とりわけ、決勝戦の最終回、大谷vsトラウトの場面。今季からMLBで採用されることになる「ピッチクロック(投球間隔についての上限規定)」を予めあざ笑うかのような、最長33秒の間隔をおいて投じられた全6球の対戦。その醍醐味こそ、18.44mを隔てて屹立したふたつの身体が野球の「制度」を逸脱して、その球技が、その前言語的な可能性を最大限に押し開いて輝いた時間だったのであり、その刹那の煌めきを永遠に見ていたいと念じる者がこの地上に溢れた至福のときだったように思います。それを可能にしたのがふたつの傑出した身体であったという…

    まったく別の事柄になりましたが、読んでいるうちに、エクリチュール(書かれたもの)がもつ「間テクスト性」により、インスパイアされてしまった気持ちによるものです。ご容赦願います。
    (shin)

  2. のいさま
    長時間のお話、アップありがとうございました!
    司会者は聞き手であり、話し手でしたね。
    応援してくれているのは嬉しいですが、もう少しリスペクトがあってもよかったのでは。
    金森さんが真摯に応じているのが印象的でした。

    shinさま
    金森さんのお話を聴いて「身体の稀少性」は心に響きました。
    このようなネット時代だからこそ、身体という現実は貴重であり、
    稀少であり、重要視されていくのでは、というお話でした。

    shinさんが書かれている通り、
    得難い身体性には誰もが惹かれることでしょう。

    WBCのお話もありました。
    前言語の古から音楽と踊りは根源的なものというお話で、
    司会者が、大谷が喜んでいる姿は舞踊ですね、と言ったら、
    「舞踊というよりは、感情表現。
    再現性が無ければ芸とは言えない」と話されました。

    そのほか、いろいろ、煌めく言葉は拾いきれません。
    これこそが現場であり、ナマの醍醐味。
    有り難いことです。
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      おやおや、「もう少しリスペクトがあってもよかったのでは」とは!
      トークイベントを成立させる要諦はそこだと思うのですけれど…。
      聞き手と話し手と参加者、三者の間のリスペクトです。
      聞いていてその点が薄く感じられてしまうとしたら…。(絶句)
      (shin)

  3. shinさま
    ご返信ありがとうございました。
    トーク後に質問もいくつか出たのですが、最後に、
    『闘う舞踊団』にも掲載されている、Noism生みの親である方が、
    バリっと発言して締めてくださいました!
    内容は、
    「金森さんは新潟の宝。やりたいようにやってほしい。それが新潟のためになる。宣伝広報云々ではなく、ここにいる人たちが観客を10人ずつ連れていけば、結構な人数になる。そうやって応援していきましょう。」
    ということで拍手喝采!
    終わりよければ全てよし でございました♪
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      補足、有難うございます。
      それはそれは。
      「All’s Well That Ends Well.」(シェイクスピア)ですね。
      そしてイベント自体、一参加者によって救われたってことですかね。
      なによりでした。
      (shin)

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